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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
やまたのおろち
64/328

それは蛇足で

「はっはっはぁー! いやー鴨って素晴らしいわ、素晴らしい。あんたも、そう思わない? 私はそう思うわよホントもう最高ね。向こうからネギと鍋担いでくるんだから美味しく頂いてあげないとむしろ失礼ってもんよねあははははは」

 一は辟易としていた。糸原の機嫌が良過ぎる。悪いよりかはマシかも知れないが、それでも過ぎる物は厄介なものだと一は認識していた。

 今日の糸原は朝早くに階下に住む北からギャンブルで金を巻き上げ、一の部屋に戻ってからずっとこう(・・)だった。

「働いてるのが馬鹿みたいだよねー。コンビニでレジ打っててもさ、一時間で千円ちょっとよ? 勤務外ならもう少し行くけど、それでも賭けに比べりゃカスみたいなもんよ。あー、私ギャンブラーなろっかなー。超楽じゃん、世の中頭と目が悪い人間ばっかなんだもん。私の天下よ天下あっはっはっは」

 ずっと、こうだった。一時間近く、糸原は喋りっぱなしである。糸原の話を無視したり、たまに相槌を打たないと殴られてしまうので、一は仕方なく内容の全く無い糸原の話の中から、相槌を打つポイントを窺っていた。

「あんたもさー、バイトなんて辞めちゃってギャンブラーなろうよギャンブラー。二人で組んでラスベガスとかハリウッドとかモナコに行こうよー。んで金持ちから絞れるだけ搾り取っちゃおう。超楽しいって、脳内麻薬出まくりよー?」

 ここだ、と。一は相槌を打つ決意をした。

「あー、良いですね。けど俺じゃあ、人様と生き馬の目を抜くような駆け引きするのなんて無理ですね」

「心配ないわよ? だって私がいるじゃん。あんたは横で見とくだけで良いわ。あー、でも少しぐらいならあんたにテクニックを教えるのも楽しそうね。そしたら私の事はマスターイトハラと呼びなさいよパダワン?」

 一は一つ溜め息を入れる。

「……楽しそうなのは結構ですけど、泡銭だけでなく、きちんと働いて手に入れたお金も良いものですよ」

 糸原は一の苦言などお構いなしに、

「はっ、金は金よ。私は金を手に入れるまでの最短ルートを最速で突っ走ってるだけじゃない」

 そう言ってから鼻で笑った。

「そんなにお金が好きですか」

「少なくとも、あんたよか金の方が好きね。お金は私に好きな物を与えてくれるけど、あんたは何もくれないじゃない。好きなようにもならないしね」

「……えっと、ここが誰の家か知っていますか?」

「居候、三杯目にはそっと出し」

「分かってんなら良いんですけど、糸原さん最近ゴーマンですよホント。食費圧迫するし、俺の財布持ってパチンコ行っちゃうし。大体そんなに喜ぶほど賭けに勝ってお金があるなら、少しぐらいは生活費入れてくれても良いじゃないんですか?」

「い・や・よ」

 糸原は人差し指を振りながら得体の知れないポーズを決める。一の眉間に皺が寄った。

「バイトまで辞めるんですよね? 次の当てはあるんですか? まさか先の事を何も考えずにコンビニ辞めちゃうんじゃないでしょうね」

「だーかーらー、ギャンブルで暮らすっつってんじゃん」

「……糸原さんの決めた事だから、身内でもない俺が口出しできません。だからどうぞ、勝手にしてもらって結構です。結構です。結構です、が、この先も俺の部屋に住むんなら、せめて食費、いや、家賃の半分、いや、いやいや、お願いですから一万円下さい」

「何よ。そんなにやばいの?」

「やばいです。貯金も殆ど無いですし、コンビニの給料はもうちょい先だし、せめてあと一万円あれば凌げるんです」

 嘘ではない。

「ふーん……」

 糸原の口の端がつり上がった。

「人に頼みごとする時には、それなりの誠意と態度が必要よね?」

「誰の所為でこんな事態に追い込まれたのかはもうこの際突っ込みません。昨日より明日が大事なんです。俺はまだ死にたくないしもう少し人間らしい生活を続けていたいんです」

