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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
がしゃどくろ
88/328

骨が折れる

 午前六時三十分。()の朝はこの時間から始まる。

 目覚ましなど使わずとも、この時間に目が覚めるのだ。

「兄さーん!」

 一階から聞こえてくる、間延びした声。そして、彼が返事しない事を分かりきっているのか、声の主はけたたましく、わざとらしく音を立てて階段を上る。

「朝ですよ!」

 ノックもしないで、声の主はドアを開いた。隙間風が室内に通り、部屋の気温を下げていく。

 声の主はまだ少女の様相であった。薄く茶掛かったショートヘアの、その両脇に白いリボンを付けている。そして服装は北駒台高校の、女子の制服。

「……寒い」

「冬ですから。さあ、兄さん起きて。ご飯が冷めちゃいますよ?」

「まだ早いだろ……」

「早くありません!」

 顔まで布団を被り、彼は声を遮った。

「もうっ」

「ああっ」

 布団を捲くられる。名残惜しい温かさが消えていき、寝間着だった彼に冷たさが襲い掛かった。いやが上にも、朝だと言う事を思い知らされる。

「……毎度毎度起こしにきやがって」

「兄さんが起きないからでしょ? それとも、兄さんは遅刻してしまっても良いんですか?」

「良くないけど……」

 彼は立ち上がり、あくびを一つ。

「もう父さんと母さんは仕事に行っちゃいましたよ。私達もご飯食べて、学校に行きましょう」

「あの二人が早過ぎるんだよ……。学校なんてもっと遅くに出ても間に合うだろ」

「駄目です。しっかり朝ごはんを食べて、元気良く学校に行きましょう」

 そう言うと、彼女はドアを閉めずに部屋から出て行ってしまう。

「閉めてけ!」

「ごめんなさーい」

「くそう」

 兄としての威厳が薄れつつある。彼は静かな不安を覚えた。



 こうして、彼こと、神野剣(かんの けん)の一日は始まる。



 身支度を済まし、一階のリビングに下りてきた神野の鼻腔を、芳ばしい香りがくすぐった。

「お、良い匂いじゃん」

 制服のボタンを閉めながら、神野は自分の席に座る。テレビを点け、適当なニュースを適当に流し、適当に頭に詰め込む。

「トーストとスクランブルエッグです。簡単な物ですけど」

 そう言いながら、彼女こと、神野剣の一つ下の妹、神野姫(かんの ひめ)は神野の傍まで湯気が立ったばかりのコーヒーのカップを差し出した。

「ありがとう。って、またコーヒーかよ……」

「だったら兄さんが私より先に起きて、準備して下さい」

「美味そうだけど、やっぱり和食の方が良いな。なあ、姫、和食も覚えろよ。せめて味噌汁だけでも良いからさあ」

「朝からお味噌汁なんて、手間が掛かるから嫌です」

 トーストに苺のジャムを乗せながら、姫はリモコンに手を伸ばし、電源を落とす。

「……何で切るんだよ。俺、見てたんだけど?」

「駄目です。父さん達が居なくても、食事中にテレビは見ないで下さい」

「父さん達が居ないから、少しは息を抜けるってのにさ」

 お前は真面目だな。そう言って、神野は何も付けていないトーストを齧った。

「それ、ジャムも付けてないけど、美味しいんですか?」

「パンは何付けてもパンだよ。俺は、やっぱり米が良い」

「もう、拗ねないで下さいよ。明日は和食にしてあげますから」

 姫はくすくすと、静かに微笑む。

「拗ねてねえよ。それよりお前さ、学校で上手くやってるか?」

「兄さんったら、父さんと同じ事聞くんですね」

「う、そうか。気を付ける」

「良いですけどね。大丈夫、ちゃんとやってますよ」

「まあ、姫は外面が良いからな。皆騙されてくれてるだろ」

 神野はそう言って笑って、思い切り顔をしかめた。

「痛え! 爪先を踏むな!」

「あら、ごめんなさい兄さん、足が滑っちゃって……」

 神野の対面に座る姫は、視線を逸らしながらわざとらしく口元を手で覆う。

「お前さ、最近俺の事兄貴と思ってないだろ……」

「そんな事ありませんよ。兄さんは兄さんじゃないですか」

「……言っとくけど、俺はその笑顔に騙されないからな」

