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奴にお月様を見せないで


 アイギスを広げる間も無かった。動いたと思った次の瞬間には、もう一の目の前に男が現われている。早過ぎる。

「――――!」

 咆哮一閃。男は鋭利な爪の付いた腕を弓のように引き絞り、既に矢の如き一撃を放っていた。

 一は目を瞑りながら後ろに下がる。空を切る音。前髪を数本持っていかれたが、直撃は避ける事が出来た。

「ガアァッ!」

 その横合いから、男の腕にコヨーテが喰らい付く。男が幾ら腕を振り回しても、牙が深く肉に刺さっているらしくコヨーテは離れない。

「――――!」

 男が吠えた。痛みに耐えかね苦痛を訴える。彼の叫びは一の下腹へずしりと響いた。

「……っ」

 バケモノだ。獣だ。今までに相手をしてきたソレの中でも、とびきりの。まさか声だけでここまで萎縮させられるとは思っていなかった。懸命に喰らい付くコヨーテに援護をしてやりたかったが、一の腕は酷く重い。

「ちっ」

 迷っている間に、コヨーテの牙が男の腕から抜けてしまう。男は自由になった両腕でコヨーテの尻尾を狙った。的確で早い。しかし、単純だった。コヨーテは男の腕に足を乗せ、飛び上がる。爛々と輝く月にまで届きそうな、軽やかな跳躍。

「鈍いね、あんた」

 宙に舞った姿勢で皮肉げに呟き、

「子守歌にもならねえぜっ」

 着地ざまに男の横っ腹を爪で引っ掻く。蹲る男に目線を遣りながら、コヨーテは一の前に駆け寄った。

「……ただの犬じゃなかったんだな」

「リトルボーイ、ミーは犬じゃない。コヨーテだ。あれぐらいは出来て当然だぜ」

 だが。憎々しげにコヨーテは声を発する。

「思った以上に効いちゃいない。鈍いが、硬いね。全く羨ましい限りだ」

「はっ、ジョークを飛ばす余裕はあるんだな」

「そっちは立ってるだけで一杯一杯らしいね。まあ、人間には荷が重いか? だけど、そいつぁ飾りじゃないだろう」

 一の持っているアイギスに一瞥をくれ、コヨーテは尻尾を振った。

「……どうだろうね」

「謙遜はジャパンの美学って奴かい?」

「だああ! うるせえ、来るぞ!」

「――――ッッ!」

 一は右、コヨーテは左に飛び退いて男の攻撃を避ける。二手に分かれた一らへの追撃。男は踏み込んだ足を軸にして、真横に方向を変え跳躍。右を選んだ。

「やっぱり!」

 地面に足を付いているかどうか分からないほどのスピードが一を襲う。


 ――予想済みだ。


 一は、既に広げていたアイギスを男の眼前に突き出した。幾ら獣の速度でも、この盾は突き破れない。アイギスへ強かに体をぶつけて、男は派手に弾かれる。一も衝撃で地面を転がるが、大した傷は負っていない。コヨーテが賞賛の口笛を贈るが、気にしている余裕までは持ち合わせていない。すぐさま立ち上がり、男に視線を向ける。

「……うわ」

 男は大変、憤慨している様子だった。筋肉を盛り上げ、短い呼吸を繰り返している。荒い吐息が白い靄となり、冬の寒空に消えていく。

「どうやら怒らせちまったみたいだな、リトルボーイ」

 この期に及んで軽口を叩くコヨーテに、一は軽く敵意を覚えた。

「お前に噛まれた腕が痛むんだろ」

「はっ、クールじゃないねえ!」

 コヨーテは臆する事無く、男へと駆け出していく。その姿を一は捉え切る事が出来なかった。早い。速い。風のようだった。灰色の風。右へ左へ変幻自在に軌道を変え、男の目を自身の速度に慣れさせない。充分に揺さぶった所で、男の脚を奪う。爪で掻き、牙を立てる。男の傷口から溢れる鮮血が、コヨーテの灰色を赤く染めていった。

