蛇の道は蛇
オンリーワン北駒台店。
理由も無く信念も無く、もはや疑う事すらもしないで日夜ソレと戦い戦わされ、死なし死なされ、殺し殺される勤務外店員を擁する唯一のコンビニエンスストア。戦う術も力も持ち得ない一般市民の盾となり剣となり、人々の畏怖を一身に受ける勤務外店員。無力な人々は力を持つ者を煙たがる。疎外する迫害する嫌悪する。人々の恐怖と怨嗟と妬みと嫉みと恨みと憎しみを浴びる勤務外店員。
「……三森、客来てるぞ」
「あっそう」
勤務外店員を纏めるのは長である。即ち店長。責任者。店での最高の権力を有する者。
「早く行け。ガキがレジの前で泣きそうな顔してるだろうが」
椅子にふんぞり返り、モニターを指差して偉そうな物言いをしているのは、北駒台店の店長。二ノ美屋である。彼女はこうして椅子に座って煙草を吹かしては指示を飛ばす。それが彼女の仕事であった。
「私が行ったらもっと泣かせちまうんじゃねェの?」
ぎゃはは、と品のない笑い。勤務外店員、三森の発したものであった。彼女は常に真赤なジャージを着ており、髪の毛は短い金髪。目付きは悪く口も悪い。
「良いから行け。給料下げるぞ」
「どーせならクビにしてくれよ。最近ソレが多くてさ、しンどいんだよな。たまには休みが欲しいぜ」
「早く行け」
「店長が行けば?」
軽口を叩き合った彼女らはバックルームで睨み合った。やがて三森が折れる。いつもこうだった。
「……レジ打ちゃ良いンだろ」
「あー、言わんこっちゃない。泣き出しやがった。ほら三森、とっとと行って謝って来い」
「了解……」
突如地球上に、この世界に現れた人類に仇なす存在。通称は『ソレ』。勤務外店員の業務内容は、そのソレと戦う事が第一であったが、通常のコンビニのアルバイトのこなす様な仕事も、彼らの大事な業務の一つであった。
「煙草は消してから行けよ。煙がどうので親に出張られちゃ面倒だ」
「ちっ、面倒なのはこっちだ!」
三森は盛大に舌を鳴らし、煙草をバックルームの床に落とし、滅茶苦茶に踏みつける。
「こンなのは私の仕事じゃねェ! あいつ向きだろうが!」
今日も、オンリーワン北駒台店は忙しい。ああ、忙しい忙しい。働かざるもの食うべからず。
「嫌な悪寒がするな」
「……と言う事は、良い悪寒と言う物も存在するんですね」
一と黄衣は、つくも図書館の二階の隅の席でヤマタノオロチについて調べていた。机の上には二十冊にも上る資料の山。全てヤマタノオロチに纏わる本である。
一は読んでいた本を閉じ、何故か肩を震わせた。
「今日バイト行きたくねえなあ……」
「アリとキリギリス、ご存知ですか?」
ナコトはそう問いかけ、眼鏡の位置を直す。一は鼻で笑った。その話なら知っている。
「どうせ俺がキリギリスって言いたいんだろ?」
「? いえ、あなたは虫以下ですね、と。そう言いたかったんですけど……」
「ああ、そうなんだ。じゃあアリとキリギリス持ち出す意味が無いよね?」
「確かに。あたしとした事が。凡ミスです。ついうっかり」
ナコトは再び本のページに視線を落とした。
「お前手伝ってくれるって言ったよな?」
「ええ、言いましたよ」
「じゃあ何で違う本読んでんだよ。ヤマタノオロチについて調べてるって言ったじゃんか。約束破ってんじゃねえよ、おら、お客様に失礼だろ」
一はナコトを非難する。今までの借りを返すかのように。そりゃもう、水を得た魚の様に。
「聞き苦しいな……」
「えっ?」
「なんでもないです。……あたしはもう、殆どの資料に目を通しました。今別の本を読んでいるのは飽きたからです。その証拠に、ヤマタノオロチについての質問を受け付けましょう」
