The Bad,the Bad and the Bad
風よ吹け。雨よ降れ。
大気よ嘶け、空は鳴け。
嵐よ、この空を駆け抜けろ。
駒台には嵐が近づいていた。突然の、何の前触れもなく一陣の風が吹く。強風は家屋を揺らし、木々を薙ぎ、歓喜の雄叫びを上げた。駒台の住民は暴虐なそれから隠れるように家へ逃げ帰る。
風の中、ジェーンと立花。二人の勤務外はそこにいた。
「うわあ、ひどいね。飛ばされちゃうかも。ジェーンちゃん、大丈夫?」
「……ちゃんはやめてくれナイ?」
「どうして?」
「アタシはSVでアナタはバイトなの。立場が違うの! アタシが上なノ! アンダスタン?」
「でも、ボクの方が年上だし」
「Shut up!」
ジェーンは荒れ狂う風に負けないくらい大声を張った。ツーテールを押さえながら、ジェーンは先陣切って風に向かっていく。
「ところでさ、ボクらはどこに行けば良いのかな?」
「アッチよ。良くないニオイがするワ」
「臭い? まるで犬だね、ジェーンちゃん」
「……アナタも犬じゃナイ」
「え、何でボクが犬なの?」
ぴたり、と。ジェーンが歩を止めた。振り返り、立花を指差す。
「お兄ちゃんに近づかないで」
立花は、その宣言が何の事だか分からない。きょとんとした顔のまま、時折飛んでくる空き缶に一々大袈裟な反応を示す。
「……お兄ちゃんって、誰の?」
「アタシのよ! アタシのものなの!」
「わからな――あ! もしかして、はじめ君の事?」
「Yes。それと、お兄ちゃんの事をはじめ君なんて、なれなれしく呼ばないで」
強い口調だった。ジェーンの蒼い瞳はしっかりと立花を捉えている。
「え、な、何で? ボクの勝手じゃないか」
立花は何故自分がこんな事を言われているのか、引っかかりながらも応戦する。
「生意気言わないでヨ、ルーキーのくせに」
「ボ、ボクがはじめ君をはじめ君って呼んだらいけないの!?」
「半径一キロ以内に近づくのも腹立たしいワ」
「そっ、そんなの無理だよっ!」
「無理じゃナイ。オンリーワンをやめれば良いのヨ、ミツモリやイトハラより、誰より、タチバナ。アタシはアナタをお兄ちゃんに近づくエネミーだと判断するワ」
「なっ……!」
勝手な言い分だった。立花は訳が分からない。傍若無人な振る舞いをされ、温厚な立花の頭にも血がのぼり始めていた。
「そんな事言われる筋合いは無いよっ」
「あるワ」
「ないよっ」
「……新しく入ってきたくせに。アナタなんかが、お兄ちゃんのとなりに立たないで」
「……っ! きっ、君だって本当ははじめ君の妹じゃないんだろ! はじめ君の家族でもないのに、そんな事言われたくないよっ!」
売り言葉に買い言葉。涙を浮かべながら、立花は叫ぶ。
風が少しだけ強く吹いた。周囲の空気が冷たくなっていく。
「言ったワね」
良く通る声で静かに呟くと、ジェーンはジーンズのベルトに手を掛ける。そのベルトには、メタリックシルバーに輝く凶器が吊り下がっていた。
「……な、何のつもり?」
現物は見たことがない。それでも、立花は知っていた。凶暴に煌くモノの威力を、形状を。
「抜きなさい、サムライ」
ジェーンが握ったのは、回転式拳銃。グリップには派手な装飾が施され、全体色は銀で統一。
風雨によって視界の悪くなった外であっても、銀は決して視界から外れない。立花の瞳が嫌でも釘付けになる。
「……え」
意図せず、立花は肩から提げている竹刀袋に触れた。
「タチバナ。今アナタが言ったのはタブーよ。触れたのはスイッチなノ、分かる?」
「あ、その、ご、ごめん! ボ、ボク……、そんなつもりじゃ」
立花は焦っていた。まさか、ここまでジェーンが怒るなんて思っても見なかった。ちょっとした仕返しのつもり。それだけのつもりだった。
「それでも、アタシは今、アナタを許せない」
それでも、ジェーンはもう止まらない。
「……そ、そんな」
今優先すべきはソレではないのか。勤務外同士で争う理由はないのではないのか。そもそも、なぜジェーンはあんなに怒っているのか。
「い、いやだよ……! 何で……」
