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精霊捜査線/鷲頭・豚頭の従者達は夜に啼く  作者: Ann Noraaile
第2章 スラップスティックな上昇と墜落
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ファビュラス・ハデス 15: 羊男のアルカリ

    15: 羊男のアルカリ


 羊男のアルガリは、太さが50センチもある自慢の角の表面に指先を当て、その感触を味わいながら指を滑らせていく。

 角はアルカリの頭頂からやや後方に伸び、ほぼ1回転し先は外側へ向かっている。

 その先端の丸みを指先の感触で確認して、今度は胸元のネクタイの結び目の具合を指で調べる。

 アルカリはネクタイの歪みが少し気になって自分の乗ってきた車のサイドミラーに屈み込んで、それを直す。

 周囲は、橋の乏しい照明灯の光しかない夜の暗さだが視力を強化されているアルガリには、なんの問題もない。

 角に触る、ネクタイの状態を確認する。

 それはアルガリの癖というのか、大切な仕事をする前の儀式のようなものだった。

 アルカリの数メートル前に、ドク・マッコイから指定された警察車両が橋の防護柵に抱き留められて停止している。

 任務はこの車の中から、警官達がパパラッチショットガンと呼んでいるカメラとその記録データを回収する事、アルカリの普段の仕事と比べると簡単なものだ。

 だがこの任務の依頼者がドク・マッコィである事を考えると、内容は簡単でもその位置づけは高い。


 アルガリが自分の車から離れ、数歩歩み出した時、接近して来た大型セダン車のヘッドライトの光が彼の背中に照射された。

 アルガリのトーテムは羊だが、そのモデルは野生種なので、彼の頭部に生えている体毛は縮れてはおらず美しい毛並みを持つ短毛である。

 それがヘッドライトの光に照らされ、綺麗に輝く。

 アルガリは、やって来た車から降り立った人物に正対した。

 ドアの位置から考えると、先ほどまでこの車を運転してきた人物のようだ。

 車を止めてもヘッドライトを消さない所から、この人物の用事は直ぐに済むものと思えた。

 あるいは、、。


 アルガリの横長スリット型の瞳孔奥にある暗視機能が、ヘッドライト光を直視するという状況の調整を終えた。

 そこに浮かび上がったのは、ビキニスタイルにブーツという娯楽女子プロレスに登場するようなコスチュームに身を固めた大柄な筋肉質の女性だった。

 アルガリの身長は2メートル程あるが、女性もそれに負けていない。

 筋肉質だが、男性的というわけではない。

 赤いエナメルの光沢を持つビキニやブーツがよく似合っている。

 長く豊かな髪の色は黒、瞳は青。

「これは、これは。」

 アルガリは気障な仕草で肩をすくめてみせる。

「何?何か、問題でもある?あんたの頭の方が、よっぽどイカれてるんだけど。」

「いや、失礼、で、何か私めに用事でも?」

 女は仁王立ちの状態で腕組みをした。

 そのせいで元から大きい乳房が盛り上がり、胸の谷間がより強調された。

 もちろん彼女は、それをアルカリに見せつける為にやったのではない。

 この間、目の前の羊男という「障害」についての値踏みをしていたのだ。


「そこをのきな!あたしが何をしようと、あんたにゃ関係ない。」

 アルカリの値踏みが終わったのだろう、女が一直線に進み出した。

 その先には、当然、警察車両がある。

「仕方、ありませんね。」

 アルガリが女の進路を塞ぐ。

 アルガリには精霊としての嗅覚がある。

 相手の属性が判別できるのだ。

 亜人類と人間、ノーマルな人間とバイオアップ、サイボーグと人間、それらの違いが瞬時に嗅ぎ分けられる。

 アルガリに判別できないのは、人間と生成レベルの高いクローン人間の差だけだった。

 目の前の女性は、亜人類でもバイオアップでもサイボーグでもない。

 残るはクローンか人間か、、だがクローンであったとしても、その身体能力強化には限界がある。

 精霊の自分には敵わないだろう、アルカリはそう判断していた。


