Dead & Breakfast & Witch
砕く。砕く。砕く。砕く。
打ち砕き、すり砕き、骸骨共を粉々の粉にしていく。
粉砕し、破砕し、撃砕し、動かざる死者を今度こそと砕いていく。
「ああああああっ!」
北駒台高校、東校舎四階図書室前には狂乱と熱狂が渦巻いていた。
渦の中心には神野剣、安田の両名。彼らを取り囲む様に骸骨共がうじゃうじゃと群れを成し、列を成していた。殺される為に、砕かれる為に、死なす為に、砕く為に。
神野の勢いは凄まじかった。図書室前に存在していた三十数もの骸骨の半分を薙ぎ倒し、ただの学生とは思えない、目覚しい戦果を挙げている。だが、頭に血が上り過ぎてもいた。すぐそこ、扉を抜けた先に妹がいるかもしれない、とは言え、突出し過ぎている。
安田。剣道部現部長。彼の存在が、神野の無茶とも言える行動を支えていた。背中を預ける訳ではないが、神野の死角の敵を安田が何とか仕留めきっている。だからこそ、背面を気にせず神野は動けていた。
「退けって言ってんだっ!」
振り下ろされる剣を竹刀で受け止め、横薙ぎの剣を足で弾き飛ばし、残った片方の腕で近くの骨を払い除け、神野は図書室を目指して真っ直ぐに突き進む。
既に骨の骸は二十にも上っていた。最初こそ怯えていた安田も、全てのソレの駆除が夢ではないと、そう思えた矢先、
「やってくれるじゃないのさ」
女の声が朗々と響いた。
冷静さを欠いていた神野より先に、安田が振り向く。
「あんたら、本当にガクセイって奴かい?」
安田は目を見開いた。ここに誰かが現れたからでも、女が魔女の様な黒い三角帽を被っていた事でも、あまつさえ黒いマントに身を包んでいた事に驚いたからでもない。その女が、嘘の様に綺麗だったからだ。三角帽から僅かに覗くブロンドが揺れ、彼の目を釘付けにする。魔性を具現化した女の姿態に息を呑み、全てを、少しの間忘れ去る。
「――安田っ!」
耳元で破砕音。高く乾いた、骨の砕ける音。
「馬鹿野郎、ボッとしてんじゃねえぞ!」
叱責する神野の声に、安田はようやく我に返った。振り返り、短く謝罪すると、三十近くいた骸骨が全て地に伏して、砕けに砕け散っているのが見える。
「……誰だ、あんた?」
神野は油断なく身構え、女に問い掛けた。
女は持っていたモップをクルクルと回しながら、神野と安田にそれぞれ視線を遣る。
「そりゃこっちの台詞だよ。勤務外はまだ来てない筈なんだけどねえ、骨共がこうも簡単にやられちまうとは」
「あんたもソレか?」
「……不躾なガキだねえ、礼儀ってのを親から教わらなかったのかい?」
神野は女にばれない様、安田に視線を送る。安田は了解し、一歩だけ後退する。
「教わったさ。俺はただ、敬意を払う相手を選んでるだけだ」
「はっ、可愛くないね」
女は楽しそうに笑い、回していたモップを止め、神野に突きつけた。
「それじゃ、小僧共の伸びた鼻っ柱でも叩き折ってやろうかねえ」
「やってみろよっ」
神野が女に飛び出したと同時、安田も一目散に駆け出す。ただし、女とは逆方向、つまり図書室に向かって。道を塞いでいた骸骨が全て倒れた今、図書室への進入を阻む者は誰もいない。
「おっと、そこには行かせないよ」
女は向かってくる神野には目もくれず、しゃがみ込んでから手を床に差し伸べた。刹那、文字の様な、図形の様な、形容し難い蒼い光の線がその手から溢れ出す。光は床を一直線に這い、安田を追い掛けた。
「なっ!?」
線は神野の足元をも通り過ぎ、図書室の扉に手を掛けていた安田の足元に辿り着く。安田は光の存在に気が付いていたが、それを無視し扉を引こうとした。
――かしゃ。
「そこから離れろっ!」
その様子を離れたところから見ていた神野は気付く。
――かしゃ、かしゃ、かしゃ、かしゃ。
