表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
がしゃどくろ
93/328

Day of the Skeleton

 良い天気で、今日は静かだ。

 体育館から響いてくる、剣道部員たちが放つ裂帛の気合いを耳にしながら、神野はそう思った。

 同時に、静か過ぎるとも。

 嫌な、ただひたすらに嫌な予感がする。ざらつく空気。まるで、ソレと相対しているかのような。そんな空気。

 神野は勤務外としての期間は決して長くない。ソレに対する反応もさして良くはない。特筆すべき物は彼に無い。だが、剣道を長くやっている彼持ち前の勘や本能に近いものが告げていた。何か、起こるかもしれない、と。

「……まさかな」

 学校にソレが出現したという話は珍しくない。半ば混沌と化したこの世では良く聞く話だ。しかし、心のどこかでは遠い話だとも思っている。自分だけは、自分達にだけは、と。よくよく考えてみれば、学校と呼ばれる施設は世界中に星の数ほど存在する。ならば自分の学校にソレが現れる確率など一笑に付せられるレベルだ。神野はそう思い直し、馬鹿な考えを掻き消すかのように頭を振る。

 そんな事より、まずは目の前の部活だ。部長を任されていた自分が退部して、後任の安田が上手く部員を纏めてはいるが、それもいつまで続くか分からない。神野が知る限り、安田は優しい性格で、他人に厳しく当たれないのだ。現に、一年生の村西は部長である安田を舐めている。このままではいけない。既に剣道部を去った身ではあるが、去ったからこそ、罪悪感にも似た思いを抱き、何とかしてやりたい、何とかしようと、神野は固く決意した。

「――!」

 体育館内に戻ろうとした神野の足が止まる。グラウンドの方から、大きな声が聞こえてきたのだ。声が聞こえてくるのは別段珍しい事ではない。今の時間はサッカー部と陸上部が活動している。大方、サッカー部が紅白試合でも行っていて、見学に来ている女性との歓声だろうと、そう決め付けた。



 ――眠い。

 終わりそうに無い数学の補習中、立花は何度も目を擦った。あくびを噛み殺し、窓に目を向けようとして、止める。この補習中、教師の判断により、集中力を乱すものを極力排除する為にカーテンは締め切られているのだった。

 周りに目を向けると、露骨に眠っている者こそいないが立花と同じように心底退屈で、早く家に帰って眠りたい。そんな表情を顔に張り付かせた者が多数。午前八時から開始された補習は既に一時間強が経過している。そろそろ休憩を挟んでくれても良いのではないか。立花は切に願った。

「……ん」

 ふと、黒板へ一心不乱に公式を書き留めていた教師が手を止める。彼はスーツの袖を少しだけ捲り、腕時計を確認しているようだ。

「もう一時間か。そうだな、トイレに行きたい者はいるかー?」

 その、救いの声にも似た、間延びした教師の質問。手を上げない者は誰一人としていなかった。集められた十数人の生徒全員が期待に満ちた瞳で教師を見つめる。

「分かった分かった、十五分休憩だ」

 教師は生徒達の一致団結振りに苦笑しながら、

「俺も喉が渇いたからな、職員室に戻る。戻ったら、また始めるからな」

 教卓に広げていたノートを閉じ、一番最初に教室を出て行った。そのすぐ後に、ささやかな歓声。解放された生徒達はめいめいに教室を抜け出して行く。

 立花は安堵の息を吐き、椅子に座ったまま体を伸ばした。与えられたのは十五分。喉も乾いてはいないし、トイレに行く用事も今のところは無い。ただ、ずっと同じ体勢でいた為か体が鈍い。

 教室内には立花を含め女子生徒のみ三人残っており、その中の一人がカーテンを開けた。人工の光ではない自然の光が飛び込んでくる。同時に、

「え……?」

「やだ! 何アレ!」

 彼女らの目に、惨状と呼称すべきモノも飛び込んできた。



 北駒台高校。グラウンド。

 今日の午前中はサッカー部と陸上部がグラウンドを割り当てられていた。と言っても、陸上部は隅の方で準備運動と筋トレを済ましており、大半が学校の外周へと走りに行っている。そのお陰でサッカー部はグラウンドを伸び伸びと使えているのだった。

