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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
カトブレパス
56/328

グリモワール

 二度と関わらないと、そう決めた筈だった。



「ボク、季節の親子丼セット」

「あたしはB定食で良いです」

「……天丼で。あ、以上でお願いします」

 エプロンを着た店員は頭を下げると、一たちのテーブルから離れていった。

「……何でお前まで居んのかな、ホントに」

 一は正面のナコトをジト目で見る。

「まさかとは思いますが、あたしの事ですか?」

「お前以外に誰がいんだよ」

 ナコトはフッと鼻で笑う。

「お腹が空いたからです。第一、こちらの方には奢るのに、あたしに奢らない理由が無いでしょう」

 立花を横目で見ながら、ナコトは至極当たり前に、そう口にした。

「ボ、ボクは約束してたもん。ナコトちゃんこそ、何で付いてくるの?」

「あたしをあの人たちと一緒にする気ですか? 取って食べられてしまうかと思いましたよ」

「食べやしねえよ、嫌味言われるだけだ」

「それが嫌なのです」

 ぷいと、そっぽを向き、ナコトは下ろしていたリュックサックから本を取り出す。その本の表紙はボロボロに擦り切れ、ページも幾つか破けていた。表紙には小さく、五角形や一の見たことも無いモノが記されている。

「……飯時に本を読むのはやめろよ」

「分かっています。本が汚れてしまいますからね」

「そうじゃねぇよ、マナーの問題だ、マナーの」

 ナコトはページを閉じ、やれやれと言った風に溜め息を吐いた。

「あなたはあたしのお父さんですか? 違いますよね、だったらそんな口を利かないで下さい」

「はいはいごめんね。お前自分の分はちゃんと払えよ」

「分かっています。一々煩いですね」

 それだけ言うと、ナコトは表紙を開き、食い入るようにページを眺め始める。

「ね、ねえナコトちゃん、それって良い本なの?」

「…………………………」

「凄いや、ナコトちゃん読み始めたばかりなのに、もう集中してる……」

「無視されてるんだよ。俺たちも無視しようぜ」

 一はお冷に口を付け、ナコトを視界から外した。

「立花さん。俺ご飯食べたらタルタロスまで行くんだけどさ、立花さんはどうする、どっか行きたい所ある?」

「え、え、え、え? そ、それってさ、デートって事?」

 一は何故だか早田を思い出す。

「……うん、そうそう、デートだよ。いや、さっきは悪い事したなあと思って。付いてきて欲しいところがあったら、まだ時間もあるし付き合おうと思って」

「あ、あ、じゃ、じゃあねっ、ゆ、遊園地!」

「今から? 遊園地なんて駒台出ないと無いからなあ、今度にしない?」

「じゃ、じゃあ映画館は?」

「今良いのやってないんだよなあ。立花さんは見たい映画があるの?」

「無いけど?」

 立花は小首を傾げる。

「無いのに映画館行きたいの?」

「……水族館、動物園、植物園っ」

「遊園地と同じく市外なんだよね、駒台にはそういう施設無いから」

「むう、はじめ君は意地悪だよ」

「意地悪って……。ああ、そう言えばさ、市外だけど、図書館ならバスに乗ればすぐ行けるよ」

 ナコトが本から顔を上げた。

「図書館? ボク、本嫌いじゃないけど。デートでそんな所行くのは嫌だよ」

「じゃあデートってのは忘れよう」

「い、嫌だよっ! ボクは、はじめ君とデートに行きたいの!」

「うーん、正直すげえ嬉しいんだけど、もう昼過ぎ回ってるし。今から行っても大して遊べないよ。それに、あんまり遅いとなあ」

「ボ、ボクは気にしないよっ」

「立花さんが気にしなくても、警察とかは気にするの。俺もう職務質問されるの嫌なんだよ」

「……さ、されたの?」

 一は遠くを見る。

「ジェーンと歩いてたら二回ぐらいされた……」

「ボ、ボクはジェーンちゃんより大きいよ?」

「立花さん、あれ程言ったのに制服じゃん」

「だ、だってナコトちゃんはセーラー服なのにボクだけ駄目なんてそんなのずるいよ」

「こいつ俺の言う事聞かないんだもん」

「そんな事より図書館の話をしましょう」

「うわ、急に入ってくんじゃねぇよ」

 身を乗り出してきたナコトを、一は鬱陶しそうに手で払った。

「ナコトちゃん、本好きなの?」

「はい、愛しています」

 ナコトの眼鏡が光ったように一には見えた。

「ふーん、図書館ならバス乗ってすぐだから行ってくれば?」

「冷たいですね。あたしはこの街に来るのは初めてなんですよ? 道案内ぐらい買って出ようって気概はあなたに無いんですか? それだから警察に目を付けられてしまうんです」