ない交ぜになった感情が、立花の頭を駆け巡る。怖かった。悲しかった。
「誰が何と言おうと、アタシはお兄ちゃんの妹なの――」
一向に戦闘態勢に移ろうとしない立花に、
「――ダカラッ!」
ジェーンが痺れを切らした。
ジェーンは一歩で踏み込み、二歩目で立花の懐に入る。手加減は出来ない。この後、一人でソレと戦う事になるリスクを負ってでも、分からせねばならない。
ジェーンゴーウェストと一一。妹と兄。二人の絆を引き裂くような輩には、体へ分からせるしかない。
ジェーンの爪先が、立花の腹部へと迫る。新人だろうが、同僚だろうが、関係ない。一切の迷いも躊躇もなく放たれる蹴撃。
「……チッ」
思わずジェーンは舌打ちする。手加減した覚えは無い。手は絶対に抜いていない。迷いのない腹部へのミドルキック。
それでも、それを立花は受け止めた。立花の表情からは、先ほどまでの情けないものが消えている。恐れも、悲しみも、焦りも、迷いも無い。何も無い。無の表情。
「ジェーンちゃん、どうしてこんな事するの?」
立花の声だけが、子を諭そうとする親のように優しげだった。
「……っ」
ぎりり、と歯軋りをする。勢いで噛み砕きそうになるぐらい、強く歯を軋ませる。その、優しげな声がジェーンを苛立たせた。
「タチバナ、今すぐアタシの目の前から消えて」
でないともう、収まりがつきそうになかった。ジェーンは今、ギリギリのところで耐えている。本能に任せて暴れたくなるジェーンを繋ぎ止めている物は理性だった。ここで立花と無謀にも戦い、どちらかが命を落とせば、悲しむ。
そして怒る。自分の兄に嫌われてしまう。だから、だからジェーンは。
「ボクが一人でソレを倒すよ」
「ハ?」
「ジェーンちゃんを怒らせちゃったのは、本当に悪いと思ってる。ごめん。でもね、ボクも、ボ、ボクもね、ここまでされて黙ってられないんだ。やっぱりそう出来てるんだ。だって、ボクは立花だから。だから、だから」
怖かった。悲しかった。だけど、ジェーンが踏み込んできた瞬間、頭の中を掻き乱していた全てが消えた。ごちゃごちゃになった感情は全て霧散し、立花は拳を前に突き出していた。何も分からないまま、何も感じないまま。
気付けば、目の前で舌打ちするジェーンがいた。ジェーンの足を掴んでいる。自分の腕がいつの間にか掴んでいる。立花は震えた。
「ジェーンちゃん、どうしてこんな事するの?」
怒っているジェーンを刺激しないように、ゆっくりと諭すように言った。なるだけ、立花は優しく言ったつもりだった。
「……っ!」
ぎりり、と。何かを削る音が聞こえる。その音はジェーンの口から聞こえていた。
「タチバナ、今すぐアタシの目の前から消えて」
歯軋りだ、と、立花が気付くころにはもう遅い。
ジェーンは瞳を強く歪ませて、立花を睨んでいた。声は感情を抑えているかのように、所々で震えている。向けられる敵意。中てられる害意。懐かしい感情。立花の心に、ずっと住み着いている凶暴な感情。そんな物を見せられては、もう止まれなかった。
しかし、と。立花は思い直す。ここでジェーンを殺すわけにはいかない。あの人に嫌われてしまうかもしれない。だから。
「ボクが一人でソレを倒すよ」
だから、とりあえずはどこかへ行って、ジェーンとは別ルートでソレを探そうと立花は思った。ジェーンと行動を共にし続けることは、もう出来ない。どちらかが痛い目を見てしまう。立花にとって忌避すべき事だった。だから。
「ハ?」
馬鹿にしたように、ジェーンが聞き返してくる。
立花は少し悲しくなった。
「ジェーンちゃんを怒らせちゃったのは、本当に悪いと思ってる。ごめん。でもね、ボクも、ボ、ボクもね、ここまでされて黙ってられないんだ。やっぱりそう出来てるんだ。だって、ボクは立花だから。だから、だから」
とにかく謝ろう。立花は気持ちを込めて、精一杯誠意を伝える。新しく出来た、初めて出来た知り合いに、友達に、一一の妹に、ジェーンに嫌われたくなんてなかったから。立花は頭を下げた。
