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Battle to pay the debt



 カップ麺を啜っていたエレンが動きを止めた。フェンリルが心配そうに彼女を見つめる。

「のど、つまった?」

 エレンは窓の外を見やり、口の中のものを飲み込む。

「まずいことになったかも」

「……これ、わたしは好き。おいしい」

「カップ麺じゃなくて」

 フェンリルは汁まで飲み干して空になった容器をさみしそうな目で見た。

「あの城のことよ」

「あのへんてこなやつ?」

 そう。頷き、エレンは湯飲みに口をつける。

「あそこからは……何か、混じったような……ごちゃごちゃにしたような……でたらめな感じの魔力が漏れ出ていたんだけど、やっと分かったのよ。雑然としていて気づかなかったけど、あの魔力の正体、それは願いよ」

「ねがい?」

「この世で最も純粋で、無垢なものの一つ」

 フェンリルは小首を傾げた。

「だれが、だれにお願いしたの?」

「誰かしらね。けれどお願いした相手は分かる。神さまよ」

「エレンみたいな?」

「どうかしら。私は人にものをお願いされるようなものじゃないけれど、そういう神さまだっているわ。その願いがどのようなものであれ、その願いに応えようとするものは必ずいる。困っている人を無視できないお人よしがね」

 エレンは知っている。

 自分たちのような神や化け物が存在できるのは人間がいるからだ。彼らが『神はいる』と認識しているからこそ存在が許されている。そして名のある神は人間の厚い信仰心によって支えられている。誰にも見られない、知られていないものは存在しないのと同じだ。

 神は寛容だ。特に自分を信じるものに対しては。

「しの、大丈夫かな」

「あの子なら平気でしょう」

 たとえば、一なら神を味方につけるが糸原は神を信じていない。その力を当てにしていない。エレンやフェンリルのことをそう認識していても、彼女の中では同居人というくくりに分類されているだろう。だから彼女は相手が神でも関係なく敵に回す。

「しのは弱いから」

「……殺されかけたくせに」

「だれが? ……わたしが? わたし、弱くない」

「でもシノに怒られると大人しくなるじゃない」

 フェンリルは肩を震わせた。

「それはしようがない。怒ると、しのはこわい」

「そうね、怖いわね」

 エレンは微笑んだ。



 竜宮城の教会を襲っていた長い揺れが収まった時、誰も動けなかった。みな、これから起こることを予測していたのかもしれなかった。

 立てないままだった北駒台店のメンバーをよそに、深松良子はステンドグラスから漏れる光を受け、教会の壁を眺めるようにしていた。傍らに少女を従えたその姿は、一種、荘厳だった。

「始まるわ」

 亀裂の入っていた壁が溶けるようにしてなくなった。見える空は青く、風が吹き込んでくる。ややあって、暗がりが穴を塞いだ。

「何、あれ」

「見るな」

 店長が皆に視線を配った。

「直視は避けろ」

「……だから、あれは何なの」

 誰も分からなかった。ただ巨大な何かが自分たちを覗き込もうとしているのは分かった。

 黒く、暗い。茫とした容は定まっておらず、ブレて見える。漆黒の靄から異音が発せられ、触手のようなものが伸びた。数十本ものそれは立ちすくみ、まともな戦闘態勢を取れない北駒台店のメンバーに襲いかかる。この場にいる店長も、立花も、姫も、ナナも、パァラも、半神である堀でさえ得体の知れない恐怖に身動きできないでいた。

 伸びる触手の先端はむやみやたらに暴れ回って壁を、床を、天井を叩く。そのたびに自身の肉が剥がれていくも、妙な形に収まりつつあった。それはこの竜宮城で死んでいった須部村、海華、ラーヤ・ラーヤ・深松健太郎の姿をしていた。

「『教団』は不滅よ。どのような形であれ、あなたたちを葬るわ。根こそぎね」

 深松は艶然とした笑みを浮かべた。



 竜宮城の外にいたナコトとシルトには、それの全体が見えていた。竜宮城の周囲に、絡みつくようにして存在する黒い靄。見えているはずなのにはっきりとした形は分からない。しかし、それでよかったとナコトは思った。彼女は吐き気をこらえながら、その場に屈み込む。あんなものをまともに直視することになれば、きっと気が触れてしまう。頭がおかしくなってしまう。

