ファビュラス・ハデス 11: 嗤う黒い天使達
11: 嗤う黒い天使達
空に突き上がる多数の尖塔を持つ石造ゴシック建築は、なんの恥じらいもなく『真っ黒』だった。
それも漆黒といったものでもないし、黒色の石材を集めた為に出来る『冷たい黒』でもなかった。
あえて表現するなら、生暖かい『ビロードの黒』だった。
ブードゥー教会の巨大な前庭に車を止めて、教会を見上げた時にはその異様さが更に強烈に迫ってきた。
鷲男でさえ、喉元で奇妙なグゥという音を発したぐらいだ。
「何か石材の上から黒いものをコーティングしてあるんだな。まるで石で出来た毛皮のように見える。」
柔らかさと堅さ、冷たさと暖かさ、虚と実そういった相反するものを混合した黒い石材は、彼らの足下の階段にも使用されていた。
足元で石段がグニャリとまつわりついた。
「奥まで付いて来てもも構わないが、俺が合図したらそこで大人しくしているんだ。彼らはバイオアップされた身体やマシン化された身体を極端に嫌う。そんな彼らにお前が何者であるか、とうてい理解できるとは思えないしな。」
もちろん漆黒の正体であるクローン人間などは、彼らがもっとも忌み嫌う存在だった。
開け放たれた巨大な教会の扉を潜る前に、漆黒はちらりと胸ポケットからこれから探し出そうとする男の顔写真を出し、もう一度それを眺めた。
この広大な教会の内部で、その人物と偶然すれ違う可能性もあったのだ。
写真の人物は、ブルーノの記憶をスキャンして再構成した男だった。
謎の金属男を、娼館ローズマリーに連れてきた「世話人・やばい男」だ。
勿論、この映像は出来上がったその日のうちに、中央のID管理局のサーチエンジンで二十パーセントの誤差を含む曖昧検索まで範囲を拡大し、検索にかけていた。
それでも漆黒が予想したように、該当ID者は浮かび上がらなかった。
ブルーノの見た男は、公式には、この社会に存在しないということだ。
しかし該当者の身元は、ブルーノの推測が正しければ、宗教関係者の中に求められる。
そしてその男の信仰する宗教は、ブルーノの口を塞ぐために『ブードゥーの呪術』を使うような物騒な宗教の筈だった。
漆黒たちは、教会の奥に入る事も出来ず、がらんとしたミサを行う講堂で立ち往生していた。
講堂の天井はドーム型になっていて、その壁面には黒い肌をした天使達が天空を舞う様や、森の泉のほとりで遊んでいる光景が描き込まれていた。
講堂は、入り口からさほど離れていない。
彼らは教会の門を潜った途端、異様な姿の数人の信者たちに取り囲まれてしまったのだ。
程度の差はあれ、信者達の身体はどこかおかしかった。
明らかに酷い皮膚病と思われる人間、身体の筋肉や骨の変形を持つ人間、事故や疾病の結果であれば、治療の雰囲気がある筈なのだが、それがない。
ID保持者なら、どんな人間でも最低限の医療措置が受けられる社会なのだ。
彼らが意図的にそれを放棄し放置しているのが判る。
疾病さえも「ピュア」として放置する極端なピュア主義の極地の姿だった。
彼らは科学的・合理的な近代医術による治療を否定しているのだ。
「お前ら何モンだ?それにその鳥頭、俺らの教会を汚しに来たのか?」
右目が完全に白濁した筋肉質の大男が早速絡んできた。
「尋ね人があって此処に寄せてもらっただけだ。それにこっちは、、動物の頭を乗っけたサーバントがいるって、TVとかで知ってるだろう?それだよ。使役用で人間には危害は加えない。」
「知らねぇな。TVとかだって?おめえ、俺達を馬鹿にしてんのか?」
『こいつ、絡みたいだけの馬鹿か?』そういう表情が漆黒の顔に出たのか、大男の気配が剣呑なものに変わった。
大男が漆黒に唾を吐きかけて来た。
漆黒がそれを難なくかわして見せる。
途端に大男がフック気味のパンチを漆黒の顔面に送り込んで来た。
漆黒は、軽くスエーバックして次に男の脇腹に本物のフックを深く撃ち込んだ。
大木を最後に切り倒す、まさかりのようなパンチだ。
大男が身体をくの字にして、その苦痛に耐えている。
鷲男が一連の様子を興味深そうに観察していた。
「それが、こういう場面での正式な対応方法ですか?」と言いたげだった。
「おい鷲。こういうの真似すんなよ。まあこれって、駄目な例だからな。」
そう言いながら漆黒は、尚も反撃してきそうな大男に拳を構えた。
周りの見物人たちも、かなり興奮し始めていた。
それを救った形になったのが、偶々そこに通りがかった一人の神父だった。
神父は自らをマッカンダルと名乗った。
この神父の登場によって信者達の興奮は収まった。
見栄えは温厚そうな神父だったが、偽死者を蘇生させる宗教の神父に、『温厚』という言葉が当てはまるかどうかは判らない。
「みなさん。何時までもここにいては、今日の行に遅れますよ。さあお行きなさい。この方々なら私がお相手をします。」
しかし物言わぬ信者たちは、一向にこの場を立ち去ろうとしない。
