ガーゴイルは旅をする
「グッモーニン、お兄ちゃん!」
「ん……。んん、ん」
「何言ってんのか分かんないヨ」
「……おはよう」
「サ! 仕事に行こ!」
「ん。じゃあ布団からどいて……」
オウ、とか言いながら、ジェーンが一の布団からゆっくりと降りた。靴を履き、玄関で足を何度も鳴らす。いつまでも目を擦って眠そうにしている一を急かすようだった。
「ハリーアップ、時間は無限じゃないヨ!」
「……朝からうるさいな……」
仕方なく、一が布団から身を起こす。
「あれ?」
「ン?」
「俺、こたつで寝てなかったっけ?」
「イエス。アタシが持ってきたの」
「……俺を?」
楽しそうにジェーンが頷いた。
はあ、とため息を吐き、一が体を伸ばす。
「顔、洗ったか?」
「……ウン」
ジェーンが一の部屋の、流し台兼洗面台を一瞥した。
嫌そうに。
「俺と住む事になったら、これが普通になるんだぞ。それが耐えられないなら、さっさと、できれば今日中にでも家を見つけるんだな」
「イジワル」
蛇口を捻り、手のひらに水を溜め、一は顔を洗った。左手で、手探りでタオルを探す。
「Here」
一の左手に、布の感触。
「サンクス」
顔を拭き、頭を振って、無理矢理目を覚ます。
「……じゃ早く店に行こ」
「うん。ん? いや、良く考えたら、俺今日シフト入ってないぞ」
一がこめかみを指で押さえた。
「どうしたの? お兄ちゃん頭おかしいの?」
「実はお前日本語完璧だろ」
ジェーン・ゴーウェストが日本に来て二日目。
オンリーワン北駒台店、スーパーバイザーとして勤務する、その初日。
「今何時?」
「9時」と、腕時計を見ながらジェーンが言った。
一は今日、シフトに組み込まれていなかったが、取り立てて、用事といえる用事も、これと言った、予定という予定もなかったので、散歩がてらジェーンについて来ている。
「お兄ちゃん、アクビ」
「豪快だろ」
「……眠いの? 昨日あれだけアタシの横で寝かせてアゲタくせに」
頼んでねえよ、と言い切る前に、一がもう一つあくびをした。
やがて二人は、他愛ない会話をしつつ、北駒台店に着く。
「ざいまーす」
一が店の扉を開けて挨拶するが、店内には立ち読み目当ての客どころか、店員すらいなかった。いつもどおりの風景だった。
「奥か」
なんでもないように呟き、一がバックルームへ向かう。
「何で誰もいないの?」
目を見開き、声を震わせながら、ジェーンが言った。
「……何でって……」
「おかしい! 仕事する気あるの!?」
「ないんじゃないか」
「何で!?」
「何でって……」
「フロアは汚いし、商品も適当に並べてる! 仕事する気あるの!?」
「……ないと思うよ」
「何で!?」
バンッ、と乱暴にトイレのドアが開け放たれた。煙草を銜えながら、金髪を掻きながら、がさつな感じの女性が現れる。オンリーワンの制服を着ている。着ているが、当たり前のように、その女性には似合っていなかった。
「ああ、三森さん、おはようございます」
「朝からうっせェぞ」
「……アンビリーバブル……」
「ジェーン?」
「店内で、煙草……? スモーキング……?」
ジェーンがふら、と足をよろめかせた。
「あ? 悪いかよ?」
「あ、当たり前じゃない! アタシより年上のくせに、そんなのもわかんないの!?」
「喚くんじゃねェよ。頭いてえ……、畜生……」
頭を押さえながら、三森が辛そうな表情を見せる。
「あれ? え、三森さん、風、邪、で、す、か?」
「……何で区切ンだよ」
一が視線を反らした。
ちっ、と舌打ち。
「……店長の酒に付き合わされたンだよ。あの人、馬鹿みてーに強え……。あー、頭がガンガンする。おい。私は寝るから、後はお前らがやっとけ」
言って、三森がバックルームに入っていく。
「し、しししし仕事中にアルコール!? ウェイト、ストップ、ドントムーヴッ! 何考えてんのヨ!」
「あああああああ! うるせェっつぅの! 文句があンなら店長に言えよ!」
死ねチビ! 怒声とともにバックルームの扉が閉まった。
「……お兄ちゃん」
