READY!!
シルトはむくれていた。せっかく代理とはいえ店長の座についていたというのに、今はナコトがその席に居座って偉そうにふんぞり返っている。まるで本物の店長のようだった。
「そもそも、あれは竜宮城ではありません」
ナコトはつまらなそうに言った。彼女の目には夢から醒めたような、白けたようなものが見え隠れしている。
「……では、あれは?」
「海底都市でしょう」
「るるいえ?」
シルトは小首を傾げた。その様子を見たナコトが鼻で笑う。
「南緯47度9分 西経126度43分。ポイント・ネモと呼ばれる到達不能極のほど近い場所に沈んでいるとされる場所です。かの神……宇宙的恐怖の根源たる神が眠っているとされる都市ですよ」
「へー? それが、アレなん?」
「恐らくは」
堀は眼鏡の位置を指で押し上げた。
「クトゥルフですか」
「ええ」
「クトゥルフって何?」
ナコトは少しばかり苛立った様子でかの神について説明を始めた。シルトは途中から携帯を弄っていた。
「要するにタコの怪物ってことね。オッケー」
「なんと冒涜的な。まあいいでしょう」
「しかし、ルルイエであるならば、なぜここに?」
「疑問ももっともです。駒台はポイント・ネモとは何ら関わりのない土地ですから。ですから、あんな風になったんです」
ナコトは竜宮城を指差した。
「こんなところでルルイエを呼び出そうとしても無茶な話なんですよ。場所が違うのですから、本来は無意味なんです。あのような建物が現れることも本来ならありえなかった。魔術や魔法は何でもありの万能なものではありません。きちんとした理があって、定めるべきルールがあります。それを守ってこそ発動する、理論的で、数学的な技なんです」
「ですが、実際にあの城はここにあります」
「はい。ですから、駒台でやらなければならない理由があったんでしょう。察しはついています。世界中を見回しても、この街以上に魔力的要素のある土地もそうはないでしょうからね」
「そうなの?」
ナコトは、シルトを可哀想なものを見るような目で見た。
「たとえばこの街には魔女がいましたし、魔女がこの街で死にました。多様な化け物がいて、精霊や半神までいるんです。一つ一つの力はそうでなくとも、ここでは多くの血が流れ過ぎています。駒台には先の戦いで様々な力が染み込んで残っているんですよ。儀式を行うにはうってつけの場所なんです」
堀は今までの戦いを振り返り、その最たるものに思い至った。
「あの隕石ですか」
ナコトは大きく頷く。
「スルト。あれは最低最悪で、最強の魔女が力を注いだ結晶です。残骸だとしてもあたしたちの想像をはるかに超えた力が残っていたに違いありません」
「だから隕石博物館の真下から竜宮城が現れたのですね」
「ええ。大方、スルトの残骸を依り代にルルイエを呼び出そうとしたに違いないでしょう。しかし、さすがにスルトの力だけでは足りなかった。その上で駒台に染みついた魔力や化け物のイメージが反応し、あれが……竜宮城と海底都市の混じった『何か』が現れた。しかも比率で言うと竜宮城の方が大きいですね」
「なるほど……店長もそのようなことを言ってましたね。竜宮城は各地に伝わり、残っていたと」
「この国で召喚の儀を行ったのが向こうにとって仇となりましたね。媒体や依り代が各地に伝わる竜宮城というワードにヒットし、それがクトゥルフの魔と混じって引っ張られたんです」
「つまり」
「皆さんが竜宮城と呼んでいるものや、そこに出現しているであろうソレは未完成で、不完全です。付け入る隙は充分にあります」
シルトは顔を綻ばせた。
「やったじゃん」
「ですが、それでもです。未完成であっても、不完全であっても恐ろしいものに変わりはありません」
「…………誰が、やったの?」
先まで無言を貫いていたヒルデが言った。彼女は眠そうにしていたが、得物を持つ手には力が込められている。ナコトは少し思案し、心当たりを口にした。
