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inもじゃもじゃ

 一週間近く駒台に降り続けていた雨も止み、街を覆っていた雲も無くなって、文句のつけようが無い晴天が広がっていた。気温は低かったが、久々に現れた太陽が人々の心を爽やかにさせてくれる。


「お前には二十四時間働いてもらう」


 一人を除いて。

 今日は非常に天気が良かった。しかし、晴れやかな日差しなど関係無しに、今、一は店のバックルームで店長の叱責を浴びている。

「……えーと?」

 一しきり罵詈雑言を吐いた後、店長は告げた。淡々と、冷酷に。

「聞こえなかったか? 耳元で言ってやるからこっちに来い」

 店長は椅子に座ったまま手を振る。片手には煙草。一は指示に従い、ノコノコと店長に近づいていく。

「お前には」

 店長は近付いてきた一の頭を灰皿で殴り、

「二十四時間」

 下がった頭を平手で打って、

「働いて」

 座ったままの体勢で一の脛を蹴り、

「貰うと言ったんだっ」

 最後に足で一の体を押す。

「働け馬鹿野郎!」

 一は床にへたり込み頭を押さえていた。

「……やり過ぎじゃないですか?」

 涙声で抗議する一を見下し、店長は悠然と煙草に口を付ける。

「これでも甘い方だと自分では思っているくらいだ」

「一回サボっただけじゃないですか」

「サボっただけなら、私も手を上げたりはしないがな」

「……う」



 軽い気持ちだった。それがいけなかった。

 一と糸原は朝早くに目が覚め、近くの銭湯で汚れを流してから遅めの朝食を摂り、昼過ぎまでテレビを見てから店へ出かけた。先日の、八俣遠呂智(やまたのおろち)の事件での行動について謝りに行く為。

