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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
マナナンガル
86/328

DOLLは静かに笑う

 昼には女の形をして、夜には魔に姿を変える生き物。女と魔。どちらが真実なのか、あるいはどちらも真実なのかもしれない。そも、往々にして女は魔を含むモノなのだ。

 ――魔女。

 真実は分からない。真実などあって無いような、不確かで曖昧で。

 それでも一つだけ、確かな事がある。それの正体が女であれ魔であれ魔女であれ、姿形を見た者は誰彼口々に揃えてこう言うのだろう。

 ――化け物。

 そう、言うに決まっていて、化け物はいつだって鏖殺(ころさ)れ、魔女はどうしたって狩られるのが、この世の常だ。



 俄かには信じられず、確かには飲み込めない事実。

「…………」

 一たちの目の前で微笑を絶やさない彼女、どこからどう見ても、ただの人間のナナが、人間でない、事実。

「本当に、人間じゃない?」

「はい。私はオートマータでございます」

 一の再三の問いにも笑顔を崩さず、ナナは綺麗にお辞儀する。

「まっ、ありえねェ話じゃねーな」

 茫然とする一を尻目に、三森は笑った。

「テクノロジーの無駄遣いね」

 べたべたと。糸原はナナの全身をためつすがめつ眺め、僅かに露出した肌を遠慮なく触り続ける。

「髪だってサラサラだし、肌だってモチモチだし、……割と、スタイル良いし」

「ありがとうございます。私のコンセプトは人間より人間らしく、そう作られましたから、糸原さんの様に言って頂けると、とても嬉しいです」

「うん。その辺の女より可愛いわよ。その辺の赤いジャージの奴より可愛い」

「黙れ黒スーツ。てめェは言う事全部胡散臭いンだよ」

「……ですが」

「ん?」

 睨み合う二人へ遠慮深く視線を向けながら、ナナは俯いた。

「お二人とも、美人のカテゴリに入るかと思いますよ」

「……なンだって」

「あら、あらあら、あんた、可愛い上にお世辞も上手いのねー」

「いえ、そのような事は……」

 可愛いと言われ、躊躇いがちに顔を上げるナナの挙動は、誰がどう言おうが、人間そのものだと、一はハッキリと認識する。

「ねえ、じゃアタシは? アタシもビューティー?」

「……ゴーウェストさんは……」

「ミツモリとイトハラが美人なら、アタシだってソウよネ!」

 ずい、と。ジェーンはナナにプレッシャーを掛けていく。

「ゴーウェストさんはまだ美人、では無いかと」

「オーマイゴッド!」

 一はうな垂れるジェーンの肩を叩き、

「ノーと言える日本人は好きって言ってたろ?」

 曖昧な微笑を浮かべた。

「おせちも言えないヤツは嫌いなノ!」

「はいはい、お世辞な、お世辞」

「あの……、私はゴーウェストさんが美人では無いと、そう言った訳ではありません」

 意気消沈するジェーンへ、申し訳無さそうに、ナナは口を開く。

「……じゃあ、どういうワケなのヨ?」

「ゴーウェストさんはまだ若い方です。でも、将来、必ず美人になりますよ。今はまだ。私はそのつもりで言ったのですが、ご気分を害してしまったようで……」

「……う」

 一たちには、瞼を閉じ、顔を伏せるナナの姿がやけに痛ましく映った。

「ま、まあ、ソウいうつもりなら、良いんだけど……」

「そう、ですか。良かった……」

「ねえねえ、だったらボクは!?」

「立花さん、は……」


 ――ジリリリリリリ!


 ハッ、と。バックルームに居た全員が息を呑む。ここで、オンリーワンにおいて電話が鳴る意味。その意味を、全員が理解していた。

「ミーティングも一旦お開きだな」

 鳴り響く電話を注視する一同を見回した後、店長は余裕たっぷりに受話器を手にする。

「私だ」

 店長は口元を愉しげに歪め、まだ名乗りもしていない相手へ、それだけ口にした。



 駒台の街。

 陽はとうに落ち、暗くなりつつある路地を街灯が照らしている。風は吹いていないが、人通りの殆ど無い道はどことなく、寒い。

「何よ……」

 腹が立った。

 通話を終えた彼女がまず感じたのは、怒り。

「……何なのよっ」

 声を潜めて、憤りをぶちまける。握り締めた携帯電話はミシミシと嫌な音を立てていた。

 店長だ、と。彼女は、通話の相手がそう名乗っていた事を思い出す。ふざけたような、他人を見下し、馬鹿にした態度だった。あの声を思い出すだけで、彼女の腹は煮え繰り返る。

