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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
がしゃどくろ
98/328

最終鬼畜一部骨

 黄衣ナコトは見てしまった。情けないパートナーを叱咤し、可哀想だから立ち上がるのを助けてやろうかなと思って手を差し伸べた時、そのパートナーの背後に忍び寄るソレの姿を。

「あっ」

 骸骨だ。グラウンドでやりたい放題やっていたソレだ。

 まずい殺される。そう思い、元フリーランスの本能が働く。せめて自分はと咄嗟に判断し、彼を生贄にして逃げようとソレに向かって突き飛ばした。

 振り返らず、脇目も振らず全力疾走。グラウンドに存在する多数のソレに姿を晒す事になってしまうが気にしていられない。さっきの西棟の塀まで走り込み、脱出しよう。



「……そう、思っていたんですけどね」

「何言ってんだ人殺し」

 一たちは今、体育倉庫の屋根の上にいる。

「誰が人殺しですか」

「お前だお前っ、俺を囮に逃げようとしやがって!」

「嫌だなあ、あたしはちゃんと助けようとしてましたよ」

「めちゃめちゃ走ってたじゃんお前」

 結局、一はナコトを捕まえる事に成功した。確かに彼女の逃げ足は舌を巻くスピードではあったが、一が自分で思っていたよりも自身の全力疾走は早かったらしい。

 だが、追い付いて襟を掴んだところでナコトは転倒。一も巻き込まれる様にすっ転び、仲良く地べたに顔を擦り付けていた。そこをソレに襲われ、グラウンドでの二対十の逃走劇の末、彼らはフェンスを上り体育倉庫の屋根に逃げ込んだ。

「まあまあ、何はともあれ一先ずは安全、でしょうか」

「俺の命をまあまあの一言で済ますお前が怖い」

 一は何気なく、倉庫の屋根から顔を覗かせる。骸骨が十体近くうろうろしていた。倉庫はそこそこに大きな建物で、骸骨たちが手を伸ばしても屋根には手が届かない。が、倉庫はすっかり、しっかり囲まれている。

「……どうすんだよ、下りられないぞ」

「ここに逃げ込んだのはあなたでしょう。それくらい考えて下さい」

 一とナコトからは戦闘への意欲が完全に萎え、失せていた。

「そんな事言ったって。お前見ろよアレ、剣持ってるぞ剣」

「刺されたら死にますね。刃毀れも酷いですし、掠っただけでも致命傷になりそうです」

「動きも早かったな。俺、ゾンビが走る映画はもう見たくない」

「アレはゾンビではなく、スパルトイだと思いますけどね」

「スパルトイ?」

 鸚鵡返し。

「ええ、ご存知ありませんか。まあそうでしょうけど。スパルトイとは、ギリシャ神話に登場する戦士の事です」

「へえ、ギリシャの」

 一はアイギスに視線を落とす。何となく、感慨深い。

「ドラゴンの歯を大地に蒔き、そこから現れる者たちです。彼らは生まれながらに剣を装備し、恐れを知らず敵に立ち向かう屈強な戦士、らしいですね」

「ふーん、でも骨じゃん。脆そう」

「まあ、姿形には諸説ありますが。彼らが骸骨の姿をしているのはとある映画が元ネタじゃないでしょうか。そう考えると、スパルトイは出自こそギリシャ神話であれ、認識され出したのは比較的現代のソレだと言えますね」

 ナコトはしたり顔で語るが、一には正直どうでも良かった。

「説明は良いけどさ、ついでにこっからどうするかも教えてくんないかな。このままじゃ餓死するまで屋根にいなきゃなんないぞ」

「ご安心を。幾つか方法はありますよ」

「……言ってみろ」

 一は不安を覚える。何か、嫌な予感が、と言うかもはやそれしかしない。

「まず、あなたが屋根から飛び降ります」

「ほう」

「あなたが骨たちの気を引いている間にあたしが脱出。その後あたしはつくも図書館に戻って読みかけの少女マンガに目を通しながら、先輩の淹れてくれる紅茶と焼き立てのクッキーに舌鼓を打つのです」

