ガーゴイルは屋根の上に佇む
「どちらまで?」
「駒台大学だ。飛ばしてくれ」
タクシーの運転手は頷くと、車を発進させた。鈍いエンジン音が車内を包む。
「間に合いますかね?」
「知らねェよ」
後部座席に一と三森が並んで座っていた。
窓の外を不機嫌そうに、三森が睨むように眺めている。
「……さっきの人たち、勤務外、じゃないですよね?」
「知らねェ。けど、見たことない連中だったからな、オンリーワンの勤務外じゃねー事は確かだ。フリーランスじゃねェの? ああ、畜生、ムカつくったらねーよ」
「あの二人。ソレだとか、日本で戦うのは初めてだとか、色々、っぽいことは言ってましたね。何か、強そうには見えませんでしたけど」
一が冗談っぽく言った。
三森が一をジッと見る。
「言うようになったじゃねェか」
「……すいませんでした」
一が頭を下げた。
「蜘蛛に勝ったからって調子に乗ンな。アレはお前の力じゃねェ、傘の力だ。お前は強くも何ともなってない、何にも変わってねェンだからな」
「……はい」
頭を下げたまま、一が謝る。
その姿を見て、罰が悪そうに三森が頭を掻いた。
「ま、何だ。その、わかりゃ良いンだよ。ああ、後な、フリーランスはヤバイって事も覚えとけ。奴らはあんなナリしてやがったが、ンなの関係ねェ。外見が人間でも、中身は人間じゃねえからな」
「どういう意味ですか?」
「……お前、勤務外の私をどう思う?」
三森が自身を指差す。
一は顔を上げ、じっと三森を見つめた。三森の姿。短い金髪、赤いジャージ、背丈は一より小さい。
それと。
「早く言えよ」
「目つきが悪いですね」
三森の目つきが悪くなった。
「私は、そういう事言ってンじゃねェ。こっからぶっ飛ばすぞ」
「……冗談でした」
「ンで?」
改めて、一は考える。
勤務外。ソレと戦う人外。異能者、異端者、異常者。オンリーワンの狗。金で命を賭ける存在。一般人からは、畏怖され恐怖され尊敬され信奉され、疎まれる。迫害の対象。
「俺は、別に何とも思わないです」
一が事も無げに、そんな事を言う。
そんな事を言うから。
「ンなのはいらねェ。じゃあな、私を初めて見たときどう思った?」
「……怖かったです」
「……あっそ」
「だよな、そうだよ。ま、それがフツーだよ。一般の、まともな考えだ」
適当に一が相槌を打つ。
「勤務外はヤバイ、人間じゃねェ。そう奴らは思ってんやがンだ」
奴ら、と三森は憎憎しげに、腹立たしげに言い放った。
「俺は、だからそんな風にはもう」
「分かってンよ知ってンよ。だから私とこうやって喋っていられる。だろ?」
「……そう言う意味でもないんですけど」
「けどな。フリーの奴らは違う」
舌打ち。
「あいつらは私ら勤務外とは全然違う。ヤバさで言やァ比じゃねえ。半端ねえ。いや、そもそも比べるレベルでもねェか」
「そんなにフリーランスの人たちは怖いんですか?」
「勤務外ってのはオンリーワンのバイトだ。雇われ。言いたかねーけどさ、結局は駒でしかねェんだ。基本的には上からの指示に従って、好き勝手にソレと戦ったり、シフト通りに、好き勝手できねーのさ」
「でも三森さん、最近は好き勝手やってませんでした?」
仕事に来なかったり、蜘蛛戦でも後から美味しいところを持ってったり。
「私は良いンだよ」
一がそう言おうとしたら、一蹴された。何となく、話を反らすように三森が続ける。
「勤務外には、まあ、最低限、ルールがあンだよ。規則原則、私の嫌いな言葉だけどな。嫌いだけど、しょうがねェとも思う。私ら勤務外はソレと戦える力があンだ。そういう奴らを、ソレと戦ってくれるからって、野放しにしておくのもマズイってのは分かる。繋いでおきたいんだろうよ。犬には首輪付けて飼わなきゃ駄目だろ? 勝手に通行人に襲い掛かるかもしンねーもんな」
「…………」
「……お前、余計な事想像してねェだろうな?」
「滅相も」
「……。とにかく、勤務外ってのはオンリーワンのルールン中で動いてる。動かされてる。けど、私はそれで構わねェ。食うのにも、寝るのにも、何にも不自由しねーしな。ソレに殺されない限りは目ェ瞑ってても生きていける」