「……だって、いうのに……」

 ナコトはシルトをねめつけた。睨まれた彼女は不安そうにナコトを見返す。

「大丈夫? 水飲む?」

 ナコトは竜宮城を見ないようにしつつ息を整えた。

「あなた、どうして平気なんですか……」

「さあ? つーかなんでそっちこそ、そんなしんどそうなん?」

「あ、アレを見て自然にいられる方がおかしいんです。このままあれを野放しにしておいたら、街中の人が狂ってしまいますよ」

 もう遅いかもしれない。今、駒台中の人間が竜宮城のことで盛り上がっている。この街のどこからでもあの城は見える。見えてしまう。

「見て、か。でも、霧っつーか、煙っつーか、輪郭ぼやけてて何が何だかよく分かんないよね。アレってなんなんって感じで。黒くてでけーってのは分かるけどさ」

「神でしょうね、アレは」

「あんなボヤっとしたのが? ……『教団』はあんなのを呼び出そうとしてたの?」

 不完全とはいえ、神は神だ。事実、ナコトはまともに戦えそうにない。宇宙的恐怖を象徴するモノなのだ。はっきり見えないとはいえ、タコに似た頭や触腕、鉤爪のある手足やぬめった鱗などは見え隠れしている。あれこそが『教団』の悲願、復活を熱望された唯一無二の存在だ。

「世界が『見る』のを拒んでいるんです。あんなものが本当に見えてしまったら、私たちは……人類はきっと終わってしまう」

「でも、ヒルデさんたちがあっちにいるんだし、どうにかするって」

「どうにかって……離れたところにいるあたしがこうなんですから、それよりもっと間近でアレを見た人なんて、人でなくなってしまう」

 ナコトは不安に陥っていた。そんな彼女を見下ろし、シルトは能天気な笑顔を作った。



 閃いたのは大鎌の刃だった。縦横無尽に暴れ回る触手を切り払い、『教団』メンバーの形をした先端を刈り続ける。ヒルデであった。彼女は恐怖で身動きの取れないものを庇いながら戦っていた。

 深松は狼狽した。かの神を前にして戦意を維持できるものがいるどころか、戦い続けるものの存在など予想の外にあった。何かの間違いか、或いは既にヒルデの気が違っているのか。

 鎌は冴えを増す。教会の中央で戦うヒルデは嵐のようだった。繰り出される一撃は鋭く、振り回される得物の風圧は触手の体液、その一滴すら寄せつけない。

「…………立ちなさい」

 ヒルデは鎌の柄を床に突き立てて皆を見回した。彼女は酷だと分かっていながらも続けた。立てと。戦えと。やがてヒルデの足元から光が溢れる。色は定かではない。時と共に赤や青、緑や紫と移り変わる。それは極光オーロラであった。極光は教会中に満ちていく。