「せめて助けは呼んでくれ」

 ナコトは傍の一を無視して、指を二本立てた。

「次に、あなたが屋根から飛び降ります」

「ほう」

「あなたが骨たちに見つかって逃げ回っている内にあたしは逃走。その後、あたしは今日発売の単行本を購入して近くの喫茶店で優雅に読了、部屋に戻ってその本へもう一度目を通してから眠るのです」

「なあ、そのパターンはもう良いんだけど」

 ナコトは指を三本立てる。

「では、あなたが屋根から飛び降ります」

「……俺が屋根から飛び降りる以外の選択肢はないのかよ」

「ありません。古今東西、男と言うのは女の為に身を滅ぼすモノですから。あなたが犠牲になるのはそっちの方がドラマティックだし免れません」

「って言うか戦えるだろお前!」

 一はナコトのセーラー服に巻かれた鎖を指差した。

「フリーランスを辞めたあたしにソレと戦えと?」

「嫌だ! 俺はここで餓死するのも骸骨なんかに殺されるのも嫌だからな! お前、それ飾りじゃないだろっ」

「まあ、一応。ですが、動いている物を狙って投擲するのは難しいんですよ」

「カトブレパスの時はどうなんだよ?」

 ナコトは目を瞑る。

「相手が全くと言って良いほど動きませんでしたし、そもそも『図書館』でのあたしの役割は、オキナが凍らせた相手を砕くだけでしたからね。あんな動きの早いの、しかも十体なんて不可能に近いですよ。八方塞がりですね、あっはっは」

「笑うな馬鹿! ……じゃあ、何か、動かない相手だったらどうなんだよ?」

「んー、動かない相手なら何人いようが問題ありませんけどね。この鎖で叩いて砕いてひき潰すのをご覧に入れましょう」

分かった(・・・・)

 頷いてから、一は屋根から飛び降りた。

「えっ?」

 高さは二メートル程度だったので、着地には困らない。足が痛んだが、一は無事に地面に降り立つ。

 グラウンド側に降り立った一を見て、骸骨たちの視線が一斉に彼に集まった。ぞろぞろと、雁首を並べて骨がひしめき合う。

「ちょっ、一さん!?」

 今にも泣き出しそうなナコトの声。一はそれを聞き流し、骸骨たちに向けて持っていたビニール傘を広げた。

「……スパルトイ、だったな」

 骸骨の名前を思い出し、呟く。思考をクリアに、視界はクリア。声もクリアで条件もクリア。動かない相手ならナコトは出来ると、叩けると言った。なら、動かなくすれば良いだけだ。

 ソレ共は我先にと走り出す。眼前の獲物を前に自身を抑える者など誰もいなかった。一目散に一へと向かい、彼の掲げた(アイギス)の意味など分からぬまま、そこから漏れる鈍く輝く光に照らされる。

「ああっ、もう!」

 骸骨剣士、スパルトイの動きが止まった。一の視界上に存在する十体全ての時間が止まる。

 そこへ、ナコトの鎖が突き刺さった。屋根の上からではあったが、針の穴をも通すような正確な攻撃。骨たちの頭蓋骨を鎖の先に付いた分銅で叩き、砕き、すり潰していく。時間にして五秒にも満たない間に、彼女は全てのソレを宣言通りにやってのけた(・・・・・・)

 一は傘を畳み、屋根の上でへたり込むナコトに視線を向ける。

「流石、伊達にフリーランスは名乗っていなかったな」

「……あ、あなた、本当に頭悪いですね」

 ナコトは呆れた顔を隠さずに屋根から飛び降りた。

「なあ、そもそもさ、俺が行かなくても、お前が今みたいに一体ずつ潰してけば良かったんじゃないのか?」

「ええ、その通りです。でもあたしは、ギリギリまであなたの慌てふためくサマを見物したかったんです」

「はあ? じゃ飛び降り損力の使い損じゃねえか」

「……そもそも、そもそもですよ。ここは『館』のフィールドです。カリュプソが自分たち以外の異能、例えば勤務外の能力、更に言えばあなたの力を隠しているかもしれないって、そうは思わなかったんですか?」

