炎のさだめ
「国もなく、使命もなく、何の力も持たなかった私は自分の正体を確かめたかった。知りたかった。自分自身を。自分の行ってきたことを。そうして、ここに辿り着いた時に気づいた。いや、最初から気づいていたのだろう。答えに辿り着く前から、私は私であることを総て、余すところなく認識し、この街で王たる使命を果たそうとしていたのだろう。分かるかね。やはり、私は王だ。それでしかなかった。……人間が好きでね、私は」
アーサーは剣を鞘に納めた。彼は戦う意思というものをなくしかけていた。
「私は人間という種が愛おしくて仕方がない。だから、私は君たちが滅びることを快く思っていない。脅威に晒される人間も、猛威を振るわれる人間も、外敵に食い散らかされる人間も好きだが、その結果、君たちが絶滅しては意味がない。何故ならば」
一は冷たい地面の上に寝転がったままだった。
「私が王だからだ。王たるもの、君たちを支配し、管理すると同時、慈しみ、守る必要がある。たとえ君たちが私を王だと認めずとも、私には『そうせねばならない』という血が流れている」
アーサーは瞳を潤ませていた。
「だが、人間は争う生き物だ。時代が変わっても、場所が変わろうとも、その本質は変わらない。恐らく今日も明日もこの先の未来も人間は争い続ける。それが、私には我慢ならない。どうしてだ。仲良くすればいい。手に手を取り合えばいい。友情は、愛は、美しいものだ。至上の美だ。それを人間が分かち合えないはずがない。そうは思わないか?」
一は動かない。彼の前髪を乾いた風が揺らすばかりだ。
「ならばどうするか。君たちを守る為に何をすべきか。答えは一つだ。たった一つきりだった。蟲毒だよ。知っているかね。モリガンという女が言っていたんだが、蟲毒とはけだものを使ったまじないの一種だそうだ。器の中に虫を入れて殺し合い、食い合わせる。殺し合いの末、最後に残った一匹を使い、まじないをする。この最後の一匹は生命力が最も強いとも言い換えられる。強い力、強い毒を持つ虫で。……私は、この街でそのまじないを試したかった」
アーサーは天を仰ぎ、指差す。
「少し方法は違うが、要は死線を掻い潜れば掻い潜るほど強くなるということだろう。兵士と同じだ。強い兵士はどのような戦場からでも生き残る。私は、ただただ君たちに苦痛を与え、死を与えたかったわけではない。戦い、争い、殺し合い、その先にあるものを手に入れて欲しかった。きっと、私では手にすることはおろか認識さえ不可能な何かを」
だから。
そう前置きして、アーサーは一を見た。
「『ソレ』は、神が遣わした天使なのだと思う。天使は君たちを高みへ近づけさせる為の試練そのものだ。悪いことばかりではなかったとも思う。共通の敵が現れれば君たちは互いの手を取り合うはずだ。事実、そうしたはずだ。肌の色も国の境目も忘れて、天使と戦ったはずだ。いいかね? 人間とは……」
アーサーは、人間という種がいかに素晴らしいかを語り始めていたが、一の意識は飛び掛かっていた。そうしている内に聞くアーサーの話は恐ろしいほど耳に残り、脳を支配する。彼の声だけが聞こえてきて、彼の言葉だけが全てなのだと思わされる。
地面の冷たさは既に分かっていない。一の神経は麻痺していた。温度も、苦痛も、全てが嘘のようで、彼にとっては夢にも近しい。
だが、そうではない。一は変わらず冷えた空間に横たわっており、彼の右腕は本来あるべきところにはない。
「…………あァ、なんだ」
一は声を発した。まだ出るじゃないかと、自嘲気味に微笑んだ。
今からすべきことは単純極まりない。凍える体を、煙の上がる傷口を、失ったもの何もかもを、眼前の強敵を。つまるところ現実を再度認識し、立ち上がるだけである。