物質を構成させる四つの元素。火、水、土、風。四大元素。その内の、風。
穏やかな風が吹く。駒台に突如強風が襲い掛かったその日、風の精霊シルフは駒台中をうろついていた。
「おっかしいなあー」
腕を組みながら、空を散歩する子供。ブツブツと呟きながら、眼下の町と雲を交互に見比べる。ゆらゆらと浮かぶシルフの背後から、突風が襲い掛かった。
「うわっ」
突風はシルフをすり抜けるようにして、何事もなかったかのようになりを潜める。
「シルフ様の風じゃないなー。誰だ、許可なく風を吹かせてる奴は!」
シルフの声は、シルフ自身の呼び出した烈風によって掻き消された。
「くっそー! シルフ様を馬鹿にしてんのかー!」
駒台の風はシルフが支配している。支配と言うほどの影響力を持っているかどうかは定かではないが、今日この日、駒台に吹くここまでの風を、シルフは知らなかった。自分の知りえぬところで、知らない誰かが、この強風を巻き起こしている。
「……腹立つなぁ!」
シルフにとっては非常に不愉快な話であった。おもちゃを横取りされたような、お菓子を横取りされたような、そんな気分だった。
「ん?」
不機嫌なシルフの双眸が、二つの人影を捉えた。雲の中にいたシルフからは、影の輪郭がはっきりとしない。それでも、知っている風だと、そう感じた。
シルフは風の精霊である。風を操れるし、風を作れるし、風を感じられる。シルフは、言うなれば『風』そのものであると言い換えても良かった。
その風の能力の一つに、風の違いを感じ取れると言うものがある。シルフ曰く、ニンゲンは生きていれば風の形を人によって変えられる、らしい。勿論、人間の自由意志でなく、自動にである。人間一人ひとりに纏わり付く風の形、向き、大きさ、全てが千差万別違っている、らしい。風は人間の身長体重年齢性別性格、それぞれの原因、理由によって姿を変え、一人ひとりが違った風を持っている、と、シルフは言う。そしてシルフは、人間の個体差によって微妙に違う、風の流れ、風その物の区別が付くらしい。直接その人の姿を目で見なくても、声を耳で聞かなくても、風を感じる事で、「ああ、こいつか」と、いとも簡単に区別が付き、把握できる。
だからシルフには分かった。今、人々が家に逃げ帰る中、そんな強風吹き荒ぶ街中で対峙する二人が。二匹の勤務外が。ジェーンゴーウェストと立花真が理解できた。そこにいる、と。そこで向かい合っている、と。
「……どういう事?」
だが、この事態は理解できなかった。二人の勤務外が戦っている理由と言うものが。シルフの目からは、立花がジェーンの蹴りを受け止めているのが確認できる。
「まずいんじゃないのか?」
止めなくては。シルフは風を呼び寄せ風を連れ、風と共に空を奔った。
力を込めないと。そう立花が思ったときにはもう遅かった。掴んでいた立花の手から、ジェーンの足がすり抜ける。急激な力で引っ張られ、前のめりになる立花。バランスの崩れた立花の顎に掌底が入った。快音が響く。
「後から来たくせに!」
顔を浮かせたままの立花。
ジェーンが、がら空きのその腹にもう一度掌底を入れる。肉を嬲る鈍い音が、ジェーンの耳に心地悪く聞こえた。
「う……っ」
立花の頭が、本人の意思とは無関係に下がる。下げられる。後頭部に衝撃。ジェーンの踵が突き刺さっていた。吐き気を堪えながら、立花が倒れまいと足を地面にくっ付けて踏ん張る。
ジェーンは立花の頑丈さに辟易しながらも、打ちつけた踵をそのまま二度、三度と叩き付けた。
「寝てなさいヨ!」
「……もう怒った」
立花がそのままの姿勢で、ジェーンの踵を両手で掴みあげる。
ジェーンは逃げようと身を捩るが、それよりも強い力のせいで足は動かない。
「But、右はもらうワ」
冷静だった。ジェーンは掴まれた踵はそのままに、若干宙に浮いた姿勢で、手を伸ばす。ベルトの、ホルスターに吊り下げられたリボルバー。狙うは立花の右足。足さえ撃てば、もう敵は動けない。
「でやあっ!」