「付けられてねぇよボケ」

「図書館に行きたいです」

「素直に付いて来てくれって言うなら、考えなくも無い」

「付いてきて下さい」

 頭を下げるナコトに、一は少し引く。

「そ、そんなに行きたいのか?」

「もしあたしの言う事を聞いてくれないなら……」

 じゃらり、と。ナコトの鎖が揺れた。

「……分かったよ。立花さん、特に行く所が無いなら図書館でどうかな?」

「さ、三人で行くの? それってもうデートじゃない、よね……」

 悲しそうに立花は俯いた。ポニーテールの先っちょが力無く揺れる。

「今度、今度、ね? 絶対に埋め合わせはするからさ」

「……わ、分かった。絶対だよ?」

「あなたは心底からの外道ですね。年下を泣かす男性は地獄に落ちますよ」

「うっさい泣かすぞ」

 一たちの会話は、ウエイトレスが料理を運んできたところで一端のお開きになった。



 駒台の街をバスで揺られて二十分。街の郊外、小高い山の入り口付近に図書館はあった。公立の図書館ではない。駒台に住んでいた、本好きの老人が私財を投げ打ってまで作った、私立の図書館。蔵書数は二十万冊にも上り、二階建てのフロアには所狭しと本が並んである。休日には子供たちが絵本を読み、学生が自習をしたり、平和な光景が見られる。司書の人柄と、館長でもある創始者の老人が人気な事で有名。



「良い名前ですね。つくも図書館ですか」

 ナコトは入り口に掲げられた看板を見上げ、感慨深げに呟いた。

「そうだろ、俺のゼミの先生が作ったんだぜ」

「それは聞いていません」

「ぐっ、そ、そうだな……」

「は、はじめ君の先生の図書館なの? 凄いや、立派な人なんだね」

 一は自分の事では無いが、何だか誇らしげになる。

「そ、そうかな」

「そうだよっ、はじめ君の先生が凄いって事は、はじめ君も凄いってことなんだよっ」

「立花さん」

 一は真剣な瞳で立花の肩を両手で掴んだ。

「な、何?」

 気圧されながら、立花は一を見返す。

 やがて一は静かに、良く通る声で言った。

「結婚しよう」

「……う、うんっ! ありがとう、はじめ君、その、し、幸せにしてね……」

 顔を真っ赤にして、立花は目を細めた。

「式には呼ばないで下さいね」

 ナコトは先に階段を上り切ると、一たちを見下して言い放った。



 館内は吹き抜けだった。溢れんばかりの本棚、本、本、本、本、本。一は眩暈を覚える。

「……ここの館長は本を愛しているんですね」

「ん、分かるか?」

「したり顔で本について話そうとしないで下さい。遠まわしに言うと虫唾が走ります」

 ナコトは舌打ちした。

「な。何だよ、お前には分かるのかよ」

「当然です。この空調、温度、書物にとっては最高の環境です。本を傷めないように設定されていますね」

「へえ、そりゃ凄いや」

 一は意味も無く辺りを見回す。

「す、凄いね、ボクんちよりたくさん本がある」

「立花さんちって、そんなに本があるの?」

「うん、お母さんが読書家なんだ」

 立花は誇らしげに言った。

「何読もうかな……。ボク、ちょっと見て回ってくるね」

「う、うん。外に出たら駄目だよ」

「分かった!」

 そう言うと立花はひょこひょこと駆けて行く。

「ああ、走ったら危ないのに……」

「あの人には絵本が似合いそうですね」

「お前毒吐くよな、ホント陰口が似合う奴だわ」

「あなたも本を読んで教養を高めてはどうですか?」

「言われなくても読むよ」

「……精々辞書に載っている卑猥な単語を見つけて線を引いてはニヤつく作業を頑張って下さいね」

「ンな事しねぇよ!」

「では、そんな事をした経験が無いと?」

「俺も見て回ってくるわ」

 一はナコトに背を向け、二階へ続く階段を上っていく。ナコトからの謂れ無き視線を感じたが、それは無視した。

 図書館の二階にも本は山のように納められている。自習の為の机と椅子が所々に置かれ、一階よりも子供が少ないせいか、一には二階の方が静かに感じられた。一は棚と棚の間を手持ち無沙汰に眺め歩く。図書館に来たのは良いが、特に読みたい物は無かった。本を手にとっては、戻し、手にとっては戻す事を繰り返す。

