第四十三話「重金属元素の中でも、銅は植物への有害性が高く、土壌有機物の影響を受けやすい」
――地上にずっと出ていない。
当初は、昼間は魔術学院の授業に参加しつつ放課後に世界迷宮に潜る、という生活サイクルを考えていたのだが、結局成り行きで、ずっと世界迷宮に潜っている。
理由はいくつかあったが、最大の理由は“こちらのほうが有意義だから”である。
学院の授業も悪くはないのだろうが、やはり入学したての新入生が受けるような授業だと、わくわくするような科目は少ない。
科目申請のときに、馬鹿正直に一、二回生向け科目を選んでしまったのがよくなかった。後期の申請では絶対に上回生向け講義を取ってやろう、と心に決める。
とにかく俺は、強くならないといけないのだ。
地上に上がっている暇はない……というと言い過ぎだが、今地上に上がる理由は特にないと思われた。
(それにしても、空いてる時間に適当に世界迷宮に来てくれたら助かる、ってみんなにお願いしたけど、意外と来てくれるものだな……)
しみじみと満足する。これは嬉しい誤算だった。
修行をしたい、というのは完全に俺の都合のお願いなので、みんなそんなに付き合ってくれると思ってなかったのだが、それが思いのほか俺の部屋に来てくれるのだ。
食事も全部俺の奢り、お礼代わりにみんなの使っている魔道具の術式改良を手伝ったり自作の魔道具をプレゼントしたりしているのだが、それ目当てなのかもしれない。
それにしても手伝ってくれる分にはとてもありがたい。
何故ならば。
「ジーニアスー! こっちの穴掘りは終わったよー! 言われた通り細い溝とか、壺の中みたいな形の穴とか掘ってきたよー! いやあ、英雄たち召喚して掘ってもらってたんだけどね?」
「お兄様、妖精に斥候させたところ第二賢人の方角に食人大樹ヤ=テ=ベオがいるようです。どうされますか?」
「おいジーニアス、言われた通り武器屋から錆びた廃棄武器を大量に集めてきたぞ。オレの体の刻印に仕舞ってるけど、結構な量あるぜ。お前の部屋が埋め尽くされるぐらいあるんじゃねーか?」
「みんなありがとう! もう少しで料理ができるからちょっと待っていてくれ」
俺が料理をしている間に、やるべきタスクがどんどん消化されていく。
みんなのおかげで、俺の頭の中のWBSとガントチャートがみるみる順調に進行していた。
プロジェクトの進捗の可視化は、科学的管理法として知られるテイラー・システムの応用である。本来ならばオペレーションズ・リサーチの考えに基づいて、数理計画問題に落とし込むのが理想だが、そんなにかりかりしなくてもみんなでわいわいやりたいので、結構適当だ。
とはいえ料理をしているだけで、魔物を狩る準備がどんどん進んでくれている。俺一人では結構な稼働になるが、みんなのおかげでだいぶと楽ができている。本当にみんなには感謝しかない。
(罠づくりに魔物の偵察に道具の運搬……みんな優秀すぎるんだよな。おかげで料理に専念できる)
根菜類と薬草たっぷりの寸胴鍋を沸かして、たっぷりの豚汁を作る。篠宮さんから教えてもらった、味噌入りポトフのような料理だ。
秋頃の季節になると、これがまた美味い。身体にしみる優しい味わいである。
これからどんどん冬に向かっていくと、もっと美味しいのだろう。
森の中で集めてきた薬草やキノコ類も、結構いい味を出している。
かつてユースティティアの資料整理を手伝った際に、毒草や毒茸の知識、食用の薬草やキノコ類の知識を一通り学んだところだが、それが活躍してくれたわけである。
白味噌のベースに、根菜とキノコを煮出した甘みに、青苦くピリッと辛い薬草がほどよいアクセントになっている。これで栄養もあるのだからこの上ない。