 一の顔から血の気が失せていく。

「な、何でもっと先に言わないんだよ!」

「あなたがそれより早く飛び降りたからでしょう! 全く、自殺志願も良いところです」

「ま、まあ、助かったから結果オーライって感じだな」

 ナコトは一をずっと睨んでいたが、

「これだから楽天家は」

 そう言って視線を反らした。

「とりあえず、陣でも探してみるか?」

「言われずとも。さ、行きますよ」

 まだ機嫌の悪いナコトに率いられ、一は頭を掻きながら彼女の後ろを歩き出す。



 結果から言えば、神野剣の妹である神野姫は無事だった。

「…………………………」

 合流した神野と立花はお互いの身に起こった事を簡単に確認して、先に安田の入っていった図書室に進入。奥にある、伝奇小説の立ち並ぶ書架に挟まれる形で、神野姫と安田の両名に合流。合計四人となった彼らは図書室のテーブルに着き、今後について簡単に話し合っている。

 の、だが。立花の視線は神野の妹、姫に注がれていた。

 姫は兄である神野と再会してからずっと、ずっと彼に抱きついたまま離れない。いまだに嬉し涙の様な物を流している。

「立花さん、目が怖いんだけど」

 隣の席の安田が何事か喋ったが、立花の耳には入らない。

「立花、それでお前が見たってサソリはどこにいるんだ?」

「………………」

「立花、おい」

「………………」

「立花ってば!」

「え?」

 神野の声でようやく我に返る。

「えっと、ごめん、なんて?」

「……サソリはどうしたって聞いたんだよ」

「あ、えと、その、サソリからはボク、逃げてきちゃったから」

「そんなにやばかったのか?」

 立花は俯いた。

「えーと、あの、あのね、やばいっていうか、その、怖かった、から」

「まあ、お前も女だもんな」

「それ、どーいう意味?」

 神野は安心したように微笑む。

「とにかく、一度体育館に戻ろうか」

「ああ、もう三十分経っちまってる。部員も心配だ」

 安田は立ち上がり、テーブルに置いた竹刀を掴んだ。

「ボクもついてくよ」

「よし、それじゃ図書室を抜けるぞ」

 立花に向かって頷き、神野は立ち上がろうとするが、姫は動かない。

「おい、姫」

 姫は何も言わず、首を横に振る。

「……怖いのは分かるけど、ここにいたら危ないぞ」

「ち、違うの、違うの兄さん」

 涙声で訴える姫。

「ここを出たら危ないよ、きっと殺されちゃう……」

「大丈夫、大丈夫だって。心配すんな、お前は俺が守る。だから、行こう、な?」

 姫はぐずっていたが、神野が粘り強く説得し、体育館への移動を承諾する。

 神野と安田、それに立花と姫を加えた四人は図書室を抜け、東棟四階から一階、次に中庭を抜けて体育館へ行くルートを選んだ。

「後ろは任せたぜ」

「任せて、けん君」

 立花を殿に、神野が前方、間に安田と姫を守るようにしながら四人は階段を下っていく。

 より注意深く、より慎重に。立花が加わった分戦力は上がったが、姫は完全に戦力外。守らなければならない。ソレとの余計な遭遇も戦闘も、尚且つ、

「……こっちだ」

 余計な物も、姫には見せたくはない。時には予定外のルートを進み、神野は姫から非日常を遠ざけた。



「あったぞ」

 一たちはグラウンドを正門方面へ抜けて体育館の前まで来ていた。ソレの姿が見えない事もあって、付近で陣の捜索を開始してから五分。

「本当ですか?」

 遂に、捜し求めていた陣らしきモノを発見する。

「ああ、ほら。ラクガキにしか見えないけど」

 一が指差した先、茂みの中の地面で隠す様に幾何学模様が彫られていた。傍には図形を描く際に使ったであろう木の枝も転がっている。

「成る程、当たりですね」

 ナコトは陣を見つけるやいなや、足でぐちゃぐちゃに踏み消した。

「……まずは一つですか」

「ん、それなんだ?」

 達成感を感じるより先、一はナコトの拾い上げた物が気になる。

「ああ、これは恐らくトネリコの枝でしょうね。魔法使いが陣を描く時に良く使うんです」

「とね、りこ? 木の名前か?」

「トネリコも知らないんですか? 聞いて呆れますね」

「うるせえな、俺は植物には興味ないんだよ」

「まあ、植物もあなたには興味ないでしょうけど。それより、あなたは植物を見習ったらどうです。二酸化炭素吐いてるだけで地球に申し訳が立たないとか、思わないんですか?」