 やがて一は経済学の本を三冊手に取り、空いている椅子に腰掛けた。タルタロスに行く用事はあったが、まだ二時を回った所だったので、ゆっくりと一はページに目を通していく。

 一が本を読み始めて、三十分は経っただろうか。ふと、一は背後に不穏な気配を感じた。ゆっくりと振り向くと、ナコトがこちらをジッと見ている。目が合ったのに、彼女は何も言わずただ一に視線を向け続けていた。

「……な、何だよ」

「経済学の本ですか」

 ポツリとナコトが漏らす。

「悪いかよ」

「いえ。ですが、そういう本を読んでいればあなたでも頭が良さそうに見えますね」

「……ありがとう」

「お礼を言うのならその本に言ってあげて下さい」

 ナコトは一の向かい側にリュックサックを下ろすと、抱えていた本を机に広げた。

「そんなに読むのか? 長くは図書館にいないぞ、俺」

「大丈夫です。本を読むのは早いですから、あたし」

「ふーん。本好きなんだな」

「と言うより、愛しています。あたしはマニアです」

「……好きなジャンルとかあんの?」

 何気なく一は聞いてみる。ナコトはその質問に、少しだけ目を細めた。

「嫌いなジャンルはありません」

「特に、好きなのは?」

「ダダ甘い恋愛ものです」

「……ホントに?」

 一は広げられた本を見ながら、疑いの目を向ける。

 『ドジアンの書』『ゴエティア』『黒い雌鳥』『ピラミッドの哲人』『大いなる教書』

 広げられた本の題名からは、恋愛なんて甘い物が想像出来そうになかった。

「何、これ?」

魔導書(グリモワール)です」

「ぐりもわーる? 何だそりゃ? 新しいジャンルか?」

「……違います。そうですね、あなたにも分かるように噛み砕いて言えば、魔法の本と言ったところでしょうか」

 ナコトは『ゴエティア』を手に取り、くるくると回す。

「そんな物がここにあったのか?」

「あくまで、これは贋作と言いますか、コレクターズアイテムと言いますか。まあ、本物ではありませんね。しかし中々のレア物です。こんな所でお目に掛かれ、あまつさえ手にとって読めるとは思いもしませんでした」

