第四十五話「……迷宮の卵を指輪にしたものが、八賢人の指輪。迷宮と深く同化した存在の“成れ果て”を討ち滅ぼすために、彼らには迷宮の卵を孵して貰わないといけない」
魔物の強さや危険度は、一概には決定されないが、目安となる基準がいくつかある。
例えば、識別名持ちのネームド個体かどうか。
例えば、【災害級】【災厄級】【大災級】【天災級】などの討伐指定を受けている個体かどうか。
そして、周囲の空間を歪ませるほどに魔石が強力になり、迷宮と意思疎通を行うことができるようになった魔物――“迷宮の守護者”やその“成りかけ”かどうか。
その中でも、世界迷宮の守護者ともなれば、格が違う。
【災厄級】どころか、ともすれば国を滅ぼしかねないとされる【大災級】指定を受ける魔物。
世界迷宮の次の階層へと繋がる“鍵”を管理する存在。
「……迷宮の卵を指輪にしたものが、八賢人の指輪。迷宮と深く同化した存在の“成れ果て”を討ち滅ぼすために、彼らには迷宮の卵を孵して貰わないといけない」
八賢人の候補は揃った。だが、卵が孵らなくては試練を進めることができない。
ルードルフは積年の思いを噛みしめた。振り返れども感情は遠く色褪せた。だがそのように生きてなお、過去のあらゆるささやかなものが今の感傷に転嫁される。
これは博打である。
あらゆる魔術を上手に練ることも出来ず、魂の器の形さえも曖昧なジーニアスに、この指輪を託したことは、半ば賭けに近い。卓抜した圧倒的な演算速度ですべてを誤魔化しているだけに過ぎない。
それでも、そんな少年がもしも暴走する世界迷宮を食い止められるのであれば。
「……聖教騎士団に調査を急がせるとするか。私が第三階層に施した封印も、そう長くは持つまい」
長い時を生きすぎると、魂の情報が傷付いて色褪せて失われていく。もはやルードルフしか知らない記憶もある。
常若の司祭、若き貴公子と持て囃される彼は、かつての八賢人たちの遺品を抱えて、それぞれの祖国へと足を向けた。これを弔うのは、ユースティティアとの約束の一つである。
弔い切れないものたちは、名前のみがルードルフの十字架に刻まれている。それが“連れて行く”という約束。
孤児院や魔術学院という場所を後の時代に残すことをユースティティアが選んだのであれば、ルードルフは、時代に残らないものを世界の果てに連れて行くことを選んだだけである。
「……私も“成れ果て”に近づいて、迷宮と意思疎通ができるようになれば、知ることができるだろうか」
その呟きは誰にも聞こえない。
◇◇
第一階層で守護者指定を受けている魔物は、複数いる。
世界迷宮の森に住まう、穏やかな性格をした最古の魔物『霊亀玄武』。
ほぼ無害だが殺す術なしとして放置されている『果てしなく再生する触手』。
そして、増殖の早さからしばしば魔物の大津波を引き起こすとされ、凶暴な性格で危険視されている魔物『キラーアントの女王』。
他にも守護者指定を受けている魔物は複数あるが、俺が狩ろうとしているのは『キラーアントの女王』である。
(キラーアントの増殖速度は半端じゃない。単体の魔物としても決して弱くはない。クイーン種である『キラーアントの女王』をまともに狩ろうと思ったら、探索者百人単位のレイドを組まなきゃ駄目だと言われている)
キラーアント。
単体としての階級はD級モンスター。しかしながら、群れをなして冒険者に襲いかかるため、実質的な脅威としてはB級指定にされることも珍しくない魔物だ。
彼らの最大の特徴は、人よりも大きな体躯と、生半可な鎧よりも硬い外骨格だ。大きくて硬い。それは見るも明確に厄介さに直結する。
