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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
カトブレパス
54/328

うつむく者

 敵は何処だ。

 敵は誰だ。

 敵を探せ。

 敵は、敵は、敵は。



 館の台所、らしき場所。やっとの事で埃等の汚れを取り除いて使えるようになったテーブルと椅子。そこに腰掛、カレーライスを頬張りながら一は思う。隣のヒルデを横目で見ながら、正面の糸原からは視線を逸らしながら思う。何をしているんだろう、と。さっきまで戦っていた『敵』同士が食卓を同じにして、何の冗談だと。

「…………」

 ヒルデは黙々とカレーを食べるのに集中している。

「…………」

 糸原は少しだけ不機嫌そうにカレーを口に運んでいた。時折一と目が合い、何とも言えない視線を向ける。

 あの(・・)後、ヒルデを寝室まで運んだ一だったが、「お腹空いた」とヒルデが言い出すので、汚い台所を必死で掃除し、ガスと水道を復活させ(止まってはいなかった)、晩御飯の調理に取り掛かった。出来上がったのが深夜一時過ぎ。

 糸原はすっかり機嫌を損ね、無茶苦茶になっていた三人娘、戦乙女たちを適当な部屋に運び入れ、体中を弄繰り回して何とか精神の安定を保っていた。その光景は一にとって筆舌に尽くし難く、見なかった事にしていた。

「…………おいしかった」

 ヒルデは空っぽになった皿を満足げに眺め、コクコクとゆっくり、水を飲む。

「ありがとうございます。お代わり、要りますか?」

「ンな奴に要らないわよ」

 糸原を一瞥してから、ヒルデはゆっくりと首を振った。否定の意。躊躇うように視線を落としてから、

「…………キミは怒ってる?」

 許しを請うように、一にそう尋ねた。

 一はカレーを咀嚼しながらヒルデを見る。

「……別に。怒ってませんよ」

 そもそも、最初から一には怒る理由も資格も無い。

「…………良かった」

 ヒルデは安心して微笑む。

「まあ、言いつけを忘れてたのは俺ですからね」

 その笑みを真正面からは受け取れず、一は視線を逸らした。

「一、福神漬けは無いの?」

「……俺はカレーに福神漬けは邪道だと思ってます」

「はぁ? 王道も良いトコじゃんよ。あんたって舌が馬鹿なんじゃないの?」

「舌がお子様の糸原さんには言われたくありませんね」

「おっしゃ、帰ったら分からせてやるわ」

「ヒルデさーん、糸原さんが苛めてきます」

「…………分かった」

 静かに頷くと、ヒルデは立てかけていた鎌を掴む。

「ちょ、ちょっと!? 冗談ですってば!」

「はっはー、良いわよ私は? やってやろうじゃないの」

 ヒルデは困ったように一を見た。

「嘘です、嘘ですから、座りましょう」

 頷くと、ヒルデはちょこんと椅子に座る。糸原は何故か勝ち誇ったような視線をヒルデに向けていた。

 一は三人分の食器を流し台に置き、鍋に蓋をする。

「ヒルデさん。少し残りがありますので、また明日にでも中身を片付けておいて下さい」

 こくり、とヒルデは首を振った。

「それと、折角なので聞いておきたい事があります。ヒルデさん、あなたは俺たちの何ですか? 敵ですか? 味方ですか?」

「…………ん」

「あなたが勤務外だという事はもう知っています。俺たちが勤務外だという事も知られていました。知られていて、俺はあの人たちに襲われました。どういう事になるんですかね、これは。勤務外同士ってのは戦っても問題無いものなんですか? どうなんですか、ヒルデさん」

 ヒルデはスプーンを手の中で弄びつつ、俯いている。

「…………怒ってる」

「怒ってないですってば。ただ、分からない事が多すぎるので、それを説明して欲しいだけです。南駒台店ってのは何なのか。ワルキューレだか、俺の素性が知られている理由とか」