 二人がバックルームに入った瞬間、怒声と罵声に出迎えられ、一は店長に睨まれながら事情を話した。

「……まあ、こっちでも粗方の話は聞いている」

「はあ……」

「気の無い返事をするなっ」

 どうしろと言うのだ。とりあえず一は黙って神妙な顔をする。

「先日保護した『神社』から、彼女の事情やお前たちの話は聞いた。ヤマタノオロチの顛末についてもな」

 店長は煙草に火を点け、煙を胸一杯に吸い込んだ。

「あの、栞さんは無事でしたか?」

「……ああ。命に別状は無くなった、そうだ。一時はやばかったらしいがな、今じゃ毎日炉辺に酒を強請っているらしい」

 良かった。一は胸を撫で下ろす。

「いつ退院できるかは分からんがな」

「けど、本当に良かった」

「……ホント」

 糸原は一から目を逸らし呟いた。

「今度、お見舞いに行きましょう」

「ええ!? 私も?」

「当然でしょう。ボコボコにしたのは糸原さんじゃないですか」

「……しゃあないわね」

 渋々、糸原は頷く。

「おい、おい馬鹿。こっちを見ろ、勝手に話をするな馬鹿ども。まだ話は終わってないんだ」

「あ、すいません」

 ちっ。滅茶苦茶大きい舌打ち。

「……なあ、何であんな事をした?」

「それは……」

 あんな事。店をサボり、店に黙って勝手にソレと戦った事。

「言いたくないか?」

 一は無言。店長は肯定の意と酌んだのか、「やれやれ」と溜め息。

「構わん。言わなくて良い。けどな、一」

「……はい」

「一つだけ聞かせてくれ。私は、私たちは頼りにならないか? 大人は、信用出来ないか?」

 存外に優しい声音だったので、一は驚く。

「えっと、いや、別にそんな事は……」

「なら、今度は店の誰かに話せ。分かったな?」

「はあ」

「気の無い返事はするなっ」

「すいません! 絶対に言います!」

 ならば良い。店長は深く椅子に座り直す。

「糸原、行って良いぞ。シフトを組み直したら伝える。それまでは休んでろ」

「……は? あの、私の事、聞いてないの?」

 糸原は自分を指差し、素っ頓狂な声を上げた。

「聞いてない。ほら、行け」

「んん? ま、良いやラッキー。じゃ、立ち読みしてるから、あんたが終わるまで待っとくねー」

 愉しげな歌を口ずさみながら、糸原は呆気なく、バックルームから出て行く。

「じゃ店長、お疲れ様です」

「一、今度は本気で殴るぞ」

「……冗談です」

 頭を押さえながら一は嘯いた。

「あの、店長? 糸原さんの事、山田さんから聞いてないんですか?」

「『神社』に? さあな、私は聞いちゃいない。だが、気になる事を言っていたな」

「……さっきから気になってたんですけど、店長まさか、山田さんのお見舞いに行って、直接話を聞いたんですか?」

「悪いか」

 悪いというより、一は単純に驚いた。

「意外ですね。て言うか、店長が店以外の場所に行くとは思って無かったです」

「誰の所為だと思ってる。お前が『神社』に仕込んだんだろうが」

「あー、すいません。で、気になる事って何ですか?」

 店長は頭の隅が痛くなる。目の前でヘラヘラと、平然と笑うこの男。マイペースなのか何も考えていないのか分からない。心配して損をした。

「……一、ソレを創る事は出来ると思うか?」

「創る?」

 質問の意味が計り知れない。店長の意図が窺い知れない。一は少しの間考え、

「出来ない、事は無いと思います」

 ぼんやりと、そう口にした。店長は訝しげにしている。まずい事を言ったつもりはなかったが、一は不安になった。

「あの、俺変な事言いました?」

「……いや、何故そう思う?」

「へ? だって、今更じゃないですか。体から炎を出せる人や魔術だなんてモノも有るんですよ。俺から言わせてもらえば、むしろ、創れないってのがおかしいくらいですよ」

 それぐらい、色々なモノを一は見て、出会った。

「なるほど、ま、確かにそうだな」

「あの、今の質問は?」

「『神社』がな、出会ったそうだ。ソレを創るだなんて抜かしやがる老人と」

 苦い顔で、店長は煙草の火を灰皿に押しつける。

「……出会った?」

「あのビルの最上階、お前と別れてからだろう」

「そんなの、聞いてませんでした……」

「奴も自分の事で手一杯だったそうだ。気になるなら本人に聞け。それよりもだ」

 店長は椅子を器用に動かし、一に向き直った。

「その時に老人は自身を青髭と、円卓の騎士の者だと名乗ったらしい」

「はあ? 円卓の?」

「聞いた事は無いか?」

 一は頭を捻る。どこかで聞いたような気はしたが、明確な答えは出そうに無かった。

「フリーランスじゃないんですか? ネーミングセンスがそれっぽいし」

 図書館に神社に天気屋に。

「私もそう思って調べてみたがな、無かった。どこにも載っていないし、誰も知らない」

「うーん。本当に意味のある名前なんですか?」

 その、青髭と名乗った老人が適当に喋っただけかもしれない。

「自分は第六席とも、青髭は言ったらしい。堀に聞けば、円卓と言うのは組織の名前だ、そうだ。さらに言えば、ハッタリで使えるようなモノでも無いらしい」

「堀さんが? 何か知ってるんですかね」

「さあな。口振りはそうだったが、多くは語ってくれなかった。ま、情報部に任せるとしよう」

「……何か、漫画だなあ」

 全くだ。店長は下らなさそうに笑った。

 一は、笑えなかった。

「えっと、話ってのはそれだけですか?」

「ん? いや、本題は今からだ」

「はあ……」

 どうにも、気の無い返事だった。



 話は、戻る。



「二十四時間? 冗談でしょ。冗談ですよね?」

「今、二時前だからな。二時ちょうどに入れ。もう少しでゴーウェストが来るから、それまで一人でな」

 真っ白。目の前が真っ白になった。

「……訴えますよ」

「勝手にしろ。あのな、オンリーワンを舐めてたお前が悪い。うちに喧嘩売って裁判で自由に発言出来ると思うなよ」

「びっくり。治外法権に近い暴言ですね」

「何とでも言え。そら、後ちょっとで二時だぞ」

 店長はクツクツと喉の奥で笑う。

「……逃げます。サボります。働きません、勝つまでは」

「やってみろ。本気で怒るぞ」

「お、お? 怒れば良いじゃないですか、つか、怒りたいのは俺ですよ。ふざけてます、何が二十四時間働けだっ、人権無視だ侵害だっ! 何ですか? 勝手な事をした罰ですか? ふざけてるっ!」

