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覚醒都市



 八百坂征人には日課がある。それは朝起きて血液型占いの結果に一喜一憂することでもあったし、大学に通うこともそうであったし、

「あのプロフェッサー、またアタシを子ども扱いした」

「いやー、しようがなくね?」

「お兄ちゃんも全然かまってくれないし……」

「一さん? 忙しいっつってたけど」

「三時限目ってなんだったっけ」

「マクロ経済」

 学友たるジェーン=ゴーウェストの話を聞くのもまた日課の一つであった。

 駒台大学の学食で、八百坂とジェーンは向かい合って座っていた。彼女は長かった髪を切り、ツーテールではなくハーフアップにしてお団子を作っていた。神経質そうに被ったキャスケットの位置を何度も調整している。

 八百坂は水を飲み、携帯電話を弄った。

「自分から行きゃいいんじゃね?」

「……? どこに?」

「一さんとこ」

 ジェーンは言葉に詰まった。

「自分から行かねえと何も変わんなくね?」

「知ったようなことを……」

「まあ少なくとも俺のが偉そうに言える立場だし」

 八百坂は携帯電話をジェーンに見せつけた。遠距離恋愛中の彼女とのやり取りを見せつけられてジェーンはそっぽを向いた。

「つーか……おっ、ういー」

 おもむろに手を上げると、八百坂たちの方に二人の女子が合流した。立花真と姫である。二人は日替わりランチの載ったトレイをテーブルに置いて着席した。

「何話してたのー?」

 と、立花が割り箸を割りながら訊くと、ジェーンは『何も』とぶっきら棒に言った。

「一さんのこと話してたんだよ。構ってもらえないからって」

「なんで言うの!?」

「いや言うでしょ」

「へえー、ジェーンちゃん、はじめ君とそうなんだ」

 立花は口の中のものを飲み込んで、へらりと笑う。

「ボクはこないだ、はじめ君と遊んだよ」

「ハ? ……カンノ、ジャッジを」

 姫は物憂げに首を振った。

「駅前で偶然出会って、一緒に服を見てただけ。一さんはまた趣味の悪いシャツを選んでましたね。そもそも二人きりでも何でもないし」

 ふ、と、ジェーンは勝ち誇ったかのような表情を浮かべた。立花は叫んだ。なんで言うの、と。

「そうやって二人でくだらないマウントを取り合っているうちは何も変わらないと思うけどな」

 件の二人は八百坂をねめつけた。彼は話を逸らすべく、姫に話を振った。

「神野は? 一さんにっつーか、そういうの興味ないの?」

「ありません」

「へー。人気あんのにな」

 八百坂は立花や姫と同期であり、同じアルバイト先の同僚である。こうして顔を合わせる機会が多い。そして見た目だけなら彼女らは大学でも際立っていた。彼は友人や先輩から立花や姫を紹介してくれと何度も頼まれていたのである。

「え? ボク、人気あるの?」

「私もですか?」

「アタシも? アタシも?」

「えっ、うーん、まあ」

 だが、八百坂も一々対応するのが面倒なので、立花たちはオンリーワンの勤務外店員であると友人らに伝えていた。そうすると『じゃあ、うん、やっぱいいわ』と腰が引けるものがほとんどなので、何かあるたびにもっぱらこの手を使っていたのだ。