 部員を二チームに分けた紅白戦はそこそこに盛り上がり、見学に来ていた一年生女子を湧かせるほどにサッカー部一同は熱戦を繰り広げる。

 試合も間もなく前半終了に差し掛かった時、事件は起きた。一人の選手の動きが急に止まったのだ。

「おい!」

 ベンチに座る顧問が大声で呼び掛けても、その選手は反応を見せない。虚空を指差したまま、口を半開きにさせているだけ。顧問の近くにいたマネージャーの女子も、紅白戦の出番を待つ他の部員も訝しげに彼を見つめる。

「ごっ――?」

 奇声。

 次に悲鳴。

 そして叫び。

 意味を為さない多数の声は恐怖に彩られていて、プレイ中の部員たちもその声に思わず振り返り、足を止めた。熱を帯びた二十二名の視線が一斉に一点に集まる。逃げ惑い、走り出し、ただ震え上がる人々の叫喚の中、顧問であった男性教諭の首が転がっている。首。その一点に視線が注がれていた。

 グラウンド内の誰もが声を出せず、茫然と固まる。

 今、自分達は学校でサッカーをしていただけだ。なのに、何故首が? 何が起きた?

 彼らの疑問はとある男子生徒の叫びによって、いとも容易く明確に解決された。

「ソレが出たぞぉ! みんな逃げ――」

 その叫びも途中で遮られる。胸を剣で貫かれれば誰しもがそうなる。

 彼らはようやく理解出来た。今、この瞬間にソレが出たのだ、と。



「待て、漣」

「はい?」

 北駒台高校へ向かっていた途中、前方を進んでいた春風が足を止めた。

「何かあったんですか?」

「……分からん。だが、嫌な予感がする」

 そう言うと、春風は来た道を戻り始める。

「ちょっ、ちょっとっ、もう学校はすぐそこですよ?」

「これ以上は近付けん。いや、近付きたくない」

「……また職務放棄ですか」

「駄目だ。足が出ない」

 春風は眉を顰め、道を行ったり来たりしていた。

「あの……、何をしているんですか?」

「線を確かめている」

「ですから、何の?」

「……漣、あと六歩進んでみろ」

 漣は意味が分からない。分からないが上司には逆らえない。戸惑いつつ、言われた通り足を踏み出した。一、二、三、四、と、心の中で数を数える。

「……これは」

 五歩目を踏み出したところで、漣は違和感に気付いた。小さな、とても小さな違和感。

「そのまま動くな。漣、今我々が向かっている場所はどこだ?」

「……それは」

 何故か、漣は答える事が出来ない。

「当たりか」

 春風は得心したように呟く。

「戻れ」

 言われてから、漣は六歩目を踏み出す事もなく春風の隣に並んだ。同時に、抱えていた違和感が薄れていく感覚。

「春風さん、これは……」

「口惜しいが、北の指摘は当たっているようだな」

「……もしかして、既に」

「始まっているらしいな」



 フリーランス『館』の構成員は現在五名である。全員が魔法を使い、全員が魔女と呼ばれていた。

「へー、骨やるじゃない」

「そうね、一応はランダの弟子ってところかしら」

 その内の二人が、物陰からグラウンドの様子を覗いている。両方ともが黒いローブに身を包んでいる所為で区別は付かない。

「一、二ぃ、三……。ふーん、骨が十匹ね」

「充分でしょ。中にも何匹か行ってる筈だし」

 グラウンドからは割れんばかりの、怒号にも似た悲鳴が聞こえてくる。『館』の二人はその声に耳を澄ませ、満足気に息を吐いた。

「それじゃパシパエ、私がグラウンド当番ね」

「……何でよ?」

 パシパエと呼ばれた方が不満げに口を開く。

「だって、あんたの力って広いとこに向いてないじゃない」

「それを言うならキルケ? そっちだってそうじゃないの」