「一、働け」

「大体、俺だけなんてずるい。糸原さんは!? そうだ、あの人だって勝手な事を」

 店長が椅子から立ち上がる。一は忘れていた。最近は、店長が椅子に座りっぱなしだったから。自分よりも、この人の背が高い事に。

「糸原は、あの時既に辞めていてうちの人間じゃなかった」

 妙な威圧感があった。

「糸原はあの日、私の、責任の範囲外だった。あいつが今日から復帰するとしても先日の行動とは関係ない。だろう」

 なぜか一は動けない。

「だがお前はどうだ? 勝手にアイギスを持ち出し、シフトに入ってるというのに店に顔を出さず、挙句、フリーランスと組んでソレと戦う……。……、ん、お前やり過ぎだろ。殴って良いか?」

「……勘弁、して下さい」

 もうすぐ、二時だ。



「あー? あによ、今から仕事なの?」

「残念ながら」

 本当に残念そうに、一は顔を伏せた。

「罰、だそうです」

「ふーん。あのさ、あんたって制服似合うわよね」

「……はい?」

 一は首を傾げ、オンリーワンの制服を着た自身を眺めてみる。

「ま、頑張りなさいよ」

 糸原は気楽そうに言うと、適当な雑誌をケースから抜き取った。

「……? 糸原さん、帰らないんですか?」

「んー」

「俺、明日の二時まで働かなきゃなんないんですよ。だから糸原さんは帰った方が……」

 自分で言うと、一層の絶望感。

「んー、待っとく」

「いや、だから……」

「終わるまで待っとく」

 強い口調で言われると、もう一にはどうする事も出来ない。

「はあ、それじゃ、その、お願いします」

「んー」

「………………」

 糸原が雑誌に視線を落とし続け、こっちを見ようとしないのは照れている、のか。そう思うのは一の自惚れなのか。

「何見てんのよ?」

「うぇ? み、見てないですよ」

「……あっそ。ま、別に良いけどね」

 客はいない。今日もいない。店内には一と糸原だけだった。一は雑誌のフェイスを整えながら外の景色を見遣る。今更になって気付いたが、今日は天気が良い。今夜には満月が拝めるだろう。そう思うと、少しだけ気分が楽になった。