 一は頭を下げる。

「跪きなさい」

「……これで良いですか?」

 この際だったので、一は糸原の指示に従った。

「あんたの頭に私の足乗っけて良い?」

「一万円くれるなら」

「はっ、安いプライドね」

 安いのはどっちだ。内心で突っ込みをいれ、一は糸原の屈辱極まりない行為を受け入れる。

「うーん。イマイチね。あ、そうだ。足でも舐めてもらおうかな」

「糸原さん」

「何よ?」

「俺は今泣いて良いんですよね?」

「涙腺をコントロール出きるんなら我慢して。大体さあ、涙を流して良いのは女だけよ。それも極上に良い女だけね。そう、私のような」

 跪いている一の頭に片足を乗せたまま、糸原は高笑い。

「今日の糸原さん飛ばしてますね」

「うん、滅茶苦茶気分良いのよ。幸せなの。だから私は笑うのね、あんたにも幸せを分けてあげたいから」

「わあ、じゃあお金下さい」

「おら、足を舐めな少年」

「ちょっと……、あの、ホント勘弁してもらえませんか?」

 糸原の突き出した足を手で払い、一は泣き言を漏らす。

「じゃあどこなら舐めるって言うのよ?」

「どこであっても舐めるのは嫌です。糸原さん、良い機会ですからハッキリさせておきましょう。誰がどう見ても、この家の主は俺なんです」

 足で頭を踏みつけられたまま、一はそんな事を言った。

「……誰に見せるっての?」

「見せちゃ駄目です! 見ちゃ駄目! 見ないで! 誰にも見ないで欲しいです!」

「分かったわよ。足も疲れたし、今日の所はこの辺で良いわ。はい、じゃこれ」

 糸原は足を一の頭から下ろし、スーツの内ポケットから札束を取り出す。そして躊躇うことなくその札束を一の傍に落とした。

「……え! こんなに!?」

 札束を見た一が驚愕の声を上げる。

「ふっ、釣りは要らないわ。今までの礼よ。そんじゃ私パチンコ行って来るからー」

 それだけ言うと、糸原は颯爽と部屋を出て行った。

 一は糸原がアパートの階段を降りていったのを確認すると、札束を確認する。……偽札という事もありうる。透かしや通し番号を入念に確認し、一は安堵の息を吐いた。

「本物だ……!」

 間違いなく、紛れも無く、糸原の置いていった札束は本物であった。一は喉を鳴らす。そして震える手でもう一度お札を確認する。全部で十枚あった紙幣は、全て千円札だった。



 昼からバイトだった一は、勤務開始時間十五分前に家を出た。コートを羽織り、しっかりと家の鍵を閉める。鍵を財布の中にしまい、アパートの階段を下りると、

「随分と古色蒼然な所に住んでいるのだな、一一」

 黒いスーツ姿の女が居た。女は腰まで届くほどの髪の毛を無造作にゴムで縛ってある。

「……素直にぼろいって言えよ」

「気を遣ったつもりは無いがな」

「俺んちまで知ってたのかお前。ストーカーで訴えるぞ」

「ふっ、ストーカー? 私はオンリーワン近畿支部情報部二課実働所属、春風麗だ。ストーカーである筈が無い」

 一は春風を無視して歩き出した。

 春風は詰まらなさそうに、しかし表情は変えず、一の横に並ぶ。

「一一、貴様はあのアパートで糸原四乃と同棲をしていると聞いたが、真偽を教えろ」

「はあ!? 何でそんな事お前が知ってんだよ?」

「ソースは明かせない。だが、真偽は今の貴様の反応で明らかになった。そうか、成る程な」

「……そんな事知りにわざわざやって来たってのか?」

 一は訝しげに春風を睨んだ。

「いや、今の質問はあくまで蛇足だ。今日は暇だから貴様に忠告の一つでもしてやろうと思ってな」

「お前の行動そのものが蛇足なんじゃないかと思うよ俺は」

「先日から五日間ほど雨が降りっぱなしだったろう?」

 春風は一の皮肉と言うか一その者を無視するような素振りで話し出す。

「駒台の北部にある川が氾濫寸前まで追い込まれた。今でこそ問題は無いが、後一度雨が降れば、間違いなく近隣の住宅を呑みこむほどの規模に発展するだろうな」

「んな話を聞いてもさ、南に住んでて良かったとしか思えないんだけど?」

「昨日、行方不明者が出たそうだ」

「はあ?」

 川の氾濫と行方不明者。いきなりの話題転換に一の頭はついていけなくなる。

「家族が捜索願を出した」

「そりゃ……そうだろ」

「捜索願の届け先はオンリーワンだ。私たち情報部、と言う事になる。行方不明になったのはその家族の長男だそうだ。勤め先はオンリーワンの技術部。今まで家族へ何の連絡もなしに出かけたりはしなかったそうだ」