「――ッッ!」

 男はそれでも怯まない。戦意は尽きていない。湧き上がる怒りをその身と、二つの燃えるような瞳に宿らせ立ち上がる。

「……これは」

 コヨーテは牙を抜いて男から飛び退いた。再び一の元まで戻り、用心深く男を観察し始める。

「おい、どうしたんだよ?」

 確かに男の迫力には気圧される物があるが、一にはコヨーテが押している様にも思えていた。あっさりと攻撃を中断させた理由が分からない。

「厄介な事になってきた。一度逃げた方が良いかもしれないぜ」

「は? な、何で?」

「そもそも、ミーたちが、いや、少なくともミーが今のあいつとやり合う理由は無いのさ。リトルボーイ、あんたが狙われたから応戦したまでに過ぎない」

「……いや、そりゃそうだけど」

 勤務外としての立場もある以上、易々とソレを見逃すわけにも行かなかった。更に言えば、見逃してくれるわけにも行かないらしい。男は剥き出しの殺意を全身から立ち昇らせている。

「逃げるだけなら何とかなるさ。任せろ、体がすり潰されたって問題なく逃げ切れるぜ」

「いや、それは流石に……」

「第一、あんたの目的は嬢ちゃんだろうに。ここでアレとやり合っても仕方ないぜ」

「ん、そう、だな」

 何より出会った時間が悪い。再戦するにしても、二度と会わないとしても、引く事が大事と一は判断する。

「……良し。逃げる」

「了解だ。リトルボーイ、耳を塞いでおきな」

「え?」


 ――――――!


 突如、今までに聞いたことも無いような衝撃が一の鼓膜と、この周囲一帯に襲い掛かった。犬の遠吠えを極限まで煩くした様な、耳障りな騒音。視界がぶれ、頭の中に高音が響き渡る。混乱する脳内。

「さて、今の内だぜ」

 そんな中で、コヨーテの声は良く聞こえた。異常に声の通りが良いのだろうか。一は不思議に思う。

「………………!?」

 しかし、今の内と言われても、一の足は動かない。それをコヨーテに伝えようとするが、耳が聞こえ難くなっていて自分ですら何を言っているのか分からなくなる。

「あ? 足が動かないだって?」

 一は身振りで「そうだ」と伝えた。

 情けない。コヨーテは舌を出して空気を舐めつつ、一を呆れた様に見遣る。

「無理矢理動かせ。じゃないと死んじまうぞ、リトルボーイ」

 そう言われては動かさざるを得ない。未だ何も成し遂げていない身で死ぬのは御免だった。一度だけ狼男へ振り返る。彼は耳を押さえ、苦しそうに地面を転がっていた。

「くくっ、聞こえ過ぎるってのも考え物だな」

 コヨーテの笑い声は、良く通る。



 満月に照らされて。



 一とコヨーテはアパートまで逃げ帰ってきた。

 駒台の中心部へ行けば隠れる場所には困らない。人口も多いし、それだけで隠れ蓑になると思ったのだが、人混みの中、犬は良く目立つ。実に目立つ。仕方ないので一が不自由な口で説得し、彼を自分の部屋まで連れて来たと言う次第である。