ナコトはジロリと一に冷たい視線を遣った。
「へーっ、あんな短い時間でか? じゃあ答えてもらおうじゃねえか」
一はナコトの目にたじろぎながらも、食らいつく。
「……そうだな。じゃあ、ヤマタノオロチを倒したのは?」
「そんなの質問とも言えませんね。子供ですら知ってる答えです。スサノオ。スサノオノミコトでしょう。ミコトとナコト。ちょっと字面が似てますね」
ナコトは一を馬鹿にしたように小さく笑った。
「今のは、ほんの序の口だ。……良し、スサノオがヤマタノオロチを倒した時に持っていた剣の名前は?」
「十束剣ですね。ちなみに十束剣は固有名称ではない筈です。日本神話でも様々な場面で登場していることや、束が長さの単位の一つであったことから、十束剣とは、そもそも長剣の一般名詞であったと考えるのが妥当でしょう。ああ、それとあなたの次の質問が予想できてしまったので先に答えておきます。『では、ヤマタノオロチの尾から現れた太刀の名前は?』でしょう? 答えは天叢雲剣です。諸説ありますが、名前の由来は、ヤマタノオロチの頭上にいつも雲、叢雲が掛かっていたからと言うのが主流のようですね。ああ、そう言えば草薙剣と言う別名も与えられていましたね。スサノオがアマテラスに剣を献上した後、天孫降臨の際にニニギに渡って、紆余曲折ありヤマトタケルの元に行き、そのヤマトタケルが東征中の駿河で燃え盛る火を草を薙いで退けた事から草薙剣と言われるようになったそうです。まあ、この由来にも諸説あるんですが、やはり今あたしが言った説が一番広く知られているものでしょう」
一は黙り込む。
ナコトは何も言わない。何も答えない。何もしてくれない。一の事を黙って見ているだけ。
やがて一は、
「正解だ」
固くなった声でそれだけ言った。
「ま、まあ今のも序の口だからな。ふ、ふふっ、惨劇への幕は開いたばかりだ」
「御託は結構です」
ぴしゃりと、ナコトが冷淡に切り捨てる。
「……分かってるよ。じゃあ、ヤマタノオロチってのは何の神様か知ってるか?」
「オロチは水を司る神だったような気がします。ヤマタノオロチ。八つの谷と八つの峰に跨る巨体だとしても結局は蛇です。そも、古来から世界各地で蛇は信仰の対象となっていたんです。知ってますよね? 蛇は脱皮をする生物です。脱皮と言うのは死と再生を連想させると聞きます。そして人間には持ち得ない長い体と毒、人間以上の生命力を以ってして、昔の人は蛇を神様の使いだと信じていたようです。蛇は野山に棲み、人間にとっては害であるネズミを餌としていたので、大地母神の象徴だったんです。豊穣、多産、永遠の生命。あなたにも関係の深いギリシャ神話にしても、蛇は生命力の象徴ですしね」
「どうして俺とギリシャが関係あるんだよ?」
「あなたの頭には何が入っているんですか? あなたの持っているアイギス。それをあなたに授けたアテナ。ほら、関係無くは無いでしょう」
「……そうかあ?」
そういうものですと、ナコトは頷いた。
「でもさ黄衣。蛇って昔から神様の使いだと言われてたんだよな?」
「ええ」
「基本的に神様って正しいモノだよな?」
「……んー。非常に難しい質問ですけど、まあ、あなたが信じるなら神様は正義なのでしょう」
「曖昧な答えありがとう。じゃあ、あえて言うけどさ。蛇って嫌われ者じゃないか? 何かニョロニョロしてるし、毒持ってるしさ。信仰の対象ってか気持ち悪いって印象じゃね? 俺も蛇は好きじゃないし。むしろ蛇を好きな奴って少ない気がする」
「信心深い人が減ったんじゃ無いんですか? 確かにあたしも蛇は好みではありませんが、財布の中に白蛇の抜け殻は入れてます。勿論岩国の白蛇です」