「……つべこべ言わないでよ。マナの仇、討ちたくないの?」

 今度はキルケと呼ばれた方が不満げに口を開いた。

「仕方ないわね。じゃ、私は中に行くわ。少ないけど、何人か残ってそうだし」

 パシパエは肩を落とし、手近な窓を見つけて素手で割る。

「その代わり、しっかりやってよね。ああ、全部殺しちゃ駄目よ。勤務外が来なくなっちゃうから」

「わーかってるわよ。とりあえず半分ね」

「……あと、作り過ぎないでね。私、あの臭い駄目なのよ」

 それを捨て台詞に、パシパエは割った窓から強引に体を滑り込ませて校舎内に戻っていく。

「さ、それじゃ始めようかしらん」

 楽しげに呟くと、キルケは狙いを定めた。グラウンドに目を凝らしていると、骨の包囲網を抜けた女生徒がこちらにやってくるのを確認する。

「結構可愛い子ね……」

 舌なめずり。

 近付いていくと、向こうもキルケの存在に気付いたのか、表情を変えた。即ち、哀願、期待に満ちた表情。この絶望的状況下で人間の形をしたモノに会えたのが嬉しいのだろう。

「あっ、あのっ!」

 女生徒は、校内にローブを着た女がいる事にも気が回らず助けを求めた。

「……なぁに?」

 キルケは女生徒に口を利く。魔女は人間に口を利く。

「ソレがっソレが出たんです!」

「そっかあ」

 キルケは女生徒に近付き、優しく髪の毛を撫でた。動揺する女生徒が困惑の声を上げる。

「ねえ、あなた豚は好き?」

「はっ、はい?」

「パシパエは嫌いだって言うんだけど、私は好きなのよ。あの臭いが、こう、何て言うのかしら……」

「そっ、そんな事よりっ」

「えー?」

 撫でていた手に力を込めて、キルケは女生徒の頭を掴み校舎の壁に叩きつけた。くぐもった声と骨が砕ける音が魔女の耳に心地良く染み入っていく。

「そんな事なんて言っちゃ駄目。ついつい力が入っちゃうから」

 キルケはくすくすと笑い、女生徒から手を離した。壁に鼻血が垂れるも、女生徒は身動ぎ一つしない。校舎の外壁に顔を張り付かせたまま、四肢だけがダラリと伸びていた。

「だらしないわね」

 キルケはその姿を見咎めると、女生徒の髪の毛を引っ掴みコンクリートの地面に後頭部から叩きつける。呻き声が漏れ、彼女がまだ生きている事を示していた。

「助けを求める相手をミスっちゃったわねー」

 キルケは引っ繰り返った女生徒の顔を見てせせら笑う。ひしゃげた鼻からは血と水が流れ、涙が溢れていた。顔は恐怖と驚愕と困惑でぐちゃぐちゃに歪み、自らの涙と血とで醜く濡れている。

「ひっ、ひっ、ひっ……」

 女生徒の短い、連続したか細い呼吸。キルケは盛大に笑った。

「あははははははははははははははははははは! 何よそれ!? 折角の可愛い顔が台無しじゃない!」

 自分自身が彼女の顔を台無しにした事を忘れているのか、キルケは指を差し、腹を抱えて笑う。笑い続ける。

 女生徒は身動き一つ取れない。取る気にもならないのだろう。もう、分かってしまったのだろう。

 一しきり笑った後。キルケは倒れたままの女生徒に手を翳した。

「それじゃ、豚にしてあげる」

 キルケが女生徒へと艶やかに微笑み掛けると、

「さようなら」

 女生徒は、豚になった。



 校舎内を歩き回っていた『館』の一人パシパエは、鼻の曲がりそうな血の臭いの中、楽しそうに鼻歌を口ずさんでいた。

「ふふん、結構残ってるのね」

 生徒の教室が連なる二階廊下を悠々と闊歩しながら、パシパエは視線をさ迷わせる。右を見れば男子生徒の倒れた姿。左を見れば女子生徒の蹲る姿。後ろに振り返れば女性教諭の血を流して喘ぐ姿。前方には、