「でも声をかけられたりとか、ないと思うけどなあ」

「まあ美人なのは認めざるを得ないところではあります」

「そっすね」

 八百坂は真実を語らないことにした。

「人気なのはさきちゃんじゃない?」

「ちゃんって……早田先輩か。まー、確かに」

「今日も試合でどっか行ってるんだっけか。ラクロスだっけ?」

「それは先週。今週はバスケ」

「八面六臂ですね。同性から人気なのも分かります」

「ん?」

 八百坂は首を傾げた。早田は今大学にいない。同じゼミの楯列も、今は仕事がどうとかで槐を引き連れて街から離れている。

「えー、先輩ら二人ともいないのかよ」

「何かあったの?」

「俺、九十九先生苦手なんだよ。静かにキレんじゃん。いつもは先輩らが率先して怒られるからアレだけど、今日はデコイがいねえ」

 姫は冷めた目で八百坂を見る。

「怒られないように、普通にすればいいのでは」

「普通にしてるつもりなんだけどなあ。……なーんかお前らには優しくね? 案外女子に甘いところあるよな」

「そうかなー? あ、でも、ジェーンちゃんにはすぐにお菓子あげたりするよね」

「この前もお饅頭もらってましたね」

「孫だな、孫」

「だから子ども扱いするなってば……あ、アタシ先に行くネ。講義一緒の子に呼ばれちゃったから」

 荷物をまとめると、ジェーンはそそくさと立ち去った。立花は声を潜めて言った。

「戻ってこないかなあ、ジェーンちゃん」

「いや、今行ったばっかじゃん」

 八百坂は不思議そうにしていたが、立花が別のことを言っているのだと察した。

「ああ、コンビニにってことか」

「うん。だって寂しいもん」

「いいんじゃないんですか? オンリーワンで勤務外やるより、普通のレストランでアルバイトする方がずっと安全だし、楽だし」

 ランチを平らげた立花は、テーブル回りを片付けてぐでっとした様子で頬杖をつく。

「ボクも違うとこ探そうかなあ」

「あ、じゃあ私も」

 おい。内心でツッコミを入れる八百坂だった。



「やりましょうヒルデさん。アレっす。反旗を翻すんです」

「…………ええ? シルト、何を言っているの?」

「だからっ」

 オンリーワン北駒台店の昼下がり。納品作業をしつつ、シルトは声を潜めた。レジにはナナが立っていたので、そちらを気にしたのだ。

「だから、私ら『ぽんこつ』だのなんだの言われてるじゃないすか。か、仮にもワルキューレなんすよ。このまま舐められっ放しでいいと思うんですか」

「それは、私たちがちゃんとしていないから……」

「仕事ってなんすかっ。レジ打ったり、こんなおにぎりを並べたりするのが戦乙女のやることっすか」

 ヒルデは緩々とした動作で頷いた。シルトは肩を落とす。

「人間にこき使われるのはヤなんです私」

「じゃあ、ここを辞めるの?」

「いえ」

 シルトは握り拳を作った。

「私たちがここの長になるんです」

「……店長さんに、なるの?」

「そういうことです」

「どうやって?」

「えっ? それはー、まあー、あのですね……その……」

「仕事しよ、シルト」

 うなだれたまま、シルトは作業を再開した。その様子を見ていたナナはバックヤードに戻る。彼女の耳元からきゅいきゅいという音が発せられていた。

「どうした、ナナ」

 椅子に深く腰掛けた店長は顔だけをナナに向けた。

「シルトさんに造反の疑いがあります」

「……なんだそれは」

「店長の地位を乗っ取ろうと企んでいる様子です」

 店長は苦笑する。

「こんなもの、のし付けてくれてやる。しかしなんだ。シルトには不満があるらしいな」

「どうやら『ぽんこつ』だの何だのと言われているのが我慢ならないようで」

 そう言っているのは主に糸原だった。

「とはいえあの二人、仕事をなかなか覚えないのは確かだからな」

「ですが、人には向き不向きがあります」

「うん。というか私も人のことは言えん。まともなことができないからここにいる」

 ヒルデとシルト。もとは南駒台店の店員だったが、アレスというソレの襲撃を喰らって根無し草だったのを見かねて、北駒台店で身柄を預かっていた。

「どうせなら支部の戦闘部にでも預かってもらうか」

「人員不足は憂慮すべきですが、致し方ないかと」

「それか、本当に店長でも任せてみるか」

「その間、二ノ美屋店長はどうするのです?」

 店長はたばこに火を点けて口元を緩めた。

「ゆっくりしたいな。好きな時間に眠りたい」

「お察しします。ああ、それから、マスターのことで相談があるのですが」

「一の? なんだ?」

「マスターはどうすれば技術部に来てくださるのでしょう」

 ああ、と、店長は紫煙を吐く。

「戦闘部ならともかく、技術部も医療部も情報部も、どうしてやつを欲しがるかな」

「マスターのお人柄かと。今朝も天津さんから『彼、どうにかならないかなー』と言われたものですから」

「一は行かんぞ。自由を謳歌しているようだからな」

 ナナは小さく頷く。