「ふうん、でも珍しい物なんだ。あー、けど九十九先生の図書館だからな、あり得なくは、ない、か」

「この手の本を集めてる人なんですか?」

「うん。お前みたいに変わってる人なの」

 一は本の続きを読み始めた。

「あなたは魔術の存在を信じていますか?」

「……は? なに、勧誘?」

 唐突な質問に一の目が丸くなる。

「違います。イエスかノーで答えてください」

「んー、イエス」

「意外ですね。あなたのような人が、魔術なんて不確かなモノを信じているとは思っていませんでした」

 ナコトは眼鏡の位置を直し、本を回すのを止める。

「そりゃ、俺も一応勤務外なんてやってるし、ソレなんて存在もいるわけだし。今更魔術や魔法なんて言われても信じるしかないよ」

「魔術と魔法を一緒にしないで下さい」

「はいはい、ごめんね。で、さ。さっきから気になってたんだけど、お前って魔法使えるわけ?」

「あたしが使えるのは魔術です」

 きっぱりとナコトは宣言した。

「……え、マジ? マジで使えんの?」

「あたしはあなたの事があまり好きではありませんが、嘘は吐きません」

「因果関係が見当たらないが、とにかくそういうの使えるんだなお前。へー……」

「あなた、信じるんですか?」

「いや、だからさっきから言ってるじゃん。疑う理由が無いよ」

 一は本を置いて、ナコトをジロジロと眺める。

「嫌らしい目で見ないでもらえますか」

「あのさ、俺にも魔術って使えるわけ?」

「……は?」

 ナコトの眼鏡がずり下がった。

「あー、やっぱ無理か」

「そ、そうではなくて、何故、そんな事を聞くのですか?」

「だって使ってみたいじゃん」

「あなた、今幾つですか?」

「夢見たって良いだろが」

 そこでナコトは腕を組む。何か考えているようにも見えた。

「そうですね……」

 呟きながら、ナコトはリュックサックの中から一冊の本を取り出す。やけに古びた本だったが、きちんと手入れはされている。

「この本を読んでもらえますか?」

 そう言ってナコトは本を一に手渡す。

「何だよこれ、日本語じゃないじゃん。アラビア語かー?」

 手渡された本を、一は不思議そうに眺めた。

「と言うより何語でもないです」

「はあ? じゃあ読めないじゃねぇかよ、俺を馬鹿にしてんのか」

「馬鹿にはしています。ですが騙すつもりはありません。良いから、読んでみて下さい」

 強くナコトに言われ、一は仕方なく適当なページを開く。やはりと言うか、理解できない文字の羅列が只管並んでいた。アラビア語にも似ていたが、良く見れば確かにアラビア語でもなんでもない、子供の悪戯書きのような文字だった。目を凝らしても、離して見ても、一には一つの文字ぐらいしか意味が読み取れない。

「……ふーん」

「何も、見えませんか?」

「うん、残念だけどね。アルアジフってのしか読み取れない」

「え?」

 ナコトが弾かれたように椅子から立ち上がる。

「返すわ。目が痛くなりそう」

 指で瞼を押さえながら、一は本をナコトに突返した。

「あ、あの、何が読み取れたって、言いました?」

「アルアジフって単語」

「……まさか、見えたんですか?」

 そう一に問うたナコトの拳は震えている。

「見えた、って言ったらそういう事になるのかな。って言うかさ、説明しろよ」

「分かりました」

 ナコトは椅子に座り、返された本の表紙を一に向けた。

「これは1973年に、アウルズウィック・プレスと言う方が贋作とハッキリ言った上で出版した『アル・アジフ』と呼ばれるモノです」

「ああ、アルアジフってその本のタイトルだったのか」

「はい。そしてこの本の価値はほぼありません。マニアにだけ受けの良いコレクターズアイテムです。何故なら、中身は全く意味の無い、アラビア語風の文字が羅列されただけの書物だからです」

「……なら、何で俺はアルアジフって文字が見えたんだ?」

 嫌な物が、一の体を走り抜けた。

「そうですね、恐らく一さんにはセンスがあるんでしょう」

「おーい、何か簡単な説明だな」

 一の肩の力が抜ける。

「魔術なんてそんな物ですよ。詳しい説明をしても良いですが、結局それは何にもなりません。説明など、所詮は魔術を使う側の自己満足です。現代の科学で説明できない不思議なもの、そういうものを魔術と呼ぶんですから」

「ふうん、センスねえ……」

「魔術を使うには何も要りません。センスです。持って生まれたセンスが物を言います。この本を読ませたのは、あなたのそう言った物を確かめる為だったのですが、まさか、本当に見えるとは」

「お、じゃあアレか。俺にも魔術が使えるわけか?」

 嬉しそうに一が言う。

「さあ、そこまでは。しかしあなたには資質があるようですね。みっちり十年魔導書と向き合えば、可能性は一パーセントぐらいには跳ね上がるでしょう」

「アホか、十年なんて飽きちまうよ」

「勿体無いですね。どれだけ使いたくても、どんなに求めても魔術を使えない人間もいると言うのに」

「ふーん。ちなみにさ、どうやったら魔術って出来るの?」

「は? どういう意味、でしょうか?」

「だからさ、なんか、その、魔法を使う時ってさ、呪文とか、唱えるわけ?」

 ちょっと一はワクワクしていた。

「必要ありません。魔法使いではないあたし達は、厳密に言えば魔術を使うのでなく、魔導書によって魔術を使わせてもらうのです」

「使わせて?」

「ええ。あくまで力を借りるだけです」

「……つまんないな、それ」

 一は椅子に深く腰掛け、だるそうに体を伸ばす。

「あたし達は、魔導書のページを破り、念を込めて魔道書に呼びかけるんです。力を貸して下さい、と。そうして魔導書が答えてくれれば、魔術を行使できます。そうですね、仕組みだけ言えば、簡単に聞こえますね」

