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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ブギーマン
39/328

春風は黒く吹く

 一たちが、件の現場に着いて二十分。シルフを飲み込んだ影の痕跡を探し始めて二十分。

「お兄ちゃんって、タバコ吸ってた?」

「……こっちに帰ってから、だったかな」

 フウン、と、ジェーンが電信柱にもたれ掛かる。

 時刻は午後の六時を回った。陽は落ち、辺りは特有の静けさと宵闇に包まれつつある。

 一たちは川沿いの、この道に一本だけ設置されている電灯だけを頼りに、暗い中、影の、シルフの、ソレの手掛かりを探す。

 ガードレールを飛び越え、川にも一は足を踏み入れた。ジェーンに止められるまで。無駄だ、と諭されるまで。ずっと。

「ズボン乾いた?」

「いや、まだ冷たいや」

 笑って、一が煙を吐く。至極、不味そうに。

「……お兄ちゃんは何で、そんなにヒッシなの?」

 ジェーンは、喉から声を絞り出すように、悲痛そうに呟く。

 顔は、上げない。

「必死? 俺が?」

「だって、そうじゃナイ」

「そうかな。ああ、そうなのかなあ。だって、シルフ君とは約束したからな。お菓子をあげるって。だから、多分、いや――」

 一が言い淀んだ。

 きょとん、とした顔で、ジェーンが道路から一へと視線を移す。

「だから、何? 約束したから、お兄ちゃんはソレなんかも助けたいの?」

「まあ、そんなところかな」

「……アタシとの約束は覚えてなかったくせに」

 まるで、恨み言だった。ジェーンはジト目で一を見る。

「う。やめなさいジェーン。可愛い顔が台無しだぞ。大体、本当にそんな約束したか? お前の妄想じゃねぇの? それに、前から聞きたかったんだけど、何でお前勤務外になんてモノになってんだよ」

「お兄ちゃんには教えナイ」

 頬を膨らませ、ジェーンがそっぽを向いた。

「ガキだなあ。じゃあ良いや、違うこと聞く。情報部って何?」

「ホントに違うこと聞いたー!」

「うるさいなあ、早く答えてくれよ」

「……んー。もう、生姜ないなあ、情報部の、何を知りたいノ?」

 ――何を?

 一は迷う。

 何を、知りたいのか。本当は、何を。本当に、何か。

「仕事は?」

「情報部の?」

 煙を吐いて、一が小さく頷いた。

「ウーン。お兄ちゃん、ニンジャって知ってる、よ、ネ?」

「日本人だからって訳じゃないけどな。そりゃ知ってるよ。で、忍者? 情報部は忍者みたいな仕事するのか?」

「……ニンジャがなにをしてるのか、わからないケド」

「そりゃ、アレだ。スパイみたいなもんだろ? 敵の内情探ったり、破壊工作したり」

 良く分からんけど、と付け足し、少し自信が無さそうに、一が言う。

「そんな感じ、なのカナ。とにかく、彼らはクールなの」

「イメージ先行っぽいなあ、そのクールは。ん? ジェーンは、情報部と一緒に仕事した事とかあんのか?」

「イエース。最高にクールだったワ」

「ふうん。まあ、良いや。どうせ会わないだろうし」

 一がつまらなさそうに、自身の吐いた紫煙に包まれた。

「どうして? 会うかもしれないじゃナイ」

「情報部の人たちってのは、最高にクールな忍者、だろ」

 だからだよ、と一が言った。



 密室。

 エレベータは動く。

「……息が詰まりそうだから話しかけてあげるわ。情報部ってどんな奴らなの? 名前だけは色々と聞いてんだけどさ、ほら、他にも戦闘に医療に技術、でしょ? けどさあ、どんなのが集まってんの? それは知らないし知りたいのよねーやっぱさあ」