「ああ、そう言えばい――薬にも、なるらしいな蛇って」
「ええ。ですから、結局は信仰なんてそう言う物なのでしょうね。信じる人は信じれば良いし。信じない人は信じないで良いんです。なんにせよ昔にはモノが少なかった。縋る物が必要だったんでしょう。あたしは世界が滅ぶって聞かされても、蛇に縋るなんてごめんですけど」
一は腕を組む。
「ヤマタノオロチなんて唯の怪物だと思ってたけど、でっかい蛇の神様だった訳だな」
「あなたは随分と大雑把な解釈をするんですね。逆に羨ましいです。ああ、あたしからも一つ質問、良いですか?」
「……俺に答えられる範囲なら」
「では。オロチが水の神様なら、クシナダヒメは一体何の事を指し示していると思いますか?」
「えっと、クシナダヒメってヤマタノオロチの生贄にされちゃいそうになる女の子だよな?」
ナコトは神妙に頷いた。
「……クシナダヒメは、その、何だ。可哀想……。……そう、可哀想なヒロインだ!」
「成る程。あなたはアンドロメダ型神話を持ち出した訳ですね」
一には何のことかさっぱり分からない。てっきり「あなたの方が可哀想です」ぐらい言われると思っていた。
「ま、まあ、そんな所だ」
「あたしもアンドロメダ型神話は好きなんですよ。あなたは特に何が好きですか?」
「お前から言えよ」
そこでナコトは酷薄な笑みを浮かべる。
「あなたからどうぞ……」
言えるものなら。一はそう言われている気がした。
「すまん。適当言いました」
「浅はか過ぎますね。無知は無知なりに、素直に教えを乞えば良いんです」
その通り。
「ごめん、教えて下さい」
「素直ですね。気持ちが悪いですが……良いでしょう、教えましょう。アンドロメダ型神話と言うのは、英雄が怪物を倒して囚われのお姫様を救い出す、と言った流れのストーリーを持つ神話の定型のひとつです。ほら、スサノオがヤマタノオロチを倒してクシナダヒメを救う。アンドロメダでしょ?」
「成る程。そう言われれば漫画でもアニメでも良く聞く話だな」
「でしょう?」
「ところで何の話してたっけ?」
心底憎らしげに、ナコトは一を睨む。強く睨む。
「クシナダヒメは何を示しているのかと、あたしは聞いたんです」
そのままペッと唾でも吐きそうなぐらいにナコトは言い捨てた。
「ああそうだったそうだった。で、俺が可哀想なヒロインって答えたんだよな」
「あなたの方が可哀想ですけどね」
「……ごめん」
「謝るくらいなら頭を働かせて下さい。必死で。まあ、そうは言っても時間も無いんでしょう? 教えてあげます。クシナダヒメは稲田を表していると、そう言われているんです」
「ヤマタノオロチが水で、クシナダヒメが田んぼ。ふーん、どして?」
一はお気楽に口を開いた。ナコトは何か言いたげだったが、呆れた表情を浮かべて目を瞑るだけだった。
「……蛇と川は関係の深いモノなんです。蛇行って言葉知ってるでしょう? ぐにゃぐにゃと這う蛇の動きが川の流れと同一視されていたんです。昔の人は分からない事や自然現象を何でも生きてるものの所為にしようとしてましたから。だ、か、ら。オロチは水を表していている事に、どうしてと聞き返すなんて恥知らずも良い所です。あなただって資料に少しは目を通していたでしょう? 考えて下さいよ。大学生にもなって……。情けない」
返す言葉も無かった。一は黙ってナコトの話を待つ。
ナコトはゆっくりと呼吸を繰り返し、椅子に深く座りなおした。
「オロチが毎年生贄を要求していたのは何を指し示すと思いますか?」
冷静を保ちつつ、ナコトは質問する。
「んー。オロチが水、川でクシナダヒメが田んぼ。で、毎年だろ……」