別段、彼らの目に狂信的な色が浮かんでいる訳でもなかったが、全員がそろって寸分違わぬ同じ行動をするのは奇妙な光景だった。
「ここは教会内部です。何人も私に危害を加える事はできません。何人もです。」
神父は、信者達が立ち去らないのは、他ならぬ自分を、このよそ者から気遣っての事だと気付いて、そう言った。
そして神父は、『教会』と、『何人』という言葉に力を込めた。
『何人』とは、それはもちろん鷲男を指した言葉だった。
神父の念押しが効いたのか、群衆はついに漆黒たちを包囲するのをやめ講堂の左手の通路にゆっくりと移動し始めた。
漆黒は一応、儀礼上の礼をこの神父にのべたあと、次の言葉を慇懃無礼に持ち出した。
漆黒は、自分たちがこの神父に助けられたとは、露ほどにも思っていない。
「マッカンダル神父。どこか落ち着ける場所で、お話を伺えませんか?」
漆黒は、今回の調査に当たって正式に協会側に前もっての申し入れはしていない。
申し入れたとしても教会側から、許可が下りるとは思えなかったからだ。
逆に訪問趣旨を伝えた時点で、名誉毀損で「警察」そのものが、訴えられる可能性さえあった。
行き当たりの捜査のつもりだったから、こうして一人の神父と出会えた事は、ある意味さい先の良いことだったかも知れない。
今回の様な見通しの立たない捜査では、『運』は非常に重要な要素だった。
「教会の中は、全て落ち着ける場所です。」
神父の言葉とは反対に漆黒は、抽象的な意味ではなく講堂の壁や高い天井のいたる所にいる黒い天使や、黒いキリストの彫刻の視線が、自分に向かれているようで気になって落ち着けなかった。
そんな漆黒の様子を見て、神父は楽しんでいるようにも見えた。
「私たちは警察の人間です。時には公然と話すのを躊躇われる会話もあるのです。それにあなたが詳しい話を出来ない立場にあるというのであれば、然るべき方をご紹介願えれば有り難いのですが。」
漆黒は、自分自身が礼儀を守ろうとすればするほど、慇懃無礼を絵に描いたような物言いをする事を自覚していたから、この時は、相手の機嫌を決定的に損ねないかと、実際に冷や汗をかいていた。
ここで神父の機嫌を損ねる訳にはいかない。
一般信者の先ほどの反応を考えると、漆黒達に次のチャンスがあるようには思えなかったからだ。
この時ばかりは、時と場所そして相手によって完全に人間が切り替わるレオンのような性格が、うらやましいと思った。
「私たちに秘密はありません。ですから何処で話そうが同じ事です。それでも都合が悪いのなら、それはあなた方の事情でしょう?それに然るべき立場とは、何をさすのですか?当教会ではそれぞれが責任ある仕事についています。ちなみに、お教えしますが、あなた方の概念に当てはめていうなら、私を動かせるのは神と司祭だけです。」
神父は、『この場所』で、『立ち話』で、刑事の来訪にケリをつけると言っているのだ。
漆黒は観念して、胸ポケットからブルーノの意識から抽出した顔写真を取り出し、神父の眼前に突き出した。
こうなれば当たって砕けろだ。
「私たちは彼を捜しています。この人物をご存知ですね?彼は私の所轄で起こった殺人事件の重要参考人です。しかも第一級のです。」
漆黒は、今まで過去の捜査の中で、堅く閉じた殻の中にある真実を探り出すために違法と言える脅しやはったり、さらには「同情」までも総動員してきた経験があった。
しかし、それらのやり口は、既に捜査のための裏付けがある程度存在したから出来たことだ。
今回は、それがまったくない。
あるのは『推測』と、頼りない証言と、いくつかの事実とも呼べない『事柄』があるだけだった。
しかし、手堅い捜査をする為の準備の時間はとれない。
漆黒の競争相手のジッパーは、強大すぎ、その動きも素早かった。
突きつけられた写真を見る神父の瞼が、薄く引き絞られる。
画像に焦点を合わしているだけではないのだろう。
神父は、この一瞬にあらゆる事を計算しているのだ。
漆黒は、幾度もこんな場面に出会ってきた。
ひょっとすると「いける」かも知れない。
漆黒の動悸が早くなった。
「これは鴻巣神父ですね。彼がどうしたというのです?」
『かかった!』
写真の人物は中央ID管理局で浚えなかったのだ。
つまりこの写真の男には、名前がないはずなのだ。
だが神父は「鴻巣」と言った。
そこから突破口が開ける。
中央IDでの曖昧検索誤差の許容量二十パーセントは伊達ではない。
その上、ブルーノから抽出した画像は法的に十分証拠能力を持つ精度を持っている。
人間の記憶層から科学的に抽出されフィルタリングされた画像は、似顔絵などという曖昧なものではないのだ。
「鴻巣」と呼ばれる男は存在するが、IDとは一致しない。
犯罪者の定番パターンだ。
あとの問題は、マッカンダルにより深く食いつくタイミングだけだ。
