第四十八話「お兄様お兄様お兄様!!困ります!!あーっ!!!お兄様!!困ります!!あーっ!!!困ります!!あーっ!!!!困ります!お兄様!!困ります!!あーっ!!!あーっおお兄様!!」
世界迷宮第一階層の迷宮街にて。迷宮街支部の探索者ギルドは今、一つの噂で持ちきりであった。
世界迷宮の守護者の討伐を、得体も知れないクランが名乗り上げたのだ。それも僅かな人数で。
「キラーアントの女王を、たった七名で退治しにいくだと?」
「あたしも冗談だと思ったんだけど、この成約済みの依頼票を見ると、七名としか書かれてないんだ」
依頼票の写しが、物好きな冒険者たちに次々と回される。小さな人だかりが、徐々に大きな人だかりになっていく。手元の写しをまじまじと見ながら、冒険者たちはほぼ同じことを考えた。
こいつらは本当に探索者クランなのだろうか、と。
"精霊の森の管弦楽団" 代表1名。
"指定任侠組織 綱紀会" 代表1名。
"王立歴史編纂図書館" 代表1名。
"命の竜の徒" 代表1名。
"十二天将" 代表1名。
"怪異探求部" 代表1名。
“現代魔術塾” 代表1名。
控えめに言って、探索者らしさをあまり感じない。探索者ら特有の、"強い"名前ではない。
「……楽団? 図書館? 塾とかあるぜ」
「地図作成とか地質調査とかでもやってるんじゃないか? 護衛を雇っているのかもしれん。それにしてもキラーアントの女王の巣の調査とは大きく出たと思うが」
「でも、この七名で討伐依頼票の受託者に登録されている。調査依頼じゃなくて討伐依頼だ」
困惑が探索者たちに広がる。ベテランの探索者も、新米の探索者も、誰もかれもが理解不能、という顔をしていた。
◇◇
挟み撃ち――正確に言えば狩場への誘い込み。
まさか『キラーアントの女王』と『果てしなく再生する触手』が共生関係にあるとは想定の埒外であった。もっと言うのであれば、世界迷宮の守護者同士が共生を選ぶなんて、誰も想像することはできないだろう。
あのクイーンはこの部屋に罠を用意していたのだ。この部屋にくる獲物を、触手でとらえるために。
「……背後から、来ます」
青ざめた顔の篠宮さんが、手のひらで作った水面を見ながらそうつぶやいた。立体情報がなかったのだ。前に敵がいる。だから前方だけだと思ってしまう。だが実際は下にもいたのだ。下から背後に回りこむキラーアントたちが。
「……若い女王種が、背後から二匹。それと近衛兵のアリが多数」
ついでに言えば、女王種は一匹だけとは限らないのだ。黒猫の魔女の舌打ちがどこからともなく聞こえてきた。
「あああっ!? なんだこいつぁッ!?」
ナーシュカの悲鳴。珍しく上ずった声で武器を振り回している。
天井から伸びてきた触手を木刀が叩き散らす。十本も二十本も迫りくる触手を次々と裁いているのは見事である、だが大げさな動作になっているのは、よっぽど触手を嫌っているからだろうか。
ナーシュカに加勢すべきか、それとも背後のキラーアントたちを迎え撃つか、しばらく逡巡する。こういう時、俺は決断が苦手である。
「あっ、や、来る、来るな! やめろッ! クソが!」
(――こっちだ! どうせみんなこの部屋に押し込まれるはずだ!)
思った以上にナーシュカの声に余裕がない。即座に助けるべきはこちらだと判断して、触手の部屋になだれ込む。ついでに俺の前方にいたみんなの背中も押す。
躊躇している暇はない、この場に留まっては後ろからくるキラーアントに殺されてしまう。
「お兄様お兄様お兄様!!困ります!!あーっ!!!お兄様!!困ります!!あーっ!!!困ります!!あーっ!!!!困ります!お兄様!!困ります!!あーっ!!!あーっおお兄様!!」
人一倍怖がりのターニャが錯乱めいた悲鳴を上げていたが無視をする。前方の死にかけのクイーンと触手はみんなに任せるとして、まずは後ろのキラーアントたちである。
(後ろの通路にワイヤートラップを一気に仕掛ける!)
手持ちのマナマテリアルを細いワイヤー状に加工して、縦に細く、天井と地面をつなぐように打ち込む。シール型魔術デバイスをありったけ投影して、それを大量に複製する。獲物がセンサ型術式に引っかかった瞬間、細かな振動でそれを切り裂くのだ。
相手が細い通路を絶対に通ると分かっているときにしか使えない、使い勝手の悪い魔術だが、アリの巣で大量のアリを待ち構えるときなんかにはうってつけである。
一匹目、二匹目、と相手を切り裂いた手ごたえを感じる。だが――。
(駄目だ、あまり長くはもたないかもしれない! 押し寄せる波が強すぎる!)
「ひゃああああああああ、お、『大楯のエル・デ・テレウス!』」
「ひぃ、あ、Oṃ visphurād rakṣa vajra-pañjara hūṃ phaṭ――急急如律令『金剛網』!! 『金剛網』!! 『金剛網』!!」
魔術が大量に混線する。空間における呪術的意味の飽和と衝突が多発して、術式が揺らぐ。
だがこの状況下でも結界魔術を練り上げられるのは、流石はアイリーンと篠宮さんである。天井からくる触手が結界をばしんばしんと叩いているが、まったく寄せ付けていない。
むしろ苦しいのは、通路からくる新たなキラーアントたちを受け持っている俺の方である。単純に相手の数が多すぎる。だがここで踏ん張らないと――。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
ターニャがこの世の終わりのような声で絶叫していた。振り返る。
前方には卵。そして孵ったアリの幼虫。もぞもぞ動く白くてでかい芋虫の群れ。人より大きいキラーアントの幼虫なので人間の赤ちゃんよりちょっとでかい。すげえ気持ち悪い。
「いかんッ!」と短く叫んだユースティティアが自分の手の甲に火を放っていた。何を――と思った瞬間、薬臭い煙が一瞬で周囲を包んだ。
あの手の甲の薬草を焼いたのか。
アリの嫌うペパーミントのきつい匂い、そして煙幕。
視界を遮りながら相手を攪乱させる妙手である。だが触手には全く効いていない。
アネモイが竜魔術:『竜の息吹』を発動して天井を焼いているさなか、俺は極めて悪い予感を抱いていた。この状況で触手に絡めとられてしまったら、あの白い幼虫に体中這いまわられるのだろうか。
ばきり、と結界のひび割れの音が聞こえる。
煙幕で視界が悪い中、目を凝らしてその音の先を見れば――死にかけの女王が、結界に何度も体当たりを繰り返していた。併せてひび部分から侵入しようとする触手の影が、ひょろりと複数本。
めちゃめちゃ嫌がるヒロインを書くのが好き(ゲス顔)