「…………多い」

「多い?」

「…………追いつかない」

 ヒルデはキッと一を見た。眠そうな、半分だけ空いた瞳で。

「はっ、一? しっかりそこのノータリンに説明してやんなさい」

「…………うるさい」

 ヒルデは壁に立てかけられた鎌を掴み、糸原に向ける。

「やるっての?」

 向き合った糸原はニヤニヤと笑う。

「やらないでくださいよ。糸原さん、挑発しないでください」

「はーい、善処します」

「……ヒルデさん、それじゃあ一つずつ答えてもらいます。良いですね?」

「…………ん」

 一が一つ咳払い。

「あなたは、俺の敵ですか?」



 その眼を見た物は即死する。



 駒台、南。自衛隊の団地から離れた場所にソレはいた。藪を抜けた所にある、小さな泉。昼間ですら、誰も近づかない不気味な泉。そこに三つの影。

「オキナ、用心だけは怠らないで」

「分かってるよ」

 オキナと呼ばれた方の人間はエプロンを身に着けた、背の高い青年。本を抱えて注意深く眼前のソレと対峙する。

「ナコトこそ、しくじらないでくれよ」

「分かってるわよ」

 ナコトと呼ばれたのは白いセーラー服を着た背の低い少女。セーラー服。ハンチング帽を目深に被り、眼鏡を付けている。手には鎖。鎖の先端には分銅のような物をつけていた。

「……ま、簡単な仕事だけどね」

 いつも通り、オキナが凍らせた相手をナコトが砕く。それだけの事。それだけの事で、彼らはここまでやってきた。

「いつも通り、気楽にやろう」

 オキナはそう言ってナコトに笑いかける。

 ソレ。水牛の体に、細い首。まるで腸のように細い首。垂れ下がった、豚のような頭。紛れも無く異形だった。

 そんな異形を前にして、オキナは笑う。

「さて、ここでの最初の仕事だ」

 オキナは持っていた本の、一ページを破り捨てた。紙片をソレに向けて掲げ、念を込める。呼応するかのように、紙片が呼吸(・・)を始めた。周囲の空気が固まっていき、紙片を中心として温度が徐々に下がっていく。冷え、固まっていく。

風に乗りて歩むもの(イタカ)!」

 オキナが叫ぶと、紙片が独りでに動いた。絶対零度を身に纏わせ、紙片は奔る。ソレに向けて、一直線に奔る。当たれば、それで終わり。

 ソレは、終わり。紙片がソレに当たるかと思われたその時、パァン、と。小気味の良い音が鳴った。紙片を魔力ごと掻き消したその音は、オキナの耳に残り続けている。

「……え?」

 後方からその様子を窺っていたナコトが間抜けな声を出す。それもその筈、絶対が破られたのだ。今までに破られた事のない、絶対の技が。

「まさか……」

 オキナも狼狽した様子でソレを見つめていた。

 ソレは先ほどと変わらない様子だった。

 そんな話は聞いていない。知らない。二人は知らなかった。対峙するソレが魔術を掻き消す能力を持っている。そんなのは、知らない。聞いちゃいない。有り得ない。おかしい。何かがおかしい。

「オキナっ!」

 ハッと、オキナがナコトの声で我に返る。そうだ、あいつは攻撃手段を持っていないに等しい。何かの間違いだ。オキナは思い直し、歯を食い縛り、もう一枚本からページを破いた。

風に乗りて歩むもの(イタカ)歩む死(イタカ)……」

 オキナの掲げた紙片は周囲の温度を下げ、空気を固めながら呼吸を繰り返す。絶対へと、その姿を変えていく。

 ナコトは知らずの内に息を呑んでいた。

「……あいつ、本気じゃない」

 少なくとも、オキナと組んでから初めて見る彼の本気だった。オキナも、今までにないくらいに念を込めている。ブツブツと呪文のようなモノを呟きながら、ソレを睨む。

大いなる白き沈黙の神(イタカ)風の眷属(イタカ)!」

 爆発した。真っ白な火花。冷徹な殺意。明確な意思を持って紙片は奔る。オキナの手を離れ、紙片が先ほどとは比べようにならない速度でソレに向かっていく。絶対零度を撒き散らし、ソレの心臓を止める為に。