「うーん、ピクニックだねえ」
「ふふ、いいですね。後でバードウォッチングでもしますか?」
「食い終わったらオレはちょっと昼寝するわ」
豚汁片手にほっと一息。
完全にリラックスした雰囲気が漂っているが、一応ここは世界迷宮の中。こんなに和やかに過ごせるのは、みんなが屈指の実力者だからである。
……一応、強くなる修行をしているつもりである。工程表に間違いはない。のほほんとしているように見えるが、これは気のせいである。
◇◇
成り掛け、と呼ばれる魔物がいる。体内の魔石が成長して“迷宮の守護者”と呼ばれる存在に進化しつつある個体を指す。
魔石と迷宮核の違いは曖昧である。
明確な定義ではないが、便宜上は、空間を歪ませて魔物を生み出すことができるほど高純度・高魔力である魔石を迷宮核と言う事が多い。
竜種などの極めて強力な魔物が亡くなったとき、その亡骸の魔石を中心に迷宮が発生することもある。
あるいは魔石の純度をひたすら高める研究をしていた工房が、魔石の制御に失敗して、いつの間にか迷宮化していたという事故もある。
これをして、この大陸には魔物神話がある。
とても強力な魔物の亡骸がこの大陸になったのだ――という逸話である。真相は定かではない。
(あの大樹、おそらく“成り掛け”だな。きっとたくさんの人を食べてきたのだろう)
滲み出ている魔力を観測する。近寄って測定していないので断言はできないが、頭一つ抜けて強力な魔物であることは間違いない。
大樹ヤ=テ=ベオ。
短く太い頑丈な幹を持ち、無数に伸びた長い蔓で獲物を巻き取って捕食する魔物である。
向こうはこちらに気づいていない。
攻めるなら今がチャンスである。
「(いよいよ戦闘だね、英雄の召喚ならいつでもいけるよ)」
「(お兄様、指示を。手強い魔物ですが、四人なら勝てると思います)」
「(はっ、オレ一人でも構わねえぜ。むしろオレがあの魔物に食われて、内側から食い破ってやってもいいぜ)」
クローキング領域の中で、互いに声を落としてひそひそと相談する。
ターニャの発言は謙遜が入っていると思うが、さりとてあの魔物は油断していい敵ではない。
多分マルコキアス――火災旋風に長時間炙られて瀕死だった【災厄級】の魔物といい勝負だろうか。
であれば、取るべき手は一つである。
俺は真剣な顔をした三人に、神妙に作戦を告げた。
「(錆びた武器を置いて、一週間後にまた来よう)」
きょとんとされてしまった。
錆びた青銅製の武器をがちゃがちゃと積み上げる。
身長ぐらいに積み上がったら、それをごっそり丸ごと向こうに投擲する。まとめて投げるのは英雄譚の英雄『釣り針のモーヴィ・フシ・フォヌア』。
当然、ヤ=テ=ベオに感づかれるが、遠くから投げていれば、相手の蔓はあまり届かない。たまにくる長い蔓を叩き落としつつ、次の山を積み上げてもう一度投げる。
いくら食人植物だからといって、錆びた金属は食べない。かと言ってヤ=テ=ベオにそれほど知性はない。積み上がっていく青銅武器を無視しながら、その魔物はひたすら俺たちだけを攻撃していた。
(あとはあの錆びた銅の山に、これをぶっかけるだけで……)
放置しすぎて酢になった果実酒を、樽ごと投げてぶちまける。
酵母の発酵が進みすぎて、エタノールが酢酸になってしまった代物。これにジャイアントキラーアントの蟻酸やら、竜の胃液やらを適当に混ぜたものだ。
狙いは、銅イオンが大樹の根っこの土壌に溶けこむこと。
青銅器の山を五つぐらい、樽も五つぐらいぶちまけて、しばらく様子を見る。ヤ=テ=ベオが錆びた青銅の山を取り除かないことを確認してから、俺たちはその場からそっと離れたのだった。
重金属元素の中でも、銅は植物への有害性が高く、土壌有機物の影響を受けやすい。
