ファビュラス・ハデス 10: 鷲の目を持つ人(ビスタ・デ・アギラ)
10: 鷲の目を持つ人
パーマー捜査官が言った「ペネロペ・アルマンサにマインドコントロールをかけたの誰か?そしてその場所は?」という地道な捜査は、本来、漆黒が担うべき事案だったが、今回は意識的に役所を変え、それをレオン達に任せてあった。
漆黒達は、既に的をブードゥー教団に絞り込んでいたから、地道どころか、結果をジッパーに浚われるのが目に見えている事案に時間を割くつもりはなかったのである。
ただしレオンは、これまでの捜査で教団には面が割れすぎているし、彼の動きは完全にジッパーの監視下にある。
逆にジッパーの主な狙い目であるレオン・シュミットが、ペネロペ・アルマンサ辺りを嗅ぎ回っていれば、絶好の目眩ましになる。
つまり刑事陣営としては、今、ジッパーを出し抜けるのは、漆黒しかいなかったという訳だ。
そんな経緯で、漆黒と鷲男の二人はブードゥー教団の本部へ一直線に急行していた。
他人の運転で、長時間にわたり車に乗り続ける行為は、一種の拷問だ。
時間的にも、肉体的にも。
そこで漆黒は、せめてこの時間的な問題だけでも、極めて無口な運転手に喋りかけるという行為で解消しようとしていた。
つまり漆黒は、捜査途中でリタイアする事となった鷲男の空白期間を、彼自身の説明で埋めてやるという、ちょっと前の漆黒なら考えられない努力をしていたのだ。
特に鷲男には今回の捜査において、政府の調査機関が関わりだすくだりを細かく説明してやっていた。
スピリットという生き物が、今後成長するにつれ、どんな価値観を持ち、己の行動基準とするのか?
それは予想しがたい事ではあったが、漆黒にすれば、彼らスピリットが「現場の警察官」として存在してほしかったからだ。
おそらくリハビリから帰ってきたピギィに対してレオンも同じ事をしているのに違いない。
それが警官の魂というものだ。
このレクチャーの中で、特に漆黒が気をつけたのはパーマー捜査官の人物評価だった。
彼女は、漆黒達にとって、皮肉な権力のメッセンジャーの役回りだったが、人物自体は非常に優秀であると彼には思えた。
どんな人間を、どんな風に評価するか。
あるいは、出来るか。
それが鷲男の成長にとって、重要な事の様に漆黒は考えていたのだ。
相変わらず無言のまま車を運転する鷲男だったが、漆黒には、自分が話しかけている内容を、このスピリットが全て理解できているという確信があった。
「ブードゥー。」
話が一段落した隙間で、鷲男が鸚鵡がそうする様にくぐもった声で一言の単語を発した。
彼らが、これから向かうのは、娼館ローズマリーに顔を出したという世話人が潜んでいる筈の『ブードゥー教会』だった。
漆黒は、今までの話から、鷲男はブードゥーに関する基礎知識を聞きたがっているのだろうと判断した。
ブードゥー教団について、漆黒は既にレオンから直接かなりの情報を得ていた。
過去、ブードゥーの呪い師は、ゾンビの儀式にフグの猛毒テトロドトキシンをもちい、それをごく微量使うことで人間を仮死状態にし、再び蘇生させることで、俗に言うゾンビ現象を発現させて来たらしい。
勿論、その際にマインドコントロール技術が関与したのだろうが、当時はその領域に、宗教あるいは地域文化が、マインドコントロールの代用品として被術者達に強力に作用していたに違いない。
神秘的なように見えるがブードゥーの基本フレームは、それだけで十分なのだ。
「何、不思議なのはブードゥーじゃない、人の心の方さ。」
レオンは、にやりと笑って付け加えた。
漆黒もその点では、同意見だった。
当時も、この基本フレームを駆使するだけでブードゥー教は、それ以上の神秘的な出来事・あるいは宗教的体験を作り出せたに違いない。
人工生命や知性を作り出せる現代でも、いやだからこそ、ブードゥー教は当時以上の神秘的な現象を、脆弱になった人の心に起こし得るはずだった。
「この教団の基本は、ブードゥー教なんだが実際にはいろんな宗教のいいとこ取りさ。もっとも基なるブードゥー自体が、キリスト教と土着宗教の複合体だがな。ああ、それから現代風のアレンジとしては、ピュア主義の味付けをしてある。スタンスがピュア主義の立場に近くなるってのは、ブードゥーに限らず古くから伝わっている宗教は、みんなそういう傾向があるがな。しかし俺達が追いかけているブードゥー教団の場合は、ピュア主義への傾倒はかなり強烈だ。その行動の過激さで考えると、ピュア過激派と肩を並べるだろうな。」
鷲男の運転する車は、既に第二統括ブロックの外れに達している。
「所で、統括ブロック違いは大丈夫、なのか?」
鷲男が突如、そう聞いて来たので漆黒は驚いた。
何も考えていないようにみえていた鷲男が、統括ブロックを超えた捜査活動が越権行為になることを懸念し、その事を漆黒に注意喚起を促したのだ。
「ああ、昔の警察機構なら完全にアウトだろうな、だが今は違う。こっちの警察が、ブードゥー教団に関心をもっていない限り、なんの問題も起こらないだろう。どこの統合署でも同じさ。熱心でやり手の刑事ほど金にならない事案には無関心だ。注意すべきは、ブードゥー教団が契約を結んでいるかも知れない警備会社だけだよ。」
鷲男は前方を見つめたまま車の運転を続けている。
こんな場面で人間なら、、嘴の根本が吊り上がったりするのだろうか?
