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精霊捜査線/鷲頭・豚頭の従者達は夜に啼く  作者: Ann Noraaile
第1章 ラバードールの死
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ファビュラス・ハデス 01: 精霊『スピリット』

    01: 精霊『スピリット』


 その死体は、中身のズシリと詰まったゴムで出来ていた。

 いや正確には、死体の肉体の表面がゴムでコーティングされていたと表現した方がいいのだが、、。

 性別はこれも又、表面上、女。

 しかし死体の股間には、しっかり男根が生えている。

 何もかもが、でっち上げの死体だ。

 地面に横たわった切り傷だらけのラバードールの死体を輪切りにしていくように、スキャナーが放つ光の探査線が上下していく。

 真夜中に見る光景としては、現実より夢の方が似つかわしいだろう。

 もちろん今の世の中にあって、こんな死体は、それ程、珍しいわけではない。

 『空虚』『虚像』こそが、我々の住む世界の本質だからだ。

 死体を見る男の眼には、自ら生まれ持った誠実さという性ゆえに、彼自身が所属する世界がそう映っていた。

 そして、彼は自分の職務を全うすることで、世界の中の『真実』を回復させようとしていたのだ。


 檻の中心に立てられたオルゴールのシリンダーのような円筒が、突起物を収納し回転を止めた。

 それを合図にしたかのように、大型獣用の檻にも見えるスキャナーは、探査の為の白々とした光を死体に投げかるのを終了し、自動的に自らの構成機材を内側にガチャガチャ、シューシューと派手な音を立てながら折り畳み始める。

 その金属音が、深夜の闇に驚くほど響く。

 死体が身に付けていた、きつい香水の匂い、夥しい血と、ゴム特有の匂い。

 それらのブレンドされた香りだけが、折りたたみ際の金属音にまといつく。

 『そこまでやれるなら、自分でさっさと車に潜り込んで貰いたいもんだ、、、。』

 漆黒猟児は、コンパクトになったとはいえ重量自体は変わらない「オルフェウス」と呼ばれるスキャナーを、車に運び込むことを考えて、うんざりし始めた。

 『せめてこんな時ぐらい、この独活の大木が力を貸してくれたら。』

 漆黒は、自分の背後に突っ立ている、彼より頭一つ高い鷲の頭を持った男を、チラリと振り返った。

 鷲男の気配は動かない。

 きっちり仕立て上げられたダークスーツに身を包んだ鷲男の大柄で均整のとれた身体は、見ようによってはディスプレィ用の男性マネキンの様にも感じられる。

 動かぬ従者に手助けを求めるなど、漆黒は馬鹿げたことを考えたという気持ちで首を振ってから、もう一度死体を自分の目で確かめるために屈み込んだ。


 漆黒の鼻孔をゴムの奇妙に甘い匂いと鉄錆の様な血の匂いが刺激する。

 そして空気の中には、ほんの少しだけ潮の匂いがした。

 もっとも、それは死体からではなく、この現場が港の倉庫街という地理的なものから来るのだが。

 傷あとから見て何らかの暴行を受けたのは間違いはないが、死体の倒れ込んだ姿勢や、ここまで続く血の跡から考えて、自分で歩いての行き倒れのように見える。

 『オルフェウスで身元が割れるだろうか?』


 下を向いたままの漆黒の耳たぶに付けてある黒曜石のピアスへ、オールバックに撫でつけてあった髪が一筋パラリと落ちた。

 そんな漆黒の頭上から、不意にだみ声が降り降りてくる。

「駄目だろうな。この死体はきっとゴミさ、、。あんたは、ゴミ袋にこいつを入れて、リサイクルセンターに捨てに行くしかない。ひょっとすると、一週間後、こいつの身体は慈善センターの夕食のシチューの中に混じっているかもな。」

 自分で言ったくせに、笑えない語呂合わせ程度の冗談を自覚してか、その声は苦りきっている。

 漆黒は、その場を飛びのくような勢いで背中側を振り返った。

 声の主の近づく気配すら、漆黒が感じ取れないでいたからだ。

 しかもその男から少し離れた位置に、もう『一人』、いた。

 もしこれが、命のやりとりの場面なら、漆黒はとっくの昔に死んでいたことになる。

 もっとも最近では、そんな命のやりとりさえ、懐かしく感じられる程の暇な漆黒の職業ではあったが、、、。

「こいつは驚きだな。贅沢なもんだ、、一つの死体に、刑事が二人とはな。それで、あんた、どこの課だ?」

 漆黒は平静を装いながら、立ち上がった。

 考えてみれば、声をかけてきた男は、同業の刑事に決まっている。

 漆黒は、この現場に、今時珍しいとも言える「民間人からの第一次通報」でやって来たのだ。

 目の前のこの男が警官ではなく、この死体に関係するヤバイ奴なら、余程の間抜けか、サイコ野郎だった。

 それに、死体を回収し運搬する為の袋を「ゴミ袋」と呼び表す程度の低い隠語は警察特有のものだったし、なによりもその男の身体から立ち上っている雰囲気は漆黒と同じものだった。


