#003「大貧民」
@磯村家
内海「磯村くんが結婚してたなんて、知らなかったな。――六のペア」
磯村「奈良の話だって、裕佳梨と互いの出身地のことを話しながら思い付いたんだ。――七のペア。縛りだぞ」
内海「裕佳梨さんは、どちらの出身なの? ――ジャックのペア。バックね」
磯村「埼玉は秩父の小鹿野町ってところ。今度の漫才は埼玉の話だから。――パス」
内海「しっかりと社会に貢献してるね。――ハートの四」
磯村「ちゃらんぽらんだと思って、見くびるなよ。内海が大学に通って教授のつまらない話を聞かされてるあいだに、俺はさっさと中退して、お袋の親戚のコネで文具メーカーに潜り込んで、社内恋愛を成就させたんだ。――五飛び、八切り。一旦流して、十捨て。二を出すか?」
内海「昔から要領が良かったものね。――パス。まだ出さないでおくよ」
磯村「教師受けは最悪だったけどな。お利口さんでは無いから。――切り札を温存したか。見通しが甘いな。キングの革命」
内海「愚直に頑張れば、いつかは努力が報われると信じてるよ。――しまった。さっき、ジャックを分割して使わなきゃ良かった。パス」
磯村「真面目にコツコツやるのもご苦労だが、その気になった兎に対しては、亀はいくら努力を重ねても勝てないぜ。――ジョーカー。最後は、スペードの三で上がりだ。これで三回目だから、尻文字の罰ゲームだぞ」
内海「本当にやるの? いい歳して、小学生みたいな真似を」
磯村「往生際が悪いな。何なら、パンツを下ろしてやってもらっても」
磯村、内海のベルトに手を掛ける。
内海「それは勘弁して」
内海、磯村の手を振り解いて立ち上がる。
磯村「ハイ、ハイ、英文の『ひ』って、どう書くの?」
内海「こう書いて、こう書いて、こう書くの」
内海、終わるやいなや、顔を伏せて蹲る。
磯村「オイ、どうした。気に障ることでもあったんなら謝るぞ」
内海「亀は兎より長生きだから、最後には追いつくよ」
磯村「何だ、さっきの話か。寿命の違いか。それは、盲点だったな。老いらくの恋も乙だ。悪くないぜ。亀の人生も捨て難いものだ」
内海「コツコツやるしか能が無いから。そうやってれば、きっと良いことがあるって自分に言い聞かせてたんだ。でも」
磯村「できれば兎に生まれたかった、か?」
内海「本音を言えば、正直なところ、ちょっと羨ましい」
磯村「内海の言うちょっとは、たくさんって意味もありそうだな。あ、そうだ」
磯村、内海に眼鏡を渡す。
磯村「片方が眼鏡をしてた方が観客にわかりやすいと思って用意してたんだ。しゃべくり漫才の定番スタイルだからな。この前は持って出るのを忘れて渡せなかった。今度からは、これを掛けて漫才しろ。この伊達眼鏡は、特撮ヒーローの変身ベルトと同じだ。精神安定と勇気の源。これを掛ければ無敵だと思え。爆弾も効かないぞ」
内海、顔を上げ、眼鏡を掛ける。
内海「どう? 変じゃないかな」
磯村「似合ってる。これでスーツを着てれば、デキる男って感じだな」
内海「眼鏡一つで、そこまで変わるかな? フフッ。ゲームの課金アイテムみたいだね」
磯村「喜んでもらえたようだな。漬物やゆで卵は生に戻らないように、時間は不可逆的なものだ。この先、未来に起こることは予測できないし、これまで、過去にやってきたことを変えることもできない。けれども、昨日ああしたら良かった、昨日こうしなければ良かったと、明日になってから後悔するような今日を過ごさないことに専念することはできる。明日の昨日は、今日だからな」
裕佳梨「ただいま」
磯村「お、帰って来たようだ」
内海、時計を見る
内海「え、もう七時を回ったんだ。それじゃあ」
磯村、立ち去ろうとする内海を引き止める。
磯村「まぁまぁ、良いじゃないか。せっかくだから、食べていけよ。この前にご馳走になった借りもある。大丈夫。作るのは俺じゃないし、冷蔵庫を管理してるのも裕佳梨だ」
内海「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」




