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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
カトブレパス
61/328

図書館慄然

「で? 終わったのか?」

「ええ、滞りなく。いやあ、一君と神野君、ルーキーと思っていましたが、中々……。一君のアイギスと、場を変えるほどの爆発力。神野君の立ち回り、安定感。私もうかうかしてられないですねぇ」

 堀は店長以外に誰もいなくなったバックルームで嘯いた。

「お前にしてはあいつらを随分高く買うんだな。そうかそうか、成る程な。ん、負い目か?」

 店長は煙草を吹かしながら、いやらしく笑う。

「いやあ、手厳しい。確かに、新人にアレはきつかった、ですよねぇ。ですが、あの二人は本当に面白いですよ。どう育つのかが気になりますね」

「そうか。堀、どっちが良い買い物だと思う?」

「……別に店長が買ったわけでは無いでしょう」

「馬鹿か。来たのはあいつらの勝手だが、面接して採用してやったのは私だぞ。私の買い物でなくてなんになると言うんだ?」

 堀は苦笑した。

「そうですね。私は、神野君の方が伸びるのではないかと思います」

「私と同じ答えだな。ふーん、何でそう思った?」

「一君より年下ですから。それと、彼には剣道をしていたと言う下地があります。現に、竹刀一本でのあの立ち回り、見ごたえがありましたよ」

 店長は煙を吐きつつ、少しだけ詰まらなさそうに堀を見上げる。

「……一は性格が悪いからな。人の言う事に耳貸さないし」

「伸びしろはあると思うんですけどね……」

「と言うかだな、元々一はそういう性質じゃないと、私は思う」

「戦闘向きではないと?」

「一般なら、手放しで喜べる逸材なんだがな。どうにも、あいつは勤務外には向いてない」

「フリーランスやソレとも普通に話せてますしねぇ」

 眼鏡を指で押し上げながら、堀は店長の顔色を窺う。

「悪い事とは言わんさ。本人の勝手だしな。私らは強制出来ん。精々が忠告してやれる程度だ」

「まあ、今のままでも問題ないように思えますがね」

「今のままならな。まあ良いさ、一の話をしてたら気分が悪くなってきた」

「いやあ、そんな事を言ってても、実は店長が一君の事を心配しているのが私には分かりますよ」

 不機嫌そうに店長は紫煙を堀に吐き掛けた。

 堀は無言で煙を手で扇ぐ。

「……では、南駒台のお話などは如何でしょう?」

 眼だけで、店長は続きを促した。

「まだ南駒台店、オープンはしていませんが、カトブレパスの際には研修と言う形で戦乙女(ワルキューレ)が四名出勤していました。どうやら一君とは顔見知りだったようですね。お陰で会話がスムーズに行きましたよ。で、彼女らから簡単に話を聞けば、オープンは近日、オープン前の状態で保有人員は一般が十名、勤務外が戦乙女を含めて十名以上は在籍しています。いやあ、ウチと比べるのは失礼な話ですかね」

「どっちに失礼なんだ?」

「さて店長、南への対処はどうするおつもりですか? 向こうのSVは手強いですよ。本部からの派遣ですからね。何でもその方は店長と兼任なさるとか、いやあ意味の無い事この上ない。しかし、現実問題ウチにとっては恐るべき相手になるのではないでしょうか?」

