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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
カトブレパス
59/328

いい加減にしやがれ

 一分は六十秒。

 六十秒は一分。



 相手は死んでいる魔術師と得体の知れない女。

 呑まれていた。一は呑まれていた。ナコトも呑まれていた。そんな事は、自分たちでも分かりきっていた。

 それでも、一は覚悟する。ナコトも覚悟する。相手が元相棒であろうと、なんであろうと。自分たちは生きている。死にたくない。だから、だから、だから。



 まず一が藪から飛び出した。反応した黄衣オキナが、魔術を行使する。一はアイギスで飛んできたそれを受け止めた。

 その隙に、ナコトが駆け出す。狙いはあの女。ソレの首を愛しげに愛撫する、あの女。ナコトは鎖を回し、充分に速度を稼いで放り投げる。

 暴風、暴力、暴虐の象徴。自らに向かってくる鎖を一瞥すると、女は何を思ったのか、その場に倒れた。鎖は標的を失い、空を切り裂いていく。

 一投目は失敗。ナコトは鎖を巻き戻そうと力を込めた。足を踏ん張り、腕を引く。

 そしてあの声。あの醜悪な声。クトゥルフの魔術が、ナコトを狙いに奔っていく。

 一はまだ痺れの取れない腕であるのも厭わずに、二射目を防ぐべく、ナコトの前に躍り出た。

 ナコトは鎖が一に当たらないように器用に軌道を変える。

 一は地面をしっかりと踏み、両手でアイギスを握った。一発目と同じ威力。同じ衝撃。だが、疲弊している一には耐え難い威力と衝撃だった。アイギスが黄衣オキナの魔術を相殺したと同時、一は軽く吹っ飛ぶ。叫び、地面に倒れて呻いた。

 ナコトは一に構わず、戻しきった鎖を緑色の髪をした女へ放る。女は倒れたままだ。確実に鎖は標的を捉える。

 ナコトも一も、そう思っていた。


 ――それが現れるまでは。


 倒れたままの女が泉に手を浸す。泉は女の触れたところから、徐々に色を変えていく。

 黒く、赤く、どす黒く。

 清廉な水が汚れていく。穢れていく。鎖が届くより先、泥水の如く酷く濁った泉から、生き物が飛び出てきた(・・・・・・)。文字通り飛び出してきたのは、細長いシルエットをした蛇のような生物。体表が粘膜で覆われている生き物が、数匹泉からロケットのように射出される。飛び出た生き物は女を守るように、次から次へ鎖にぶつかっていく。無茶苦茶な速度の鎖に負けないような、無茶苦茶な速度だった。蛇のような生物は鎖にぶつかり、体を粉々に砕かれる。砕かれては地面に落ち、地面に落ちては砕かれる。続々と湧き続ける生物は体当たりを止めはしない。始めのうち、鎖は生物の勢いを殺し続けていたが、衝撃が二桁を越えると鎖の速度の方が殺されていく。

「……まずいです」

 呟いたナコトの額から冷や汗が零れた。ナコトの危惧していた通り、鎖は速度を失い、力を奪われ地面に乾いた音を立てて落ちる。

 終わりではなかった。鎖の勢いを殺しきった生物は、次の標的を定める。即ち、敵。一と、ナコトへ。

 飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ。

 自身へ向かってくる生物を見上げ、一はその正体に気がついた。

「こんなもんにっ!」

 アイギスを広げ、一はナコトを庇える位置に立つ。それこそ生物の衝撃は、黄衣オキナの魔術と変わりが無いように感じた。一発一発が重い。生物はアイギスに接触するとすぐに掻き消えていく。だが、その数に終わりが見えない。いつまでもいつまでも一に降り続けて行く。

 一の後ろのナコトも気が付いた。どうして。何で。そんな考えに至る前に、

「ウナギ……?」

 見た物をそのまま口にする。細長いシルエット。粘膜を帯びた体。水から現れた生物。アイギスに体当たり、掻き消されていくその姿。どこからどう見ても、あの(・・)ウナギだった。こんな物がどうしてこの場に現れ、あまつさえ自分たちを襲っているのか、一たちには分からない。