「ねえねえ、服買いに行こうよ」

「ええ? お金無いんですけど」

「だーかーらー、お給料入ったらに決まってんじゃん。そろそろでしょ、きゅーりょーび。私さ、正直スーツは飽きたのよね。家帰ってもジャージしか無いじゃん」

 一は何気なく糸原の持っている雑誌を見る。予想通りと言うか、案の定と言うか、女性向けのファッション雑誌だった。

「あー、お金は自分で出してくださいよ? ちなみに、そのスーツも、家のジャージも、全部俺のなんですけど」

「うっさいわね、生意気言うんじゃないわよ。で、行くの? 行かないの?」

「……うーん、そうですね。たまには良いかも。けど、あんまり高い店ってのはちょっと」

「うーわ。そんなだからあんたは駄目なのよ、もてないのよ。服にぐらい金掛けなさいよね」

「あなたがそれを言いますか……」

「まあ、アレね。値段は関係無いかも。私が見繕ってあげるから、心配要らないわよ」

 正直、あまり気は進まなかったが、楽しそうに笑う糸原を見ると、少しはそういうのもアリだろうか、なんて一は考える。


「ストーップッ!」


 甲高い、少し舌足らずな甘い声。

 一が顔を向けると、むくれた顔をしたジェーンがそこにいた。オンリーワンの制服に、ブロンドの髪をツーテールに結わえた彼女。背伸びしながら、一を指差す。

「お兄ちゃんの服はアタシが決めるノ! イトハラは出しゃばらないデよ!」

「あれ、ジェーンいつ来たんだ?」

「さっき! あいさつまでしたじゃナイ、バカ! お兄ちゃんはバカ!」

 地団駄踏んでジェーンは一を恨めしく睨む。

「ああ、そっか。ごめん、ごめん」

「……むー」

「ちっちゃくて気付かなかった」

「カンケイない!」

 ぼそりと呟いた糸原に標的を変え、ジェーンは息巻いた。

 何とも平和な光景だ、と。一は愚かしくも、今はそう思う。



 安っぽいコーヒーと、煙草の臭いの染み付いた小さな休憩室。オンリーワン近畿支部に備え付けられたその部屋の一つに、堀はいた。

 堀は中身を飲み干した紙パックを握り潰し、ゴミ箱に投げ入れる。少し曇った眼鏡の位置を直し、休憩室の扉に手を掛けた。

「あら?」

「おや……」

 向かい側から見知った顔が現れる。ナース服を着た、優しそうな、全てを受け入れてくれそうな印象の女性。

「炉辺さん、こんな所で会うとは偶然ですね」

「ふふ、たまにね、ここのコーヒーが飲みたくなっちゃうの」

 炉辺は堀の横をすり抜け、自販機に小銭を入れた。少しだけ迷ってから、ボタンを押す。

「……炉辺さん、申し訳ありません」

「え? 何のこと?」

「今回の、その、フリーランスの事です」

「もう、気にしてないって言ってるのに」

「ですが……」

 出来上がったコーヒーを取り出し、炉辺は粗末な作りのソファに腰掛けた。湯気の立つ紙コップに顔を近付け、愛おしそうにその香りを懐かしむ。

「あの子がフリーランスだからって関係無いの。命は、オンリーワンやそうじゃない人たちだからと言って、区別するもんじゃないよ?」

「……上に、何か言われませんでしたか?」

「気にしない。それに、医療部の皆は賛成してくれたよ? だから、堀君も気にしないの」

「すみません……」

 頭を下げる堀を見つめ、炉辺は微笑む。

「そんなに気にしてるなら、はじめちゃんをあの子のお見舞いに連れて来てくれる? あの子、ずっと気にしてるのよ。一言目にはお酒、二言目には、はじめちゃんって。ふふ、可愛いわね」

 我が子を語るような、優しい目。その目に見つめられ、堀の底に溜まった澱が消えていく。

「……分かりました。伝えておきます」

「うん、よろしくね」

 一息吐き、堀は扉を閉めてもたれ掛かった。

「懐かしい、ですね」

「ん?」

「私たちがここに来た頃、ずっとこうして、こうやって話していたでしょう」

「ふふ、そう言えば、最初は、ここに上手く馴染めなかったね」

 炉辺は苦笑する。

「でも、もう慣れたでしょう?」

「……はい。ですが、私はまだ、こうしてここに来るんです」

「やっぱり、難しい? 皆と仲良く出来ない?」

 心配そうな声音。堀は炉辺を安心させたくて首を振る。

「いえ。皆さんには良くして貰っています。その、ですが、やっぱり落ち着きませんね」

 見透かされている。

「前線の方が、気が楽?」

「ええ。私には戦場で槍を振るっているのが合っています」

「……ふふ、堀君ってデスクワーク苦手だもんね。パソコンの使い方、覚えてないでしょ? 電源落とすのにコンセント抜くもんね。技術部の皆が言ってたよ? 堀にはウチの機械は触らせたくないって」