「でも十年掛かるんだろ?」

「あたしは二年でした」

「さり気に自慢してんじゃねぇよ」

 そう言って一は立ち上がった。

「やっぱり飽きちゃいましたか? それともあなたの頭では難しすぎましたか?」

「逐一突っかかるなお前。良いんだよ、俺には魔術なんて」

「……宜しければ、魔導書をお一つお貸ししましょうか?」

 ナコトはリュックサックから古びた本を何冊も取り出していく。

「良いよ、それはお前の大事な商売道具だろがフリーランス」

「いえ、あたしに合わないモノもありますから」

「相性とか、やっぱ大事なのか?」

「勿論です。相性が悪ければ、中身を読み取る事すら難しいですからね。魔術を行使するなど無理に等しいですね。全く持って可能性は絶無です」

「やっぱ難しいわ」

 ふと、一の目に異質なものが映った。古びた魔導書。その中に一つだけ、真新しいカバーの本が一つ。やけに小さく、やけにファンシーな、漫画の単行本のようなサイズの本。

「それも魔導書なのか?」

「……いいえ。これはあたしの百パーセント趣味の本です」

「どっからどう見ても、魔導書なんかにゃ見えないな。少女マンガ?」

「はい。魔導書全部を手放す事になっても、これだけは誰にも渡せません」

 ナコトは一から隠すようにその単行本を鞄に詰める。

「難しい話してたら、肩凝っちまった」

「すいません、頭の良い話をしてしまって」

「いや、どっちかって言ったら頭の悪い話だろ」

 そう言って一は苦笑する。

 この一時間後、一たちはつくも図書館を後にした。



 オンリーワン近畿支部。

 戦闘部のオフィスを出た堀は、支部の地下にある駐車場へ向かっていた。彼の顔は鬱屈したデスクワークから開放され、晴れやかなものになっている。

「堀」

 地下へと繋がるエレベータの前で、堀は誰かに呼びかけられた。

「……ああ、春風さん」

 油断無く振り向き、堀は笑顔を作る。

 通路の向こうから現れた、細いからだ。

「少し待て」

 実働時とは違い、春風はスーツを着こなしていた。

「どうしました?」

「店に戻るのか?」

「ええ、久しぶりなんで少し緊張してますよ」

 にこやかに堀は言う。

「そうか。では二ノ美屋店長に言伝を頼む」

「ええ、承ります」

「……件のカトブレパスだが、早めに動かねば先を越されるぞ」

「はあ、そのまま伝えれば良いんですか?」

 春風は頷いた。

「フリーランスの動向までは掴めんが、南駒台店が出向くらしい」

「……あそこはまだオープンしていないのでは?」

「研修だとさ。カトブレパスなど丁度良い肩慣らしなのだろう」

「『図書館』を仕留めたソレが? そう上手くいきますかね」

 堀は眼鏡の位置を直し、エレベータのボタンを押す。

「さあな、だが南には戦乙女(ワルキューレ)がいる。戦力としては申し分ないだろう」

「成る程」

 エレベータが、開く。

「ああ、春風さん。一つお願いしたい事があるんですが」

「……私は便利屋ではないぞ」

「そんな風には思っていませんよ」

 堀はエレベータに入り、『開』ボタンを押し続ける。

「なんだ、言ってみろ」

「カトブレパスについて、調べては貰えませんか?」

「……今更か?」

「気づいては、いるでしょう? カトブレパスの向こう側。裏について調べて下さい」

 にこやかに、堀は言った。

「フッ、油断なら無い笑顔だな。心配するな、漣が調査に入っているさ。すぐに私も続く」

「それならば問題ないですね。それと、何か気づいた事があれば連絡を下さい。恐らくは――」

「――皆まで言うな、堀。私を誰だと思っている。オンリーワン近畿支部情報部二課実働所属、春風麗だ。好きな漫画のジャンルは少年漫画。嫌いな漫画のジャンルは――」

 エレベータの扉が閉まった。



 駒台の街へと戻るバスの中。一番後ろの席で、一は立花とナコトに挟まれる形で座っていた。

 立花は安らかな寝息を立て、頭を一に預けている。

「まるで子供ですね」

「お前も俺も子供だろ」

 ナコトはリュックサックを空いた席に下ろし、読書に興じていた。