 少なくとも、一はもうこれから先ウナギを食べたいと思えなくなった。

 一の腕に痺れが走る。断続して痛みが走る。

「何とかしろよ!」

「どうしろって言うんですか!」

 一の八つ当たりに、ナコトは声を荒げた。

「お前も魔術を使えよ! その本は飾りかっつーの!」

 ナコトの直ぐ傍に落ちている魔導書『アルアジフ』を一瞥し、一は叫ぶ。

「……あ、その……」

 落ちている魔導書を見て、ナコトは申し訳なさそうな顔になった。


「あたし、魔術なんて使えないんです」


 一の目の前が白くなる。追い討ちをかけるように、黄衣オキナが口を開ける。彼のすぐ傍に紙片が現れ、人魂のようなモノに打って変わった。周囲の温度を下げ尽くし、凍て尽くす死の風。風に乗って、死を歩ませる名状しがたきものの眷属。

 ウナギの群れを浴び続けている一に、魔術が突き刺さる。アイギスを握る手が、痛い。このまま手を離せば、目の前の痛みからは逃げられる。

 だが一は、歯を食い縛って耐えていた。

「一さんっ!」

 年下を守るのには慣れていた。だから一は耐え続ける。守らないといけない。逃げてはいけない。ごめん、ごめん、と。心中で謝り続ける。

 ……一は、ナコトと誰かを重ねていた。

 ナコトを守れば、誰かを守っている。そんな気持ちになれたから。

「ああああああっ!」

 自分でも信じられないくらいの声だった。一は雄叫びを上げ、弱気になる自分を奮い立たせる。自分は、何も出来ない。三森のように強くない。糸原のように美しくない。ジェーンのように賢くない。立花のように、堀のように、神野のように、店長のように。

 誰にもなれない。

 一には、耐える事しか出来ない。アイギスが自分の力じゃない事には気付いていた。あくまで、これは女神に貰ったモノだから。一一(にのまえ はじめ)の力じゃない。

 自分は無力だ。叫ぶしか、耐えるしか、意地汚く生きる事しか出来ない。勤務外になりたいわけじゃなかった。戦いなんてもっての外だった。

 一はただ、もう一度、もう一度だけ――。

「痛いっつってんだよ!」


 ――ホームランを打ちたかった。


 ヒーローになりたかった。

 誰かを助けたくも、守りたくも無い。自分の為だけに、一はあの時、女神に答えた。


 溢れ出る感情に任せて、一はアイギスを振った。

 最高の、フルスイング。

 黄衣ナコトの魔術を、ウナギの群れを、一はアイギスで振り抜く。人魂は一直線に打ち返され、ウナギの群れは跳ね返ったそれと、飛び出てくるそれとがぶつかり合い、地面に次々と落下していった。

「うそ……」

 ナコトには、アイギスが一の叫びに答えたかのように見えた。一瞬だけ、ナコトに見えた幻。髪の長い女だった。主を守るように、女は一を抱いていた。後姿だったので、彼女にはそれが誰か分からない。一瞬の光景。女は、すぐに見えなくなる。

「一さんっ! 魔導書を探してっ!」

 女の姿が消えた直後、閃きが走った。ナコトは気付き、叫ぶ。

 幾ら相手がソレとは言え、死体だからとは言え、元相棒だと言え、黄衣オキナだったとしても、魔術を行使するには絶対にクリアしなくてはいけない条件がある。それは魔導書。書が無ければ、術者は何も出来ない。

 さっきまでは突然現れた黄衣オキナに動揺していたが、一のスイング(・・・・)を見てナコトは我に返る。

「本を取り返せば、オキナは何も出来ません!」

 一は咄嗟に傘を下ろし、黄衣オキナを凝視した。穴の開いた喉。穴の開いた腹。どこまでも薄気味悪い、人間『だった』黄衣オキナ。

 一は見つけた。黄衣オキナの腹の中、微かに覗いていたそれを。

「腹の中だ!」

「フォローを!」

 ナコトは駆け出した。黄衣オキナの腹部を、自分も確認する。なるほど確かに魔導書(グリモワール)。皮と肉と骨と臓器に、隠されるようにしてそれはあった。

 魔導書さえ奪えば、砲台と化した黄衣オキナを無力化できる。絶望の中の、一筋の希望。細い糸を辿る様な、危うい望み。だが、一たちはそれに賭けた。切欠になるかもしれない。魔導書さえ奪えば。黄衣オキナさえ無力化すれば。