「……情報部ってのは、人探しまでやってくれんのか?」

「ソレに関係あると判断した場合はな。今回はそう判断した。それだけの話だ」

 春風は無表情。

「お前らが動くって事は、じゃあやっぱり、ソレが本当に出るって事なんだな?」

「確定ではない。あくまで可能性が高いと言うだけだ」

「はーん、まあお仕事ご苦労様だよ。それじゃさっきの川の話はなんなんだ?」

 そこで、春風は一を見た。無感情に、無表情に。

「そのままの意味だ。精々気をつけろ。つまらん事で死ぬなよ」

「川の氾濫にか? 気をつけてもしょうがねぇだろがそんな事」

「なるべく川に近づかなければ良いだろう。雨が降れば背の高い建物に逃れるとかな」

「……なんだ? もしかして普通に心配してくれてんのか?」

 一は意味ありげに笑う。

「……そうかも知れんな」

 春風は視線を地面に落とした。

「ぞっとしねえよ」

「だが、そうでないかも知れん。お前の反応を見てみたいというだけかも知れないな」

「性質の悪い奴だな」

「一一、お前と私は似ているからな。お前は話し易い」

 相変わらずの、無表情。

 一は春風の言葉に眉を顰める。

「俺とお前に共通点が有るってだけで嫌な気分になれるよ。性別も違うし、ギリギリ同じなのは人間ってトコぐらいか? ああ、確かに似てるわ。人間同士だもんな」

「違う。もっと根本的な話だ。お前も私も、自分以外の人間全てに警戒しているように見えて、非常に隙だらけ。自分以外の人間全てが嫌いなくせに、一人にはなりたくない。自分が一番大事なくせに、他人に気を遣ってしまう」

「…………似てねえよ」

「そうか」と言って、春風は空を見上げた。雨は上がったが、いつ降り出してもおかしくない曇り空。

「あのさ、川と行方不明の話ってどう繋がるんだ?」

「今は繋がらん。他愛も無い意味も無い益体も無い話だ。あまり気にするな」

 一が歩き始めてから五分は経つ。あと少しで、店に着く。

「一一、カトブレパスの時には役に立ったようだな。まあ、予想もしていたので驚きはしなかったが」

「役に? そんなつもり無いよ。全部堀さんやヒルデさんたちが丸く収めてくれたんだ。俺は情けなくあたふたしてただけだ」

「ふっ、そうか。しかし貴様はフリーランスやソレと仲が良い様だな。元『図書館』の黄衣ナコトといい、ガーゴイルやシルフといい」

「……悪いかよ」

 ぶっきら棒に一は言い放った。

「さあな。良いか悪いかは私の決める所ではない。しかしだ、一一。お前と仲良くしているフリーランスとソレ。そいつらがこの世全てのフリーランスとソレと思うな。思えばろくな目に遭わんぞ」

「分かってるつもりだよ。けどさ、ソレにも良い奴は意外といるもんだぞ?」

ソレについては(・・・・・・・)否定はせん。だが、フリーランスには気をつけろ」

「オンリーワンの人間ってのは、フリーランスがホント嫌いなんだな……」

 一は三森や店長の言葉を思い出す。

「当然だ。奴らは人間の中でも最下層のカスと私たちオンリーワンからの裏切り者で構成されているからな。一一、貴様はそんな話も聞かされていないのか?」

「あー、そういや三森さんがボロクソに言ってた気もするな。ゴキブリ以下だとか、ルールも守れない犬畜生だとか」

「ソレと対等に戦えるだけの力を持っていながら、オンリーワンに入れなかった人間、オンリーワンを追い出された人間、そもそも最初からオンリーワンに興味の無かった人間。はみ出しモノがフリーランスになってしまうのはある意味必然だな」

