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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
隠神刑部
44/328

生きてるのか死んでるのか

 擬死(ぎし)、という防御行動がある。敵に襲われたときに、体の力を抜いてじっとしたり、硬直したまま動かなかったり。擬死を行う生物は多い。例えば、七節や黄金虫、亀虫に玉虫。昆虫以外では、蜘蛛や蟹。狸寝入りという言葉もある。擬死と同じ意味だ。哺乳類にも擬死を行うものがいると言うことである。熊に遭遇したら死んだふりをする、それで助かるとは良く聞く話。良くある話。人間も擬死をする生物なのだ。死を装って、敵から逃れる。それが大雑把な擬死の解釈。



 昨晩の雨で、水溜りが出来た箇所を避けながら一は道路を歩く。曇り。駒台の街からは太陽が見えない。まだ空模様はぐずついていたが、一の見た天気予報によると、今日はもう雨は降らないらしい。

 煙草を吹かしながら、一はオンリーワン北駒台店へ向かう。自らの勤め先へ。自らの戦場へ。

「ニンゲン、これはいまいちだぞ」

「そうかな?」

 一の横で飛んでいる(・・・・・)少年が苦言を呈した。ワンポイントに羽根のついた緑の帽子に、デフォルメされたパンダがプリントされた子供服。それらに身を包んだ、風の精霊シルフは、少年と言うには幼すぎるかもしれなかった。

 シルフは手の平のグミを神妙な面持ちで見つめながら、

「甘みが強すぎるよね。シルフ様みたいなおとなには、もっとこう――」

「じゃ今度は辛いの買ってこようか?」

「……オマエは舌が馬鹿だから不安だよ」

「味覚は完全にお子様のくせに」

「子供じゃない! 子供じゃないぞー!」

 騒ぐシルフの口の中に、一はグミを突っ込んだ。

「まあ、グレープは確かに甘すぎるかもね」

 口の中でグミを転がしながら、シルフは舌に意識を集中させる。時折、難しい顔をして唸ったり、無防備に笑ったり。

「おいしい」

 顔を綻ばせながら、最終的にシルフはそんな感想を口にした。

「超分かりやすいね。そうか、シルフ君はグレープよりオレンジが好き、と」

「取替えっこしようよー、こっちよりオマエの方が良いなー」

「俺も甘いのはあんまり好きじゃないんだよ。今からバイトだし、口ん中に甘さを感じたままレジを打ちたくない」

 一はそう言って、袋からグミを取り出して口に入れる。

「そんなのワガママだぞ! シルフ様は取り替えろって言ってるんだ!」

「……じゃあ、もうお菓子あげない」

「オーボーだ、ヒキョーだぞニンゲンめ!」

 適当にシルフをあしらいながら、一はグミを咀嚼した。

「オレンジうめー」

「オマエバッカじゃないの!? オマエみたいな奴は一度痛い目を見れば良いのさ!」

「分かった分かった。今度はオレンジ買ってくるから。それより、今日は糸原さんいないけど店まで来るのか?」

 すぐそこにあるオンリーワン北駒台店を指差しながら、一がシルフに尋ねる。

 シルフは腕を組んで真剣に考えて。

「やめとく。赤い奴がいるから」

「ん、三森さん? 何だ、あの人が怖いのか」

「こ、怖くないよ? 怖くないもんね? ちょっとウマが合わないだけさ!」

 目を逸らしながら、シルフは震えた声で一にそう告げる。

 一は「そっかそっか」と楽しそうに笑った。

「と、とにかく! また今度な絶対だぞ約束だかんな!」

 ここから一刻も早く立ち去りたいのか、早口で捲くし立ててシルフは高く飛び上がった。やがて、どこまでも広がる雲の中にその姿を隠す。

 一はシルフが見えなくなるまでその場にぼうっと立ち尽くしていたが、脇を通り過ぎた車の音で我に返った。


 ――約束(・・)ね。


 約束ならしょうがない。一は内心苦笑して、次はどんなお菓子を買うか、思いをめぐらせながら店へと足を向けた。



「おはようございまーす」

 店内に入った一は決まりきった挨拶を口にする。決まりきったように返事は無かった。悲しむ事も怒る事もなく、一はバックルームへ向かった。バックルームへ入ると店長がシフト表と睨めっこしているのが見えた。が、それに構わず。っていうかなるべく構われたくないな、と思いながら一は短く挨拶をして、ロッカーへ足を向ける。