その巨体を駆使した押し潰しや凪ぎ払い、硬い顎での噛みつきなどは、単純な攻撃だが恐ろしい。
質量と硬度は武器である。キラーアントは、正にそれを体現した魔物であった。
「――はっ、とうとう本気を出して殴り合える敵とぶつかるってわけか」
世界迷宮第一階層の廃棄区画にて。
俺の部屋のベッドの上で遠慮なく寛いでいるナーシュカが、両手を打ち合わせて口角を吊り上げた。双眸には獣を思わせるギラつき。戦いに飢えた彼女が、心を弾ませているのがありありと分かった。
「俺ァいい加減、クマと殴り合うだけじゃ満足しなくなってたところだぜ。クイーン種の討伐は丁度いい」
(ブラッドベアーと殴り合うなんて、よほど腕が立つ探索者であっても普通できないことなんだが)
羊皮紙を目の前に、俺は呆れ半分にそう思った。
まず体骨格と体重が馬鹿でかい生き物と格闘するな、という話だが、それはさておき。
俺には理解不能な理屈で燃えているナーシュカをよそに、俺は戦いの構想を練り上げる。戦いには計画が求められる。綿密でなくてもいいが、有利に運ぶためには複数のケースの想定が欠かせない。
羽ペンを使って、効率的に隅々に風を運ぶような魔法陣の構築を進める。次の戦いにはきっとこれが役に立つ。
「そういや、確かナーシュカは世界迷宮の第三階層まで行ったことがあるんだろう? 俺たちに付き合う理由はないはずだが」
「おいおい、つれねーな。俺ァ強いやつと戦いたいだけだぜ。そんなこと言い出したら、同じく第三階層まで行ったことのある篠宮会長も黒猫の魔女も一緒に戦う意味がなくなっちまうだろーが」
「え! あの二人も手伝ってくれるのか!?」
驚愕の事実。おもわず羽ペンを落としそうになる。今頑張って立てている計画が、根本から覆ってしまいそうな情報である。
同じ八賢人候補とはいえど、ユースティティア、ルードルフ、篠宮さん、そしてナーシュカは、英雄指定を受けている世界屈指の強さの持ち主である。
公国竜騎士団長の娘のアネモイはともかく、アイリーンやターニャのような“魔術師の卵として極めて優秀”という水準ではない。彼ら英雄指定は、単騎で竜に匹敵する。
ベッドの上で「くあ」と欠伸をする幼馴染は、こう見えて竜相当の化け物なのである。
「……俺はすっかり、ターニャとアイリーンとアネモイと俺だけで戦う計算だったんだ。だけど、本当に力押しでも勝てそうになってきたな」
「な? あんま心配すんなよ。いざとなりゃ俺に頼れ、俺が全部倒してやるからよ」
にかっ、と笑うナーシュカ。まさに姉御肌。本当に彼女は頼りになる。
「ありがとう。陶磁器の原料のチンカルや硫黄や珪藻土をたくさん集めてもらってたけど、使わなくてもよくなるかもしれないな」
儲けの殆ど、金貨百枚近くを使って大量に買い占めた材料だが、まあ使わないというのであればそれでもいい。次に使い回せばいい。小さな家が建つほどの大金をはたいたが、いつか活躍するときが来るだろう。
「ったく、人を倉庫代わりに使ってんじゃねえよ」
いたずら半分に蝋燭の火を消されてしまう。「何するんだよ」「うっせえ、さっさと寝ろよ」と無理矢理に寝台に連れられてしまう。ターニャもアイリーンもアネモイも今は折り悪く地上だ。もしかしたらナーシュカは、一人で眠るのが寂しかったのだろうか。
こう見えてナーシュカにも可愛げはある。普段は素っ気ない態度だが、ふたりきりのときはこうやってちょっかいを出してくる性格をしているのだ。
たまには早めに眠るのも悪くない、と思った俺は、暗闇の中で羽ペンをそっと置くのだった。