砕け、折れ、割れ、地に伏し、ばらばらに成り果てていた骨共が姿を取り戻し、立ち上がりだした。蒼い光に触れた骨が、まるで磁力に牽き付けられるかのごとく元の姿を取り戻していく。
「安田ぁ!」
神野は走り出した。
「うっ、うおおっ!」
安田も今更になってようやく気付く。扉から手を離し、竹刀を振り回して骨の群れを抜けようと引き下がった。
が、遅い。
既に三十の骸骨に囲まれてしまい、安田は身動きが取れなくなる。一斉に襲い来る西洋の剣に、竹刀一本では太刀打ち出来ない。
「そら、どうするんだい?」
後ろから楽しそうな声が聞こえてきたが、神野は無視して、取り残された相棒目掛けて飛び込んだ。
「させるかよ――っ!」
神野は廊下の窓枠に足を掛け、半分程度距離を稼ぎ、自身が傷付くのを厭わずに図書室前まで一気に着地する。その衝撃で周りの骨たちは再び砕け散り、スペースが空いた。敵の位置を確認するまでもなく神野は竹刀を振る。
「ドア開けろ!」
安田は間隙を逃さず、神野に背後を任せ扉を開ける事に成功した。転がり込むように図書室内に入り、
「お前も早くっ!」
神野に呼び掛ける。
「姫を頼むっ」
「はあっ!?」
その台詞を残し、扉は外側から閉められてしまった。
店を出た一とナコトは北高へ向かっていた。
「はあ……」
目的地まであと五分程度の距離に達した時、一の口から溜め息が漏れる。ナコトはそれを聞きとがめ、舌打ちで返した。
「今更弱気になってどうするんですか?」
「……だって、相手は魔女じゃんか。店長はああ言ったけど、中の人が皆死んでたらどうしよう、そうなったら次は勤務外の俺の番だぜ」
「全滅は有り得ないでしょう。あたしたちを誘き寄せるには生きている人間が不可欠ですからね」
「でもさー、戦闘になったら、魔法で殺されるよ絶対」
ナコトは眼鏡を押し上げ、侮蔑を込めて一を見据える。
「安心して下さい。そんな簡単な魔法なんてありませんから」
「……どういう意味だよ」
「確かに魔法は魔術より高度ですが、複雑で使い辛いとされています。例えば、魔術は扱うのが簡単な分、簡単な事しか出来ない。炎を出したり、氷を出したり、と」
一は言葉には出さず、カトブレパス戦での黄衣オキナを思い出した。
「しかし、魔法はそんな単純な事出来ません。と言うか、魔女はそんな事しないでしょうね。彼女らはもっと分かり辛く使い辛い、複雑な種類の魔法を行使してくる筈です。例えば、相手を別の生物に変える魔法や、怪物を召喚する魔法、とか」
「何でだよ? そんなの効率悪いじゃないか。もっと簡単に、その、何だ。人を殺せる手段なんて山ほどあんだろうが」
「……力を持てば、その力を試したくなるものです。魔女はわざと面倒な魔法を使って、自分たちよりも劣った人間相手に実験めいた事をやるんですよ」
本当に性質が悪い。今更ながら、一は実感する。
「それじゃ、とりあえず魔女に出会っても、すぐには殺されたりしないって事だな」
「ええ。こっちが先に体力勝負に持ち込めば問題ないでしょう」
「なーんだ、じゃ楽勝じゃん」
「そうやって笑うのは結構ですが、その程度の事『館』が気付かないとお思いで? 彼女らだって正面切って戦うのが嫌だから罠を仕掛けたんですよ。学校内に足を踏み入れた瞬間、待ち伏せしていた魔女に魔法を掛けられて、豚にでも姿を変えられないよう、精々気を付けて下さいね」
ナコトはさらりと言い放った。
「豚って……マジで?」
「有り得ない話ではないでしょう。なんせ相手は恐ろしい魔女なんですから」
「恐ろしい魔女、ねえ……」
ふと、一の頭に疑問が湧いて来る。
「そんな恐ろしい奴相手に、何だってお前が力を貸してくれるのか気になるな」
「気になりますか?」