「……けどさ、黄衣は良――。口は悪いけど、そこそこまともな人間だと思うぞ」

 何故か一の頭の中に、ナコトの罵詈雑言が浮かんでは消えていった。

「『図書館』か? ふん、一一。魔術師をまともと言える神経を疑うぞ。だが、そうだな、 今駒台に来ているフリーランスは比較的、あくまで比較的だがまともとは言える」

「ん? フリーランスが来てるって何で分かるんだ?」

 そこで、春風が笑った。春風麗と言う人物を知っていなければ分からない程度の、小さな笑い。

「ふっ、私を誰だと思っている? オンリーワン近畿支部……」

「分かった分かった分かってるって。お前の事は超分かってるから。好きな爬虫類はヤマカガシ。嫌いな爬虫類はインドガビアル。だろ?」

「一一、貴様には虚言癖があるらしいな。私の好きな爬虫類はエリマキトカゲだ」

「年がばれるぞエセ秘密主義者」

「私は秘密主義者ではない。情報部だ。ところで一一。貴様は駒台に潜伏しているフリーランスを把握しているのか?」

 一は立ち止まり、コートから煙草の箱を取り出す。

「知ってる訳無いだろ。『図書館』の行方なら知ってるけどな」

 煙草に火を点け、一は不味そうに煙を吸った。春風は風上に立ち煙を避ける。

「『元』には興味が無い。そうか、知らないのか。知りたいか、一一?」

「どうせ喋りたいだけだろ。まあ良いや、知っといて損は無いだろうし。教えてくれよ」

「では私の言う事を、一つ聞いてもらおうか」

「……言ってみろ」

 一は煙を力いっぱい吸い込んだ。

「貴様の好きな爬虫類は何だ?」

「何だって? 俺の好きな爬虫類?」

「そうだ。言え」

 春風は、無表情のまま。

 一は拍子抜けした。

 ――まあ、適当言っても良いんだしな。

 一は内心でほくそ笑む。フリーランスの情報となら破格な条件と言える。

「…………エリマキトカゲ」

「本当か?」

「こんな事嘘ついても仕方ないだろ」

「確かにな。一一。貴様はこんな下らない質問にすら嘘をつく、器の小さな人間ではないな」

 春風は満足げに頷く。

「………………」

 一は何だか試されたと言うか、騙された気分に陥った。

「現在駒台には『神社』、『天気屋』、『教会』、『魔女の家』、『騎士団』、『貴族主義』、六つのフリーランスの行方が確認されている」

「フリーランスって凄いんだな」

 主にネーミングセンスとかが。

「しかも聞いただけじゃどんな奴か分かんないぞ。大体『天気屋』って何だ? 気象予報士かなんかか?」

「いや、気分屋なだけだ」

「あっそう」

「活発的に動いているのは『騎士団』ぐらいだな。二人組の、西洋の剣を使うフリーランスだ。駒台に来てから既に九匹のソレを手に掛けたらしい。最近動き出したのは『神社』だ」