悲しげに、寂しげにジェーンが一を呼んだ。
一は答えず、視線だけジェーンに向ける。
「アタシ、ステイツに帰りたい……」
「普通の女の子に戻りたいか?」
「……ノー。タブン、もう戻れない、かな。戻りたくても、ダメね」
ジェーンの顔は、ジェーンと同年代の女の子が浮かべるにしては、物事を悟りすぎていて、可愛くなくて、妙に老けていて、老成しているというのか、何というか、黄昏だった。
小さな顔と小さな体と小さな心。一より年下で社員。ジェーンより年上でバイト。何ともいえない、微妙な距離。掴み辛い距離感。近くて遠い。遠くて近い。届きそうで届かない。
だから一は、
「あっそ」
それだけ言った。
店内は静かだった。今は、三森の代わりに入ったジェーンが、神経質ともいえるほど、モップで汚れを落としているところだ。シミを見つけてはモップで擦り、靴墨の後を発見してはモップで擦る。汚れに対して、親の仇をマウントポジションとってボッコボコにするが如く、凄まじい勢いで対処している。鬼気迫っていた。
「良く働くな……」
そんなジェーンの様子を、防犯カメラで見ながら、遥か上空から見下すように、見下ろすように、店長が呟く。
「あの汚れの大半は、店長と三森さんでどうにかできたんじゃないですか?」
「いや、私にはとても出来ん。あいつらは手ごわいぞ」
「俺生まれ変わったら店長みたくなりたいですよ」
「そうか」
軽く流して、店長が煙草に火を点けた。
「……一。ゴーウェストとは、どんな奴だ?」
パイプ椅子に深くもたれ掛かり、雑誌を読んでいた手を、一が止める。意図の掴みづらい質問に、一が言いよどんでいると、「そのままの意味だ。深く考えるな」と店長が付け足した。
それでも、少しの間考えて、
「子供ですね」
一はそう答える。
「ふうん。子供か。確かに背格好はガキだな。外人とはいえ、やはりガキはガキだ」
「子供に恨みでもあるんですか?」
「私は基本的に年下の生物が嫌いなんだ」
人間ではなく、生物ときた。
「で? 他には?」
「他? うーん。うるさいとか、目が青いとか、髪が金だとか。そう言う感じですか?」
「外面は誰にでも分かる。私が聞いているのは、内面の事だ」
「深く考えるなって言ったじゃないですか……」
「言ったか? 一、お前またそんな事を」
もう良いです、と手を振って一が店長の言葉を遮る。
「内面。内面。うーん、別に何も問題ないと思うんですけどね」
「そうか?」
「そうか、って店長。ジェーンに何かあるんですか?」
少し棘のある口調で、一が言った。
「お、どうしたアニキ。妹が悪く言われそうで、気分を害したか?」
ははっ、と店長が軽く笑う。
一は、店長をいないものと扱うように、雑誌のページへ目を落とした。
「……冗談だ。ゴーウェストに不満や不安は特にない。まあ、会ったばかりだがな。ただ、あいつに関して、気になることはある」
「気になること、ですか?」
「ああ。なぜ、どうして、ゴーウェストがウチに来たか、という事だ。更に言えば、来れたか、という所かな」
「……あいつは、俺に会いに来たって言ってましたけど」
今度は喉の奥で、くくっ、と店長が笑いを噛み殺す。
「おいおい。自惚れ過ぎじゃないか、兄さん? まあ、仮にだ、仮にゴーウェストが、お前に会いたかったとしよう。日本に来なきゃ、お前とは会えない。さて、どうやって行くか、だが。果たして本当にオンリーワンのSVとして来る理由があいつにあったのかどうかだ。お前に会うだけなら、休みを利用して旅行ついでにでも来れば良かったんじゃないのか? わざわざ、二年もソレと戦って、苦しい思いをして、ここまでする必要はあったのか? なあ、一。どう思うよ?」
店長の顔は、意地悪く歪んでいた。遂には、殺しきれずに、笑い声を口から垂れ流す。
「……どういう意味ですか?」
「怒るなよ。私はただ気になっただけだ。ついでに、お前の意見でも聞ければ、と思ってな」
「……まあ、確かに、突然でしたし、色々腑に落ちない点もあります」