 一は無視して、その辺に茂る木の枝から葉っぱをもぎ取った。

「これで、正門周辺の陣の効き目が鈍くなったはずです。一旦正門から外に出て、ここまでヘビースモーカーの方を連れて来ましょう」

「ああ、分かった。けど、その前にさ、一度確かめてみないか?」

「何をです?」

「生きてる奴がいるかもしれないだろ。だったら、連れ出してやろうぜ」

 何はともあれ、まともな出口が作れたのだ。学校内の人間だけではその存在に気付かないだろうが、今は自分たちがいる。逃がしてやる事が出来る。

「……出来ません」

 返って来たのは残酷な答え。

「何で、だよ。ここの人を助けるのだって俺たちの目的じゃないのか?」

「それは勤務外(あなたたち)の目的でしょう。あたしの目的は違います」

「……そういやまだ聞いてなかったっけな」

 こうして自分に付いてきて助けてくれる。それだけで一には文句なかった。が、腑に落ちないとも思ってはいた。

「じゃあ言ってみろよ」

「それは出来ません。ですが、あたしの目的を達成する事は、引いてはあなたの為にもなるんです。その為には『館』を倒すのが先決です」

「そりゃ、『館』は倒さなきゃなんないけど。それでもここまで来て見捨てるってのは……」

「…………一度学校を出ると言っても、赤い方を連れてくるだけでしょう。残された人を助けるには『館』を倒すのが手っ取り早い筈です」

 ナコトの言い分は尤もだ。一は本心から納得する。反論の余地などどこにもない。

「……分かった。三森さんを連れてこよう」

「結構、では行きましょう。あっ、後ろには気を付けてくださいね、豚になるかも」

「もう良いって」

 ナコトは恐る恐る足を運び、正門を抜ける。魔法の効果はもともと一たち二人には通じ辛いが、

「……ふむ、問題ありませんね」

 どうやら、本当に陣を潰すだけで効果は覿面らしかった。



「あー? なンで私が手を引かれなきゃならねーんだよ」

 一たちが戻ってきた事に三森はとりあえず安心した。だが、彼らの提案を呑む気はさらさらない。幾ら魔法のせいで学校を意識から隠されるとはいえ、その上一人では学校まで行けないからとはいえ。

