命あれば勤務外も魔女に会う
後悔はしていない。懺悔などしていない。謝罪などしていない。歓喜などしていない。悲観などしていない。
する暇が無かったからだ。
殺した。殺した。殺してやった。
疑問すら抱かずに。罪悪感なら既に手放している。直接手を下した訳ではないが、その場にいた自分も、いなかった他人にも責任はあるのだと、そう思う。
「マナナンガルって魔女だ。確かに殺したよ」
だから一は、心を空っぽにして声を絞り出した。
「……あなた……」
ナコトは額を押さえ、呆れた風に息を吐く。
「よっぽど、ツイて無いんですね。あたしといい、『神社』といい、『館』といい、この街のフリーランスと悉く関わるなんて」
「とんだ疫病神だ」
一は笑った。
「『館』は、仲間を傷つけた者を決して逃がしませんし、許しません。何処まで逃げようが、何処に隠れようが、彼女らは確実にあなたたちを殺します」
「はっ、やってやろうじゃない。魔女が何だってのよ」
「髪の長いあなた、随分と短絡的なんですね」
ナコトは糸原を侮蔑の篭った瞳で見下げる。
「何よ? 私らを殺そうとしてる奴らと話し合いでもしろっての?」
「そのつもりは向こうにありません。危惧すべきなのは、被害の拡大に関してです」
その言葉を聞いて店長が笑った。
「どうやら、本当に厄介な連中のようだな」
「店長、どういう意味ですか?」
「……一、いつも言っているだろう。自分で考えろとな」
そう言われても、一には見当が付かない。被害なんて言われても、精々北駒台店か魔女の館のどちらかが死ぬだけだ。
「時間が無いので、頓馬なあなたにも分かるよう説明しましょう。その為に、あたしは来ましたから」
「なあ、今俺、悪口でトンマとか言う奴初めて見たぞ」
「『館』の最終目標は復讐です。仲間を殺した者を殺す事。そして、彼女らを厄介だと評す理由のもう一つに、目標しか見えていない事が挙げられます」
「そりゃ当然だろ」
一は軽く発言してみる。
「……しか、見えていないんです。つまり、『館』は目的を達する為なら手段を選ばず、周囲を気にせずあなたたちを始末に掛かると言う事です。手段、勤務外を始末する為の手段」
「手段も何も、やり合うしか無いんじゃないのか?」
「流石、あなたは本当に賢いですね、うんうん」
「……はいはい、俺は賢いよ。だったら賢くないお前の、勤務外を殺す為の手段とやらを教えろよ」
鎖を弄っていた手を止め、ナコトは眼鏡の位置を押し上げた。
「あたしなら、と言いますか、少しでも勤務外の面倒さを知っている者なら誰でも考え付く手ですが。まずは二人以上の勤務外と同時に戦わない事です。単純に、面倒ですからね」
糸原は何とも言えない表情を浮かべた後、顔を隠すように俯く。
「次に、正面からは行かない事。そして出来るなら、戦闘を行わない事。罠を仕掛けるなり、背後を衝くなりして、勤務外が臨戦する前に殺してしまうのがベストでしょうね」
「なるほどな。けどさ、そんなの勤務外だけに限らないだろ。ソレだってフリーランスを相手するにしたって、出来るなら隙を衝いてやっちゃった方が早いって皆考えると思うぞ」
「あたしに歯向かう気概は気に食いませんが、あなたにしては面白い発言ですね。確かに、勤務外も、フリーランスも、ソレも、奇襲などには気を付けている筈です。しかし、勤務外だけに通用する手段が一つだけあります」
「俺たちに、だけ……?」
そんな効果的な手段が有る物かと、一は訝しげにする。
「まあ、一つだけとは限らんがな」
店長が割って入り、ナコトを見据えた。
「だが、我々に対して一番効果的且つ、我々が一番避け辛いモノは確かにある」
「流石に店長クラスともなると知っていますか」
「罠、だろう?」