 残りは、あの女だけになる。

 一は全身に力が戻るのを感じていた。先行するナコトの後ろに付き、一は黄衣オキナに注意を払う。

 ナコトは一直線に魔導書へと向かっていた。手が血で汚れる事も構わない。相棒の体を傷つける事になろうとも構わない。全ては、仇を討つ為だったから。

歩む死(イタカ)

 声を聞いた一は叫ぶ。

「止まれ黄衣!」

「分かっています!」

 悔しそうに歯噛みして、ナコトは一の後ろへ戻った。

 距離が近くなった分、対応を間違えば一たちの命は無い。一つの失敗が死へ直結する。一とナコト。どちらか片方でも命を落とせば、もう片方も命を失う。

 集中していた。かつて無いほど一は一つの事に集中していた。

 ナコトも同じだった。黄衣オキナに、全神経を、全てを払っていた。


 だから、気付かなかった。


 一は必死で魔術に耐える。背後のナコトを感じながら、精一杯地面を踏みしめた。やがてアイギスは魔術を掻き消す。絶対の力。

 ナコトはオキナの第二撃を警戒しながらも、一の後ろから躍り出る。

 女が、笑っていた事にも気付かずに。

 傘を翳していた一には見えなかった。ナコトだけに見えている。女の、嫌らしく、妖しい笑みが。そして、女の抱えたそれが。


 カトブレパスの首が。


 カトブレパスと目が合った。その瞬間、ナコトの意識が飛んでいく。希望も絶望も焦りも悲しみも怒りも何もかも消えていく。手には力が入らない。足が縺れ倒れこむ。仇を討つ事も、オキナの事も、目の前で笑う女の事も、支えてくれた一の事も、全て吹っ飛んだ。声を出す事も叶わない。ただ苦しくて苦しくて、ナコトは弱弱しい呼吸を繰り返す。誰かが叫んでいるのが聞こえた。多分、一の物だろうと推測する。

 あんな情けない声を出せる人物が、ナコトには他に見つからなかったから。



 アイギスを下げた一が最初に見たのは、黄衣オキナ。次に目に入ったのは、倒れているナコトだった。弱弱しく、今にも止まってしまうような呼吸を繰り返している。

 まず、一の力が抜けた。虚無感。絶望感。最悪の考えを振り払い、一はナコトに駆け寄っていく。

「お別、れ。待ってあげるわ、ねえ?」

 女が何事か喋っているが、一の耳には入らない。必死でナコトの名を叫ぶ。叫び続ける。

「ふ、ふ。良い声ね、ボウヤも」

 ――黙れ!

 体を揺する事は躊躇われた。とにかくナコトを安静にさせておきたい。一はさり気なくナコトの前に出て、女らから庇うようにしゃがみ込む。

「そろそ、ろ。良い?」

 ――黙れ! 黙れ! 黙れ黙れ黙れ!

「黄衣っ! おい! おいってば!」

「……に、の……」

「ごめん! 喋んなくて良いから!」

 ナコトは手を伸ばす。自分の体から、何かが抜けていくのを感じていた。伸ばされた手を、一はしっかりと掴む。

「黙って寝てろ! 後は俺が何とかするから!」

 嘘だった。

 無理だった。

 不可能だった。

 苦しそうにしながら、ナコトは微笑む。一に応える。


歩む死(イタカ)


 背後からの容赦ない声。一は「ごめんっ」と謝りつつ、ナコトから手を離す。アイギスを構え、黄衣オキナへと向き合った。振り向いたと同時、魔術が一を襲う。相変わらず凄まじい衝撃だった。だが、もう退けない。一はもう逃げられない。それでも、一の腕に力が入らない。