まずは力を込めること。
次いで肉体の末端へ血を流す。残り少ないそれを感じながら、一は少しずつ己を取り戻していく。
爪先から頭のてっぺんまで血を流し、通わせ、伝わせる。
立て。動け。立ち上がれ。尻込みする脳みそを鼓舞しながら下半身に鞭を打つ。震える体をみっともないとは思わない。
「く、あ、は――――ァっ」
血が通い、現実を認識すれば、忘却していた苦痛が蘇る。
一は堪えながら両足で地面を踏みしめる。そして。彼はアーサーを見据えた。視界は未だ明瞭でなく、思考回路は彼方此方へと飛び回って判然としない。
「そう。そうだ。一一。人間は素晴らしい。絶望の淵に立ちながらも決して折れず諦めず、そうしてまた蘇る」
「違う」
それでも一は違うと言った。そう言い切った。
「お前はただ、人間を好きな自分が好きなだけだよ。人間ってのはそんないいもんじゃない」
舌がもつれながらも一は続ける。
「殺すぞ。人は簡単に誰かを嫌いになって、憎んで、妬んで、殺し合う。お前だって言ったじゃねえか。本質は、そこだって」
「ああ、そうだ。しかし人間は誰かを好きにもなる。愛し、敬い、子を産み育てる」
「目ぇ瞑ってんだ、お前は。本当に人が好きなら余計なことは、しない。人の何もかもが好きなら、嫌なところだって好きでいい。そいつを正そうとは思わないはずなんだ」
アーサーは緩々とした動作で首を振る。同時に、音が聞こえた。この場の二人がその正体を知ることはなかったが、それは、竜の炎であり、白い狼であった。
ただ、一もアーサーも互いのこと以外は目に入っていない。何が割り込んできたとしても、二人の意識をほんの一瞬でも逸らすことすら不可能だと思われた。
「何も。何も分かっていない。どうしてなんだ。君は人間でありながら」
「俺はっ、お前が嫌いだ。それだけでいい。それだけでお前と殺し合える」
「……残念だ」
アーサーの体に光輝が宿る。彼を包むのは魔力であった。
「問答は無用か。いいだろう。どうせこの街も砕け散る」
一はぐっとアーサーを睨む。
アーサーは天を指した。
「いいかね。天使はあそこからやってくる。今日ばかりは私が呼び寄せる」
「……あァ?」
変化は突然であった。まず、僅かに雲が晴れた。一は目を見開く。自分の下にあった虹の光が弱くなっているのが分かったからだ。
「私の行ったことは北欧神話のラグナロクに近いのだろうな。全てが全て同じというわけではなかったが、結末は決まっている。いいかね。幕を引くのは私ではない。私という役を、駒台という舞台諸共焼き尽くすモノがいる」
虹が消える。アーサーの鎧が、兜が、光と共に消えて舞い上がる。
「呼ぶ……?」
一は両目に力を込めた。止まれと念じてアーサーをねめつける。だが、彼が石と化すことはなかった。
「最初から決まっていた。私も、私の魔力も、この街に集った有象無象の何もかも、天使に焼かれることは最初から」
もはや一は虹の全体像を確認することが出来なかった。橋が消えたのだ。これで逃げ場はなくなった。助けが来ることもなくなった。
「君は見たかね、エインヘリヤルの光を。あれこそが人間だ。死してなお気高い魂を宿す者たちの放つ輝きだ。それでも君は人間を否定すると言うのか。……ああ、そうか。だからか」
「なんだ、そりゃ」
一は知らなかった。アーサーは教えるつもりがなかった。
……ヴィヴィアンの魔力を受け継いだアーサーには、街の様子が見えていたのである。
討たれるケライノーも。腹を破られるドラゴンも、ナグルファルも。戦いの果てに散ったテュールも。彼らを滅ぼした奇跡の光も。
だが、来なかった。