ナコトは静かに頷く。
「その通りです。ソレはいつ、どこに現れるのか自由。フリーランスも好き勝手に動けます。しかし、勤務外は違います。何故なら、あなたたちは『犬』だからです」
「ふん、『犬』と来たか」
店長は皮肉げに笑った。
「勤務外には権利が生じます。何をしても許され、与えられます。ですが、それに伴う義務も生じます。ですよね? 勤務外は命令を受ければ応えなくてはならない。ソレが出たら、殺しに行かなければならない。そう、それがいつ、何処であっても」
「……罠が、仕掛けてあると分かっている所でも?」
一はようやく理解し始める。そして、これから起こるであろう事実の確認を店長に問う。
「当たり前だ。行けと私が言えば、お前らバイトが拒否する事は他の誰が、たとえ現れたソレが許したとしても、私が許さん」
「俺たちを殺す気ですか?」
「死ね」
「仲が良くて羨ましいですね。とどのつまり、そういう事です。勤務外のルールを知っている者ならば、罠なんて誰でも取る手段でしょう。そして『館』は確実に罠を仕掛けます。既に、仕掛けているかもしれませんね」
ナコトは二人のやり取りをせせら笑ってから口を開いた。
「笑うなボケ。……魔女が動く理由ってのは分かったし、勤務外には罠が効くってのも分かった。そんで、被害ってのは何なんだよ?」
「今から説明するところです。途中で口を挟まないで下さい。千客万来迷惑千万です」
「曲がりなりにも、司書なんてサービス業やってる奴が言う台詞かよ」
「あたしは本にはサービスしますが、それ以外の物にはサービスしない主義です」
「仕事辞めちまえ!」
「辞めません。さて、被害の件なのですが、あなたたちが死んでしまう事は被害の内にも入りません。あたしが厄介だと思っているのは、『館』が罠を仕掛ける場所についてです」
一の叫びを聞き流し、ナコトはスラスラと台詞を口にする。
「罠の場所? んなの知らないわよ。どこにでも仕掛けりゃ良いじゃない。どうせ、命令受けたら行かなきゃなんないのに変わりは無いんだからさ。ま、私は行かないけどー」
「くそっ、もう自分の出番は終わったからって……」
糸原に恨めしい視線を送る一。
「罠を仕掛けても、効果を最大限に発揮出来なければ意味がありません。効果的だとは言いましたが、そもそも、勤務外相手に罠自体発動するか怪しい可能性もあります」
「あん? さっきは通用するって言ってたじゃないか」
「耳鼻科をお奨めします。あたしは百パーセントだとは言ってません。それに、店長も言ってたじゃないですか」
「……なんて?」
死ねと言われた事しか覚えていない。
「…………行けと私が言えば、です。オンリーワンの店長は、無策で勤務外を送り出す事はしないでしょうね。与えられた情報を吟味し、必要だと判断すれば策を与えてくれるでしょう。つまり、あなたたちをタダでは死なすつもりは無いんです」
「そうだ、異能で異質で異常な力を失うのは勿体無いからな。私が駄目だと判断すれば支部に意見するし、行けそうなら行かす。私だって考えているさ。うん、勤務外より良く分かっているじゃないか、黄衣。考えを改めてしまいそうだ。どうだ、一とトレードでウチに来ないか?」
「死んでもイヤです。『犬』みたいに尻尾を振るのも、こんな人に本を触らせるのも」
「じゃあ死ねば良いのに」
ぼそりと、一は呟いた。半分は本心だった。
「ですから、『館』としては勤務外が確実に出勤するであろうポイントに仕掛けなければなりません。そんな馬鹿は居ないと思いますが、何も無い更地に仕掛けたって誰も近付きません。遠くから叩いて終わりなのですから」
「じゃあ、勤務外が動かざるを得ない物がある場所に罠はあるのか」
「そんな場所あんの?」