「しかし、よくこんな写真が手に入りましたね。彼はつい最近改心してバイオアップ処置を元に戻したばかりですよ。それからは誰にも写真や映像は取らせていないはずだ。それに彼の過去の写真も彼の被った心の痛手と共に全て処分されたはずだ。」
神父は、心底驚いた表情を見せた。
これが漆黒の抱いた疑惑への、神父側の先制攻撃なら驚くべき才能と言えた。
要するにこの神父は、ID消失者は全て犯罪者とは言えないと遠回しに表現しているのだ。
そして彼らの宗教は、ID消失者を神の愛情の元に庇護しているのだと。
漆黒は、せっかく手に入れたカードを相手に見透かされた腹立ちから直線的な質問にでた。
「実を言うと、この写真は事件の関係者から提供してもらったイメージ写真なんです。人間の記憶ほど曖昧なものはないとされているが実際はそうではない。要はそれを記憶から抽出する為の手順と技法の問題なんですよ。まあこれ以上の説明は私には出来ませんがね。私が知っているのは、これが法廷に立った時、物証として成り立つという事だけだしそれで十分だ。私はここに来るまでに、警察官の捜査活動上で許されているレベルでこの写真を元に、中央のID管理局で検索を行った。その意味がお判りですか、神父?」
「私たちは人間の精神の構造について常に深い関心を抱いている。警察が時々使う記憶抽出の方法はとても興味深い。」
神父は、漆黒の意図をわざとはぐらかそうとしているのだろうか、見当のずれた受け答えをする。
意識しているなら頭のいい人物だった。
「結果は、このような人物は何処にもいないと出た。刑事である私の知っている限りでは、IDを待たずこの社会に生きている人間は非常に特殊な状況下に置かれてる。その事をどう、お考えです?」
神父は暫く悩ましげな表情を見せたが、決して追いつめられたという様子ではなかった。
「確かにその通りです。鴻巣神父は今、特殊な状況下にいる。まあこれは世間一般的に言ってと言うことですが。私たちの教義からいえばごく当たり前の成り行きだと教会の者は判断している。人がバイオアップなどの変容処置を受けるのは、なぜですかな?酷く単純に言えば神の存在を信じていない為だ。私たちは、そう定義している。その過ちに気付いた者は、神が与えた元の姿に戻る。鴻巣神父もそうだった。彼は私たちの教会にいながら長年の間、バイオアップである事を隠していた。それは彼が自分の変容を受け入れざるを得なかった惨たらしい過去と密接な関係があるのだが、、。とにかく彼がバイオアップを解くという事は非常に大きな解脱へのステップだったのです。その時、鴻巣神父は自分の過去と、今という時代・社会を精算したのです。つまり彼は自らIDを破棄した。刑事さん。ここの所は、よく覚えておいて貰いたいのだが、IDの破棄者名簿という様なものはないのですよ。つまりIDの消失に限って言えば、自ら進んでであろうが、剥奪されようが、それは同じ事だ。一旦、輪から出た者は死者となる。誰の記憶にも残らない死者にね。それがこの偽りの世界の基本原理なのだ。しかし、私たちは、その基本原理を否定している。偽りの世界の基本原理に価値などない。私たちは、この社会に未来をもたらす、唯一の存在、教団なのですよ。」
漆黒はひどく、ゆっくりと顔写真をポケットにしまい始めた。
マッカンダルに感化された訳ではなかったが、『IDの破棄者名簿はない。』という言葉が、彼の奥深い部分を突いたからだ。
「、、遠回りをし過ぎたようです。鴻巣神父のアリバイを教えてもらえますか?今の調子だと、貴方に答えられない事は何一つなさそうだ。」
漆黒が続けて言ったラバードールの殺害推定時刻と年月日を、マッカンダルは慎ましく聞いていた。
神父は先ほどの自分の受け答えが、傲慢な説教口調になったのを少し羞じていたのかも知れない。
「それなら完全なアリバイが鴻巣神父にはあります。その日、彼は、この講堂で講話をしていた。彼の講話は人気があって大勢の信者が参加している。その数は百人を下らないはずだ。熱心な信者の中には、その講話を毎回、DDVなどで記録をしている者もいます。なんなら、、。」
「いや、もう結構です。今日の所は、ですが。ところで、鴻巣神父ご本人にお会いできますか?」
「それは、出来ないと思います。」
「なぜです?居場所が掴めれば、地の果てでも。」
漆黒は興奮気味に言った。
DDVで録画だと?話が出来過ぎている。
この神父の答えたことは、全てがでたらめではないか?
そう感じだした瞬間、漆黒はどす黒い怒りが、自分の心の底からわき出してくるのがわかった。
その感情は『IDの破棄者名簿はない。』という言葉に反応した自分への反動とも言えた。
「貴方には残念だが、その『地の果て』に近いと思います。鴻巣神父は、今、静止衛星都へ布教活動に出かけています。」
静止衛星都、、、宇宙に浮かぶ静止衛星都市ヘブンの事だ。
漆黒は、天井に巣くう黒い天使たちが、自分達を見て、あざ笑っているような気がした。