「一、私はな、やっぱり並々ならない理由があると思う。正直、正直に言うぞ。ゴーウェストが、SVとしてやって来た。堀が来れないという事になって、すぐにだ。まるで示し合わせたみたいに、入れ替わりにやって来た。どうだ? タイミングが良すぎるだろう? そう思わないか?」
「誰かが、何かを仕組んでるとでも?」
ふう、と店長が長く、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
「仕組んでる、か。なるほどな、それもアリか」
「……アラクネが出てから、何か、おかしいですよね。堀さんは世界中でソレが、群れを作って現れたって言ってました。例外的、おかしいって……」
「削られた戦力、新しい戦力。同じ時間、同じ場所か」
ははっ、と店長がおかしそうに笑う。
続きは言わなかった。
一にも分かっていた。
同じ時間、同じような、群れを作ったソレ。負傷した勤務外、死んでいった勤務外。
新しい戦力。
タイミングが良すぎる。まるで台本どおりに、事が進んでいる。しかも、その台本は荒唐無稽で、出鱈目で、滅茶苦茶で、幼稚園児のお遊戯会のそれの方がまだ絶対的にマシじゃないか、とそう思うぐらいの代物かもしれない。
一はそう考えた。寒くなった。
「まあ、今は別に良い。だが、いつか、ハッキリさせないとな」
一は答えなかった。
何を、どう、誰の事を、誰が、どうやって、どのように、誰のために、誰のせいで。ハッキリさせるというのだろう。
一には、分からなかった。
「おい、水取って来い」
一が読んでいた雑誌から視線をずらす。
ずらした先には、腕を組んでいる三森。尊大そうに、一の傍に立っていた。一は読んでいた雑誌に視線をずらす。
「シカトすンじゃねえよ。早く持って来い、おら、ぶっ飛ばすぞ」
「……自分で買えば良いじゃないですか。っていうか、取って来いって言いませんでした?」
「細けえな。先輩は敬えよ、私は立ってるのも辛いンだ」
「じゃ寝といてください。俺本読んでるんで」
そう言って、一は次のページを捲った。
「……いー度胸じゃねえか。立てよ、根性叩きなおしてやっからよ」
「分かりましたよ……」
聞こえないように舌打ちしながら、一が椅子から立ち上がる。
「何だ? 本当にやンのか?」
「構えないで下さいよ。水なら何でも良いんですか?」
「……おう」
「じゃ仮眠室で寝ててください。静かに」
静かに、を強調。
一がバックルームを出て、店内のペットボトル飲料のコーナーへ。適当なミネラルウォーターと、炭酸飲料を手に取り、ジェーンに声を掛ける。
「レジ頼む」
「オッケー。ア、それ、アタシの?」
「いや、三森さんの。水が飲みたいんだってさ」
「……やっぱり今は無理ネ」
「意地悪すんなよ。お前にも何か買ってやるから」
不承不承、ジェーンがカウンターに入り、ペットボトルを手に取る。一の炭酸飲料のバーコードを通し、三森の水に手を伸ばし、しっかり掴んでから、床に落とした。静かな店内に、派手な衝突音が長く尾を引いて響き渡る。
「……Ouch」
「……まあ、俺のじゃねえから良いけどな」
「お兄ちゃんだから、マケテあげる」
「仕事に私情を挟んじゃ駄目。ほら、ぴったし二百五十円な」
「…………」
「何だよ? ありがとうは?」
無表情で一から小銭を受け取り、ジェーンが無言でレジを打つ。大袈裟に溜息を付いた後、
「オツリ渡すときに、手掴みたかったノニ」
「せめて優しくしてくれな」
もう一度、軽くお礼を言って、一がバックルームに戻る。バックルームでは、三森が椅子に座って雑誌を適当に捲っていた。
「おせえぞ」
「寝てれば良かったのに」
言いつつ、一が少し拉げたペットボトルを三森に渡した。
礼も言わずに、三森が蓋を開けて水を飲み干す。一分もかからずに、ペットボトルは空になった。
「…………」
「何見てンだよ」
いえ、と三森をなるべく見ないようにして、一が呟く。そして、「ああ」と思い出したようにもうひとつ。
「百円です」
三森が仮眠室に入り、ソファに寝転がった。
「あー、あったまいってえ……」
「百円ですってば」