「……何だか童心に戻った気がする」

 一は煙を盛大に吐き出した。

「ん。神社ってのはどんな奴なんだ?」

「袖の破れた巫女装束の女だ」

「巫女装束着た男なんか見たくねぇよ」

 そこまで喋って、一の動きが止まる。

「……あれ? 見たことあるな……」

「『神社』か?」

「うん。前に店に来たと思う。そいつが『神社』って言うフリーランスかどうかは分からない。分からないけど……」

「ふっ、そんな格好をした奴がこの世に二人もいて堪るか。で? そいつは何をしていたんだ?」

「コンビニで立ち読みして帰った。雨降ってるのに傘も差さないでさ、店の床好き放題濡らしてったよ」

「ふん、そうか。実につまらんな」

 春風は吐き捨てるように言い放った。

「なあ、ヤバイ奴なのか? その、『神社』っての」

「問題無い。おかしな格好をしてはいるが、ただの杜氏だ」

「杜氏? 酒を造ってる人の事か?」

「その認識で問題は無い。山田栞(やまだ しおり)と言う名前だ。背の高い、私の好きなタイプではない女だ。そうだな、どことなく三森に似ている」

「……フリーランスなのに、杜氏?」

「訳は知らん。本人に聞いてみろ。今日も来るかも知れないしな」

「なんで?」

 春風は曇り空を睨む。

「……雨が降るからな」

「はあ?」

「今日の所はこの辺で良いだろう。そら、もうすぐ店に着くぞ」

「分かってるよ。じゃあな情報部」

 一は立ち止まった春風を追い抜いた。

 振り返らず、軽く手を振る。

「ところで一一。お前は歩幅が狭くなったのか?」

「あ?」

 一が振り返っても、そこには誰もいなかった。



「ってな事がありまして」

 店に着いた一は、制服に着替えながら、先ほどの会話の内容を店長に掻い摘んで話してみた。話を聞いた店長は、少しの間煙草の煙に巻かれながら口を開かないままだったが、

「ソレとは限らんだろう」

 と、冷たく言った。

「えっと、何がですか?」

「行方不明者の話だ。本当にソレの仕業だと言えないだろう」

「いや、だってそうとしか……」

「ソレの存在を隠れ蓑にしている犯罪者も存在する今の世の中だぞ。ソレがやったと言う証拠も無いんだろう? 大体、今まで家族に連絡の一つもよこさなかった奴が失踪したからと言って何なんだ。珍しい話じゃない」