ジェーンが銃に手を伸ばすより先、立花がジェーンを回した。頭の上で一回転。突然の回転で体勢を崩したジェーンの手が、後数ミリの距離だったリボルバーから離れる。頭の上で二回転。三回転。そして落下。立花はコンクリートの地面へと、ジェーンの頭から叩き付ける。踵を掴んだままの強烈な一撃。
ジェーンは、頭だけは残っている両手でガードし、体全体で地面にぶつかった。衝撃を面で逃がす為の、苦肉の策。全身が痛みに痺れた。動けない。
「もう知らない! 知らないからね!」
何事か喚きつつ、立花が竹刀袋に手を伸ばす。袋から取り出したのは、無骨な日本刀。
「こ、殺さなきゃ良いんでしょ!」
「アァァ! 抜いたわね!」
倒れたまま、ジェーンが叫んだ。抜け、とは言ったものの。やはり刀は怖い。異国の伝統。伝説。サムライソード。武器は怖い。
「ぬ、抜けって言ったのはそっちじゃないかぁ!」
もはや狂乱。立花の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「足一本なら、は、はじめ君も許してくれるよね?」
かしゃん、と。落下音。伏せったジェーンのすぐ近くに、刀の鞘が落ちてくる。
「……ぅえ? ゆ、許すわけないでショ!」
立花が遂に刀を抜いた。白銀に煌く刀身が、ジェーンの姿を映す。銀光を瞬かせ、立花の日本刀が、獲物が姿を現した。
「お、おおおお覚悟っ!」
涙を浮かべながら、ある種倒錯した表情で立花がその刀を振り下ろす。
「Noooooooo!」
ジェーンは伏せった姿勢から、痛んだ体を無理矢理後転。さっきまでジェーンが寝ていた、ジェーンの頭のあった場所に刀の切っ先が突き刺さる。攻撃を外して小首を傾げる立花を、何か恐ろしいものでも見てしまったような表情でジェーンが目視。冷や汗が流れる。素手では戦えない。そう判断したジェーンは、距離を取ってから、ゆっくりとリボルバーを抜く。グリップをしっかりと握り、目標を睨み付けた。
「ああ! 飛び道具なんてずるいよ!」
「……クレイジー」
「ジェーンちゃんがそう来るなら、ボクも本気で行くからね」
「も、もう良いじゃナイ。イタミワケにしない、か、シラ?」
「ボクの方が一発多くもらってるよ。ジェーンちゃん? それじゃ引き分けにならないからね」
立花が刀を正眼に構える。険しい表情。立花の瞳は『敵』を捉えていた。酷く、落ち着いた構え。
――これがタチバナ。
ジェーンはいつの間にか、手に汗を握っているのに気付く。リボルバーを持ち替え、汗を拭き、再び持ち替える。雰囲気に、空気に、圧されていた。このまま事態が進めば、どちらかは確実に命を落とす。勤務外の経験上、ジェーンはそう悟った。理解する。
「ア、アタシがやりすぎちゃった。謝るカラ、も、もうストップ。ギブアップ。don't move」
「ボクはさっき謝ったのに、許してくれなかったじゃないか」
「それも含めて謝ってるノよ!」
「嫌だよ! ジェーンちゃんは勝手だ! 子供だよ! どうしてもって言うんなら、はじめ君とボクに関してもう何も言わないで。そうしたら、刀を納めるよ」
ぴく、と。ジェーンの眉が僅かに動いた。
「……今なんて言ったのカシラ?」
「そ、そんなの覚えてないよ! 何か、き、気に障った?」
本当に立花は覚えてなかった。
「オーケー。良いわ、タチバナ。西部劇は好きかしら?」
「え、あ、えーと?」
「アタシは特にスパゲッティが好きなの。Loveなの。意味が分かる?」
「は、はぁ? 分からないよ」
「今から教えてあげるワ」
にっこりと、ジェーンが微笑む。
ぞくり、と。立花が凍りついた。
――残酷に殺してあげるワ。
「死ねェ! エル・インディオ!」
「ボ、ボクは立花だよぅ!?」
「何やってんだバカ!」
甲高い罵声とともに突風が吹く。ジェーンと立花の、二人の間へ割って入るように風が吹き抜けた。目も開けていられないほどの強い風。
ジェーンは顔を腕で覆い隠し、立花は刀を傾けて顔を守ろうとする。
「お前ら味方同士なんじゃないのか!」
「……キミは……」
先に目を開いたジェーンが、風の中から現れた人物を確認した。緑の帽子を被った子供。『影』から生還した精霊。風の申し子。