「ふふ、そうでした」

 実に和やかで、いつも通りの神野家の朝だった。



 午前六時三十分。()の朝はここで終わる。

「三森さーん、勝手に上がらないで下さいよー」

「うるせェ。私がいつ上がろうが、私の勝手だろうが」

 オンリーワン北駒台店のバックルームに、彼こと、一一(にのまえ はじめ)の情けない声が響く。

「俺が外掃除行ってる時は、ちゃんとレジ見てて下さいって言ったじゃないですか」

「だから見てたっての」

「監視カメラの映像で見ててもしょうがないでしょう!」

「朝からガタガタ抜かすンじゃねェよ」

「誰のせいだと思ってるんですかっ」

 憤る一を尻目に、三森は煙草に火を点けながら、椅子に腰掛けた。

「朝から元気だな、一。そんなお前に仕事がある」

 椅子に座ったまま、二人の様子を見ていた店長が一を手招きする。

「……仕事なら、今終わったばかりなんですけど」

「追加だ。喜べ勤労者。この時代に職にありつける、素晴らしさを噛み締めろ」

「はいはい、なんですか」

 差し出されたのはまっさらな紙切れ一枚。

「これで、何をしろと?」

「シフト表だ。ウチも人数が増えてきたんでな、しっかりした物を組み立てたくなった」

「はあ、どうぞご自由に組み立ててくださいよ」

「組み立てるのはお前だ、一」

「何でだよ!?」

 今日も、一は朝から元気だった。

「勿論、私も一度は考えた。だが途中で面倒臭くなった」

「うわあ、誰だよこの人を店長にさせたの……」

「一人ひとりの要望を聞いて、反映させるのも面倒だ。最近では字を書くことすら億劫になって来たんでな。一、よろしく頼む」

「生きるのも面倒になってきませんかね?」

 一は遠まわしに死ねと伝えてみる。

「あ、いかんな。急にお前の給料を払うのが面倒になって来た……」

「三森さーん、シフトの都合をお伺いしまーす」

「あァ? 知るかよ、ンなの。勝手にやれや」

 ぷかあ、と。紫煙を吐きながら、三森は店内から持ち出してきた女性誌に目を落とした。

「そういうの、一番困るんですけど。じゃあ毎日シフトに入れるけど、良いんですか?」

「良い訳ねェだろ。骨バキバキに砕くぞてめェ」

「だったら希望言って下さい。今なら早い者勝ちですよ。出来る限り、三森さんを優先しますから」

「へえ? じゃあ休み多めにくれよ。出来れば七連休ぐらい」

 三森は笑いながら、そんな冗談を口にする。

「……それじゃシフトに組み込めませんよ。何か、他に、希望する時間帯とか……」

「深夜は嫌だな。眠いから。早朝も昼間も嫌だ。昼まで寝ててェからな」

「わがままな……。なら、夕方という事で良いんですね」

「嫌だ。再放送のドラマが見てェ」

「…………分かりました」

 一は渡された紙切れに、静かに文字を書き込み始めた。

「三森さんは、二度とこの店に近付かないって事で」

「おいおい、冗談じゃねェか。怒るンじゃねーよ」

 げらげらと笑いながら謝る三森を見て、一の堪忍袋に穴が空き始める。

「だったらもう少し真面目に考えて下さいよ……」

「悪かった、悪かったって。そうだな、じゃあ、私は後で良いからよ」

「……後で? それじゃ土日とか、微妙な所になっちゃいますよ」

「別に構いやしねェよ。そンなら、別の奴とか、お前が好きなとこ選べ」

「はあ……」

 一は曖昧に頷いた。何か、気味が悪い。

「三森さん」

「あンだよ?」

「三森さんって、優しいですね」

 少し間が空いた後、いつも通りの三森の怒声が聞こえ、その陰で店長がくつくつと笑う。

 実に和やかで、いつも通りの北駒台店の朝だった。



 部屋に帰ってきた一はすぐに布団に飛び込んだ。

「うー……」

「何よ。今集中してるんだから、気持ち悪い声出さないで」

 こたつに入ったまま、何かに熱中している糸原は、非難の声を一に浴びせる。

「……何、やってんですか?」

「ゲーム」

 短い答えが返ってきた。成る程、携帯ゲームかと、一は納得する。

「あれ? でも、そんなの持ってましたっけ?」

(カモ)から巻き上げたのよ。あのオッサン、金は無いくせに色んな物置いてるから。借金の肩代わりね」

「ふーん。糸原さん、滅茶苦茶画面に顔が寄ってますけど、面白いんですか?」

