てくてくあるく
最後に残った半魚人は触手の陰に隠れていた。パァラはそれを引きずり出すと勢いよく首を捩じ切った。
「どう?」
「まだ魔力が溜まったかどうかは判断できませんね」
姫の言葉を受け、一は煙草に火を点ける。
「さっきと同じような感じなら、正門が開いたみたいにどっかの襖が開いてるかもな」
「えー? また探し回るの? 何よもう、本当に面倒ね」
「全くだ」
「もしかすると……」
姫は辺りを見回してから物憂げな顔になる。
「ここではなく、建物の内部で変化があったのかもしれません」
「だとしたら、何が起こったか確かめようがないな。うーん。もうちょい探す? それとも待つ?」
店長が何か言いかけたが、近くの襖から光が発せられた。
「その必要はなさそうだな」
火のついた煙草を靴の裏で揉み消すと、一は頭をかいた。
かたん、という音がした。
何かが外れるような、そんな音だった。今まで歩いてきた廊下を振り返った立花は、ある一点を凝視する。何の変哲もない襖だ。だが、先までとは違い何者かの気配を感じた。襖に手をかけるとするすると開いていき、彼女は息を一つ。吐きながら室内に足を踏み入れる。
最初に目に入ったのは壁にかけられた武器だ。三叉の槍は研がれていないのか錆びかかっている。その次に、自分を取り囲んでいるソレ。立花は刀を抜きながら、部屋の中央にあった長机の上にとんと飛び乗った。見回すと、案外広い部屋なのだと分かった。同じような机や椅子が並べられ、半魚人めいたソレがうごうごと蠢いている。さながら、ここは彼らの詰め所なのかもしれなかった。そんなことを考えながらで得物を振るった。ふき上がる鮮血とその生暖かさが懐古の情を彼女にもたらした。
立花を取り囲むソレの行動は、愚鈍ながらもそれなりに整然としていた。それぞれが手近な武器を引っ掴み、それを彼女に向ける。向けた傍から首が刎ねられた。小さな嵐が机上に起こった。回転する剣舞は巻き込んだ命を根こそぎ刈り取る。立花は両足に力を籠める。踏ん張ったせいか、机が二つに割れた。彼女は跳躍し、割れた机をけっ飛ばす。左右にいたソレが同胞と共に薙ぎ倒された。
一閃。振るうごと、命を吸うごとに立花の刀は鋭さを増す。ぎああとソレが泣くように叫んで彼女に背を向ける。戦意を失いつつある半魚人どもを立花が追いかける。壁際に押し込められたソレが壁ごと両断される。仲間を盾にしていたソレは盾諸共まとめて貫かれる。切られて折られて砕かれる。二つになって、四つになって、八つになって山となる。
「あははっ」
立花は自分が声を出して笑っていることに気づいていなかった。体のいいストレス解消だったのだ。今行っているこれは。だからいつになく力が入り、必要以上にソレを斬った。
ふと静かになり、立花は部屋の中を見回す。動いているものは自分以外にいなくなっていた。物足りなさを感じて立ち尽くしていると、ここに入ってきた時と同じく、妙な気配を感じた。また襖が開いたのだ。そうしてまた回廊に戻る。一抹の寂しさを覚えながら、彼女は歩を進めた。
ソレの頭部がナナのグーパンで砕け散った。噴出する中身を避けながら、ナナはまだラーヤの姿を目で追おうとしていた。もうとうに逃げ切られてしまったというのに諦めきれないでいたのだ。
ナナがいるのは触手がそこかしこから伸び、生えている空間だ。ラーヤに逃げられて、入れ替わるようにして現れたソレを悉く打ち倒している現状だが、どうにも気に入らなかった。敵に逃げられたのもそうだが、彼女が逃げた理由も定かではない。狙いも目的も何もかも分からない。最も気に入らないのは一がこの場にいないことだ。
眼鏡の位置を指で押し上げ、歯を食いしばる。近づいてくるソレを雑に殴り飛ばす。必要以上の出力が計測されていたが、ナナは気にしていなかった。亀に似た、巨大な甲羅を背負ったソレが飛来する。彼女はその首根っこを引っ掴み、触手に叩きつけた。甲羅にひびが入り、ソレは絶息する。ナナはなおも攻撃を加えた。一撃。また一撃。そのたびに叩きつけた触手ごと揺れ、甲羅は砕け散ってばらばらと地の底に落下する。対象が無力化したことはナナも既に知っていた。しかし追撃は続けられている。ソレの体はもう半分も残っていなかった。最後に、ふっと息を吐きだしたナナの拳が太い触手を断ち割った。それらが暗い大穴に飲み込まれていくのを見下ろし、彼女は、自分が苛立ちを覚えていることを認識した。
先刻から思案顔で竜宮城を見上げていたナコトが、つまらなそうに口を開いた。
「やはり解せませんね」
