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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
アンズー
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 何も無い。

 岩と砂。土と石。それ以外には何も無い。生きているものは、殆ど何も無い。荒れた野には乾いた風が吹き抜ける。砂を巻き上げ、土を舐め、岩を削り、石を転がす。

「面倒くせえなぁ……」

 誰かが呟いた。心底嫌そうに。心底めんどくさそうに。呟いた言葉は、無限とも思える空間へ消えていく。誰にも届かず、誰にも伝わらず、誰も受け取らない。


 男が座り込んでいた。


 荒れ果てた地に腰を下ろした男が一人。ぼさぼさの髪の毛を掻き毟り、遠くを見つめ、男は呟く。

「仕事だりぃなあ、行きたくねぇなあ、サボっちまおうかなぁ」

 男は上半身には何も身に着けておらず、唯一、ぼろきれの様なズボンだけが男の裸体を隠していた。

「皆死んでくれたら良いのになぁ、死なねぇかなぁ、死ねよなぁ」

 ぼやいて、男は地面に力無く寝そべる。

「あー、もう考えたくねぇ」

「そうは行かない。仕事よ、掃除屋」

 どこから。いつから。初めからその場にいたかのような自然さで、女が現れて男に声を掛けた。

「……あんたかい」

 男はその女に視線を向けず、地面の上で大の字になった。

「あんた言ったよな? 腕が治るまで代わりに働けってさぁ」

「言ったわね。そして仕事を請けたのはあなたよ」

 女は包帯を巻いた右腕を、男に見せるよう掲げる。

「いつになったら治るんだ? あんた、仕事を俺に押し付けすぎだよ、もうやだね」

「……しょうがないわね、今回の仕事が終わったら少し休みをあげるわ」

 暗い空を見上げたまま、

「それだけかぁ?」

 男はがっかりした様な口調で言う。

「あなただけ特別扱いするわけにはいかないのよ」

「あーあーあー。しょうがねぇ。じゃあだるいけどとっとと終わらせますか」

 足だけを使って、男が器用に立ち上がった。猫背のせいでそうは見えないが、百八十センチはある体躯。

「……勿体無いわね、まともにしてれば女も寄り付くんじゃない?」

 女は、本心からそう思う。尤も、女にとって掃除屋の男は自分の好みではなかったが。

「んー? そうかぁ?」

 男は伸び放題の顎髭を弄りながらあくびを一つ。興味が無さそうにアキレス腱を伸ばし、もう一つあくび。

「外へ出る前に身支度ぐらいは整えておいてね」

「……へいへい。ところで、今度は何を斬りゃ良いんだ?」

「いつも通り、ソレの死体よ」

「げえっ、だからこの仕事は嫌なんだよなぁ、あー、なんか行きたくなくなってきたなぁ、あー、前みたいな奴だったら楽だったのになぁ。俺がやんなくても殆ど燃えカスしか残ってなかったもんなぁ」