「シルフ……」
「シルフ?」
「そうだよっ、シルフ様だっ!」
腕を組み、足を組み、顎を逸らせて偉そうにシルフは名乗りを上げる。
「……そうか、君が風の。けど、ボクたちの邪魔をしないでもらえるかな?」
「じゃ、じゃまっ!? このシルフ様があ!? じゃなくてっ、何でお前らこんな事やってんだよ!」
「ダッテ、タチバナがアタシとお兄ちゃんの――」
「しょうがないじゃないか、ジェーンちゃんがボクとはじめ君の――」
二人の勤務外は声を揃わせて言う。
「邪魔をするんダカラ」「邪魔をするんだよ」
シルフは呆然とする。慄然とした。唖然となった。
「……あいつか……」
いつもお菓子をくれる人畜無害っぽい顔を、シルフは思い出す。
「とっ、とにかくさあ、シルフ様も見ちゃったからにはほっとけないのさ。お前ら、あのニンゲンの知り合いだろ? シルフ様は奴に借りがあるから、ここでほっといたら、借りを返せなくなるんだ。分かるだろ? おとなのジョウシキってやつ。だからちょっと落ち着――おい! その物騒なものをしまえよ! 当たったら危ないだろ!」
「……じゃあ風を弱めてくれないカシラ? とてもウットウしいんだけど」
ジェーンは少し落ち着きを取り戻し、吹っ飛びそうになるリボンを押さえる。
「これはシルフ様のせいじゃない!」
「Whats the hell?」
「別の誰かが、この風を起こしてるのさ。お前ら、知っててあいつをどうにかしに来たんじゃないのか?」
シルフは雲の向こうを指差した。
「あいつ?」
ジェーンと立花は、その指の向こうを見る。どす黒い雲。駒台の空を覆い隠し立ち込める、歪に広がった雲。 その雲の中に、いた。ソレはいた。
「……あれがっ!」
立花は思わず声を上げる。自分よりも一回りは大きい、翼を持ったモノ。遠目ではハッキリとは捉えられないが、鳥の体に獣の頭を持ったソレ。雲の中、悠然と翼を広げ、今この空を支配しているモノ。
「神野君、仮点検行こうか」
「はい」
一はそう言って、鍵の束を神野に渡す。
頷いた神野は鍵を受け取り、レジの差込口に鍵を入れ、レシートを出した。
「……風、強くなったね」
「そうですね。立花たち、無事だと良いけど」
「大丈夫だよ。さ、俺らは俺らに出来る事をしよう」
「……はい。それじゃバックルーム入ってますね」
お願い。そう短く答えて、一は神野を見送る。
お願い。
お願い。
お願い。
二人ともどうか、無事に帰ってきますように。一は心の中で強く祈った。
立花は日本刀をしっかりと握りなおす。鋭く、無骨な日本刀。それは剣士の武器。竹刀袋はポケットの中にしまい込み、敵を見据える。
ジェーンはホルスターに、リボルバーをゆっくりとさし直す。眩しいぐらいの銀色。それは銃士の武器。
ジェーンとと立花。二人は並んで立つ。彼女らの瞳には、『敵』が映されていた。
「一時休戦だね」
「そうネ。まずはソレを何とかしましょうか」
踏み出す一歩は力強く。
「アタシから仕掛けるワ。落とすから、そこを狙って」
「分かった。任せるよ」
向かい風など物ともせず。
「おい、お前らだけじゃ不安だからな、シルフ様も手伝ってやるよ」
「そう? じゃあ一つだけ良いかナ?」
ジェーンが悪戯っぽく指を立てた。
「……邪魔だけはしないでネ」
「……お、おう」
「それじゃ――」
ジェーンがリボルバーを抜く。目にも留まらぬ一瞬の所作。その勢いを殺さないまま、ジェーンは地を駆けた。
「――戦闘開始ネ!」
ソレとの距離が見る見るうちに縮まっていく。
ジェーンの後ろの立花は驚嘆の声を上げていた。
深呼吸。
ジェーンは飛ぶソレを捉える。構えるは銀の凶器。オンリーワンアメリカ支部特製、破壊力は折り紙つきのリボルバー。
照準器は己の目。
引き金は己の意思。
弾丸には猛る思いを。
撃鉄が雷管を叩きつけ、銃口から炸裂音。マズルファイアとともに、弾丸が飛び出した。続いて、凶暴なマズルフラッシュが飛び散っていく。ジェーンの視界が、一瞬だけ白に染まった。