「なあ一、今から面接があるんだよ」

 店長がポツリと漏らした。

 その言葉に対し、一が過敏に反応する。

「新しい人来るんですか!?」

 制服に着替えるのも忘れて、一はハンガーだけ持ったまま、期待に満ちた眼差しで店長を見つめた。

 一に見つめられた店長は黙って頷く。

「まあ、採用するかどうかは私が決めるんだがな」

「もうどんな人でも良いから採って下さいよ。分かってると思いますけど、クソみたいなシフトなんですからうちは。これじゃ交代要員もいないし、誰かが怪我とか病気になったらどうしようもないんですよ? 店長、少しは真面目に、っていうかまともに考えて下さいよ。それと、三森さんにおでん仕込み過ぎだって言っといて下さい。アホみたいにごぼ天ばっかり浮いてて引きましたよ。あーけど俺が言ったら殴られるから内緒にしといてください」

「煩い」

 一言で一を切り捨てた店長は顎に手をやって、考える素振りを見せる。うそ臭い、胡散臭い仕草だった。

「…………」

 実際、店長のそれはあくまで素振りだと、一には分かっていた。

「なあ、一。ちょっと頼みがあるんだが」

 ほら来た、と。一は体を堅くする。

「何でしょうか?」

「今から面接なんだがな。以前私が言っていた九州の奴の話は覚えているか?」

 九州。九州。日本の南西部に位置する、日本で三番目に大きい島。

「……九州?」

「おいおい、お前の年でボケるってのも珍しい話じゃないけどな、せめて私の話だけは覚えておけ」

 曖昧に返事して、一は頭を下げる。

「で、だな。九州から面接希望者が来てるんだよ」

「いや、覚えてますよ。けどそれって、結構前の話じゃありませんでしたっけ?」

「ああ。本人が外に出るのを嫌がっていたらしくてな。最近になって話が纏まったらしい」

 徐に、店長が煙草に火を点けた。

「……え? 本人が、ってどういう事ですか?」

「うーん。今何時だ?」

「店長の後ろに時計掛かってるでしょうが」

 言いながらも、一は壁掛け時計を確認し、「九時前です」と、慇懃に告げる。

「面接までは間があるな。よし、暇潰しに話してやろう、コーヒー取って来い」

「はいはい」

 一は制服を着ながら、ウォークインへ歩き出す。扉を開けると、外気に触れた冷気が白い煙へと形を作っていく。煙を散らしながら、一が適当に詰まれたダンボール箱の中からコーヒーの缶を引っ張り出した。寒い寒いと漏らしながら、一が扉を閉めて店長へ缶を手渡す。

「無糖じゃないか。まあ良い。で、どこまで話したっけ私は」

「まだ話に入ってません」

「そうか。うん、九州には立花(たちばな)と言う退治屋がいるのは知っているか?」

「早速訳が分かりません。退治屋って何ですか?」

 店長が舌打ちをする。露骨だった。

「勤務外と同じだよ。ソレと戦い殺し死なせてきた連中だ。ただ、あっちの方が歴は長い」

「……ソレが現れたのはつい最近の事でしょう? 勤務外より歴史が長いってのはおかしくないですか?」

 一の問いに、店長が薄く笑う。

「ソレが人間に対して、戦争なんてふざけたほど大規模な活動を始めたのは三年前だ。パンドラ事件。覚えてるな? だがな、三年よりもっと前からソレは居たんだよ。散発的だったが、小さいながらも被害は出され続けてた。勤務外、オンリーワンが確立する、ずっと前からな。日本や世界には、妖怪や幻獣なんて神話や伝説が残されているだろう? ソレのせいだよ。奴らはそれくらい前から活動を始めていたんだ」

 用意していたかのような、長台詞。

 一は何も言わず煙草に火を点け、店長の言った事を頭の中で反芻する。ゆっくりと、長く息を吐き出すと、

「……んな馬鹿な」

 それだけを、一は何とか口にした。言葉に出来た。

「今更だが、お前が疑うのも分かる。私だって本当にソレが神代から活動していたなんて半信半疑だ。だがな、ソレを退治して来た立花って言う生き証人もいる。誰を信じて、何を信じないのか。それはお前次第だ。私の言葉だけ鵜呑みにするなよ」