 男は肩を落とした。

「そのときはそのときで、退屈すぎて嫌だなんて言ってたじゃない」

「その前に虫は嫌いだって言ったのになぁ……」

「蜘蛛は虫じゃないわよ」

「え? そうなのか、ふーん。あー、どうでもいい」

 荒野にぽかりと、穴が開く。何も無かった空間に、突如開いた穴。先は見通せず、黒一色に染まった穴。

「さ、よろしくね」

 その穴を見ながら、男は深く溜め息。

「何だか、いつもコレが苦手なんだよなぁ、嫌だなぁ」

「男しての尊厳が、そのまま飲み込まれる感じよね」

「他人事だなぁ、あんた」

「そうよ。他人事だもの。あなた風に言うと、『どうでも良い』ってのも付け加えて良いかしら?」

 男はぼやく。その呟きは、すぐに掻き消され、誰にも届かなかった。



「やべー、外ひでェなオイ」

 店内に慌しく入る人影。赤いジャージに短い金髪。目つきは悪く、人当たりの良くない雰囲気。

「こんなんじゃ客なンて来やしねェよ! 店閉めようぜ!」

「コンビニは24時間空いてなきゃ意味ないでしょ」

 三森だった。

 一は三森に物怖じせず近づく。

「ンな事ねーよ、言っとくけどな、田舎のコンビニなんてこんな時間じゃとっくに閉めてンぞ」

「じゃあ田舎のコンビニに行けば良いじゃないですか」

「馬鹿かお前、田舎になンか住めるかよ」

「いろんな人に失礼ですよ、三森さん」

 うっせぇ、と一の脛を蹴っ飛ばして、三森は近くにいた神野に気付いた。

「お。おー、お前が新人か」

 凶暴な、まるで野獣のような三森の双眸に見つめられた神野の背筋が伸びる。

「あ、は、はい。か、神野剣です! よろしくお願いします!」

「へっ、元気あンじゃねーか。どこかの口うるさいボケとは違うぜ」

 そう言ってから三森は一を愉しそうに眺めた。

 鬱陶しそうに、視線から逃れた一はジト目になる。

「……悪かったですね、口うるさくて」

 その問いに、更に三森は愉しそうに口元を歪めた。

「おいおい、おいおいおい! お前の事とは誰も言ってねーだろ?」

「目は口ほどに物を言うって知ってますか?」

「うっせぇな、目玉潰すぞカス」

 そこで三森は、学ラン姿の神野が大事そうに抱えているものに気付く。

「ン? 何だ何だ、サービス利いてンじゃねェかよ」

「え?」

「使わせてもらうぜ」

 そう言って三森は、神野から真っ白なタオルを奪い取った。

「あ……」

「三森さん、それは駄目です」

「あー?」

 三森を止めたのは神野ではなく、一だった。

 神野は何とも言えない表情で、一を見る。

「私がこれをどう使おうが、私の勝手だろーがよ」

「そのタオルが三森さんの物なら構いません。けどそれは三森さんのじゃないんですよ、な、そうだろ神野君?」

「あ、は、はい。すいません、三森、さん」

 不機嫌そうに三森は二人を見比べた。

「……じゃあ、誰のだってンだよ?」

「あ、た、立花のです。今、外でソレと戦ってるから、雨で濡れてるんじゃないかって」

「あー……」

 三森は流石にばつが悪そうに頭を掻く。タオルを神野の手に戻し、「悪かったな」と小さく謝った。

「って事はあれか、やっぱりこの天気はソレのせいかよ。迷惑な奴だな」

 誰の目も見ずに、三森は話題を変える。

「全くその通りですね、夜勤の時間にまで食い込むぐらい手ごわい奴ですし。お陰でジェーンの代わりに俺が深夜入らなきゃいけない始末ですよ」

「あ? 何だ、今日はチビじゃなくてお前かよ」

「ちゃんと仕事して下さいよ。仮眠室で寝ようとしたら怒りますからね」

「分かった分かった。お前こそ途中で眠くなったとか言うンじゃねーぞ、そこに顔叩き込むからな」

 おでんの鍋を指差して、三森はバックルームに入っていく。

 「……ジェーン、早く帰ってこないかなー」

 一は願望を口にした。多分、もうしばらくは叶いそうもない願望を。



 風は少しずつ弱まり、雨は止んだ。どす黒かった雲も散っていき、雷の音もしなくなる。

 穏やかになりつつある空を見上げ、

「……ふう、疲れた」

 立花は刀をしまいながら呟いた。

「こんなで値を上げちゃ、ショーバイ上がったりヨ」

「何だか変に聞こえるなあ、それよりジェーンちゃんは大丈夫なの?」

「心配ゴム用ネ、タチバナこそ平気?」

「うん。ありがとう」

 屈託無く、立花は微笑む。

 ジェーンは一瞬たじろいだ。自分よりも年上の、あどけない仕草。

「……やっぱり、ヤだな」

 さっきまで憎み合って、戦っていたのに。何故、その相手に対して笑えるんだろう。そんな顔を、出来るのだろう。ジェーンは少し立花が羨ましくなった。

「? ジェーンちゃん、何か言った?」

「No。それより、早く帰るわヨ。お兄ちゃんが待ってるし、処理係が来るだろうしネ」

「しょり?」

 立花にとっては、聞きなれない単語だった。聞き返し、ジェーンの返答を待つ。

「……ソレの死体を片付ける人たち」

 ジェーンはやがて、苦々しくそれだけ言った。

「死体を?」

「ええ、ケド見ててエキサイトするものでもナイ。だから、早く帰りまショウ」

「そっか、分かった。じゃあ行こう。……キミはどうするの?」

 立花はシルフに声を掛けた。

 シルフは答えることなく、動かなくなった、ソレだったモノを見つめている。

「シルフ?」

 ジェーンの呼びかけに、シルフは目を覚まされたかのように体を震わせた。

「ん。あ、ああ、シルフ様はもう少しこの辺にいるよ」

「ソウ? じゃあ、またね」

「うん、あいつによろしくな」

 ジェーンは頷き、シルフに背を向ける。

 立花もジェーンに続くように、そうした。二人は歩き出す。風が吹く。そして。しばらく歩いてから、同時に振り向いた。



 黒い風。

 ソレの死体の前に、二つの人影が降り立った。影は降り立ち、すぐにソレへ駆け寄る。そして、作業を始めた(・・・・・・)