「戦いなさい人の子よ。まだ戦士として館に招かれる時ではない。あなたたちには戦乙女と暁の女神がついている」

 極光に包まれたものは、戦乙女の言葉を確かに聞き届けた。

「冗談じゃない……!」

 深松が、揺れる極光を拒むかのように後ずさりした。彼女は理解したのだ。神の存在に中てられて無事な人間はいない。

「人でなしが人の言葉を喋るなァ!」

「どっちが人を外れたものか!」

 戦列に復帰したのは堀である。半神の彼は槍を振るい、押し迫る触手群を跳ね返す。

「化け物が意見なんて許されるはずがないでしょう!?」

 深松の怒号じみた叫び。神が彼女に味方したか、触手は数百を超える数でもって北駒台店の面々に襲いかかった。

 弾丸が触手を撃ち砕いた。ナナとパァラの放つガトリングガンに続き、姫が骨の弾丸を四方に飛ばす。弾が散った後には刀が続いた。戦乙女の鼓舞に皆が立ち上がったのだ。

「火力は敵正面に集中させろっ」

 触手どもは壁に空いた穴から伸びてくる。その向こうにいる黒い神はいまだ健在だ。

 弾雨を潜り抜けた触手は堀やヒルデが仕留めた。立花は飛び道具を放つものたちの盾となり、触手の先端を斬り落とす。ソレの数は明らかに減りつつあった。

「妹!」

「何よ! ……ああ、そういうこと!」

 ナナとパァラがガトリングガンの掃射を止め、二人してスカートの中に手を突っ込んだ。そこから取り出したのは武器のパーツである。彼女らは素早くパーツを組み立てていく。

 二人の意図に気づいた立花と姫は道を切り開こうと敵の排除を試みる。

「行って!」

 自動人形が二人、駆ける。彼女らの左右からは触手が迫っていたが、堀とヒルデが飛びかかって行く手を防いだ。進路はもう開けていた。

 全長二千ミリ。重量は三十キロ。浪漫という名の技術部の希望が、神の体に大穴を開けた。二つの『一途』から炸裂した二本の杭は爆炎を連れて空の向こうへかっ飛んでいく。

「まだだ相手は死んじゃいない! お前らのありったけを叩き込め!」

「そん、な……」

 深松は力なく、長椅子に座り込んだ。



 長椅子が軋んだ。深松が顔を上げると、店長がどっかりと腰かけるのが見えた。彼女は口の端をつり上げて、喉の奥で笑みを噛み殺す。

「今少しの間だけ、私はお前を見逃してやる」

「何を」

 立ち上がりかけた深松だが、無駄だと悟ったのか大人しく椅子に座り直す。店長は彼女をじっと見据えていた。

「友人か? 恋人か? それとも家族か?」

 深松は目だけを動かした。

「その目だ。その顔だ。私はそれをよく知っている。……お前らのやることはどうもハンパだ。何がしたいのかさっぱり読めなかった。なぜ駒台で竜宮城を呼んだのか。どうして私たちを相手にしたのか。読めなくともこちらがやることは一つきりで、それでも構わんかったがな。は。世界を終わらせるなどと謳う連中にしてはどうにも回りくどいと思っていたが、お前の狙いはそうではないらしい。この街でなければ、私たちでなければならない理由があるんだろう」

 瞳に光が宿った。

「お前の目的は世界の終りでも神の召喚でも何でもない。復讐だ。だから聞いている。私たちの誰かがお前の大切なものを奪ったんだろう、と。いいだろう機会をくれてやる」

 店長は銃口を深松に擬す。

「言え。殺される相手を選ばせてやる。赤の他人に殺されたのでは浮かばれん魂が二つになる」

「殺してやる」

 深松は銃口を手で押しのけた。

「きっとあなたたち……勤務外がやったに決まってる。必ず報いを受けさせてやるわ」

 店長は笑みを深めた。

「あなたたちがその手にかけたのは、私の神よ」

「……神だと?」

 極光の輝きが弱くなった。外から入ってくる、どす黒い靄の勢いが増したせいだ。

「炎より激しく、病より素早いものの中で狂い死ね、勤務外ども!」

 深松が声を荒らげた時、教会には一切の光が差し込まなくなった。闇が全てを覆ったのだ。

「あは……はっ、あははははははははは! 殺す! 死ね! 死ねえ! ぶち殺せェ!」

 黒い靄が――――根源的恐怖そのものの、かの神が蠢いた。ぐねぐねと、苦しそうに。その動きと同じように城全体が揺れている。深松は目を見開いた。

「な、に。何、これ」

 神の体は出来損ないのおもちゃのようにがくがくと震えている。やがて、闇に一閃、光が差した。その光は数を増していく。線は教会の壁や床に広がって神の体を白く染め上げた。

「どういうことなのこれええぇぇぇぇえええ!?」

 神は死んだ。

 破裂したのだ。

 ぶつぶつと千切れ、黒い、雨のようなものが室内に降り注ぐ。いつの間にか、壁に空いた穴の近くに突っ立っているものがいた。血塗れの女だ。彼女は指を動かして、幽鬼のように茫とした様子で歩く。視線は定まらず、表情は虚ろだ。彼女が手繰り寄せたのが糸だと気づき、深松は絶句する。この女だ。神を細切れに千切り殺したのは、この女を置いてほかにいない。