ここには何の光も届かなかった。
エインヘリヤルは、ここに来なかった。だから一は未だに独りきりなのだ。
「来るぞ。天使が。破滅の炎と共に」
北欧神話のラグナロク。
戦士たちは皆倒れ、神々ですら甲斐なく死し、最後の最後に炎が放たれる。その炎は地上を、地下を、世界を全て焼き尽くす。
黒。炎を放ったのは灼熱の国の番人、巨人族のスルトである。
『円卓』を率いるアーサーの目的は、スルトを駒台に呼ぶことであった。
神話を綴った『神』を気取るのにも等しい所業。しかしアーサーは気負わない。恥じることすらもない。これこそが自らの職務であり、王の存在理由であると。そう信じている。
アーサーは全ての力を注ぎ込んでいた。
駒台にかけた虹の橋。この街の空を覆っていた雲。それらを形成するのに使っていた、ヴィヴィアンから引き継いだ魔力は今、スルトを呼び出すことだけに注がれている。
駒台という地を滅す為。そうして、強い人間が生まれますようにと、ただ、アーサーはそれだけを願っていた。
「君の友人たちは助かるかもしれないが、この街も、君も、私も、もうどこにも辿り着くことは出来ない」
アーサーは嗤った。
一は目を瞑った。
「……『王』じゃねェよ、お前は」
アーサーは目を細めて一を見る。
「ワイルドハント」
一の吐き出した言葉を聞き、アーサーの顔から笑みが消えた。
「俺の、妹が言ってたぜ。化け物の群れを、神様だとか、王様だとかが率いてるってな。……あんた、俺の前で名前を言ったな。自分がそうだと認めたな」
「偽りはない」
「どうにも効きが悪いと思ったんだけどさ、俺がしっかりあんたらのことを理解してなかったからなんだよな。円卓だの奇士だの、それはあくまであんたらがそう名乗ってただけの話なんだ。でもな、俺から見りゃあ百鬼夜行もあんたらも同じだよ。見たやつを殺して、俺たちの目の前を堂々と歩き去る。ラグナロクとか言ってたが、そんなんじゃねえ。バラけて来やがるからそうだと思えなかっただけで、てめえらただの化け物の群れだったんだ」
一は言い切った。
最初からそうだ。
最後までそうだ。
自分たちは『ソレ』という、酷く曖昧なものを相手にしていた。化け物。怪物。異形。妖怪。亡霊。……分からないからこそ、曖昧だったからこそ、『ソレ』という名をつけた。
名をつけて分かった振りをする。それはそういうものなのだと理解したがる。しかし、とどのつまり――――。
「徹頭徹尾、ただの化け物なんだよ。あんたらは」
「だからどうした、レイブン」
「やっと分かったから、終わりなんだ」
そうだとアーサーは同意した。
「終わりはもうすぐ訪れる。だが、君の力ではどうすることも出来ない」
止める。留める。滞らせる。
メドゥーサの力は脅威的だ。しかし決して、終わりに導くことは出来ない。一だけでは、どうにもならないだろう。
「助けを待っているのか。君は」
一は笑んだ。
「いや、もう来てる」
アーサーは目を見開く。
一の頬を火傷が這っていた。傷が動いているのだ。細長く、赤黒いそれは、一の顔を横断し、消えていく。
アーサーは先の光景を思い出した。一の傷口から煙が出ていたことを。
熱を感じるより早く、アーサーは身の危険を察知し、飛び退くようにして後ろへ下がった。そうした後、彼は、自分が何に対して恐れを抱いたのかが分からなかった。
「そうか。そうか……!」
一の傷口から右腕が生えている。
否。
肉ではない。腕に見えたのは、炎だ。一の傷口から炎が現れている。揺らめくそれから、アーサーは目が離せなかった。
美しい。
そう思った。
この世のものではないと思わされた。