 立ち上がった漆黒は、男の背丈が自分よりかなり低いことに気付いた。

 漆黒は身長がある方だが、ずば抜けて高いという程ではない。

 下から見上げた時に、相手が大柄に見えたのは、男の広すぎる横幅のせいだった。

 今時、こんな見事な『肥満体』は、自ら望まねば手に入るものではなかった。

 もっとも漆黒も他人の事を言える立場ではない。

 三十に近い年齢で、高校生並の贅肉のない身体をしている。

 その顔も老けたように見せかけているが、実はハイティーン並の肌つやだ。

 それはかえって異常な事だった。

「どうした?俺を見て何を驚いている。警官や軍人には『ピュア』が多いんだぜ。『たまたま生まれついての容姿に恵まれたから処置を受けなかった』、、そんな野郎は、本物のピュアじゃない。本物は俺みたいなのを言うのさ。」

 肥満体の男は、漆黒の一瞬の表情を見逃さなかった。

 色白で柔らかそうな金髪、膨らんだ頬、いかにも人が良さそうな優しい顔立ちのくせに、目つきだけが異様に鋭い。

「いや、済まない。そういうつもりじゃない。あんたのプライドを傷つけたのなら謝るさ。ただ単純に珍しいものを見た、それだけだ。 、、俺は漆黒猟児だ。第七統合署第17ブロック殺人課のサブナンバーなしの22番。ところで、あんたは俺のようなブロック割りじゃないみたいだな?」

 漆黒猟児は、それなりの自己紹介をしたが、自分が警察に番犬登録した野良クローン人間である事はもちろん黙っていた。

「そうさ、『管轄の違い』ってやつだな。俺は、インチキ宗教やカルト集団専門だ。お陰でお宅らみたいに、月の半分は民間警備保障の奴らの尻を眺めて暮らすような、惨めな思いをしなくて済むってわけだ。」