一が相槌を打つ。
「話、少し変えるけどよ。お前、北駒台店に来るとき面接してもらったか?」
「バイトのときですよね? ええ、してもらいましたよ。ちょっと、適当っぽかったですけど。って言うか、それが普通でしょう。アルバイト雇うなら、履歴書で書類審査。面接で人間審査。適当に名前も顔も性格も知らない奴を雇うなんて、滅多に無いですよ」
「店長は適当そうに見えて、実はしっかりやってンよ。あの人は目も良いしな。ンで、オンリーワンに雇われるってのは、本当はすげェ事だぞ。何つってもソレと最前線でやり合ってるトコだからな。向こうとしちゃあ力のある奴は欲しいけど、それだけじゃ駄目だ。奴らが欲しいのは犬だ、野良犬でも狂犬でもねェ。出来れば飼い犬、良ければ番犬忠犬。飼い犬に手を食いちぎられるのはゴメンだ、だろ?」
「確かに、幾らできる人でも、扱いづらい、そもそも従ってくれなくちゃ話になりませんもんね」
「ああ。勤務外は、少なくとも、少しは選ばれた人間だ。中にはやり辛い勤務外も居るけどよ、その分強いし、扱いづらいっつっても底が知れてら、無理じゃねェ」
「……じゃあフリーランスは?」
一が固唾を飲む。少し、嫌な予感。
「無理なンだよ」
三森の鋭い声。
「フリーの奴らは、オンリーワンじゃ手に負えねェ。オンリーワンのルールに従わない、従えねェ、最低限の規則すら守れないカスだよ。飼うこともできねー、飼おうとも思えない非人間だ」
「そこまで言いますか」
「言い足りねえよ。じゃあな、お前、ソレと戦えって言われたらどうする?」
「……いやです。俺はまだそんなのに慣れてませんし。三森さんとは違って」
「お前、勘違いしてるから教えてやるよ。良いか、私だってソレとは戦いたくねェ、ハッキリ言や、私だって嫌だ。普通に一般人みてェにダラダラ訳分かんねーまま過ごしたい」
「嘘だあ……」
「嘘じゃねェよ! お前私を何だと思ってやがる!」
「……」
「黙ンなよ、考えンじゃねえよ!」
三森の怒鳴り声が車外に漏れる。タクシーの運転手は黙ったまま、ラジオを入れた。軽そうなDJの軽そうな声がスピーカーから聞こえてくる。
「ちっ、もう良いよ。お前には何も喋ってやらねェ」
「ああ、すいません。もう言いませんから。フリーランスの事教えてください」
「反省の色が見えねェンだよな……」
「そんな色見たこと無いですけどね。ちょっと青っぽい感じっすかね?」
楽しそうに一が笑った。
「……もうどうでもいーけどよ。じゃあ、さっきの続きだ。ソレと戦うのは嫌だ。誰だって、勤務外だってな。けどフリーランスはそうは思ってねェ。勤務外と違って、保険も手当てもクソも、何一つ保障されてねーからな。フリーの連中が保障されているのは、その腕、強さだけだ。ソレと戦える、ってトコだけ」
「はあ、具体的には、どうやってフリーの人たちは生活してるんですか?」
「ソレ一匹、ン万円。ソレのランクにもよるけどよ。奴らはソレを殺して、金を貰ってやがる。だから奴らは、私らとは違って、喜んでソレと戦って殺す。てめェらの食い扶持だかンな。ソレのいる所に湧いては失せて、失せりゃ湧きやがる。何時でも、何処にでも、何にも関係ねェ。ゴキブリみたいな、いや、ゴキブリの方がマシか」
酷い言われ様だ、と、一は思う。
だが、そこまで言われるフリーランス。勤務外である三森にそこまで言わせるフリーランス。一にも、連中の姿、のような物が分かってきた。
「でも、俺から言わせて貰えば、正直勤務外の人たちとフリーランス。大差無い気がしますけどね。どっちもソレと戦えるのに変わりありませんし」
「まあ、一般の、外から見てる奴らには変わりねーだろうさ。けどな、大差が無くても、確かに差はあるンだ。中の私らから言わせりゃ、充分、デカイ差なんだよ。あいつらは私らとは違う。勤務外は、少し、ほんの少しでも、人間なんだ。ギリギリ人間の部分が残ってるンだよ」
人間。非人間。
非常識。常識。
正常者。異常者。
アウト。セーフ。
勤務外。フリーランス。