やや語弊があるがわかりやすく言えば、養分元素と似たふるまいをするため根の養分吸収を阻害してしまい、根の生育や活性を抑えてしまうからだ。これは銅イオンがアミノ酸などの有機酸と錯結合を作るためである。
本当であれば鉄、マンガン、カドミウムと有機酸の錯体が吸収されるはずが、銅錯体が代わりに過剰吸収されてしまうというわけである。
農薬代わりに、硫酸銅カルシウムを葡萄畑1アールあたりに30gぐらい噴霧することはあっても、錆びた青銅をどんと山積みにすることはない。
こんなことをされては、いかに大樹ヤ=テ=ベオであっても大きく弱るだろう。
ということで、大樹ヤ=テ=ベオ退治はこれで半分終わりである。
あとは弱体化したところをあっさり倒せばいい。
「錆びた武器と、駄目になった酒を安値で引き取るだけだから、お財布にもそんなに負担はかからない。流石に金貨二、三枚はかかるけど、それでも討伐素材を売りさばけば圧倒的に元が取れる。多分これが効率的なやり方のはずだ」
「「「……」」」
無言。返事がなかった。
せっかく骨のある魔物と戦えると思ってたところなのに、とばかりに三人共が無表情になっていた。ちょっと悪いことをしたかもしれない。
今からクマかイノシシの魔物でも適当に見つけて狩ったほうがいいだろうか。
◇◇
「あ、すまん、ちょっと野暮用だ。少しの間待っててくれないか?」
「ほえ? どしたの?」「お兄様……?」「ん」
あの後、先程の拠点に戻ってから、適当に鹿を捕まえたり昼寝したりとのんびりしていた俺たちだったが、実はまだ俺にはやるべきことが残っていた。
寝ている三人をよそに、俺はぼーっとする頭を振りながら立ち上がった。
さっき作った豚汁の残り汁がまだまだたっぷり残っている。
具材はほとんど浚えたものの、俺の胸ぐらいあるような高さの寸胴鍋で大量に煮込んだので汁はかなり余っている。
時間が経って十分冷えていることを確認し、上澄みの脂だけ取り除いてから、俺はその寸胴鍋をちょっと脇道の方へと運んだ。
向かう先には、植物の女性が三人ほど集まって、俺を見てくすくすと笑っていた。古樹に宿る魔物。よっぽどのことがない限り人間と敵対しない珍しい魔物でもある。
「待たせたな、ドリュアスたち。ほら今からぶっかけてやるよ」
「!」
だばあ、と頭から汁をぶっかける。
ちょっと塩分が多いかもしれないが、まあそれは何とでもなるだろう。ドリュアスは歩けるし、自分で水場まで移動したりするので、よしなにしてくれるはずだ。
ちょっとびっくりした顔のドリュアスたちが、目をぱちくりさせていた。栄養になっているといいのだが。
三人のうち一人が俺の頬に軽く口付けをしてくれたが、お礼代わりだろうか。言葉による対話ができないので意思疎通が難しいが、多分悪意はないはず。
(前ははちみつを固めた飴をくれたんだっけな)
世界迷宮に潜るたび、たまにこうやってドリュアスたちに捨て汁を与えていると、いいこともある。
ささやかなお返しだが、ドリュアスにとって要らないキノコだとか、セミの抜け殻の首飾りなどをくれるのだ。
毎回ではない。ドリュアスは気まぐれなので、絶対にお礼が返ってくるというわけではない。
強いて言えば、ここ最近はキスされることが多いかもしれない。気に入られているのだろうか。
とりあえず鍋もすっかり空になったので、ドリュアスに別れを告げて拠点へと足を運ぶ。今度は晩御飯の支度をしないといけない。
「「「……」」」
戻ると、先程よりも無表情の顔が並んでいた。
見るからにすんとした顔立ち。不満そうな感情がひしひしと伝わってくる。何だろう、もしかしてもっと豚汁が欲しかったのだろうか。




