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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ガーゴイル
31/328

ガーゴイルは旅をする

「グッモーニン、お兄ちゃん!」

「ん……。んん、ん」

「何言ってんのか分かんないヨ」

「……おはよう」

「サ! 仕事に行こ!」

「ん。じゃあ布団からどいて……」

 オウ、とか言いながら、ジェーンが一の布団からゆっくりと降りた。靴を履き、玄関で足を何度も鳴らす。いつまでも目を擦って眠そうにしている一を急かすようだった。

「ハリーアップ、時間は無限じゃないヨ!」

「……朝からうるさいな……」

 仕方なく、一が布団から身を起こす。

「あれ?」

「ン?」

「俺、こたつで寝てなかったっけ?」

「イエス。アタシが持ってきたの」

「……俺を?」

 楽しそうにジェーンが頷いた。

 はあ、とため息を吐き、一が体を伸ばす。

「顔、洗ったか?」

「……ウン」

 ジェーンが一の部屋の、流し台兼洗面台を一瞥した。

 嫌そうに。

「俺と住む事になったら、これが普通になるんだぞ。それが耐えられないなら、さっさと、できれば今日中にでも家を見つけるんだな」

「イジワル」

 蛇口を捻り、手のひらに水を溜め、一は顔を洗った。左手で、手探りでタオルを探す。

「Here」

 一の左手に、布の感触。

「サンクス」

 顔を拭き、頭を振って、無理矢理目を覚ます。

「……じゃ早く店に行こ」

「うん。ん? いや、良く考えたら、俺今日シフト入ってないぞ」

 一がこめかみを指で押さえた。

「どうしたの? お兄ちゃん頭おかしいの?」

「実はお前日本語完璧だろ」



 ジェーン・ゴーウェストが日本に来て二日目。

 オンリーワン北駒台店、スーパーバイザーとして勤務する、その初日。

「今何時?」

「9時」と、腕時計を見ながらジェーンが言った。

 一は今日、シフトに組み込まれていなかったが、取り立てて、用事といえる用事も、これと言った、予定という予定もなかったので、散歩がてらジェーンについて来ている。

「お兄ちゃん、アクビ」

「豪快だろ」

「……眠いの? 昨日あれだけアタシの横で寝かせてアゲタくせに」

 頼んでねえよ、と言い切る前に、一がもう一つあくびをした。

 やがて二人は、他愛ない会話をしつつ、北駒台店に着く。

「ざいまーす」

 一が店の扉を開けて挨拶するが、店内には立ち読み目当ての客どころか、店員すらいなかった。いつもどおりの風景だった。

「奥か」

 なんでもないように呟き、一がバックルームへ向かう。

「何で誰もいないの?」

 目を見開き、声を震わせながら、ジェーンが言った。

「……何でって……」

「おかしい! 仕事する気あるの!?」

「ないんじゃないか」

「何で!?」

「何でって……」

「フロアは汚いし、商品も適当に並べてる! 仕事する気あるの!?」

「……ないと思うよ」

「何で!?」

 バンッ、と乱暴にトイレのドアが開け放たれた。煙草を銜えながら、金髪を掻きながら、がさつな感じの女性が現れる。オンリーワンの制服を着ている。着ているが、当たり前のように、その女性には似合っていなかった。

