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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
アーサー・ペンドラゴン
315/328

朝陽の中へ

 口から吐いた血は乾きつつあった。

 アーサー・ペンドラゴンは空の中から、空を見る。

 暗い。寒い。夜の海に放り出されたかのような不安と恐怖が押し寄せてきた。

 しかし、苦しくはない。肉体を痛めつけられてはいたが、通り越したのだ。もはや何も感じないのである。

 夜の中、アーサーは最後に光を認めた。それは、世界の終わりか。あるいは。



「……おい。なあ。なあって」

 一は頭を掻いた。アーサーは息絶えようとしていた。もちろん彼が死ぬのを止めるつもりはない。だが、スルトを止める方法を吐かせるのが先だった。

「死ンだのか、そいつ」

「や、まだです」

 一の横から顔を覗かせた三森は、アーサーを見て眉をひそめる。

「どうしてこう、満足そうに笑ってンのかね、こいつは」

 アーサーは穏やかな表情でもって一たちを見上げていた。三森はそのことが気に入らないらしく、つまらなそうにしている。

 一は屈んでアーサーの顔を見る。

「スルトってやつは、どうやったら……その、どうにかなるんだ?」

「……てんしが、そら、から」

 アーサーの目に光はない。彼の体に力はない。

「駄目だな、こりゃ」

 諦めて、一は息を吐き出した。立ち上った呼気の行方を追おうとするも、それはすぐに空へ消えてしまう。

 じき、自分たちも消えてしまうのだろうか。そんなことを考えて、一は頭を振った。何もかも今更だったからだ。

「よう、どうする? 帰るに帰れねェよな?」

 なぜだか楽しそうな三森である。一はつられて苦笑した。

「や、帰ろうと思えば……」

 メドゥーサの能力を使えば空を固めて足場に出来る。足場を伝えば地上に戻られるだろう。だが、アーサーの言う『天使スルト』を放置することは出来なかった。


『あなたを人間に戻してあげる』


 アテナの言葉が一の脳裏を過ぎる。

 時が来ればアイギスも、メドゥーサも、何もかもを失うのだろう。ここに留まるか、背を向けるか。選ぶ時間は残されていない。そも、アーサーが死ねばこの場が消失する。


 ――――生きてく、意味か。


 このまま、人として。

 何の力も持たず、最愛の人を失ったままで。

「死にたくは、なかったけど」

 一は死ぬのが嫌だった。

 何も出来ずに、無駄に、無意味に死ぬのが嫌だった。

 だが、今はどうだろう。満足しているのではないか。そんな気さえしていた。

 糸原四乃でなく、ジェーン=ゴーウェストでなく、立花真でなく、ナナでなく、他の誰でもなく、今、一一がここに立っている意味。一は神を信じていない。自分たちを助けてくれない存在を認めていない。運命も、使命も、そんなものを背負うのはごめんだった。それでも、今日、この時まで生きてこられた意味というものがあるのなら。そう思わざるを得なかった。

「もうちょっとだけ頑張ろうかなって、思います」

「……そんなんなってまだやろうってのか? ここで終わったって誰も文句なんか言わねェと思うぞ」

「俺一人ならとっとと逃げてましたよ」

 三森は不思議そうに一を見返す。

「好きな人の前だからかっこつけたい。そんだけですよ」

 三森はくつくつと笑って、何も言わないで一の肩を叩いた。そうして、一と三森は二人して空を見上げる。

 そこには、あった。

 この星とは違う世界から降ってくるものが、見えている。赤くて、大きくて、ぴかぴかと光る――――。

「三森さん」

「何だよ」

「あけましておめでとうございます」

 一はぺこりと頭を下げた。三森はあははと笑った。



 六時を少し回った頃であった。

 二ノ美屋たちは空が明るくなるのを見上げていた。ソレや仲間の骸の上で血の臭いも、傷の痛みも、しばらくの間だけ忘れられた。

 綺麗だと、誰かが呟いた。それが聞こえていた二ノ美屋は頷きかけたが、隣にいた者の姿が薄くなっているのに気付く。存在が希薄になりつつあるのはエインヘリヤルの男であった。

「……そうか」

 光が灯る。

 其処此処から声が上がる。

 待ってくれ。行かないでくれ。

 別れを惜しむ言葉を聞き届けると、一人、また一人、エインヘリヤルは淡くなって消えていく。彼らは皆、光となる。その粒子は少しの間だけ宙に停滞するも、やがて、見えなくなった。

 二ノ美屋は立ち上がり、辺りを見回す。そうして、頭を下げた。

「みんな、ありがとう。お疲れ様でした」

 堀や春風たちも、生き残った者たちは皆、二ノ美屋に倣い、虚空に向けて頭を下げた。



「おい、おい、大丈夫か?」

 肩を揺さぶられて、山田栞は目を覚ました。彼女の顔を心配そうにのぞき込んでいるのは、知らない男だった。

 山田は低く呻いてから、知り合いがここにいないことに気づいた。そうして、彼はここにいてはいけない存在だったのだと思い直す。

 今度こそ本当に逝ったか。それが分かった時、山田は少しだけ哀しくなった。どうか黄泉路を迷うなよと、既に死者となっていた幼馴染のことを想った。

「うん。大丈夫だよ、オレは」

 男に答えてから、山田は何者かに誘われるようにして目を瞑った。深い眠りの先に待つのは死ではない。報告することが山ほどある。もう一度、必ず目覚めて故郷に帰ろうと、彼女は強く決意した。