「ひっ――」

 恐怖で顔が引きつった男性教諭。

 パシパエはフードの下で口の端を吊り上げる。

「ごきげんよう、人間さん」

「あっ、あんたはっ」

「やあねえ、恐がらないでよ」

「おっ、お前がこんな事を!」

 男性教諭のスーツは右肩から纏めてバッサリと切り刻まれていた。

「まあ、痛そうねえ」

 右半身が殆ど抉られた状態の男へ、パシパエはゆっくりと近付いていき、優しげに声を掛ける。

「来るな!」

「……血が出てるじゃない」

「いっ、いったい何の目的でっ!」

 パシパエは眉根を寄せた。この男、さっきから声が大きい、と。

「傷口を良く見せて御覧なさいな」

 ふらりと。まるで愛しい人にもたれ掛かるような挙動でパシパエは男の残っている肩に頭を預ける。

「無骨な傷跡ねえ」

「うわ、うわあっ」

 男は逃走を選択した。まともに思考が可能な状態なら、高が女一人、組み伏せるのは簡単な筈だろうに。

「きゃっ」

 頭を突き飛ばされ、パシパエは男から離される。男は不恰好に走って彼女から距離を取ろうと必死だった。

「……可愛いんだから」

 パシパエは焦る事もなく、男の後ろ姿を余裕たっぷりに歩いて追い掛ける。男の傷の深さから見て、長くはまともに動けないと判断したからだ。

 間もなく、男は廊下の角を曲がった先の階段で足を滑らせてしまう。一度倒れると、体が疲労を訴え、素直に言う事を聞いてくれない。

 苦痛に喘ぐ男の背後から、かつん、かつん、と、ゆっくりした間隔の足音が聞こえてくる。

「あら、転んでしまったのね」

 パシパエは、顔を上げないまま踊り場にへたり込む男を見て、楽しげに微笑んだ。

「ひっ、あ、あ、あ……」

 一歩ずつ近付いてくる死の足音。紛れもない狂気の塊。男は背中越しにそれらを感じ、慄いている。

 男の震える様子を眺めながら、やがてパシパエは階段を下り切り、踊り場に足を踏み入れた。

「もう、動けないんでしょう?」

 パシパエは男の傍にしゃがみ込む。

「……こ、殺すなら殺してくれ」

 男の諦めは早かった。血を流しすぎたのか、それとももう、この地獄にも似た空間から解放され、楽になりたかったのか。

「……ふうん」

 だが、潔い男にパシパエは心底から苛立ちを覚えた。

「あなた、目的は何かって聞いてたわよね」

 男は答えない。パシパエは構わず続ける。

「教えて上げるわ。冥土にお土産ぐらい持たせて上げる。私たちの目的は復讐なの」

「……ふく、しゅう……?」

「ああ、安心して。仇は勤務外だから。あなたじゃない」

 男にとっては慰めにもならないことば。

「でもあなたたちには餌になってもらうわ。奴らを誘き寄せる為に、ね。だから、精一杯生きなさい。簡単に諦めちゃ駄目よ」

「な、何を……」

 自分がここまで追い込んだくせに。だが、男は声を発する事が出来ない。

「……私たちの仲間は無残に、体を引き千切られて殺されていたわ。可哀相、きっと必死で生きようと、助かろうとしたのよ」

 パシパエの口調には熱が籠もっていた。男は気持ちの悪さを覚えながら声が出せない。

「なのにあなたったら、殺してくれ、ですって? 可能性があるならどうして最後まで足掻こうとしないの? 生きたくないの? 殺されたいの? あなた、マナを冒涜してるわ」