 階数表示を見つめたままの糸原は、すぐ隣の三森を見ないまま、言った。

 三森は、只管に携帯電話を弄りながら、決して隣の糸原は見ない。そして、声も出さない。返事もしない。

 オンリーワン近畿支部の、情報部へ向かうエレベータの中には、かちかち、と携帯電話のボタン音だけが聞こえている。

「ちょっと、ねえ、シカトしないでよ」

「……窒息しねェの?」

「はあ? する訳ないでしょ」

 三森は、わざとらしくため息を吐き、肩を落とした。

「奴らはさ、汚ェ連中だぜ。情報部なんて聞こえは良いけどよ、人の周りウロチョロして、勝手にその辺を嗅ぎ回ったりする犬みたいなモンだ。しかも奴ら、情報を自分たちだけで処理しやがる。私ら下に届くまでに無茶苦茶こねくり回しやがってンだ」

「え、何をこねくり回すの?」

「おい、おい、おいっ。その手つきを止めろ!」

 にじり寄る糸原の顔面を両手で押さえつけながら、三森が叫ぶ。

 やがて、単純な力では敵わないと悟ったのか、糸原が自分から身を引く。

「冗談じゃーん、ビビッてんじゃないわよー」

「……目がマジだったンだよ。おい、良いか? 情報だよ、情報。あいつらは好き勝手に情報を管理してるんだよ。それこそ、全部だ。そンで好き勝手に改竄したり、自分らの都合の良いようにしやがる」

 本当に、憎憎しげに、三森が言葉を吐き捨てた。

「ふうん。けどさ、自分らの都合の良い様にってさ、私ら勤務外にとっても都合が良いんじゃないの? 何? オンリーワンでも派閥とか、色々面白そうな事があるわけ?」

「……まあ、そうだよ。つうか、本当に楽しそうだなお前」

「いつだって人の不幸は蜜の味よ。ところで、田舎のヤンキーの割には、色々と知ってんのね」

 まあ、な、と歯切れ悪く三森が答える。顔を伏せ、ジャージのポケットにしまった携帯電話を指で弄ぶ。

「ふーん。……情報部。医療部。戦闘部。技術部」

「な、なんだよ?」

「情報部」

「お前、頭おかしいぞ」

「医療部」

「………………?」

 糸原はゆっくりと、一語一句しっかりと発音して単語を並べていく。

「戦闘部」

「技術部」

 最後に、三森の目を見つめながら、糸原は言い切った。

 四つの部署。オンリーワンの支部を構成する四つの部門。情報を司り、医療を司り、戦闘を司り、技術を司る四つのモノたちの名前を。

「……あンだよ……?」

「あんた、昔戦闘部に居たでしょ? っていうか居たよね。あの(・・)、化け物揃いのトコに」

「ンなっ!? ……訳ねェだろ」

「うーわ、陳腐でチンケな反応をありがとうってトコ?」

 何で、と、三森は顔を上げた。まるで、魔術師にでも出会った時のように、奇術師にでも出会った時のように。

「いや、っていうかさ、あんたが居られそうなのって、どう考えても戦闘部だけじゃん。あんたが情報医療技術? 机にしがみ付いてたり、ナース服着たり、技術? うーん、スパナ? あー、とにかく、あんたが物を作る物を持ってんのが想像できないんだけど。ほら、あんたって壊すとか殴るとか、蹴るとか殺すとか、そんなんしかできないでしょどうせ」

「……あー」

 三森は力なく、エレベータの天井を見上げた。横目で糸原を見ると、そこには自慢げな、意地悪い笑顔があった。

 魔術師でも、奇術師でもなければ、占い師でもない。

「詐欺師」

「良く言われるわ」

 笑顔を崩さぬまま、糸原は言った。



 川沿いの道。ソレが消えた道。

 ジェーンは突然、何かに弾かれる様に、下げていた顔を上げ、辺りを見回した。

「え、何だ? どうした?」

 一が驚いて声を掛けるも、ジェーンは返事をしないでうろちょろと、忙しく顔を動かす。

「お兄ちゃん、何か……いるヨ」

「え……」

 途端、一の背中を、得体の知れないモノが這った。ぞくり、と。背中どころか、体全体を震わせて、一が声を上げる。意味の無い声だった。誰に向けたのでも、意味を込めたのでもない。ただ、ただただ恐怖に駆られて声を発したに過ぎない。口を開けたに過ぎない。