 食い入る様に画面を見つめながら、糸原はやはり短く「うん」と返した。

「ひたすらモンスター殺しまくるゲームだけどね」

「そんなにモンスター殺してどうするんですか」

「皮剥いで、そいで装備強くすんのよ。そんでまた違うモンスター殺して、装備作って……」

「……それ、本当に面白いんですか?」

 唯の作業じゃないですか。一はそう付け加え、自分よりも年上であろう糸原が、ゲームにのめり込む姿を物悲しい目つきで見つめる。

「この、やらされてるっていう、作業プレイ感が良いのよ」

「だったらコンビニでの作業もちゃんとやって貰えませんかね」

「嫌よ。あんたの皮剥いでもろくな装備作れやしないし」

「俺はモンスターですか……」

 枕に顔を埋め、一は襲い掛かる睡魔に身を委ねた。

「そうよ、あんたなんてモンス――ああああああああああああ!」

「うわっ」

 突然の大声に、一の体がビクリと震える。

「ちょ、うるさいですってば」

「ああああ、死んじゃった……。後少しで倒せそうだったのに……」

 糸原はゲーム機を放り投げ、畜生とか罵声を吐きつつ倒れ込んだ。

「ん」

 物珍しさも手伝って、一は何気なくそのゲーム機を手に取り、画面を覗く。見れば、鎧武者の様な男が、馬鹿みたいな大きさをしたトカゲ型のモンスターに軽々と吹っ飛ばされていた。

「あはは、糸原さんってゲーム下手なんですね」

「うるっさいわね、そいつが弱いのよ……」

 やがて画面が暗くなり、ゲームオーバーを告げる画面が表示される。


『にのまえ はじめ は 死んだ』


「何で俺の名前!?」

 一は思わず叫んだ。まさか、自分の名前が、勝手にゲームのキャラクターの名前に使われているとは思いもしなかった。

「あー? そのゲームさー、名前考えなきゃ駄目だったから。適当に決めたのよ」

「あ、ああ、びっくりした」

 糸原はのそりとこたつから這い出て、一の手からゲーム機を奪い取る。

「ちょっと、画面に指紋付けないでよ。あー、腹立つ。今から罰ゲーム開始なんだから。にのまえを裸にして、さっきのトカゲに突っ込ませて何度も殺す様を楽しんでやる」

「止めて! にのまえを苛めないで!」

「へへへ、ほーらほら、兜脱がしちゃうよー。お次はかたびらだー、ほーれびらびらびらー」

 滅茶苦茶楽しそうだったので、一はもう何も言わない事にした。

「あ。そうだ、糸原さん、バイトのシフトに何か注文とかあります?」

「ひゃひゃひゃひゃひゃ」

「聞いて下さいよ!」

「ひゃ……、え、何? 急に現実に戻さないでよ。テンションガタ落ちじゃない」

 糸原は手を止め、こたつに体を突っ伏す。

「だから、シフトの希望日とか、入りたい時間帯とか、あります?」

「うーん。そうねえ……」

「七連休が欲しいとか、夜勤は眠いから嫌だとか言ったら怒りますからね」

「ななれ――そうね、別にバイト以外してる訳じゃないから特に希望は無いんだけど」

 そこで糸原は、体を反らして、一に悪戯っぽく笑いかけた。

「どうせなら、あんたと一緒のシフトが良いな」

「……そんな事言って、楽するつもりでしょ」

 一はポケットに突っ込んだままだった、まだ白紙のシフト表を広げ、糸原から、少し視線をずらす。

「えへへー」

「片目閉じて舌を出すな。……まあ、分かりましたよ。特に希望も無いみたいですし、こっちで適当に考えます」

「んー、よろしくー」

 シフト表を広げたまま、一は色々と考えを巡らしていて、いつの間にか、眠ってしまっていた。



 顔に重みを感じて目を開けると、目の前に白い何かが乗っかっていた。一はそれを払い除け、寝返りを打つ。

「……ん」

 そう言えば、今は何時だろう。顔だけを動かして、壁に掛かった時計に目を凝らせば、もう昼を回っていた。

「お腹減った」

 よろよろと立ち上がり、先程払い除けた物が目に入る。それはスーパーかコンビニのビニールの袋だった。しゃがみ込み、袋を逆さにして中身を確認する。

「畜生」

 カップ麺、の空容器が二つ。おにぎりとパンの包装紙が二つずつ。それとレシートが一枚。そのレシートの裏には、殴り書きで『おなかなぐっても起きなかったから全部食べちゃった☆』と残されていた。