「ああ、三森さん、おはようございます」

「朝からうっせェぞ」

「……アンビリーバブル……」

「ジェーン?」

「店内で、煙草……? スモーキング……?」

 ジェーンがふら、と足をよろめかせた。

「あ? 悪いかよ?」

「あ、当たり前じゃない! アタシより年上のくせに、そんなのもわかんないの!?」

「喚くんじゃねェよ。頭いてえ……、畜生……」

 頭を押さえながら、三森が辛そうな表情を見せる。

「あれ? え、三森さん、風、邪、で、す、か?」

「……何で区切ンだよ」

 一が視線を反らした。

 ちっ、と舌打ち。

「……店長の酒に付き合わされたンだよ。あの人、馬鹿みてーに強え……。あー、頭がガンガンする。おい。私は寝るから、後はお前らがやっとけ」

 言って、三森がバックルームに入っていく。

「し、しししし仕事中にアルコール!? ウェイト、ストップ、ドントムーヴッ! 何考えてんのヨ!」

「あああああああ! うるせェっつぅの! 文句があンなら店長に言えよ!」

 死ねチビ! 怒声とともにバックルームの扉が閉まった。

「……お兄ちゃん」

 悲しげに、寂しげにジェーンが一を呼んだ。

 一は答えず、視線だけジェーンに向ける。

「アタシ、ステイツに帰りたい……」

「普通の女の子に戻りたいか?」

「……ノー。タブン、もう戻れない、かな。戻りたくても、ダメね」

 ジェーンの顔は、ジェーンと同年代の女の子が浮かべるにしては、物事を悟りすぎていて、可愛くなくて、妙に老けていて、老成しているというのか、何というか、黄昏だった。

 小さな顔と小さな体と小さな心。一より年下で社員。ジェーンより年上でバイト。何ともいえない、微妙な距離。掴み辛い距離感。近くて遠い。遠くて近い。届きそうで届かない。

 だから一は、

「あっそ」

 それだけ言った。  



 店内は静かだった。今は、三森の代わりに入ったジェーンが、神経質ともいえるほど、モップで汚れを落としているところだ。シミを見つけてはモップで擦り、靴墨の後を発見してはモップで擦る。汚れに対して、親の仇をマウントポジションとってボッコボコにするが如く、凄まじい勢いで対処している。鬼気迫っていた。

「良く働くな……」

 そんなジェーンの様子を、防犯カメラで見ながら、遥か上空から見下すように、見下ろすように、店長が呟く。

「あの汚れの大半は、店長と三森さんでどうにかできたんじゃないですか?」

「いや、私にはとても出来ん。あいつらは手ごわいぞ」

「俺生まれ変わったら店長みたくなりたいですよ」

「そうか」

 軽く流して、店長が煙草に火を点けた。

「……一。ゴーウェストとは、どんな奴だ?」

 パイプ椅子に深くもたれ掛かり、雑誌を読んでいた手を、一が止める。意図の掴みづらい質問に、一が言いよどんでいると、「そのままの意味だ。深く考えるな」と店長が付け足した。

 それでも、少しの間考えて、

「子供ですね」

 一はそう答える。

「ふうん。子供か。確かに背格好はガキだな。外人とはいえ、やはりガキはガキだ」

「子供に恨みでもあるんですか?」

「私は基本的に年下の生物が嫌いなんだ」

 人間ではなく、生物ときた。

「で? 他には?」

「他? うーん。うるさいとか、目が青いとか、髪が金だとか。そう言う感じですか?」

「外面は誰にでも分かる。私が聞いているのは、内面の事だ」

「深く考えるなって言ったじゃないですか……」

「言ったか? 一、お前またそんな事を」

 もう良いです、と手を振って一が店長の言葉を遮る。

「内面。内面。うーん、別に何も問題ないと思うんですけどね」

「そうか?」

「そうか、って店長。ジェーンに何かあるんですか?」

 少し棘のある口調で、一が言った。

「お、どうしたアニキ。妹が悪く言われそうで、気分を害したか?」

 ははっ、と店長が軽く笑う。

 一は、店長をいないものと扱うように、雑誌のページへ目を落とした。

「……冗談だ。ゴーウェストに不満や不安は特にない。まあ、会ったばかりだがな。ただ、あいつに関して、気になることはある」

「気になること、ですか?」

「ああ。なぜ、どうして、ゴーウェストがウチに来たか、という事だ。更に言えば、来れたか、という所かな」

「……あいつは、俺に会いに来たって言ってましたけど」

 今度は喉の奥で、くくっ、と店長が笑いを噛み殺す。

「おいおい。自惚れ過ぎじゃないか、兄さん? まあ、仮にだ、仮にゴーウェストが、お前に会いたかったとしよう。日本に来なきゃ、お前とは会えない。さて、どうやって行くか、だが。果たして本当にオンリーワンのSVとして来る理由があいつにあったのかどうかだ。お前に会うだけなら、休みを利用して旅行ついでにでも来れば良かったんじゃないのか? わざわざ、二年もソレと戦って、苦しい思いをして、ここまでする必要はあったのか? なあ、一。どう思うよ?」

