第二十二話「その金貨には魔法をかけておいた。友達を作るのが得意になる魔法だ。受け取れ」
どうやら騒動というやつは、連続して起こるものらしい。
事件続きのせいなのか、せっかく住みよい寮室を与えられたというのに、俺は一度も寮室に足を踏み入れていなかった。
入学してから、ずっと部屋なし生活。
一日は野宿(学校内にあるユースティティアの隠れ家)で過ごし、そこから地上時間で一〇日間ーー迷宮時間で一〇〇日ほどを世界迷宮で過ごした。
そこから一日だけアネモイのいる女子寮にお邪魔して、それ以来はずっと病室で過ごしている。
ここ最近で怪我が続いているというのも、学生にしてはなかなか珍しい話だろう。
何とも忙しい毎日である。
(というか、入学して以来、女子としか交流がないのっておかしいよな?)
ふと思い返したところ、衝撃的な事実に気付く。まともな交流が異性としかなかった。
普通はそろそろ、気の合う男友達ができて然るべきだと思うのだが。
病室に来てくれるのがブラコン妹、オレっ娘幼馴染、のじゃロリ魔女、ケモ王女、金髪縦ロール、そして銀髪和服エルフ、と女性の面々しかいない。どうしてこうなったのだろう。
そういえばこの前はアテーマもはるばるお見舞いに来てくれたはずだ。滋養強壮薬のせいで大変なことになってるときに、あんまり異性の面々に来られても困るのだが。案の定ばれてしまって気まずい空気になった記憶がある。
(かといってなあ、身体を洗ったりするのは自分一人だとちょっと辛いんだよなあ)
お手洗いはなんとか一人で済ませられるよう努力をしたが、本来はそれさえも療養上よろしくない行為である。これ以上手に負担をかける行動は謹んでくれ、と学校医も忠告していた。
というよりブラコン妹やケモ王女あたりが進んで俺を裸に剝きたがる傾向にあった。なんだろう、警戒したほうがいいだろうか。
ともあれ、俺はまだ自分の部屋という場所で落ち着いて過ごしたことがない。
マナ・マテリアルを指でなぞって空中に方程式を書きながら、俺はああでもないこうでもないと魔術の研究に着手するのであった。
◇◇
魔術学院アカデミアにおける病室とは、いうなればちょっと豪華な保健室のことでもある。
アカデミアの所有する大学病院はというと、立地的に別キャンパスに分けられておりちょっと遠い。俺の場合は、外科手術が発生するような怪我はなかったので、通称“保健室”で両腕と腰の療養を行っていた。
保健室扱いなので、たまに全く関係のない部外者がやってくることもある。ここは授業をサボりたい人、貧血で休みたい人などが気軽にくる場所なのだ。
俺がいることがバレると大概気まずくなるので、ときどき気分で透明化してやり過ごすのだが、今日は最高に巡り合わせが悪かった。今日は透明化するべきではなかった。
「ああっ、だめです、枢機卿猊下っ、そんなことされたら、んん」
「そうですわ猊下、こんなこと、わたくしめにっ、ふぁっ」
「ふふ、いいじゃないか。私に全て教えてごらん、こう見えても姦淫は罪じゃないんだ」
いや大嘘じゃねえか。十戒の一つなんだが。
透明化して気配を殺していたら、隣で凄いことが始まっていた。
しかも感極まった女たちが「ルードルフさまぁ」とか甘い声で鳴くものだから、隣が誰なのか分かってしまった。
七大魔術師の一人。
特級魔術・教会魔術の使い手、若き枢機卿のルードルフ。
あんたなんてことしてるんだよ。
と、突っ込む気持ちも一気に萎えてどこかに行ってしまった。
とにかくこんな所では術式の研究なんてできたものではない。
そんなこんなで俺は、場所の移動を余儀なくされてしまったのであった。
「と言ってもなぁ、どこで時間を潰せばいいのやら」
俺の妹のターニャは、今の時期は部活動のマーチングバンド部が忙しいらしく、あまり邪魔できそうにない。
【王国】の王女アイリーンはというと、ここ最近はいろんな貴族との食事会やサロンで忙しそうにしている。
多分、二人とも俺が姿を見せたら喜んで時間を作ってくれるような気がするが、それはそれで申し訳なさすぎる。
生徒会長の篠宮さんは、基本的に庶務で忙しそうであり、少し手が空いたとしても、今度は治安維持のため魔物を狩りに世界迷宮へ潜って姿を消していることが多い。
残る選択肢がナーシュカとユースティティアとアネモイになる。
しかしながら、あのバーサーカー番長は基本的には自由気ままなやつで、迷宮で魔物狩りに明け暮れたり、格闘系の部活動に飛び入りで参加しては部員をのしあげたり、好き勝手やっている。
そして、ホームレス魔女も世界迷宮で魔物を狩っては寄付金を孤児院に預けたりと、何やら慈善活動に精を出している。
