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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
カトブレパス
60/328

消えない呪い

 目を見て話せ。



 泉の周りは黒かった。泉自体も、周辺の地面も。みんな、みんな黒かった。

 黒く、赤く、どす黒く。

 濁って濁って濁りきっている。

「ヒルデさん!」

 助けを求める声は聞こえていた。でも、ヒルデにはどうする事も出来ない。戦乙女(ワルキューレ)のリーダーとして、部下は救いたい。だが、何よりもまず自分を救って欲しかった。溢れ出る敵。湧き上がる敵。泉からはウナギが、地面からは灰色の狼が暴れまわる。緑髪の女を狙う暇は無い。必死に纏わり付く敵を切り裂くしかない。

 同様に、シルトもシューも敵に追われていて、既に仲間の一人は這い蹲っていた。ヒルデは彼女を守るべく、敵を追い払い切り払い続ける。時折、あの女が嬉しそうにカトブレパスの首を掲げてこちらを狙う。視界を隠して命を守るも、死角は生じてしまう。狼は死角からヒルデに爪を立て、牙を剥く。

「……くっ」

 半ば自棄だった。鎌のリーチを活かして敵を追い払っていくが、際限なく増え続ける敵は容赦が無い。まさか、こんな事になるとは思っても見なかった。

「ふ、ふ……」

 女の声が酷く耳障りで、ヒルデの集中力が掻き乱される。隙を突いて、狼が向かってくる。見えない位置からの攻撃に、ヒルデは裏拳を見舞った。甲高い悲鳴を上げて狼は地面を滑っていく。

「やばいです! 一旦退きましょう!」

 シューが悲鳴混じりに叫んだ。

 退きましょう。出来るなら、とっくにやっている。ヒルデだって勤務外としての期間は短くない。退くべき時も、進むべき時も理解している。この状況、明らかに異常だった。間違いなく、退くべき時。だが、退けない。ヒルデは引き際を見誤ったのではない。そも、最初から戦うべきではなかったのだ。戦うにしても、相当の人数を連れてこなくては話にならなかった。ぎりりと、強く唇をかみ締める。判断ミス。鎌を握る手が重くなっていく。持たない。まずい。ただのソレとは訳が違っている。一体、あの女は何者なのか。

「……!」

 考えていては、猛攻を避けられない。糸口はある筈だと言い聞かせ、ヒルデは敵を払い続ける。

 一瞬、ヒルデは周囲に目を遣った。信じられなかった。最初の頃より、敵は増えている。雲霞の如く押し寄せる敵に、ヒルデの目が眩む。四名の戦乙女は、敵の中にいた。もう逃げられない。抗えない。

「ふ、ふ。誰から?」

 女は笑う。絶対的優位の状況で、女は笑う。カトブレパスの首を舐めながら、値踏みする。誰から死ぬのか。誰から殺そうか。嬉しそうに笑みを零す。

 つらかった。

 死ねば楽になれるかもしれないと、一瞬でもヒルデは思ってしまう。甘い、誘惑。女は死を誘う。笑って笑って、死へと誘う。


森賀(もりが)ァッ!」


 声が轟いた。その声は大きく、戦場にいた全てのモノに届いた。ヒルデたちにも、狼たちにも、あの、女にも。

 女はその声に、今までで一番嬉しそうな(・・・・・)顔をした。

「あ、あ、あ、あ」

 女の声は声にならない。まるで赤子の様だった。

 親に縋る子の様に。

 子に縋る親の様に。

 藪の入り口の方に居た敵から、姿を消していく。叫びを上げ、雄叫びを上げ、唸りを上げ、轟いて、咆哮して。狼は地に伏せ、ウナギは地に伏せ消えていく。黒いモノで一杯だった戦場は、少しずつ元の形を取り戻していく。