 男には目の前の女が何を言っているのか分からない。

「でもね、私は寛大よ。だってもうすぐあの子を殺した勤務外を殺せるのだもの。だから、あなたにもチャンスを上げるわ」

「……チャンス?」

「ええ。私はもうあなたに手を出さないわ。逃げるのも良いし、私を襲っても良いわ。好きになさいな」

 男の瞳に僅かながら光が宿る。襲う気などさらさら無かったが逃げられるのならそうしたい。

「ふふ、それじゃあ頑張りなさい」

「……?」

 おもむろに。パシパエは自らの指の腹を噛み千切った。少量ながら、傷口から血が溢れ出す。男は彼女の意図を計りかねるが、何も出来ない。

 パシパエは血の流れ出る指を男の傷口に押し当てた。男は苦悶の表情を浮かべ、声を荒げて痛みに耐える。

「ねえ、あなた虫は好きかしら?」

 突然の質問に男は答えられない。ただ痛みに耐えているだけ。

「私はね、好き」

 そう言うと、パシパエは立ち上がる。

「……あんたは?」

 男は息も絶え絶えに問い掛けた。パシパエは僅かに口元を歪ませるだけで答えない。

「くっ……」

 パシパエを無視して、男は立ち上がろうとした。残った左肩を壁に押し付け無理矢理にバランスを取ろうとする。足は小鹿の様に震えるが致し方ない。顔を上げ、目の前の魔女を睨みつけてやると気分は少しだけ落ち着いた。


 ――カサ。


 男のスーツの襟元で音がする。彼は首を巡らし音の出所を探った。


 ――カサカサ。


 何かが蠢き、這い回る様な乾いた音。

 男は不思議に思いつつ、自分の体に目を凝らしていく。ふと、パシパエと目が合った。彼女は笑いを堪えているようで、自分の右肩をトントンと指し示している。

「……あ」

 それが自分の右肩を指している事が分かると、男は無くなってしまった右半身に目を遣った。刹那、死にたくなる。

「うっ、ひっ、ひっ……」


 ――カサカサカサカサ。


「ふふふ、良く御覧なさいな」

 もう、男は口を開く事さえ叶わない。何故ならば、彼の思考は真っ白になっていて、彼の視線は一点に集中しているからだ。そう、傷口から湧き出る大量の虫共によって。

 

 ――カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ。


 サソリ。百足。クモ。蠍。ムカデ。蜘蛛。男が今までに見た事の無い種類のモノもいたが、些事だ。関係無い。一目見て分かる。害虫、毒虫、不快感を与えるフォルムをした昆虫共が自分の傷口から溢れ、漏れ出て、自身を這い回り、足を這わせ蠢き続けている。

「可愛いでしょう? キルケは虫なんて気持ち悪いだなんて言うんだけど。ふふ、失礼ね。さあ、どうしたの動きなさいな? 折角のチャンスよ、私が大人しくしている内に逃げた方が良いんじゃなくって?」

「――――ッッッ!」

 パシパエの言葉は届かない。男は左手で必死に虫を追い払う。だが、際限無く出現する虫共にとっては焼け石に水であった。血が溢れ、肉と骨が露出している傷口からは色とりどりの害虫が好き勝手に動き回っている。払われても払われても、サソリは男の足元から這い上がっていく。ムカデは体内を食い破り、蜘蛛は皮膚をくまなく噛み付き始めている。

 終わりが無い。救いが無い。もう、無限と言っても良いのかもしれない。

「あああああああああああああああああっ!」

 無限に続く、体内を冒される痛みと体中を這い回られる不快感。

 無間地獄に比べれば生易しく、幸せな絶望感だろうが。男にとっては正しく無限の地獄で、出来る事なら夢幻であって欲しかった。

「あらあら、そんなに暴れちゃって」

 パシパエは男に背を向けた。もう、彼に対しての興味など失ったのだろう。

「いや、いやだっ! いやだああ!」

 男の声は直に消えていく。恐らく、彼の口腔内にも虫たちが押し寄せたのだ。

 音だけが、這い回る様な乾いた音だけが聞こえてくる。


 ――カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ。


 