「何で私がっ」

 こんな思いをしなければならないのか。コンクリートの塀を背にした彼女は、先刻までの行動を振り返る。

 仕事が終わり、いつもと同じ時間に会社を出て、いつもと同じ時間に電車に乗り、いつもと同じ時間に家に帰る。

 それだけ。他に無い。振り返るまでも無い。それは、彼女がほぼ毎日繰り返している変わりの無い日常、終わりの無い現状だった。


 つい、さっきまでは。


 死ぬまで変わらない彼女の日常に変化をもたらしたのは一人の女、だったモノ。前触れも、予兆も無かった。当たり前のようにそれはいた。ソレは、いた。

 街灯が点き始める時間、陽が落ち始める時間、昼から夜に変わり始める時間に、彼女はソレと出会ってしまったのだ。

 逢魔が時。

 幸い、ソレは彼女に気付く事無く飛び立っていった(・・・・・・・・)

 しかし、彼女は今もその場から立ち去る事が出来ずにいる。最初は茫然として、次に、何故か気持ちが騒いだ。ソレと、遭った。遭えた。

 何かが、変わった気がした。

 そう確信した彼女は、思い立ったがまま、ソレに対処し得る勤務外を擁するオンリーワンに電話を掛けたのだ。

 退屈だった。刺激の無い毎日。気だるいルーチンワーク。変わってほしい。そう思ったのは一度や二度の話ではなかった。

「……」

 ソレ。この街に、この世界に住む者で知らぬ者はいない、人類の敵。彼女も例外ではない。だが、見た事は一度だって無い。名前だけは知っている。この街に現われたのも知っている。だが、ソレについて何も知らない。オンリーワンやマスメディアが情報を簡単には漏らさないからだ。どんな姿をしているのか、それすらも分からない。一般には、何一つ公開されない。唯一ソレについて一般が知る時があるのは、ソレと出会った時ぐらいの物だと、大抵の人間は一笑に付す。