「解せないことだらけですが」
堀が軽口で返すや、ナコトは待っていましたとばかりに不機嫌そうに嗤った。
「あの竜宮城、『教団』の連中は海底都市ルルイエと呼んでいるのでしょうが……あんなものを呼び出す意味が分からないと言っているんです」
「それが『教団』の目的なのでは?」
「彼らの本懐は彼らの神を復活させることですよ。あの出来損ないのルルイエはおまけのようなものです。最終的な目的ではありません。不完全で不出来なただのがらくたに過ぎません。でも、それに大量の魔力を注ぎ込んだ」
なるほどと堀が得心したような様子で言った。
「神の復活に必要な魔力は、もう残っていないというわけですか」
「ええ。あれを呼び出したのが『教団』なら、魔力はもっと、さらに必要になります」
話を聞いていたシルトは小首を傾げた。
「えー? 魔力使い切ったんじゃん? もう『教団』っての、神様呼べなくない? どっかから持ってくんの? 魔力ってそんなどこにでもあるもんなん?」
「ないですよ」
「そうなん?」
「ないって言ってるじゃないですか分からない人ですねあなたは」
明らかに苛立っているナコトから顔を反らしたシルトは、あっと小さな声を発した。
「あるじゃん。あそこに」
シルトは竜宮城を指差していた。
「あの城って魔法で出てきたんでしょ。だったらあの城って魔力の塊じゃね?」
「……それは」
そうかもしれなかったが、自分でも気づかなかった事実を指摘したのがシルトだったので、ナコトはすぐにはその事実を認めて、受け入れることができなかった。
「ああ」と堀が呻くようにして息を漏らす。
「竜宮城には何か使い道があったということでしょうね。そう、例えば、あの城に魔力を補充するような仕組みが備わっている、だとか」
怖ろしい。
恐ろしい。
なんて恐ろしいものたちなのだろう。
現れたソレを片端から、息をするように、当然のように殺し尽す勤務外。上も下も、右も左もどこもかしこも死が満ち満ちている。
「正気を保ったままでよくもまあ」
深松は、触手に貫かれ、ぼろぼろになった教会にいた。ステンドグラスには一たちがソレと戦っている様子が映し出されている。彼女はそれを眺めながら、傍らの女神、アテナの頭に手を置いた。
「でもそれが命取り」
深松は絶頂しかけていた。自分の力を使わないまま、間抜けどもの手によって儀式が進行していくことが気持ちよくてしようがなかった。
「ほら、見なさい乙姫さま。少しでも魔力を稼がなくっちゃあね」
アテナの顔を無理やり上向かせた深松。彼女らの視線の先には巨躯のソレがいた。また、城の正門には群れを成したソレも映し出されていた。彼らは階段を駆け下り、駒台の街を目指していた。
竜宮城からやってくるのは百を超えるソレの軍勢だ。その光景を認めたナコトは息を呑む。あの軍勢が街に降りれば住民を薙ぎ倒し、食い散らかすのは目に見えている。その矢面に立つのは他でもない自分たちだ。誰よりも早く先に死ぬ。魔力を行使できない彼女の手足は震えていた。
堀とヒルデも震えていた。武者震いである。その様子を、シルトは横目でちらりと見てため息をついた。この二人にはシルトから見て共通点がある。人外が闊歩するこの街の中でもトップクラスの戦闘力を有している点。もう一つ。大人しそうに見えて脳みそが筋肉でできているという点だ。きっと、堀もヒルデもフラストレーションがたまっていたに違いない。何せ『騎士団』がいなくなってからは勤務外の敵になるようなソレは現れなかったのだ。堀はデスクワークを片付けるのに精いっぱいだっただろうし、ヒルデは何も言わず、表情にすら出さないがレジ対応だの掃除だの品出しだの、コンビニの業務にはおよそ向いていないので積もり積もったものはありそうだった。
ストレスを。ゲージを。それらを放出する機会を今か今かと待ち望んでいたのだ。
堀とヒルデはほとんど同じタイミングでシルトを見据えた。
「…………行くから」
「えっ。ああ、はい」
鎌をびゅんびゅんと振り回すヒルデに対して、シルトはただただ頷くしかなかった。
「シルトさん。店長からは待機という指示が出ていましたが、ソレの群れを見過ごすわけにもいきません。事態は逼迫しています。が、事ここに至ってもなお店長からの指示はありません。であれば、我々は店長代理の指示を請うしかないわけですが」
「ああ、もう、面倒くさいこと言ってないで大丈夫なんで」
「いやあ、そう言ってもらえると助かりますね」
にこやかに笑う堀。
「何かあったら私のせいにする気っしょ?」