「う、後ろっ! 俺の後ろだ!」

 一は何とか、腰を抜かさずに、少しよろけてはいたが、ジェーンの傍まで近寄った。

 ジェーンは一を庇う様に、自分の後ろへ一の姿を隠す。注意深く、慎重にジェーンは周囲の様子を窺った。

 しかし、

「お兄ちゃん、誰もいないヨ?」

 と、不思議そうに漏らす。

「そんな……。確かに、俺の背中を、何かが」

「お兄ちゃんの、背中……?」

 ハッとして、ジェーンは一が居た方角を見る。視線は上。民家の上。屋根の、上。


 そこに、影がいた。


 月光に、影自身の細く、しなやかなシルエットを照らされて。折れそうな程細い手が。折れそうな程細い足が。胴が。胸が。腰が。人間の体が。確かに、そこにあった。影は、腰まで伸びているであろう束ねた髪を、さも退屈そうに指で弄くる。暗くて見えないが、影はリボンのようなもので髪を無造作に縛っていた。

 ごくり、と一は唾を飲み込んだ。何だか、その音がやけに五月蝿く感じられて、屋根の上の人物にもその音が届いたのではないかと、要らぬ心配をする。

「ジェーン、あれは……?」

「多分、ソレじゃあナイわ。もしかして、勤務外? それとも――」

「――フリーランスか」と、一がジェーンの続きを受け持つ。

 一とジェーン、二人の視線は、屋根の上で立ったままの人物へ釘付けになった。

 ――全く、気にしていない。明らかに自分の姿を認められたと言うのに、見つかってしまったと言うのに、影は動じない。くるくる、と、自分の髪で遊ぶだけ。指に髪を巻きつけ、解き、また巻きつけて、また解く。

「…………」

 ちらり、と、影が眼下の、人間の姿を視界の端に捉えた。

 屋根と道路。上と下。

「……勤務外か」

 影は、彼女(・・)は、一たちに聞こえるか、聞こえないかも分からない、そんな事など気にもしていない風に、呟いた。

 一たちから距離を置いて、影が屋根から飛び降り、道路に着地する。屋根から地面までの高さは、優に三メートルはあった。そんな高さを苦にした様子も無く、音も立てずに、あくまでしなやかに、猫のように影は着地した。そして、感情のこもっていない双眸で、影は一たちを見据える。

「……流石、鼻が利くようだな。ジェーンゴーウェスト」

「……っ!?」

 影は、無感情に喋った。ジェーンの名前を、言った。

「え、あ、知り合い、じゃないよな……」

 一は、馬鹿な事を言ったと後悔する。

 驚いているジェーンの様子を見れば、そんな事は一目瞭然だったのに。

「そっちは、にのまえはじめか」

「う、あ、何で?」

「何故? 名前を知っているか、か? それとも、こんな所に居るのか、か? そんな事は決まっている。私が情報部だからだ」

 当然だと、当たり前なのだと、影は主張した。

「オッケー、アー、オッケー。そういう事、あっそう、分かった、了解、ラジャ、オッケー。情報部、アナタ、情報部なのネ」

 ジェーンが何事か捲くし立て、流れる様に喋る。その声は、やけに楽しそうだった。

「ジェーン?」

 一はジェーンの顔を確認しようとするが、なぜか足を踏み出せないでいた。自然、庇われたままの格好になる。

 楽しそうなジェーンに対して、影は、表情を出さずに、感情を出さずに言う。

「……オンリーワン近畿支部、情報部二課実働所属の春風麗(はるかぜ うらら)だ。性別は女。年齢は二十五。利き手は右手。利き脚は左足。利き目は右目。好きな食べ物はカレーライス。嫌いな食べ物は甘い物全般。身長は百七十六、六センチメートル。血液型はA型。誕生日は――」