与えられたキーワードを元に一は推理を始めた。
「遅いです。どうして分からないんですか? オロチが毎年娘をさらうのは、毎年起こる河川の氾濫の象徴なんです。当然の帰結でしょうに」
一の推理が終わった。
「そしてスサノオがオロチを退治した事は河川の氾濫を沈めた事、つまり治水にあたります」
「分かった分かった。お前は凄いよ、頭良いよ。俺が悪かった」
「本当にそう思っているなら、少しは敵について知ろうとして下さい」
「……敵?」
「八俣遠呂智。カトブレパスの次は日本神話の怪物ですか。この街は本当にバリエーションに富んでますね。最悪です。折角フリーランスを辞めたって言うのに……」
ナコトは悲しそうに俯く。
「そんな事俺は一言も言ってねえぞ」
「……あなたは絶望的に嘘を吐くのが下手なんです。と言うより、隠そうともしないし」
「俺も出るとは信じちゃいねえよ。人から聞いたんだ」
「誰から?」
一は頭を掻き、窓を見た。今にも降り出しそうな黒い雲。雲。叢雲。否が応でも連想させる。
「『神社』だ」
その言葉を聞き、ナコトは呆れたと小さく呟いた。
「あ、あなたってつくづくツイて無いんですね。あたしと言い、『神社』と言い……」
「知ってたのか?」
「あたしだって、元『図書館』です。同業者の情報だってちゃんと持ってます。まあ、有名な人たちだけですけど」
「……なら黄衣、お前は信じるのか? ヤマタノオロチなんて化け物がこの街に現れるなんてよ」
「あなたは? 信じるんですか?」
何を信じれば良いのだろう。何を信じる事が出来るのだろう。ヤマタノオロチ。自分自身。それとも山田栞。どれを信じれば良いのだろう。グチャグチャになった頭を掻き、一はナコトを見つめる。
「分かんないな」
「そうですか。ですが『神社』の情報ならばある程度は信用できると思いますよ。ヤマタノオロチと関わりの深い人ですからね」
へえ、と。一が感嘆の声を上げた。
「良く知ってるな」
「あなたが何も知らないんです。敵の事を知っておかなければ、アイギスの力を発揮するなんて出来ませんよ」
「アイギスの?」
「あなたならば知っている筈です。直接女神から授かったんでしょう? あなたの頭の中に、全て詰め込まれている筈なんです」
力の使い方が、と。ナコトはそう付け足す。
「……どうだかな。俺もそんな事詳しくは他人に話したくないし」
「名前、ですよね」
一は目を見開いた。驚きを隠せないまま、ナコトの顔を窺う。
「アイギスを発動させる為の条件。あたしなりに推測しました。恐らくは他にも様々な制約が課せられている筈ですが、『止めたい相手の名前を知っている事』が、絶対条件、もしくは前提条件なのでは?」
「正解、とは俺の口から言わないぜ」
「分かってます。あたしが何時敵に回るか分からないですからね。……、しかしそれだけでは足りない筈です。名前を知っているだけでは、アイギスの効果は十二分に発揮出来ないのでは?」
「……それも言えない」
「でしょうね。ですがこれだけは言っておきます。あたしはあなたを敵に回すつもりはありません。絶対に。あたしの全てを賭けても足りないぐらいです。そしてあたしはあなたに恩を感じています」
ナコトは平坦な口調で言葉を紡いだ。
「いきなりだな……」
「あたしはあなたに死んで欲しくないんです。詰まらないですからね、あなたが死んでしまえばあたしは誰に毒を吐けば良いのか分かりませんし。ですから、確率を上げて下さい」
「何の?」
「生き残る確率です。あたしはソレとの戦闘からリタイアしてしまいましたが、あなたはまだ続けるのでしょう? 勤務外を。ソレとの戦いを。人外を」