糸原は詰まらなさそうにあくびをする。
「あると言えば、あるな。まずは支部、または本部の内側に仕掛けられた場合だ。支部内の人間は上層部を逃がしたり、内部犯を疑ったりで動き辛いから、外部の勤務外が動かなければならん。そして次に、犠牲者が大量に出ると予想される場所だ」
「大量、に?」
「早い話が、人の多い場所だ。オンリーワンは罠の有無関係無く、人命救助最優先で動かねばならん」
「へえ、意外と利他的なんですね」
一は少しだけオンリーワンを見直した。
「いや、人が大量に死ぬと、その分客も減るからだ」
「わあ、やっぱり利己的だあ」
前言撤回。
「……つまり、罠がある、『館』がいるのは人の多い場所って訳ね。デパートとか、ゲーセンとか、そういうトコ?」
「ええ。ですが、今回に限っては罠が何処にあるか探す必要はありません。もう、分かっていますから」
そう、ナコトは当たり前の様に言う。
「何で罠の場所を知ってんだよ?」
「……呆れた。呆れました。あなた、覚えていないんですか? あたしがついさっき夢の話をしたでしょう。いえ、しなかったとしても、あなたは覚えている筈です」
「はあ……?」
「惚けても無駄です。あなたはどう足掻いたってあなたなんですから。今更まともになりたいなんて、思わないで下さい」
何とも厳しい叱責だった。一は失敗したなあ、何て思いつつ、今朝見た、夢を思い出す。
――へえ、それともアレか。悪い夢でも見たんじゃねえのか?
そう言ったのは、あの無精な中年だったか。一は内心で笑い飛ばした。
――悪夢を見たからどうしたってんだ!
「お前がその、夢を見てたのは、今朝の、三時頃だったっけ?」
「往生際が悪いですね。不愉快ですが、あたしとあなた、同じ内容の夢を見ていた筈です」
一は長い溜め息を吐く。
「どういう事よ? 夢の中身があんたと一とで被ったとして、罠のある場所がどこか分かるっての? それ以前にさ、本当に魔女なんて出てくる訳?」
糸原の言う事は尤もだ。一はそう思う。
「糸原さん、俺だって信じたくないけど、残念な事に魔女は出ます。しかも今日、この街の学校に」
「説明しなさい。そんで、私を納得させなさい」
一はナコトの顔を見る。彼女は目だけで訴えていた。あなたがどうぞ、と。
「……夢の内容が被ったのが、俺と糸原さん、ジェーンたちならどうにもなりませんし、どうでも良いんです。問題なのは、俺と、こいつが被ってしまった、という事にあるんです」
午前、九時五分過ぎ。
学ランを着た一人の少年が歩いていた。肩には竹刀袋を掛け、手には鞄を持っている。彼は今から、部活動に向かうつもりであった。
少年は既に遅刻の身である。同級に、遅れると連絡はしておいたが、遅刻は遅刻。ならば、どうせならと、彼は今いつもより歩くペースを緩めていた。今日は元部長が来る日だと聞いている。現部長と違い、あの人は非常に厳しいと、そう彼は認識していた。怒られるのは確実。嫌な事は後回しにしてしまうタイプの人間。
ズボンのポケットから携帯を取り出し、時刻を確認する。彼は少しばかり安堵した。この時間なら練習は始まったばかりだろう、と。
目的地へ近付くにつれ、彼の顔が少しずつ強張っていく。そろそろ、体育館が見えてくる。部活の皆の声が聞こえてくる筈だ。あの人の声は人一倍大きく、人一倍厳しい。ビクつきながらも、ゆっくりと歩を進めていく。
次の角を曲がれば、もうそこは。
「ん……?」
その時、彼は忘れ物に気付いた。
「……あれ?」
少年の歩が止まる。
忘れ物を、忘れた事に気付いた。何かを忘れたのは思い出せる。だが、何を忘れたのかが思い出せない。とりあえず、一度目的地に着いてからでも構わないだろう。そう考えた彼は再び歩き出す。