――それでも。
「……そういや、フリーランスにお金を払ってるのは誰なんです? 国、とか?」
「あ? 何で国が金払うンだよ? あいつら心底使えないのによ。ンな事してくれねーよ」
「じゃあ、誰が?」
「おいおい、決まってンだろ。ソレ退治の専門家、金の亡者、天下のオンリーワン様に決まってンだろうが」
「はあ!?」
一の叫ぶような声。
一瞬送れて、タイヤが道路を擦る音。甲高いブレーキ音が辺りに響いた。
「お客さん、着きましたよ」
大きな建物、綺麗な広場。
一が窓の外に目を遣る。
若い男女が肩を並べて歩き、スーツを着た男性が歩き、グループで、一人で、若者が歩いていた。
「ああ」
感慨深げに、一が声を漏らす。
駒台大学。そこは一の通っている大学だった。そして、その近くの、裏の山にはソレがいるかもしれない、そんな大学でもあった。
「金はこいつが払うから」
言って、三森がドアを開ける。
「え? ちょっと、普通ワリカンでしょ!」
「るっせェよ!」
三森は、既に歩きながら煙草を吹かしていた。
「……お客さん?」
「…………領収書、ください」
駒台大学。
四年制の、一般的な大学。駒台坂、通称駒坂の中腹に建てられた、創立三十周年を誇る学校である。
三十。
多いのか、少ないのか、短いのか、長いのか。
生徒数は、一学年、約千人。合わせて四千人。多分、全国津々浦々存在する大学の中では、規模はそれほど大きくない。はず。最近では、一、ニ学年がこっちのキャンバス、三、四学年はこっちと、生徒数が多いために分けている大学も少なくない。何しろ、一つのキャンバスに全学年全生徒が収まるのだ。駒台大学の大きさは推して知るべし、だろう。
「学校ってのは、どうして、山の上や坂の上に作りたがるのかねェ」
「さあ、土地が安いんじゃないですか? 後は、生徒を登下校のときでも鍛えられるように、とか」
「私なら、ンな学校行かねェけどな」
「あはは、俺もです」
下らない話をしながら、一と三森が坂を登っていく。
擦れ違う人も、追い抜く人もいない。
何故か、答えは簡単。学校の上には誰も行かないから。山しかない。
「どうして、裏山の入り口まで乗せてもらわなかったんですか?」
「ソレが近くにいるんだぞ? 巻き込んだらヤベェだろうが」
「……なるほど」
しっかし、と、呟き。疲れたなあ、と、ぼやき。一は足を動かすたびに文句を零す。
「はあ、しんどいなあ」
「なら、ここで待ってるか?」
先導する三森が足を止めた。
一は三森まで追いつかず、その場に、同じく立ち止まる。
三森は黙ったまま、一の眼を貫くように見つめていた。
息が止まる。思わず、息が止まりそうになる。一は視線を地面に落とし、小さく息を吐いた。
「行きますよ」
「だるいンだろ? じゃあ来ンなよ」
「いや、行きますって」
一が歩く。
「巻き込みたくねーっつってンだろが……」
「何か?」
「行くぞボケナス」
小さく舌打ちした後、三森が歩き出す。歩幅はさっきより広く、速度はさっきより速く。
「待って下さいよ」
「早くしろー」
二人が坂を五分も歩くと、緑が増えてくるのが分かった。
草、花、木。緑、白、緑。
「目に優しくなってきましたね」
「体には優しくねェよ。あぁ、くそ、何で山なんかにソレが出やがるンだ」
「あー、百パーセントいるとは限りませんけど」
足を動かし口を動かし、二人が只管、坂道を歩く。段々と、舗装された道が少なくなって、山道、と言うか獣道になってきた。
「何か、歩きづらいんですけど」
「しょうがねェだろ」
獣道を選んでいたのは、前を歩く三森だった。
そう言えば、裏山に行くとは聞いていたが、一はまだ、裏山のどこに行くかは聞いていない。頂上か、中腹か、すぐそこなのか。
山道を、森の中を、鬱蒼としてきた草の中を二人は歩く。
「まるでジャングルだな……」
こんな場所が、すぐ近くにあったのか、と一は思う。
――そんな馬鹿な、って話だよホント。
ふと、一の目に不自然な物が見えた。
重く光り、鈍く輝く何か。自然物だけのこの場所に、気配を見せた人工物。