一は動かない。ただ、彼は自分の体から発せられている炎を見遣り、歯を剥き出しにし、好戦的な笑みを浮かべた。
炎は今、一の右腕の代わりとなったらしい。アーサーは、彼が自らを焼いたのだと気づく。この炎の正体に察しがつき、一の意志がこの状況を呼び寄せたのだと認識する。
「滅びを待つ身で!」
アーサーが鞘から得物を解き放つのと同時、一の炎が鞭のようにしなり、地面を強く叩いた。
剣の切っ先が一に届くより早く、炎がアーサーの身を焼く。アーサーは後ずさりしながら剣を振るった。炎は風圧によって切り裂かれて舞い上がる。
しかしこの炎を消すことも、鎮めることも出来はしなかった。形を変えながら、炎はアーサーを付け狙う。目にも止まらぬ斬撃の後、アーサーは前方へ踏み込んだ。
エクスカリバーが風を切り裂きながら一へと迫る。彼は下がらず、左手を伸ばす。一の目の前の空間が固定されて盾となり、アーサーの得物を弾き返した。
シルフは言った。
『あと、頼んだぜ』
一は知っていた。
シルフは、自分に言ったのではないと。
なぜなら、彼女は自分に戦って欲しくないと思っていたからだ。そのことを一はよく分かっていた。
だから、シルフは一以外の誰かに頼んでいたのだ。……風の精霊は、一ではなく火の精霊に声をかけていた。シルフは、契約者を失い、力を失い、小さくなっていたサラマンダーを連れていた。
サラマンダーはシルフの頼みを聞き届けたわけではないが、自分の為に、一と契約を結んだ。
分かる。
一には分かる。
この炎が自分にとってどういうもので、どう使えばいいのか。それが分かる。
なぜなら、一はずっとこの炎を――――三森冬を見ていたからだ。一にとっては、彼女と同じ能力で戦うことは、彼女と共に戦うことと同義である。
「まだ、抗うか」
「人間ってのはさァ、そういうもンなんだろ?」
焼けそうだった。燃えそうだった。
否。今、一の身も、心も、確かに焼かれている。
憎悪という名の黒い炎ではない。一を焼いているのは、歓喜のそれだ。
「だったら俺はまだ! やれるってことだろうがよォ!」
炎が形を変える。
鞭に。剣に。弾丸に。それら全てがアーサーに襲い掛かり、彼は、その全てを切り払う。
一の闘志は翳らない。燃え続ける魂が、失いつつある血を、肉を補って彼を動かしている。
炎の鞭がアーサーの足首に絡みつく。一は好機だと判断して前へ踏み込む。アーサーが放つ鋭い突きが、一の生み出した空気の盾を打ち破った。
「やってろよ!」
二枚目。三枚目、一は新たに盾を生む。エクスカリバーの切っ先が勢いをなくし、アーサーの体勢が崩れる。一は体を捻じり、アーサーを引っ張った。
アーサーは宙でぐるりと回転し、地面に叩きつけられる寸前、両足でもって着地する。同時、炎による弾幕がアーサーを襲った。数十を超える炎の弾丸を浴び、彼は剣を手放しかける。
「お、オオオおぉぉぉアああああああ!」
一が手を伸ばす。空間を固定し、それを伸ばしたのだ。アーサーは不可視の壁に突き飛ばされる。戦場から締め出されまいと、彼は炎を防ぐのを止め、剣で不可視の壁を切り裂いた。
落ちる。その、寸でのところで踏み止まったアーサーは一を見据えた。一は炎を剣に見立てて、それを握っている。先までとは立場が逆だ、とでも言いたげな顔をしている。
ああ、と、アーサーは息を吐く。一は自分を虚仮にしているのだ。世界の終わりがかかった状況でもなお、一は自分のやりたいことをやろうとしているに過ぎない。
「……私への、嫌がらせとは」
アーサーは姿勢を低くしながら、矢のような速度で突っ込んだ。
一は炎の剣を振るう。刀身に限りはない。どこまでも伸びていく。アーサーは炎の剣を跳ね上げて前進する。