 その、二つの影の片方は、細く、しなやかなシルエットをしていた。黒いボディスーツに全身を包み、長い髪を縛った女。

 ――春風、麗。

 その隣、春風と同じくボディスーツに身を包んだ人物。その人物の顔は分からなかった。顔に覆面のようなものを掛けていたからだ。



「な、何だよ!」

 一番春風たちに近かったシルフが叫ぶ。

 その二人は何事もなかったかのように、作業を続ける。

「何してんだよ!?」

 それもそのはずだった。シルフには理解できなかった。

 春風たちは穢れる事も厭わず、未だ乾かぬ、全身を血に染められたソレの切り開かれた腹に、手を突っ込んでいたからだ。

「や、やめろよ!」

 シルフの、懇願にも似た叫びは届かない。

 春風とその連れは、ひたすらにソレの体を、体内を弄繰り回す。無表情で、無感情に。

「もうやめろよ!!」

 遂にシルフの涙腺から、涙が零れた。シルフ自身にも、何故何故涙が出たのか、意味が分からなかった。敵。ソレは敵。あいつは敵。

「やめてくれ!」

 それなのに、敵の死体を好きなようにされているだけだったのに。シルフは悲しかった。悔しかった。何故だか、腹が立った。

「もうやめろよバカァ!」


「ハンズアップ、ハルカゼ」


 甲高く、子供っぽい甘い声。

 春風は作業の手を止める。止めざるを得ない。背中に銃口を、これでもかと押し付けられれば誰だって。

「……私に用でもあるのか、ジェーンゴーウェスト?」

「とりあえず、それから離れなさい」

「それとは?」

 ジェーンは無言でグリップに力を込めた。

「……アタシは別に、このままトリガーを引いても構わナイのヨ」

 冷たさを充分に含ませ、ジェーンは囁くように言う。

「は、はるかぜさぁん」

 隣には、立花に刀を突きつけられた情けない顔の部下がいた。

 春風はとりあえず、勤務外の支持に従う事を決めた。間抜けが二人揃ったと、内心苦笑する。

「了解した。銃口を下ろせ、ジェーンゴーウェスト」

「それはムリね」

「何故だ? 私は何もしないぞ」

「Too late。あの子を泣かせたからヨ」

 そう言って、ジェーンは強引に春風の向きを変えた。

「ちっ、何を――」

 変えた先、シルフがいた。赤く目を腫らした、帽子を被った風の精霊。

「シルフ、好きにしても良いのヨ?」

「……別に良い。何もしたくない」

 シルフは大仰に首を振った。

「ふっ、殊勝な子供だな」

 瞬間、春風の背中の肉に、銃口が食い込む。

「余計なコトは言わないで」

「お、おいニンゲン。やり過ぎじゃないか?」

「……シルフ?」

「シ、シルフ様は別にもう気にしてないから。ちょっとびっくりしただけだから」

「ケド、アナタ何かされたんじゃないノ?」

「私は何もしていない」

「Shut up! シルフ? 怖がらなくても良いの。しっかり裁判で証言して、それから――」

「ち、違うよ! 何もされてない。ただ、こいつらがソレの死体を触ってて、何だか、無性に腹が立って、それで……」

 それからシルフは俯いて、黙った。

「目的は?」

 ジェーンは冷たい目で春風に問いかける。

「答えられん」

「情報部がここまでヤるなんて、どういった風のフキマワシかしら?」

「……ふん、そう言えば今日の風は強かったな」

 ジェーンは銃口を春風の背中から外し、後頭部に勢いも強く押し付けた。

「なめんじゃないわヨ、情報部」

「粋がるな、勤務外」

「……勤務外の特権をご存知カシラ?」

「ほう、私を殺す気か?」

「『を』じゃなくて、『も』ヨ。タチバナ?」

 急に声を掛けられた立花は、慌てながらもジェーンに応えた。刃の切っ先がぎらつく。突きつけられている覆面の男の全身が粟立った。

「え、え? 殺しちゃ駄目なんじゃなかったっけ?」

「プランは変更よ。Bプランに移行するワ」

「Bプランなんて聞いてないよ!」