「ふあ、随分長く居ちゃったな」

 あくび交じりに一は言う。

「中々に楽しめました。一つ心残りがあるとすれば、あの本が貸し出し禁止だった事ですね」

「しょうがないだろ、貴重なモンなんだからさ」

「あなたにあの本の価値が分かりますか? 分かりませんよね、だったらそんな口を利かないで下さい」

「……はいはいはい、ごめんな」

 ぼんやりと、一は窓の景色を眺める。流れる町並みは平和なもので、実にのんびりとした時間だと、そう思った。

「店に戻るのですか?」

「いや、俺はタルタロスに寄ってく。お前は戻れよ」

「分かっています。分かっていますが……」

 ナコトは憂鬱そうに俯く。

「店長たちか? 心配するなよ、立花さんもいるし、向こうにゃ神野君って高校生もいるから味方になってくれるよ」

「あなたは店に戻らないんですか?」

「あー? 何? 俺と一緒にいたいの?」

「下卑た目であたしを見ないで下さい。あたしはあなたがいれば、暇潰しには事欠かないと思ったからそう言ったまでです」

 きっぱりとナコトは切り捨てた。一からそっぽを向き、ナコトは窓に目を遣る。

 その横顔は、どこからどう見ても普通の高校生だと、一は思う。

「……お前さ、何で駒台に来たの?」

「あたしじゃなく、オキナが……」

 オキナと、そう口にした途端ナコトはまた俯いた。

「フリーランスってさ、ソレを殺して生活してるんだってな」

「……いけないですか?」

「そんな事ないけど。たださ、制服着てるし、お前も学校通ってたんじゃないか? 親とか心配しないの?」

 普通の生活が出来るんじゃないのか。一はそう思って、口にしようとするがぐっと堪える。

「学校なんて、別に」

「親は?」

「良いんです。プライベートな問題に踏み込まないで下さい。あたし、そういう人嫌いです」

「……確かに、俺が言えた事じゃないよな」

 その通りです。そう言って、ナコトは一を睨んだ。

「お前はさ、何の目的も無くここまで来たの?」

「ですから、プライベートな所には……」

「分かった分かった、答えたくなかったら良いよ」

 一は手を振ってナコトから目を背ける。

「……本、です」

 ナコトは持っていた本を両手でしっかりと抱きしめた。

 一は何も言わず、続きを待つ。

「あたし達『図書館』は、魔導書を集めていたんです。ですが、魔導書は貴重なもので、中々見つからないものなんです」

 それは一にも分かった。具体的な魔導書の価値までは分からないが、あれが大事なものだとは分かる。

「でも、手掛かりみたいな物はあって。ソレの現れる所には、魔導書があるケースが多いんです。何故だかはハッキリと分からないけど、やっぱり、異質なモノは異質なモノを呼び寄せるとは、思うんですよね」

 類は友を呼ぶ。

「だから、ソレが多いところにあたし達は出向いてました。必要になれば、ソレとも戦って……」

「そういうのは全部、お前の仲間の意思だったのか?」

「え?」

「本を集める為に頑張ってたのは、全部その、オキナって奴が決めてたのか? お前はただ、後を付いて回ってただけなのか?」

「……違います。あたしだってちゃんと、集めたいと思ったから、一緒に『図書館』なんてやってたわけで」

 一は最初から、ナコトに何か違和感のようなものを感じていた。彼女の行動、そこからは自分の意思めいたものが何もないように思えたからだ。誰かに、動かされているような。考えを断ち切り、ふと、一は立花を見る。

「……まあ、こういう子もいるしな……」

「あの、何か言いました?」

「いや。そろそろ陽が落ちるな」

「もうそんな時間ですか……」

 二人は揃って、窓の外を見た。

「暗くなるな」

「そうですね」

「……俺、やっぱ店に戻るわ」

「そうですか」

「仲間の仇、討ちたいよな」

「はい」

「俺の事嫌い?」

「はい」

「そっか」

 一は笑う。

 バスはもう、目的の停留所に近づいていた。

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