 恥ずかしそうに堀は頬を掻いた。

「もう覚えましたよ」

「そ? なら良し」

 楽しそうに言うと、炉辺はゆっくりと立ち上がり、空になった紙パックをゴミ箱に入れる。

「さ、お仕事お仕事。ほら、堀君、今日も一日頑張るわよ」

 この人には逆らえないな。

「そうですね。老体に鞭を打つとしましょう」

「あはは、堀君まだ若いでしょ」

 炉辺に背中を叩かれ、眼鏡がずれる。

「おわっ」

 堀が指で眼鏡を押し上げているうちに、炉辺は元気良く歩き出していた。その背中は大きく、遠く。自分では一生掛けても追いつけそうに無い。それでも堀は歩き出した。

「ほらっ、もっとしゃきっと歩くっ」

 優しく笑う彼女に、少しでも追いつきたかったから。だから。



「お兄ちゃん、スプーン足しておいてチョウダイ」

「ん」

「あ、フォークも少ないカモ」

「足しとく。レジ前の缶コーヒーは足りそうか?」

「……ノープロブレム。どうせお客来ないシ」

 一とジェーンは客が来ない間、商品やレジ前の雑貨を補充していた。やる事が無いのである。時刻は午後四時を回っていた。何とも微妙な時間で、おまけに商品を配送するトラックが遅れているとの事で、まともな仕事は無い。

「はあ、何かだりーな」

「だらけないでヨ。アタシがいるんだから、もっと楽しくお仕事してよネ」

「……つってもさ、後二十二時間もここにいなきゃなんないんだぜ。ダブルやトリプル出勤の話じゃねーっての。そらダラけるわ。だろ?」

 あくびを隠す気も一には無いらしい。大きく口を開け、息をするのも面倒くさそうに壁にもたれ掛かった。

「眠いノ?」

 緩慢に頷く一を見遣り、ジェーンは頬を膨らませる。

「……だったら、お兄ちゃんの目を覚ませてアゲル」

「んー?」

「ね。いつになったら、アタシといっしょに帰ってくれるノ?」

「……ん」

 確かに、少しだけ一の目が覚めた。

「言ったろ。アメリカに行く気は無いってな」

「……どうしたら、帰る気になってくれるの?」

「ならない。俺にはやりたい事があるんだよ」

 行く。帰る。二人の距離は縮まらない。

「それが終わったら?」

「いつ終わるか分かんないし、終わるかも分かんないからな」

「ずるい。ナマコ殺しじゃナイ」

 一は頭を抱える。

「お前が言いたいのは生殺しだ。俺はナマコなんて殺した事無いぞ」

 殺したくもない。

「むー、ニホン語はむずかしい」

「だったらアメリカに帰ってアルファベット並べてろ」

「……そんな言い方無いヨ」

 悲しそうにジェーンは俯いた。

「悪いけど、本心だぞ。俺はな、今でも、今からでも遅くない。お前には勤務外なんて辞めてほしいと思ってる」

「どうして?」

「……分からないのかよ。心配だからに決まってんだろうが。まだガキだってのにソレと戦うなんて。いつ死んでもおかしく無いんだぞ」

「アタシより小さくてもソレと戦ってる人だっているモン」

「違うっ」

 一が珍しく声を荒げる。ジェーンは驚き、少しだけ悲しくなった。

「そういう意味じゃない。俺は、お前より小さな奴がソレと殺し合って死のうが、そんなの知らない。興味ない。けど、お前はダメだ」

「お兄、ちゃん?」

「お前が日本にきて、俺の目が届く範囲で何かあったら、世話になったおじさんたちに申し訳が立たねえんだ」

「…………」

「だいたい、おじさんたちも何なんだよ。娘がオンリーワンで働くなんて、何で認めちゃうんだよ……」

 一は空しくなる。折角、あそこは楽しかったのに。いい人だったのに。

「お、お兄ちゃん。アタシ、アタシね……」


「きゃああああああっ!」


 絹を裂くような女性の叫び。店内にいた二人は驚いたが、顔を見合わせ直ぐに外へと飛び出した。

 何が起きた。何なんだ。最悪の予感が頭を掠める。人類の脅威。外敵。害悪。ソレが我が物顔ではびこる世の中だ。何が起きても不思議ではない。

「お兄ちゃん!」

「ジェーン!」

 いた。

 何かがいた。店のすぐそこ。毛むくじゃらの物体。それに顔を埋める何か。

「うああー、可愛い。可愛いよー、もっふもふしてるよー」

 一は力が抜けた。馬鹿らしくなり、その場にしゃがみ込む。

「これ欲しいよー」

 一たちに背を向け、顔を埋めているせいか若干くぐもった声で奇行に走る何か。そこへジェーンは足を向けた。何かは四つんばいに近い体勢だったので、スカートが捲れパンツが見えている。にも関わらず、一は嬉しくない。見てはいけないモノを見てしまったような、微妙な気分に陥る。