「今決めたノ! 良いからやっちゃいなさい、キリステゴメン!」

「で、でも……」

「はるかぜさあん! もう喋っちゃいましょうよ! こんな所で死にたくないですよ!」

 覆面の男が情けない声を上げる。

「……仕方ない。こうまで時間を掛けられてはもう遅いからな」

 春風は至極つまらなさそうに呟いた。

「時間?」

「私たちは、ソレが盗み出した書を探していたのだ。タルタロスに恩が売れるからな」

 どこかで聞いたような台詞を春風は口にする。

「だが、もう遅い。見ろ、ゴーウェスト」

「……そういう事ネ」



 それは、黒いバンだった。異様な雰囲気を引きつれ、車は停まる。重々しく、物悲しい雰囲気。その場にいた全員が息を呑んだ。まるで霊柩車のようだとも、誰かが思う。

「来たか、葬儀屋」

 春風が忌々しげに言った。

「……あれが、処理係?」

「……そうさ、あれが」

 ジェーンは唇を強く噛み、それを見た。

 車の助手席から現れたのは男だった。上半身は裸で、下半身には辛うじてぼろきれを身に纏い、髪はぼさぼさで猫背。全体的にだらしなさを漂わせる、そんな男。この場にはそぐわない、気だるい雰囲気を連れ込み、男は少しだけ目を見開いた。

「あれ、先客?」

「……葬儀屋か。気にするな、私たちはすぐにこの場から消え去る」

 春風が応える。

「あ、そ。何だぁ面倒くせぇ、結局俺かよ。あーあ」

 ぼやきながら、男が持っていた鞘から刀を引き抜く。

「……日本刀」

 立花は、熱に浮かされたように、ぼうっと呟いた。月明かりに照らされる、透き通った刀身。不精な男には似合わない、綺麗な獲物。

「それじゃ、始めますかね」

 男は片手に刀を持ち、相変わらずの猫背でソレの死体に近づく。

 そして、死体を斬った。何の前触れも無く、タメも無く、男は普通にソレを斬った。刀がソレに触れるたび、肉も皮も裂かれ、骨が断たれる。だが、不思議な事に何の音もしなかった。

 無音の剣筋。



「帰るぞ、(さざなみ)

「え、で、でも」

「もう遅いと言っただろう」

「い、良いんですか?」

 ふと、春風は男を見た。葬儀屋を見た。

「……地獄が伝染(うつ)るぞ。それでも良いのか?」

「う。そ、そうですよね」

 漣と呼ばれた覆面の男は慌てて頷く。

「ふっ、ではな勤務外」

 ジェーンは立ち去っていく情報部には、もう目もくれなかった。

「タチバナ、帰るわヨ」

「………………」

 案の定、返事はない。立花は先ほどから魂を抜かれたように呆けていた。

 漠然と、何か嫌な予感がする。ジェーンは立花の肩を掴んだ。

「返事ぐらいしたらどうなのカシラ?」

 少しおどけて、声を掛ける。

「……ん、ん」

「? タチバナ?」

「……あの人、早いね」

「……アナタ……?」

 肩に置かれた腕を振り払い、立花が一歩踏み出した。ソレへと、男へと向かって。

「お、おい! ニンゲン、シルフ様は別にもう気にしてないから!」

「――関係無いよ。ごめんね」

 提げていた竹刀袋から刀を取り出し、立花は鯉口を切る。

 しまった、と。後ろでジェーンがそう思ったときにはもう遅かった。

 立花は、ソレの解体を続ける男に切りかかっていく。背後から、前触れもなく、容赦なく。

 男は気付いていないのか、ひたすらに死体を切り刻む。見る見るうちにソレの死体は二つに、四つに、八つに、十六、三十二、六十四。百二十八。意味を成さないパーツに分かれていく。寸断、分断、断裂、分解分別分離分割。頭を、肩を、胴を、腰を足を羽を脚を。男の剣筋は早く、肉を断つ音も、骨を裂く音も、何も。何も音がしなかった。

 ――凄い。

 ずっとその剣捌きを見ていた立花は思う。男の太刀筋は、今までに見たことが無いものだった。もしかしたら我流かもしれない。とにかく早いのだ。タメがない。隙がない。構えがない。男の剣は早い。立花ですら、集中していなければ、見えはしない。