「……堀。帰ってきてから良い性格になったじゃないか」

「いやあ、お褒め頂き光栄です。しかし店長、余裕ですね、既にどう動くかは決めているようで、私も安心しましたよ」

 堀はにこやかな笑顔を作る。

「はん、北は変わらんさ。いつも通りやってくぞ」

「安心しました。私も、新しい事を覚えるのには年を取りすぎていましてね」

「一たちには説明したのか?」

「何をです?」

「とぼけるな。今回の事件、その裏だよ。お前の知り合いだそうだな、森賀と言う人物は」

 短くなった煙草を灰皿に押し付け、店長は堀を睨んだ。

「あの子達に教えるのには、まだ早いかと」

「遅すぎては困るんだがな」

「ご心配なく。機会(・・)はすぐに訪れますから」

「要らん。そんな機会丁重に送り返してやれ。何なら私がアイロン掛けて返してやってもいいぞ」

「それは怖そうですが、避けられないモノは受け入れましょうよ」

 店長は舌打ちして、缶コーヒーに手を伸ばす。一息吐いてから、今思い出したかのように、

「黄衣ナコトはどうなった?」

 そう言った。

 穏やかだったバックルームの空気が違うものに変わっていく。

「『図書館』ですか。いやあ、何と言いますか……」

「黄衣オキナが確実に(・・・)死んだってのはさっき聞いたぞ。のらりくらりとかわしやがって。一か、お前は」

「私なんかと一緒にしては一君に失礼ですよ。とは言え、そうですね、んー」

 煮え切らない堀に、店長はもう良いと手を振った。

「大体分かる。生きていようが、死んでいようが、フリーランスが一度でも私らに頼みごとをしたんだ。もう業界じゃやっていけないだろうさ。仮に生きてて仕事を辞めても、元フリーランスだ。まともなところじゃ働けないだろう。フリーランスを続けても、折れた(・・・)奴に同業者やソレは甘くない。すぐに死んじまうか殺されちまうだろうな。ああ、なんだ、そう考えると可哀想な話でもあるか」

「まあ、元の生活には戻れないでしょうね」

「だが、あいつは言った。フリーランスを辞める覚悟はあるとな。私が聞いたのは、つまりはそういう事だ。フリーランスなんてやってる奴が辞めるってのは、死ぬ覚悟があるってのと同意なんだよ」



 大した目的も無く、これと言った予定も無く、三森は駒台の街をぶらぶらと歩いていた。

 金髪と、真赤なジャージ。スーツ姿のサラリーマン、学校へと急ぐ学生の制服の中、異様に目立つ服装だった。慌しい駅前の風景を眺めながら、三森は一人のんびりとベンチに腰掛ける。自販機で買った缶コーヒーを流し込み、煙草に火を点けた。一目があるので、いつもの様に能力を使わず、コンビニから持ってきた安っぽいライターを使う。煙を灰まで入れて、深く息を吸い、吐き出していく。

 ふと、バス停の方を三森は見た。バスを待つ列の中、見知った顔がそこにいた。

「………………」

 今日は目的も無いし、予定も無い。たまにはバスに乗って遠出をするのも良いだろう。そう考えた三森はベンチから立ち上がり、バスの停留場へと足を向けた。



 一は心中で呻き声を上げた。声にならない声だったかもしれない。とにかく「うわっ」と思った。

 バスを待っていた一が、ふと顔を上げると、そこには見知った顔。

「よう、どこ行くンだ?」

 一の目に入ったのは、赤色。愉しそうに声を掛けてきたのは、三森だった。

「……俺の勝手でしょう」

 ぶっきら棒に一は答える。

「あー、そうか、確かにそうだよなァ」

 言いつつ、三森は一の後ろに並んだ。

「ちょっと、何してんですか」

「私の勝手だろ?」

 勝ち誇ったように三森は皮肉っぽく笑う。

 一はもう、それ以上は何も言わずにバスを待った。程なくして、バスは停留所に止まる。最後尾だった一が乗り込む頃には、バスの中の席は埋まっていた。

 二人掛けの席以外は。ほんの少しの間、一は入り口に立ち尽くす。

「おらっ、とっとと行けよ」

 三森に背中を殴られ、一は渋々バスに乗り込んだ。ここから、一の目的の停留所まで十五分近く掛かる。仕方なく、空いている席に座った。

「おい、もっと詰めろ」

 その隣に三森が座り、一の肩を叩く。

「……立ってれば良いじゃないですか」

「てめぇ、先輩を差し置いて自分だけ座ろうってンのか」

 三森に席を譲って、自分だけ立っておこうかとも一は思ったが、負けた気がするのでその考えはすぐに頭から追いやった。バスも動き出したし、他の乗客の迷惑になる。溜め息を一つ吐いてから、心持ち、窓際に一は体をずらす。