「ここペット禁止なんだよなあ……」

 一は部屋の電気を点けながら、大家に見つかった時の事を考え、溜め息混じりに呟いた。

「おい、ミーはペットじゃないぞ」

「あ、土足で畳に上がらないで」

 コヨーテは鼻で笑う。

「どうしろってんだ」

「ちょっとここで待ってて。雑巾濡らすから」

「……おい。おいリトルボーイ。まさかそんな汚らしい布きれでミーに触るんじゃないだろうな?」

「洗ったから大丈夫だよー」

 一はコヨーテの抵抗には興味を示さず、強引に彼の足の裏を拭き始めた。

「あー! ミーの肉球がああ!」

「うるさいな。もう十時回ってんだから静かにしろよ」

「訴訟だ! 訴訟もんだぞ!」

「ええい、やってみろ四足歩行」

 たっぷり時間を掛けてコヨーテの足を綺麗にすると、一は満足した様子。コヨーテはぐったりと四肢を伸ばし、畳の上で寝転がっている。

「疲れてるところ悪いけどさ、聞きたい事が色々と出来た」

 こたつに入り、みかんの皮を剥きながら一は尋ねた。

「……ZZZ」

「タヌキかお前は」

「ミーはタヌキなんかじゃない。誇り高きコヨーテだ」

 むくりと起き上がると、コヨーテは緩慢な仕草で体を伸ばす。

「そいじゃコヨーテ君、質問です」

「なんだい人間?」

「……あのさ、なんであいつ(・・・)は俺らを狙ってきたわけ?」

「さあね、本人に聞くのが一番早いんじゃねえの?」

 まだコヨーテの機嫌は悪そうだった。

「あれが人間の言葉を使えるんならそうしてるよ」

「ま、違いない」

「何か知らないのか?」

「そうだな。真実は語れないけど、予測なら立てられるぜ」

 一はみかんを口に運ぶ。程よい甘さだった。

「…………ああ、それでも良いや。聞かせてくれよ」

「んん、リトルボーイ。美味そうだな、それ」

「みかん? 食べたいのか?」

「物は試しだ。一つ投げてくれ」

 コヨーテは口を大きめに開ける。一は逡巡してからみかんを放り投げた。山なりの軌道を描き、オレンジの小さな果実は歌う犬の口の中へ。

「どうだ?」

「悪いがリトルボーイ、イマイチだ」

 彼の尻尾は嬉しそうに、目茶目茶上下していた。

「そりゃ残念だ」

 一は笑いたくなるのを堪え、もう一つみかんを放り投げてやる。コヨーテはゆっくりと、味わうように咀嚼し、嚥下。

「なあ、リトルボーイ」

「ん?」

「ミーは何の話をしていたっけ?」

「ネギ食わしたろかてめえ」

 みかんの話では決して無い。

「ジョークだ。さて、本題だ。まずは狼男について語ろうじゃないかリトルボーイ。敵を知り、己を知れば百戦危うからずと言うだろう?」

 どこかで聞いたことのある台詞だった。

「……ええ? 語るったって、あんなの映画ぐらいでしか見た事無いのに」

「充分だ。そもそも、あんな怪物を映画以外のどこで見るって言うんだ? ジパングにはそういうのを集めたアニマルテーマパークでもあるのかい?」

「あるとしたら、お前も間違いなくテーマパークの檻の中だよ」

 言いつつ、一は今までに見た映画を思い出していく。

「じゃあ、ミーから。狼人間、人狼、ウェアウルフ、ルー・ガルー、リカントロープ、ヴェアヴォルフ、ライカンスロープ、ワーウルフ。何のことだか分かるかい?」

「全部、同じ意味だろ」

「正解だ。つまり、それだけ色んな国に奴らの存在が知れ渡っているという事だな」

 厄介な話だと、一は息を吐いた。

「それじゃ、こいつら人狼の特徴は?」

「あー、満月を見たら狼になれる。狼になる」

「当たりだ。更に言えば、奴らは満月が近付くにつれ力を増すようだな」

 ならば。あの力、あの早さは本気では無かったと言う事か。こたつで暖まっている筈なのに、一は寒気を覚えた。

「リトルボーイ、人狼の弱点は分かるか?」

「あー、確か、銀だったか?」

「ビンゴ。ちなみに、銀を溶かして作った十字架を刺せば効果は抜群らしい」

「十字架?」

「ああ、それが?」

「いや、十字架って吸血鬼が苦手なんじゃ無かったっけ?」

 そんな話は聞いた事が無いので、一は疑問に感じる。

「リトルボーイ、極端な話になっちまうがな、狼男と吸血鬼は大元が同じなのさ」

「へえ、そうなのか? だったらニンニクでも持っていくか」

「ついでに白木の杭でも担いでいけば恐いものナシだな」

 二人は声を上げて笑った。作り笑いだった。

「……さーて、結局あいつが俺たちを狙ってきた理由は分からずじまいなんだけど?」

「多分だが、奴は嬢ちゃんを狙ってるんだと思うぜ」

「俺はジェーンじゃないぞ」

 尤もな言い分だった。

「気付かないのか? 幾ら奴が人間のカタチをしていても、狼の、イヌ族の力を持ってるんだぜ」

「……ああ、そうか」

 当たり前すぎて見落としていた。