 だが、巡ってきた。笑い話程度のチャンスが訪れた。ソレについて知るチャンス。何より、この退屈な日々に変化を加えられるチャンスなのだ。

 彼女は、自分がさっきまで業腹だった事も忘れ、降って湧いた刺激に酔っていた。

「……あら?」

 頬に何かを感じる。手で触れてみると濡れた感触が走った。今日、雨が降るとは聞いていない。何故だろうと思いつつ彼女は頭を上げる。

「……い」

 変化を求めてはいけなかった。

 ソレについて知ろうとしてはならなかった。

 彼女がソレと出会った時、一目散に逃げれば良かったのだ。

 変化。変わる事。良い方向に転がる事もあるが、悪い方向に転がる事もある。

「いや……」

 彼女の場合、今回は悪い方向に転がったらしい。

「いやあっ!」

 尤も、今回で終わりだろうが。次回は、無し。彼女が退屈だと嘆いていた人生はこれにて終了。あっけなく、幕を閉じた。



「さて、誰が行く?」

 通話を終えた店長の第一声はこうだった。

「……また、ソレが出たんですか?」

「そうだ。今回は近いぞ、歩いても行ける距離だ」

 一の不安げな問いに、店長は笑い混じりに答える。

「どんな奴だ?」

「さあな。要領を得ない言い方だった」

「あン? また春風が邪魔してンのかよ?」

「いや、さっきの電話は一般の垂れ込みだ」

「一般だァ?」

 三森が露骨に嫌がる。

「……? 別に誰からの電話だって良いじゃないですか。だって、ソレが出たのは出たんでしょ?」

「ちっ、お前は何も分かっちゃいねェな」

「……何が、ですか?」

「本当にソレが出るンなら、誰からだって構わねェよ」

 やけに引っ掛かる三森の物言いに、一は眉根を寄せた。

「……?」

「お兄ちゃん、考えてみてヨ。アタシたちって、勤務外なんだよ?」

 見かねたジェーンが一に声を掛ける。

「知ってるよ。だから何なんだよ?」

「……アタシたちはそう思わないけど、ノーマルな人たちは、勤務外のコトが恐いんだヨ?」

「あ」

「お馬鹿な一でもやっと分かったみたいね」

「糸原さん、本当に気付いてたんですか?」

「さあねー」

 口笛を吹きながら、糸原は一に背を向けた。

「つまりだな、一般は勤務外に、オンリーワンに良い感情を持っていない。むしろ嫌悪しているぐらいだろう」

 一は黙って、店長の言葉に耳を傾ける。

「だが、力の差は目に見えて歴然だ。ソレと対等に戦える勤務外相手に一般は何も出来ん」

「……早い話が……」

「そう、嫌がらせだ。一般からの電話は決して少なくない。そのどれもが私たちを踊らす為の虚偽の報告だ。現場に出向いた我々を、陰から覗いてせせら笑っているんだろうな」

「大の大人がそんな事……」

 話を聞いた神野は唇を強く噛み締めていた。

「まあ、十中八九ガセだろうが、無視する訳にもいかん。後で何かあって、責任を追求されるのは面倒臭い」

「……何だかなあ」

 一はやりきれない感情と一緒に溜め息を吐く。どうにも、空しい話だった。

「さて、話は戻るが。現場には誰が行く?」

「はーいっ」

「ん、立花。行きたいのか?」

 ぶんぶんと、立花は首を横に振る。

「みんなで行こうよっ」

「あ。それ良いんじゃないの? 折角面子が揃ってんだから、袋叩きに出来るじゃん。もしソレがいなくてもさ、イタ電した奴見つけてそいつを袋にすりゃ気分も良くなるってもんでしょ」

「悪戯の犯人をボコボコにするのはともかく、俺も賛成ですね」

 一も糸原たちにつられて手を上げる。

「ほう? 一、その心は?」

「……赤信号、みんなで渡れば恐くない」

「はっ、お前の言いそうな事だぜ」

 つまらなさそうに、三森が一を睨み付けた。

 その視線から逃れようと、一は店長に目を向ける。

「駄目、ですかね?」

「駄目だ。金が掛かる」

 バッサリと。一刀両断に。

「か、金? 俺たちの命が掛かってるんですよ?」

「知るか。大体、おまえら一人一人にどれだけ金が掛かると思ってる。金食い虫どもめ。人件費については上からもきつくお達しが来てるんだ」

「鬼ですか、あなた達は」

 恨めしい視線をぶつけて、一は力なく肩を落とした。

「……ンー、お兄ちゃん? 非難GOGOなのも分かるけど、ボスの立場も分かってあげてヨ」

「……やけにノリの良い非難はともかくだな。ジェーン、俺はアルバイトだぞ、店長の立場なんて分かって堪るか」

「ボス、説明してあげてヨ」

「全く……」

 やれやれと呟いてから、店長はわざとらしく肩を竦める。

「一、お前なんかに私の立場を理解できるとは思わんがな、バイト如きでも分かるようにこの私が説明してやろう」

「…………お願いします」

「うん。勤務外を一度に大量投入できない理由だが、まず金が掛かる事が一番に挙げられる。次に勤務外の同士討ちを避ける為だ」

「同士討ち?」

「勤務外同士でも、仲良しこよしとは限らんだろう? コンビニなんて小さな世界とは言え、小さいながらに派閥も存在し得る。殺したい程嫌いな奴もいるだろう。……勤務外はソレとの戦闘において、一切の超法規的措置を得られるのは知っているな?」

 一は何も答えられずに、ただ頷く。

「邪魔だった。手が滑った。勤務外はそんな舐め切った理由で人を殺めようが、罪に問われない。無論、一般や他からも非難は受けるだろうが、それだけだ」

「……つまり?」

「……勤務外が一度に、大量に投入されればされる程、ソレにかこつけて嫌いな奴を殺してしまうようなケースが増える。集まった力にあてられて暴走しやすくなるんだ」

「……そんなの、人によるんじゃないんですか? 絶対に起こるとは言えないような……」

 馬鹿が考えた馬鹿みたいな話だと、一はそう思う。

「なら一、勤務外がぞろぞろと戦場に並んでも、絶対にそんな事は起こらないと、お前はそう言えるのか?」

「そう言われちゃったら困るんですけど」

「……尤も、然るべき相手には計画を立て、信頼出来る指揮官を現場に立たせれば仲間割れ、同士討ちの可能性は下がる。だが、可能性がゼロでない限り、オンリーワンは危ない橋を渡らないのさ」

