OVERDOSE
天井の照明が映り込むほどに磨き上げられた北駒台店のフロアに、ぽつんと一人。留守番を任された八百坂はモップを元の位置に戻して満足げに息を吐いた。彼は客が来ないのを確認してからバックルームに戻り、監視カメラのモニターの近くにパイプ椅子を組み立てて、どっかりと腰かける。さっきからひっきりなしに震えている携帯電話を見ると、SNSの通知がどっさりとあった。ほとんどが大学の友人からだ。適当なメッセージを開くと画像が添付されている。見なくても竜宮城の画像だと分かった。皆、八百坂がオンリーワンでアルバイトしているのを知っているせいで進捗を聞いてくるのだ。しかし彼には答えられない。守秘義務があるわけではない。単に店長たちから何の音さたもないだけだ。
八百坂が友人とメッセージのやり取りで時間を潰していると、客の来訪を告げるチャイムが鳴った。面倒くさそうにモニターに視線を遣ると、覚えのある人物が店内を見回していた。彼は立ち上がってバックヤードのドアを開けた。
「おう、いらっしゃい」
そう声をかけると、所在なげにしていた客――――ジェーン=ゴーウェストが小さく手を振り返した。
「サボってたでしょ?」
ジェーンはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「いやいや、床見てみ。ぴっかぴかじゃん? ……何? 会いに来たん?」
目を丸くさせたジェーンは、八百坂の質問の意図を察したか居心地が悪そうにして視線を逸らす。小さな体を余計に小さくさせて、その姿は見る者の憐憫を誘う。八百坂も例外ではなかった。
「みんな竜宮城に行っちゃったよ。はは、俺一人で留守番ってわけ」
「寂しくない?」
「まさか」
八百坂は一たちのことを思う。自分とは違う場所に立っているものたちのことを。
「寂しいって思ってんのはそっちだろ」
ジェーンは言い返さなかった。
「会いに行けばいいじゃん。一さんがどこにいるのかは分かってんだし」
ん、と、八百坂は竜宮城を指差した。この街にいるなら、あの城はどこにいても見える。
「なんか、エラそうに言うね」
「俺が? まあ、でも……経験? って言うの? そういうのはそっちよりホーフなわけだからな」
そもそも歳も上だ。とは言わない八百坂だった。
「会いてえって時は会っとくべきじゃねえの。俺はそうはいかねえし。やっぱ、休みじゃねえと会えないしさ」
「遠距離してるんだよね。でも、電話とかあるじゃナイ?」
「でも基本的には声だけだろ。会ったって実感ねーよ。ケータイとかさ、実感ってのをだんだん奪ってんじゃねえのかって、そう思う時あるわ。知ってた? ケータイから聞こえてくる相手の声ってさ、そいつ本人の声じゃねえんだって」
ジェーンは小首を傾げた。
「じゃあ、誰の声なの?」
「仕組みとかはよく分かんねえけど、合成音声なんだってよ。限りなく本人に近い声でしかない。電話で話してたって厳密にはそいつと話してるわけじゃない……って考えちまう。時たまな。だからやっぱ、直接会ってさ、目と目合わせて顔を突き合せなきゃ分からないことばっかりじゃん?」
「そうなのかな……」
「直に会っても分からないことばっかりだけどな」
「あはは、なにそれ」
「そんな遠慮するような間柄なん? 違うっしょ。言いたいこと言っといた方がいいぞ」
無遠慮で無神経な言い方かもしれなかったが、ジェーンは背中を押されたがっている。八百坂にはそう見えたので、多少強引な物言いでも構わないと踏んだ。そして直感した。この後、ジェーンは間違いなく一と会い、言いたいことを言うはずだ。『八百坂のアドバイス』を実行する形で。彼は、それが何だか北駒台店に厄介ごとを引き入れるような気もしたが、時すでに遅しというやつだった。
一歩前へ踏み込んだ瞬間から伝わるものがある。襖の奥からの刺すような冷たさだ。今の時期に相応しくない感覚を受け、神野姫の脳裏にはヴィヴィアンという魔女が去来する。アレも同じような技を使っていた。