「いや、そうしないと三森さん学校まで辿り着けないでしょ」

「嫌だからな、ガキじゃねェんだ。ンなみっともねー事出来るか」

 三森は断固として受け入れない。

「……ではどうするのだ三森冬。貴様はここで乾いたままいるのか?」

「ンなつもりねェ! だけどな、情けない姿晒すくらいなら……」

 一からも春風からも視線を反らし、三森は頑として首を縦に振りそうにない。

 そんな切羽詰まった状況下で笑みを浮かべる者が一人。

「手を引かれるのは嫌、ですか。成る程。しかしですね、あなたを連れていかなければ話になりません」

 黄衣ナコト。彼女だけが笑っていた。

「それがどうしたよ」

「では、一さんにおんぶしてもらうのはどうでしょうか?」

「なっ!?」

「不服ですか。では肩車は? 抱っこは?」

 一は自分の意見を無視されながら思った。肩車は面白そうだと。

「おっ、お姫さま抱っこなんて無理に決まってンだろ!」

「お姫さま抱っこなんて指定してませんが、あなただって勤務外でしょう。手段を選んでいる場合ですか」

「……てめェ、いっちょまえな口利くンじゃねーぞ。フリーランス崩れが誰に意見してやがる」

 耳から伝わる静かな殺意。三森の声には確かな怒気が孕まれている。

「あたしをどうするかは勝手です。どうぞお好きに。ですが目的だけは違えないでくださいよ」

 剥き出しの殺意を浴びせ掛けられて尚、ナコトは口調を改めない。

「……目的だァ?」

「ええ、あたしが愚かでなければあなたとあたしの『目的』は一致している筈です。腹が立つくらいに同じでしょう。そして、あたしは愚かではありません」

 ナコトは一を一瞥し、三森に視線を向ける。

 三森は一とナコトを交互に睨んだあと、

「……ちっ、分かってるっつーの」

 罰が悪そうに頭を掻いた。

 一は二人のやり取りを訳が分からないまま見つめている。

「あー、あの三森さん、とりあえずありがとうございます」

「……っ」

 三森はキッと一を睨んだ。

「勘違いすンなよ! 私は勤務外だから行くんだからな!」

「は、はあ……。分かってますけど」

 本当、分からない。



 結局、三森はナコトが手を引っ張っていく事で納得した。

「うわ、骨が転がってンじゃねェか」

 学校内に侵入した三森の視線が、砕けた骸骨に注がれる。

「あー、俺たちが来る前からあったんですよ。神野君か立花さんがやってくれたんじゃないでしょうか」

「そ、そうか」

 三森は額を押さえる。心なし、辛そうだった。

「? 三森さん、どうかしましたか?」

「いや、何か気分わりぃ。……なあ、私たちって何しに来たンだっけ」

「魔法の影響でしょうか、少々記憶に混乱が生じているのかもしれません」

「あー」

 一はナコトの言葉を受け、

「俺たちはここにいる『館』の魔女を倒しに来たんですよ」

 もう一度、三森に説明をしてみる。

「ん、あー、そうだったそうだった」

 それでも三森はまだ混乱しているようであった。

 三森の記憶が、混乱、混濁、混雑している。一がそう認識した途端、彼の中に生来眠っている悪戯心がムクムクと鎌首をもたげ始めた。

「……それと、三森さんは俺に一万円借りてるんです」

「あ、そうだったっけ? 今度返すわ」

「ええ」

 ついでだから、色々吹き込んでみよう。一は至極当然だと言わんばかりに、自分が有利になる嘘を吐いていく。

「あと、三森さんは週五のシフトでした」

「……あー、そういえばそうだった気がする」

「それと、三森さんは俺に借りがあります。そう、返しきれないほどに」

 ここぞとばかり。まあ、あとで笑って誤魔化してパンチの一発でも食らえば良いと一は割り切っていた。

「おう、分かってる」

「……はい?」

 だが、三森は気持ち良く言い切る。それこそ、嘘を吐いた張本人の一が拍子抜けするくらいに。

「おら、行くぞ」

「あ、はい……。なあ黄衣、どうするよ?」

「……何故あたしに聞くんですか?」

「に、睨むなよ。お前の方が的確だろ」

 ナコトに睨まれると、一の体は知らず強ばる。

「まあ、あなたよりはあたしの方が優れていますからね。ではとりあえず――」

 そう言ってナコトが人差し指を立てた時、


「――勤務外には死んでもらうわ」


 グラウンド側から黒いローブを身に纏った、魔女が現れた。



 一たちが魔女と出会ったその頃、神野たちは中庭に辿り着いていた。

 北駒台高校の東棟と西棟の塀に囲まれた、洋式の小さな空間。中庭の一面には赤い煉瓦が敷き詰められ、中央には同じく赤い煉瓦で縁取られた噴水。庭の周囲には花壇が多数置かれている。昼休みには生徒がここで昼食を取る、北高で一番人気のあるスポット、だった。

「良かった……」

 小さな声で姫は呟く。彼女に袖を握られている神野だけに聞こえた儚い囁き。

「そうだな」

 神野は姫の頭に手を置き、くしゃくしゃと撫でてやった。

 ここだけは、何も変わらない。昨日と同じ空間。骨の一欠けらだって、血の一滴だって、ここには何も置いていない。いつもと同じく、彼らの日常を象徴している。

「……行こう、そこを抜けたら西棟だ」

 神野が指差したドア。そこを潜ると西棟に着き、あとは体育館へ一直線だ。三人は頷き、ドアへと向かって警戒しながら歩いていく。一番最初に神野が抜け、次に姫、安田が続き、最後に立花が抜けた時、


 ――ぎちぎちぎちぎち。


 日常の象徴が砕けた。

「中に入って!」

 立花はドア近くに立っていた安田と位置を入れ替え、前にいた彼の背中を突き飛ばし、乱暴な音と共に足でドアを閉める。三人が建物内に入ったのを確認し、刀を構え、ソレに向かって駆けた。