 三森は満足したようで、それ以上は文句を言わなくなった。

「なあ、どこに行くンだよ」

「だから俺の勝手でしょう。それに、言っても言わなくても付いて来るんでしょうに」

「はっは、よっく分かってンじゃん。どうせ夜勤まで暇だしなー」

 一は頭を抱える。つまり、下手をすれば、晩まで三森は自分に付いて来るのかもしれないのであった。

「あ? 頭痛ぇのか? 煙草でも吸うか?」

「バスは禁煙ですよ。乗った事無いんですか?」

「おう。バスは使った事ねーな」

「……煙草、しまって下さいね」

 三森は舌打ちしてから、ポケットに煙草の箱を入れる。

「おい、景色見たいから席変わってくれよ」

「寝ててもらえませんかね」

「そしたらお前起こしてくれンの?」

「さあ? 終点まで行けば運転手が起こしてくれるんじゃないですか?」

 無言で三森は、一の足を踏んだ。足に走った痛みに一は顔を顰める。

「お、田舎になってきたなー」

 ガキが。内心でその台詞を押し殺し、一は只管耐えることにした。目的地までの距離が一メートルでも短くならないかと、子供じみた考えに頼りながら。



 距離が一メートルも短くなるどころか、バスはやたらと信号に捕まって、一の予測していた十五分を軽々とオーバーして目的地に着いた。それどころか。下車の際、三森は料金を払わずにバスを降りた為、一が二人分払わされた。停留所に着くと、一はバスを見送ってから歩き出す。

「三森さん、二百円」

「私はそンなに安くねぇぞ」

「市場で叩き売りされてたとしても買いませんから安心して下さい。さっきのバス代です。三森さん、払わずに出たでしょ。バスってのは降りる時にお金払うんですよ」

「東京じゃ乗る前に金払ってたぞ」

「乗った事あるじゃないですか! 良いから返して下さいよ」

 三森は煙草に火を点け、

「こっちは静かなもンだな」

 悪びれず言い放った。

「つーかさ、こンなトコに何か用事でもあんのかよ。確か、この辺図書館ぐらいしか無かったンじゃねェか?」

「結構知ってるじゃないですか……。そうですよ、図書館に行くんです。あ、でも花屋に寄っても良いですか?」

「花はンなに好きじゃねえ」

 一の歩幅が広くなる。

「てめぇ私の事嫌いだろ」

「人の足を二十分以内に五回も踏む人間がどの口で言いますか」

「踏まれる方が悪ィんだろが」

「そういう被害者を馬鹿にしたような考え方が犯罪者を助長するんですよ」

「煙草うめェー」

 三森は一の後ろをダラダラと歩きながら、紫煙を吐いた。

「大体よ、花屋っつーか、店がこんな時間に開いてンのか?」

「……どうでしょうねえ」

 黙々と一は歩く。

「そういやさ、こないだはしンどかったらしいな」

「あー、確かに。もっと簡単に、上手くいくと思ってたんですけどね」

「いや、堀さんがーだけどよ。てめぇらルーキー連れてお守りしながらヤバイ奴相手だろ? 私だったら無理だな。てめぇらごと全部纏めて燃やしまくってたろうな」

 そう言って三森は笑った。

 三森を流しつつ、一は前方に意識を集中させる。停留所から少し歩くと、商店街らしき物が見えた。早朝だと言うのに、信号の向こう側には活気の溢れた光景。商店街らしき所に足を踏み入れると、一は花屋を探す。

「おい、右行こうぜ、右」

 一が左辺りを見ると、花屋を発見した。店頭で商品であろう花に水をやっている、エプロンを着た中年の女性。恐らく店員であろう。一はその女性に声を掛け、追弔の為の花を頼んだ。店員は微妙な笑顔を浮かべて、あれこれと一に、棘の無い花や、臭いの強い花は駄目なんだとか、色々とレクチャーを交えながら、五分ぐらいで花束を作ってくれた。