 血塗れの女は――――糸原四乃は言った。殺すと。深松は椅子から立ち上がり、彼女から距離を取ろうとする。

「な、何を」

「殺す」

「こ、これ以上……これ以上何を」

「殺す」

 その様子を見ていた店長たちは、これは駄目だと知った。まるで会話になっていない。今の糸原は正気を失っているどころか狂気そのものだ。

 困惑に追い打ちをかけるようにして、城が強く揺れた。教会の壁は崩れ、天井から破片が降ってくる。外を確認した立花は焦った様子で口を開いた。

「こ。壊れてるかも」

「何が壊れてるんですか……」

「お城が。お城が、崩れてる」

「ハァーーーーッ!?」

 やったのは糸原だ。彼女は竜宮城の何もかもを切り刻み、ぶち壊しながらこの教会までやってきていたのである。

「こ、ろ…………す」

 深松の傍で、力尽きたであろう糸原が顔から倒れ込んだ。ややあって、深松は少女を連れて、逃げた。

「あぁぁぁあああああああ女神、女神よ、まだ、まだよ! まだいける、まだ殺せる、まだ大丈夫! ねえ!? そうでしょう!? だったら私を救いなさいよ!?」

 ステンドグラスが全て割れた。しかし破片は降り注がない。中空で停止したままで動かない。

「誰か魔導書を!」

「まだ何かするつもり!?」

 深松は少女に掴みかからん勢いだったが、その少女から発せられた光輝が天井をぶち抜いた。光の先には斜めにかけられた朱色の橋があった。その橋は空の中へ続いていて先が見えない。

