The Witch Project
一は恐怖した。ナコトは戦慄した。黒いローブを身に纏い、身にはどこまでも昏い殺意を纏わせた女に。
「『館』のキルケよ、はじめまして勤務外」
キルケの口調は穏やかだった。街中で知人に交わすそれその物の穏やかな挨拶。それでも、一たちは声を出せないでいる。
「よう、てめェが魔女か。はじめまして、そンでもってさよーならだ」
三森を除いて。
彼女は一たちより前に出て、和やかに挨拶を返す。
「あははっ、好戦的ね。鳴かせ甲斐があるわ」
「言ってろ。鳴くのはどっちか試してやンぜ」
指から炎を灯し、三森は獰猛な笑みを作ってみせた。
「み、三森さん……」
「下がってろ。まともに動けねーなら邪魔にしかなンねェ」
情けないとは思ったが、一はナコトと顔を見合わせて少しの距離を取る。
「へっ、精々巻き込まれンなよ」
笑い、三森はキルケへと歩を進めた。
キルケは動かず、三森の前進を待つ。
「……あの人、パイロキネシスを使えるんですか?」
「パイロットが何だって?」
「発火能力の事です。火を自由に発生させ、意のままに操る。超心理学における、早い話が超能力ですよ。誰もパイロットなんて言ってません、空までぶっとべ馬鹿」
ナコトの憎まれ口もどこか固い。
「無知で悪かったな。でも、そうか。三森さんの力はそう呼ぶのか?」
「無知は悪くありません。悪いのは無恥です。知らない事はきちんと恥だと思ってください」
「……うるさいな。で、どうなんだよ?」
縮まる三森とキルケの距離を眺めながら、ナコトは溜め息混じりに口を開いた。
「一般的には。ですが、あの人の火は変わっている、ような……」
「変わってる?」
「上手く説明できません。ごめんなさい。でも、あたしよりあなたの方が彼女の力を見てきた筈でしょう? 何か、変わった点とかは」
一は三森の後ろ姿を見つめながら、ぼんやりと想う。夢にまで見た、あの輝きを。
「あの人の火は強いんですか? 消えないんですか? ……何か、違う気がするんです」
「……俺には分からない。強いのかも、違っているのかも分かりたくない」
真っ赤な、火。
「でも、きれいなんだ」
あの炎は、一の一番深い場所に、今でもまだ燻り続けている。
三森とキルケの戦闘が始まった。
お互い、足を大きく踏み出せば相手に届く距離。先手は三森、左の拳でキルケの顔面を狙う。
「狂暴ね」
「黙ってろっ」
キルケは頭を低くして、地面に手を付き攻撃を躱した。だが、余りにも無防備な体勢。三森は迷う事無くキルケのこめかみに蹴りを放つ。爪先が食い込む感触。魔女は衝撃で宙を舞い、地面に転がった。
「……おい、おいおいおい」
三森は頭を掻いて、ポケットから煙草を取り出し、口に銜えて火を点ける。
「魔女ってのは意外とフツーなンだな。おらどうした、魔法でも何でも使ってみろや」
「ふ、ふふ……」
伏しながらにして、キルケは哂った。その様子が異常に感じられ、三森の眉がつり上がる。
「……痛い。痛いわ」
蹴られた箇所を手で押さえながら、キルケはよろよろと立ち上がり始めた。
「蹴られたら、痛い。痛いのね。あ、はは……」
「ああ? 冗談はやめろよ、頭おかしくなっちまったか?」
「蹴られて痛いなら、死んだらもっと痛いのよね。は、あははっ、切り裂かれたら、腹を裂かれたらもっと痛いのかしら? ねえ、どうなのかしら?」
腹部に手を当て、キルケは三森を見据える。
「これで、マナの受けた痛みを少しでも知る事が出来たのかしら……。ねえ、答えなさいよ、勤務外」
とびっきりの狂気を向けられ、三森は愉しそうに口元を歪ませた。