「……はあ」

 頷く事しか出来ない。周りを見ても、誰も彼もが渋々とはいえ、納得しているようだった。

「最後に、これは考えられる中でも最悪のケースだが」

「あ、まだあるんですか?」

「……説明を求めたのはお前だろう。黙って聞け」

「すいません……」

 店長は持っていた煙草を床に捨て、踏み付け、不機嫌そうに足を踏みならす。

「考えれば分かる事だがな、例えばウチがお前ら全員を現場に向かわせたとしよう。さて、一。この場合どうなればウチにとって最悪だと思う?」

「うーん。全員で出て行ったけど、糸原さんは勝手にパチンコ行って、立花さんはいつのまにかどっか消えちゃってて、仕方ないから手分けして二人を探そうってなって、俺が三森さんと二人になったら最悪ですね。すげー無駄に舌打ちされそう」

「てめえの安い喧嘩! 買ってやろうじゃねェか!」

 目にも止まらぬ速さで、三森が椅子から立ち上がった。

「売ってません! 売ってないから火は出さないで!」

「……座れ馬鹿二人。なあ、一、お前ふざけてるのか?」

「ふざけてません。今俺が言ったのは、最悪中の最悪、死活問題です」

「お前が百回死のうが、千回殺されようが知った事じゃない。ウチにとって最悪なのは、勤務外が全滅してしまう事だ」

 ああ、と。幾分か演技掛かった言い回しで一が手を打った。

「そりゃ、確かに最悪ですね」

「考えたくもない話だが、お前ら全員が束になっても勝てないソレが現れたとしよう。ノコノコと群れて、むざむざと一網打尽になんてされてみろ。この街はすぐに消されるぞ」

「いや、でもそんなの現れたら何人で行こうが変わらない気がするんですけど……」

「だがソレについて情報は得られる。対策も立てられる。残ったメンバーに、支部からの応援を加えれば手の打ちようもある。お前の死は決して無駄にはしない」

 しみじみと語る店長に、一は非難の視線を送った。

「捨て駒も良いところですね」

「……捨て駒になるかどうか、そんなのはな、実際に現場に行って蓋を開けてみないと分からん。まあ、事前にソレの力が把握出来ていて、尚且つ私のような優秀極まりない指揮官がいれば避けられる事だ。問題ない」

「……はあ」

「とにかくだ。私は全員で行くのを絶対に許さん。つべこべ言わずに誰でも良い、二人、悪戯かどうか確認してこい」

「……私はパスだからな。ンな、つまンねェ仕事はやりたくねー」

 三森が店長に向かって手を振り、やる気のなさをアピールする。

「だったら私もー。めんどいしだるいしかったるいわー」

「……イトハラ、もっとやる気を見せたらどう? ふふん、そんなんじゃお兄ちゃんのハートはつかめナイわよ?」

「ごめんジェーン、俺も行きたくない」

「ジーザス!」

「あの……でしたら私が」

 全員の目が、怖ず怖ずと発言したナナに向かう。

「……新人だからって気を遣う必要は無いぞ、ナナ」

「いえ、店長。私はまだ駒台の地理を把握しておりませんし、まだまだ新米です。迅速な対応が出来るよう、なるべく多くの経験を積ませて頂きたいのですが」

「……聞いたか、お前ら。彼女こそ真の勤務外だ。死ねバッタもんども」

 店長は目頭を押さえた。実に見え見えな、空々しい演技だった。

「ナナ、残り一人好きなのを持っていくと良い。よりどりみどり、勤務外のバーゲンセールだ」

「ね、けん君。ボクって幾らぐらいするんだろ?」

「……知るか、馬鹿」

 高校生二人の掛け合いを流し、

「では、一さん。申し訳ないのですが、一緒に来てもらえますか?」

 ナナはにこやかに一へ微笑みかけた。

「え、俺? えと、なんで?」

「一さん以外有り得ません」

「おおぅ……」

 強い口調でナナに言い切られ、一は少したじろぐ。

「……へえ、良かったじゃん一、可愛い子に選ばれて」

「お兄ちゃん、あとで話があるんだケド?」

「はじめ君、鼻の下伸びてるよ」

「そ、そんな事無いよ?」

 あと、ちょっと嬉しかった。正直、一はナナに選ばれて優越感のようなものを感じていた。

「あ、あの、でもナナ、さん? どうして俺なの?」

「はい、今回のパターンですと、どうやら悪戯の可能性が非常に高いとの事。ならばわざわざ勤務外として長く経験のある人や、能力の高い人が行くのは非効率です。また、仮にソレがいるとすれば、店長の言ったとおり捨て駒となる方はやはり必要だと思われます」