一が仮眠室に入り、ソファに寝転がっている三森に声を掛ける。
「あ? 私に言ってたのか? てっきり」
「てっきり何ですか?」
「まだ何も言ってねえだろうが」
「とにかく、水代。おごったわけじゃないんですから」
はい、と一が手を出した。
「……お前も一応は勤務外だろ? 私らは金払わなくても良いンだぜ?」
悪びれずに三森が言う。
確かに、オンリーワンに所属する勤務外店員は、店の商品を無償で受け取れる。勝手に取っても良いよ、と、公認された万引きのようなものだ。嘘みたいなシステムで、馬鹿げた決まりごと。だが、命がけでソレと戦う勤務外にとっては、当たり前の事実。むしろ足りないくらいだ、そう語る勤務外も中にはいるらしい。
だが、それでも。
「おかしくないですか、やっぱ」
「……タダで何でも持ってけるのが、か?」
「だって、そうじゃないですか」
「そんな事はな、ソレを一匹でも自力で倒してから言いやがれ。私らがどれだけ命張って、お前ら一般の、ああ。いや、今はお前もそれだったな。弱っちいけど。ん? あれ、私何を言おうとしてたっけな……」
「お前ら一般の、ですよ。続きをどうぞ」
皮肉っぽく、一が言った。
「ああ、そうだった。でだ。命張って、一般の奴らの前に立って、ソレと殺し合ってやってるんだよ私らは。そンで、命賭けた結果がコレだ。こんなんだよ」
三森が空のペットボトルを、一に向かって投げた。格好つけようとして、一が片手で掴もうとする。弾いて、飛んで、ペットボトルは床に転がる。
「私らの価値なんてそんなもんだ、あっけねェだろ?」
「まあ、そうですけど。でも、そういう事分かってて納得したうえで、三森さんは勤務外になったんじゃないんですか?」
「知った風な口利くンじゃねえぞてめえ。私はな、何も分かってなかったし、何一つ納得もしてなかったよ。次調子乗ったら半殺しにすンぞ」
「……つまり、商品を店から貰うのは、金を払わなくて良いのは、当然の権利って言いたいんですか?」
「それがどうしたってンだ」
「別に。どうもしないですよ」
「おい、含みのある言い方はやめろ。私がイラついちまうじゃねえか」
三森がソファから起き上がる。
「ビビらせようとしてるつもりですか? 別に、構いませんよ。殴りたけりゃ殴れば良いじゃないですか、勤務外ってのは何やっても許されるんでしょ?」
「分かった、分かったよ。相変わらずお前は私を怒らせるのが上手いって事がさ」
「ははっ、歯でも食いしばっておきましょうか?」
「意味ねえっての。私が殴ったら、ンなもん関係なくなるからな。歯でも顎でも心臓でも脳味噌でも、どこでも好きなとこを精々食いしばっとけ」
一が三森を睨み、三森が一を睨む。
「分かりました。けど、俺だって、黙ってやられっ放しにはなりませんよ。お望みどおり、どこでも好きなところを食いしばってやりますから」
「言ってろ」
吐き捨て、三森が立ち上がる。
一が身構えたが、既に三森はスイングのモーションに入っていた。
拳を一に対して振りかざす。容赦なく、慈悲もなく、一片の迷いもなく。
「痴話喧嘩もそこまでにしとけ」
ぴたり、と三森の拳が止まる。
煙草をくゆらせながら、店長が一たちの間に割って入った。
「仲が良すぎるのも、悪すぎるのも考え物だな……」
ぼやきつつ、店長が三森の肩を掴む。
三森の拳は、一の鼻のすぐ手前、一センチも間は空いていなかった。
「そんなんじゃねえ、ただの新人教育だよ」
「はっ、三森、お前がか? 柄じゃない、やめとけ」
店長と三森が視線を交わす。紫煙を余裕たっぷりに吐き出し、店長がニヤついた。三森は舌打ちして、「分かったよ」と、店長の手を肩から振りほどく。
「また命拾いしやがったな」
三森が乱暴に、一の肩を突き飛ばす。
「ってぇ……」
よろよろ、と一が情けなく後ずさりした。
「おいおい、一の肩が外れたらどうするんだ」
「ンな強く殴るわけねえだろっ」
「んん?」「え?」
「……何か変な事言ったか?」
「別に」店長がまた笑った。
一が雑誌を読み始めて一時間。
ジェーンが店内の掃除を始めて一時間。