 店長は、まるで一を否定するかのように厳しい口振りで話す。

「そう言われりゃそう、ですね」

「情報部に踊らされるな、一。お前も勤務外なら自分でしっかり考えろ。自分を持て」

「……耳が痛いですね」

「まあ、気を付けて置くに越した事は無い。お前はソレより、川に気を付けて置いた方が良さそうな奴だしな」

「どういう意味ですか……」

 一はロッカーの扉を閉め、勤怠の登録を終える。

「さっさと働け。立花が泣いて待ってるぞ」

「いつの間にか泣き虫キャラが定着している……」

 その時バックルームの扉が開いた。

「はじめ君! お客さんだよ一杯来たよどうしよう! 早く助けて!」

 先にフロアに行った立花の、今にも泣き出しそうな声。

「……ほら、行ってやれ」

「はい……」



 立花は小首を傾げた。

「えっと、も、もう一回言ってくれるかな?」

 頷いた一は、

「袖の破れた巫女装束を着た女の人が来たら教えてくれないかな?」

 一言一句、先ほどと同じ台詞を口にする。

「……そ、そんな人来るの? い、いるの?」

「いたんだよ。こないだ見たしね」

「は、はじめ君って巫女さんが好きなの?」

 俯きながら、立花は口を開いた。

 一はその質問に二秒ほど迷ってから「嫌いじゃない」と、簡潔に口にする。

「そ、そう、なんだ……」

「フリーランスの人かも知れないんだってさ」

「え? フ、フリーランス?」

「うん。『神社』って呼ばれてるらしい。巫女服着てるからかどうかは知らないけどね」

「わ、分かった。見つけたらはじめ君を呼びに行くよ」

 立花は何度も頷いた。

「ありがと。じゃ俺検品行ってくるから」

「で、できればすぐに戻ってきてね……」

 一は立花へ曖昧に返事をし、バックルームに入る。つい一時間ほど前に、納品業者によって運び込まれたダンボールの山、商品が一を待ち受けていた。

「……店長。やっといてくれても良いじゃないですか」

「無駄口叩くな。とっとと労働しろ」

 ダンボールが壁になっていて、店長の姿が一からは見えない。溜め息を吐き、ダンボールに貼られたシールのバーコードを、リーダーで読み取っていく。

「今日、雨が降るらしいな」

 淡々とした声が、ダンボール越しに聞こえてきた。

「今日って、あと三時間ぐらいしか無いですよ」

「だから、もうすぐ降るんだろう。傘は持ってきてるのか?」

「いや、無いです。店のやつ持ってって良いですか?」

「構わん。風邪でも引かれたら困るからな。私が」

 一は苦笑する。ダンボールの山を半分ほど片付けた辺りで、

「……糸原さん、辞めるそうですね」

 懸念していた事を切り出してみた。さり気なく言ったつもりだったが、声のトーンは自然と落ちている。

「そうだな。来週にはシフトが変わるぞ」

 店長の様子は、一からでは見られない。

 それでも、店長の声の調子が全く変わっていないことに、一は少しだけ寂しくなった。

「何だ? お前は糸原に辞めて欲しくないのか?」

「……唯でさえ人数が少ないですからね。ツケは残ってる俺らに回ってくるんです」

 くつくつと、店長が喉の奥で笑う。

「そうだな。寂しいな」

「勘違いしているようですけど、ここを辞めてもあの人は俺の家に居座り続けるんですよ? 迷惑極まりない話です」

「ん? そうなのか?」

 意外そうに店長が尋ねた。

 一は作業をしながら答える。

「今日だってパチンコ打ちに行って、今頃こたつで寝てるんじゃないんですかね」

「そうか。まあ、気まぐれな奴だからな。考えも変わるか」

「何か、糸原さんが言ってたんですか?」

 検品も、もう少しで終わりそうだった。


「ああ、ここを辞めた後、駒台を出て行くそうだ」


 一の作業の手が、止まる。

「え、と……?」

 口から出たのは自分でも驚くほどの間の抜けた声。

「その様子だと聞いていなかったようだな」

 一は答えなかったが、店長は気にせず話す。

「糸原四乃。元々はタルタロスに収容されていた罪人だ。今でこそ指名手配は解かれているし、だからこそ私も雇っていたんだがな、トラブルの種である事に違いは無い」

 一はゆっくりと、無言でバーコードを読み取っていく。

「お前の家に住まわせていたようだが、善良な一市民のお前が、犯罪者に対して情でも湧いたのか?」

「……俺だって人間です」

「そりゃそうだろうな。情の一つでも湧くか。ふーん。そう考えると、どうやらパチンコなんぞに行ったなんて糸原の嘘かも知れんな」

「出て行ったって事ですか? でも、まだ、あの人のシフトは残ってるでしょう」

 店長はダンボールを押しのけて、一の前に紙を差し出した。薄っぺらい、唯の紙。

「シフト表が何だって言うんですか?」

「すまんな一。事後承諾だ」

 事態を飲み込めない一がシフト表に目を通す。糸原。彼女の名前にバツ印が大きく付けられていた。その横には一、と。

 即ち、それは――。

「先日、糸原が来たときにな。そのときに話も聞いたし、面倒だからシフトの変更についての承諾も受けた」

「……っ! だったら、どうして俺に教えてくれなかったんですか……」

「糸原が。自分が駒台を出るまで、この事をお前に言うなとも口止めされていた。この時間だ、とっくに電車にでも乗って、遠い街に行ってるだろ。時効だ時効」

「そんな……」

 一の頭がグチャグチャになっていく。考えるべき事はたくさんあるのに、何も考えられない。

 店長は一を横目で見ながら、椅子に深く腰掛け煙草に火を点けた。深く、深く煙を吸い込み、吐き出す。

「まあ、しかしだな。私や他のメンバーにはともかく。世話になったお前に礼も別れも告げないのは何のつもりか知らんがな」

 一はその言葉にハッとした。気付いてしまった。今朝の、糸原との遣り取りを。

「……いや、お礼なら受け取ってます……」

「何だ? そうなのか?」

「ええ……」

 今は、もうそれ以上何も考えられなかった。



 雨が、降り始めていた。



 一は仕事が終わると、挨拶もそこそこに店を飛び出した。店から借りた傘を広げ、雨の中家路を急ぐ。アパートの前に着くと、急に足が止まった。

 それまでは必死に走っていたのに。

 自分の部屋の窓を見上げる。明かりは、付いていなかった。一は不安に潰されそうになりながら、階段に足を掛ける。ゆっくりと、一段一段踏みしめていく。上りきり、廊下を進む。扉の前に着き、ノブを回した。鍵が掛かっている。ドクン、と。一の心臓が跳ねた。


 ――どうして、あの人は鍵の事を言わなかったんだろう。


 糸原は、一のシフトを把握していた。この時間、鍵が閉まっている事を知っていた筈だった。

 一は、声を掛ける。

「糸原さん。開けて下さいよ」

 鍵は自分が持っているのに。

 返事は無かった。一はしばらくの間、扉の前に立ち尽くす。寒さに負けて、財布から鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。息を呑み、扉を開ける。傘を扉の前に置き、靴を脱ぎ、部屋に入った。部屋の明かりを点ける。


 ――安い。


 テーブルの上に置きっぱなしだった札束をぼんやりと眺めた。何も、部屋を出たときから何も変わっていない。変わり様が無い。

「……安すぎだろ……」

 一はその場に座り込んだ、壁に背をつき、長く息を吐く。

 雨は、強くアパートの屋根を叩いていた。

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