オンリーワンの職場の事情
太陽が、雲一つない空の真上に位置している。
本格的な寒さがやって来る前の、和やかな暖かさが駒台に広がっていた。
和やかな街、和やかな人。
「ソレと戦ったのは、み……この人です」
右の頬を真っ赤に晴らした一が、三森を一瞥してからハッキリと言った。
この人、と呼ばれた三森の眉が吊り上がる。
「……じゃ三森、どんな奴だったか教えてくれ。情報部がデータ欲しがってるんだ」
煙草を銜えた店長が、三森の方を見ながら言った。
「コイツの方が知ってンじゃないですか? ずっと後ろで見てやがったから」
三森が一を横目で見ながら皮肉っぽく言う。
昨晩のソレとの戦いから一夜明けた今日。
店長が新種のソレのデータを情報部に送る為に、ソレと遭遇した二人を呼び出したのだが。
「あのな、お前ら……さっきから何なんだ?」
少し間を置いてから。
「別に」「何でもねェよ」
ソレと遭遇した二人が同時に呟いた。
何故か二人とも機嫌が悪い。
「まあ、話だけ聞いてりゃ鎌鼬っぽいけどな」
「かまいたち、ですか?」
一が興味有り気に店長に尋ねる。
「ああ、早い話がイタチの化け物だ。三匹で行動して人を襲うアレだよ」
アレ、と言われても。
昨日のソレは、実物よりかは大きかったが、確かにイタチに似て三匹で行動していた。
一が昨晩を思い出してみる。
「あれ、でも、一番後ろの奴は何もして来なかったんですけど?」
「確か三匹目は、斬ったヤツの傷口に薬を塗って行くんだよ。だから鎌鼬に体を切られても痛みを感じないで居られるって訳だ」
「……私は切られても痛かったけどな」
舌打ちする三森。
そりゃ良かったですね、心の中で三森に相槌を打つ一。
「とりあえずだな、今日は堀が来るからお前らはもう帰って良いぞ」
「えっ? 店どうするんですか?」
知るか、と店長が煙を吐き出した後。
「堀が何とかする」と付け加えた。
じゃあな、と手を振る店長。
「店長、私の装備は?」
「ああ、忘れてた」
装備?
現実世界では、余り聞き慣れない単語に一が不思議に思う。
「今すぐにでも必要だよなあ、じゃあ支部まで取りに行って来てくれ」
「ハァ!? 嫌だよ面倒くせェな!」
「なら仕方ないな、当分は大人しくしてろ」
店長が我関せずといった感じで、食い下がる三森をあしらう。
「ソレが出たらどうしろってンだよ」
「そんときゃ堀が支部から無理矢理にでも持って来るだろ。どっちにしろ、もう堀こっちに向かってるらしいから、今欲しいなら自分で取りに行け」
「分かったよ、取ってくるよ!」
三森が店長に怒鳴りつける様に声を荒げた。
そして出て行こうとする三森と、さっきから蚊帳の外だった一の目が合う。
「そうだ、お前ちょっと行って来い」
意味が分からない、と一が視線を外して言った。
無理矢理に、一の外した視線の先に入り込んで三森が続ける。
「昨日の借りを返すと思って。私の装備を取りに行けって言ってンだ」
「何で俺が。しかも俺はあなたに借りなんて作ってません」
再び睨み合う二人。
その様子を見ていた店長が提案。
「じゃ、二人で行って来い」
何で、と声を揃える二人。
「三森は装備を取りに、一は見学って事で良いだろうが」
「コイツと行くなら死ンだ方がマシだ!」
「え? 死んでくれるんですか?」
テメェ、と三森が一に掴み掛かった。
店長が止めようかどうか迷っていたその時、扉が開く。
「お早うございます。あれ? 何してるんですか?」
何も知らない堀がやって来た。
バックヤードが和やかな雰囲気に変わる。
まるで、外の暖かさをそのまま連れて来たかの様な空気。
「やっと静かになったか」
店長が缶コーヒーの蓋を開ける。
「賑やかで良かったじゃないですか」
堀がファイルの中から書類を取り出しつつ、にこやかに語り掛ける。
「お前はたまに来るから良いかもしれないけどな、私はずっとコレだぞ」
「はは、それもそうですね。……あれ、そういえば。そもそも三森さんがうるさかった事ってありましたっけ?」
「……いや、無い……よな」
「彼女も長いですよね、私より先に北駒台店に居ますから」
ああ、と店長が答える。
堀がオンリーワン北駒台店にSVとして来たのは、店がオープンしてから半年ほど経ってからだった。
つまり、三森はそれより長くこの店に勤務外として働いている事になる。
「残ってるのはアイツだけだからな」
店長が、空きの多いロッカーを見ながらそう言った。
「……失礼ですけど、三森さんってあんな顔できるんですね。彼女の楽しそうな顔を見るのは初めてでしたよ」
堀が書類から目を離して言った。
「楽しそうかあ?」
「ええ、楽しそうでした」
「……そうか、そうだな」
ややあってから、私もだよ、と店長が付け足す様に呟く。
そこからバックヤードには会話が無くなった。
店長と堀。
お互い黙ってはいるが、決して気まずくは無い空気。
そしてお互い、赤いジャージを見事に着こなす女性の様子を思い出していた。
「……お前ってさ、バイクの免許も持ってねェのな」
「……三森さんって、いつもそのジャージですよね」
平日の昼下がり。
人通りの少ない道を、一と三森が少し距離を空けて歩いている。
目的地はオンリーワンの近畿支部。
この辺りのオンリーワンの支店を統括、管理する場所。
目的の物は三森の装備だ。
「あ、ジャージ破れてますよ。着替えなかったんですか?」