「いいだろう、付き合おう!」
エクスカリバーが炎を切り裂く。金属を弾く手応えはない。一の炎は真っ二つに裂かれるも、すぐに復元する。
所詮、一の剣術は素人だ。アーサーの敵ではなかった。
「かかったァ!」
アーサーの周囲にあった火の粉が姿を変えた。細く、長い、ひも状になった炎は彼の手首に絡みつき、締め上げる。彼は熱と痛みに堪えかねて得物を取り落した。
一は、地面に落ちたエクスカリバーを炎の鞭で拾い上げて、空の向こうへ投げ飛ばす。
「形勢逆て……あれ?」
アーサーは失ったはずのエクスカリバーを握っていた。彼が新たに呼び出したのだ。
「王を舐めるな。君ひとりを屠れるだけの力は残っている」
長い息を一つ。そうして、アーサーは切っ先を一に擬す。
アーサーが剣を振るった。飛ぶ斬撃だ。一の反応が少し遅れて、盾を出すことも、炎で防ぐことも叶わなかった。彼は体勢を捩って直撃を避けたが、斬られた箇所から血と炎が噴き上がる。肩の肉を持っていかれるだけで済んだ。
「あァー、ちくしょう油断した」
一は傷口を見遣り、顔をしかめた。
油断した。
油断するだけの余裕があるのだと気づき、一は、おお、と、呻いた。
「超つえーバケモン相手に油断か」
アーサーは剣を持つ手を入れ替えて、油断なく一を見る。
「そんな風に睨むなよ」
怒りをぶちまけたいのはこっちなんだ。一は目を瞑り、意識を集中させた。自分の中にある感情と向き合った。
ぶちのめす。
ぶちのめしてぶち殺す。
何が世界だ。何が終わりだ。
世界が簡単に終わるものか。
夢物語だ。アーサーは世界を終わらせられない。
それでも、一はアーサーを放っておけない。
「行くぞ。行くぞ、サラマン、ダァァァァァアアア――――!」
一の右腕から熱が生まれる。先までとは違う。溜めに溜めた最後の一撃を放つ為の下準備。もちろんアーサーもそれを防ぐべく、寄橋で行ったように斬撃を飛ばす。一は視線だけで前方の空間を固定し、斬撃を食い止めた。
中空で咲く火花。アーサーは悪寒に急かされて一へと迫る。一は、彼を嘲笑うように後ろへ下がった。
右腕。
一のそこから、粘性を持つ炎が溢れて、垂れ落ちる。液状になった炎は、やがて何かをかたどる。
「…………人、か?」
一の右腕から現れた炎は姿を変えて、彼に寄り添うようにして『立っていた』。
アーサーは事態を呑み込めずにいたが、一はただ、静かに微笑んでいた。彼の傍の炎も確かに『笑っている』。
炎が生きているのだ。アーサーは残った魔力でダメージを回復し、得物を握り直す。
「いいだろう。アーサー・ペンドラゴンの首、欲しければ……」
アーサーは瞠目した。一はもう彼を見ていなかった。
夢だろうか。
幻だろうか。
一は、自分の横に立っているものを、何とも言えない表情で見つめていた。
「どうして、あなたが」
赤い。赤い、火鼠のジャージを羽織る人。
「ごめンな」
女は――――三森冬は、答えた。
三森は死んだはずで、肉も魂もこの世から消えたはずで、もう二度と自分たちの前に姿を現さないであろうと、一はそう思っていた。
事実、三森の体は灰となった。彼女の魂はサラマンダーに喰われた。だからこそ、三森は神野らのようにエインヘリヤルとして召喚されることがなかったのである。
だが、三森はいる。一が最後に見た時と同じような姿で。
彼女は笑う。話す。自分の意志を持っている。
ならば、いいか。
それでいいか。
一はそう思った。三森が自分の傍にいるのなら、理由も原因もどうだっていい。
「ちょっと遅れちまった。で、相手は誰だよ?」
三森は小さく口を開ける。一は服をまさぐり、たばこの箱を見つけた。そこから一本摘まみ、彼女に咥えさせる。