三森が仮眠室で眠り始めて一時間。
店長が椅子に座り始めて一時間。
一時間経ったところで、オンリーワン北駒台店に電話が来た。ベルが鳴る。りんりんと鳴り続けるベル。
一は雑誌を閉じ、ジェーンは掃除を中断してバックルームに戻って来た。三森は目を開け、店長は黙って電話を見つめ続ける。
「取らないんですか?」
焦れた一が、店長に声を掛けてみた。
焦った素振りも見せずに、店長が煙草を吹かす。
「取ろうか?」
「ボス、カキューの用かしら?」
「さてな」
店長がやっと受話器を手にした。
「もしもし」
決まり文句の後、店長と受話器の向こうの誰かが会話を始める。その様子を慣れた風に、三森が見ていた。
「また出やがったのかね」
言って、三森が煙草に火を点ける。
「落ち着いてますね」
「あ? そりゃ、そうだろ。もう何年も勤務外やってンだからな。慣れない奴は死んでくだけだ。何だよ? お前はまだまだってか?」
三森が目だけで笑った。バカにしているような、そんな視線を受け、
「……死ぬまで慣れませんね。慣れたくもありませんけど」
一が返す。相変わらず皮肉っぽかった。
もう誰も喋らない。
店長の事務的な声だけが、バックルームに聞こえていた。やがて、その声も聞こえなくなる。電話が終わった。
「今日のオペレーターは新人だった。噛みまくって面白かったぞ」
店長が振り向いて、煙草に火を点ける。
「ボス? で、どうなの? 出たの?」
ジェーンが責めるように口を開いた。
出る。出ない。
勿論、それはソレのこと。
「結論から言うと、出た。出ている。ソレは単独で駒台にいる所を観測されたらしいな」
三森が一歩踏み出す。
「種類は?」
「恐らくは飛行タイプだ。出現場所がビルの屋上や、電波塔の近くだからな。確定はしていないが、オーソドックスな鳥獣のようなモノだろう」
「鳥、ですか?」
「……お前には関係ないだろう」
店長が一を三白眼で見つめた。というか睨んだ。
「それで? そいつをやっちまえば良いのか?」
「イージーな考え方ね。サル……サルの方がマシかしら」
「ガキは黙ってろ」
煙を吐き出し、店長が椅子を回転させる。くるくると。そして止めた。
「別に無視しても良いらしい。被害はゼロだそうだし、フリーランスも動くと言う話だからな」
「おいおい、マジか。どうかしてンじゃねぇのか、この街はよ……」
「まあ、アラクネと言う神話クラスの怪物と、クソみたいな女神さまが来られたからな。フリーランスの連中が嗅ぎ付けるのも無理は無いだろう」
その会話を聞いて、「あのー」と一が手を上げる。
「フリーランスって、何ですか?」
「面倒な連中だよ」
「厄介だ」
「クールじゃないわね」
一以外の三人が、それぞれ一言で説明してくれた。
「全く分かりません」
「分からなくても問題ない。それより飛行型のソレについてだが、今回は近畿支部から、私たちに任せると言う類の指示を貰った」
「つまり?」
椅子を回転させ、店長が一たちの方を向く。楽しげに、愉快気に、面白そうに。
「好きにしろって事だ」
「……じゃ、私はパス」
三森が仮眠室へと足を向けた。
「意外ですね」
心底意外そうに、一が声を発する。
「……別に私は好き好んで戦ってるわけじゃねえし。抵抗もしない、被害も出してねえソレが相手じゃつまンねえよ」
「――逃げるの?」
ジェーンが、後ろを向いた三森に、背中合わせの状態で声を掛ける。と言うよりも、挑発じみた台詞だった。
「良く聞き取れなかったンだけどよ、もっぺん言ってくれねぇか?」
三森は振り向かず、ジェーンに問いかける。
ふっ、と薄笑いを浮かべ、たっぷり間を空けて、
「チキン野郎」
ジェーンが言い放った。
「ジェーン!」
「エ、あ、何、お兄ちゃん?」
何故か一が怒り出した。一はジェーンに近づき、彼女の真っ白い頬っぺたを抓り、引っ張りあげる。
「AH――!」
「そんな言葉どこで覚えたんだよ! 下品だからやめろ! やめてくれ!」
「NO! NO! STOP! STOP!」
真っ白い頬っぺたは真っ赤になっていた。
「分かったか!?」