 女がアルカリの間合いまで入ってきた。

 途端に、女の右脚のブーツがうなりをあげて、アルカリの側頭部に蹴り上げられて来る。

 アルカリが優雅に、それを左肘でブロックする。

 バスン!という音が夜の闇に響く。

 アルカリの左腕を包むスーツ生地が妙な具合によじれている。

『ああ、これで、このスーツは駄目かも仕立てが良くて、気に入っていたのだが。』

 とアルカリは悠長なことを考えている。

 今度は、女がアルカリの角を掴みにかかってきた。

 女の右手が、アルカリの角の先端に触れそうになった。

 これにはさすがにアルカリも苛立ちを覚えたのか、今までのように女を軽くあしらおうとはせず、その右手をつかみ取って捻り上げようとした。

 その程度の事は、アルカリの身体能力なら簡単な事だった。

 実際にアルカリは、女の右手首を掴み捻り上げ、彼女の身体を確保しようとした。


 だがアルカリは、自分の手を押し返そうとする、思わぬ強さの女の腕力に、力試しをしたくなった。

 礼儀正しいアルカリは、そんな言葉遣いはしないが、要するに「ムカついた」のである。

 『女のくせに、何故、私に逆らう。』

 技ではなく、圧倒的な力を見せつけて、それによって相手を屈服させたいと思ったのである。

 その感情は加虐的衝動と言って良いもので、本来、精霊には似つかわしくないものだったが、アルカリはこれを彼の導師から学び取っていた。

 それが、いけなかったのだ。

 アルカリの気持ちが一瞬、女の手の力に傾いた瞬間に、今度は女の左手が横殴りにアルカリの頭を打ってきた。

 それは、腰も入らないただ闇雲の平手打ちのように見えたが、どういう仕掛けか、それを払おうとするアルカリの手を「通過」したのだ。

 通過の瞬間、アルカリの手に激痛が走った。

 アルカリの手に通っている全ての神経が、細かく寸断された。

 何故かアルカリは、料理の大好きな彼の導師がジャガイモを裏ごし器に掛けている姿を思い出した。

 そしてミンチマシーンから押しつぶされて、ニュルニュルと金属の穴から出てくる肉の姿。

 アルカリの手を、霧のように通過した女の手は、その勢いのまま、次に角をすり抜け、最後にアルカリの頭部を「通過」した。


 暫く、アルカリは女の右手を握り込んだまま、突っ立っていたが、やがて巨木が倒れ始めるように斜めに傾いだ。

 倒壊を防ぐ最後の支点だったアルカリの握っていた女の手首が、一瞬、霞になった様にブルリと震えた。

 するとアルカリの手は霧を掴んだように空手になり、支えをなくし地面に倒れた。

 アルカリは、点滅しながらちりぢりバラバラに霧散していく自分の最後の思考で、この女が何故こんな露出度の高い服装をしているのかを理解した。

 一度目の彼女のハイキックが自分の身体を、それこそ「通過」しなかったのは、ブーツがあったからだと。

 ・・・しかし、この女との力比べ、、あれは最後までやりたかった。

 この女を原始的な力で屈服させる事が出来たら、どんなに気持ちが良かっただろう、、、。。

 この女の屈辱と苦痛に満ちた顔が見たかった。

 アルカリが考えられたのは、そこまでだった。

 アルカリは偶蹄目の瞼を静かに閉じた。


 女はアルカリを塵のように跨ぎ超えて、漆黒の警察車両に向かい、自分の仕事を終えた。

 その手には、刑事が使ったというパパラッチショットガンが握られている。

 自分の車に戻りながら、女は橋の道路面に横たわっている羊の頭を持った男を一瞥した。

 『教主様は何でもお見通しだ。そして鴻巣神父はこのあたしに素晴らしい身体を下さった。お陰でこんな化け物を退治できる。』

 女の手が「通過」したアルカリの頭部全体から、ようやく血が滲み出して来つつあった。

 無数の極微の穴だ、アルカリの体内の血を出し切るまでに凝固してしまうだろう。


 女がこの場所に引き返して来て、教団の車を止めてから数分も経っていない。

 女はヘッドライトを、付けっぱなしにしておいて良かったと思った。

 女には亜人類のような超視覚は、なかったからだ。




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