 そう言われれば、腹部に何か鈍痛が残っている感覚がする。一は自分の鈍感さを憎んだ。

「仕方ない……」

 恨めしく呟き、一は買出しに行く事を決める。ついでに、病院にも寄っていこうと、そう思った。



 自分の分の昼食と、お見舞い用の果物を買ってから、一は病院に足を運んだ。

 オンリーワンの関係者が利用する、近畿支部医療部が在籍する、信頼の置ける病院。

「すみません、見舞いなんですけど、山田栞(やまだ しおり)さんの病室はどちらか分かりますか?」

 玄関を潜り、受付にそう尋ねる。一は前にも来た事があった。ここには、見舞いにも、入院にも。

「山田さん、ですか?」

「……?」

 係の女性は微妙な表情で一に聞き返してきた。

「えっと、こちらで入院しているって聞いてるんですけど……」

「おかしいですね……、……山田なんて方、一人だってここには入院していない様ですけど」

「ええ?」

 そんな筈は無い。店長から確かにそう聞いていたし、フリーランスなんてある意味面倒な患者をここ以外で引き取るとも一には思えなかった。

「もしかして、退院してるとか……」

 だが、あの時の山田は重傷だった。そう簡単に治って、退院出来る筈も無い。


「あら、はじめちゃんじゃない」


 聞き慣れない、自分を呼ぶ声に一は振り返る。ナース服姿の、優しい雰囲気を漂わせた女性がそこにいた。見覚えがある、どころか。

「……炉辺(ろばた)さん?」

「あ、お早うございます」

 受付の女性は炉辺の姿を確認して頭を下げる。

「はい、お早うー、お仕事ご苦労様。はじめちゃんも久しぶりね、今日はどうしたの? もしかして怪我? 駄目よー、気を付けなきゃ」

「あ、えーと、じゃなくて、今日はお見舞いに来たんです」

 その言葉を聴いた瞬間、炉辺の顔がぱあっと輝いた。

「もしかして、しおりちゃんの!?」

「……そうです」

 どうして、この人はこんなに喜んでいるんだろう。一は不思議に思う。

「あ、で、でも。山田栞なんて人、ここに入院はしていないらしくて……」

「うふふ、そうだったの。大丈夫よ、しおりちゃん、ちゃんとこの病院にいるから」

 一は首を傾げた。

「それじゃ、案内してあげるからついといで」

 炉辺は元気良く、スキップでも踏みそうなぐらい楽しげに歩き出す。

「え、あの、ちょっと」

 一も慌てて、彼女の後を追いかけた。



 辿り着いたのは、病院内の奥まった場所にある個室だった。

「ここよー、それじゃ、お姉さんは退散するからごゆっくりー」

「え? あ、あのちょっとっ」

 なんて騒がしい人なんだろう。一は騙されている可能性も考慮し、病室前に掛けられたプレートを確認する。

「……あの人は……」

 思わず、頭を抱えた。


一栞(にのまえ しおり)