 店員の教えてくれたお勧めの花の中から、一つ選ぶ。出来た花束は、一の注文通り菊だけだった。シンプルだが、それ故に死者への手向けらしかった。

 一は丁重に店員へお礼を述べ、商店街を後にする。その間三森は、一言も喋らなかった。



「あンだよ。花束なんて頼むからデートでもすンのかと思った」

 一の持っている花束を眺めながら、三森はどこか不機嫌そうに言った。

「デートに花束って、すっげーレトロじゃないですか」

「いや、案外今の女も喜ぶモンだぜ」

「へー、そういう物ですか。じゃ今度糸原さんに花でもあげよっかな」

「クチナシの花でもやってみな。血相変えて喜ぶぜ」

「三森さんって意外と乙女チックなんですね」

 煙草を美味そうに吸い、道端に唾を吐く三森へは振り返らずに一は嘯く。

「……てめぇはさ、ホント私を怒らすのが上手いよな。感心すンぜ、お前の性格の悪さにはよ」

「今まで俺、三森さんの事は乙女チックって言うか、乙女ファックって感じで見てました」

「上等だコラァ! ヤキ入れてやっから袖捲くれてめぇ」

「冗談ですよ。それよか、墓前じゃあ大人しくしてて下さいね」

「あ?」

 三森の足が止まった。

「図書館に行くンじゃねーのか?」

 一も足を止め、三森に振り返る。

「図書館の裏に、墓があるんですよ」

「……あー、なんだ。それって、『図書館』のか?」

「ええ、『図書館』の」

 そっか。呟くと、三森は一の横に並んだ。二人は歩き出す。

「帰りますか?」

「あンでだよ?」

「フリーランスが嫌いじゃ無かったんですか?」

「はっ、聞くまでもねェ。あいつらは殺したいほど嫌いだよ」

 心底憎らしげに、三森は吐き捨てた。

「だけどな」

 フッと、三森の声が優しくなる。

「死んだらカンケーねーよ。死ンじまったら、勤務外だろうがフリーランスだろうが、ただの元人間だ。そこまで私もカスじゃねえよ。安心しろ、墓に唾なんて吐きゃしねー」

「そりゃ有り難いです。流石に三森さんと殴り合って生きていられるとは俺も思っちゃいないんで」

「はっ、てめぇに殴られるほど柔くねェよ」

 その声も、どこか優しかった。



 つくも図書館。そう書かれた看板を、一は見上げた。ここに来るのは三度目だった。

「来たか、一」

 図書館の入り口、階段の近くに居た着流しの老人が声を掛けてくる。その老人が、何もない空間からいきなり現れたようだったので、三森は少し驚いていたが、一はそんな事にはすっかり慣れていたので、

「先生、お早うございます。この度は、色々とご迷惑を掛けてしまって……」

 駒台大学教授、兼、つくも図書館館長である、九十九敬太郎(つくも けいたろう)へ当たり前に挨拶をした。

「気にするな。教え子の頼みだ。聞き入れぬわけにはいくまい」

 九十九は一が上がってくるのを待ってから、そう声を掛ける。

「そう言ってもらえると、非常に有り難いです」

「……一、後ろのは?」

「ああ、その、何て言いますか」

 言いよどむ一は押しのけ、三森が九十九の前に立った。

「バイトの先輩だ」

「ふむ、豪胆な女子だな。はじめまして、ここの館長と、駒台大学の教授をやっている九十九敬太郎だ。どうやら、君には一が世話になっているようだ。わざわざ墓参りにまで付き合ってくれるとは……」