「待て! 待って待って待って! あなた、一体、その、何なんですか?」

 一が大声で口を挟んだ。

「――何、とは?」

 影が、初めて表情を見せる。全く持って、不機嫌ここに極まるといった顔だった。

「いや、あなたが情報部の人ってのは分かったんですけど、何で、その。余計な事まで言うんですか? 今、この場に相応しくないと言うか、マジで要らないっつーか」

 誕生日なんて聞いてもどうしようもないです、と一が、本当に困った顔で言う。

「……私は情報部だからな。ちなみに、趣味は少年誌の立ち読みだ」

「別に聞きたくねえよ!」

 一は、目の前の、春風と名乗った情報部が、自分よりも年上の人間だと知っていた(今、この場で知らされた)が、それでももうこの人物に敬語を使いたくは無かった。

「随分と、お喋りな情報部なのネ」

 皮肉っぽく、ジェーンが笑う。

 その笑みを受け、春風は「ちなみに」と前置きしてから、

「嫌いな人間は、勤務外。特に、にのまえはじめだ」と、淡々と言い放った。



 オンリーワンの各支部を構成するのは――つまり、土台となり、骨となるのは――、医療部。情報部。戦闘部。技術部。これら四つの部署だ。四つに分かれた各部署は、更に部署ごとによって、「課」に分けられる。大体が、一部署につき、三から四の課に分けられる。ひとつの課は、五、六人のメンバーから成る。課長が一名。デスクが数名。実働が数名。デスクとは、そのままデスクワーカーを専門とする人材を指し、実働とは、実際にソレが現れた場所へ向かい、実際に対応する人材を指し、課長とは、責任を取る人材を指している。

 基本的には、どの部、どの課も、変わらない。

 そして、各部には長がおり、各部の長を集めた部署が、司令部と呼ばれている。重大な事が発生した場合に、最終的な決断を下すところ、と呼ばれている。

 が、近畿支部が出来てから、司令部が使われたことは無い。



「きったないわねー」

 情報部一課のオフィス。

 壁には、天井には大小さまざまな大きさのポスターが貼られ、床一面には、散らばる書類、ペットボトル、スナック菓子の袋。少年、少女を問わず漫画誌、単行本。ハードカバーの小説。小冊子。裸のCD、DVD、空っぽのケース。ゲーム機。

 それらを踏みつけ、糸原はうんざりした様子で呟いた。

「だから言ったろうが、汚いってよ」

 三森も、後に続く。

 招かれざる客。二人の侵入者を、部屋の隅で呆然と見る者が、一人。丈に合っていないスーツを着て、縁の黒い、厚みのあるレンズの眼鏡を掛けた男だった。体格は、中肉中背。オンリーワン近畿支部、情報部一課デスク所属、田村薫、三十三歳、妻子あり。マイホーム無し。

「ン? ははっ、丁度いいや、あンたしかいねぇんだな? おい、ちょっと私らの頼みを聞いてくれねえか?」

 三森が机越しに、デスクトップ型のパソコンにしがみ付いたままの、くたびれたスーツを着て、眼鏡を掛けた、如何にもサラリーマンといった出で立ちの男、田村を発見し、接近する。

「な、なななな! き、きみ、君たちは一体何者何だ!? 許可無くオンリーワンの近畿支部、しかも、よりにもよって情報部、しかも、まさか一課へ勝手に入ってくるだなんて! ひ、ひひひ非常識にも程がある! 出て行きたまえ! って、ひっ、ひひひひいっ、すいません! 申し訳ございません!」