「三森さん、今何かいませんでした?」
「そっか? なンも見えなかったぞ」
「うーん、像って言うんですか? とにかく、何かいました」
「ふーん。目ざといな」
「うーん?」
前を歩く三森が息を吐いた。指と指を擦り合わせ、炎を灯す。
山火事になるのではないか、と、一が慌てて止めようとする、
「心配すンな。もう着いたよ、変わってねーなあ、ここは」
が、三森は平然とした様子で、煙草に火を点けた。
「……ここは?」
山の中。
とは、異なる空間。
三森が、開けた場所に足を踏み出す。
周りには殆ど何も無い。
「どうした? 来いよ」
日が差さなかった木々の下を抜け出し、誘われるように一が陽光を浴びた。
「ここは?」
もう一度、一が尋ねる。
「頂上だよ」
「え? もう、頂上に着いたんですか」
「まあ、タクシーと徒歩で大分距離稼いでたしな。山は意外と、そンな広くねーんだ」
改めて、一が広場を見回す。この場所だけ、背の高い木は伐採され、陽が照るように設計されているようだった。広々とした、子供が悠々と走り回って、飛びまわれて遊べるぐらいのスペース。いや、大人でも充分にそれは可能だろう、そんな広さだった。走り回って飛び回る大人を見たいとは、誰が思うか知らないが。
そして。
一際目立つ、と言うか、この広場には、もうそれしかなかった。
「洋館……?」
ツタが生えた、コケの生した湿っぽい、それっぽい壁。洋風建築の、二階建ての住居らしき建造物。
「ってか、異人館だろうな」
「異人館ですか? へえ、道理で古いわけですね。でも、何でこんな所に?」
「いや、昔はもっと綺麗な土地だったんじゃねェの? それにこの手のモンはこういう、高台とか、町外れにしか建てられなかったンじゃねえ?」
「ああ、内地雑居の後に建てられたのかな」
一が面白そうに呟いた。
「何? 興味あンのか?」
「まあ、男なら、こういうモンに惹かれるのは当然ですよ」
ふうん、と退屈そうに三森が目を細める。
「それより三森さん、異人館とか良く知ってましたね」
「ああ、婆ちゃんに教えてもらったンだよ。確か、えーと、あ。いいや、忘れた」
「あ、そ、ですか」
一が洋館、もとい、異人館を眺めた。
「それより、お前さっき何かいたとか言って無かったか?」
「ああ、気のせいでした」
「あンだよ、面倒な奴だな」
「いや、だってこんな所にこんな館があるなんて思ってませんでしたし。良く似合ってますよね、あの銅像。すげえ格好良いな、良いなあ。俺の住んでるアパートにあんなんあっても、何か趣味悪いとか、不恰好だし」
一が洋館を見上げる。
「……像?」
「ええ。ほら、あそこ」
一が指差す先には、洋館の屋根。その屋根の上、背中に翼の生えた、グロテスクな容姿をした銅像が、番をするかのように佇んでいた。
「金持ちっぽいなあ、良いなあ」
「おい」
三森の表情が歪む。嫌なものを見たときのように、嫌いな奴でも見かけたときのように。
「ありゃ、像じゃねェぞ」
その言葉を受け、一が像をもう一度見上げた。
笑っている。
動かないはずの銅像が、動けないはずの銅像が、笑わないはずの、笑えないはずの。一の方を振り向き、グロテスクな顔を薄く歪ませ、笑う。確かに笑っている。
「……嘘だろ」
洋館に溶け込むように、確かに、ソレはいた。
笑う。嗤う。哂う。
声を上げずに、何も言わずに喋らずに、顔だけで笑うソレ。やがて、ソレは一たちの反応に飽いたのか、元の位置に戻る。街を見下ろすかのように、見渡すかのように、ソレは街に目を向けた。
「ははっ、やったぜ、おい。チビも来てねェ。フリーランスもここにはいない。いるのは私らだけだ。やってやろうじゃねェか。なあ?」
そう言って、三森も笑う。
――でも。
だが、一は答えない。
先ほどの翼を持つ、銅像の姿をしたソレ。
あの笑いが脳裏から、離れない。
――ソレが、笑うのか?
一は、既にこちらを見ようともしない異形を見つめる。
先ほどの、あの笑い。
人を食ったような笑い。
人を馬鹿にしたような哂い。
人を見下すような嗤い。
知性が宿った、わらい。