あまり気にしてはいないが、手と腰を痛めている状態なので一応は大人しくしておいたほうがいいかもしれない。
(……アネモイに会ってみるかな。あいつは確かダンス部だったはずだ。あいつの踊りでも冷やかし程度に見せてもらおうか)
確か社交ダンスを踊る部活だったと聞いた気がする。
そうだ、それがいい、下手くそだったらあいつのことをからかってやろうじゃないか――なんてことを、このときまでは思っていた。
◇◇
透明化魔術で隠れつつも、物陰からダンス部の活動を眺めていた俺は、何だか見てはいけないようなものを見てしまった気分になった。
アネモイはずっと一人ぼっちであった。
一人で柔軟運動を丁寧に行って、基礎練習としての自主練をひたすら行っている。他のみんなはペアを組んで実際に踊っているのに、アネモイだけは黙々と一人で練習に打ち込んでいる。
堂々とした態度、凛とした表情。
俺には些か理解しかねる光景であった。
休憩中、たまに他の人と談笑している様子なのは心の救いであったが、それでもひとたび練習に戻れば、アネモイは再び一人になっていた。
(……見なきゃよかったな、何やってるんだろ俺)
ダンスの練習が終わって、みんなで食事に出かける際も、あいつ自身はあまり会話の輪に入っていなかった。
一般食堂でわいわいと会話に興じるダンス部員たちのテーブルの端で、たまに会話に混ざっている程度。
完全な一人ではなかったが、その場に溶け込んでいるとはいえなかった。
ふと思い出したのは、アネモイと一緒に食事をした時の言葉。
入試の時にちょっとやらかしてな、という含みのある言い回し。
あの時の彼女の表情は、ちょっとすぐに思い出せない。表情筋と生体信号から読み解く感情推定結果は、分類しがたいファジィなニュアンスを帯びていた気がする。
(……アネモイ、あいつ)
最後、会計の時間になって俺は見てしまった。貴族だからという理由で、アネモイがテーブルみんなの食事代を払おうとしているのを。ノーブレス・オブリージュ。貴族の義務。裕福な家の出身のものが食事代を多めに払うという慣例は、なんてことない普通の光景なのだが――それを目の当たりにした俺は、いよいよ晴れやかでない気持ちが強まった。
アネモイは、それでも最後まで堂々としていた。
◇◇
「……よう、物思いに沈んでいるじゃないか」
「うぇああ!?」
みんなと解散した後、一人佇んでいたアネモイに声をかける。透明化を解除し忘れていたので異様に驚かれてしまったが、すぐに俺だと気づいてくれた。相変わらず可愛くない悲鳴である。
「し、心臓に悪いぞ、ジーニアス殿! いくら竜の心臓が丈夫とはいえ不用意に脅かすものではない!」
「ダンス部のみんなとは帰らなかったのか? あの中に特待生は一人もいないのか?」
「……」
彼女の抗議にかぶせて質問を投げてみたが、答えは返ってこなかった。会話をぽっかり切り取ったような沈黙がしばし続いた。
こうなるとやはり表情機構と生体信号の解析しか手立てはなくなるのだが、俺はいまひとつ他人の感情推定が苦手であった。一般化線形モデルを作ると、個人差が大きく出るからだろうか。
「アネモイ、あんまりこういう事は訊かないほうがいいのかもしれないが……みんなの食事代をおごる必要はあったのか? 嫌じゃなかったのか?」
「……ああ、伯爵家だからな。貴族として当然の義務だろう」
見ていたのか、と小さく呟いたアネモイは、表情を押し殺そうとしている様子であった。
夕方を過ぎて夜に差し掛かるこの暗さでは、なおのこと彼女の感情はわかりづらかった。
「我々貴族は民から税を受け取っているのだ。こういうときには民のために返さねばなるまい。些細なことだ、気にするほどではない」
声色は、むしろ当然のこと、と凛としている。
どこまでいっても堂々としているのが、アネモイ・カッサンドラ・ドラコーンであった。この場で俺だけが、何となくもやもやした気分になっている。
月が雲に隠れて夜が陰る。
「……お前が気にしてなくても、俺が気にすると言ったらどうする?」
「? なんだ? 貴公が気にするようなことなど、なかったと思うが」
「あんまり周りとうまく馴染めてないのに、お金だけは出させるっていう扱われ方のお前を見るのが嫌なんだよ」
「それは」
風が揺らいだ。彼女の感情に少し触ってしまったかもしれない。だが俺は構わず続けた。
「入試のときに何かやらかしたんだろ? だから周囲に馴染めていないのは自己責任で、お金を出すのは貴族の義務だから当然、ってことか? 理屈は分かるけどさ」
「……貴公でも他の人のことを気にすることがあったのだな、意外だ」
「失礼な。それにお前は友だちだろ」