「とりあえず、九州には立花って退治屋がいる、ってところだけ信じます」

「それでいい」

 満足げに店長が笑って紫煙を吐き出す。

 一拍置いて、

「立花。立花は、九州では最も強い力を持つ家なんだ」

 店長が切り出した。

「えっと、経済力とか、ソレと戦う力って事ですか?」

「全部だ。ソレと戦う力を持っているから、金も地位も全て手に入る。九州を裏で牛耳っていると言っても、まあ言い過ぎではないな。誰も逆らえん」

 ソレと戦う力を持つもの。

 勤務外店員も、ソレと戦う代わりに特権特例が認められている。命を賭ける為だ。いつ死んでもおかしくない。どう殺されても文句は言えない。ソレと戦うと言うのは、つまりはそういうことだった。そして、一般人は勤務外や退治屋を軽蔑し迫害し恐怖しながらも、その一方で人外に縋る。頼るしかない。彼らに逆らえば、彼らは死ぬしかない。

「……横暴な気がするなあ」

「そうやって立花は力を我が物にして来たんだが……今年の秋、立花が壊滅に追いやられた」

 表情を変えず、店長は缶に口をつけコーヒーを喉へと流し込んだ。店長が空っぽになった缶へ、灰皿代わりに火の点いた煙草を押し付ける。

「いや、壊滅って……。だって九州で一番強かったんじゃないんですか?」

 もはや灰皿となった缶を手渡され、店長に倣う様に一も煙草の火を押し付けた。

「ああ、強かった。だから九州にはオンリーワンの支部が置かれていなかったんだ。東北、関東、中部、私たちの住む近畿、中国、四国の全部で、日本に支部は六つあるが、九州には必要なかったからな。それに、あっちじゃオンリーワンより立花の方が強い影響力を持っていた。置きたくても置けなかったと言うのが正しい」

「でも――」

「――立花はたった一体のソレによって、二ヶ月前に壊滅へ追いやられた。ニュースは見ていないのか、一? 向こうじゃ大騒ぎだったんだがな。いや、今でもか」

「一体……」

 ソレ、一体。

 ソレの命を食らい続けて、九州で栄華と言う栄華を極め、力と言う力を手に入れてきた立花。一体のソレによって、退治屋最強の立花が終わらされた。その事実は、一の心に深く影を落とす。

「そいつは? 立花を潰したソレは今どこにいるんですか?」

「さあな。世界中の情報部ですら掴めていない情報だ。私が知っているはずもないだろう」

「やばいんじゃないんですか?」

「笑えるぐらいまずいな」

 笑いながら店長が言った。楽しげだった。

 その笑みに不快感を覚えながらも、一は正体不明のソレに恐れを抱く。単純に、一は怖かった。今もなお、危険な存在が情報部の網をかいくぐりのうのうと生きているのだ。怖がらない方が不思議な話ではあった。

「うわ……。辞めたい。勤務外辞めたい。オンリーワン辞めたい」

「そろそろ話は飲み込めてきたか?」

「はい。えっと何の話ですか? やばいってのは充分に通じたんですけど」

「違う。面接の話だ」

 一は首を捻った。

 九州最強の退治屋、立花。その立花を滅ぼしたソレ。そんな話の後に、バイトの面接。

「スケールの小さな話ですよね。もうどうでも良いじゃないですか」

「そのやばい立花がうちに来るんだよ。ソレに襲われた時、五代目が戦闘で死んだからな。六代目がオンリーワンの勤務外として北駒台店までやって来る」

 店長が二本目の煙草に火を点けながら言う。

「え、嫌です。落としましょうよそいつ」

「……出来れば、私もそうしたい。だが上からの命令だ、逆らえん」

「んなトラブルメイカー嫌ですよ、怖いし」

 ある意味、と言うか事実上九州最強の人間が一の同僚になるのだ。頼もしいの前に、恐ろしいと言うのが一の本音だった。

「……ん? っつーか、わざわざ近畿(ここ)まで来なくても良くないですか? 九州からなら、中国、四国地方のが近いじゃないですか」

 一が尤もらしい事を言った。少しばかりの期待を込めて。

「九州からじゃ近すぎる。忘れたのか一? 勤務外ってのは、人を外れた力を持つものがどんな感情を持たれるのか。それも、九州で好き放題やってた立花の人間だぞ、近所の奴が受け入れるはずがないだろう」