「あいつ、逃げるよ」

 立花が刀を握り直したが、店長が彼女を止めた。

「もういい、死に体だ。やつには何もできん。そうだな、神野?」

 話を振られた姫は、竜宮城の魔力を感じ取ろうとして目を瞑る。

「……はい。もうこの城には大した力は残っていません。でも、魔導書はまだ」

 店長は首を振った。

「脱出だ」

 その言葉に全員が従った。疲弊しきっていたのもそうだが、崩落する竜宮城や、狂騒する深松と運命を共にしたくないという思いが強かった。

 一行は教会は抜け、来た道を戻る。その途中で一が上ってくるのが見えた。彼は揺れる橋の中を駆けている。

「マスターっ、もういいのです! 終わったのです!」

 一はナナに視線を遣るが、頷かなかった。

「マスター?」

 駆ける。一は一行とすれ違いざま、行ってくるとだけ告げた。教会の出入り口に鎮座する瓦礫の山は、炎で吹き飛ばしていく。彼の姿が炎と煙に隠れて見えなくなる。

 ナナは背負っていた糸原を投げ捨てそうになったが、どうにか堪えた。

「て、店長さん? いいの? はじめくん、行っちゃったよ?」

「……いいというか、止められん。ああなったあいつを止めるには足をぶった切るか、それこそ息の根を止めるしかない。お前らもそれくらい分かっているだろう」

「でも、一人だけじゃ」

「死なんよ。一人じゃない」

 店長は先んじて歩き出した。

「早くしろ。潰れて死にたくないだろう」

「店長」と、堀が横に並んだ。

「一くんはどうして? ああなってまで『教団』を追いかける理由があるんですか」

「違う」

 店長は煙草を口に咥えた。

「あいつが追いかけているのは『教団』じゃないよ」

「まさか……」

 堀は、深松が連れていた少女を想起した。



 橋を伝いながら空の中を行く。こうしていると、あの日の夜を思い出してしまいそうになって、一は舌打ちした。

 深松に追いつくのはすぐだった。彼女は橋の欄干に背を預けている。傍らには少女が……女神の姿があった。

「よう、その先には何もないだろ。どこまで行くのかと焦ったぜ」

 深松は目だけを動かして一を見たが、彼が自分を見ていないことに気づく。

 一の視線はアテナに注がれていた。少女の姿をして押し黙った女神は、一と目を合わせようとしなかった。

「何だよ。久しぶりに会うんだから何か言えよ」

「あなた、これを知ってるの?」

 問われた一は、そこでようやく深松の存在を認識する。

「まあな。それ、どこで拾ったんだ?」

「その辺。寂しそうにしてたから声をかけたの。まさか妙な力を持ってるとは思わなかったけど」

 深松はアテナの髪を撫で、物憂げに息を吐く。

「今にして思えば、この神さまは駒台に来たかったのかもね。だから私と出会ったのかもしれない。……ね、神さま。こいつを殺して。殺してよ」

 何の反応もなかった。

「まだ寝てるの? もう、何よこいつホント意味分かんない」

「いや、そいつは起きてるよ」

「分かるの?」

「何となくな」

 大方、合わせる顔がないと恥じているのだろう。一はアテナのいじらしさをくだらないと切って捨てたくなった。

「全く。私の言うことを聞いたり、聞かなかったり。神さまって面倒ね」

「概ね同意する」

 一は深松に向き直った。

「もういいよな。仲間もいなくなった。お前らの言う神も消えた。世界は終わらねえし、そいつ、返してくれよ」

「……ああ、それで。そういうこと。だからあなた、最初に出会った時、あんなに血相変えてたのはこの子を取り返そうとしてたってわけ」

「わけあって見殺しにはできないし、そいつをみょうちきりんな連中のとこに置いとくのも嫌だったしな」

「ふふ、そう。いーやー。お断り」

 一は眉根を寄せる。

「世界を亡ぼすことでも神を呼ぶことでもない。私が望むのはたった一つ。あの人の仇を討つためよ。だからここにしたの。ここじゃなければ意味がない。あなたも勤務外でしょうに。だったらあなたも殺す。そうしなくっちゃあだめなの」

「あんたの仲間はそう思っていなかったみたいだけどな」

「そうみたい。言わなかったけど、まあ、聞かれなかったし」

「ガキみたいなこと言いやがって」

「あなたもでしょ? 心の底から、マジで神さまにお願い事するやつなんてガキそのものじゃない」

「ふざけんな。俺はそいつにお願いなんてしねえよ。返してもらいたいだけだ」

「貸しでもあるの?」

「死ぬほどな。……聞こえてたろ。いい加減なんか言えよ」

 一が強く見据えつけると、アテナは目を開け、彼を見返した。そこには、いつか見た知性の光が宿っている。逡巡していたが、彼女は意を決したように言葉を紡いだ。

「私はもう何もしない。一一、あなたには何もしないし、何も渡さない。だからあなたも私に同じようにして」

「だったらなんでこの街に来たんだよ。妙なものまで生やしやがって。駒台を潰す気かお前」

 アテナは押し黙った。

「あー。別にこの女神システムを擁護する気はないけど、あんた、神さまってもんの扱い方を知らないの? こいつらはおだてて、お供えでもしときゃある程度の言うことを聞いてくれんのよ。……知らないの? こいつらは空気を吸って生きてるのでもなければ、お肉を食べて生き長らえてるわけじゃない。神の糧は信仰心よ。信じる心で救われる。この世に存在できる」


『一。人間の力の本質、本当とはね、怒りでも憎しみでもない。誰かを殺し、何かを壊すことではないの。想い、生み、創ることにあるの。私たちのようなモノを生かすのも殺すのも、何もかもあなたたち人間次第なのよ。そのことをどうか、忘れないで』


「そうなのか?」

 アテナは答えない。一は焦れた。

「分かったよ、悪かったよ。俺は別に、借りを返せとか、何してくれてんだとか、そういうのを言いたいわけじゃねえんだよ。ただ、もっとなんつーかこう……元気だったかとか、『円卓』のアホどもをきっちりぶっ倒したぜとか、あの時はありがとう、もう気にしてないとか、そういう普通のことを話したかっただけなんだよ」