「この町にいてくださるだけでナナは充分です。もうひとつよろしいですか。マスターの右腕のことです」

「ああ、義手のことか。技術部がやったんだろう? 出来栄えとしては、申し分ないと思うがな」

「マスターったらこちらに任せきりだったので。ほとんど試着もしていない状態なのです」

 店長は思案する。そも、一は義手をつけたがらなかった。三森が右腕の代わりをしていることもあるだろうが、やはり本人の性格による妙な片意地のせいなのだろう。

「当分は必要ないだろう」

「いつでもいけるようにメンテナンスはしています。もし何かあれば、マスターによろしくお伝えください」

「分かった。それから、あのアホが仕事をさぼっているから、行って睨みを利かせてきてくれ」

 ナナは監視カメラのモニターで、商品棚にもたれかかっているシルトの姿を認めた。



 右腕がないことにはもう慣れた。一は失った部位を摩って笑みを浮かべる。締まりのない彼を見て、窓辺に佇んでいた三森は苦笑した。暗がりの室内だが、二人とも互いの表情は手に取るように分かっていた。

「何笑ってんだよ」

「笑ってないすよ」

「ええ? そう?」

「そうっすよ。……なんか食べます?」

「何があんの?」

 一は頭を掻いた。

「何かは、どっかにあると思いますけど」

「いいよもう。食べなくても死なねーし」

「そっすね」

「そっすねじゃねーよ」

 三森は一の額を押してその場に転がすと、腹の上に座って馬乗りになる。彼女は意地悪い笑みを浮かべた。

「もー、なんすかなんすか」

「ちょっと横なってみ」

 一は訝しげに三森を見上げる。

「耳掘らせろよ」

「好きっすね耳かき。前もやったじゃないですか」

「やりたいんだよ、好きだから」

「俺のことが?」

「そうだよもう、早く寝転がれや」

 三森が立ち上がるも一は動こうとしなかった。

「ンだよさっさとしろよ」

「いや、せめて膝枕くらいして欲しいなあって。してくれてもよくないですかね」

「……んー」

「愛がねーよ。そんくらいしてくれなきゃ罰が当たりますよ。だいたいアレ、そんな短いスパンで耳掃除してたら耳ん中がずたぼろになるんですから」

「んー?」

 自分の耳を何度も指差す一だが、三森は耳かき道具をくるくると弄ぶばかりでまともに取り合っていなかった。

「ちょっと」

「ん」

「ちょっとー」

 文句を聞き流されて転がされた一の頭が床にぶつかる。三森がいざってから自らの膝を耳かき棒で示すと、彼は何も言わずに膝枕の恩恵に与った。

「最初からそうやってくれてりゃいいんすよ」

「ちょっと黙ってて」

 三森は髪の毛をかき上げつつ、一の耳の中にじっと視線を落とす。そうしてつまらなそうに舌打ちした。

「あんまりねェな……」

「そらこないだもやったばかりだし。つーか耳きれいだったら耳かきしなくても……あっ、いた」

 三森は一の顔を固定するや、耳かき棒の先端を彼の耳の中に突っ込んだ。

「動くなって」

「いや、だから」

「いいじゃねーかこんくらい。耳掘らせてくれてもバチ当たンねえだろ」

「罰ってなんの」

「店長の飯は美味かったかよ」

 三森の声のトーンは常より低いものになっていた。一は彼女の様子を窺おうするが、顔が固定されているので何もできなかった。今は身を任せるしかなかった。

 三森は続ける。

「聞いてんだけど?」

「まあ、美味いんじゃないんすかね」

「毎日食べたい?」

「えっ。何を」

「店長の料理をだよ」

 棒の先が耳の中を這い回っていた。こそばゆい感覚を受けながら、一は答えた。

「別に毎日食べたいとか、そういうのじゃないですけど」

「たまには食べたいんだ?」

「……いや、そういうわけでも」

 三森の手が止まった。彼女はまた触れそうなほど顔を近づけて一の耳の中を覗き込んでいる。

「今、答えるまでに間があったよな」

「あのー。もしかして何かその……」

「や、浮気とか? なんかそういうの疑ってるわけじゃねえんだけど」

 三森は再び耳掃除を始めた。

「けど?」

「もし私がな、お前以外のやつんちまで行って甲斐甲斐しく食事とか、そういう世話ぁしてたらそれってどうなんかな。どう思う?」

「俺としては嫌ですね」

「なんで?」

 一は三森の言わんとしていることを随分と前から察していた。

「今度から断ります」

「いや、別に断れって言ってるんじゃなくってさ」

「俺からも一つ聞いていいですか」

「んー、なに?」

「なんで店長とか、糸原さんとかと会わないんですか」

 三森はしばらくの間、無言だった。梵天と綿棒で耳掃除を終えると、次は反対側の耳を差し出すように促す。彼が指示に従うと、そこでようやく口を開いた。

「なんて言ったらいいか分かんねーし、期待させたくないっつーか」

「は? 何言ってんすか?」

「お前な……ほら、私って死んだじゃん。まあ、こういう形でこうしていられるけど、私はもう普通の人間じゃねーんだ。だから、あいつらと会って、同じようにするのって難しいんじゃねえかって。や、怖いのかもな」