 もう六十秒なんてとうに過ぎているのではないか。

 涙が出てきた。どうして、自分たちがこんな目に遭わなければならないのか。


 もう、嫌だった。


 アイギスは魔術を掻き消した。だが、一にはそこからどうする事も出来ない。

 絶対防御。不壊の結界。女神の盾。

 それだけだった。アイギスで攻撃を防ぐ事が出来ても、アイギスを使って攻撃を仕掛けることは出来ない。

 ギリシャ神話最高。世界でも最高峰のアイテム。しかし、アイギスは盾だった。もう、どうしようもない。一には気力が残っていない。

「あ、ら? 終わり? ふ、ふ」

 女が笑う。カトブレパスの首を投げ捨て、指を緩やかに動かした。それを合図に、黄衣オキナが口を開ける。

 い。た。か。

 絶望の三文字。

 一はアイギスを構えた。だが、防ぎ切る自信なんてもう無かった。

 風が奔る。邪悪の皇太子の眷属。イタカがアイギスに襲い掛かる。

 一は歯を食い縛る事もできず、ずるずると後退していく。そのすぐ後ろには、ナコトがいる。なのに。あれほど誓った筈なのに、もう、駄目だった。

歩む死(イタカ)

 ダメ押しだった。連続で放たれる魔術。今の一には、もう、限界。

 ごめん。ごめん。ごめん。

 誰に謝っているのかすら、一には分からない。死が目前に迫っているのにどうしようも出来ない。


 風が奔る。


 二発目の魔術がアイギスに着弾する、その瞬間、風が奔る。

 どこかで見たことのある女たち。一の目には、それが天使に見えた。自分とナコトを絶望から運び去る、一筋の光。

 四つの光は、一とナコトを連れ、離れた場所に着地する。

「…………大丈夫?」

 眠そうに問いかける声。赤み掛かった、茶髪。その手には、天使には似つかわしくない大きな鎌。オンリーワンの制服を着た女。

「ヒルデさん……?」

 ゆっくりと、ヒルデは頷いた。

 彼女の傍には三人の女。ニット帽を深めに被った女。包帯を顔中に巻いた女。虚ろな目をした女。彼女らはそれぞれ、槍と盾を持っていた。オンリーワンの制服を着ていたが、紛れも無く彼女らは戦士の装いであった。