「純粋な魔女の類ではありません。あたしの知る限り、もう力のある魔女は残っていませんし、いたとしてあのような手段を取らないでしょう。ルルイエを呼び出すための魔力なら自前のものを使うはずですから。ですから、恐らくは魔導書を手にした人間の仕業です」
「魔導書ですか。具体的に、誰がやったかは見当がつきませんか?」
「一つだけあります。『ダゴン秘密教団』という組織のものでしょう」
「宗教家の集まりでしょうか?」
「いえ。どちらかといえばフリーランスに近いかと」
「そいつらの目的はー?」
「あれです。あそこにいるものの復活を悲願としています。しかし……」
ナコトは思案顔になる。
「何か問題が?」
「魔導書を所持していたとして、そして依り代があったとして、それだけであそこまでの巨大な質量があるものを呼び出せるとは思えないんです。何かまだ、あるはずです」
ナコトとは対照的に堀は物事を楽観的にとらえていた。敵の正体も目的も分かりつつあるのだ。あとはそいつらを打倒するだけである。
「何にせよ、鍵は魔導書ということですね」
「いやあ、それなら楽でいいですね。本の持ち主を突き止めて追い詰めて、建物を退かしてもらいましょうか」
「話を聞くような連中とは思えませんが」
堀はにこにことしていた。人のいい笑みだがその腹は血で血を洗うことしか考えていない。
「まあ、あなたたちなら問題はないでしょうね。それでも無理なら、もう諦めるしかありません」
「つーかあんたもやれんじゃないの? 戦えよ」
シルトにねめつけられたナコトは舌打ちで返す。苦しそうで、悔しそうだった。
「難しいですね。何せ、ルルイエに駒台の魔力をほとんど持っていかれているので。あたし以外にも同様の状態に陥っているものはいるはずですよ」
「頭でっかちなだけじゃん」
「うるさいなあ……」
ナコトはそっぽを向いた。シルトは鬼の首を取ったような有様である。それをヒルデにたしなめられてしゅんとするのは、竜宮城の階段を全速力で駆け下りてくるパァラの姿を見つけた時だった。
さっきのソレは何だったんだろう。
立花は来た道を何度か振り返りつつ、先へ進む。板張りの廊下だ。歩くたびにきしきしと音が鳴る。長く折れ曲がった廊下は、先まで立花がいた吹き抜けを取り囲むようにして造られている。彼女が歩いているのは竜宮城の回廊だ。襖はあれどどれも開かず、吹き抜けには戻れそうもなかった。襖の反対側は外だ。駒台の空が見えている。
どこまで歩けばいいか定かではないが、立花は前進を選んだ。ひたすらに歩く。……糸原とナナとは、ソレとの交戦中にはぐれてしまった。吹き抜けで触手の上に留まったのち、三人は上を目指した。深松たちのいるであろう聖堂へ戻ろうとしたのだが、あの吹き抜けにソレが現れたのだ。カメの群れだった。海の中のように吹き抜けを自在に動き、甲羅には棘などの突起物が生えていた。立花は、カメと言えば鈍重なものだとばかり思っていたが、むしろ動きが鈍いのは自分たちの方だった。足場の悪さも相まってまともには戦えず、三人はそれぞれ違う場所へ逃れたという次第だった。
歩けど歩けど景色が変わらない。乱されるほどやわな心ではないが、立花はじれったさを覚え始めていた。
ソレの襲撃で散り散りになった後、糸原は大広間にいた。全面に畳が敷かれ、高い天井には提灯がつり下がっている。窓はない。入ってきた扉はあるが先まで開いていたそれも今は閉じている。壁際には絵が飾られていた。海の中、タイやヒラメが舞っている様子が豊かな色彩と軽妙な筆致で描かれている。価値はない。糸原はそう断じた。
まるで宴会場のような広間だが、一ミリたりとも楽しくならない。ここに来るまでの道程を思い返し、糸原は舌打ちする。彼女はずっと聖堂を目指していたが、竜宮城の造りは無茶苦茶だった。扉を一つ開けるたび、廊下の角を一つ曲がるたび、どこか別の場所へ連れて行かれたかのような違和感を覚えた。そも、道が繋がっていないのだ。戻っても知らない場所に出る。ここが自分の想定する埒外の場所と認識していたつもりだが、それだけでは足りなかったらしい。