 と、そう、プレートには書かれていた。

「失礼します……」

 ノックをして、返事は待たずに一は病室の扉を開ける。

「誰だー?」

 カーテンの引かれたベッド越しから、あの(・・)男前な声が聞こえてきたので、一は一先ず安心した。

「俺です、一です。お見舞いに来ましたー」

「なっ……!」

 カーテン越しでも、山田の、あからさまにうろたえた様子が分かる。

「どうしてお前が来るんだよっ!」

「いや、どうしてって……来ちゃ駄目でしたか?」

 確かに山田とは、あの日の最後にあまり良い別れをしたとは言えない。嫌われてしまったのだろうか。一は長い溜め息を吐いた。

「じゃあ、ごめんなさい。ここに果物置いていくんで、良かったら召し上がって下さい。それじゃ」

「ばっ、馬鹿! 馬鹿かお前! 帰るな、帰ったらぶん殴るぞ!」

「……う、分かりました」

 一は部屋の隅に立て掛けてあるパイプ椅子を手に取り、山田の居るベッドへと近付いていく。

「ちょっと待て。来ても良いけどよ、カーテンは開けんじゃねえぞ」

「へ? どうしてですか?」

「どうしてもこうしてもねえよ。オレが駄目だって言ったら駄目なんだ。分かったか?」

「はあ……」

 仕方ない。一はパイプ椅子を組み立て、ベッドの傍に椅子を置き、腰を下ろした。最初になんと声を掛けようが迷ったが、

「表のプレートはなんですか?」

 まず、それを尋ねてみる。

「……ん、アレか」

「そう、アレです」

 糸原といい、立花といい、最近、自分の名前を勝手に使う奴が多すぎる。一は少しだけ気にしていたのだ。

(はじめ)、お前には話してたよな。オレが自分の苗字が嫌いだって事をよ」

「あー、やま――」

「――言ったら殴るぞ」

 ごほん、と。一は寒々しい咳払いを繰り出す。

「……ええ、そうでしたっけね。で?」

「おう。フルネームを聞かれたんで、お前の苗字を借りてみた」

 だからか。だからなのか。炉辺の、あの嬉しそうな態度。

「絶対誤解されるじゃないですか……」

「まあ、それもアリだろ」

「何がアリなんですかっ」

「かはは、冗談だよ、冗談。おう、冗談だ……」

 何度も言うな。一は頭が痛くなってきた。

「はあ、もう良いですけど。それよか栞さん、体の調子はどうなんですか?」

「あー、骨が折れてて内臓が潰れてたらしいな。一時はやばかったが、今は大丈夫だ。精々、ゆっくり養生させてもらうぜ」

「……良かった。本当にもう、あの人手加減してたんですかね」

 今頃はゲームに興じている同居人を、一は思い出す。

「……あの人、なんて呼んでるってこたあ、一、上手くやったんだな」

「上手くは、無かったと思いますけどね。でも、お陰さまで何とか」

「かはは、そりゃ失敗しちまったな。損したのはオレだけか」

 一は言葉に詰まってしまう。でも、何か言いたい。言ってあげたい。少しでも、彼女の心を癒し、支える事が出来るのなら。それがせめてもの恩返しだろうと、一は考えた。

「あ、あの……」

「おい、慰めならいらねえぜ。好きだった奴が死んだって損してもよ、得た物だってオレにゃあるんだ。だから、一は気にすんなよ」

「……やっぱり、大切な人だったんですね、追っ掛けてた人の事」

「あ? だからあん時、ビルでそう言ったろ?」

 山田は一を馬鹿にするように、豪快に笑う。

「いや、それは今初めて聞いたんですけど。だって結局、俺は答えを貰ってませんでしたからね」

「……あ」

 笑いが止まった。

「栞さん、誰か別の人に話したんじゃないですか? それを俺と勘違いしてた、とか」

「ぐ……」

「そっかー、好きだったのかー。予想はしてたんですけど、実は意外だったり。あっはっは」

「わっ、笑うな馬鹿!」

 カーテンの向こうから、ジュースの空き缶が飛んでくる。一は椅子から立ち上がり、それを避け、律儀にも拾った。

「少しぐらいは弄ったって良いじゃないですか。俺なんて、多分この先、ここに来る度に炉辺さんにニヤニヤされちゃうんですよ」

「男だったら我慢しろ」

「はい、はい、と。……でも、得た物もあったんでしょ?」

「ん、まあ、な」

「何を得たんですか? 教えて下さいよ」

 一はちょっと楽しくなっている。基本的に、あの店ではからかわれ、遊ばれる立場に居るので、こうして他人をおちょくるのは中々に新鮮なものがあった。

「……駄目に決まってんだろ」

「良いじゃないですか。別に俺は取ったりしませんよ。だから教えて下さい、減るものじゃなし」

「駄目だ。減るかもしんねえからな」

「分かりましたよ、だったらこうしましょう。交換条件です。栞さんがそれを教える代わりに、俺も何か一つだけ質問を受け付けますから。しかも、俺が先に答えます。どうです、破格でしょう?」