 ちょっと、嫌な予感。

「えーと? つまり?」

 ナナはにっこりと笑みを作る。

「つまり……、一番弱くて、死んでも困らない人が行くべきかと」

 バックルーム、大爆笑。



『道を歩いていたら女がいて、気が付いたらその女が下半身を置いてコウモリになって飛び立って行ったらしい』

 出発前、店長が一般からの電話で聞いた話を一たちに伝えてくれた。

「……絶対嘘だ」

 信じられる要素が皆無だった。少なくとも、一はその話を信じていない。

「何がですか?」

 駒台の街。陽はすっかり落ち、点々と立ち並ぶ街灯が、一とナナの行く先を照らしている。

「いや、さっきのソレの話だよ。上半身と下半身が分かれるだなんて、スーパーロボットじゃ無いんだからさ」

「いえ、あながち嘘だとは言い切れませんよ」

「どうして?」

 一は隣を歩くナナへ顔を向ける。

「マナナンガルをご存じですか?」

「ナナナンガル?」

「いいえ、マナ、ナンガルです。フィリピンのシキホル島に伝えられている魔女の事を指します」

「……いや、初耳だよ」

 流石に、一も魔女は知っているが、詳しい名前、ましてやフィリピンの魔女については何も知らない。

「では、目的地まで僭越ながら私がご説明を」

「うん、お願いするよ」

 ソレについての知識はさほど欲しくないが、出会ったばかりのナナと道中無言で歩き続けるよりはマシだと思い、一は話を振った。

「マナナンガル。昼間は人間の姿をしているのですが、夜になるとコウモリへと姿を変えられる存在のようです」

「へえ、さっきの話と一緒じゃないか」

 全く、瓜二つ。

「はい。ですから私は先程の電話が、あながち嘘ではないと申し上げたのです」

「成る程ね。うーん、何か、他に特徴は無いのかな?」

「マナナンガルは主に胎児を狙うそうです。細く、鋭い舌を母親のへそに接触させ、胎児の血を吸い取ってしまう、だとか」

「……うわ、スプラッタ」

 想像しただけでも気分が悪くなる。

「そうですか?」

「……そうじゃないかな。それよりさ、そいつ、マナナンガルには弱点とか無いの?」

「弱点、ですか? そう、ですね……」

 ナナは下を向いて黙り込んでしまう。

「あ、分からなかったら別に」

「いえ、分かります。少々お待ちを」

「案外、負けず嫌いなんだね……」

 ナナの意外な側面を見られたのは面白かったが、どうにも手持ち無沙汰になる。一はポケットから煙草を取り出そう、としたところで手を止めた。

「……こりゃ続きそうに無いな」

「いえ、もう少しだけお待ちを」

 一の独り言にもしっかり反応するナナだったが、答えは出ない様子だった。

 しばらくの間、二人は無言で歩き続ける。

 ふと、一は視界の端で何かを捉えた。

「……何だありゃ」

 最初は、ゴミ置場に捨てられてあるマネキンか何かだと思った。

「んん?」

 しかし、徐々に近付いて行くにつれ、それが間違いだと一は知る。古雑誌、家電などの雑多な物の中、ゴミ置場に捨てられていたのは。

「うわっ、これ……」

「どうしました?」

 突然発せられた一の声に思考を止めたのか、ナナもゴミ置場に目を向ける。

「ちょっ、これ、これってさ」

「ああ、人間の下半身ですね」

「何でどうでもよさげなの!? 人だよ、人の下半身だよ!」

「そんな事より、マナナンガルの弱点を……」

 真顔でそんな事を言うナナ。

「そんな事じゃないよ! もっとリアクションして! 驚いてる俺の方が変に見えるから!」

「私の分まで一さんが驚いてくれた方が生産的だと思いますが」

「違う、違うと思う。もっとこう、驚きを分かち合おうよ……」

 そこでナナは眼鏡の位置を押し上げた。えらく上品で、様になっている動作。

「一さん」

「うん」

「弱点、思い出しました」

「あー、そっちかー」

 このポンコツ。とは口が裂けても言えやしない。

「はい。マナナンガルがコウモリの姿をとっている時は日光が致命的な弱点となるのです。夜明けが来た時、上半身と下半身を分離させたままだと、滅びてしまうとか。打倒する為には、マナナンガルが狩りにあたって残しておいた下半身を捜すべきでしょう」