「あなた達、天使だったんですか?」

 その問いに、ニット帽を被った女は馬鹿にしたように笑う。

「言うじゃんお兄さん。天使だなんて、おちょくってんの?」

「す、すみません」

「…………その子は?」

 ヒルデは心配そうにナコトを見遣った。

「……その、カトブレパスの眼を見ちゃって……」

 ワルキューレたちはナコトに近付く。

「なーにコイツ? 超地味なんだけど?」

 喋っているのはニット帽の女だけだったが、他の二人も同じような感想を持っているようだった。

「…………シルト」

「う、そんな目で見ないで。冗談っすよ」

「こいつを早く病院へ連れてかないと……」

 一は悲痛な声で訴える。

 だが、シルトと呼ばれたニット帽の女は涼しげだった。、

「おかしくね? アイツの眼で見られたら即死じゃなかったっけ?」

 こくり、と。ヒルデは頷いた。

「…………シュー?」

 シューと呼ばれた、包帯姿の女はナコトの顔をじっと眺める。尤も、包帯越しからは本当にナコトが見えているのか、ハッキリはしなかったが。

「片目だけじゃん」

 シューは事も無げに言った。

「あー、だからまだ生きてんだね、そいつ」

「どういう意味ですか?」

「熱くなんないでよお兄さん。何? こいつあんたの彼女なワケ?」

 ケラケラと笑うシルトの襟首を掴み、

「良いから教えろっつってんだ。髪の毛生えたらまた千切るぞボケ」

 一は脅し文句を口にする。

 シルトは一の剣幕に押され、やれやれと言った感じに口を開けた。

「……ちっ、アレだよ。要は半殺しの状態なのよソイツ、オッケー?」

 一はナコトの顔をよく見た。なんとも言えない、酷い(・・)光景。ナコトの片目はグチャグチャに潰れていた。

「助かるんですか?」

 ふるふる、と、ヒルデは首を横に振る。

「……分からないの。ごめん……」

 悲しそうにヒルデは俯いた。

「てめぇこら! ヒルデさん泣かすんじゃねぇよ!」

 シルトが喚いているが、一にはその事を気にする余裕も無い。

「じゃあどうすれば!」

「黙りな、お兄さん」

 グイっと、肩を掴まれた一の背筋が凍る。

 一の耳元へ、シューは一の肩を掴みながら囁いた。

「私らはさ、あんたらを助けに来たワケじゃないの。ソレを殺しに来た勤務外なの」

 シューは槍を握り、妖しく微笑んでいる女を睨む。

「ヒルデさん、行ってきます」

「…………気を付けて」

 頷くと、シューを先頭にシルトと残っていた女が駆け出した。

 だが、今の一には戦闘がどうなるかより、ナコトの方が気になっていた。

「ヒルデさん!」

 一に呼ばれたヒルデは何も応えずに、鎌を握り締めている。

「南駒台が俺たちを助けに来たんじゃないって、そんなの分かってます! でも教えてください! どうすれば良いんですか? こいつはどうすれば助かるんですか?」

 ヒルデは応えない。

「……勝手な事言ってるの、分かってるつもりです。けど、それでも俺は……」

「…………あの人」

 鎌を女の居た方向に向け、ヒルデは悲しげな声を出す。

「あれを殺せば、その子はカトブレパスの呪いから解かれるかもしれない……」

「本当、ですか?」

「…………ごめんね、あくまで可能性なの。私、そういうの専門じゃないから…………」

 その言葉が本当でも、嘘でも、一の心に沸々と何かが湧き上がって来る。だが、行動に移そうとまでは思えない。怖い。恐ろしい。死にたくない。自分はまだ、生きていたい。

「俺……」

「……?」

「多分、って言うか絶対、足手まといになります」

 一の言わんとする事を理解して、ヒルデは少しだけ残念そうに顔を伏せる。

「…………分かった。でも、あの人(・・・)が来るまでそこに居てあげて」

「あの人?」

 ヒルデは藪の入り口の方へ鎌を翳す。

「…………キミの上司」

 静かに微笑み、ヒルデは優しい声を出した。



 先頭のシューが女へと槍を放り投げる。その槍は、黄衣オキナの魔術によって砕かれた。控えていたシルトが魔術の隙を突き、走り抜けていく。

 緑髪の女は徐にカトブレパスの首を掲げた。

「せこいんだよ!

 シルトは持っていた盾で自身の視界を隠す。

歩む死(イタカ)