「立花っ!?」

「先に行ってて! あいつが来たっ!」

 噴水が壊れ、花壇は薙ぎ倒され、中庭に敷き詰められた煉瓦が飛び散った。

「――サソリだっ!」

 神野は叫ぶ。西棟の窓から見えたその姿、赤と青を混ぜても尚紫にはならない。中途半端なカラーに身をやつした狂おしいくらいに巨大な体躯。鋏と毒針の付いた尾を振るい、尾部を上げて中庭を行進する一匹のサソリ。

「なんだよありゃ!?」

「くっ、俺も行く!」

 高さだけでも、サソリの体は一メートルを楽に越している。幾ら立花でも苦しい相手かも、しれない。助けに行く。そう思ってドアに手を掛けた神野の学ランの裾を、姫が引っ張った。

「姫、離してくれ」

「だ、だめ……」

 姫は俯いたまま、祈るような体勢で力を込め続ける。

「兄さん、行かないで」

「あいつ一人じゃ危ない」

 弱く、小さく、脆く。姫の力は全く障害にならない。苦にならない。それでも、神野はその手を振り解けなかった。

「そんなの知らないっ、私は、私は兄さんが……」

 駄々をこねる姫を神野は初めて目にする。生まれてこの方、わがままも言わず、大人しかった妹。

「お前を守る為なんだ。大丈夫、危なくなったら逃げるから」

 神野は気付かれない様、安田に視線を送る。

「……気を付けろよ」

 安田に頷いてみせ、神野は姫の手をそっと握った。

「姫、ここで待ってろ。兄ちゃんが守ってやる」

「兄さんっ」

 姫の手を振り解き、神野はドアを開ける。追いすがる姫を安田が押さえ、ドアに鍵を閉めた。



 サソリの姿をしたソレ。ソレの攻撃は早くなかった。狙いも正確ではなかった。が、重い。ソレの鋏は立花を捕らえられずに空を切るが、その度に中庭を破壊していく。既に噴水は元の外観を留めておらず、水道管のパイプが剥き出しになり、中庭を濡らし続けていた。

「立花っ」

「けん君!?」

 立花は駆け寄る神野に振り向き、背中越しにソレの鋏を刀で受け止め、弾き返す。

「危ないよ!」

「心配すんな、それよりこいつ強いのか?」

 振り下ろされる二つの鋏、神野と立花はそれぞれ左右に分かれて回避し、ソレが引き戻すところを狙って懐に潜り込んだ。

「動きは遅いよ!」

「だなっ」

 二人は息を合わせて左右から刀と竹刀で攻撃を試みるも、堅い殻に覆われたサソリにダメージは与えられない。

「通らないかっ」

 舌打ちして、神野はソレから距離を取る。

「だったらこれだ!」

 立花は飛び上がり、ソレの背中に着地。刀の向きを回転させて外皮に突き立てた。しかし、切っ先はソレの殻を貫けない。高く乾いた音を引き起こし、彼女の刃は弾き返される。

「後ろ!」

「くっ……」

 ソレの尾が立花を狙っていた。立花は攻撃を諦め、ソレの体から飛び降りる。着地の隙に鋏が彼女を狙ったが、その鋏を神野が防いだ。二人は噴水を盾にしながら後退していく。

「……立花、どうする?」

「どうしよう……」

 刀は通らない。竹刀も通らない。外の殻をどうにかしない限りダメージは通らない。加えて二つの鋏と尾が一つ。連係こそ取れていない攻撃だったが、それ故に不規則で、ソレの攻撃の軌道とタイミングが掴み辛い。

「どうしよう、分からない。ボクには分からない。けど……」

 立花の瞳には未だ光が灯されている。生きる事を諦めず、戦いに勝つ事を見据えた目。

「やるしかないよ、けん君」

「……ああ、分かってる」

 彼女の覚悟に気圧され、神野は頷いた。

 ――そうだ、こんなところで諦められるか。

 恐怖は他者に伝染するが、時には勇気も他者に伝染する。覚悟を握った神野の手は、恐怖心を焼き尽くすほどに、酷く熱い。

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