「じゃあもう東北まで行けば良いじゃないですか」

「知るか! 私だってイヤだと言ってるだろ!」

 椅子に座っていた店長が立ち上がり、一の頭をグーで殴った。

 鈍い音と、一の短い悲鳴が上がる。

「怒らないで下さいよ……」

 頭を摩りながら一が半泣きで訴えた。

「黙れ。とにかく、私らは立花を受け入れなきゃならないんだ。それも認めろ信じろ」

「はあ……。まともな奴である事を祈りますよ」

「馬鹿か勤務外。ソレと戦ってるような奴らがまともな訳ないだろ。全員が全員、どこか頭のネジが緩んでる連中ばっかりなんだよ」

「……そうですね。あれ、俺ももしかしてそのまともじゃない中に入ってるんですか?」

「面接は十時から一人。十一時から一人だ。十時から来るのは高校生。十一時に来る方を、お前には駅まで迎えにいってもらいたい」

 スルー。

「……ちょっと待って下さいよ。俺シフト入ってるんですけど?」

「知っている。とにかくあまり待たせるなよ。立花の機嫌を損ねて切り捨てられても知らんぞ私は」

「うわああ! 嫌だ! いきなり過ぎますよ! 今駅に立花がいるって事なんでしょう!? 嫌だ嫌だ俺はまだ死にたくない!」

 取り乱した一はバックルームをうろうろしながら泣き言を喚いた。

「早く行け。もうすぐ十時からの面接志望者が来る。お前みたいな情けない奴がいたら見限られて帰ってしまうかもしれん」

「じゃあこうしましょう」

 ぴたり、と一が動きを止める。一は人差し指を綺麗に立てて、

「俺が高校生の面接をします。だから店長は――あいたたたた!」

 店長に人差し指を捻られた。

「とっとと行け!」



 店から立花の六代目が待っているという駒台駅まで十分は掛かる。だが、一にとっては「十分しか掛からない」。今、一は駅までの道のりを出来る限り遅く、のろのろと歩いている。結局は立花とどういう形であれ対面せねばならないのだから、牛歩戦術なんて意味はなかったのだが。

「……はあ」

 自然、ため息の回数が増える。憂鬱陰鬱、楽しくない面白くも何ともない。一体、どんな人間が自分を待ち構えているのだろうか。もしかしたら、人間じゃないかもしれない。一は色々と立花の六代目の姿を考えては、恐ろしくなり想像するのを止め、また想像し、止め……。

「これじゃ駄目だ……」

 完全に負の連鎖。思考の悪循環。

 とりあえず一はニコチンでも摂取して落ち着こうとする。一時の、殆ど幻想に近い煙草の効能。

「ふう……」

 なるべく深く、五臓六腑へ煙が染み渡るように一は息を吸った。

 確かに一は願った。今の店の人員ではシフトもまともに機能しない。いつかは必ず崩れてしまう。綻びどころか、端から穴が空いている状況なのだ。だから願った。誰でも良いから人が来い、と。願ってしまった。

「俺のせいじゃないよなあ」

 呟きながら、一は溜め息を吐く。


「八回目だな」


 背後から突然聞こえてきた声に、一が体を強張らせた。耳元で囁かれるような、無感情な声。

 一が目を白黒させながら振り向くと、そこには春風麗がいた。いつものボディスーツではなく、普通のスーツに身を包んではいたが。折れそうなぐらい細い体躯。感情の篭っていない声。