「……はっ、そういう事かよフリーランス」
「あなたがマナを殺したのかどうかはどうでも良い。勤務外である以上、あなたの死は絶対よ。豚の様に泣き喚きなさいな」
「やってみやがれ」
三森が向かってきたのを確認し、キルケは地面に手を付く。その手から淡い光が漏れ、周囲一帯に広がっていった。
「それがどうしたっ」
「気張りなさい、勤務外」
光が霧消しキルケの姿が掻き消える。三森の拳は空振り、消えていく光の中からは乾いた物が擦れ、ひしめき合う音。
「あァ?」
現れたのは数体の骸骨。骨のソレ。皆、古びた西洋の剣を手に持ち、眼球の失われた双眸で三森に視線をくれている。
「……おもしれェ」
呟き、三森は振りかぶられた剣諸共骨を殴り飛ばした。グラウンドまで錐揉み回転しながらソレは地面に叩きつけられる。仲間の死に目もくれず、残ったソレが勤務外に襲い掛かった。足を、腕を、胴を、頭を、首を。五本の凶器が三森に降り注ぐ。
景色が揺らめいた。
三森は両手から炎を噴出させ、左右の二体を熱風で吹き飛ばす。校舎の窓に叩きつけられた一体は硝子の破片と一緒に己の体を室内に撒き散らした。もう片方のソレは地面を転がり、立ち上がる事が出来ない程度にコンクリートで体を削られる。
「出て来いよフリーランス!」
吼え、背後のソレに回し蹴り。音を立てて砕ける骸骨に一瞥してから、三森は姿勢を低くして残った骸骨全ての下肢を足で薙ぎ払った。下肢の骨が達磨落としの如く吹き飛び、ソレの膝から上の部分が中空に浮く。落ちてきたソレにアッパー気味の角度で拳を放ち、各個撃破。
「ビビんじゃねェよ『館』ァ、おい、もう終わりかよ?」
姿を眩ませたキルケに呼び掛けつつ、三森は周囲に意識を巡らせていた。
「……安心なさい」
「上かっ」
降って来た声に反応し、三森は空を仰ぐ。が、上空から姿を躍らせたのは魔女ではない。豚だ。
When pigs fly。
一はその光景を見てそう思った。豚が、空を飛んでいる。
――グシャッ。
飛んでいたのは一瞬だったが、目を疑う光景だったのは間違いない。どうして、何故、何の脈絡もなしに豚が空から降って沸いたのか。
「うわ、アレ、なんなんだよ……」
地面に落ちて、潰れて口から臓腑を吐瀉している豚を見て、一の肝が冷えた。未だ生きているのか、何度も痙攣を繰り返している豚。
「哺乳鋼偶蹄目イノシシ科、イノシシを家畜化して非常に免疫力と環境適応力に優れた飼育の容易な生物ですね。あたしはあまり好きではありませんが、最近じゃペットに飼う人も多いと聞きます」
「そういう事聞いてるんじゃない。何で、空から豚が降って来るんだよ?」
「さあ、降って来たというよりは降られて来たって感じでしたけど」
「……さっきのキルケって奴の仕業か?」
豚。豚になる。ナコトに言われていた言葉が一の頭を過ぎる。
「意図が掴めませんが、恐らくは」
落下してきた豚に目を遣りながら、三森は唾を吐き捨てた。
「で、これがなンだっつーの」
確かに、豚が落ちてきた時は驚いたがそれだけだ。自分の身には何の変化も変哲も無い。あの魔女の嫌がらせだとすれば上出来だが、わざわざ手の込んだ嫌がらせをするような状況でもない。眉根を寄せ、上方を睨み付けていると、
「見たでしょう。可哀想に」
キルケの声がどこからか聞こえてくる。
「可哀想も何もてめェの仕業じゃねーかよ」
「あははっ、そう言われればそうかしらね。どうかしら勤務外、それをしっかり目に焼き付けた?」
「私にンな趣味はねェ。とっとと出て来い、時間が惜しいってんだ」
「あらそう、残念。今の内に見ておいた方が良いわよ」
――後ろっ!