「久しぶりですね」

 優しそうな声だった。

 敵を掻き分け敵を蹴散らし敵を退け敵を切り裂き敵を砕いて敵を殺す。血河を、死山が侵食していく。

「あ、あ、あ……。堀、堀、堀、(ホリン)!」

 森賀と呼ばれた、あの緑髪の女は、愛しそうに名を呼ぶ。堀と。堀と。堀を呼ぶ。抱えていたカトブレパスの首を投げ出し、森賀は狼の群れの中を駆けた。まるで、恋人に会うかの様に。



 最初に突っ込んでいったのは堀だった。

 一と神野は堀の俊足に驚いたものの、気を取り直し後に続く。

 堀は槍を片手に構え、雲霞の如き敵の群れを切り裂いた。狼の群れ。中心に居た一番体の大きな狼を槍で貫き、そのまま振り回す。あっという間に敵は消え、残ったのは堀だけになる。

 だが、敵は湧き続けている。

 堀は振り返らない。前だけを見る。前にだけ進む。後ろの敵は見ていない。

 ――なぜならば。

「あああっ!」

 狼の額に、竹刀が食い込んだ。額は割れ、血が溢れ出る。地面に突っ伏した狼は、そこへ同化するかの様に溶けていく。黒い靄を撒き散らしながら、地面に溶けていく。

「神野君、右だっ」

 その声に反応して、神野は右を竹刀で薙いだ。狼が一瞬仰け反る。駆け寄った一が、狼の頭をアイギスの石突きの部分で突き刺した。黒い靄を掻き分け、一は前進する。神野も前進する。

「皆さん、しっかり付いてきて下さいよ」

 振り返らず、堀は言う。

「すげぇ数っすね」

「……最悪だ」

「いやあ、まだまだ序の口でしょう」

 軽口を叩きながら、三人は進む。その時、堀の目が飛来する敵を確認した。

「一君」

 堀が立ち止まる。

 一はその意味を理解して、堀たちの前に傘を広げた。広がったアイギスに、次々とウナギが体当たりを仕掛けてくる。

「う……ぐうっ」

 滝のようにウナギが降り注ぐが、一は攻撃に耐えた。

「神野君」

 神野はその意味を理解して、接近する狼を叩き割った。攻撃が止むと、堀はすぐさま走る。槍を曲芸師の様に振り回し、襲い掛かる敵の群れへ雪崩れ込む。

「はっ……」

 堀の口から、自然と笑みが零れ出た。

「ははっ……」

 敵を貫くたびに、堀は笑う。押さえきれない衝動を、必死で殺す。

 その様子を後ろで見ている一たちは言い知れぬ何かを感じたが、この場に於いて堀以上に頼りになる者は居なかったので見てみぬ振りをした。それ以上に、自分たちも何故か気分が高揚していくのを感じた。

 広場が見える。泉が見えてくる。入り口付近の敵を殲滅した一たちは、戦場を目にした。戦乙女が戦っている。そして、あの女がいる。

「森賀ァッ!」

 堀が叫んだ。ありったけの敵意をぶち込んだ、鋭くて大きい声。ビリビリと、一たちの鼓膜が響く。

 力強かった。敵には厳しく、味方には優しい声。

 堀の槍が唸ったのを聞いて、一たちも戦場に躍り出る。



 僥倖だった。

 一たちが広場で最初に目にしたのは、駆け寄ってくる森賀。顔を嬉しそうに綻ばせ、無防備にこっちへ近づいてきていた。諸悪の根源。

「てめぇがぁっ!」

 一瞬で一の頭に血が上り、森賀へと向かう。だが、森賀は一に目もくれず堀だけを見ていた。

「堀、堀、堀堀、堀堀堀堀ィ!」

 森賀は、うわ言の様に、何度も堀の名を呼び続ける。その喉に、アイギスの石突きが刺さった。手応えはあった。肉を貫く、気味の悪い感触。

「……ふ、ふ」

 森賀の体が黒い靄となって消える。地面と同化していく。空気と同化していく。消えていく。

「ふ、ふ」


 そして、再び姿を現していく。


「そんなっ!?」

 神野が目を見開いて叫んだ。

「一君下がって!」

 堀の声を聞き、呆然としていた一がよろよろと後ろへ下がる。

 一の居た空間から、赤いモノが飛び出てきた。巨大な、牡牛。一を突き飛ばすべく、牛は走る。突如現れた牛へ、一はアイギスを構えるも易々と吹き飛ばされた。宙を浮く一は満足な受身も取れず、強かに背中を打ちつける。