ジェーンは声も出せずに、必死に首を縦に振る。
満足し、一が手を離した。
「……お兄ちゃん……ヒドイ……」
ジェーンは涙目になって、頬を押さえる。しゃがみ込んでいじけているその姿は、年相応のそれだった。
「あ、悪いごめんすまん。やり過ぎちゃったか?」
一が手を差し伸べる。
と、無言でジェーンに払いのけられた。
「理解した。理解したワ。お兄ちゃんはやっぱり、まだアタシを子ども扱いしてる」
ジェーンが立ち上がる。
「そりゃそうだろ。だってお前まだ子供じゃん」
「シャラップ、お兄ちゃん。良いわ、オーケー、こうなったら分からせてあげる。アタシのクールさを。ソレをノックアウトさせて、お兄ちゃんの前まで持ってきてあげる。そうすれば分かるでショ?」
「何言ってんだ? そもそもだ、ここにいるソレはまだ何もしてないらしいじゃないか」
ジェーンが人差し指を一に向ける。
「してからじゃ遅いのヨ、トゥーレイト! デンコーセッカ、センテヒッショー。フリーランスもソレに仕掛けるつもりならなおさらヨ!」
「……だからって」
「ボス! 行っていい?」
真っ直ぐにジェーンに見つめられた店長は、一瞬考えるようなフリをしてから。
「構わん。好きにしろ」
「アリガト!」
礼を言うと、一目散に、すぐさまバックルームからジェーンが飛び出した。あまりのあっけなさ、速さに一同の動きが止まる。
「ちょ、ちょっと! 店長何言ってんですか! ジェーンはまだ子供なんですよ!」
だがそれもすぐのこと、一が店長に詰め寄った。
「構わんと言っただろう。私の言う事が聞けんのか?」
「だって!」
「五百九十一」
「は?」
「ゴーウェストが二年間、向こうでやった数だ」
店長がパソコンのマウスを動かす。モニターには、英語で記された文書が表示されていた。
「これは?」
「アメリカ支部からのメールだ。ゴーウェスト関連のデータ付きのな。しかし、なるほどな。ようやく納得できた。あんな小さなクソガキをよこす訳ないよな、くくっ」
店長は一人で勝手に納得し、独りで勝手に笑う。
「説明してください」
一が店長の襟を掴んだ。
それでも店長は余裕の表情を崩さない。
「……お前に話す内容として、相応しいかどうかは分からんが、面白そうだから簡単に教えてやる。あいつは、ゴーウェストはな、エースだよ。勿論、勤務外としてな」
「エース……?」
「ああ。勤務外。対ソレ。反人外。怪物殺し。つまりはそういう事だ。五百九十一、この数字は伊達じゃないぞ。雑魚も含まれてるかもしれんが、そんな数のソレをあいつは殺しきってるんだ。たった二年で、しかも比較的ソレ被害の少ない向こうでな。はっはっは、笑わせてくれるよ、ジョークか? アメリカンジョークか? タチが悪いな、外人は。なあ、三森、どう想う? どう思った?」
つまらなさそうに、退屈そうに。
「面白いじゃねェの。私に向かってあそこまでメンチ切りやがったンだ。兄妹揃ってムカつくったらねえよなあ」
「どうする? 三森、お前も行くか?」
「ああ」と、短く答え、三森が首の骨を鳴らした。
穏やかでない空気が、雰囲気がバックルームを支配していく。
「……冗談ですよね?」
一人だけ馴染めない一が、そんな言葉を口にした。
「自分の、妹みたいに接してきた女の子が、ソレ殺しまくってる勤務外過ぎる勤務外だって事がか? 一、悪いが嘘じゃない。お前が日本に来て二年、ゴーウェストが向こうに残って二年。二年あれば人は大抵のモノになれるぞ。一。これは真実だ。そして一、手を離せ。服に皺が寄るだろう」
「……っ!」
何も言わずに、ジェーンの後を追うように一がバックルームを飛び出す。
「あの野郎、傘も持たずに行きやがった」
「三森」
店長の声に三森が振り向く、と、同時に傘が投げられた。安っぽい作りの、ビニール傘。どこにでも転がっていそうな、ただの傘。
「何度見ても、それが最強の盾だとは思えないな」
「……あいつに届けろってか?」
「いや、お前に任せる」
「私に? ふーん」
「好きにしろ」
「あっそ」
駒台は今日も晴れだった。