背後から感じた気配に三森は振り向いた。黒。真っ黒。黒いローブが翻り、キルケの素顔を露わにしている。彼女の顔は整ってこそいたが、つり上がった紅の唇。獰猛な光の宿った瞳。振り乱された赤い髪。獲物を捉えた狂喜の表情。全てが彼女の景観を台無しにしていた。
「あなたもそうなるんだからねえ!」
「うざってェ!」
キルケは掌を三森に向け、その手を伸ばしている。容易な攻撃だった。避ける事も防ぐ事もカウンターに移る事も可能。だが、
「触られちゃ駄目です!」
後ろから聞こえてきたナコトの叫びに、三森は避けを選択する。間一髪、キルケの右手は三森の頭を掠めていった。
「ふうん……」
キルケはそのまま三森の脇を抜け、詰まらなさそうにナコトを見つめる。
「厄介な子がいるのね。カリュプソったら、あんなの通しちゃって甘いんだから」
三森は黙ってキルケの右手を注視した。今、彼女は手を握ってはいるが、その掌から淡い光が漏れているのが確認出来る。光を確認した刹那、ぞくりと、三森の背に悪寒が這いずり回った。
「……てめェ、そりゃ何だ? それが魔法か?」
「あら、ようやく気付いたの? 鈍い子ね。そうよ」
そう言って、キルケは握った手を解いていき、掌を三森に見せるように掲げる。
「とくと見なさい。これが私の魔法よ、人間。この掌に、この光に触れた者を好きな家畜に変えられる。犬にでも、牛にでも、アヒルにでも、豚にでも、ね」
「野郎、まさか……」
「あはははっ、そのまさかかもね! ほらっ、見なさいよそれを! 哀れにも死に掛けちゃってるけど、そろそろ時間よ」
キルケは可笑しそうに、心底から可笑しそうに。痙攣を繰り返す豚を指差した。
「やってくれるじゃねェかよ、ええコラ?」
やがて、豚の痙攣が止まる。か細い呼吸も、流れ出る血液も凝固していく。生が終わって、死が、始まっていく。三森の予想していた通り、命を完全に終了させた豚は姿を変えていく。淡い光が豚から漏れ出て、周囲に鈍く輝きを放ち始め、
「うそ、だろ……」
その光景を後方から眺めていた一は吐き気を堪えた。それでも、これが自身の責任だと、目を反らさず、変化が終わるのを見届ける。
「なんで、そんな事が出来るんだよ……」
豚が、人間に変わっていく。豚は服など着ていない。だから、それも服など着ていなかった。生まれたままの姿で屍を晒している。光が完全に消え失せると、年端も行かぬ女子の死体だけが残された。確実に、ここの生徒だろう。豚の最期の姿と変わらず、目には涙を浮かべ、流れた涙は頬に跡を作って、口からは臓物を吐き出したまま、顔をぐしゃぐしゃに歪ませて手だけを上に伸ばそうとしている。落下した際の衝撃で、場所を問わず体の殆どの骨は砕け、突き出、肉を食い破る様をまざまざと、生きている一たちに見せ付けていた。
「あはははははははははっ! かーわいそう! 可哀想! さっきまで人間だったのに、どうしてこんな事になっちゃったのかしら!? 見て、見て、見てよ、見なさいよ勤務外っ、あんたたちの所為よ、あんたたちの責任よ、あんたたちの罪よ! 先に仕掛けたのは勤務外よ、私たちの仲間の腹を切り裂いたのはあんたたち、マナを殺したのはお前らだ! 私たちの為の楽しい楽しいサバトを引き起こしたのはねえ、紛れも無くあんたたちなの、あはははは!」
腹を揺すって哄笑し、顔を歪めて嘲笑し、しばらくの間、魔女の呵呵大笑が周囲に木霊する様に響き渡る。
一は動けなかった。ナコトも、一に身を寄せて震えていた。三森ですら、動くのを忘れたみたいに死体に目を奪われている。
「――隙だらけよ、勤務外」
戦場では、敵の前で動きを止めてはいけない。迷ってもいけない。死を悼み悲しむ事は、もっと良くない。三森は今更ながらに昔教わった訓戒を思い出してしまった。
三森の首に、キルケの腕が巻き付く。
「てめェ……!」
振り解いて燃してやろうと右手を上げるが、
「動いたら、ああなるわよ」
耳元で死刑宣告にも似た文句を囁かれ、やむなく抵抗を止めた。