「店長の言ってた事じゃないけど、もしお前が本当に俺の敵だったとして、後ろから撃たれるのは遠慮したい」
「では前からなら撃っても良いんですか?」
「駄目に決まってんだろ」
一はナコトを恨めしく睨み付けた。
「冗談です。銃なんて持ってませんから、あたし」
「ふーん、じゃあ冗談か物見気分で付いてきてくれるってんのかよ」
「……意地悪ですね、あなた」
ナコトは悩ましげに息を吐き、足を止める。
「あたしが付いて行っちゃ駄目な理由でもあるんですか?」
「俺は付いて行く理由を聞いてんだよ」
「強いて言うなら、あなたが行くと言ったからです」
「安っぽい」
本心からそう思い、一は呟いた。
「あたしもそう思います」
「……店長が言ってたな。黄衣、お前は『館』を憎んでる、殺したいって」
「それがどうしました?」
一は頭を掻き、ポケットに手を突っ込む。取り出したのはお菓子の箱だった。
「……なんですか、それ?」
「煙草の形した、子供喜ばす為のチョコレートだよ」
そう言って、一は箱から一つチョコを摘み上げナコトに渡す。
「だから、それが何だと言うんですか?」
「――しんどくないか、復讐って?」
ナコトは絶句した。どこまでも分かりやすく、アドリブの利かない奴だな、と。一はチョコをぶらぶらと振りながらそう思った。
「……あなた、気付いてたんですか?」
「案外分かりやすいからな、そういう事考えてる奴って」
一は何でもない事の様に言う。ナコトは俯き、一から視線を反らしつつチョコレートを受け取った。
「軽蔑、しますか?」
「あ?」
「復讐なんて考えてる人間を。それも、一度だけじゃない。あたしはオキナの時にもあなたたちを頼った」
「……軽蔑って、いや、しないけどさ。何だ、今度は誰だよ、親兄弟か?」
触れている話題に比べ、一の口調は軽い。語尾には笑いを混ぜ、顔には笑みを作った。
「ええ、あたしは家族を『館』に殺されました」
ナコトの口調は平坦、むしろ冷淡とも取れる。
「えらくあっさりと認めるじゃねえか」
「これ以上黙っていても、あなたとより良い信頼関係を築けそうにありませんからね」
「あっそ」
可哀想だとは言えなかった。
「二年前です。ちょうど、ソレが活動を大々的に開始し始めた頃でしょうか。フリーランスの活動も、ソレに呼応するみたいに始まった時期です。その頃、あたしの家は北陸の小さな町で、小さな本屋を営んでいました」
「……何だよ、唐突だな」
「黙って聞いたらどうですか? ヒロイン的存在のあたしが涙涙のエピソードを紡ぐ名シーンになるんですよ?」
仕方ない。目的地まではすぐだし、話もすぐに終わるだろう。一は口を噤む。
「……普通の家でした。あたしと、父さんと母さんと、三人で。ソレが出現したといっても山間の小さな町でしたから、わざわざソレもあたしたちの町まで出てきませんでした。取り立てて生活に変化はありませんでしたね」
ナコトは淡々と語り始めた。
「ですが、父さんの本屋は少し変わっていて。それこそ、『館』の連中が嗅ぎ付けてくる程度には」
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
「何だよ、喋れよ」
沈黙を守っていた一だが、ナコトの言葉が止まり、その上足まで止まってしまったので仕方なく振り返り声を掛ける。
「いえ、先ほどの部分には相槌を入れてくれないと」
「なんて入れれば良いんだよ?」
「さあ? あなたに任せます」
――めんどくせえ。
「分かったよ。と言うか、今気付いたんだけどさ、お前結構大事な話してるんじゃないのか」
「ええ、あたしの伏線を回収する重要な場面ですよ」
「……絶対作り話だよ……」
一はポケットからチョコレートを取り出し、糖分を吸収して落ち着こうと努力した。