「そう、耳だけじゃない。むしろミーたちの特筆すべきチャームポイントはこっちだ」

 自身の長い舌先で、コヨーテは鼻を舐める。

「嗅覚か……」

 そう。イヌの優れた点は数あるが、その中でも一番といって差し支えない能力。鼻、嗅覚だ。

「あんたには、嬢ちゃんの匂いが移ってんだろうな」

「それで勘違いしたってのか。クソ、しっかり嗅ぎ分けろってんだ」

「恐らくだが、アレは元々そうじゃなく、別の人狼に噛まれてから日が浅いんだろう。力を使いこなせていないのさ」

「ん? 噛まれた?」

 ああ、と。コヨーテは煩わしげに首を振った。

「映画で見た事が無いか? 人狼に噛まれた者は人狼になるんだよ。そうやって奴らは仲間を増やしていくのさ」

「それじゃ、今頃は世界中に奴らが溢れてるって話にならないか?」

「勿論、噛まれても死ななかった者だけさ。大抵の人間は脆いからな。あんなのに噛まれる前に殺されちまうよ」

「ふーん。色々と詳しいんだな」

 コヨーテは呆気に取られた表情で一を見つめる。

「……むしろ、なんで知らないんだ……」

「うるせえな、良いから言えよっ」

「はん、オーケー、存分に聞かせてやろうじゃねえか。ミーたちが出会った奴はな、一月以内に生まれた急造の人狼だぜ」

「一ヵ月? 随分と具体的だな」

「奴はまだ満月を体験していないと見た。人狼ってのは満月の度に強くなるのさ、力を覚え、使い、本能のままに殺して強くなる。だがな、それにしちゃ奴は手緩かった」

 そこまで分かるのか。一は素直に感心した。

「はあ、でもさ、アレで本気じゃないんだよな……」

「そうブルーにならなくても良いぜ。逆にいや、満月でもアレはまだ完成しないんだ。やりようはある」

 ふと、一は思う。

「……なあ。そもそも、俺たちがあいつを相手にする必要があるのか?」

「嫌なら逃げ回りゃ良い。死ぬまでな」

 コヨーテは幾分か、一に敵意を込めて言った。

「死ぬまで? 俺が? 先に死ぬのはあっちだろ」

 自分がやらなくとも、この街の誰かがいずれ仕留める。一はそう思い、ぶっきら棒に言い放つ。

「違う」

「……何が」

「さっきから思っていたんだがな、リトルボーイ。あんたが逃げるのは狼男からだけじゃない。嬢ちゃんからも逃げる事になるんだぜ」

「俺はそんなつもり無い」

 毅然とする一に対し、コヨーテは軽い態度で話を続ける。

「つもりが無くてもそうなるのさ。狼男は嬢ちゃんを追っ掛けてる。あんたも嬢ちゃんに用がある。分かるだろ、ここであんたが引く意味がさ」

「……ジェーンに会おうとするなら、あいつが出張って来るってか」

 面倒な話だった。一の胃がキリキリと痛む。

「どうするよ、リトルボーイ」

「聞くまでも無い。だろ?」

「GOOD! 流石は嬢ちゃんの兄さんってところだぜ」

「ありがとよ。あー、だけどさ、なんであいつはジェーンを狙ってるんだ?」

「仲間だからな」

 聞き捨てならない単語に一が反応を示す。

「……誰と、誰が?」

「おいおい、怖い顔しないでくれよ。ミーはあくまで客観的に、当たってるかどうかも分からねえ事を言っただけだぜ」

「……んな怖い顔してねえよ」

 一は続きを促した。コヨーテは少しだけ間を取った後、

「犬ってのはさ、グループで動く生き物なのさ。そりゃ、ミーみたいに単体で動く奴もいるだろうけど。基本的にミーたちは寂しがりなんだ」

 遠い目をしながら呟いた。

「一匹狼って言葉もあるけどな、狼だって群れるモノなんだよ。だから、あいつもそうなんじゃないのか?」

「……ジェーンは、人間だ。俺の妹なんだ」

「けど、狼の血だって混じってる。嬢ちゃんがいつそうなったのかは知らないが、今は確かになっちまってる。半分人間半分狼(ハーフ)なんだ」

「……ああ」

 受け止める。ありのまま受け止めなければいけない。一はハッキリと頷いた。

「まあ、真相は分からないけどよ。もしかしたら、あいつは仲間なんて求めていないのかもな」

「うわ、全否定」

「全部は否定してないさ。ただね、こう、何と言うか、分からないか?」

「分かるか」

 コヨーテは今までになく言葉を選んでいるようで、目を瞑って口を開閉させる。

「んー、そうだな。リトルボーイ、今夜はやけに血が滾らないか?」

「……どういう意味だ?」

「何故ミーから逃げるんだ?」

「いや、つい。で、何だよ血が滾るって。俺は別に普通だぞ」

「月が満ちると、気分が高揚すると言うか、闘争本能を刺激されると言うか、そんな気分にならないか?」

「んー?」

 そう言えば、血の気が多くなっているような気がしないでもなかった。言われればそう思えるし、言われなければどうも思わないぐらいの、微妙な変化。ただ、変化しているかどうかすらも、一には正直分からない。