「置いてかれてる感じがして?」

 三森の手元が僅かに狂った。一は鼓膜が破れるかと飛び上がりそうになったが、歯を食いしばって堪えた。

「ごめん、痛かったよな?」

「少し。……みんなに置いてかれてるなーって感じてるのは俺も同じですよ。でも、いいんです」

「なんでだよ」

 一は三森の頬に触れて、そこを撫でた。彼女はされるがままだったが、鬱陶しくなったのか彼の手を払った。

「別にいいじゃないですか、二人でゆっくりしてたって」

「まあ、お前がいいんならいいけどよ」

「それよりほら、耳かき終わったらアレやってくださいよ。あの、耳に息吹きかけるやつ」

「えー? 恥ずかしくなるんだよなあれ」

「前笑ってましたもんね。照れ笑い」

「なに。そんな気に入ったの?」

「まあ、うん」

「よしよし、そんじゃ後でやってやっからよ。大人しくしとけよな」

 耳元で囁かれて、一は静かに目を瞑った。



 駒台市立博物館の竣工式当日を迎えても、関係者の心はまるで晴れず、ぴくりとも動かなかった。

 市長の鶴の一声で始まった工事だが、隕石だの何だのといったものを目玉に据えたとして誰がわざわざ観に来るのか。反対の声は役所からだけでなく市民からも上がっていた。そんなものに金をかけるより前に、どうにかすべきところがあるはずだと。市長は市の存亡がかかっていると熱弁して博物館の建設にこぎつけたが、その費用は馬鹿にならない。駒台の街はまだ大量のソレから受けた傷がこれっぽちも癒えていないのだ。

 えびす顔の市長をよそに、竣工式に集まったものたちは暗澹たる気持ちを持て余していた。悲喜こもごもの感情が渦巻く式は滞りなく進み、いよいよ入鋏の儀となった。ことが起こったのはその時だった。会場周辺に集まったものが最初に感じたのは、足元から伝わるすさまじい振動である。誰もが地震だと身構えた。次いで、博物館が揺れた。外からは、館内の目玉として展示された隕石が見えていた。宇宙から飛来したであろう巨大な石には市長の夢と希望と野心がつまっている。多くの反対の声を押し切り、巨額の費用を注ぎ込んだ夢が、

「あっ」

 砕けた。

 隕石が砕けた。

 呆気なく。いともたやすく。

「ぎ」

 一瞬の静寂ののち、市長の口からけだもののような悲鳴が迸った。その声に呼応するかのように振動が先よりも強く、勢いを増す。砕けた隕石の断面から強烈な光が発せられた。誰もまともには立っていられず、目も開けられない状況が長く続いた。

「石が……石が……」

 呻き声は騒音で掻き消される。市長は幼子のような足取りで博物館に近づこうとしたが、隕石に続いて博物館まで尋常ならざる様相を呈していた。外壁はみしみしとひび割れて硝子が割れる。隙間はさらなる隙間を呼びやがて穴と化す。鉄骨が曲がり、徐々に建物全体が斜めになっていく。誰かが、ここから離れろと声を荒らげた。

 ひときわ強く、大きな衝撃が起こった。地面が沈んだのか、完成したばかりの博物館が折れて二つになって大穴に飲み込まれた。景観がすっきりしたのもつかの間、何かが穴から浮上する。それは一見すると城であった。天守となる部分から、次第にそれはこの場にいる皆へその全貌を明らかにする。

 天を衝かんばかりに聳えたのは城砦というより宮殿に近い威容の建物である。正門があり、長く伸びた階段が地上まで繋がっている。がらがらとまだ音を立てながら、それは駒台の地にしかと根差そうとする。まるで巨大な樹木であった。

「は、博物館が……!」

 やがて振動が収まると、市長は気を失いかけていた。しかし彼を気にかけるものは誰もいなかった。誰もが、博物館と入れ替わった宮殿に目を奪われていたのだ。異様である。しかし美しかった。