「代理とはいえ、それが店長の仕事ですからね。それでは」
そうして、二人の戦士が駆けた。接敵は程なくのことであった。竜宮城までの階段に差し掛かり、降りてきたソレの軍勢、その先団とかち合ったのだ。
激突は一瞬。勤務外が二人、ソレの群れを抜ける。駆けながら振るわれた槍が半魚人の首をまとめて薙ぎ払った。血を拭う暇すらなく、切っ先は次なる標的を見定める。次いで翻った銀光。閃いた軌跡はソレの胴体を真一文字に寸断し、その後ろにいたものをも勢い余って葬った。
堀もヒルデも立ち止まらない。しかし押し寄せる怪物を討ち漏らすこともない。高速で放たれる確殺の一撃が波濤の如きソレの軍勢へと襲いかかった。
くっ、と。
堀の口角がつり上がる。しばらくぶりの実戦が、猛犬と称された男の血を沸かせ、肉を躍らせた。手首を返せば槍が風を切り裂き、敵を屠る。鮮血が中空に咲き乱れれば堀は柄にもなく浮かれて、踊るようにして敵の只中へ飛び込んだ。
楽しんでいるのは堀だけではない。常はぼうっとして表情を変えないヒルデもまた、レジや品出しといった業務から解放されたことではしゃいでいた。振り下ろした鎌はソレの頭蓋を穿つ。命を奪った反動を使って得物と共に跳躍し、叩きつけるようにして鎌を振り下ろす。
階段からあふれ出たソレの死骸が街へと落ちる。どす黒かった階段は真っ赤に染まり、なおも二人は疲れを知らないのか、ソレの始末に邁進する。職務に忠実な会社の走狗が先を競って爪牙を敵対者に突き立てる。もはや並大抵の雑魚では戦狂いを止めることはかなわず、射程圏に入った順から死ぬだけだった。
「あっ?」
襖を開けると見知った景色だった。そこは先まで自分たちがいた、竜宮城の中庭である。一は訝しげにしつつも襖を全開にし、注意深く外へ出た。
「順路も何もないわね。どうなってるのかしら、ここって」
一のすぐ後をついてきたパァラが溜め息をつく。これ見よがしな態度だったが彼にもその気持ちはよく分かった。痛いほどに分かっていた。自分たちはこの竜宮城で、行ったり来たり、あっちこっちを歩かされてそのたびにソレと戦わされている。嫌になるのも無理はない。
「はあー、広い場所に出られたのはいいけど、さっきからストレス溜まりまくりね」
人間みたいな物言いをするパァラは、つまらなそうにして姫を見やった。
「……なんですか」
「何もないわよ。ちょろっとそっち見ただけじゃない」
「言いたいことがあるんですか」
「ないって言ってるじゃない。何、イラついてるの? こっちに当たらないでよ、もう」
姫は舌打ちした。
「今舌打ちしなかった?」
「してないですし、してたらなんなんですか」
「店長、店員の口の利き方がなってないんじゃないの。ちゃんと教育しなさいよ」
話を振られた店長は紫煙をたなびかせてそっぽを向いていた。見かねた一はその場に座り込み、パァラをなだめたあと、姫に声をかけた。
「疲れてるんじゃないの、神野さん。ちょっと落ち着こう」
「そうかもしれません」
姫は突っ立ったままで言った。
「でも、私がイライラしているのは疲れているからじゃありません」
「あ、イラついてたんだ、やっぱ」
「……相手の出方が見えないのが嫌なんです。私たち、いったい何をさせられているのか……ずぶずぶ術中にはまってる感じがして。一さんはそういうの気にならないんですか」
「あんまり」
一は石を手に取って壁に投げつけた。ぶよんとした感触に包まれて、石は跳ね返らずに壁面にへばりつく。
「そういうの慣れたし、相手のこと分かっても、まあ、こっちとしちゃあさ、やれることなんかほとんどないわけだし」
「思考停止じゃないですか、それ」
一は姫の顔を見られなかった。いつもより自分に、というよりも他人への当たりがきつい。やはり、彼女が年相応に疲弊しているのは間違いないらしかった。
「誘導されてるっつーか、そういう気分にはなるけどね」
「だったら、もう少し考えて行動しないと。でないと、ここで全員殺されちゃいます」
「いや、それはどうなんだろ」
姫は目を丸くさせた。一に反論されることを予想していなかったらしい。
「相手は俺たちのことを知ってた。北駒台の勤務外だってことを知ってたし、俺らが来るのを待ってるフシがあった」
「あ、はい、恐らくは」
「でも、にしたってナメてるよ。俺たちを知ってるってんなら、『円卓』をドツき回したのも俺たちだってことを知ってるだろ。確かに竜宮城に来てからソレがアホほど出てきたけどさ、いくら何でも『円卓』ほどじゃないし、こっちをやる気ならとっくにやれてる」