「三森さん!」
「動かないで勤務外!」
駆け寄ろうとした一にも、キルケは冷たい視線を浴びせる。
「動けば、この子も豚にするわ。威勢だけは良いこの子の豚みたいな悲鳴。どうなの、あなたは聞きたいの?」
「……やられた」
一はアイギスを下ろし、ナコトを自身の背で隠した。
「まずいです、あの状態だと、赤い方が何をするよりも早く触れられてしまいます」
「畜生……」
キルケは勝ち誇って、込み上げる笑いを我慢せずに発する。耳元で喚かれ、三森は顔を顰めた。
「これだから止められないわね。さ、答えて頂戴。マナを殺したのは誰? この子、それともあなた? ね、どうしたの? 早く答えて。豚にはなりたくないでしょう? ま、どうあっても、私に乱暴を働いたこの子には豚になってもらうけ、ど」
「……っ」
どうしようもない絶望に、一は目の前が真っ暗になった。
通らない。通らない。その攻撃は通らない。どの攻撃も通らない。
「くそっ!」
神野の竹刀での殴打、打撃も、立花の日本刀での刺突、残撃ですらサソリのソレの堅い殻に阻まれる。既に五分近くも攻撃を繰り返していたが、有効な攻撃は一度たりとも繰り出せない。
一方で、サソリの攻撃は二人の体力をじりじりと削り始めていた。当たらない。遅い。だが、ソレの鋏は重い。そして学習しない。避けられても避けられても遮二無二攻撃を繰り返す。その度に煉瓦を抉り、校舎の塀を断ち割っていく。二人はその破壊力に脅威を感じつつ、飛び散る破片に掠り傷を負わされながら、尚且つ、有効に立ち回れない。
「……このままじゃ」
立花はソレの攻撃を避けつつ、剣の通りそうな部位を見定めるが都合良く見つかる筈もない。中庭が暴虐されるのを、特等席で黙って見ているしかない。
膠着状態。尤も、時が進むにつれ不利になるのは明らかに人間である神野たちだ。反撃の糸口を見出せないまま、時は刻一刻と進行していく。
更に、
「見ぃつけた」
もう一人。神野たちがやって来た東棟の入り口から、魔女がその身を現した。
「こんにちは、勤務外。ランダから話は聞いてるわよ、好きにやってくれてるそうじゃない」
「……こんな時にっ」
神野は歯噛みする。
「あいつは……」
「さっきは逃げられちゃったけど、そこの女の子。もう逃がさないわ」
パシパエ。『館』の一人である魔女が勤務外のいる場所にやって来た。即ち、
「徹底的に、殺し抜いてあげる」
戦闘の激化を意味するに他ならない。パシパエは地面に手を付き、その手から鈍い光を放ち始めた。輝き、輝き、輝き、地面が色を変えていく。赤い煉瓦が割れていき、その下から現れる。赤と青を混ぜて尚、紫にはならない中途半端なカラーリング。巨大な鋏と毒針を持つ尾を掲げ、新たなサソリが姿を見せる。尾部を上げ、この世に生まれ出たのを誇るが如く行進を開始した。
「もう一匹……」
神野は醒めた目でソレを見つめる。ここまで来ればもう何でもありだ。
「ふふっ、遊んでらっしゃい」
パシパエはサソリの尾をいとおしげに撫でる。それを合図に、サソリは一直線に獲物へと向かった。
「けん君!」
「分かってる!」
立花が叫んだと同時、神野は右に飛び出す。彼の動きにつられ、新たに出現したサソリはそっちへと向かった。
もう一体は立花が引き付け、挟撃を避ける。戦力が分散するのは好ましくなかったが、打開策も見つからないままでは仕方が無い。
「くそっ!」
中庭の規模は広くない。人間だけなら充分に憩いの空間に成り得るのだが、そも、戦闘を念頭に置いて作られた場所ではないし、巨大なサソリが二体も現れるなんて予想も出来ない。二体分のサソリがスペースを詰めた分、神野と立花の回避可能な範囲が狭まられる。
先刻の様に自由には攻撃を避けられない。下手に動けば、その分自身が追い詰められていく。二人は端を回避し、隅を忌避し、逃げ場の多い中央に移動しようとする。
「必死ね。見苦しいぐらい。けど、そうでなくっちゃ……」
二人を退屈そうに見つめながら、パシパエはフードを脱ぎ捨てた。