「出れねーし」
閉じた扉をけっ飛ばすと、糸原は息をつく。このだだっ広いだけで何もない空間に閉じ込められた。最悪の気分だった。何もない、誰もいないなら当たり散らすこともできない。彼女は大広間を少し歩き回り、何かないか、他の出口はどうかと調べたが、新しい発見はなかった。後はもう思惟に耽るしかなかったが、糸原は竜宮城の成り立ちだとか、深松良子なる人物の思想や目的については興味がない。ただ切り刻む敵だとしか捉えていない。そして聖堂にいたものたちの顔を思い出して憤死しそうになる。彼女は、誰かが物事をうまく進めているさまを見るのが嫌いだった。
じたばたしていても仕方がないと決めて、糸原は壁にもたれようとした。魚の描かれた絵が邪魔だったので退かすか、あるいは糸で刻もうとしたが、絵の中の魚が動いているのに気づく。魚は泳いでいた。青色の空間を好き放題に移動していた。咄嗟に額縁ごと絵を刻んでみると、切り口から水がこぼれて、ばらばらになった魚が現れた。
糸原は周囲を見る。よく観察すると、他の絵も先の魚同様に動いていた。絵の中で生きているのかもしれない。反応があるのはいいことだ。彼女は八つ当たりの対象を見つけたのだ。ひとまず、この大広間全体を無茶苦茶にしてやろうと思い立った。
「……足りねーし」
それだけでなく、この竜宮城ごと何もかもを細切れにしてやろうと決意した。
センサーに反応あり。生体反応だ。それもとんでもなく素早い動きである。ナナは、その反応が春風のものだと判断した。彼女がタラリアで高速移動しているのだろうと推測し、その反応を追いかけることにした。
竜宮城の空間は歪だ。きちんと繋がっていない。上を目指していてもそうはならない。城が変質してから建物内の様子がおかしくなっている。はぐれた糸原たちとの合流も難しいだろう。
しかし。ナナは思案する。聖堂にいたものたちが竜宮城を呼び出したことは分かる。自分たちを邪魔者だと判じて罠にかけたことも分かる。問題なのはその後だ。各個撃破するには容易い状況だというのに、自分たちは見逃されている。というより放置されているとしか思えなかった。まさか深松たちがこの城の内部を把握していないはずはないだろうが、それでも妙だった。あるいは自分たちをこの城に留まらせている意味があるのかもしれない。
些事だ。
そのようなことはナナにとってどうでもよかった。一が無事かどうかは心配だが彼は彼でどうにかするはずだ。もちろん見つけた時には手厚く守護するつもりではあるが、元を断たねば意味がない。即ちすべきことは敵性存在の撃滅である。見つけたものを片っ端から殺し、隠れているものを虱潰しにする。そのためには春風に脱出してもらい、地上で控えているパァラたちにも出動してもらう必要がある。自分たちは内側から。他のものは外側から。そうやって綺麗さっぱり片付けることが一のためにもなる。
ナナは駆けた。反応が近い。気づけば、彼女は吹き抜けに戻りつつあった。ナナはある程度なら竜宮城の構造を掴んでいたのである。そうして吹き抜けに戻るや自分たちを襲ってきたカメのソレを殴り飛ばし、
「発見しました」
触手から触手へと跳び回る春風の姿を見つけた。それだけではない。彼女は女に追われていた。小柄で褐色の肌をした女だ。動き易そうな格好をしているが、長い黒髪をまとめて、アクセサリーをじゃらじゃらと身に着けている。女とナナの目が合った。女は眠たそうな眼をしていて、眉毛が太かった。
ラーヤ・ラーヤはフリーランス『踊り場』であり、ダゴン秘密教団日本支部の一員でもある。フリーランスとして活動している時に深松にスカウトされたのだ。しかし彼女は教団の教義や目的に興味はない。欲しいのは金だ。海底都市がどうとか、かの神がどうとか、好きにしてくれと思っている。そして深松はどんぶり勘定である。教団は金に糸目をつけない。ラーヤにとってこれほど素晴らしい労働環境はないと言えた。