「あ、先生、それは……」

「ガッコのせんせーか。ま、宜しく。三森だ」

 一の抗議に被せるように三森が発言する。

「三森か。三森は学校には通っておらんのか? 見たところ、一と年は変わらんように見えるが」

「あー、私にゃ向いてねンだ。ベンキョーなんて退屈で退屈でしょうがねーよ」

「それは残念だ。どうだ、今度私の授業を受けてみんか?」

 三森の顔が少しだけ青くなった。

「遠慮しとく……」

 九十九は静かに笑う。

「あの、先生。俺、墓参りに来たんですけど」

「知っている。お前は中々顔を出さないからな。少しぐらい話に花を咲かせても良いだろう」

「こないだ会ったばかりじゃないですか」

「学校では会わないだろう。私のゼミはともかく、単位が足りなくなっても知らんぞ」

 一は耳に痛い小言を受け流しつつ、話が終わるのを祈った。

「センセ、とりあえずさ、先に用事済ませたいンだけどよ」

 思わぬ助け舟だった。

「……ふむ。良いだろう、こっちだ。付いて来たまえ」

 三森の提案を素直に飲み込み、九十九は図書館の入り口を抜けて裏へと進んでいく。九十九には聞こえないぐらいの声で、一は三森にお礼を言った。

「四百円分は働いてやンよ」

「……あはは」

 果たしてつり合っているのかそうでないのかは、一には分からなかった。



 簡素な墓だった。周りを木の柵で囲まれた、少しだけ盛り上がった地面。その近くには、線香が空き缶の中に立てられていて、それ以外には、もう本当に、他には何もなかった。

 一は『墓』の前に立ち、持っている花束を置こうともせずに、ぼんやりとそれを見つめる。

「済まんな、こんな物しか用意できなかった」

 九十九は申し訳無さそうに墓を眺めた。

「いえ、急なお願いを聞き入れて頂いただけでもあり難いのに、その上、お墓まで作ってもらえるとは……。感謝しても、し切れませんね」

「ふむ。お前にしては殊勝な物言いだな。学校ではもっと飄々と振舞っているだろうに」

「ケースバイケースです」

 一は苦笑する。

「だが、本当にこんな所で良かったのか?」

「……俺が言うのもなんですが、本が相当好きな奴だったらしくて、身寄りも分からなかったし、先生には悪いかと思ったんですけど、図書館の近くに埋めてやりたかったんです」

「埋めてやりたかった、か。詳しくは聞かんが、あの本をか?」

「何分、死体が残っていませんでしたから」

「最初は冗談かと疑ったがな。血染めの本を差し出して、私を謀っているんじゃないかと」

 くくっ、と喉の奥で九十九は笑った。

「未だ短い付き合いだが、お前は嘘を言う生徒では無いと、私は思っている」

「さあ、どうでしょうかね」

「ふっ、そういう所は直せよ」

 九十九は一に背を向ける。

「ではな。私は中にいる。終わったら、また声を掛けろ」

 一は頷いた。そして、ゆっくりとしゃがみ込むと、花束を供え、持参していた線香を取り出す。

「火、使えよ」

 ずいっと、沈黙を守っていた三森が手を差し出した。

 一はその手を何も言わずに見つめていたが、「ライターがありますから」と断る。

「良いから、使え」

 三森は一の言葉を無視して、自身の指の腹と腹を擦り合わせ、火を生み出した。仕方なく、一は三森の手へ線香を近付ける。線香にはすぐに火が灯り、独特の匂いが鼻を刺した。空き缶へ線香を立てると、手を合わせる。形だけの黙祷だった。そこには、誰もいないのだから。



 黙祷が終わった後、一はその場に突っ立っていた。

 三森は何も言わないで、煙草も吸わないで、一の傍に立っていた。

 どれだけの時間が経ったろうか。一際強い風が吹き、一たちの体を通り抜けていく。

「……そろそろ、帰りましょうか」

 その風を合図に、一は三森を見遣った。三森は短く返事をして、歩き出した一の後に付いていく。

 一は図書館に入ると、一階のフロア、西洋史などの本が並ぶ一角に入った。

「ンだよ、挨拶しに行くんじゃねェのか?」

「先生はいつもこの辺にいるんですよ」

 本棚を抜けると、机と椅子が並んだ、自習の為のスペースが現れた。そこの一番端の机、椅子に座って九十九は読書に耽っていた。一には、九十九の読んでいる本が何か分からない。本のタイトルは何語かすらも分からない。