 一秒も要らなかった。

 心臓が止まる。

 一瞬の出来事。

 心臓が、止まる。オキナは薄笑いを浮かべると、その場に崩れ落ちた。紙片は魔術行使者の魔力を失い、力を失くした紙として、ひらひらと宙に舞う。

「オキナ!?」

 ナコトは鎖をしっかりと握り、倒れた相棒に駆け寄っていく。

 何が起きたか、全く分からない。頭の中が真っ白になる。頭の中からガンガンと何かが響く。音を鳴らす。サイレン。

「オキナ!」

 体を揺すっても、呼びかけても何も帰っては来ない。後ろで見ていたナコトにも意味が分からなかった。オキナが唱え、紙片が奔り、そしてオキナが倒れた。

「何で!? どうしてっ!?」

 ナコトは気付く。万が一にも有り得ない、起こる筈の無かった、可能性にもならない可能性。オキナの()を見て、気づいてしまった。

「……ひっ……!」

 小さく、悲鳴を漏らす。

 痙攣を繰り返すオキナのからだ。彼の、体中の穴という穴からは血が溢れ出ている。極め付けだった。ナコトは自分の目を疑う。オキナの眼はぐずぐず(・・・・)に溶けてしまっていた。直接硫酸か何かを入れられてしまったかのように、内部から粗方溶かしつくし、髄液は毒と化し、瞼の外側までも食いつくさんばかりに流れている。思わず、オキナから逃げるようにナコトはそれから手を離した。

「はっ、はっ、はっ、はっ……」

 呼吸は荒く、短い。心臓は胸を強く打ち、鼓動はナコトを急がせる。ここから、逃げろと。オキナの近くに転がっていた本を抱え込むと、ナコトはそこから背を向けた。相棒の死は、悲しみにも怒りにも変わらない。仇を討ってやろうと言う気持ちは起こらない。只管、ただ只管、ナコトは恐怖しか感じなかった。縺れる足。ナコトは震える体へ鞭打って、無理矢理にその場を逃げ出すのがやっとだった。



 クトゥルフの魔道書『ナコト写本』を使いこなすフリーランス。

 ソレに関する膨大な知識を所有する、優秀なフリーランス。

 生涯で仕留めたソレは三桁にも上ると言われたフリーランス。

 黄衣(きごろも)オキナ。

 彼の一生は幕を閉じた。つまりその事実は、フリーランス『図書館』の片割れが死んだ事に他ならない。彼は、これから始まる残酷劇(グランギニョル)の最初の犠牲者でもあった。