「では。……ですが、父さんの本屋は少し変わっていて。それこそ、『館』の連中が嗅ぎ付けてくる程度には」
「ふーん、『館』って鼻が利くんだな」
指定通り、一は棒読み加減に相槌を打ってみる。
「……ちっ」
「おい、舌打ちすんじゃねえよ。しっかり要望には応えてやったじゃねえか」
「そこは、『あ、もしかして魔導書を取り扱ってたのか?』 って父の本屋が何故変わっていたのか疑問に思って突っ込むところでしょう」
「そんなのお前の父親だもん、変わってるに決まってんじゃねえか」
ナコトは露骨に、嫌そうに顔をしかめた。
「もう良いです。ほら、赤いジャージの野蛮な方が見えましたよ」
一は何気なく前方を見遣る。言われて見れば、見慣れた赤が目に突き刺さってきた。もう少し近付けば、いつも通り機嫌の悪い彼女の顔が見れるだろうと、そう思ったら、口元が緩んでくる。
「何ニヤついてるんですか、おぞましい」
「おぞましいと来たよ。あーあ、もうやだ、このホラ吹き女」
「あたしは嘘を吐きませんっ」
「あっそ、もう良いもう良いって」
二人が楽しそうに言葉を交わしていると、それを見咎めた三森から罵声が飛んできた。
三森の足元には大量の吸い殻が転がっていた。
「あー、お待たせしました、ですかね?」
一はなるだけ腰を低くする。
「別に待ってねェよ。それより相手は『館』ってマジか?」
「そのようで」
「ちっ、最悪……」
三森は舌を打ち、不快感を露わにした。
「赤い方、『館』をご存じなのですか?」
「あ? なンだコラ?」
「……何語ですかそれは。日本語でお願いします。それとも言葉を知らない、とか」
「てめェやってやろうじゃねーかよ!」
平然な顔で挑発するナコトに、三森が猛る。
「やめろ黄衣、その人煽りに弱いんだから」
「よっ、弱くねェよ!」
「それより、情報部の方がいませんね。見取り図をお願いしていたのですが」
「「情報部?」」
一と三森の声が重なった。お互い顔を見合わせ、お互いが同じ気持ちでいる事を確認する。
「……どうされました?」
「いや、何か気持ちが……」
「あー、ヤな予感しかしねェ」
一は頭を抱え、三森は気だるそうに煙草へ火を点けた。
「あの……?」
「黄衣、気を付けろよ、あいつは人の後ろに回り込んでくるからな」
「は? て、敵、ですか?」
「情報部だ、一応な」
投げやりに呟く三森を見て、ナコトは益々困惑した。
「後ろだ、後ろに気を付けろ」
一はうろうろと、あちらこちらを行ったり来たり。視線を忙しなく動かし、ある種楽しそうにしていた。
――風切り音。
ナコトはふと、音のした方向、上を見る。黒いスーツを着て、細い手足の体付き。そんな女が空から降ってきた。いや、下りてきた。
「うわあああっ」
一の悲鳴。本当に楽しそうだ。ナコトはつまらなさそうに視線を下ろす。
「ここは既に敵地だぞ。何を楽しそうに遊んでいる、一一?」
「耳に息を吹き掛けんなよ!」
「ふっ、愚問だな。私を誰だと思っている。オンリーワン近畿支部情報部二課実働所属春風麗だぞ」
「くっ、どこから湧いて出やがった!」
一は背後に付く春風を降り払おうと、必死に足掻く。
「無論、そこの電信柱から。一一、貴様が望んだ事ではないか」
「それを止めろって言ったんだ!」
「春風麗。先日の健康診断では視力は両目とも二、五。虫歯ゼロ、内臓にも異常なし。だが最近耳が悪くなってしまってな……」
「悪いのは頭だっ」
「……ん? すまん、聞こえなかった」
何度振り解こうが、春風は一の後ろに居続ける。
「良いじゃねえか耳、特に都合がよお」
「貴様は相変わらず性格と顔が悪いようだがな」
「そういう事は親に言え、親にっ」
「持って生まれた物は仕方ない。が、変えようと、少しでも努力しようとしないのは貴様自身の怠慢に他ならない。猛省するが良い、一一」