「あんたは」

 確かに、情報部の春風麗であった。

 一は即座に春風から一歩、二歩。充分に距離を取る。

「俺に用でもあんのか?」

 ぶっきら棒に、なるべく敵意を込めて一は言い放った。それもそのはず、一は先日の『影』事件で、春風麗に襲われているのだから。

 襲った当人、春風は一の様子を訝しげに感じながら、相変わらず冷たい双眸で一を眺めていた。

「八回目だぞ、一一」

「……? 何がだよ」

「お前が店を出てからのため息の数だ」

 一の手が、足が。末端神経から背筋へ脳へ、体が冷えていく。心臓から血の供給が無くなったのかと一は思った。

「あ、あんた俺を――」

「――勘違いするな一一。私事の途中で偶然(・・)貴様を見つけたに過ぎん」

「だからと言って、ため息の数なんてカウントするかよ!」

「お前はしないのか?」

 当たり前だ、と一が怒鳴る。調子が狂う。

「私を警戒しているつもりか、一一?」

「しない方がおかしいだろが」

「甘い。私は情報部だぞ、私を警戒するつもりなら三百六十五日二十四時間、三百六十度東西南北全方位、貴様の周囲全てに警戒しろ」

「……偉そうなんだよ。ストーカーのくせに」

「ストーカーではない。私はオンリーワン近畿支部、情報部二課実働しょ――」

「もうそれは良いって!」

 一が右手を上げて、春風の言を遮った。

 ほんの少し不機嫌そうに顔を歪めるも、春風は素直に従う。

「で? 用でもなきゃあんたらは俺たちに話しかけて来ないだろ。何を企んでんだあんたら」

「企む? それはこちらの台詞だ一一。よくも駒台にとんでもないもの(・・・・・・・・)を呼んでくれたな」

 春風は無表情のままだったが、声には若干の敵意が込められていた。

「とんでもないもの? だから何の話だよ?」

「しらばっくれるな」

「…………」

 一には、何となく察しが付いていた。春風が現れた瞬間から、覚悟はしていた。

「……立花か」

 観念したように、一が声を潜めて言う。

「九州の悪夢が何故こんな所にいるんだ? 貴様ら何をした? 何をしようとしている?」

「お前、知らないのか? 立花がオンリーワンへ頼んだんだろ、うちで働かせて下さいってさ」

「知っている。一一、貴様に言われるまでも無い」

 春風が腕を組んで、苛立たしげに言った。

 その様子に、一は段々と違和感を覚え始める。

「あのさ、話が見えないんだけど」

「……駅に居た立花は誰だ? あれは私が知らない(・・・・・・)立花だったぞ」

「俺も詳しくは知らん。店長に言われて、そいつを迎えに行く最中なんだ。顔すら見てねえよ」

 言って、一は気付いた。どうやって比較的人の多い駅前で立花を見つけるのだろうと。

「まさか、奴が六代目なのか?」

「ん? いや、そりゃそうだろ」

 当たり前の事を聞く春風に、苛立ち交じりで一は答えた。

「……一一、何故分かる」

「一々面倒だな。俺は、立花の六代目がうちに来るって聞かされてるんだよ。お前らだってそうじゃないのか?」

「違う」

 一には、その一瞬だけ周りの温度が下がった気がした。不穏な空気。

「私たちは五代目が来ると聞かされていた」

「……五代目は、死んでるんじゃないのか」

 一は六代目、春風は五代目が来ると言う情報を握っている事になる。その二つの情報、立花が来ること自体に間違いは無い。だが、来る立花がそれぞれの情報で違っていた。

 五代目と六代目。

「そうだ。だから、立花が近畿までやって来る話は、一旦は流れた」

 死んだ者と生きている者。

「だけど、つい最近になって六代目が来るって、そう決まったんじゃないのか?」

「……私はそんな情報を知らない。悔しいが、初耳だ」

「なあ、嫌な予感がするんだけど」

「そうか。それではな」

 春風が踵を返した。

「待て待て待て! 待ってくれ待って下さい!」

「正直な話、関わりたくない」

「まだ何も言ってないじゃないかよ!」

「断る。私も一緒に付いて来いなんて言えば殺すぞ一一」

「死にたくないよ!」

 縋るような一の視線をあしらいながら、春風は一に背中を向ける。

「頼むよ! 三森さんの弱点でも何でも調べて教えるから! 何も俺の横にいろなんて言わない、遠くで見てるだけで良いんだ。あ、でもやばくなったら助けてくれ」

「お前、本当に三森冬の仲間なのか?」

 必死な一から逃げるように春風は後ずさる。