 もう我慢は出来ない。所詮、立花は立花なのだ。

「いざ!」

 獣が吼えた。



 男は解体作業の途中、背後からの剣閃に気付いた。

「……いざって、後ろからそりゃねぇよなぁ」

 男はソレの腹を切り裂き、返す刀で背後の、立花の刀を弾く。その勢いで、今度はソレの上腕を断ち割った。続いて、立花の二撃目を捌く。流した刀はソレの腰だった部分を更に両断。大上段からの、力の篭った立花の打ち下ろし。

 男は刀を合わせ、合わせたと同時に蹴りを後ろへ放った。

 立花はそこで迷う。防御か、回避か、それとも蹴りを食らってでも攻めを継続するか。

「う、ああっ!」

 攻めを継続!立花は一層の力を腕に込める。

「強引だねぇ、嫌だ嫌だ」

 覚悟を決めた立花の腹部に男の足が入った。強烈なミドルキック。

「……っ!」

 だが、耐えられないレベルではない。立花は痛みを堪え、突き進む。

 ふと、男の足が動いた。立花の腹部から足を離し、腿に一発、流れるような動きで左右の脛に一発ずつ踵で打つ。

 下半身の踏ん張りが利かなくなり、立花の力が弱まった。

 その隙に男は立花を押し返す。

 立花は尻餅を着き、男を見据えた。


 男はソレの解体を続ける。


 向かってくる立花に止めも刺さず、仕事を続けていた。

「ボクを、立花を舐めるな!」

 立花は怒りのままに声を荒げる。今まで、こんな屈辱は受けたことが無かった。剣ならば、剣の腕だけならば、こんな事は。

「……おいおい。お嬢ちゃん、いきなり切りかかって来てそりゃ無いんじゃないの?」

「あ、貴方の腕が悪い。剣を握るものならば、これ(・・)は仕方の無い事です」

「ふぅん、今日はやけに評価される日だねぇ。面倒くせぇったらねぇ」

 立花は一呼吸置いた。少し、冷静になろうと努力する。

「な、なぜ、貴方はこんな事をしているのですか?」

 ひとまずは会話。そして本心からの興味。

「うぅん? こんな事って、こんな事かぁ?」

 男は軽口を叩きながらも、決して手は止めない。既に、ソレの死体は殆ど原型を留めていなかった。

「貴方ほどの実力があるのなら、こんな、こんな死体など斬らなくても……」

 立花は俯く。悲しそうに。

 何を勝手に。

「おいおい、そりゃ嬢ちゃんに言われるこったねぇよ。俺が好きにやってんだ。死体斬ろうが生きてるもん斬ろうが、俺の腕が凄かろうが凄くなかろうが、結局は働かなきゃならねぇ。人間様のためになぁ。そんなら、楽な方が良いんだよ。同じ面倒くせぇことなら、少しでも面倒くさくない方を選ぶのが俺さぁ」

「処理係や葬儀屋と呼ばれ、悔しくはないのですか?」

「掃除屋とも呼ばれてるぜ、俺は」

「……剣士としての誇りは、ないのですか?」

 その言葉を聞いて、男が鼻で笑った。

「この時代に剣士かい? 嬢ちゃん、中々の腕前だが、それじゃあ駄目だ。それだけじゃあ駄目なんだ」

「ボクはっ、ボクにはこれしかない!」

「……そうかい。仕方ねぇ。言って素直に聞くタイプにゃ見えねぇし、面倒だけどこれが終わるまでは相手してやろうかね、ほら、どうした?」

 男は立花を見ようともしない。

「言われなくてもっ」

 立花は柄をしっかりと握りなおし、男へ向かった。

 雨が、また降り始めていた。



 ジェーンはもう手を出さない事に決めた。

「……遊ばれてる」

 立花と男の力量には差がある。剣を握ったことのないジェーンでも、それは分かった。そして、決して埋まらない差ではない。手が届く、それぐらいの差なのだ。

 しかし今の立花は、どうも冷静さを欠いている。それでは勝負はつかない。掃除屋は立花と対等に勝負する気が無さそうだし、立花はそもそも勝負できる状態ではない。ソレとの連戦で体力的にもベストではない。どうせ、掃除屋の仕事が終わればそこで終わりなのだ。