「先生、お待たせしました」

「一か。あと少し待ってくれ」

 九十九は本に目を落としたまま、静かに言った。

 三森は舌打ちして、九十九の対面の椅子に座り込む。

 一は所在無さげにその場に立ったままだった。

 やがて九十九はしおりを挟み、本を閉じる。

「すまん、良い所だったのでな」

「いえ、気にしないで下さい」

「けっ、よくもまァ、そんなぶっとい本を読めるよな」

 三森は信じられ無いと言った表情で、九十九の置いた本を見つめた。

「お前ぐらいの頭なら、これで一発じゃねェの?」

 一を見ながら三森は笑う。

「そんな事をしたら怒られるぞ三森。本に失礼だ、とな」

 九十九は鷹揚に笑った。

「……はっ、どこのどいつが私にンな事言えるってンだ」


「あなたのお友達は、随分と下品な方なんですね」


 背後からした声に、一たち三人は振り向く。

「神聖な図書館には向かない格好ですね。と言うより、外を出歩くには向いてない格好です。前時代的なファッションセンスですね。やはり、類は友を呼ぶんでしょうか……」

「ンだとコラ、てめぇ?」

「はっはっは、元気があって結構だ。紹介しよう、ウチの新しい司書だ」

 一は何気なく視線を逸らした。

「……あたしが紹介されてるんだから、しっかりとあたしを見てください。でも目を合わせられないのも仕方ない話ですか。幾らあの時、カトブレパスの呪いが回っていたあたしを助ける為だとはいえ、あたしの体ごと時間(・・・・・)を止めたんですからね、あなたは。汚らわしい事この上ないです」

 一は眉間に皺を寄せ声を荒げる。

「うるせえよ、敵討ちまでしてやって、その上お前を助けてやって、さーらーにその上『図書館』続けられなくなったお前に仕事先斡旋してやったのはどこの誰だ? 俺だろうがっ、文句言うな馬鹿」

「後から聞いた話ですが、あの女の人を追い払ったのは堀さんで、しかもその女はまだ死んでいなくて、ああ、しかもその時あなたは特に何もしていなかったらしいですね」

「おい、誰から聞いた話だそれは。俺の活躍が大分抜けてるぞ。それかその話をした奴の頭が抜けてんだなきっと」

「館長、この人……あたしの手を無理矢理握ってきたりしていたんです」

「何? 一、本当か?」

 九十九が椅子から立ち上がる。

「……ええー? 最悪だよコイツ」

「お墓参りにまで来れば、セクハラの罪が消えると思ったんですか? 浅ましいですね。オキナもあなたの様な人に見舞われてしまって、とてもじゃないですけど浮かばれません」

「お前ってとンでもねェ女ったらしな」

 三森が侮蔑の目で一を見た。

「ひっでぇ! 言われない! 言われないよ普通そんなの!」

「図書館ではお静かにして下さい。さもないと、あなたの服に『中耳炎』と油性のマジックペンで書いてからつまみ出しますよ」

「陰湿だよなあオイ!」

「館長、油性ペンを」



 つくも図書館。駒台の街の郊外、小高い山の入り口付近に位置する図書館。公立の図書館ではなく、本好きの老人が私財を投げ打って設立した私立の図書館である。蔵書数は二十万冊にも上り、二階建てのフロアには所狭しと本が並んでいる。休日には子供たちが絵本を読み、学生が自習スペースで勉強をしている、平和な光景が見られる。司書の人柄と、館長の老人が人気な事で有名。


 尚、最近新しく入った、セーラー服を着た眼帯の司書が、利用客の一部ではカルト的人気を博している。

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