「お前髪の毛はねてンぞ。少しはそういうトコ気にしろよ」
歩いてから十分は経っただろうか。
その間、お互いに口から出るのは互いの悪口のみ。
一としては、支部に何の用も無いのだが、三森と店長の圧力によって半ば強制的に同行させられている。
行きたくない所に、好きでもない人と一緒に行く。
三森も店長の圧力により、連れて行きたくも無い人間と一緒に行動している。
ふと、昨日自分が一を殴った事を思い出す。
何故急に手が出たのか、三森本人にも分からない行動。
ソレを倒した後、駆け寄って来た一の頬を、拳を作って殴った事を思い出す。
――何でだろな。
理由が分からぬまま、三森は考えるのを止めて歩く。
――何で俺を殴った女と一緒に歩かないといけないんだ。
一が昨日、三森に殴られた事を思い出す。
何故急に殴られたのか、一には全く理解の出来ない行動。
ソレが消えた後、立ったままの三森に駆け寄ると、思い切りグーで殴られた事を思い出す。
答えが分からぬまま、一は考えないようにして歩く。
二人が煙草に手を伸ばすタイミングは殆ど同時だった。
オンリーワン近畿支部。
世界に幾つかある、支部の内の一つ。
ちなみに、堀もこの支部の社員として属している事になる。
北駒台店からは、徒歩で十五から二十分の距離。
外からは、何階建てになるか分からないぐらいの巨大なビル。
駒台の街でも有数の高さを誇る建物だ。
「じゃ私は行くからな」
「俺はどうするんですか?」
歩き掛けた三森の足が止まる。
「一人が嫌なら付いてくりゃ良いだろ、私に聞くんじゃねェよ」
そう言って、正面玄関に向かっていく。
仕方なく、一も三森の後を追った。
建物の中に入ると、一の目には広いホールらしき空間が飛び込んだ。
真っ直ぐ行くと、エレベーターが三基ほど設置されている。
三森は目眩がするほどのだだっ広いホールを通り過ぎて、エレベーターに向かう。
一も小走りで更に後を追う。
「遅いンだよ、早く来い」
「スミマセン」
三森がボタンを押すと、暫くしてから扉が開いた。
乗り込んで、地下三階のボタンを押す三森。
――地下?
一は少し気になったが、さっきから自分たちの格好が、何だかこの高級そうなビルには似合わない気がして、気疲れし始めていたのもあって押し黙っていた。
数秒、殆ど密閉された空間で過ごすと、再び扉が開く。
エレベーターから降りた先は薄暗く、照明の行き届いていないフロアだった。
――上はあんなに明るいのに。
一が不審に思っていると、奥からつなぎを着た男性がやって来た。
一と同じか、若しくは小さい体だ。
「何か御用でしょうか?」
「北駒台店の三森だけどさ、火鼠ってまだ残ってる?」
三森が一の耳には聞き慣れない単語を口にすると、男が待ってて下さい、と言ってまた奥に引っ込んでいった。
ふぅ、と三森が安心したように息を吐いた。
「あの、ここは一体……」
「オンリーワンの技術部だよ、ソレとやり合うモン作ってンだ」
「ああ、装備ってここで貰うんですね」
一が成る程と、納得する。
「装備が貰えるのは、私らだけだぞ」
「……別に俺は欲しくないですけどね」
だろうな、と三森が呟く。
「お待たせしました」
男がビニールで包装された服らしき物を持って現れた。
三森がそれを受け取る。
中身は上下揃った、赤いジャージ。
「後どれくらい残ってる?」
「在庫はそれで御終いですね、次に入るのは一週間後と聞いてますが」
そっか、と頷くと三森が礼を言って踵を返す。
男が奥に戻っていくのを見届け、一もまた三森を追いかける。
エレベーターの『開』ボタンを押すと、扉は直ぐに開いた。
二人して中に入る。
ゴウン、と二人を乗せた箱が動き出す。
支部から二人が出ると、陽が少し傾いていた。
三森が左手に抱えている物を見て、一が口を開ける。
「それが装備ですか?」
ああ、と煙草に火を点けながら三森が答えた。
装備。
一の目には、今、三森が着ている赤いジャージと同じ様に見える気がしたが。
「ジャージ、ですよね」
分かり切った事を一が尋ねると。
ああ、と煙を吐きながら三森が答える。
「今、着てるヤツと……」
「おンなじだよ」
「何か、凄い効果とかあるんですか?」
「……お前には関係ねェだろ」
この間の「ありがとう」はなんだったんだ。
一があの時の、三森の自然な笑顔を思い出す。
煙草を不味そうに吸っている女を見ると、とても同一人物とは思えなかった。
思いたくなかった。
「俺、先に帰りますね」
一が靴紐を弄りながら三森に聞いてみた。
「勝手にすりゃいいだろ。一々聞くンじゃねェよ」
答えは返ってきた。
一はお疲れ様でした、と感情を込めずに言って、来た道を戻って行く。
三森は近くのベンチに腰を下ろす。
――すげェイライラする。
貰ったジャージを叩き付ける様に置いて八つ当たり。
ストレスを解消する為の煙草を吸っても、ストレスが溜まって行く感じがする。
昨日からの、自身でも分からない様な感情に三森は振り回されていた。
――どうしたってンだ私は。
今まではこんな事なかったのに。
ぼうっと遠くを見る。
知らない間に、煙草の火は先まで上ってきていた。
短くなった煙草を地面に投げ捨て、近くにあった空き缶を思い切り蹴飛ばす。
誰も居ない昼下がり。
三森は得体の知れない気持ちに吐き気まで覚えていた。
高く蹴り上げられた空き缶は、気持ち良さそうに空を泳いでいた。