「なるような、ならないような」

「人間にゃ効果ないんかね。ミーたちには覿面なんだがな」

「へえ、そういうもんなのか?」

「お月様と本能には逆らえないぜ。ミーほどになれば自制も出来るけどよ、そこらのワン公じゃ話になんないだろうよ」

 誇らしげにコヨーテは語る。

「なあ、って事はさ、明日の晩にゃあいつはもっと強くなるんだろ? なんでさっきの内に仕留めてくれなかったんだ?」

「……言ったろ? ミーたちは寂しがりだって」

「いや、聞いたけどさ。関係無いだろ」

「あるね。あの場所にいたのはミーたちだけじゃなかったのさ。多分、犬か、狼がいた筈なんだよ」

「あ、そうなのか? ん? でも、いや、やっぱ関係無いだろ?」

 ふう。コヨーテは呆れたように溜め息を吐く。

「あの場にいたのは、もしかしたら嬢ちゃんだったかも知れないって言ってるんだ」

「はあ? おい、何で教えてくれなかったんだよ!?」

「もう十時回ってるんだろ? 大きな声を出すなよ、リトルボーイ。なら聞くが、仮に嬢ちゃんがいたとしてどうしたって言うんだ? あいつとまともにぶつかって倒して、その後嬢ちゃんを説得していたとでも言うのかい?」

「説得って……。んな必要ないだろ」

あるね(・・・)。明日は満月だ。狼が混ざってる嬢ちゃんも、きっと昂ぶっているはずさ。危険なのさ。狼としての本能に負けて、見境が無くなる恐れがある。嬢ちゃんがあんたから逃げたのはそれを恐れたからだ。そんな嬢ちゃんに、あんたが何の考えも無しでノコノコ出て行ったところでどうなる?」

 嗜めるようなコヨーテの口調に、一は反論を控える。

「実際に、嬢ちゃんがいたのかどうかは分からない。だけど、さっきのは状況が悪すぎたんだ」

「……お前ってすごいんだな」

「気持ちが篭っていないぞ、リトルボーイ。まあ良い、話し疲れたし、そろそろ寝るとしようか」

「は? いや、狼男とはぶつかるって決めたけどさ、まともな対策とか出来てないぞ」

「銀が弱点なんだから、それで良いじゃないか」

「いやいやいや、そりゃ映画の話だろ。んな話、フィクションじゃないかよ」

 一の弁明も空しく、コヨーテの瞼がゆっくりと閉じられていく。

「……大いに結構じゃないか。今、この街にいる人狼だって映画さ、フィクションなのさ。フィクションにはフィクションで対抗する。何が悪いってんだ?」

「けどさ……」

「リトルボーイ。あんたはまだ、ミーたち(ソレ)との付き合い方がイマイチ分かっちゃいないようだね」

「しょうがないだろ。勤務外としては、まだまだ俺は新人だからな」

「ん。そういう意味じゃ無いんだけどな」

「じゃあ、どういう意味だよ」

「ZZZ」

「……おい」



「ね、ねえ、しのちゃん」

「……何?」

 糸原は目を瞑る。どうにも、ちゃん付けで呼ばれるのには未だ抵抗があった。変に余所余所しい対応も癇に障るが、馴々し過ぎると言うか、年上に見られていないような気がしてならない。

「しのちゃんはさ、さっきの話どう思う?」

 だが、呼び方についての訂正を求めたところで立花は泣いてしまうのでは無いかとも思う。立花真。背は高いし、瞳は切れ長。顔だけ見れば、彼女が気弱で泣き虫などと誰が思うだろう。いや、思うまい。