瞬きの後、姫の視界に広がったのは一面の銀世界である。しんしんと降る雪以外には申し訳程度に枯れ木が生えているばかりの物寂しい場所だった。不明瞭な空間の中、ぼんやりと浮かび上がる影が一つ。
「あぁら、かわいい女の子だ」
姫はじっと相手を見た。雪の中、よく映える女の長い黒髪が最初に。次いで親しげな笑顔。淡いクリーム色のダッフルコート、その下からであっても強調される胸。それなりに整った造作は姫よりも十は熟した妖艶さを纏っている。
「殺風景でごめんね。迷い込んだってわけじゃないよね? もしそうだったらお姉さんが出口まで送ったげるんだけど」
女の口調からは、姫を年下と侮り、自信に満ちた所作が見え隠れしていた。嫌いなタイプだ。否、この女を初見で好意的に捉える同性が存在するかどうか。姫は息を一つ。呼気が白く立ち上った。
「いえ。お気遣いなく」
「そう? そうなんだ」
女の姿が見えなくなった。
「じゃあ、そうするね」
後ろから声がする。姫は右腕に魔力を込めながら振り向こうとしたが、それよりも速く前方から迫ったものに顎をくいと持ち上げられてしまう。冷やっこい感触に身震いして固くなった。
「ふうん」
女の双眸が姫の目の中をじっと覗き込んでいる。
「結構かわいいじゃん。若いっていいね」
くすくすと笑んだ女の姿がまた消えた。姫が放った魔力の弾は空ぶって銀世界の彼方へ飛んでいく。あはは。女の笑声が姫をイラつかせた。
「キミさ、さっきはいなかったよね? 後からみんなと合流したの? 残念。私がやりたかったのは違う子なんだよね」
「ご期待に沿えず申し訳ありません」
「心にもないこと言っちゃって。かわいくないな」
姫の意識があちこちに飛んだ。女がどこから来るのかはっきりしない。……はっきりしないことばかりだ。この竜宮城が現れてからずっとだ。苛立ちが収まらない。
首筋に触れるものがあった。姫は咄嗟にその場から飛びのきつつ、背中から棘を生やした。
「おっと……?」
姫のすぐ後ろにいた女は自分の着ているものに穴が空いていないか確認している。
「さっきも変なの飛ばしてたよね。何それ? ちょっと面白いじゃん。ね、名前。キミなんていうの? あっ、私、潘海華っての。たぶん私のが年上だと思うけど、気軽にミカちゃんって呼んでね」
「嫌です」
「なんでー?」
海華と名乗った女は小首を傾げて、また姫の前から姿を隠した。しかし声だけは聞こえてくる。
「呼びなよ」
遠くから。耳元で。声だけが聞こえてくる。焦れた姫は四方に魔力を宿した弾を放出した。自らの一部を変質させたそれは枯れ木の一部をこそぎ取るくらいしかできなかった。
「呼んでってば」
「……嫌です」
「ムカつく」
姫の横腹がけっ飛ばされた。彼女はごろごろと地面に転がされたが、すぐに立ち上がる。目の前には海華がいた。
「呼べってんだろ、ガキ」
「……っ!」
今度は顔を蹴られそうになった。存外身軽な動きで虚を突かれたものの姫は腕を交差させてそれを防ぐ。しかし衝撃は殺せず、不格好な体勢で雪の上に身を投げ出すこととなった。
「ここでなら誰を殺してもいいって言われたけど、私が特にぶち殺してやりたいのは須部村さんに斬りかかってきたあのクソガキなんだよね。知らない? 知ってたら連れてきてよ。ねー、ミカちゃんのお願い聞いて。聞いて欲しいなー」
「いい歳して自分を『ちゃん』づけで呼ぶ人の言うことなんか聞きませんよ」
「あ?」
姫は雪の上で大の字になった。空には星が。どうせ仮初の空間だろうが、不思議と素晴らしいものに思えた。クリアになった精神のせいだろうか。彼女は自問する。
とても気分がよかった。先まで苛立ってささくれていた心が嘘のようだった。姫は立ち上がり、足を引きずりながら海華に背を向けて歩き出した。
「おーい。おい。何? 何逃げちゃってるわけ? え? ていうかこっから何もなしに出られるとか思ってんの? 冗談だよねぇ、ねえってば」