「……がっ……!」

 一は呻いて、アイギスを必死に握りこんだ。倒れた一の耳に、地面から音が伝わる。振動音。足音。駆ける音。赤い牛が狙っている。

「くっ……」

 堀は槍の柄を握りこみ、一を救うべく赤い牛を睨んだ。が、袖口を引っ張られる。

「ね、堀? 堀、堀堀堀ぃ?」

「森賀ァ……!」

 堀は槍を森賀へ突き刺す。心臓を確実に捉えたその一撃。黒い靄となり、森賀は地面へ沈む。

「一君っ!」

 間に合わない。

「俺が行きますっ!」

 神野が走った。

 だが、周りには夥しい数の狼。

「神野君!」

「行けます!」

 言い放ち、神野は飛んだ。跳躍し、狼の頭を踏む。踏んだ狼の頭を竹刀でかち割りつつ、次の足場へ。

 平家物語。源義経が壇ノ浦で見せた、八艘飛びの如く神野は飛ぶ。狼から狼へ、足場から足場へ。神野は狼の頭の上から一を確認する。赤い牛はすぐそこだった。

「らあっ!」

 飛び降りつつ、牡牛へ竹刀での唐竹割りを見舞う。牛の頭に竹刀は刺さっていき、弾かれた。ゴムの塊を殴った様な、手応えのまるで無い感触に神野が困惑する。

 牛の勢いは止まらない。一から神野へと標的を変えた牛は突進していく。

「見てらんない!」

 走り出す風。牛の横合いから、シルトが盾で殴りつけた。

 衝撃で赤牛は足を縺れさせて倒れこむ。

「こいつは私がやるからっ、お兄さんたちはヒルデさんを!」

 神野は頷き、狼の群れへ再び舞い戻る。

「あんたはっ?」

 立ち上がった一がシルトに尋ねた。

「戦う!」

 それだけ言うと、シルトは一に目もくれず敵の群れへ消えていく。

 一は迷ったが、神野を追いかけた。



 突然の援軍にヒルデは困惑していた。

 闇を散らす、まるで閃光。堀と、その後ろの一たちを認めると、ヒルデの体に力が戻る。まだやれる。彼らに合流するべく、倒れた仲間を引っ張りつつ、襲い来る狼を蹴散らしていく。

「…………ルル」

「やれ、ます」

 声を掛けると、ルルと呼ばれた女は一人で立ち上がった。ルルの足取りは重く、ふらついてはいたがヒルデにはやるべき事ができた。

「……ごめんね」

「いけ、ます」

 ヒルデは鎌で周囲を薙ぎ、空いた隙間を縫うように駆け出す。狙うはあの女の首。だが、ヒルデの前進を拒むように、泉からはウナギの群れが飛び出てきた。

 避け、受け、弾いて切り裂き、ヒルデは進む。時間が無いというのに。あの子を自分も救いたいのに。

「ヒルデさん!」

 声がした。その声の向こうへ、ヒルデは駆ける。狼の群れの中から神野と一が現れた。

「下がって!」

 ヒルデは一の声に従い、後ろに身を隠す。一がアイギスを広げて、泉から飛び出る敵の群れを防いだ。

「……戦うの?」

「盾ぐらいなら、俺にだってなれます」

 少しだけ嬉しげにヒルデは頷く。

「…………なら、鎌は私ね」

 鎌に付いていた敵の返り血を払い、ヒルデは一の前に立った。

「神野君、堀さんは?」

「向こうで森賀って女と戦ってます」

「……不死身か、あいつは……」

「…………不死身?」

 きょとんとした顔のまま、ヒルデは鎌を薙ぎ払う。

「あいつ、死なないんですよ。何回やっても何回やっても生き返ってくるんです」

 一の言葉に、ヒルデはふるふると首を振った。

「そんな人、いないよ……」

「じゃあ、何かトリックでも?」

「…………多分、魔術」

「魔術!? って事は……」


歩む死(イタカ)