 一の視線に耐え切れずヒルデは俯いた。

「……何度も言いますが、俺は怒ってる訳じゃないんです。つまり、ヒルデさんは俺の敵になるつもりは無いって事で良いんですか?」

 コクコクと、何度もヒルデが頷く。

「そして南駒台店も、俺たちに敵対するつもりは無い、と」

「…………ん」

「じゃあ、さっきの人たちは?」

「…………あの子達、若いから…………」

 つまり独断専行か、命令違反か。一はそう決め付けて納得する。

「まあ、糸原さんが千倍ぐらいで返してくれたから良いんですけどね」

「足りないくらいよ」

「充分だと思いますけど」

「…………痛み分けにしとくから」

 ヒルデは糸原を何とも言えない表情で見つめる。

「あ? 何よ、やる気?」

「んーん」

 ファイティングポーズをとる糸原を無視して、ヒルデは一に視線を移す。

「…………キミは? 許してくれる?」

「だから、許すも許さないも無いですって。今回の事はお互い水に流しましょう、お願いします」

「…………そう、ありがとう」

 心からヒルデは微笑んだ。やっぱりその笑顔は無邪気すぎて、一には眩しすぎた。

「ふーん、そういう事なら今日からは勤務外同士味方って事になんの?」

「…………ん。難しい…………」

「まあ、系列が同じでも一応は商売敵ですからね」

「面倒な話ねぇ」

 糸原は他人事のように気楽に呟く。

「けれど、少なくとも、俺たちとヒルデさんは敵対しないって事になったんですから」

「良しとしましょうって?」

「……いけないですか?」

「さあねー、あんたが良いってんなら良いんでない?」

 含みのある糸原の言い方。

「はあ……。とりあえず、疲れたし帰りましょうか」

 一は洗った食器を適当な所に置いて、体を伸ばした。

「ヒルデさん、あの三人組は任せても大丈夫ですか?」

 ヒルデは緩慢な動作で頷く。眠そうだった。

「それじゃ、俺たちは帰ります。それと、屋根の上の奴にはあんまり話しかけないであげて下さいね。照れ屋なもんで」

「ん」

「……良し。じゃ、糸原さん帰りましょうか」

 糸原も無言で立ち上がり、台所を軽い足取りで抜けていった。

「じゃあまた、今日は色々とご迷惑を掛けてしまって」

「…………もう良いのに」

「そうでしたね。それじゃ、また今度遊びに来ます」

「ん。待ってる……」

 嬉しそうに、ヒルデは目を細める。その仕草を認め、一も糸原に続いた。


 

 洋館を出ると、一は真っ先に屋根へ目を遣った。

「おい、ガーゴイル」

 屋根の上で、まるで館を守護するように陣取っていたガーゴイルは顔だけを一へ向ける。

「おや、一さん。このたびはどうも有り難う御座います」

「それは良いよ。って言うかさ、あの時助けてくれても良かったんじゃないのか? 見てたんだろ」

「如何にも。ですが残念な事にわたしには戦闘能力は備わっていないのです」

「……まあ、糸原さん呼んでくれたのは助かったけどさ」

「気に食いませんか?」

「う。うーん、そう言われると……」

 一はやる瀬なさそうに頭を掻く。

「しかし、流石は一さんです。わたしが見込んだにんげんなだけはありましたよ。もう一度、ここからの景色を気兼ねなく楽しめる事が出来たのは、一さんのお陰と見ます」

「お前、なんかずるいよな」

「ところで一さん、先ほどソレが現れましたよ」

 場の空気が固まる。

「え? それって、マジなのか?」

「ええ。そしてにんげんが一人亡くなったようです」

「……ちょっと、やばいんじゃないの」

「あー、聞いても仕方ないとは思うけどさ、一般人が死んだのか?」

「いえ。ソレと戦っていたので一般人ではないと見ます」

「まさか……」

 一の脳裏にオンリーワンの面々が浮かぶ。最悪の想像が、浮かんでいく。

「わたしもはじめて見る方々でした。恐らくはフリーランスの方ではないかと見ます」

「そ、そうなのか?」

 安堵するとともに、一は自己嫌悪に陥った。結局、人間が死んだ事に変わりはないのだ。

「ま、少しは溜飲が下がるってもんよね」

「そりゃそうですけど……」

「一々悲しんでたらキリないわよ。せめて知り合いが死んだってんなら話は別だけどさ」

「糸原さんはドライな方と見ます」

「クールなお姉さんって言ってよね」

 糸原は意味なく髪をかき上げる。

「……つーか、フリーランスがやられたって事は結構まずいんじゃないのか? 滅茶苦茶強いソレって事だろ?」

「げー、次は私らの番じゃないの?」

「うわ、洒落になんねぇ……」

「カトブレパスは一さんたちにとって、そこまで脅威とは見えませんがね」

「? カトブレパス?」

 一の問いに、ガーゴイルは慇懃に頷いた。

「ええ、カトブレパスです。エチオピアで見た事があります」

「どんなソレなんだ?」

「そうですね。牛のような姿をしていますが、首が異常に細く、頭は常に垂れ下がっていました。なんでも、カトブレパスの眼を見たにんげんは死んでしまうのだとか」

「ふーん。じゃあ死んだってフリーランスはそいつの眼を見ちゃったのね。間抜けにも」

「ですが、彼らの頭は滅多な事では上がりません。と言うより、自力では上がらない筈です」

「……どういう事だ?」

 一が腕を組む。

「仲間でも居たんじゃないの? 無理矢理頭を上げたとかさ」

「それじゃ仲間って言うより、道具扱いですよ」

「とにかくさ、そのカトプレバスだけじゃどうしようもないんでしょ? だったら誰かが使ったってのが当然じゃない」

「糸原さん、カトプレバスではなく、カトブレパスです」

「うっさいわね! どっちでも良いでしょ!」

「うーん、店長に報告してみますか」

「えー? 明日で良いじゃない。もう眠いんだけどー?」

 不満を言う糸原は無視して、一が歩き出す。

「ありがとなガーゴイル。気を付けるよ」

「ええ。お役に立てて光栄です」

「だああ、待ちなさいよ!」



 深夜二時を回っても、二十四時間営業のコンビニには関係無い。明かりが点いている。その事実だけで一は安心した。店内に糸原と連れ立って入ると、カウンターのジェーンに嫌な目で見られる。