「仲間じゃないよ。あくまでバイトの同僚さ」

 親指をぐっと突き出して、一は爽やかに笑った。

「……三森冬に関しての情報は得難い。良いだろう、但し、基本的に私は何もしないぞ」

「うん、それで良いよ。助かる助かる、ありがとう。こないだの事は全部水に流しても良くなってきた」

「一一。貴様、許すと言ったのではなかったか?」

「それはあくまで交渉の席でだよ。俺自身はチャンスがあれば、いつかお前にぎゃふんと言わせたいぐらいお前が嫌いだよ」

 一は事も無げに言う。

「そうか、それでは。『ぎゃふん』」

 春風の無感情な声。

「やっぱ嫌いだわお前」

 吐き捨てるように一は毒づいた。



 一と、一から少々の距離を取った春風は二十分掛けてようやく駅前に着いた。

 駅前には一が思っていたよりも人がいなかった。平日の、もう九時を回っている。通学ラッシュも通勤ラッシュも遠のいた時間だろう。駅前には、杖を突いた老人や、学生服セーラー服の少年少女、スーツ姿の中年男性、犬を連れた妙齢の女性、道端に座り込んで駄弁っている若者、などなど。

「どれが立花だ……」

 こんな事なら、店長か春風から容姿について説明を聞いていれば良かった、と。過ぎた事を一は悔やんだ。

 人ごみから離れた場所で缶コーヒーを傾けながら、一は懸命に目を凝らす。ふと、一の目が何かを捉えた。と言うより、気付かないほうがおかしかった。さっきから、妙な違和感が駅周辺には漂っていたからだ。ある一点を避けるように人々が動いている事に一はようやく気付く。

 点。

 だが、肝心の中心にいるであろう人物が見えない。まるで人々に隠されているかのように、その姿を一に現さない。

 焦れた一が近づこうとした瞬間、人の波が割れる。一は立花を見たことが無い。だが、見間違えるはずも無かった。


 紛れも無く、異質な存在がそこにいた。


 そもそも、セーラー服を着た高校生は駒台に存在しない。駒台に二つある高校、北校、南校ともに男子は学ランで女子はブレザーなのだ。烏の濡羽色の、鮮やかなカラーリングのセーラー服は行き交う人々の視線を嫌でも集める。しかし、人々の視線を集めるのは制服だけが理由ではない。自身のセーラー服に負けないくらいの、青みを帯びた艶やかな黒い髪。長い髪の毛をポニーテールに括っている、十代の少女。成人男性にも負けないくらい背は高く、目が合ったものを、そのまま視線だけで殺してしまいそうなほどの強い意志を持っていそうな、鋭い切れ長の瞳。全身から立ち上る異様な雰囲気。まるで抜き身の刀だった。自分からは何もしないが、近寄ったものを容赦なく切り捨てる敵意が体全体から溢れている。手には竹刀袋らしきものをぶら下げている。その中には、恐らく竹刀では無いものが入っているのだろうと一は思った。

 人々も彼女の異質さに、おぼろげながら気付いているのだろう。絶対に、一定の距離から先は彼女に近付こうとしない。


 ――これが立花だ。


 一は確信する。そして、躊躇する。自分が近付いていっても問題はないのだろうかと。幾ら一がオンリーワンからの迎えだと言っても、問答無用で斬られてしまうかもしれない。そんな危うさを彼女は、立花は持っていた。

「どうした、行かないのか?」

「うわっ、びっくりさせんなよ!」

 一の背後から、いつの間にか春風が現れる。背中に嫌な汗が流れていく。ふう、と一は息を吐いた。

「行かなきゃ駄目なんだろうけど、見ろよあれ。怖くないか?」

「成る程な、確かに立花だ。だが……まだ子供ではないか」

「子供だろうが年寄りだろうが、怖いものは怖いんだよ。あー、帰りたい」

 一が、握った缶コーヒーを弄びながら天を仰ぐ。

「心配するな」

「あ?」

「何か起こりそうならば、すぐに私が駆けつける」

 無表情、無感情で。春風は一を諭すように言った。

「……本当だろうな」

「手に負えないと判断すれば、すぐに私は駆けて行く」

「どこにだよ!」

 ともあれ、少しばかりの踏ん切りと、ほんのちょっとの勇気を一は得る事が出来た。後は一歩踏み出すだけ。

 その一歩も、

「ほら、早くしろ」

 春風の、文字通り背中を押す行為によって踏み出す事が出来た。

「分かってるよ」

 ぶっきら棒に答えながらも、一握りの感謝を一は春風に捧げる。

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