 だから。

「な、なあ? 助けなくて良いのか?」

 シルフはおたおたと宙を舞う。

「ドウセ、もう少しで終わる事ヨ」

「け、けどさぁ?」

「雨も降ってるシ、すぐにあいつは帰るからノープロブレムよ」

「? どういう事?」

 ふ、と。優しい表情でジェーンはシルフを見た。

「……アナタに説明してもしょうがナイ」

「な、なっ、シルフ様を馬鹿にしてるな!」

「子供は知らなくて良いノ」

「お前だってチビだし、子供じゃん!」

 確かに。ジェーンはシルフの言った事に納得する。

「あの頃に戻りたいな」

「お前、ババアだな」



 男は片付いた死体、死体だったものを見て頷いた。

「こんなもんかな」

 後は別の掃除屋が死体を持ち帰ってくれるだろう。雨が降っているし、血もそのままで問題は無さそうだ。そう判断した男は刀を下ろす。

「ボクはっ!?」

 立花は目の前で武器を下ろした男へ、苛立ち混じりに叫んだ。

「あー、そっか。じゃ、ここまでな」

 男はそこで、初めて振り返る。向かってくる刀に臆することなく、拳を作り、刀の腹を突いた。

「素手でっ?」

「中々良かったぜ、嬢ちゃん」

 払った刀と立花に興味を失ったのか、男はもう完全に背を向ける。

「ま、待って!」

「それじゃあなぁ」

 男はゆっくりと、だるそうに車まで歩き出した。

 立花は、もう追えない。完全に自分の負けだと、そう思った。

 黒いバンは男を乗せると、すぐにここから立ち去っていく。

 その後姿を、立花はただただ見送る事しか出来なかった。彼女の頬を、水滴が伝い落ちる。雨が、降り始めていた。



 一はカウンターに頬杖をつき、時計を見ながら溜め息を吐く。もう、何度目の溜め息だろうか。春風がいれば、また後ろから『八回目だ』なんて囁かれるのだろうか。

「お前、眠いんじゃないだろうな?」

「……あくびじゃないですよ」

 くだらない考えを、一は頭の隅に追いやった。

「あっそ。しかしおせェなチビども」

「立花さんは、三森さんより背が高いじゃないですか」

「年は私のほうが上だろうが、頭腐ってンのかてめぇ」

「あー、そうですね。ごめんなさいごめんなさい」

 適当に手を振りながら、一は外を眺める。小刻みにガラスを叩く音。

「あ、雨だ」

「……また降って来やがった。朝までに止まねェかな」

「どうでしょうかねー」

「別にてめェにゃ聞いちゃいねーよ」

「……どうしろって言うんですか」

「なあ肉まん食って良い?」

「廃棄には早いですよ。ま、どうせ客は来ないでしょうけど」

 一は振り続ける雨を見ながら、ため息をつく。

「おいコーヒー取ってくれ」

「さっきから食ってばっかじゃないですか!」

「食ってねぇよ、飲んでンだ」

「どっちも同じですよ!」

「お前も飲めば良いじゃねェか」

 三森はレジ前の、ホットドリンクのケースから適当な缶を見繕い、一に差し出す。

「……ヤです」

「へっ、駄目じゃなくてイヤかよ。お前も一応勤務外なんだから、気にしなくて良いっつーのにさ」

 豪快に言い放ち、三森はコーヒーを一口で飲み干した。

「なあ、煙草吸ってきて良いか?」

「……さっきも吸ってたじゃないですか」

「一々かてェ奴だなお前はよ。そんなンじゃ人生つまんねーぞ」

「面白かった事なんて、俺の人生には滅多に無かったですよ」

 一は什器に貼られた紙を確認する。紙には、ホットスナックの廃棄すべき時間が書かれていた。

「……相変わらず馬鹿みたいに仕込むから」

 一はビニール袋に、廃棄になった商品を詰めていく。

「お。廃棄? じゃ裏行って来るわ」

 三森はその袋を掴むと、軽やかな足取りでカウンターを出て行った。

「あー! 仕事サボっちゃ駄目って言ったじゃないですか!」

「休憩だよ、休憩」

 それだけ言うと、三森はバックルームへと姿を消す。

「……老害め」

 一は何の気なしに、カウンターに置かれたままの缶コーヒーを手にした。

 ――勤務外は、金を払わなくても。

「無茶苦茶だ」

 飲まない。一は決心して、缶をケースに戻す。


 それが、一の最後の砦だった。

 果たして、この店に人間は何人いるのだろうか。何人残っているのか。何人、人間だったのだろうか。自分も、人間なのか。

 一は頭を振る。

「みんな、人間だよな」

 独り言は、誰にも届かない。

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