 一が傘を広げる間もなく、魔術は飛来する。

 ヒルデは咄嗟に一を抱えてその場から離れた。神野もヒルデに従い、距離を取る。その後に、彼らの居た地面へ魔術が突き刺さった。魔術の刺さった地面一帯の熱が奪われていく。近くに居た狼たちの足からも熱を奪い、何もかも一緒くたにして凍らせていく。その光景を眺めながら、一はふと、自分の状況に気が付いた。

「ヒルデさん! 下ろして!」

 一は、ヒルデに抱えられていた。所謂、お姫様抱っこ。お姫様抱っこをされたままの一は羞恥で顔が真赤になっていた。問われたヒルデは小首を傾げる。

「……どうして?」

「はっ、恥ずかしいからですよ!」

 狼狽する一をよそにヒルデは何故かくすりと笑う。

「…………このまま、あそこまで行くよ」

 どこか嗜虐的な笑みを浮かべながら、ヒルデは狼の群れを抜けていく。

 神野は遅れながらも、先刻と同じように狼の頭を足場にして跳躍を繰り返し、距離を稼いでいた。

 ヒルデは堀と森賀の姿を確認すると、一気に加速をつけて接近する。

「待って!」

 ガクンと、ヒルデの膝が落ちた。ヒルデは片手で一を抱え、もう片方の手に持った鎌を杖代わりにする。

「…………どうして?」

「魔術です。言いましたよね? あの女が死なないのは、魔術のせいだって」

 ゆっくりとヒルデは頷いた。

「魔導書があそこにあるんです」

 一の指差す先、狼の群れから離れた位置に、それはいた。黄衣オキナは、悠然と立っていた。

「……どこ?」

「あいつの腹ん中に本があるんです」

「…………じゃあ」

 ヒルデは方向を転換して、黄衣オキナへ向かう。

「神野君! 堀さんの援護を!」

「はい!」

 神野は一たちと別れ、堀の元へ向かった。



 一の考えは、不確かな物だった。

 森賀の再生能力。狼や牛を召喚する能力。どれもこれも、まさか、あの魔導書が絡んでいるのではないかと。

 一はそう考えている。

「下ろしてっ」

 一はヒルデから解き放たれると、一直線にオキナへと向かう。背後から狼が走ってくるが、ヒルデが阻んだ。

歩む死(イタカ)

 ――もう逃げねぇっ!

「アイギスっ!」

 魔術の詠唱に被せるように、一が叫ぶ。アイギスの能力。敵を止める。だが、今までに試した事はなかった。

 止める。では、止まっているモノに対してはどうなのか。死んでいる。即ち、生きていない、終わっている、止まっている。生者にのみ行使してきた、蛇姫(メドゥーサ)の力。

「止まれ! 止まれ止まれ止まれ!」

 一は魔術に臆することなく突っ込んでいく。傘を向け、魔導書へと走っていく。

 魔術は、飛んでこない。見れば、黄衣オキナの動きも止まっていた。一は懐に潜り込み、気後れしつつも黄衣オキナの空いた腹に手を伸ばす。血と皮が一の手にこびり付いていく。