「んー」

 非常にやり辛い子だと、糸原は思っていた。苦手だと言っても良い。

「ボ、ボクは嫌だったな」

「嫌?」

「……うん。ジェーンちゃんがソレかも知れないんでしょ。そんなの、嫌だな」

 心底から悲しそうに、立花は俯いた。糸原は少しだけイラつく。どうしてこうも、感情をストレートに表現するのだろうか。出来てしまうのか。

「かも。じゃなくて、そうじゃないの? 話聞いてたなら分かるじゃん」

「けど……」

 そんな立花へ、ついつい余計な事を言ってしまう。困らせてやりたくなる。本当の彼女を、見たくなる。

「信じたくないなら、良いんじゃない? 今までと変わらずに接してやれば?」

 自分には無理だ。糸原はそう思う。

「そう、だね。 今まで通りにすれば良いんだよね。ボクにも、ちゃんと出来るかな?」

「あんたなら、出来るんじゃないの」

 糸原は驚いた。まさか、立花がここまで純真だとは思っていなかった。

「うん、ボク頑張るよ! あ、いや、頑張らなくて良いんだ……」

 立花は頭を振り、自分の頬を両手で押さえるように軽く叩く。

「……なんかムカつく」

「? しのちゃん、何か言った?」

「言ってない」

 力を入れ過ぎてしまったのか、立花は赤くなった頬っぺたを涙目になって押さえていた。

 一挙手一投足。何から何まで腹が立つ。自分には無いものを一杯持っていて、糸原には立花が輝いて見えた。今までも、この先も、決して手にすることの出来ないもの。心の底から他人を疑うことをせず、心の底から他人を信じられる。感情を隠す事を知らないで、明け透けに自身を曝け出せる。彼女の周りには味方ばかりで、自分には敵ばかり。彼女の世界は広くて、自分の世界はひどく狭い。

 強く、弱い。

「あ、そろそろボク上がりだ」

「……そう、ね」

 早く視界から消えてほしかった。眩し過ぎる光は、余計なものまで照らしだす。立花たちといると、自分の矮小さと無理矢理に向き合わされるようで嫌だった。

「……でも、しのちゃん平気?」

「は?」

「だ、だって疲れてない? ほら、隈出来てるよ」

 立花は自分の目の下を押さえて、遠慮がちに問い掛けてくる。

「ホント? 全然気付かなかった」

 糸原は無駄だと分かっていても、隈を掻き消すように何度も指摘された箇所を擦った。

「その、疲れてるなら少し寝てきたらどうかな?」

「そしたらここに誰もいなくなるじゃない」

「ボ、ボクがその間いておくよ」

「はああ?」

 糸原には、なぜ立花がこんな事を言ったのか訳が分からなかった。魂胆でもあるのだろうか。訝しげに立花の表情を観察する。

「な、なあに?」

 小首を傾げる立花からは、不審な点が見当たらない。真っすぐな瞳で、真っすぐに見つめてくる。

「……あんた、張り切ってんのね」

「え? えへへ、そうかも。はじめ君だって頑張ってると思ったら、ボクもしっかりしなきゃと思っちゃって」

「ふうん」

 あいつ(・・・)か。糸原はぼんやりと彼の事を思い出す。今頃はジェーンを探す為に、街中を走り回っているのだろうか。

「そうね、私も頑張るか」

 そう思うと、不思議と力が湧いてきた、気がした。

「うん、一緒に頑張ろうよ。はじめ君の分までさ」

「おっしゃ、じゃ三十分だけ寝てくるわ」

「う、えぇ? そんなに? 五分ぐらいで帰ってきてよう……」

「……あんたね」

 自分の事だけを考えていれば良かった。他人なんて、せいぜいが駒扱い。自分の思い通りに意図を操れば良かった。

 だが、彼女は、糸原は変わりつつある。勤務外になって、初めてソレと戦った時は苦しかった。フリーランスとは違い、自分自身だけを気にして自由気儘に立ち回れない。あの時、彼女の背には一たちの命が圧し掛かっていた。とんでもない、重荷。下手を打ち、戦闘不能に陥れば自分だけでなく一たちにも危害が及んでしまう。事実、アラクネ戦ではギリギリまで追い詰められ、一旦は死をも覚悟した。

 今こうして糸原が生きていられるのは運が良かったからに過ぎない。一の決断がもう少し遅ければ結果は火を見るより明らかだったろう。そして一を決断させてしまった理由が、自分には大いにあると糸原は気付いている。これ以上傷つけたくなくて、裏切られたくなくて。一度はフリーランスに戻った。だが、彼女は。彼女は、もう――

 ――もう、逃げないけどね。

 決して表には出さないが、糸原は一に感謝していた。自分を変えてくれた彼に、何か恩を返してやりたい。


 恩を返して、そして――。


「ふあ……。そんじゃ、よろしくねー」

「う、うん。ご、ごゆっくり?」

 不安げな立花をフロアに残し、糸原は仮眠を求めてバックルームへと向かった。

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