分からないことばかりだったが一つだけはっきりした。海華という女を害するに足る理由だ。
姫を追ってきた海華は彼女を止めようとするが、そのたびに魔力弾や姫から発せられる棘や刃に阻まれる。
「出口なんてねぇぇええんだよ、馬鹿女」
風は海華の激情と呼応するかのように吹き荒び、積もった玉塵を巻き上げた。遂に捉えられた姫の背が蹴られ、彼女は無防備に突っ伏す。
「キミさ、本当に勤務外? もしかして雑魚専の数合わせじゃないの? ……って、おっとー! 油断してませんでしたー!」
海華は、突っ伏したままの姫が密かに伸ばしていた縄を避けた。
「そうそう。油断するなって須部村さんにも言われてたっけ」
また海華の姿がかき消えた。姫はゆっくりと起き上がり、髪の毛の雪を手で払い除けた。
声だけが聞こえてくる。人を苛立たせるそれはいつまでも続いた。
「それじゃあそろそろ行こうかなー。右かな? 左かな? どっちかな? あははっ」
姫はその場に座り込み、海華が現れるのを待った。風が止んだ。その瞬間、静謐な空間を切り裂くようにして、海華が中空から己が得物を叩きつけた。衝撃が音を呼び、風を起こし、雪を散らせた。
「あっははー! 上からでしたーっ!」
海華が握っているのは薙刀だ。勢いのついた長柄武器は標的を粉砕するのに十分なパワーを有していただろう。だが、その標的の姿はどこにもない。
「…………あァ?」
海華は周囲を見回した。
おかしいと彼女は感じた。そう、確かに気配はあったのだ。ここに何かが立っていたのは間違いない。
屈み込んだ海華は雪中からいくつもの骨を見つけた。ばらばらになったそれは人間一人分の量はある。だが、それは姫のものではない。そのはずがない。叩くだけで人を骨に変えるなど、自分にそのような力はない。
では、姫はどこへ消えたのだ。
その疑問はすぐに氷解する。海華はあることに気づいた。見回した雪上に線が引かれている。足を引きずりながら逃げていた姫の残したものだが、それは丸い円を描いてるようにも見えた。そして。その円の中心に自分が立っているということも。
「これって」
円ではない。これは陣だ。
海華はすぐにそこから逃れようとしたが、少しばかり遅かった。雪に描かれた魔法陣が光った次の瞬間には、彼女は屹立する人骨どもによって囲まれていた。
「気色ワル……!」
振るわれた薙刀が十数を超える骸骨の頭蓋を砕いた。だが、ばらばらになった骨は中空で独りでに集まり、大きな拳の容に組み上がる。骨の拳は勢い良く落下し、海華を叩こうとする。彼女は横っ飛びで回避した。逆巻く雪の嵐が海華の視界を覆い隠す。
どこだ。
どこだ。
あのクソガキはどこにいる。
必死になって目を凝らす。
「クソっ」
これでは先までと立場が逆ではないか。海華は歯噛みした。
首筋に、何かが触れた。
「一つ教えてあげましょう」
「ひっ――――うわあおおおおおあああ!?」
海華は振り向きざま、めちゃめちゃに薙刀を振り回す。手ごたえはあったが、すぐに無駄だと悟った。天を衝かんばかりの巨大な骸骨が地面から生えている。その骸骨の掌の上には姫がいた。足をぶらぶらさせながら、つまらなそうに海華を見下ろしている。
「この……っ」
「あなたが殺してやりたいと言った人。それは私にとって、とてもとても、とても大切な人なんです。その人の生き死にも、生き死にに関わることも、そうでないこともあの人が喜ぶ顔も泣く顔も何もかも全て。何もかも。好き勝手されるべきではないですし、触れることだって許されないんです。許されない。私以外は」
「は?」
骸骨が拳を振り下ろす。海華は姫の顔を見上げながらその場から退避する。陣の周囲には錆びた剣を手にした骸骨の兵士が数多いた。彼女は薙刀を振るいながらで笑った。
「はあっ、何それ!? それって恋じゃない!? 私とおんなじじゃん! 恋する女の目ぇしてんじゃんか!」
「していません」
「してるんだって!」
姫は嘆息した。
「あなたは確実に殺します。私の命と引き換えにでも。ここから先へは行かせませんよ、ミカちゃん」