「……お兄ちゃん、アタシと言うものがありナガラ……」

「店長いる? いるよな?」

 ジェーンを軽く無視しながら、一はバックルームへ入っていった。

「お兄ちゃん!? カンバック!」

「夜中だってのにうるさい奴だな」

「あんたの妹でしょうが」

 一と糸原、来訪者に気づいた店長が椅子に座りながら器用に近づいてくる。

「こんな時間にどうしたんだ?」

「おはようございます。実は、ソレが出たって話を聞きまして」

「……誰からだ?」

 店長の目が鋭くなった。

「あー、ガーゴイルからです」

「お前、ソレと友達感覚で接してるのか? 仮にも勤務外だろうが」

「周りの人たちがもっとまともなら、こんな事にならなかったんですけどね」

「類は友を呼ぶと言うな」

「あはは、笑えますね。誰が類で誰が友なんでしょうね、全く」

「あれ? あんた友達いたの?」

「……先ほどの話に戻りますけど、とにかくソレが出たんです。憶測ですが、フリーランスの方が一人亡くなったとも聞きました」

 一は糸原を視界に入れないようにしながら言う。

「一、お前を百パーセント信じないわけではないが、情報部からはそんな話聞いてないな。信用に足る情報なのか?」

「少なくとも、糸原さんよりかは」

「そうか。まあ、真実ならば近いうちに情報部から連絡が来るだろう」

「あれ、俺って信じられてませんか?」

「いや、信じているぞ。少なくとも糸原よりはな」

 二人はそう言って、糸原を見つめる。

「あによ。やる気?」

「やりません。とりあえず今日の所は帰ります」

「一、ソレの情報は?」

 言いつつ、店長は煙草に火を点けた。

「えーと、カトブレパスって奴ですね。知ってます?」

「私を舐めるなよルーキー。アレだ、牛みたいな奴だろ」

「……まあ、そうですけど」

「何だその目は?」

 別に。そう言って一はバックルームを後にする。

「ちっ、あいつには教育が足りてないな」

「んじゃ、私も帰るわ。お疲れね、てんちょー」

「ああ、わざわざすまんな。気をつけて帰れよ」

「はーい」

 ひらひらと手を振り、糸原も一に続いた。



 オンリーワン近畿支部。

 戦闘部のオフィス。明かりは既に消え、部屋の一角だけが小さなスタンドライトによって照らされていた。大量の書類を目の前に、眼鏡を掛けた優男、堀は今日何度目になるか分からない溜め息を吐く。彼はアラクネ戦後、備品である車を壊した事と命令違反によってデスクワークを命じられていた。

「……ふう」

 無駄に肩が凝る。自分にはデスクなど似合わない。戦場に居た頃を思い出し、堀は自嘲の笑みを浮かべる。平和、ではない。戦いから遠ざけられているだけ。

 それが堀には気に食わなかった。こうして一人で居ると、どうにも気分が昂ぶって仕方ない。自制できない。戦場に、戻りたい。血の臭い、乾いた風、生々しい感触、貫く快感、貫かれる愉悦。何処までも浸っていられる。