「俺はこの顔が気に入ってんだ、ほっとけ!」
ようやく、春風が一から離れる。
「あの……」
ナコトが春風を指差しながら一の方へ近付いてきた。
「あたしもあなたの顔は良くないと思います」
「そうじゃねえだろ!?」
「……ああ、むしろ遠回りに言うと不細工のカテゴリに入りますかね」
「そうか……やってやろうじゃねえか、やってやろうじゃねえか……」
「何故二回も同じ事を言ったんですか?」
「うるせえ馬鹿!」
ポン、と。激昂する一の肩に手が置かれた。服越しでもその手がやけに冷たくて、一は震える。
「一一、不様だな」
「……手を退かせ冷血女」
一は春風の手首を掴んだ。
「聞き捨てなりませんね、その発言、その行為はセクハラに値しますよ」
「ふん、黄衣ナコトの言う通りだな。幾ら女体に餓えているとはいえ、私の手を握り、あまつさえメス呼ばわりとは……」
「なっ、冤罪だ! って言うか女体とか言うな、エロいわ」
「どうやら性根だけでなく、あなたの耳は犯罪的なまでに腐っているようですね」
「一一、私は貴様が嫌いだ」
前門のナコト、後門の春風。一は死にたくなってきた。
「たっ、助けて三森さん……」
三森からはイエスでもノーでもなく死ねと返ってくる。この場で舌を噛み切って本当に死んでやろうかと一は思った。
落ち着いた面々はようやくになって現状を把握し始めた。
「意識が?」
「ああ、この先をもう少し進むと、北駒台高校が頭から消える。意識から無くなる」
ナコトの問いに、春風はそう答えた。
訝しげにするのは三森で、彼女はまだ魔術魔法の類を信じていない。
「どうにも嘘くせェ話だよな」
「なら、確かめてくればどうですか?」
「へっ、面白ェ。良いぜ、確かめてやろうじゃねーの」
ナコトの挑戦を受け、三森は肩で風を切りつつ角を曲がっていく。
「恐らく、学校の周囲には『館』の一人、カリュプソが魔法を仕掛けています」
三森の後ろ姿を見届けた後、ナコトは口を開いた。
「かりゅぷそ?」
「あなたは本当どうでも良いところに食い付いてきますね……。今問題なのは誰が仕掛けたかではなく、何が仕掛けられたか、です」
一は押し黙る。ナコトに強く言われ、更に魔法の事では口を挟む余地が無い。
「何が仕掛けられた、か。私は魔法について詳しく知らん。どのような種類のモノが掛けられていると言うのだ?」
「モノを隠す魔法です。カリュプソが最も得意とする種類の」
「隠す? それだけか?」
「ええ、それだけです。ですが、非常に厄介です。それだけでここまでの状況を作り上げてしまうんですから」
ナコトは憎憎しげに呟く。
「なあ、隠すって例えば何を隠すんだよ?」
「あら、ではお馬鹿なあなたにも分かるように説明しましょうか。情報部の方、お願いしていた見取り図を」
「分かった」
春風はスーツの内ポケットから四つ折に畳まれたルーズリーフを取り出した。それを広げ、ナコトに手渡す。
「これ、北高の?」
「その通りだ」
一が覗き込むと、そこにはやけに詳細な北駒台高校の見取り図らしき物が書き込まれていた。しかし。
「なあ、この余白のイラストはなんだよ?」
空いたスペースの所々に少年漫画の主人公みたいなイラストが描かれている。一はそれらを指差し、相変わらず表情を変えない春風に問うた。
「私が描いた。どうだ、上手いだろう」
胸を張る春風。
「下手じゃないけど、何だってこんな時に描いたんだ……」
「ふっ、和むだろう」
「返り血浴びてる男を見ても和まねえよ」
「あなたたち、今から『館』と戦闘になるんですよ、どうしてこうも緊張感がないんですか?」
呆れ顔のナコトを適当にあしらい、
「で、この見取り図が何なんだよ?」
一は疑問を口にする。