 やたら甲高い声で喋る田村を、三森は目で黙らせる。

「おい。謝ンなくて良いからよ、頼みを聞けって言ってンだ」

「た、たた頼み、ですか?」

 しかも、既に敬語だった。

「おうよ。ちょっとばかし、『影』について教えてくれや」

「か、影? かかか影って言いますと、ま、まままさか……」

「もったいぶった言い方すンじゃねえよ、面倒くせえな」

 三森がガンを飛ばす。

 田村は、その眼光に気圧されていたが、「いや、ですが、しかし。それは無理です」と、額に汗を滲ませながらも、気丈に答えた。

「……何でだよ?」

 田村を射抜く、鋭すぎる視線。

 う、とか、ああ、とか、田村はもごもごと口を動かしていたが、

「それは、その、私が、情報部だからですよ」

 と、やはり気丈に答えた。

「ふーん」

 三森がポケットから、煙草を取り出す。指の腹と腹を擦り合わせ、火をつける。

「えっ?」

 そんな田村の顔色が、一瞬にして変わっていく。青く、青く、深い蒼に。

「あなた、まさか……」

まさか(・・・)が好きらしいな。そうだよ、久しぶりだな情報部」

「せ、せせせ戦闘部一課の、火鼠(ひねずみ)? な、何だって今更近畿支部(こんなところ)に?」

 だん、と、三森が机に拳を叩き付けた。

 その音と行動に驚き、田村が目を瞑って小さく呻く。

「火鼠、蜥蜴人間(サラマンダー)、赤鬼。はっ、どいつもこいつも懐かしいあだ名だぜ」

「な、ななななんで? なぜなんですか? あなたが、なぜ?」

「言ったろうが、影について聞きに来たンだ」

「そ、そそそれでも、わ、私は情報部です。だだ――」

 だから、と続けようとした田村の視界に、糸原が映る。机の上のノートパソコンを立ち上げ、マウスとキーボードを触る糸原が。悠然と椅子に深く腰掛け、髪を手で梳く糸原が。

「何を!?」

「ねえ、ロック掛かってんだけど。パスワード教えてくんない?」

「はぁぁ!?」

 田村が絶叫した。

「は、ぁ、ぁ、と。あれ? 何よ駄目じゃない。ちょっと適当言わないでよ」

「パ、パパパスワードを教えるわけないじゃないか! 勝手にぼ、ぼぼぼくのパソコンに触るな!」

 田村は自分のノートパソコンまで小走りで近づき、触ろうとした瞬間、糸原に腰を蹴られ、ごみや書類やらで散乱した床に尻餅をつく。

「く、くくくそっ! 何だって僕がこんな目に!」

 悪態を吐き、田村が周りの書類を乱暴に払い除けた。

「あ、ロック外れた」

「え?」

 ぽーん、と無機質な機械音が鳴った。やがて、暗かったディスプレイのスクリーンは、徐々に青みを増していく。透き通るような、青。スクリーンには、画面いっぱいの青空をバックに、画面いっぱいの、少女のキラキラとした笑顔が映し出された。

「あああああああ! なんでどうして!? そんな馬鹿な!?」

 田村が声を張り上げた。

「何よこの壁紙、もろアニメじゃん。あ。あー、これ見たことあるわ、日曜の朝やってる奴じゃないの? 杖振り回して、マジカルマジカルー、とか言ってる女の子のだー。へー、可愛いなー、ねえねえ、ヤンキー見て見てー」

 田村薫のデスクトップで、二次元の少女が笑っている。屈託なく、無邪気な瞳をした少女。

「やめてくれええええ!」

 心からの叫びだった。

「……何でてめぇはンなもん知ってんだよ」

 三森を呼び寄せ、楽しそうに、けらけらと糸原は笑う。

「夜勤明けに仮眠室で見てたのよ。ね、ねえねえ、この子の画像って他にはないの?」

「もう良いじゃないか! 分かったよ分かりました! 影の事なら教えますから!」

 田村が力なく、頭を垂れる。

「お、何だ、良いのか? そりゃ助かるな。とりあえず、お前ら情報部が掴んでる事、一から説明しろ」

 三森が田村の襟を掴んで、無理矢理立たせる。

 田村は、静かに泣いていた。



 一は、ジェーンの横に立ち、正面の女を見た。

 自身を情報部だと、春風だと、そう名乗った女。全身を黒いボディスーツに身を包んだ女。改めて見ると、女は細く、強い風が吹けば今にも折れて、飛んでいってしまうんじゃないかと、そう思わせるぐらいの体つきだった。掴んでしまえば、力を込めて抱けば、それだけで、 それだけで。