たばこを咥えた三森は満足そうに頷いた。
「……おーおー、アレね。偉そうじゃねェの。私は偉そうなやつが嫌いだ」
「三森さん」
「おー?」
「好きです。ずっと、言いそびれてたんですが」
三森はたばこに火を点けて、紫煙をめいっぱい吐き出した。そうして一の前に立ち、首の骨を鳴らす。彼女は決して一を見ようとしなかった。
「行こうぜ、一」
一は泣きそうな顔になって、実際、涙を流して、それから精いっぱいの歪な笑みを浮かべた。
アーサーは、自分が蚊帳の外にいるのだと実感した。
「あっ! お前腕どうしたンだよ!」
「斬られました」
「こいつにか!」
「はい!」
「マジかよ。じゃあ、こいつの腕もとっちまうか!」
足が動かない。
腕が思うように動かない。
アーサーより早く、三森の炎が彼を焼く。先の彼女の宣言通り、アーサーの右腕が真っ黒に焦げて、ぼろぼろと崩れ始めた。
片手で剣を振るい、三森の胴を薙ぐ。だが、彼女は炎だ。二つに分かたれてもすぐに元通りになる。アーサーは自分の治癒をどうするべきか悩んだが、魔力を回復に回してもきりがないと悟った。
二対一。
メドゥーサの力を使い、狼の血が混じった一とサラマンダーがアーサーの相手である。一には攻撃が届かない。盾で防がれる。三森には通じるが、それだけだ。切れるだけで彼女は『死なない』。
アーサーのエクスカリバーは強大だ。だが、彼はヴィヴィアンから受け継いだ魔力の殆どを、空の上の戦場を維持することと、スルトの召喚に注いでいる。満足に戦うことも出来なかった。
――――なぜだろうな。
アーサーは自問する。
なぜ、このようなことになったのかを。
顔の右半分を焼かれ、考えても仕方のないことだと諦める。
ただ、見たい。スルトを。この世界が燃え落ちてしまうところを。それでも希望を捨てず、絶望に抗おうとする人間を。
「……いや」
希望を捨てず、抗う人間は目の前にいる。そう、思い直す。
アーサーは、一一を通して何かを見た。
ならばよいかと息を吐く。
アーサーは、自分が間違ったことをしたとは思っていない。そも、王とは正誤や善悪の外にあるものなのだ。
満足した。
それだけでいい。
「なァ! なあなあ! 他のやつらは元気かよ!」
アーサーの剣を払いながら、三森が言った。
「たぶん生きてますよ。みんな俺よりかは強いんで」
斬撃を防ぎ、一が答える。
「そうか。だったら、いい! 私もお前も約束守ってるってことで、いい!」
「じゃあ、あとは……」
「こいつだな!」
アーサーの剣が炎に巻かれる。得物を取り上げられた彼の動きを一が押し留める。その隙をついて三森が走り込んできた。
雑な連携で、バレバレの合図。
しかしアーサーは二人の間に割り込めなかった。
「楽しいか。そんなにも、今が楽しいのか」
一も三森も箍が外れたかのように笑っている。楽しいのだ。嬉しいのだ。アーサーに対する憎しみも、明日が来るかどうか分からない不安も風に吹かれてどこかへ行ったのだろう。
「そんなにもっ、今が……!」
「腹ぁがら空きっす!」
「じゃあな! てめェらにゃ世話になったぜ!」
三森の拳がアーサーの鎧を抉り取り、腹に突き刺さる。同時に、火柱が上がった。
精霊は不定だ。
性別も、姿形も、精霊自身が自由に決められる。……炎の精霊、サラマンダーはずっと見てきた。
三森冬を。
一一を。
二人の今までを。
サラマンダーは三森の魂を喰ったが、消化していなかった。己の中に、きちんと彼女を残していた。
だから、この状況はサラマンダーの気紛れか、ささやかな贈り物かもしれない。あるいはこれを奇跡と呼ぶのなら、二人の不器用な愛情が起こしたのだろう。