「……じゃなくてさあ……」

 一はゴミ置場の下半身を何気なく見た。スカートを穿いている事から女性の物だと判断する。視点を変えれば、荒々しい肉の断面図。所々皮は解れ、僅かながらも血液が滴っていた。上半身と下半身を、無理矢理二つにするべく引き千切ったような、そんな印象を受ける。

「こんなの見たら、本当に悪戯じゃなかったとしか思えない。ソレが近くにいるかも知れないんだよ?」

 なのに、どうして。

「ええ、とりあえず電話を下さった方を捜しましょう。詳しいお話が聞けるかも知れません」

 どうして彼女はさっきから。

「……これは、どうするつもり?」

「放っておきましょう」

「もしかしたら、これが電話をくれた人かも……」

「その可能性も否定できません。ですが、先に現場へ向かいましょう。その方が効率的です」

 ナナは店長から渡された、現場の住所が書いてあるメモを片手にすたすたと歩き出す。

「ちょ、ちょっと待ってってば!」

 一は慌ててナナを追いかけた。隣に並び、彼女の顔を伺う。

「せめて店に連絡を入れるとか……、あのままにしておくのはどうかと思うんだけど」

「でしたら、一さんがそうして下さい。私は連絡手段を持ち合わせておりませんので」

「……俺も持ってないんだけど」

「では、先を急ぎましょう」

 真剣に、本当に携帯電話を買おうと一は決心した。誰の物かは分からない。あのまま放置するのも忍びない。だが、何も出来ず、あの場に留まり無駄に時間を浪費するのもどうかと思い、一はナナに付いていく。

「あのさ、何とも、思わないの?」

「何について、でしょうか?」

「……いや、やっぱり良いよ。変な事聞いてごめんね」

「そうですか」

 それだけ言って、ナナは口を閉じた。一も、もう喋ろうとは思わない。どうせ、目的地はすぐそこなのだ。あと少しの辛抱だ、と。自らに言い聞かせ、未だに鈍る頭の中身を振り払い、無理矢理足を動かす。

 そうして五分ほど進むと、前方を歩いていたナナは足を止めた。

「ここが?」

 辿り着いたのは、何の変哲も無い殺風景な唯の路地。人通りは全く無いようで、人家も少ない。

「ええ、その様です。店長の話によると、近くに電話を下さった方がいる筈なのですが」

「悪戯なら、とっくにどこかへ行ってると思うんだけど……」

 あんなモノ(・・・・・)を見た後では、その線も薄いと一は思う。ほぼ間違いなく、ソレはこの近辺に出たのだ。

「恐らく、どこかに姿を隠しているのでしょう」

「ソレに見つかってなきゃ良いんだけど」

 二人は人が隠れられそうな場所を丹念に探す。だが、何も無いこの場所では探索もすぐに終わってしまった。

「どうしよう、やっぱり悪戯だったのかな」

「ですが、先程のアレは気になります。全くの無関係だとは言い切れません」

「……もしかして、電話くれた人の、だったのかな……」

「おや?」

 所在なさげに立っていたナナが、何かを見つけて歩き出す。一は電信柱にもたれながらその様子をぼんやりと眺めていた。

「一さん、こっちに来てもらえますか?」

「何かあったの?」

 ナナはコンクリートのブロック塀をジッと見つめている。

「これを見て下さい」

「うん、唯の染みじゃないか?」

 指差された箇所に目を凝らすと、染みの様な物が確認できた。

「いいえ、これは血液です。それもまだ真新しい、人間の」

「……何だって?」

「恐らく、ついさっきまで、ここで血が流れるような事が起きていたのでしょう」

「血の、持ち主は……」

「高い可能性で、この塀の向こう側にいると思います。血の痕が塀の上部に向かっておりますので。仮説になりますが、ここで血を流した後、塀を上り、助けを求める形で人家に逃げ込んだのでしょう」

 無理矢理なこじつけだが、血を流し、パニックになった者が何をしでかすか分からない。一はナナの説明に一先ず納得する。

「良し、覗いてみよう」

 そんなに高くない塀だったので、一はブロック塀の出っ張りに足を掛け、先端に手を掛けた。

「恐らく、無駄だとは思いますが」

 目撃者の生存を信じている一には、ナナの呟きが聞こえない。

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