「……お前」
「もう、お昼になりますね。雨も降り出しそうです」
ナコトは空を見上げながら、徐に席を立つ。
「湿気は本の大敵なんですよ」
「なあ、黄衣?」
一も席を立ち上がった。ナコトは眼帯の位置を直し、溜め息を一つ。
「……あなたはペルセウスでも聖ゲオルギウスでもスサノオでもないんです。あなたでしかないんです」
「なあ、ゲオルギウスって誰だ?」
「煩いです。とにかく、あたしはまだあなたに借りを返していません。相手がヤマタノオロチであろうが、なんであろうが――」
「――知ってるよ」
一はナコトの頭に手を置くと、
「また来るから」
それだけ言って階段を下りていく。
「さっ、触らないで下さいっ」
ごめんごめんと、軽そうに一は手を振った。
約束の時間、昼頃を大幅にオーバーしてしまったが一は自分の家に戻ってきた。扉を開けると、室内から酒の匂いが漂ってくる。一歩室内に足を踏み入れれば、充満した酒気が一の鼻を強く刺した。思わず目を瞑り、一は山田の名を呼ぶ。
「栞さん……?」
部屋のどこにも山田の姿は無かった。不意に、一の脳裏にあの日が蘇る。帰って来ても誰もいない部屋。テーブルに置かれた札束。冷たい空気。あの日の光景のどれもが、やけに鮮明でいやに克明だった。
もう一度、一は山田を呼ぶ。枯れそうな声だった。
「――――……んん?」
眠そうな声。部屋の中央に位置するこたつが動く。
「……栞さん、居るんですか?」
やがてこたつから人間の顔が飛び出してきた。一は短く叫ぶ。こたつから出てきたそれは、不機嫌そうに顔を歪ませた。
「うるせえぞ一。折角気持ち良く寝てたっつーのによ……」
髪の毛を掻き毟り、山田はこたつの卓に頬杖を突く。
一は一先ず安心した。
「何もそんな所で寝なくたって……」
「オレは狭い所の方が落ち着くんだよ。それよっか、すげえ腹減った」
「栞さん、食べ物に好き嫌いはありますか?」
山田はブンブンと首を振る。
「ねえよ。好き嫌いしてたらこんなにでかくなれる訳ねえだろ」
はっはっはっと豪快に笑って、山田は一を見た。
「一もしっかり肉食わなきゃでかくなんねえぜ?」
「……あはは、じゃ、ご飯作りますね」
「お?」
台所に立った一を、山田は信じられない表情で眺める。じっくり一分ほど一の全身を見物した後、山田はやおら立ち上がり、一の背後に付くと戸棚から包丁を取り出した。
「退いてな」
煌く刃。
「うわっ、危ないですよ!」
「心配ねえって。大体だな、台所に立つのは女の仕事だ。男はどっしり構えてりゃ良いのさ。おら、飯ならオレが作ってやっから、お前は寝てろ」
包丁を持ったまま、山田は一を手で追い払う仕草を見せる。逆らうのも怖かったので、一は仕方なくこたつのそばに座した。一はテレビを点けて、気になっていた事を何気なく質問してみる。
「料理、作れるんですか?」
後姿の山田がピクリと反応。
「……オレが料理できる女に見えねえってか?」
怒気を孕んだ低い声。一の背筋が震え上がる。
「い、いえ、そういう意味じゃなくって……、……やべえ。あ! ほら、俺んち材料少ないから、作れる物なんかあるのかなって。それだけの意味ですよ、嫌だなあ」
「ふーん。ま、確かにそりゃそうだ。一、この辺に店はねえのか? この際だ、スーパーでも何でも良いぜ」
どの際はスーパーじゃ駄目なんだろうと思いつつ、一は近くにスーパーとコンビニがある事を山田に告げた。
「それじゃ買い物に行くとするか」
山田は包丁をまな板に置くと、首の骨を鳴らし肩を回す。
「……あ」
「どうしました?」