「……」
きちんと訂正しておく。夜の影に隠れるアネモイの顔に、俺はまっすぐ向きあった。
そういえば、初めて出会ったときもこんな夜だったかもしれない。
「……アネモイ、手を出せ」
「む?」
あまりほっそりしていない彼女の手に、こっそり迷宮金貨を渡す。いつぞやに世界迷宮に潜って、商人たちの不正を暴きまわって荒稼ぎした時のものである。ほぼ世界迷宮内でしか流通していないので地上で使えない硬貨だが、一番価値が高い金貨なのでそれなりに貴重であろう。
手の内をみたアネモイはちょっとうろたえて、「な、貴公は、馬鹿な」と目を丸くしていたが、構うことなく手の中に握らせておく。
「やるよ。部屋に泊めてもらったお礼とか、いろいろお礼を言ってなかったからな」
「しかし、これはそんな理由で受け取れるような安い代物じゃ」
「その金貨には魔法をかけておいた。友達を作るのが得意になる魔法だ。受け取れ」
握った手を開こうとする彼女を、そのままそっと押しとどめる。爪がちょっと痛かったが全く気にならない。怪我をしたこの両手に包まれたアネモイの手は、俺の手とほとんど変わらない大きさであった。
「友達を作るのが下手くそになったら、一枚ずつどんどん増えていくんだ。……俺を破産させたくなかったら、もう少し上手くやれよ」
「……」
返事はない。そんなものだろう。俺にはやっぱりこういうことしかできない。周囲の子たちに注意なんかできる訳もないし、アネモイに今いる部活仲間と距離を置けなんてことを言うこともできない。
出来るのは精々、こういうおまじないだけだ。いわゆる願掛け、ジャポニカ・ジンクスって奴だ。
だから、泣きそうな顔をされてしまっては、俺のほうが困る。いつもの堂々としたアネモイが、俺の知っているアネモイなのだ。
「……命知らずめ、竜に契約を持ち掛けるなんて、いずれ後悔するぞ」
雲が途切れ、月の光が顔をのぞかせた。目の前には、少しだけ口元を緩めたアネモイがいた。あまり見せることのない柔らかな表情を浮かべる彼女に、俺はすこし見とれてしまった。
アネモイは、俺の予想よりもうちょっと偉い女の子だった。結局泣くこともなく気丈に振る舞っていたのだから。
◇◇
「そうか、交友の場を広げたいんだったら、部活を作ればいいのか! 題して魔術研究部! またの名を現代魔術塾!」
天啓を得たような閃きが走った。俺も友だちが少ないことに若干危機感を覚えていたところである。ならば部活動で友人を作ればいいのだ。ついでにアネモイも誘っておけば、あいつも友だちを増やせるに違いない。
色々考えると、ますます妙案のような気がしてきた。
もともと魔術の研究のためにこの学校に入ったのだから、部活動の内容は魔術研究を行うようなものがいい。きっとアイリーンも興味を持ってくれるはずだ。もしかしたらユースティティアも興味を持ってくれる可能性がある。
とりあえずターニャやナーシュカも誘っておいてやろう。篠宮さんにも参加してもらえたら最高である。
「何を妙に浮かれているのだ……? もう少し静かにしないと、周りにばれたら大変だぞ」
と、しっとり濡れた髪をタオルで拭いているアネモイに妙な視線を投げかけられる。
湯上がり特有の少し上気した肌。ゆったりしたネグリジェ姿のアネモイは、今までの記憶の中にある彼女とはまた異なる、不思議な魅力があった。
こうしてアネモイの部屋にお邪魔するのは二度目である。何となくあの病室に帰りたくない――カップルの愛の巣だった場所の隣に戻るなんて気が進まない、というわけでわがままを言って、もう一度アネモイの部屋に一日お邪魔することになったのである。
戸惑ったようなアネモイの手を取りながら、俺は声を殺しつつも力説した。
「みんなで集まって魔術の研究をするんだよ。俺が現代魔術をみんなに教えるんだ。今まで研究してきたすべてを駆使して、学院のみんなのお困りごとを魔術的に解決してあげる部活動さ。……面白そうだろう?」
ここまでお読みくださりありがとうございます。
ようやく第三章のスタートを切ることになりました。
>次の話はポーションとナノマシンとスライムのお話。最高のポーションを作れと命じられたので作ってみたら……案の定やばいことになるやつです。乞うご期待!
とか言ってたのに、さっそく違う方向に進みそうです。ごめんなさい。
一応ジーニアスが女装してジーニャちゃんになる話や、最高のポーションを作って見せる話はネタのストックとしてあるので、いずれ必ず触れます。どうかゆっくり見守っていただけたら幸いです。
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