教団においてラーヤは影であり、風である。深松の意のままに動く。汚いこともやってきた。非人道的な行為にも手を染めた。なぜか。金払いがいいからだ。今、深松に命じられてオンリーワンの人間を追っているのも同じことだ。追いかけて、追いついて――――
『あいつ……! ラーヤ、追って!』
――――追いついたらどうしよう。
深松からは何の指示も受けていない。とりあえず見失わない程度に追うだけ追おう。ラーヤはそう考えた。どっちにしろ、スーツ姿の女は簡単には捕まえられない。ただの人間ではない。この吹き抜けをカメのソレよりも、自分よりも素早く動き回っている。ただし攻勢に転じないことからそれだけのやつとも言えた。跳び回り、這い回るだけだ。蠅のように。蛆のように。
ラーヤは蠅が嫌いだ。蛆も嫌いだ。貧しかったころを思い出してしまう。貧民窟での暮らしは最悪だった。もうあの時には戻りたくない。だからやる。命じられたことはやり遂げる。だからこそ深松らも自分を飼っているのだ。
蠅は殺す。
蛆は殺す。
逃げ回る女の息の根を止めろとは命じられていないが、足を一本腐らせて使えなくするくらいなら深松も何も言わないだろうと判断する。ラーヤは小さなナイフを抜いた。その刀身には彼女自身で調合した毒が塗られてある。かすり傷さえ作られればその部位の壊死は確実だ。
ラーヤは息を吸った。相手が中空にいるところを狙うつもりだった。スーツの女が跳ぶ。ラーヤはナイフを二本投げた。得物は吸い込まれるようにして春風の右足へ向かったが、彼女の体から火柱が上がる。毒が糊塗されたナイフは中空で燃え上がり融け落ちる。スーツの女はラーヤを一瞥し、また一段と高い場所へ逃れていった。
くそ。ラーヤは舌打ちする。この吹き抜けもそうだが、建物の構造は複雑で自分たち以外の人間は自由に出入りできないようになっていた。いずれは捕まえられるはずだが、今の炎は何だ。正体が掴めず、彼女は躊躇した。
苛立ちがラーヤの集中力を緩慢なものにしていた。
ナナの拳が触手を捉えた。ラーヤを狙った一撃は空振りしていた。彼女はその場から離脱する際、ナイフを投げてナナの頬に傷をつけている。
ラーヤは上にいる春風を意識しながら、ナナよりも一段高い場所に着地する。
「さすがに、そこまで簡単な話ではありませんね」
ナナはハンカチで傷を拭い、春風を見上げた。
「ご無事ですね?」
「ああ」と春風の声が降ってくる。
「脱出をお願いします」
「分かっている」
春風は短く返した。自分たちの状況をラーヤに教えたくなかったのだ。ふ、と、ラーヤはほくそ笑む。
「では」
ナナはラーヤを見ながら、とある方角を指差した。
「その触手の陰に小さな出入り口があるはずです」
「外に繋がっているのか?」
「分かりませんが、今現在、出入口はそこにしかありません」
妙な言い回しだったが、春風は承服したらしい。彼女はナナの言った場所を目指すがラーヤが動き出す。ナナは、それを見逃すほど甘い自動人形ではなかった。
一瞬で間を詰めると、ナナは回し蹴りを放つ。ラーヤはすんでのところで攻撃を避けるが、春風は既に出入り口に辿り着こうとしていた。
「……どうして」とラーヤが呟く。ナナは眼鏡の位置を指で押し上げた。
「『どうして毒が効かないのか』ですか?」
先まで眠たそうだったラーヤの目が見開かれた。触手の上、ナナは拳を繰り出しながら言った。
「気合です」嘘だった。
ナナが出入り口の場所を把握していたのはパターンを掴んでいたからだ。傾向として、出入り口は一つきりだ。そして竜宮城の内部は誰かが出入りするたびに出入口の位置が変わる。毒が効かないのは普通の人間ではないからだ。しかし彼女は自分が自動人形であることをラーヤに隠していた。
一方のラーヤも、ナナがただの人間ではないことに気づいていた。
「よほどエグい訓練をしてきた……?」