「う、あ、あああ、ああ、ああああああああああああ!」
おぞましい。
その言葉がパシパエには良く似合っている。彼女の顔は整ってこそいたが、つり上がった口元からは蜘蛛が這い出、狂気に彩られた瞳からは百足が足を蠢かせている。青く染まった長髪からはサソリが姿を覗かせ始めた。体内から湧き出る虫共の感触。その激痛に顔を歪ませながら、彼女は二人を睨み続ける。
零れた虫は中庭の中央を目指し、不快な音を立てながら進軍を開始した。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
痛みに任せ叫び、喚き唸る。パシパエの絶叫が中庭に迸っていた。
「いっ、たい……! いたい! いたいいたいいたいいたいたい!」
血管を、臓器を、神経を蝕まれる。それでも尚、パシパエからは虫が溢れていた。
「いやああああああああああああああああっ! はあっ、ああっ、あっ、ま、な! マナアアアアァァァァ! ああああっ、きんむ、がっ、が、がっ、がっ」
何かしら言葉を発しようとするが、その度に口から溢れる蜘蛛を噛み潰し、彼女の言葉は完成しない。舌の上に広がる苦味と粘液とに悶えながら、パシパエは地面をのた打ち回った。
――異常だ。
死の空気に触れ続け、麻痺しかかっていた神野ですらその絶叫で一気に冷めた。醒めた。覚めた。真に恐ろしいのは骸骨でもサソリでも、モップを持った魔女でもない。アレだ。
人間の形を保ったまま、人間でないモノを生み出し、作り出し、吐き出し続ける異形の存在が恐ろしくて仕方が無い。あの女が声を上げる度に足が竦み頭が鈍る。
「あああああっ!」
魔女の声を掻き消したくて、声をわざと荒げた。噴水の傍、中庭の中央まで逃げたかったが、そこには既に虫共が居座っている。カサカサと、ぎちぎちと。耳障りな音を立て、ただそこにいた。存在するだけで、虫唾が走る。気持ち悪い。気持ち悪い。触りたくない見たくない。この状況、四の五の言っていられないが、根源的な本能から来る嫌悪には逆らえない。どうしても、あそこには行きたくない。
見ると、立花も同じように中央からは遠ざかっていた。彼女の額には汗が流れ、辛そうな表情をしている。
「くそ! くそっ、畜生!」
サソリには攻撃が通らず、そのサソリももう一匹増え、おまけに逃げ場には害虫が占拠している始末。魔女は叫び、見えないところからも精神的に神野たちを追い詰めてくる。完全と言って良いほどに手詰まりだった。このまま攻撃を回避し続けていてもいずれは捕まる。
つ か ま る 。
「くそおおおお!」
捕まれば、もう本当に終わりだ。神野、立花。どちらかがサソリの一撃を食らってしまえば、それで終わり。食らった方は鋏で挟まれ、針から毒を注がれる。動けなくなったら食われてしまい、仕舞。残った方も二体に挟まれ、虫共の餌食だろうし、自分が思っているよりも手酷い方法で魔女に殺されるかもしれない。
それでも良い。神野はまだ、生を諦められる程には達観も成熟もしていない。だが、勤務外だ。自分には勤務外だという自覚が備わっている。ソレとの戦闘で死んでしまうのも、殺してしまうのも、とっくに、充分に理解している。
「うああああ!」
だが、自分が死ねば終わる訳ではない。まだ、続く。魔女は殺す。殺し続ける。生きている者は殺される。
すぐそこにいる、安田も姫もきっと殺される。
残った友達も知り合いも皆殺される。殺される殺される。呆気なく殺される。
ここで戦える者は今、自分たちだけだ。諦めて折れる訳にはいかない。曲がりなりにも自分は勤務外だ。ソレと戦う為の人間だ。
「死ねるかあああ!」
サソリの鋏を竹刀で無理矢理弾き飛ばし、片側の鋏を掻い潜り、殴打を繰り返す。たとえ通じなくても、何もしないままで良い筈が無い。神野は決心し、気の遠くなる感触に苛まれながらも攻撃を繰り返す。
刀が、鈍っていた。
力も入らない。
サソリの単調な攻撃を受け流しつつ、立花はぼんやりとそう思った。
――調子が、悪い?