 この世界に座礁し、辛うじてその原型を保っている船の甲板の上で、ナコトは目を細めた。彼女の表情を認めて、オキナは小さく頷く。ヴィヴィアンという仇は打ち滅ぼされた。もう、彼には未練などない。

「そいじゃあな、ナコト。どうか、幸せにな」

「……いっちゃうんだ」

「ああ」

 夜が輝き、空が燃えていた。オキナの両足は空の色と同じような光と化している。

「ねえオキナっ。あたし、オキナと一緒にいた頃だって幸せだったよ」

 オキナは過去を思い浮かべた。故郷も、家族も、心さえも焼かれて旅立った日を。ソレと殺し合った日を。あの日々を幸せだったと呼べるのなら、ナコトは大丈夫だと信じられた。

「俺も幸せだった。ありがとう…………――――ナコト」

 最後に、オキナはナコトを本当の名前で呼ぼうか迷い、結局、そうしなかった。彼女はこの街で生きる準備をしていたからだ。とうにナコトは『黄衣ナコト』だったのだ。



 船に空いた大穴から、這い出るようにして外へ戻ったナナは、倒れていたアイネと田中を背負って、空を見上げていた。

 現在時刻は、初日の出にはまだ、ほんの少しだけ早いくらいだ。だから、あの空で燃えているのは太陽ではなく、別種の何かなのだと気づいていた。

「……ちーすメイド。一番槍おめでとー」

「おや、あなた方は」

 ナナの後ろから、戦乙女のヒルデとシルトが姿を見せる。二人は空を見上げて、嫌そうに顔をしかめた。

「北欧の戦乙女なら、アレが何かご存じなのでしょうね。恐らく、アレもまた……」

「神様たちだって逃げ出したくなるやつだよ、アレ」

「……でも、もう遅いから」

「ああ、なるほど」

 その時、後背にあるナグルファルの残骸から柱が立ち上った。真白の、光の柱である。それは天を目指している。エインヘリヤルたちが、元いた場所へ還っていくらしかった。

 ナナの周囲にも、蛍のような光の粒がくるくると舞っている。彼女はアイネと田中を見た。

「この光は、お二人のお知り合いなのでしょうか」

「んー、たぶんねー」

「では、負傷している方々を北駒台店まで連れていきましょう」

 その言葉を聞き、シルトは意地の悪い笑みを浮かべる。

「逃げなくていいの?」

「もう遅いとおっしゃったではありませんか。それに、あそこにはマスターがいます。あの人になら、太陽じみたモノの一つや二つ、どうとでもなります」



 気を失っていた。

 一分か、もしくはもっと短い間か。

 ともかく、糸原は瓦礫の中でを覚醒した。彼女はまず、フェンリルの姿を探す。彼の名を呼ぼうとしたが、フェンリルは糸原のすぐ傍にいた。

 フェンリルは人の姿をして、じっと空を見ている。狼の姿を保てるだけの力を失ったのか、戦う気を失ったのかは分からなかった。

 糸原が目覚めたことを察知し、フェンリルは彼女を見下ろす。

「しの、おきた」

「……おは――――あれ、もう、朝が」

 空はとても、眩しかった。

 だが、糸原の意に反してフェンリルは首を振る。

「アレは、ちがう。もっとあぶなくて、こわいもの」

「それ、マジ? どうしよっか」

 言いつつ、糸原はその場に寝転んだ。

「どうしようもない」

「あははっ、ま、どうにでもなるって。人生ってのはさあ、そういうもんよ」

 フェンリルは言い切り、糸原はそれを聞いてけらけらと笑った。



 朝が来た。ジェーンがそう思ったのは、周辺のソレが片付くのと同時のことであった。

「ジャネット、ジャネット!」

 ジェーンは嬉しそうな声でジャネットを呼ぶ。

 ジャネットは苦笑した。彼女にはあの光が酷く禍々しいものに見えていたのだ。だが、ジェーンには本当のことを言わなかった。未来はもう見えないが、彼女の未来が幸福なものになると信じていたからだ。