 物凄い詭弁だった。

「何言われたって、嫌なものは嫌だからな」

「強情ですね。ほらほら、我慢は体に毒ですよー」

「一、調子乗るなよ」

「はい」

 口調が怖かったので、一は素直に頷いた。カーテン越しなので、山田に見えているかどうかすら関係なく首を振る。

「……とにかく、駄目な物は駄目だ。他の話なら聞かせてやっからよ」

「うーん、かと言って、特に聞きたい話なんて別に――」

「――あるよな?」

「……あ、じゃあやっぱり、話は良いですから顔を見せて下さいよ」

 こうして再会したのだから、やはりカーテン越しでの会話は寂しい。数日とは言え、一にとって栞は打倒八岐大蛇を成し遂げた相棒なのだ。

「そっ、それも駄目だっ」

 だが、山田は頑なに拒む。

「もしかして、顔が無茶苦茶になってるとか……」

「馬鹿! そんな訳あるかっ、大体だな、んな事は思ってても口にすんじゃねえ!」

「他に見せられない理由があると?」

 山田は答えない。

 一は何だか、空しくなってしまったし、お腹も減ってきた。

「まあ、栞さんが元気だって分かりましたし、今日の所はこの辺で」

「なっ、馬鹿っ、帰ったら殴るって言ったろうが!」

「……じゃあいつまで居ろって言うんですか。俺にだって色々とあるんですからね」

「知るか。ずっと居ろ」

 それじゃあ唯の入院患者だ。一はビニール袋をぶら提げて、椅子から立ち上がる。

「また、今度来ますから」

 歩き出し、扉の前まで一が来た所で、

「分かった。見せるから」

 山田のか細い声が聞こえてきた。

「だから、もうちょっとだけ話しようぜ。正直暇なんだよ。この街にゃ知り合いもいねえしな」

 一は黙って、立て掛けかけたパイプ椅子を握り直し、ベッドの傍まで持っていく。

「冗談ですよ。そんなに嫌なら、カーテン越しでも良いですから。それじゃ、何の話をしますかね」

「い、いや、嫌なんじゃなくて、だな……」

「栞さんにしては、男らしくない物言いですね」

「……男だったら、自分の発言には責任を持つものだよな?」

 冗談です。一は笑って誤魔化した。

「とにかく、嫌じゃない。嫌じゃないんだけど、その、笑うなよ?」

「笑うわけ無いじゃないですか、そいじゃ開けますよ」

「うわっ馬鹿! 心の準備がっ」

 もう面倒臭くなったので、一はカーテンを一気に引いてやる。そこにはベッドと、パジャマを着た山田と、幾つかの雑誌類があるだけだった。

「って、別になんともないじゃないですか」

 一は内心ほっとする。もし、本当に山田に何かあったらどうしようかと考えてもいたのだ。

「……………………」

 一方の山田は無言で顔を伏せている。心なし、顔を赤くさせていた。

「栞さん? どうしたんですか、熱でも?」

「うっ、うるせえ! やっぱり見るな!」

「別におかしなところなんて……」

 そう言って、一は改めて山田を観察する。高い背、短い銀髪、ピンクのパジャマ。前に見た時と何一つ――。

「あ」

 一つだけ、違った。

「ああ、巫女さんの服じゃ無いって事ですか」

「……悪いかよ」

 山田はジャージを異様に毛嫌いしていた、というか、巫女装束以外の服装を拒絶していた節があったのを一は思い出す。

「前にも言いましたけど、ジャージやパジャマは変な格好では無いんですよ?」

「オレには似合わねえんだよっ」

「そうかな……、こんなに可愛いのに。栞さん、鏡とか見ました?」

「な、なっ?」

 確かに、山田には巫女装束が良く似合っていて、今着ているパジャマ姿が珍しい格好ではあったが、一にはそんな事気にならなかった。

「ん?」

 ふと、一は山田のパジャマの、胸元に目を遣る。

「あ、何だか可愛い兎もプリントされてるじゃないですか、すっげえ可愛いですよ、それ、栞さん」

「かっ、帰れぇ!」

 真赤になった山田の拳を腹に食らい、一は『く』の字に折れ曲がった。何だか懐かしいなあ。なんて思いながら、意識が薄れていくのをぼんやりと感じて。

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