理由は分からないが、自身に訪れている違和感を立花はそうだと捉える。
体が重く、足捌きもどこかぎこちない。いつもなら、こんなの簡単なのに。堅い。固い。硬い。難いからなんだ。いつもの自分なら、この程度のソレに苦戦はしない筈なのに。斬れないなら、力を込めてやればいい。そうすれば、あんなのするりと片付くのに。
「くっ」
苛立たしい。腹立たしい。自分勝手に動けない。その理由が分からない。
死なら見てきた。グロテスクなソレが作り出したグロテスクな死体。足がもがれ、腕が削がれ、胴が薙がれ頭が割られ目玉が串刺しにされ首が刎ねられ命が終わる様を悉く見てきた。駒台に来る前から、ずっと見てきている。だから揺らがない。死を間近に見ても迷わないし、決して惑わない。
なのに。頭を過ぎる。死体が、死んで行った者が、教師が、生徒が、同級生が。
「ボクの……」
学校なんて、生まれて初めてだった。立花の都合上、外に出る訳にはいかなかった。家の中でひたすらしごかれ、鍛えられ、変えられる。その為だけに彼女は生きてきた。
友達なんていない。家族なんて呼べない。人とどうやって接するのかも、話すのかも分からない。教えられたのは刀の振り方と身の振り方。ソレの殺し方と自分の殺し方。
その筈だったのに。
「ボクの邪魔をするな……」
変えられた。駒台に来てから、オンリーワンに来てから、変えられてしまった。余計な物が身に付いてしまっている。不愉快。邪魔。温い感情。そう思いながらも、手放せない。得体の知れない感情が身を走っていた。心地悪く、心地良い。
誰のせいだ。誰のせいだ。誰のせいだ。
立花は煩悶する。誰のせいだと。隣で共闘する神野もそうだ。後ろで見守る安田だって姫だってそうだ。この学校にいた全ての人間が彼女に影響を与えていた。だが、足りない。足りない。そうだ、それでもまだ、
――敬語はやめてくれない、かな?
あの人から言葉を貰っていない。自分を大きく変えたのはあの人だ。あの人のせいだ。あの人の声を聞くとなんだかむず痒くて。あの人の姿を見ると何故だか心がざわついて。
――これから一緒に働く仲間なんだし、よろしくな。
誉めて貰いたい。声を掛けてもらいたい。優しくして、欲しい。いつだって、ソレと戦う前にはあの人がいた気がする。あの人の声を聞き、あの人の姿を見ていた気がする。
だから、
「邪魔をするな」
嫌いだ。好きだ。
自分に芽生え始めた感情に戸惑いを隠せない。皆、死んだ。初めての学校で、皆が死んだ。
分からない。悲しいのか、嬉しいのか、怒りたいのか、楽しいのか、全てが当てはまりそうで当てはまらない。
教えて欲しい。あの人に、聞きたい。
だから、もう一度。
「邪魔をするな」
ぎちぎちぎちぎち。
「邪魔を……」
ざくり。