 その光景を見て、立花は目を皿の様に丸くした。

「……ソレだ」

 窓際に走りより、食い入る様に惨状を眺める。既に立花の瞳は、弓の如く振り絞られて鋭く尖っていた。

 グラウンドでは逃げ惑う生徒達の姿。だが立花は、それ以上に生徒達を襲っている存在に目が行っている。

 ――骸骨だ。

 他の物で形容するのも馬鹿らしくなるほどに。

 人間の骨格死体が、生きている人間を好き放題に襲っている。骸骨は全部で十体。そのどれもが武器として西洋の剣を所持していた。刀身は錆びかかっており刃毀れも酷い。だが、骸骨は気にもしないで目に映る(骸骨達に眼球は無いが)者に襲い掛かり斬り付ける。なまじ、ソレの持っている刀身の刃毀れが酷いだけに、掠るだけでも切り口がズタズタになり深手になってしまう。今息のある者も、時間が経つにつれ生存確率が低下していく。

 立花は目を反らさない。

 グラウンドでは怒声と悲鳴。叫喚が木霊していた。倒れる男。血を流す女。人間の尊厳が踏み躙られている。窓の外では男女構わず足が削がれ、腕が斬られ、胴が薙がれ、額が割れ、首が真っ二つにされるこの世の物とは思えない無法地帯を呈していた。

 今、無残に殺される彼らを見て可哀想だと、同情するのは得策ではない。立花は非情にもそう決意する。何故なら、次は自分の番かも知れないからだ。校舎の中にいるから、安全だとは言えない。いや、もしかしたら外の方が安全な可能性もある。既に校舎は包囲されて脱出不可能な状態に陥ってるかもしれない。

 ならば、と。立花は喉元まで出掛かった嘔吐感を必死で押し戻す。今は時間が許す限り相手の正体を、出方を窺わなければならない。幸い、骸骨の力量は把握出来た。思っていたよりも動きは早いが、太刀筋の荒さが目立つ。

 ――アレは大丈夫。でも。

 立花はセーラー服の胸ポケットから携帯電話を取り出し、液晶画面を確認した。予想通り、お約束と言うか、圏外。電波は今学校内に届いていないらしい。つまり外界と連絡が取れない。誰かが気付き、勤務外に連絡を入れてくれるのを祈るのみだ。

 ソレが集団で出現し、あまつさえ統制された動きを見せている事から、立花は骸骨達を操っている者が、裏で手を引いている者の存在を薄っすらと感じる。

 計画的な犯行(・・)である事は明白であった。犯人の狙いまでは掴めないが、学校内の人間を無事に帰すつもりは無さそうで、つまりは脱出も困難、そもそも不可能かもしれない。

「逃げなきゃ!」

「ムリ! ムリよそんなの!」

 周囲の女性は何事か喚いているが、立花の耳には入ってこない。とにかく、まずはこの状況を脱出する事が第一だと判断する。物は試しだ。一度塀を飛び越えるなりなんなりして、とにかくこの空間から逃げ出さなければならない。

 しかし、単独でも行動は可能だが、オンリーワンが動いてくれるまでに、学校から逃走するまでに幾ら敵を相手にするか分からない。背中を預ける人間が必要だった。

「……けん君なら」

 都合が良い事に、今日は剣道部が体育館で活動している。まずは勤務外でもある神野と合流する事が状況改善の、最善の一手だと立花は判断、即座に行動を開始。教室内に立て掛けて置いた竹刀袋を引っ掴み、躊躇する事無く日本刀を袋から抜き去った。背後から悲鳴が聞こえるが、相手にしている時間は無い。廊下に耳を傾け安全を確認してからドアを開け、三階廊下に身を躍らせる。耳を澄ませ周囲に気を張る。敵の気配はしない。どうやら、まだここは安全らしい。

 だが、それもいつまでかは分からない。安全地帯など、もはやこの学校には存在しないのだ。学校を見取り図にし、そこが敵によって少しずつ塗り潰されていく焦燥感を立花は感じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