 視界を隠しながら、シルトは走って魔術を避けた。魔術の着弾した地面一帯が一瞬にして凍土と化す。恐れることなくシルトは走った。槍を突き出し、女へ迫る。

「ふ、ふ」

 女は死が目前にあるという、この状況下で笑った。女は動じない。先刻の泉のように、女が地面に手を置くと、触れた箇所から変色していく。

 黒く、赤く、どす黒く。

 混沌とした黒から現れたのは灰色。牙を持った、灰色の狼。

「――――!」

 唸り声を上げ、突如現れた狼はシルトへ襲い掛かった。盾を食い破らんと牙を立て続ける。

「何なんだよコイツ!?」

 均衡状態に、黄衣オキナが割って入った。死の呪文、人魂がシルトへ突っ込んでいく。その時、シルトの前にシューが盾を前にして割り込んだ。

「一度下がるよっ」

「もうっ!」

 凄まじい衝撃を斜めに受け流し、魔術を無効化した事を確認したシューは、シルトの盾に食い下がっていた狼を蹴っ飛ばす。狼は高い声を上げて地面を滑っていった。

「うざいっつーの!」

 その隙に、シルトとシューが距離を取る。

 こうして戦乙女たちの、戦いの火蓋が切って落とされた。



「…………キミはどうするの?」

 一は答えられない。

「俺は……」

 握り締めたアイギスも答えてくれない。

「……私、そろそろ行くね……」

 ヒルデは戦場に目を向けた。一から目を背け、背を向け、敵に鎌を向ける。一瞬の躊躇いの後、ヒルデは地を駆けた。

 残された一は力を奪われたようにナコトの傍にしゃがみ込む。未だ震えるナコトの手を握りながら、一は謝罪の言葉を繰り返す。

「ごめんな、敵討ちとか簡単に言っちゃってさ……」

 返事は無かったが、ナコトのか細い呼吸が、自身を責めているように一には感じられた。

「やっぱり、向いてないんだよな。俺にはさ……」

 もはや誰に語るでもなく、一は続ける。

「……頑張って……」

 ビクリと、一の肩が震えた。一は握った手に力を込める。

「黄衣……?」

 ナコトの目はまだ死んでいない。残った眼で、一をしっかりと捉えている。

「……仇、討ってください」

 もう、消えそうな声。

 それでも、意思を込めた声。

 半分死んでいる人間。そんな彼女の視線に一は気圧された。

「大丈夫。南の人たちが来たからさ、あんな奴らすぐに――」

 一の言葉に、ナコトは弱弱しく首を振る。

「あなたが……」

「――!」

 あなたが。

 あなたが。

「俺、が……?」

「……うん」

 声は消えそうで、握り返す力も弱くて、今にも、死にそうで。

 なのに、ナコトの意思は強い。一を信じきった眼で、ナコトは一を見つめる。それ以上は何も言わずにナコトは瞼を閉じた。

 一は思わずナコトの脈を取る。顔を近づけ呼吸を確認する。

 生きている。

 ナコトはまだ生きている。ナコトの意思は生きている。


「受け継ぎましたか?」


 背後から優しそうな声。一が振り返ると、堀がいた。彼の後ろには、ばつの悪そうな顔をした神野。

「彼女の意思は、受け継ぎましたか?」

「……一分、過ぎてますよ」

「いやあ、南の方々を見た物でして。時間を稼いでくれるだろうと」

 堀は何故か苦笑する。一にはその笑いが、耐え難かった。

「もっと早く来てくれれば! 黄衣はこんな目に遭わなかったのに!」

 あんな眼と遭う羽目には、ならなかった。

「……その件については悪いと思っています」

「抜け抜けとさぁ!」

 一は堀に詰め寄る。明らかに八つ当たりだった。

 だが、堀は甘んじて受け入れる。一の怒りは良く分かる。堀には、一の行き場の無い感情を受け止めるのも、また自分の仕事だと良く分かっていた。

「ですから、行きましょう。仇を討つんでしょう?」

「……あんな化け物相手に? 俺はただの人間なんですよ」

「そうですね。相手は化け物。一君は人間です」

「だったら!」

それがどうしました(・・・・・・・・・)?」

 狼狽する一を無視し、堀は続ける。

「『図書館』の仇を討つんでしょう? あなたは黄衣ナコトさんから、先ほど受け継いだはずです。意思を、彼女の純然たる決意を」

「でもっ!」

「言葉による答えなど要りません。そうでしょう?」

 静かな口調だったが、堀の言葉には反論の出来ない何かが秘められていた。

「……堀さん。俺、怖いです」

「私もです」

「死にたくないです」

「私もです」

「まだ、生きていたいです」

「……私もです」

「でも、俺……」


 握った手は暖かった。

 握った手は震えていた。


「何とかしたいです。こいつを助けてやりたいんです……」

「しましょう」

 堀は持っていた武器を地面に突き刺す。獲物は槍。全長で二メートルに達するほどの長さを誇る、堀の武器。

「その為に、私は戦います」

「一さん、俺も手伝います。もう、逃げません」

 二人に見つめられ、一は頷く。

「一君。仇を討つのは南の方々でも、私でも、他の誰でもありません」

「……分かってます」

 一はナコトの手を離し、立ち上がった。

「宜しい。では、あの女は私がどうにかしましょう。アレが術さえ解けば、黄衣ナコトは助かります。ですが時間に余裕はありません」

「どう、行くんですか?」

 堀は神妙に頷く。

「私が突っ込みます。神野君と一君は援護を」

「結局力技なんスね……」

「いやあ、古今東西力が物を言うモンですよ。それでは、南に負けないように、そして、死なないように頑張りましょうか、皆さん」

「ははっ、勿論です」

 全員が、敵を向く。

「しっかり付いてきて下さいよ!」

「おっしゃあ!」

 神野の叫びを合図に、全員が戦場へ向かった。

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