「……うっ」

 魔導書は、ビクともしなかった。一が幾ら力を入れて引いても、押しても駄目だった。

「…………どいて!」

 ヒルデが鎌を上段から振り下ろす。まず、黄衣オキナの首を落とした。次に右腕左腕。

「お腹っ」

 障害物の無くなった胴体を、ヒルデは横一閃に切り払う。鎌の切っ先には、魔導書が刺さっていた。

「これで!」

 しかし状況は変わらない。

 何一つとして変わらない。

 狼もウナギも牛も縦横無尽に駆け回っている。

「……どうして」

「ヒルデさん、本を見せてもらえますか?」

「読めるの……?」

 心配そうな顔をして、ヒルデは切っ先を下ろした。地面に魔導書を置き、鎌を引き抜く。その時に、捲れたページが光っていたのを一は見逃さなかった。急いでそのページに目を通していく。

「……読め、ない」

 仕方ないので、とりあえずそのページは破っておく事にした。一は血で濡れた紙をビリビリに破いていく。

「…………ん」

 ヒルデの目が揺れた。



 槍が心臓に食い込んだ。

 槍は額を断ち割った。

 槍は喉元を食い破った。

 槍は顔面を貫いた。

 堀の槍は、森賀の体を貫いた。何度も何度も何度も何度も何度も。

 だが、森賀は体にダメージを負う度に黒い靄に姿を変え、再び現れる。

「堀、堀堀堀堀堀堀堀」

 現れる度、森賀は堀に抱きつく。払い除け、堀は辟易しながらも森賀の体に槍を通した。

 もう何度繰り返した事だろう。堀は一旦槍の穂先を地面に突き刺し眼鏡の位置を直す。

「ねえ、ふ、ふ。堀ぃ?」

「……しつこいですね、あなたは」

「堀? 堀、堀、堀」

「あなたの力だけではここまでの芸当は不可能な筈」

「堀堀堀ぃー」

 ザクリ、と。森賀の眼球に堀の手刀。

「ほりぃー」

 意に介さず、森賀は堀に近づく。

「……恐らく、魔導書でしょうね」

 やれやれと、堀は軽く溜め息を吐いた。槍を持ち直し、縋りつく森賀の体にそれを突き刺す。

 森賀は崩れ落ち、地面に倒れた。彼女の周囲からは黒い靄が立ちこめ、地面と同化していく。そして、体を包んで消えていく。

 一分も立たない内に、また森賀は現れる。

「あの子たちに任せるとしましょうか」

 ならば、自分が出来る事はただ一つ。槍を構え、堀は寄ってくる狼を散らしていく。そして、精々背後を取られないように集中を高めた。全く以って、無駄な努力だった。



 神野はシルトと合流していた。堀の近くまで行ったものの、戦闘と呼べない一方的な殺戮を目撃し、自分の価値が見出せなくなりそうだったので、神野は仕方なくシルトの元まで引き返していた。

 赤い牡牛を相手にしていたシルトは、神野に目もくれず牡牛の突進を避け、横合いから殴りつけるのを繰り返す。

 まともな返答は期待していなかったが、神野はシルトに声を掛けてみた。

「手伝いましょうか」

「……調子乗んな、失せてろ」

 案の定、にべも無かった。他にやる事も思いつかなかったので、シルトの死角の狼を片付けながら、神野も牡牛に目を向けた。

「ゴムみたいっすね」

「ああ? 何よ?」

 シルトは神野を親の仇のように睨む。

「いや、だから、あいつ」

 倒れても倒れても起き上がる牡牛を指差しながら、神野はシルトから視線を逸らした。

「骨が無いんすかね」

「そんなの関係ないし、知ったこっちゃない」

「そりゃそうですね」

 神野は竹刀を正眼に構える。

「何であれ、俺に出来るのはこれだけですから」

「あっそ」

「でも、一さんたちが何とかしてくれると思いますよ」

「あのお兄さんが? 無理無理、うるせぇだけじゃね、あいつ?」

 シルトは本当に可笑しそうに笑った。

「俺も最初はそう思ってましたけどね」

「後ろ」

 神野は振り返りざま、大口を開けていた狼の口内に竹刀を突っ込む。喉の奥まで竹刀を突き込んで、風穴を開けた。充分な傷を与えたのを確認してから、竹刀を引き抜き、狼の顔を足の裏で押す。