「ほーり君」

「うわっ」

 首筋に当てられた冷たい感触に堀は驚き飛びのいた。

「あらら、驚いちゃった?」

「……炉辺さん」

 ナース服を着た、子供っぽい笑顔を浮かべる女性。

「はい、差し入れ。どう? デスクワークって大変?」

「ええ。こういうのはいつまでたっても慣れませんね」

 缶コーヒーを受け取り、堀は書類の山に目を向ける。タブを押し開け、渇いた喉に液体を流し込むと少しは気が楽になった。

「疲れたときには甘い物よね」

「確かに、美味しいですね」

「ふふ、やっぱりお店の事が気になる?」

 炉辺はその辺の椅子を持ってきて堀の隣に座る。

「話だけは聞くんですけどね、私の代わりの方や立花の六代目が入った事、色々です。私の知らないうちに、どんどん変わっていくようで、少し寂しいですかね」

「堀君があそこを離れるのって初めてだもんね」

「……随分長い間、お世話になっていた気がします」

「ふふ、これからもお世話になります、でしょ? このお仕事が終わったら復帰できるじゃない」

「本当に終わるんでしょうか……」

 力なく、堀がうな垂れた。

「大丈夫よ。明日からはお手伝いも来てくれるんでしょ? それに、今日は私が手伝ってあげるわよ」

「は? い、良いんですか?」

「うん。堀君にはふゆちゃんもお世話になってるしね。気にしなくていいよ」

「……そういう問題では」

「ん? 何か言った?」

 炉辺が堀に顔を近づける。

「い、いえ。ではお願いします。こちらの束を片付けていってもらえますか?」

「うん、お任せー」

 書類の束を受け取り、炉辺が気楽そうに返事をする。空いている机に陣取り、彼女は明かりを点けて書類に目を通し始めた。

「ねー、堀君。最近大変らしいわよ、駒台」

「ええ、聞いています。今年はソレの出現数が多いそうですね」

「うん。医療部も忙しいんだ。たくさん怪我人とか出ちゃってね」

「お察しします、部長」

「ふふ、今度は堀君にも手伝って貰おうかな」

「私が? はは、私に白衣の天使なんて似合いませんよ」

 堀は眼鏡の位置を直しながら苦笑する。

「そうね、天使よりかは戦士に戻りたいよね」

「……そういうわけでは」

「ホント?」

 炉辺に真っ直ぐに見つめられると、堀は何も言えなくなる。ずるい人だと、堀はそう思う。

「嘘を吐きました。そうですね、確かに戻りたいです」

「今の状況なら、お偉いさんも強くは言えないと思うよ。私も戻って欲しいかなって、ほんの少しだけ思う。少しだけ。あの子達だけじゃちょっと不安だものね」

「店の話だけ聞けば、私の出る幕は無さそうなんですけどね」

「でも、大人がついててあげなくっちゃ。愛ちゃんだけじゃ御しきれ無さそうだもん」

「問題児が揃っていると、旅さんにも言われましたよ」

「ふふ、あの子も大変だからね。あ、そう言えば麗ちゃんにさっき会ってね、ソレが出たって聞いたよ?」

 炉辺は書類から目を外し、あくびを一つ噛み殺した。

「神話級のソレですか?」

「んーん。麗ちゃんは取るに足らない奴だって言ってたよ。けどフリーランスの人は、その、亡くなっちゃったって」

「……フリーランスが?」

 堀の視線が鋭くなる。

「うん。『図書館』の人だってさ。強い人だったの?」

「……『図書館』と言えば、名の知られたフリーランスですよ。クトゥルフの魔術を行使する二人組で、三桁近くソレも倒していました」

「へえ、強かったんだね。けど、麗ちゃんが取るに足らないって言ってたソレに負けちゃったわけか」

「おかしな話ですね。ああ、炉辺さん、ソレの名前は聞いていますか?」

「カトブレパスって言ってたわよ」

「……アレに? 『図書館』が殺された? そんな馬鹿な」

「麗ちゃん、嘘は吐かない子よ?」

 疑っちゃだめと、炉辺が人差し指を堀に向かって立てた。

「嫌な予感がしますね」

「そうね……。ん、だからこそ、堀君が駒台に戻ってあげなくっちゃ。ね?」

「私の居場所があれば良いんですが」

「だいじょぶだいじょぶ。さ、仕事しよ、し、ご、と!」

 炉辺に促され、堀は仕方なく書類へ視線と意識を戻す。嫌な予感。それと同時に、堀は懐かしくも思っていた。懐かしい戦場の気配。それと、懐かしい誰かの、気配。

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