猛禽類の鳥は、鳩などと違って目が正面に付いているから、顔の構造が人間に近い。
「鷲鼻」という言葉は正にそれだ。
鷲男の横顔を見ていると、男の漆黒から見ていても惚れ惚れする事がある。
『精霊の相棒がハシビロコウみたいのでなくて良かった』と漆黒は思う。
「だが、お前も判っているだろうが、俺達は公安課じゃない。ここでは刑事の顔を出来ても、それだけだ。実際には俺達に捜査権限はない。」
「、、、。」
漆黒の言った付け加えの言葉の意味をどう理解したのか、やはり鷲男は返事をしなかった。
鷲男は、漆黒の統括ブロックからは主要高速を第一レンジの誘導モードで五時間、更にその道程の途中では、パイプラインを使用して俗にいう『ワープ』を二時間も連続で運転し続けている。
恐ろしいほどの距離を移動したことになる。
特に『ワープ』を2時間連続は、並の人間で出来る事ではない。
パイプラインの構造を単純に言えば、多数の長距離高速ベルトコンベヤ自体を高速道路に見立てて、その上を更に車で高速走行するというものだ。
当然ながらパイプラインには入り口と出口の二つだけという事はなく、途中、ジャンクションが幾つもある。
パイプライン内では、それに伴ってのレーン移動が非常に難しく、殆どの車両は『ワープ』中は、パイプラインが提供するビーコンに従って自動運転に身を任せる。
それを鷲男は、ずっと手動でやったのだ。
鷲男の動体視力と遠視能力のお陰だった。
『ワープ』の中の『ワープ』、最速だった。
鷲男の運転だからこそ、肌で感じる自然に違和感を感じる程の移動距離を稼げたのだ。
気候、自然、風土の差によって国をわけるなら、第二統括ブロックは既に外国といえた。
「少し蒸し暑いな。メガエアーがこれぐらいしか効かないんだから相当なもんだな。それにこの日射し。目がチカチカする。」
漆黒はダッシュボードからサングラスを取り出して耳にかける。
彼らの乗っている車は、警察の公用車だからメガエアーを前提にしており、エアコンはついていない。
「、、えぇっと。講義は何処まで行ってたっけ?半分はレオンの受け売りだから、俺も、まだ話としては、上手く整理できていないんだ。説明するにも骨が折れる。」
漆黒は、サングラスを掛けたついでに、長時間座ったおかげで堅くなった身体の位置をシートの中で大きく入れ替えようとした。
「教会だ。私、ついて、行くか?」
車内に差し込む透明で激しい日光のせいで剥製のように見える鷲男が、彼らの目的地への到着を知らせる。
鷲男の言葉が常に短い音節で切られるのは、彼の声帯が人間のものではないからだと、漆黒は教えられていた。
やがては、それも短い期間で改善されるだろうとも。
「そういう事は、自分で判断するもんだぜ。駄目なら先に俺が言う。」
漆黒は、シートの中に深く沈めかけた身体を、慌てて立て直した。
確かに彼らの進行方向に、奇妙な建築物が見え始めていた。
第二統括ブロックは、一級の風致保存地区でも知られている。
都市のあちこちには、かなり大きな森や沼があるし、点在する建築物は、いずれも巨大で優雅であるか、そこそこの見栄えのする年代物の建物が多い。
それでも、第2統括ブロックが、強力な観光都市になり得ないのは、メガエアーの恩恵を受けられない頑固な高温多湿気候のせいだ。
従って、第二統括ブロックには、宗教界の本部や、教育関係組織など、性格上堂々と、メガエアー等という堕落した人工気象環境に浸れない施設が多数密集する。
『世界が暑くて良いのは、キンキンに冷やしたジンを飲む時だけだ。』
漆黒は、権威主義とは本当に馬鹿げたものだと皮膚にしみ出てくる汗を気にしながら考えていた。
「真っ黒なキリスト教会か、、?悪趣味にも程があるな。」
漆黒は一度、サングラスをかけ直して、目の前の異様な黒色の建築物を確認して見た。
馬鹿げたことに、黒く見えるのはサングラスのせいかも知れないと、一時的な錯覚を起こしたからだ。
彼らの目指すブードゥー教会の偉容は、第二統括ブロックの豊満な風景に目が慣れてしまった漆黒に、少なからずの衝撃を与えていた。