しかし、今度は足が動かない。
「おかしいな」
小声で自分の、今の状況を確認する。おかしい。おかしい。何かがおかしい。
なのに、何がおかしいのか分からない。
その場に数秒立ち止まった少年は、道を引き返した。
今日ばかりは、少年は自分の遅刻癖を有り難く思うべきだろう。
祭りが終わった後、残った者にどれだけ怨まれようとも。
少なくとも、彼は今日、宴に参加せずにすんだのだから。
一は後悔していた。
突き刺さる糸原の視線に晒されながら。
「ねえ、一。私の耳がおかしくなかったら、あんたの頭がおかしくなかったらの話なんだけど」
「……はい」
「何がどうなったら、魔法だなんて言葉が出てくるのかしら?」
先刻、『館』の現れる理由を説明する為に必要だと判断し、一は魔術の存在を明かした。ナコトから教わった事。ナコトは魔術を使えないが、使えるかも、そういう素養はあるという事。そして自分にも魔術が扱えるかもしれない素養が備わっていた事を明かしたのだ。
「あたしたちに備わっているのは、魔法ではなく、魔術の素養です」
「あんたは黙ってなさい。魔法も魔術もっ! どっちだって私には関係無いのよっ」
糸原は椅子から立ち上がって、一の胸倉を掴んでいる状態。いつでも、好きなように出来る状態。
「本当なのね?」
「どうやら、そうみたいです」
甲高い音がバックルームに響く。
「何で、私に言わなかったのよ?」
「……必要無いと、そう思ったからです」
事実、今日の今日まで大した事は起こらなかった。
「私には言いたくなかったって事ね」
「んな事は……」
甲高い音がバックルームに響く。
「……てえ……」
一は叩かれた頬を摩ってやりたかったが、この状況ではどうしようもない。第一、言いたくなかったのは。この人だけでなく、言えなかったのは。
「……心配とか、掛けたくなかったから……」
甲高い音がバックルームに響く。
「心配掛けた後に言わないでよ、馬鹿っ」
糸原は一の頬を三発打った後、愛おしそうに彼の頬を撫でた。
「酷いアメとムチを見た気がします……」
聞こえてくるナコトの呟きに、一は賛同せざるを得ない。
結局、頬が腫れて喋りづらくなった一の代わりをナコトが務める事になった。
「おさらいします。この店には頭の良くない人が多いですからね。まず、魔女が動く理由。『館』は仲間を勤務外に殺されたので、復讐に乗り出しています。その矛先、勤務外への罠の有効性はご理解しているかと。次に、その罠は学校に仕掛けられている事。あたしたちが夢で見たのが何よりの証拠です。そして先程、そこの役立たずさんが説明しようとしていた、夢が何故証拠となり得るのか、魔女と魔術の関係性」
一は恥ずかしくなって顔を背ける。
「魔術についての信頼性は、皆さん良くお分かり頂けたようで」
ナコトは店長と糸原に視線を遣ってから、咳払いを一つ。
「あたしたちは今現在魔術を使えませんが、使えるようになるかもしれない。稀有な素質を持っています。ですが、ここで勘違いして欲しくないのが、魔術とは魔法と似て非なるモノだという事です」
「同じにしか見えないし聞こえないし思えないんだけどー?」
「……魔術と魔法の決定的な違いは、格です。圧倒的なまでに、力の差が歴然としています」
「ふーん、どっちが上なのよ?」
糸原の茶々にも、ナコトは屈しない。
「残念ながら、魔術の方が劣っています。名からも推測出来ますが、魔術とはあくまで術なのです。この世の中で、人が身に付けることの出来る、ギリギリの線上での魔の力」
一は今更ながら、魔術の意味を知った。