 蝶のような、極彩色の翅を持った虫が舞い、建物の外壁部には珊瑚や巨大な貝がちりばめられていた。地上まで架かった長い階段は真白で、下界の穢れをまだ知らないようだった。

 お伽噺から抜け出たような宮殿を見て、関係者は思った。博物館よりも、こっちの方が観光名所になる。この方が断然金になると。

「しかし……これは、まるで――――」



「――――竜宮城だと?」

 ええ。堀は運転しながらで小さく頷いた。後部座席で腕を組む店長は、車内から見える件の竜宮城とやらを一瞥して鼻で笑った。

「その場にいた人がそのように言っていたと情報部から報告が。店長。竜宮城とは有名な建物なんですか?」

「昔話によく出てくる海神の宮殿だ」

「ああ。ケルトで言えばマグ・メルやティル・ナ・ノーグみたいなものですか」

「そんなものだ。この国の人間ならだいたい知っている。浦島太郎の竜宮城だな」

 店長がたばこを口に咥える。ミラー越しにその様子を認めた堀は彼女を止めようとしたが諦めた。

「しかし駒台は海に面していませんね」

「竜宮の伝承地は海に近いところだけじゃない。どこででも伝わっているものだ。そもそもが水の中というのは我々からすれば別世界だからな。竜宮とは水の中にある宮殿を指すのではなく、あくまで別世界の宮殿を指しているに過ぎん。そして今はそんなことなどどうでもいい」

「オンリーワンに出動要請がかかったわけですからね。まだソレの存在は確認されていませんが……」

「ああ。あの建物自体がソレそのものと見ていいだろう」

 紫煙が車内を満たす。堀は軽く咳払いして窓を開けた。店長は素知らぬ顔だった。

「現場の状況は?」

「人は立ち退かせました。誰もあの城には足を踏み入れていません」

「確か、博物館の竣工日だったよな。人が大勢いたんじゃないのか?」

「どうにかなったようです。周りは警察やらが囲んでます。けが人はいたようですが」

「死人が出てないならまだいい方だな。しかし」

 店長は携帯灰皿を開いて、その中に切った灰を落とした。

「運がないな」

「いやあ、何も、わざわざ博物館の真下から出てくることもなかったでしょうに」

「あるいは理由があったのかもな」

「というと、やはり隕石スルトが?」

「分からんが、アレだけ巨大なものだ。いやがうえにもあの日を思い出す」

 ハンドルを握る手に力が入っていた。堀はかぶりを振って冷静さを取り戻そうとしていた。

「『円卓』の残党でしょうか」

「何にせよ我々の成すべきことは一つきりだ。というより、それしかできないから我々が呼ばれたんだ」

「ですね。……着きます」

 車は博物館近くの道路に停まり、降車した二人は、情報部が設営したであろう陣所に向かう。テントの下には大きめの机とパイプ椅子が並んでいた。テントの隅には、ぐったりとしている男の姿も見える。