「……ふう。情報部の方のお話を聞くに、どうやらこの学校の周囲にはカリュプソのモノを隠す魔法が掛けられているようです」
「あのさ、だからモノを隠すってのは分かったけど、何を隠してるんだよ?」
「気付かないんですか? 今日は創立記念日らしいですが、だからと言って生徒や教師が一人もいないとは限らないでしょう」
「……そういや、立花さんは補習って言ってたし、神野君は部活の手伝いって言ってたな」
一はぼんやりと思い出し始めた。
「一一、貴様は相当に鈍いらしいな」
「悪かったな。で、それがどうしたんだよ」
「はあ、まあ良いでしょう。あなたには期待してませんから。つまりですね、あなたの言った事が本当ならば部活や補習に来る生徒がいる筈でしょう? 気付きませんか? もう学校はすぐそこにあるんです。なのに、静か過ぎます。補習ならともかく、部活で声を出さないなんて有り得ません。何の音もしないなんて、おかしいんです」
言われて初めて一は気付く。そう、角を曲がれば学校が見える。なのに何の音もしない。聞こえてくるのは全て学校外からの音。
「つまり、何だ、魔女は学校の音を隠してるって事なのか?」
「それだけではありません。角を曲がれば分かる事ですが、あたしたちの意識から学校を隠し、恐らくは学校自体をも隠している筈です」
「更に言えば、中では助けを求める為の外界へ通じる連絡手段が隠されているだろうし、中の者たちからは外が隠されている筈だ。抜け出したくても、何処に抜け出せば良いのか分からないだろうな」
「……って、それが本当ならどうやって助けに、っつーか中に入れば良いんだよ?」
「ですからっ」
ナコトは一の言葉を途中で遮り、道路の真ん中で見取り図を広げた。
「あたしたちがいるんです。魔法とは言え、学校周辺に仕掛けるともなると効果も薄れます。充分に真価が発揮されません。だから、だからあたしたちでも隙を衝ける」
「具体的には?」
「これだけの規模になると、魔法陣を使わざるを得ません。地図を見ながら学校を外回りに一周して、比較的効果の薄いところから侵入します。その上で、内部の陣を見つけ次第潰していきましょう」
「陣……?」
「それは後回しです。良いですか、こんな事が出来るのは世界でもあたしたちだけです。まずはそれを強く思ってください。魔術は魔法なんかに負けないって、自分は魔女なんかに負けない、勤務外は『館』になんか負けないと、そう思ってください」
「どういう意味だ?」
「カリュプソの魔法は意識下に直接作用します。そこの角を曲がった時から魔法はあたしたちに影響を及ぼします。だから、魔法になんか負けないと、そう思えば大丈夫です」
眩暈がした。
「……おい、そんなんで魔法を破れんのかよ?」
「そんなんが出来るのはあたしたちだけと言ったでしょう。相手の懐に飛び込むまでは肉体よりも心の強さが物を言います。問題ありません、あなたほど我の強い人物はいませんから、魔法なんかじゃ止められませんよ」
「精神論かよ……」
「魔法なんて何でもありですからね。精神論、根性論、お嫌いですか?」
「そんなの信じてねえよ」
「結構。では、魔女に吠え面でも掻かせてやりましょうか」
ナコトは地図を仕舞い、角を、その先にいるであろう『館』を睨む。
「……春風、出入り口を作ったら一旦戻ってくる」
「何故私に報告するのかは理解出来んが、了解した」
「戻ってこなかったら、店に連絡を頼んで……、そうだな、皆には俺の仇でも討つように伝えてくれ」
「了解した」
無表情で承諾する春風に満足すると、一はナコトを前に出して角を曲がった。
ここから先が、戦場になる。唾を呑み、震える手足になけなしの勇気を送り込んで無理矢理に動かした。
角を曲がると、三森が全てを忘れてしまったような忘我の表情で煙草を吸っていた。勇気が挫けそうになる。