固まったままの山田を見て、一が声を掛けた。山田の顔面は蒼白になり、自身の体を両腕で強く抱きかかえる。何かに怯えているような、そんな鬼気迫る表情だった。山田の様子に、一体どうした事かと一が駆け寄る。
「や、やべえ……」
「だから何がですか?」
「そ、外に出られねえんだ」
「……どういう意味ですか……?」
この表情。何かある。もしかしたら既に何か起こったのかもしれない。一は油断無く耳を澄ませ、外の様子を窺った。
「ふ、服が」
「ふく?」
山田は自分の今着ている服――一の貸し出したジャージ――を指差しながら、
「こんな服じゃ外に出られねえ……」
泣きそうに、実際半泣きになりながら一に訴える。
それを言うなら、あの巫女装束の方が恥ずかしくないのか。と言う疑問を飲み込み、一はジャージでも、むしろジャージは大丈夫だと言う事を山田に説明した。
「……やっぱ、しっくり来ねえなあ」
スーパーの帰り道。周囲をキョロキョロと警戒するように視線を配りながら、ビニール袋を提げた山田がそう、呟いた。
「巫女装束の方が目立ったでしょうに」
「いや? そうでもなかったぜ、誰とも目が合わなかったしな」
「……なるほど」
触らぬモノにたたりなし。一般人は力を持たない分恐怖に敏感で、それでいて非常に賢明だった。
「それよかさ、昼だけでこんな材料買い込んでて大丈夫なのかよ?」
「何がですか?」
山田は少しだけ顔を赤くして。
「いや、オレが言うのも何なんだけどよ、一人暮らしって、ほら、金掛かるんだろ? 節約しなくて大丈夫なのか?」
「……えっと、晩御飯の分も買っときました。実は俺、今日は夕方からアルバイトなんですよ。晩御飯、食べるの遅くなっちゃうんで、栞さんは先に食べちゃってて下さい」
「駄目だ。待っとくから、仕事終わったら早く帰って来い」
「え? 十時回りますよ?」
「待っとくって言ってんだろ」
有無を言わせぬ口調だった。山田は顔を真赤にして俯いている。
「分かりました。あー、その、怒ってます?」
「う? お、怒ってねえよっ」
食材の詰まったビニール袋を振り回しながら、山田は必死で否定した。
「ご、ごめんなさいっ。分かりました! 分かったから落ち着いてっ」
「お、おう……」
「……あの、そう言えばヤマタノオロチって水の神様だったんですね」
「ん?」
一の言葉に、山田は目を丸くする。
「俺、でっかい怪物だとばっかり思ってましたよ」
「あ、お前もしかして出掛けてたのって……」
「ヤマタノオロチの事が気になったんで図書館で調べてきました」
事も無げに一は答えた。
「けっ、調べるのは良いけどよ、オレの邪魔はしないでくれよ」
「分かってますよ。とてもじゃ無いですけど、あんなデカイの相手にしようだなんて思いません。思えません」
「へっ、でもビビッててもさ、一は勤務外だろ? 今日、もしソレが出たらどうすんだ?」
「言わないで下さいよ」
はっはっはっと、山田は笑って一の肩に手を置いた。
「心配すんな! ソレが出てもオレが全部終わらせておいてやるからよ」
「頼もしいですね」
「……あー、けどよ。早い所オレの服を持ってきてくれねえかな?」
先日洗濯に出した、山田の巫女装束。
「大丈夫です。今日バイトが終わったらクリーニング屋まで取りに行ってきます」
死ぬほど恥ずかしいけど。とは言わないのが一の矜持。
「そっか、頼むぜ。アレが無きゃ締まらねえからな」
「栞さんこそ、美味しいの作ってくださいよ」
そう言って一は空を見上げる。曇り空だった。降りそうで、中々降らない。だが、いつかは必ず降るのだと、雲はそう言っていた。一には、そう聞こえた。
その日の晩、『天気屋』と『神社』が遭遇した。