実際、一は大穴に落下した時は死ぬのを覚悟していた。
「そもそも、向こうは俺たちをどうこうするのが目的じゃないと思う。ただ……俺たちが今こうして竜宮城ぶらついてソレを倒してるのは、向こうにとって必要なことなんじゃないかって、そうは思うかな」
「一さん」
「ん?」
「一さんって、意外とものを考えたりするんですね。びっくりしました。私てっきり、一さんってたばこの煙と一緒に脳細胞も吐き出してるものだとばかり」
姫が本気で言っている様子だったので、一は苦笑した。
「あのね、俺だって傷つくんだから言葉は選びなさいよ」
「あ、そうですよね、ごめんなさい」
「まあ、つまりさ、『今のところは』ってのが頭につくけど、向こうはこっちを本気で殺すつもりはないんだし、こっちだってこれくらいの相手じゃ殺されるとも思わない。その気になったらいったん階段降りて逃げられそうだし、それこそどっからでも援軍なり連れてきて戦争でも起こす気概で突っ込んじゃってもよくない?」
「はあ。だから、相手に付き合ってあげている、と」
「そう、『今のところは』」
「でも、やっぱり納得いきません」
「頑固やね神野さん」
一は半ば呆れながらでたばこを咥えた。
「嫌な予感がするんです。このままソレを殺してると、よくないことが起こりそうで。……あの。さっきから、ここの空気がおかしい気がしませんか」
「空気どころか、おかしなもんばっかりだけど」
「魔力が濃いって言うんでしょうか。ここに来てからは何ともなかったのに、今なんて息苦しいくらいで。それこそ、本当に溺れそうで」
「俺は分かんないな。店長はどうです?」
水を向けられた店長は、ややあってから口を開く。
「いいや、何も変わらんし、分からんな」
「花粉症と同じですね。分かる人にしか分からないんですよ、この辛さは」
「神野さん花粉症なの? まあ、魔法使いだし、そういう素養がないと分かんねえって」
「魔女と呼んでください、魔女と」
姫は居住まいを正して目を細めた。
「粘っこくて、水っぽくて……梅雨のような、言いたいことを言えないでうじうじしているような、そんな魔力が立ち込めているんですよ」
「ああ、だからイライラしてる?」
「それも理由の一つです」
「えー」と抗議の声が上がった。パァラである。さっきから手持無沙汰だった彼女は姫に一歩詰め寄った。
「私、雨は好きよ」
「機械なのに、ですか」
「ふっ。土砂降りでショートするようなヤワな作りはしてないのよ。……あのね。雨の日に傘を差すのが好き。だってやっぱり、人間みたいで面白いんだもの」
「傘を差すのが人間らしいとは」
「ふふ、天気や季節に左右されるのがいいのよ」
パァラは嬉しそうに話していた。だが、空気が和んだのもつかの間のことで、店長の目が忙しなく動く。彼女が何か見つけたことに気づき、一の表情が険しいものに変わった。
舌打ちの後、店長はたばこを捨てて火種を靴の裏で踏み消す。
「少しは気も休まったか?」
「何を見たんすか、店長」
「光った」
店長は中庭の四方をそれぞれ指差しながら言う。
「四か所も?」
一は、よく見えましたねとは言わなかった。二ノ美屋という女なら造作もない芸当であるからだ。背中どころか全身に目がついていてもおかしくない、百目のような女である。
「今までとは流れが違う感じですね」
四人は中庭を見て回った。光が発せられているのは東西南北に位置する襖だ。光る襖はこれまでに何度も見つけてきたが、姫は、この四か所から先までとは違う魔力を感じるのだとも言った。
彼らは北の襖の前で考えを巡らせた。
「全員で行くか、バラけて行くかだな」
「一網打尽にされるか、各個撃破されるかとも言い換えられますね」
一は店長をちらりと見た。
「バラけて行くぞ。時間が惜しい」
「くあー、そんな気ぃしてたんだよな」
肩を落とす一。ただ、彼にも分かっていた。時間をかければこの城はどうにでもなるだろう。しかし竜宮城からは無限に近しい数のソレが湧いて出てくる。一匹なら物の数ではないが、これら全てを抑えられなければ人界に被害をもたらすのは明らかだ。
北側の襖には姫が、東側の襖にはパァラが行った。二人とも不平も不満も口にしなかった。
一の担当は西側だった。襖の前には着いていたが、入ることができなかった。店長が後を追いかけてくるのが見えたからだ。
「どうしたんです?」
「……悪いことをした。私は、ろくなやつじゃない」
自嘲気味に言うと、店長は一の手を取った。