 自分はじきにここからいなくなる。ジャネットはジェーンに見えないようにして、消えかけている右腕を背中で隠した。

「ね、ジェーン。楽しかったよ」

 ジャネットは何でもないように笑う。だが、ジェーンは彼女の笑顔で全てを察したらしかった。

「アタシも楽しかったよ」

「あっ……」

 ジェーンは、ジャネットが隠していた手を強引に掴み、ぎゅっと握り締める。そうしてから、背を向けた。

「……ジェーン?」

「ジャネットが消えるところ、二回も見たくナイんだ。ごめんね。アタシって、わがままで」

 ジャネットは微笑み、ジェーンを後ろから抱きすくめて、彼女の背を押した。

「みんなのところにお帰り、あなたの場所に」

「うん、うん! ジャネットも、お休み! お疲れさまっ」

 ジェーンは走り出す。ジャネットはその背中を見ながら満足げに微笑んだ。



 ああ、と、ビルの屋上に下ろされた神野は呟いた。姫は不思議そうに彼を見つめる。ランダは得心したように頷いた。

「……時間みたいだね」

「みたいだな。悪いけど、姫のこと、これからもよろしく頼む」

「は、あたしゃ魔女だよ? 悪いやつに妹を任せんのかい?」

 神野は答えず、ふっと微笑んだ。ランダは毒気が抜かれた気分に陥った。

「にい、さん? 時間って、そんな……」

「分かってたろ」

「……でも」

「お前の背負ってるもん、本当は、俺が支えなきゃいけないのにな。ごめんな」

 神野は姫の頭に手を置き、眠ったままの立花を見る。彼は溜め息を吐いた。


 ――――せめて最後に。……いや、今更だよな。


「坊ちゃん。よかったら、ボクが伝言を」

「いや、いいよ。ありがとな、椛」

 さて、と。

 神野は四肢を伸ばし、めいっぱいこの街の空気を吸い込んだ。不思議と、寂しいとは思わなかった。彼の心を満たしていたのは『やってやった』という充実感である。

「そんじゃ……お、なんだよ?」

「兄さんはっ」

 姫は神野の手を掴み、立花の方へずんずんと歩いていく。

「兄さんはもっとこう、報われるべきなんです!」

「ええ? いや、俺はもう充分……」

「駄目です!」

 ぐぐっと、姫は神野の手のひらを開かせて、その手を立花へと持っていこうとしていた。

「ちょ、お、おい」

「胸の一つくらい揉んだっていいはずです!」

「はあ!?」

「ちょっと、うちのお嬢に何をする気ですか! させませんよ!」

「揉まれたって減らないどころか大きくなるかもしれないんですから! いいじゃないですか!」

 神野は助けを求めてランダに視線を送る。彼女は腹を抱えて笑っていた。

「ほら、兄さん!」

 一瞬の隙を衝き、姫が椛を退かして神野を急かす。彼は仕方なさそうに腕を伸ばしたが、

「……はは、ほらな」

 その腕は透けていた。既に光となりつつあり、実体は掴めない。

 神野は苦笑し、やっぱり悪いことは出来ないんだぞと、姫に笑いかける。

「じゃあな、立花。お前はまだこっちに来るなよ」

 失せかけた指で立花の頬に触れる。神野は、屋上にいる皆に背を向けて、空を見上げた。燃えるような輝き。彼はその光を恐れはしなかった。この世界がどうにかなるなどと思いもしなかった。この街は、この世界の人たちは、こんなにも強いのだから。



 皆、夜明けめいた光を目にしていた。

 駒台から離れたガーゴイルや九十九たちも。今まさに駒台から抜け出ようとしている楯列たちも。

 朝が来た。

 夜は終わった。

 皆、そう思った。

 だが、世界を灼いた光は昇ってきた陽ではなかった。



 空が輝く。

 炎が燃える。

 狂いそうになる光の中で、一は今だ正気を保っていた。

「……これってさ、どうやって止めるんだ?」

「さあ、どうすりゃいいんすかね」

 アーサーが天使と呼んでいた炎を、止める。それはきっと自分たちにしか出来ないことだと、一は思っていた。事実、この状況ではそうなのだろう。

 

 ――――これで最後でいい。だから、頼む。


 一は、アイギスとメドゥーサに感謝した。今までありがとう、と。

 だから、最後の最後まで付き合ってくれと願った。もはや、この体には力と呼べるような確固としたものは備わっていない。血肉は燃やし尽くしつつある。からからになった、抜け殻に近い体に残った魂。これすらを使い尽くす。一にはその覚悟があった。

 一の目がスルトを捉える。

 伸ばした腕。開いた掌。そっと添えられる細い手指。傍で微笑む人を認めて、一は頷いた。

「なあ、一。これからはずっと一緒にいるからな。文句ねえよな?」

「ないです。じゃ、とりあえずこのでかいのをどうにかして……旅行にでも行きますか。どっか、行きたい場所とかあります?」

「広いとこがいいな、私は」

「ざっくりだなあ」

「悪いかよ」

「そんなところも好きだったりします」

「うわっ、なんだよ。私さ、今すげえ楽しい」

 やがて、二人の笑い声も、姿も、この空を押し潰さんとする白い輝きの中に消えた。



 この後、『偽の黄昏』とも『火の雨』とも呼ばれるようになった、駒台で起こった『円卓』との戦いは、一月一日の六時三十分過ぎに終わった。初日の出まで残り二十分というところであった。

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