ナナは微笑んだ。戦いはまだ始まったばかりだった。
「おっ、戻ってきた戻ってきた」
正門前でパァラを待っていた一たちは、その場に座り込んで談笑していた。階段を駆け上がってきたパァラがその様子を見て怒った。
「いいご身分ですこと!」
「ん」と店長が手を出す。パァラはイラつきながらもナップザックを下ろし、頼まれていた煙草を手渡した。すると店長は眉根を寄せて唇を尖らせる。
「おい、どうして10ミリなんだ。私が吸ってるのは8ミリだ」
「は……?」
「しかもメンソールだと……? 取り替えてこい」
「ぶちのめす」
「もういい。一、お前のと交換しろ。お前何でも吸うだろ。馬鹿舌だし」
「ひでえ」
言いつつ、一は自分の煙草を店長に投げて渡した。彼女も新しい煙草を投げ返す。そうして二人して煙草を咥えて火を点けた。姫は露骨に嫌そうな顔になる。
「副流煙って知ってますか?」
一と店長は同時に、知ってると答えた。
「もういいです。それでパァラさん、何かありましたか?」
「ええ。下で『図書館』から色々と話を聞いてきたわ」
「げー。黄衣かよ。誰が呼んだんだ?」
「さあな。それで?」
店長が話を促すと、パァラはナコトから聞いた話を一通り話した。
「……やっぱり魔導書が鍵なんですね」
一は鬱陶しそうに紫煙を吐きだす。
「しかしまあ死んでも厄介だな。いらねえもん残していきやがって。魔女だの隕石だのさあ」
「やることは変わらん。ここが竜宮城だろうが海底都市だろうが叩いて壊す」
「そっすね。『教団』だっけ? 正体がそいつらだとしても、そいつらに目的があるにせよ、こっちとしちゃやるしかないからな」
姫は少し呆れていた。
「脳筋……」
「そもそも『円卓』の時もそんな感じだったしな」
一は気楽そうに笑っていた。
「下の連中はどうするの? 堀とかシルトとか、こっちに来たがってたけど」
「待機だ。パァラ」
「嫌よ! 自分で伝えに行きなさいよ!」
「……まあ、言わなくても平気か。あいつらも子供じゃないんだ。待てという指示がある以上好き勝手には動かんだろう。ただし、何かあればまた下りてもらうからな」
「どんだけ人使いが荒いの!?」
憤るパァラを無視する形で、店長たちは正門をくぐり、中庭に足を踏み入れた。一が低く呻く。この中庭も最初に来た時とは様子が違っていた。敷き詰められていたのは白砂利ではなく、大小さまざまな貝だった。白い壁もどす黒く染まり、赤い柱は軟体生物じみた触手になっている。
「気持ちが悪いですね」
「正気じゃいられなくなりそうだ」
四人は建物の周囲を探ったが、襖はあれど開くものは一つもなかった。
「ッラァ!」
威勢のいい声と共に放たれたパァラ渾身の一撃も意味をなさなかった。一のハルパーでも店長の銃弾でも姫の魔力が宿った攻撃も無駄だった。
「見えない壁があるような感じで、全然手応えがありませんね」
「マジかよ。俺たち、さっきはこっから入っていったんだけど……」
一は襖を蹴りつけた。
「他の場所も探してみましょうか」
「いや、恐らく無駄だろうな」
「……やっぱりアレですか。敵を倒さないと先に進めないってやつですか」
パァラは周囲を見回した。肝心の敵がいない。彼女は今、八つ当たりの対象を欲していた。出てこい。そう強く念じた時、中庭のそこかしこから、正門前にも現れた半魚人やタツノオトシゴのソレが姿を見せる。一たちは包囲されたが悲観したような様子はない。
「あっ、やべえ。今俺、ソレが出てきてホッとしちまった」
「一さん。私もです」
パァラは両の拳を強く打ち合わせる。
「しかし代わり映えがないな」
弾込めをしていた店長が言うと、巨大な影がぬっと蠢いた。中庭に降りたそれは巨大なイカだった。全員が彼女を見た。
「……私のせいじゃないぞ」
「何でもいいから、とにかくぶちのめすわ!」
フレンチメイドのミニスカートが翻る。パァラは巨大なイカのソレに取りつき、力ずくで足を引きちぎっていた。