「あの人、すごいっすよ」

「はっ、ただの人間じゃん。力も強くないし、足も速くない。頭ぁ良くなさそうだし、顔は、……、んー、私のタイプじゃないし……。とにかく、どこにでもいそうな奴」

「だからっすよ」

「まっ、私に啖呵切れるのは面白いと思うよ。すっげーうぜーけど」

 狼と戯れながら、シルトはぶっきら棒に言った。



「…………消えてくよ」

 ヒルデの目が揺れた。目の前の光景を、ヒルデは信じられない。

 灰色の狼が消えていく。

 黒いウナギが消えていく。

 自分たちに、魔導書に近い敵から姿を消していく。狼たちは黒い靄に姿を変え、地面に溶けて消えていく。ウナギどもは、黒い靄に姿を消え、空気に溶けて消えていく。

「俺の予想は当たってたみたいですね」

 汚れた魔導書を仕方なく抱えて、一は少しだけ誇らしげに笑った。

「その、本が……?」

「詳しい説明も、正しい答えも俺には説明できませんけどね。知り合いの魔術師もどきからも言わせると、魔術の理論や説明なんて、魔術を使う側からの自己満足に過ぎない、だと」

「……ん。分かんない」

「実は俺もです。けど、これなら何とかなりそうですね。黄衣オキナも殺しきった(・・・・・)事ですし、残りは……」



 周りの獣が消えていく。黒い靄となり、地面に溶けて消えていく。

 赤い牡牛も、消えていく。黒い靄になって、地面に溶けて消えていく。

「何よ、これ?」

 シルトはきょろきょろと、絶え間なく視線を動かし続ける。

 神野は竹刀を杖代わりに、その光景をぼんやりと眺めていた。

「言ったじゃないっすか、一さんですよ。あの人がどうにかしてくれたんです」

「はっ、ただの人間の、あのお兄さんが?」

「はい。俺の先輩が」

 にっかりと、歯を見せて神野は笑った。



「森賀」

「堀、堀、堀堀ー」

 片腕と片足を失くしながらも、森賀は堀にしな垂れかかる。熱を帯びた視線を浴びせかけながら、彼女は自分の下半身に手を伸ばした。

 堀は無言で森賀の残った腕を刎ね飛ばす。

「いつまで、続ければ良いんでしょうか、森賀」

「ふ、ふ。ずっと、ずっとよ? その為に、こんなくだらない(・・・・・)事をしたの。だから、ずっとよ?」

 ああ、まるで睦言。こんな言葉を真正面から言われては。

 森賀の首が吹っ飛んだ。

「いやあ、今のを一君が聞いてたらどうなる事やら。口は災いの元とは言いますがね。あなたは存在そのものが災いですよ」

 槍に付いた森賀の返り血も、森賀の体と一緒に黒い靄に成り果てる。堀が手を下していないにも関わらず、堀を取り囲んでいた狼も、森賀が消えたのと同時に靄へと姿を変えていく。眼鏡の位置を直し、堀はようやく安堵の息を吐いた。

「あっけないものですが、これで終わりですか」

 終わりとは、得てしてあっけない。



 一は走った。

 これで、全部が元通り。灰色の狼も、泉のウナギも、赤い牡牛も、緑の女も、黄衣オキナも、全部全部消えた。だから、大丈夫だと。失われた物は、無くなった者は帰ってこない。それでも、失ってない物も、無くなってない者がいる筈だ。