「そして、口にするだけでも憎らしいのですが、魔法についてです。魔法、すなわち、魔の法です。人が身に付ける力なんて馬鹿らしくなってしまうくらい、馬鹿になった方がマシなくらいの、絶対的な、法外な魔の法則。法律と言っても良いでしょう。魔法とは、ある種一つのルールなのですから」
「法、か」
沈黙を守っていた店長が、意味ありげに口を開く。
「海苔、ですか?」
「一、お前が思っているのりとは違う。国語の授業をするつもりは無いが、宣る、だ。神仏からの意を告げ、知らせるの意味を持つ動詞だな。つまり法とは、昔は神や仏の宣告を指していたんだ。人の持つ術と、神の決める法。どちらが上なのか、まともに教育を受けていれば比べるまでも無い事だとは思わんか?」
「……まだ教育を受けている途中なんで」
店長は喉の奥で、噛み殺すように笑った。
「魔術と魔法の違いも分かりましたね? まあ、しかし、分からない人から見れば、二つを一つに纏めたとしても問題ないくらいの、些細な違いではありますが」
「黄衣、前置きが長いぞ」
「あなたが喋ると空気が濁るので、口を開けるのは控えて下さい。……現に、魔術と魔法はやはり似ていますから。両方、力の大小はあれ魔の力を行使していますからね。ここで何故、あたしたちが夢を見て、その夢の内容が『館』絡みであるのか説明出来ますね。あたしたち魔術師……見習いが悪夢を見、痛みに苛まれた理由」
ナコトは話を続けながら頭に手を遣る。やはり、一と同じくまだ痛みが続いているのだろう。
「魔術は、魔法の影響を受けやすいのです。力の無いモノは力の有るモノに反応し、影響され、場合によれば淘汰されます。今回は、『館』がこの街で魔法を発動した事により、この街にいた魔術の素養を持つ者、つまり、あたしたちが影響を受けた訳です」
「じゃあさ、それって他にも頭が痛くなったりした人がいたってワケ?」
「恐らくは。フリーランスや勤務外の中には素養を持つ者もいると聞きますしね。この街の人口は把握していませんが、あたしたち二人だけ、という訳では無いでしょう。しかし、影響を受け、行動に移せる者は限られています。なんせ、相手が『館』なのですから」
ナコトはちらりと店長を見遣る。
「……誰かさんが来てから、最近は望まない客ばかり増えるな」
「俺の事言ってるんだったら、筋違いですよ?」
一は弁解してみた。
「話を反らさないで下さい。あたしの話、理解していますか?」
「分かってるって。俺が酷い目に遭ったのは『館』の所為って話だろ?」
「あなたを主軸に据えた話は一度もしていません。これからもしません。まだ、残っている疑問があなたたちにはある筈ですよ?」
やれやれ、と。ナコトは自分の頭に手を置く。
「なら聞くけど、魔術が魔法の影響を受けるってのはまあ、納得しとく。で、なんだけど。夢を見たのと、体が痛くなったの。どっちの割合がでかいんだ?」
一はこれから先、起こるかもしれない不安は解消しておきたかった。根本的には解消出来ないが、心構えぐらいは出来る。心か、体か。どちらか。
「……嫌な質問ですね」
「疑問を口にしただけだ」
「良いでしょう。魔法が発動され、あたしたち魔術の素養を持つ者が影響を受けるのは、体ではなく心です。ですから、魔法からの影響は悪夢のみ、です。では何故体が痛んだのか。『館』の側に立って考えれば分かる事なのですが、彼女らは紛れも無く、本物の魔女なのです。人間を軽々と超えてしまった存在、そう言っても過言ではありません。上位の魔法を使えば、下位の魔術が影響を受ける。彼女らがそれを知らない筈はありません」
「あー、つまり?」
一はついつい合いの手を入れてしまった。どうにも、ナコトの説明は要領を得ないというか。得てくれない。説明が好きなのだろうか、話が長いのだ。
ふと、もう一人話が好きな人物を思い出してしまい、一は慌ててその想像を振り払う。