 『同じ警察の犬のくせに、何を偉ぶってやがる。』と言いかけて、漆黒は息を飲んだ。

 肥満体の数メートル後ろにいた彼の同僚らしき男の顔が、雲の切れ間の月光に、うっすらと浮かび上がったからだ。

「どうした?今度は何を驚いているんだ。こいつらとペアを組まされているのは、お前達、殺人課だけだと思っていたのか?おい、豚男。こっちへ来て挨拶しな。」

 『豚男』は、『肥満体』の指示に素直に従い、漆黒の側まで来ると、上半身を全部使って、頭を不器用に下げた。

 精霊こと、スピリット達の頭と首の骨までは、彼らの『トーテム』となる元の動物のものが使われるから、その寸のつまった不自然な動作は無理もないことである。

 しかしこの豚男は、精霊にしてはレスポンスが早かった。

 漆黒の鷲男とは、大きな違いだった。


「お宅のは、どんな塩梅だ?」

 肥満体が肉に埋もれた顎をしゃくって鷲男を示す。

 鷲男は、先ほどの位置からマネキンのごとく微動だにしない。

 鷲男を黒いガラス玉のような目で見つめる豚男の巨大な鼻が、神経質にひくひく動くのとは対照的だ。

「見ての通りさ。反応がゼロだ。そのくせ、車の乗り降りの仕草なんて、一流モデルなみに優雅にこなす。時々、判っていないフリをされてるだけなんじゃないかと思う。」

 それは漆黒が鷲男に対して、普段感じている正直なところだった。

「まぁな。スピリット達は、最初、赤ちゃんみたいなもんだ。だから俺たちにくっついて回って、人生のなんたるかを知るって訳だ。」

 肥満体は、己の優位を感じ取ってか、上機嫌で言う。

 まるで飼っている犬の頭の良さの比べ合いをしているようなものだ。

『つまり鷲男が無能なのは、お前さんのしつけがなってないんだよ。』

 そう、言いたいのだろう。

 肥満体の目が嬉しそうに輝き、そのついでに豚男の鼻も激しくひくつく。

 どうやら既に、この二人?の間には、かなり強い共感関係が生まれているらしい。


 漆黒は、鷲男をお偉方から押しつけられた時にレクチャーされた精霊飼育マニュアルの一節を思い出した。

 精霊達の精神の成長は、導師つまり『飼い主』の精神との共感度合いに深く結びついているのだと。

 精神の成長だと?糞食らえだ。

 そんなものは、漆黒の方から願い下げだった。

 しかしこの肥満男の見当違いの優越感は、この男の口を軽くする効果をもたらしたようだ。

 肥満男の視線は、鷲男と漆黒を素早く往復したあと、路上に転がっているゴム人形に落ち着いた。

 死体は、乏しい街灯の光の下で、浜に打ち上げられた傷だらけの薄汚い海豹の死体のようにも見える。


「なぜ、このデブ野郎は『俺の現場』にいるんだ?お前さん、今、そう思ってるだろ?それに、どうせ、あんた、しばらくしたら俺の報告書のデータにアクセスするんだろう?手間を省いてやるよ。俺はこの殺しには直接関係ないからな。俺が今、追っているのは、あるブードゥー教団だ。そいつを追いかけていたら、ここに出くわした。」

 肥満男は、漆黒の顔に浮かんだ混乱の表情を楽しんでいた。

「おっと、そうじゃない。ブードゥーってのは、今、お前さんが考えているような、大昔の2D映像ライブラリィで出てくる呪殺や死体が動き回るような宗教じゃない。まあ、精神の器としての人間の肉体に固執している点では共通点がない訳ではないがな。俺の追っているブードゥー教団が利用しているのは、お前さんが思いつくようなブードゥーに対するおどろおどろしいイメージだけさ。そういうものに、惹かれる人間が、この世の中には山ほどいるからな。」

 『勿体付けずに、肝心な所を早く喋っちまえよ。この自惚れ屋が。』と漆黒が苛立つ。

 漆黒の感情の高まりをあぶり出し、それを楽しむかのように、肥満男は暫く沈黙した。

 隣の豚男の口元が主人とリンクしたように、いたずらぽく吊り上がった。

 その瞬間、漆黒の心の中に、突発的な怒りが膨れあがった。

 『俺は今、このがらくたに嘲笑われている!』

 漆黒の何処にも、人工生命に嘲られる謂われはなかった。

 クローン人間が、スピリットのような人工生命であるのかないのかは哲学的な問題だったが、少なくとも漆黒の中では、スピリットはスピリットに過ぎず人間と肩を並べるものではなかった。


「俺の追ってるブードゥー教団が、一人の重要人物を匿ったという噂がある。そいつは、匿ったという事実だけで、こいつらブードゥーの活動を向こう数年間に渡り法的な制約を加える事が可能な人物だ。俺はその人物を追っていた。追っていたら、お宅と出くわしたという訳さ。」

 この言葉は、今まさに、噴出しようとする漆黒の怒りをそらせる絶妙のタイミングだった。

 漆黒は豚男の顔面に叩きこんだ筈の、自分の幻のパンチをポケットにしまった。

「その人物が誰なのかは、『管轄の違い』ってやつでお前さんには教えられないがね。それだけは幾ら俺のデータをあさっても出てこんよ。」

「殺ったのはそいつか?」

「どうだかな、、?」

 肥満男の表情から、仮面の様にこびりついていた不遜なまでの自信が消えた。

 そこから先は、この男にしても、漆黒に話のお預けを食らわす楽しみを放棄せざるを得ない状況らしい。

「でかい事件なんだな、、。それでも、あんた一人で片づけないといけない。管轄が違っても、『人員増やせない』そこらへんの台所事情は、同じってわけだ。」

 漆黒は、男に同情した訳ではない。

 いわば同業者の内輪で通じる愚痴を、漏らしただけの話だ。

 肥満男も鼻先でフンと笑ったが、元気はなかった。

 豚男はそんな主人の様子にどう対応してよいのかわからず、目をキョロキョロさせている。


「行くぞピギィ。この死体の情報なら、この男が調べ上げてくれるだろうさ。なにぶん俺たちは頭数がない。省ける所は省かないとな。この事をよく覚えておくんだぜ。」

 肥満男は、豚男に聞かせるだけにしては大きな声で言ってから、登場した時と同じように気配を立てずに闇の中に退場していった。

「最後まで失礼な野郎だ、、。名前も告げずに行っちまいやがった。もっとも豚男を引き連れた公安部門の刑事なんて、そうはいないだろうがな。」

 漆黒は、後ろに立っている鷲男にそう話しかけてから、思い出した様に苦い表情を作った。

 いつの間にか鷲男どころか、今夜始めて出会った豚男にまで、精霊を擬人化し始めている自分に気づいたからだ。

 豚男に傷つけられたと感じた漆黒のプライドが行き場を失って、夜の闇にじわりと漂っていた。






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