「かあいいよう、持って帰りたいよー」

「ていっ」

 その尻をジェーンは蹴り上げた。可愛らしい悲鳴を上げ、何かは毛むくじゃらの物体から顔を離す。

「痛いっ、な、何? 何ですか?」

 一は溜め息を吐いた。

「あ、ジェーンちゃん」

 何かは、立花だった。立花は烏の濡れ羽色のセーラー服を着ており、それに負けないような、艶のある長い髪をポニーテールに結っている。学校の帰りだろうか。傍らには学生鞄と竹刀袋が転がっていた。

「こ、こんにちわ、ジェーンちゃん。あの、何でボクを蹴ったの?」

 切れ長の瞳に悲哀の色と涙を浮かべ、立花は怖ず怖ずと尋ねた。

「ハロー、タチバナ。キュートなパンツが見えてたから蹴ったノよ」

「ええっ? そうだったの? 危なかった。教えてくれてありがとね」

「ノーウェルカム」

 ジェーンは微笑んだ。立花もつられて笑いだす。

「こんにちわ、立花さん。何してたの?」

「あ、は、はじめ君。こんにちわ。そ、その。いたの?」

 立花は地面に座りながら、恥ずかしそうに上目を遣う。

「あはは、ごめんよ。俺がいたら迷惑だった?」

 ぶんぶんと、立花は勢い良く首を振った。ポニーテールもついでに揺れる。

「めっ、迷惑じゃないよ! そんな訳無いじゃないか」

「そりゃ良かった」と、一は笑顔を作る。

 ジェーンは不機嫌そうに一を見遣ったが、一は視線を合わせようとしなかった。

「あ、あのさ? はじめ君っていつからいたの?」

「いつからって……、あー、最初から」

 立花の頬が凄まじい速さで紅く染まっていく。やがて、呻きながらスカートの裾を押さえ、

「ボ、ボクのっ、ボクのパンツ見たでしょ!」

 涙声で叫んだ。

「立花さん、大丈夫だから」

 一は得心し、優しく、諭すような口調で語り掛ける。

「何がっ!?」

「あんまり嬉しく無かったから」

「それはそれで屈辱だよ!」

 立花は立ち上がり、一へ迫った。

「近い」

「ぎゃうっ」

 ジェーンの差し出した足に引っ掛かり、立花は派手にすっ転ぶ。

「なっ、何すんのさ!」

「お兄ちゃんにずーずーしく近寄らないでヨ。それと、アタシの許可を取りもしないでお兄ちゃんと口を聞かないで」

「かっ、勝手だよ! はじめ君と何をしようがボクの勝手じゃないか!」

「いや、俺の意志を介在させてくれよ」

 口を挟んだ一を、ジェーンはジト目で睨む。思いの外、その眼光が鋭かったので一は黙った。黙らざるを得なかった。

「ほら、早く許可を取ったら? お兄ちゃんと話せなくなるワよ?」

「し、知るもんか」

「はい。スリー、ツー、ワン。ほら、お願いします(プリーズ)は?」

 馬鹿にされている。それも、自分よりも年下の少女に。立花は逆らいたくなるのを我慢して深呼吸。体中の臓器に、脳に、新鮮な酸素が澄み渡っていくのを感じる。思考はクリア。そうだ。自分よりも、小さいのだ。年下なのだ。そう自身に言い聞かせると、少しだけ落ち着いてくる。そう、可愛いではないか。妹は兄を取られたくないのだ。嫉妬だ。背伸びしたい年頃なんだ。ならば、可愛い悪戯に付き合ってあげるのは年上の自分の役目だろう。