「そんなことを、私に?」

「悪いかよ」

「悪いかも」と深松が割り込んだ。彼女は、探るような目つきを一に向けている。

「あなた、『円卓』と戦ったの? やっぱり、戦ったみたいね」

 鼻白む一だが、そうだと肯定する。

「じゃあ、殺す。殺しておかなきゃ」

 深松の抱えていた魔導書が光を帯びた。一は咄嗟に、後ろへと飛びのく。魔導書は独りでに開き、ページが一枚、千切れて舞い上がった。

「いあ いあ……!」

 触手だ。伸びたそれが一の真横を突き抜ける。

「くっそ……! 話は変わった! 変わったぞアテナ!」

 一は炎を生み出し、次々と襲い来る触手を燃やす。

「返せ! いや貸してくれ! いややっぱ違う、アレは俺んだ。あいつは俺のだ。頼むアテナっ。今だけでいい!」

 アテナは諦めたように首を振った。

「もう二度と戦わないで。あなたに『あの子』を渡せば、あなたはまた戦う。そうに決まってる」

「おせえし、そんなもんなくたって現にそうなってんだろうが!」

「古いものに頼るのはやめなさい。アレは……あなたには、私たちはもう必要ないはず。私たちはきっと悪いものしか残せない。戦いも憎しみも、そんなものばかりしかあなたたちに残せないの。だからもう、あなたは何もしないで。私たちのことを全部忘れて」

「うるせえふざけんな!」

 接近する触手を焼きながら、一は疾駆する。彼は手を伸ばしたが、アテナには届かなかった。一を止めたのは腕だ。深松の腹から生えた異形の腕だ。

 その腕を目視した時、一の脳裏を様々なものがよぎった。

 三つ目の腕。魔導書。召喚の儀式。『円卓』。復讐。『教団』。

「これ……お前」

「心当たりがあるようね」

 深松は口を三日月のようにして笑った。

 異形の腕が一の首を掴む。女の膂力とは思えないそれは、あまりにも容易く、一を中空へと放り投げた。

「やめろっ、ばか!」

 投げ出された一は見た。自分を追って、アテナも橋から身を投げたのだ。



 竜宮城の正門までたどり着いた店長たちは、一度だけ城を振り返った。既に半壊した建物は、いつ崩れ去ってもおかしくない。

「何をやっている、止まるな! 地上まで駆け下りろ!」

 一らを残したことで後ろ髪を引かれるような思いをするものもいたが、店長はここに留まるのを許さなかった。

 地上へと続く階段の途中で、先頭を進んでいたナナが立ち止まる。

「ここまで来れば構わないでしょう。糸原さんのことはよろしくお願いします」

「勝手をするなと言っているんだ」

「ボクたちに命令したって無駄だよ」

 ナナに続き、立花が動いた。しかも彼女は刀を抜いている。店長と二人の間にいるものはどうしたものかと頭を抱えそうになった。

 膠着状態に陥った時、竜宮城から伸びた朱色の橋、その先が露わになった。それは天守だ。空の中に城がある。

「一さんたち、あそこにいるんでしょうか」

「やっぱり……切り結んででも、ボクらははじめくんのところに行く」

「落ち着いてください」

 堀とヒルデが武器を構えた。

「ちょっとー、仲間同士でやり合うのはイヤよ。姉さんも聞き分けがないったら……あら」

 一陣の風が吹いた。何者かが階段を跳ねるようにして駆け上がり、竜宮城の珊瑚といった外殻部分を足場代わりにして、店長たちの傍を通り抜けていった。

 店長は口の端をつり上げた。

「武器を下ろせアホウども。お前らがごちゃごちゃ言ってるうちに先を越されたぞ」

 嬉しそうに笑い、立花は刀を納めた。

「これで全員集合したね」

「全くお前らは……ナナ。パァラ。技術部からアレは持ってきているな?」

「『一心』のことでしょうか」

「寄こせ。試し撃ちの機会があるかもしれん」

「今、ここで、でしょうか」

「そうだ。組み立てろ」

 ナナは我が意を得たりとばかりに微笑んだ。

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