 店長は竜宮城を見上げた。まだ何も動きはないようだが、アレがただ無意味に生えてきたわけでもないと確信する。

 歩きながら、店長は堀に訊いた。

「連中は?」

「もう来ているはずですが。ああ、あそこに」

 堀が、竜宮城と地上を繋ぐ階段付近を指差した。そこには先に到着した一たちが集まっている。彼らは携帯電話のカメラで竜宮城を撮影しているらしかった。

「殺すぞ」

「いやあ、いいじゃないですか。どうせ壊すなりするんですし。あとであれをバックに私も撮ってもらいたいですね。炉辺さんに是非見てもらいたいなあ」

「浮かれるな、ばか」

「いやあ」

 堀は眼鏡の位置を指で押し上げた。

「はっは、どうにもね。浮かれてしまいますよ」

 店長は新たな戦いを予感していた。堀もまた、確信していた。



「で。あれ何なの?」

 テントの下。糸原は竜宮城を指差して面倒くさそうに言った。パイプ椅子にどっかりと腰かけた店長は目を瞑る。

「知らん」

「竜宮城とか言ってましたね」

「なるほど。マスターマスター。ナナのデータベースによるとですね」

「好き勝手に喋るな」

 店長に睨まれて一たちは口をつぐんだ。この場には留守番の八百坂を除いた全員が集まっている。放っておくといつもの数倍うるさいのも仕方なかった。

「ごちゃごちゃ言うな。どうせお前らがやれることなんか高が知れてる」

「つまり、なんすか?」

 一は右腕を撫でながら尋ねた。

「避難は済んでいる。周囲に迷惑をかけることもそうはない。何より駒台の市長からは『ぶっ壊せ』というお達しだ」

「ああ、そういうことですか」

 一は締まりのない笑みを浮かべる。

「やりまくってやればいいってわけね」

 ちょうどいいや。糸原は呟いた。

「やる気があって結構。ああ、水を差すわけじゃないが向かうのは四人だ。全員では行くな」

 竜宮城の階段に向かおうとしていたものたちが不思議そうにしていた。

「何かあったら困るからな。全員で行って一網打尽にされてみろ。笑えるぞ」

「それはいいんだけど、じゃあ誰が行くの?」

「糸原と立花、ナナと、それから……」

 店長は視線をさまよわせていたが、アロハシャツを着た一に視線を定めた。

「一の四人だ。残りはいったん留守番」

「えーー? 私も行きたいんすけどー? ねー? ヒルデさん、ねー?」

「……店長さんの言うことだから」

「ええい、うるさい。いいか糸原。よろしく頼むぞ。お前らには情報部も帯同するが、気は遣わんでいいぞ」

「はいはい、どうせ春風でしょ? よっしゃ、そんじゃ行きますか」

 指名された四人は階段の下まで歩いていき、何事かを話しながらだらだらと階段を上り始めた。

 留守番メンバーはテントの下、思い思いの場所を陣取って竜宮城を眺めている。その中にいる店長には一抹の不安があった。彼女は周囲を見回す。残ったのは姫、パァラ、シルト、ヒルデの四人だ。堀や春風はいるが、それ以外に支部からの援護は期待できない。どこも人手が足りていなかった。のみならず、今回は一の知己にも期待できない。アレスや円卓の時のようにはいかない。自分たちでことを収めるほかないのだ。

 手持ち無沙汰になった店長はたばこに火を点けようとしたが、姫がじっと見ているのに気づいた。放っておくのも鬱陶しく感じたのか、彼女は姫に視線を遣った。

「不満でもあるのか」

「疑問です」

 椅子から立ち上がった姫はつかつかと歩き、店長の目の前で立ち止まった。

「どうしてあの四人なんですか」

「いやあ、それはですね」

 傍にいた堀が口を開く。店長は彼に任せることにして、ゆっくりと煙を味わう。

「火力がある人たちですから。並のソレならどうにでもなりますよ」

「……火力ですか」

「ええ。それに、何だかんだで北駒台で長くやってますからね」

「信用できるというわけでしょうか」

「いやあ、というより信頼ですかね。そうですよね、店長」

「どうだかな」

 店長が最後に一を指名したのは、彼自身の能力によるものではない。彼の右腕に巣食うものに期待したのだ。

「私やパァラさんたちでは頼りないというわけですね」

「そういうわけでもないんですが、こういうのは経験ですからね」

「……分かりました」

 そう言って、姫は元の位置に戻っていった。

「全然分かってくれていない顔でしたね」

「そうだな。だが、まあ……」

「糸原さんやナナさんなら多数のソレを相手取れます。世界広しとは言いますが、立花さんに敵うものはまずいないでしょう。単独の敵なら彼女に任せれば済む。それに一くんには保険がありますし」

 堀は店長の顔を盗み見てから話を続けた。

「一くんがいた方が、あの三人も張り切るでしょうし」

「立ってるだけで役に立つからな」

「士気が上がるのは得難いことですよ」

「全くだ」

 店長は紫煙をくゆらせた。

「行かせないと思ってましたが」

「……? 何がだ?」

「あなたが、一くんを、ですよ。最近、随分と彼に対しては……」

「甘くなったか?」

「いや、それは前からです」

 店長は眉根を寄せる。堀は苦笑で応えた。

「とにかく大切に思っているんじゃないかってね。立ってるだけでとは言いますが、今の一くんにはアイギスがない。女神の盾はもうないんでしょう? 身を守る術を失っては、ソレとの戦いで苦しむんじゃないかと」

「使えるものは使う。それだけだ」

「ははあ、では、一くんに対して個人的に思うところはないと」

「ない。悪く思うことはあるがな」

「そういうことにしておきましょうか」

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