「人のことなれなれしく呼んでんじゃねえぞクソガキが!」
桜の木が咲いていた。
季節外れだがこういうのも悪くはない。パァラは満足げに頷き、桜を携帯のカメラで撮った。
「あとで姉さんに見せてやろう」
自慢してやらなきゃ。そう独り言ちて、それから、周囲の様子を確認する。桜色の吹雪が舞って、蝶が飛び、足元には青々とした緑が生え揃う。温かな光景が広がっていた。だが、センサーはろくな反応を示さない。偽物の春だ。花も、鳥も、風も、虫も、空も。何もかもが嘘の中、桜木のたもとに女がいた。褐色の肌をした異国の女だ。パァラは彼女に携帯のカメラを向けた。女の姿が消える。しかしパァラのセンサーは女の位置を捉えていた。
「あなた、れっきとした人間?」
桜吹雪の中、パァラは、自らの後ろに回った女に問いかける。
「ラーヤ・ラーヤよ、メイドさん。そう。人間だけど」
「残念ね」
パァラは人を相手にするのが嫌だった。ヘパイストスのもとにいた時、技術部の人間と争ったことはあるが、以降はソレと戦ってばかりだった。
「確認しておきたいのだけれど」
パァラはラーヤに向き直って言った。
「戦うの? ここのこと、根掘り葉掘り話して建物を退かしてくれるのなら、見逃してもいいんだけど」
ラーヤからの返答はない。彼女はナイフを抜き、それをくるくると弄ぶ。
「戦うのね」
髪の毛が何本か散った。パァラの放った速射砲の如きパンチを躱したラーヤが懐に潜り込む。振り上げた一撃。しかし刃は自動人形の装甲に弾き返される。
「お前もかっ」
ラーヤが後ろに跳躍。パァラはそれを追いかけなかった。今の攻防で大抵のことが分かったからだ。まず速度。次いで膂力。はしこいが捕捉できないものでもない。加えて、破片から取得したデータでラーヤの持つ得物はただのナイフでそれ以上でも以下でもないと看破する。ただし刃には毒が糊塗されており、正面からの力押しを好まぬタイプだろうとも窺える。
毒。その回りくどさは自動人形である自分には通用しない。また、先の発言からラーヤがナナとも交戦していたのは明らかだ。姉がどうなったかは知らないが、まさかこの程度の敵にやられるはずもないだろう。単に逃げられただけだ。であれば、姉よりも優秀な自分の相手ではない。パァラはそのように推し量った。
ラーヤは得物を懐に戻し、苛立たしそうに地面を蹴った。
「深松……人形が二体もなんて聞いてない」
くそ、くそ。毒づいたラーヤは薬包紙を指でつまんでいた。パァラはそれを分析すべく立ち尽くしていた。
くそっ。言って、ラーヤは粉末状の薬を一息に飲み込む。パァラは即座に踏み込めなかった。ラーヤの様子がおかしいことも二の足を踏む要因となったが、視界を埋め尽くす量の蝶々が足元から飛び立ったことに気を取られた。
極彩色の蝶が二人の姿を覆い隠した。パァラはセンサーを頼りに敵の姿を捜したが、蝶の数が多過ぎて邪魔をする。無防備な背に痛烈な一撃を見舞われてからやっとラーヤを捕捉した。
「この、ぽんこつ……!」
パァラが立ち上がると、大多数の蝶が空の中へと消えていき、ラーヤの姿が明らかになった。だが、現れたのは先までの彼女とは違う。手足が伸び、しなやかな筋肉がよく目立つ褐色の女がそこにいた。背も違う。顔つきも、纏う雰囲気も。
しかしラーヤの姿が変わったのはパァラにとって些事だ。彼女にとって重要なのはオンリーワン近畿支部技術部一同が造り上げた自らの装甲の上から打撃を通されたことである。よもや自動人形である自分がただの人間に、紙屑のように吹き飛ばされるとは全くの想定外であった。
ふっとラーヤの姿が深く沈んだ。パァラが防御の態勢を整える前に繰り出された最速の攻撃。掌底が顎を突き上げた。パァラの顔が上を向く。こめかみに一閃、蹴りが入った。人形である彼女に痛みはない。並の人間なら怯んでしまう状態であっても立て直しにかかる時間は一秒にも満たない。眼前にいる敵へと拳を放つ。大抵のものなら破壊しうるそれを、ラーヤは素手で掴んで受け止めていた。