「つまり、かなり手の込んだ嫌がらせでしょうね。自分達よりレベルの低い魔術師が苦しむのを見て笑っているのでしょう」
「……なんつーか、一般もフリーランスも変わんないのね」
糸原は気が抜けたように呟く。
「なら、お前らが見た夢とは予知夢の様な物か」
「その考えで間違いは無いと思いますが、言わば、今回のは、そうですね、指名手配のビラの様な物でしょうね」
ナコトは面倒臭そうに肩を落とした。
「ビラ? 挑戦状の間違いじゃねえの?」
「いえ、だって出すべき相手が分からないんじゃ、挑戦状の出し様が無いでしょう」
「……いや、だって……」
一は呆気に取られる。その魔女を殺したのは北駒台店のナナで、引いては北駒台の勤務外が殺したのだ。つまり、『館』は自分達を狙っている。そう、言った筈だ。
「『館』は俺たち勤務外を狙ってるんだろ?」
「あたし、そんな事言いましたっけ」
「……いっ、言ったじゃねえか!」
「ああ、今までのは、あくまで仮定の話のつもりだったんですけど」
ナコトの口調は、もはや白々しい領域に入っていた。
「あたしは最初、魔女を殺したのはこの店の勤務外だとは思ってました。だって、『館』を敵に回すフリーランスなんていませんし、魔女を殺せるソレなんて殆どいないでしょうからね」
「まあ、その通りといえばその通りだな」
店長は平然としている。その事が、一には信じられなかった。
「鎌を掛けてみれば、あっさり白状したので驚きましたけど。あたしが『館』だったら、あなた、死んでましたよ」
ナコトは一を指差す。
「てめえ、さっきまでの話は何だったんだよ!」
「……急に元気になって、何か良い事でもあったんですか? 例えば、ポケットに十円玉が入っていたとか」
「俺はそんなに安くねえよっ」
五十円玉ならちょっと嬉しいお年頃。
「うるさい人ですね。さっきの話は、あたし程度でも思いつく話です。なら、『館』だってそれ位は考えているでしょう。あたしは忠告に来たんですよ。魔女が狙っているから気を付けろ、って」
「……確かに、そうだけど」
もし、本当にナコトが『館』ならば。一は想像し、身震いした。そして、次がある事に感謝する。
「『館』だって勤務外が犯人だと気付いていると思いますが、まだ、その勤務外が誰かを特定出来ていないんです」
「……断言、出来るのかよ」
「犯人を見つけていれば、こんな回りくどい事しないでしょう。相手が一人なら、二人以上で囲めば良いだけですから」
暴論だが、正論でもある。
「要するに、罠自体が撒き餌でもあるという事だ。向こうは仇が誰か分からん、だから罠を張って、来た勤務外を手当たり次第に仕留めるつもりなんだろう」
「……だったら、罠なんて張らずに店まで来れば良いのに」
自分で言ってみてから、一は少し恐くなる。
「正面からやり合うのは『館』の苦手分野ですから。魔法が使えるとはいえ、単純な力比べではあなたたちに軍配が上がります」
ナコトの発言に一は安心した。
「まあ、力比べにはなりそうにありませんけど。『館』が罠を仕掛けているのは確実で、あなたたちの誰かが罠に飛び込むのも確実なので。一度向こうに飛び込めば完全にアウェイですから。どうしようもなく殺されちゃうでしょうね」
ナコトは軽く笑った。
店長は笑っていなかった。
「……黄衣、今までの話だがな。確かに興味深く、役立った」
「それはどうも」
「で、だ。そろそろ教えてはくれないか?」
「何を、ですか?」
店長は煙草に火を点け、美味そうに煙を吸い込む。
「お前が、『館』のメンバーなのかどうかを、だ」
ナコトは、黙り込む。一も、糸原も。
ただ、店長の吐き出した紫煙だけが、バックルームの沈黙を埋めるように漂っていた。