 まだ、全部終わっちゃいない。

 一はアイギスを握ったまま、堀やヒルデには目もくれず走った。走って走って走って、たどり着く。

 黄衣ナコトの元へと。

「黄衣! 生きてんだろうな!」

 ナコトは苦しそうに呼吸を繰り返している。

 ひとまず、一は安心した。返事は無かったが、ナコトは顔を僅かばかり一へと向けている。一はナコトの傍にしゃがみ込み、魔導書を見せた。

「おら、見ろよ。取ってやったぜ、敵討ち」

 形だけなら、森賀を倒したのは堀になるのだが、一は細かい事は気にしないことにする。魔導書を見たナコトは手を伸ばした。一は最初、手を握ろうかと思ったが、ナコトの視線が自分へ向いていないことに気付き、複雑な思いで魔導書をナコトに差し出す。

「すげぇ汚れてるぞ」

「……あ、こ、これ……」

「無理に喋るなよ。……そう、これがあいつの腹にあった本だよ」

「ず、っと……、さが、してた……」

 ナコトの目から涙が一筋零れた。涙は頬を伝い、顎に溜まり、地面まで伝い落ちる。

「……そうだったのか」

 良かったな、とは一には言えなかった。

 ずっと、ナコトが捜し求めていた魔導書。見つけることが出来たのは、良くも悪くも、森賀のお陰に他ならない。彼女が、黄衣オキナの腹にこの魔導書を詰めたから。

 ナコトの相棒、オキナを殺して埋めたから。だから、見つかって良かったな。


 あいつが死んで良かったな。


 一にはそんな事、口が裂けても言わないし、口を裂かせても誰に言わせるつもりもなかった。

「……はっ、はぁ、あ……っ、くっ……」

 ナコトは苦しそうに呼吸を繰り返す。魔導書を握ったまま、苦しそうに、苦しそうに。今にも、死にそうなくらいに。

「おい、おい、黄衣?」

 様子がおかしい。何かがおかしい。一は、一向に良くならない、変わることの無いナコトの容態に不安がった。全部、全部終わったのに。あの森賀も、灰色狼も、ウナギも、赤い牡牛も。全部、消えた筈なのに。

 何で、ナコトは良くならない。死の呪いが、消えてなくならない。

「……あ」

 そもそも、ナコトを殺すのは何だったのか。

 ナコトを殺せたのは、何だったのか。

 ナコトの体に、呪いを送ったのは。

 眼を、見たのは――。

 一は立ち上がり、走り出した。広場で固まっていた堀たちを認めると、一は声を荒げる。

「カトブレパスの首はっ!?」

 その意味に気づいたのは、堀とヒルデだった。ヒルデは泉へと駆け、堀は辺りに目を配りながら全員に問いかける。

「首を見た人はっ!」

 戦乙女三人は首を横に振る。神野は「すみません」と謝った。

「まだアレの呪いは消えてないんだ! 黄衣が死んじまう!」

 時間が、無かった。

 ナコトが見たのは、片目だけ。カトブレパスと目が合ったのは片方だけ。片方だけ、とは言ってもソレの力は計り知れない。

 ――眼を見たら死ぬ。

 シンプル、だからこそ恐ろしい。単純明快な、誰にでも通用する死の呪い。果たして、片目だけで見てしまったとは言え、半殺し(・・・)で済むのだろうか、呪いは、半分で済むのだろうか。

 誰にも、それは分からない。ソレにも、恐らくは分からない。だから、時間が無い。どうなるか分からないから。

「無い、ないないないない……」

 一の焦りは募る。

 早かった。一秒が、一分が、時間が、今まで生きてきて、一番早く過ぎていくのを感じる。

 時間が足りない。時間が欲しい。時間が止まれば良い。時間が、止まれば。

 止まれば。止まれ。

 止まれ。止まれ。止まれ。止まれ。

 一はぼうっとした頭で立ち上がった。



 この手が握っているのは、なんだ?

 一はゆっくりと振り返る。傘を広げ、瞳は標的を捉える。

 誰かが、何か叫んでいた。一の耳はもう何も受け付けない。

 時間その物を止めるなんて、出来なかった。

 だから、だから一は。

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