 均整の取れた春風の顔に、表情は、ない。変わらない。何も、ない。

 寒くないのか、と一は聞こうとしたが、「……俺が嫌い?」と、先に聞いてみる。

「そうだ」

 冷たい声と、冷たい雰囲気を、春風は一に届けた。そして、冷たい視線。底冷えするような、視線だった。真冬の川の水温なんて、冬の風なんて高が知れてる。一はそう思う。

 そして気付く。

「さっきから、ずっと見てたのは?」

「私だ」

 得体の知れない物の正体を、一は確信した。

 視線。冷たい視線。

「隙あらば殺そうと思っていた」

 春風は、事も無げに言う。一の背中に向けられていたのは、春風の視線ではない。

「あなたとは、初対面の筈なんだけど」

「そうだ」

 向けられていたのは、敵意。殺意。圧倒的な、一に対する悪意。

「……恨まれる覚えも、殺されるいわれも無い筈なんだけど?」

「死ぬ事に理由が要るのか?」

「出来るなら。けど、俺はあなたには殺されたくない」

「そうか。私はお前が嫌いだ(・・・・・・・・)

 影が走った。

 その姿を認め、ジェーンが一の前に出る。

「お兄ちゃん!」

 ジェーンが一の体を後ろへ押したのと同時、鈍い音が響いた。黒いものを、ジェーンの腕が掴んでいる。

「……流石、足が速いな。ジェーンゴーウェスト」

「ハルカゼ、情報部のくせに、何のつもりカシラ?」

 黒いものは、春風の足だった。

 春風は直立姿勢のまま、左足だけを高く上げている。

 その足を、ジェーンが掴んでいる。

「炎を自在に操る勤務外、火鼠、三森冬。タルタロスからの生還者、裏切屋、糸原四乃。最悪の盾の所持者、一一。アメリカ支部のエース、狼女、ジェーンゴーウェスト。北駒台のSV、堀。二ノ美屋。異質が揃いも揃ったものだ」

「アタシはっ、理由を聞いてるの!」

 春風の足を握った手に、ジェーンが力を込める。

 刹那、ジェーンの腹を、春風の右足が突き刺した。鋭い痛みが走り、思わずジェーンは手を離す。

 自由になった両足で、春風は地面に立ち、ゆっくりと、たっぷりと距離を空けた。

「その中でも、一一。お前は最悪だ(・・・)。北駒台の中でも、警戒すべきは、唾棄すべきは、死ぬべきなのは、三森冬でも糸原四乃でもジェーンゴーウェストでも堀でも二ノ美屋でもない。お前だ、一一。私は、お前が嫌いだ、一一」

 そして、淡々と告げる。

「な……。何を言ってんだ、あなたは?」

 一は蹲るジェーンを支えるように、すぐ隣に立つ。しかし視線は春風へ、「敵」へと向けたままだ。

「けほっ、お、お兄ちゃん、あいつ……」

「……あなたは、オンリーワンの人だろ。俺たちに、何の恨みがあるってんだ……?」

 分からない。

 判らない。一は、目の前の情報部が、春風麗が解らない。

 ふっ、と口元に笑みを湛えて、春風は言う。

「言ったろう。私は、一一、お前が嫌いだと」

「……っ! 嫌いだったら、あんたら勤務外は人を殺しても良いってのかよ!」

「勤務外?」

「え、あっ、あれ」


それ(・・)も私は嫌いだ」


 黒い風が奔った。

 一の動体視力でも、ぎりぎり捉えられる動きではあったが、あくまでぎりぎり、捉えるだけ。

 結局、一には、そこから先どうすることも出来なかった。 

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