パァラは目を見開いた。
「あんた、何なの……!?」
「言ったじゃない。れっきとした人間だって」
両者の力は拮抗していた。パァラは縛めから脱するべく力を込める。それでもラーヤはびくともしなかった。
「人間? 自動人形とセメントでやり合うような女がいるなんて、誰も教えてくれなかったんだけどっ」
パァラが吼えた瞬間、ラーヤは体を少し動かした。それだけで力の流れが変わり、パァラの拳が地面を強く打ちつけた。その様子をラーヤは冷めた目で見つめている。
「人間よ。ただ、他人より自分の体を操る方法を知っているってだけ」
「さっきの薬が?」
「そんなところかな」
言って、ラーヤは拳を振り上げた。雑な動作だ。しかしそこから振り下ろされる一撃は、速く、重い。避けることを選べなかったパァラの体に強い衝撃を伝えた。
攻撃を受けながら、パァラはラーヤの身に起こったことを何パターンか算出する。肉体を弄ったことに間違いはない。しかし、手足の大きさを変え、筋肉の量を増やしただけでは説明がつかない。今のラーヤは、先までの彼女とは似ているが違う。まるで一瞬で十以上もの年月を経たような――――自分の肉体ではなく、自分の時間を操作しているようなものだ。それを可能にしたのは現代の技術ではないのだろう。竜宮城由来の成分か、魔道に関わる『教団』の神秘か。どちらにせよ、何にせよ、途轍もなく素早く、強大な力のある敵へと変貌したことは確かだ。
パァラは反撃に転じた。とはいえ相手を打倒するための力は発揮していない。ラーヤの能力をはかるかのようなやり方だった。
「……あの薬。あなた、もう何度も使ってるのね」
「それが?」
互いの拳をほぼ至近距離で打ち合いながら、ラーヤは事も無げに言った。
「壊れてる」
強い薬は強い副作用をもたらしがちだ。ここまででたらめな代物ならば埒外の反動があってもおかしくない。そも、生物は急激な変化に耐えられない。魔法に近い薬であってもそうだ。結果を受け入れられるだけの土壌がない。それを可能にするには頭のリミッターを外すか、壊すか、麻痺させるしかない。人の規を逸脱するには人のままではいられない。十中八九、ラーヤの服用した薬は脳に悪影響を及ぼすだろう。
「そこまでして、あんたたち、何がしたいわけっ」
「知らない。興味もない。私が欲しいのはお金なんだもの」
「お金……?」
パァラの動きが一瞬間止まった。その隙を衝かれ、腹部に連撃を叩き込まれる。ダメージはなかったが、彼女は茫然とした様子で立ち尽くしていた。相対するラーヤは少し距離を取り、長くなった髪の毛をかき上げた。
「『壊れてる』か」
ラーヤは自らの手指を見た。
「自分の体のことは自分が一番分かってる。自分の限界……どこまでやっていいのかも。まあ、時々、自分が何歳だか、どこの誰だか分からなくなる時があるけど。『そこまでして』でもお金が欲しいの。人形には分からないでしょうね」
悲しそうだ。パァラは、ラーヤを見てそう感じた。
「そんなにお金が欲しいなら働けば? うちを紹介したげるわ」
「興味ない」
「どうして? 確かにうち、時給は安いし、仕事はきついと言えばきついけど……でもあなただってお金が欲しいわけじゃないんでしょう? 通貨はあくまで通貨よ。他に欲しいものがあってお金と交換するんじゃない。お腹が減らなかったり、着たい服がないんならお金なんかなくたっていいはずよ。あなた、欲しいものはないの? お金はその欲しいものを手に入れるためのものなんじゃないの?」
ラーヤは舌打ちした。
「私が知りたいのは、自分の体を痛めつけてまでお金をもらって何が欲しいのかってとこなんだけど。答えられないなら、ここで私と戦う理由なんかどこにもないじゃない」
「もういいから、黙って」
「じゃあやっぱり、あなたもう壊れてるのよ」
「黙って!」
「生憎だけど私に命令できる人は限られてるから」
「だったら……!」
また、パァラの足元から大量の蝶が湧いて舞った。