「ん。じゃ、じゃあ。ジェーンちゃん、お願いだよ。ボクもはじめ君と喋っても良いかな?」

 だが。ジェーンは殊勝な立花の心がけを鼻で笑い飛ばし、オーバーリアクション気味に肩を竦めると、

「絶対にNO! アタシが死んでもお断わりー、許可しないもんネー」

 心底楽しげに言い放った。

「……あ、あはは。そこを何とか」

 大丈夫。

「しつっこいわねジャパニーズ。これだからナットウなんて腐ったモノを食べるレッツアックな奴らはイヤなのよ。アンビリーバボゥだワ」

「俺は納豆好きだけどな」

「……シャラップお兄ちゃん」

 ちなみに、立花も納豆は好きだった。腐った豆でなく、発酵させた豆なのだ。言い返したい。でも、まだ、大丈夫。

「……お、お願いだよ」

「ドヒョー際のスモーマンみたいな粘りネ、タチバナ。見ていて吐き気がしちゃうわ。これダカラ電車の中で寝てしまうようなカトー種族はイヤなのヨ」

「いや、寝るだろ」

「お兄ちゃんはケーカイ心が無さすぎるの!」

 ちなみに、九州から近畿までの長い電車での移動で、寝ていた。立花はこれでもかと言うぐらい寝ていた。目的地を乗り過ごしてしまうぐらい寝た。気のせいか、凄く馬鹿にされている気がする。

「…………お願いします」

 色々と。少しずつ。本当に少しずつだが場の空気が重たいものに変わっていく。

「Hmm?」

 ジェーンはそんな事にはお構いなし。

「アナタ、それでもSAMURAIなの? 涙が出るCRYにあきらめが悪いのネ。タチバナの名が泣いてるわヨ? アー、ハン? もう死んだらどうカシラ」

「お前さ、どこで日本語教えてもらってんの?」

「時代劇。お兄ちゃん、アレは良いわヨ。彼らはサイッコウにクールね」

「う、うう……」

「……? あら、泣いてるのタチバナ?」

 立花は悔しそうに顔を伏せ、竹刀袋を強く握り締めていた。

「ああ、ナルホド。今からタチバナはハラキリSHOWを見せてくれるってワケネ」

「……なあ、ジェーン。言い過ぎじゃないか?」

 流石の一でも、そろそろ心配になってくる。これ以上はまずい。

「ハーラキリ、ハーラキリ」

 ジェーンは全く心配してなかった。何も考えていないのか、小学生でも「それは……」と言わんばかりに立花を煽っている。

「で、で……」

 遂に。遂に立花が袋から刀を取り出した。一はぎょっとして目を疑い、距離を取る。

「ハーラキリ、ハーラキリ」

「馬鹿! 二人ともやり過ぎだろ!」

「ハラキリハラキリハラキリ!」

「ちょっと黙れ馬鹿! リズム変えんな、ムカつくわ!」

 一はジェーンの口を押さえ立花を宥めに掛かる。

「お、落ち着いて! 落ち着いて立花さん!」

「で……、で……」

 で。で、とは何だ。そもそも会話が成立していない気もしてきた。

「た、立花さん?」

 ダメだ。もしもの時は体を張ってでも抜刀を防がなければならない。一は降って湧いた不幸に倒れこみたくなった。

「ジェーン、余計な事言うなよ」

ふん、(ウン)ははっは(わかった)

「あっ……」

 口を押さえていた手が、ジェーンの舌と吐息で舐め回された。何とも言えない感覚に一の体から力が抜け落ちていく。

 そこを好機と見たのか、立花は鞘から刀を抜き、大上段に振りかぶった。

「で、殿中でござるうぅ!?」

 ああ、『で』とはその事か。けど、刀を抜いた君が言ったらダメなんだよ。突っ込みきれない状況に、一はどうしようも無いくらいに意識を手放したくなった。

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