 店長の顔は、意地悪く歪んでいた。遂には、殺しきれずに、笑い声を口から垂れ流す。

「……どういう意味ですか?」

「怒るなよ。私はただ気になっただけだ。ついでに、お前の意見でも聞ければ、と思ってな」

「……まあ、確かに、突然でしたし、色々腑に落ちない点もあります」

「一、私はな、やっぱり並々ならない理由があると思う。正直、正直に言うぞ。ゴーウェストが、SVとしてやって来た。堀が来れないという事になって、すぐにだ。まるで示し合わせたみたいに、入れ替わりにやって来た。どうだ? タイミングが良すぎるだろう? そう思わないか?」

「誰かが、何かを仕組んでるとでも?」

 ふう、と店長が長く、ゆっくりと紫煙を吐き出した。

「仕組んでる、か。なるほどな、それもアリか」

「……アラクネが出てから、何か、おかしいですよね。堀さんは世界中でソレが、群れを作って現れたって言ってました。例外的、おかしいって……」

「削られた戦力、新しい戦力。同じ時間、同じ場所か」

 ははっ、と店長がおかしそうに笑う。

 続きは言わなかった。

 一にも分かっていた。

 同じ時間、同じような、群れを作ったソレ。負傷した勤務外、死んでいった勤務外。

新しい戦力。

 タイミングが良すぎる。まるで台本どおりに、事が進んでいる。しかも、その台本は荒唐無稽で、出鱈目で、滅茶苦茶で、幼稚園児のお遊戯会のそれの方がまだ絶対的にマシじゃないか、とそう思うぐらいの代物かもしれない。

 一はそう考えた。寒くなった。

「まあ、今は別に良い。だが、いつか、ハッキリさせないとな」

 一は答えなかった。

 何を、どう、誰の事を、誰が、どうやって、どのように、誰のために、誰のせいで。ハッキリさせるというのだろう。

 一には、分からなかった。



「おい、水取って来い」

 一が読んでいた雑誌から視線をずらす。

 ずらした先には、腕を組んでいる三森。尊大そうに、一の傍に立っていた。一は読んでいた雑誌に視線をずらす。

「シカトすンじゃねえよ。早く持って来い、おら、ぶっ飛ばすぞ」

「……自分で買えば良いじゃないですか。っていうか、取って来いって言いませんでした?」

「細けえな。先輩は敬えよ、私は立ってるのも辛いンだ」

「じゃ寝といてください。俺本読んでるんで」

 そう言って、一は次のページを捲った。

「……いー度胸じゃねえか。立てよ、根性叩きなおしてやっからよ」

「分かりましたよ……」

 聞こえないように舌打ちしながら、一が椅子から立ち上がる。

「何だ? 本当にやンのか?」

「構えないで下さいよ。水なら何でも良いんですか?」

「……おう」

「じゃ仮眠室で寝ててください。静かに」

 静かに、を強調。

 一がバックルームを出て、店内のペットボトル飲料のコーナーへ。適当なミネラルウォーターと、炭酸飲料を手に取り、ジェーンに声を掛ける。

「レジ頼む」

「オッケー。ア、それ、アタシの?」

「いや、三森さんの。水が飲みたいんだってさ」

「……やっぱり今は無理ネ」

「意地悪すんなよ。お前にも何か買ってやるから」

 不承不承、ジェーンがカウンターに入り、ペットボトルを手に取る。一の炭酸飲料のバーコードを通し、三森の水に手を伸ばし、しっかり掴んでから、床に落とした。静かな店内に、派手な衝突音が長く尾を引いて響き渡る。

「……Ouch」

「……まあ、俺のじゃねえから良いけどな」

「お兄ちゃんだから、マケテあげる」

「仕事に私情を挟んじゃ駄目。ほら、ぴったし二百五十円な」

「…………」

「何だよ? ありがとうは?」

 無表情で一から小銭を受け取り、ジェーンが無言でレジを打つ。大袈裟に溜息を付いた後、

「オツリ渡すときに、手掴みたかったノニ」

「せめて優しくしてくれな」

 もう一度、軽くお礼を言って、一がバックルームに戻る。バックルームでは、三森が椅子に座って雑誌を適当に捲っていた。

「おせえぞ」

「寝てれば良かったのに」

 言いつつ、一が少し拉げたペットボトルを三森に渡した。

 礼も言わずに、三森が蓋を開けて水を飲み干す。一分もかからずに、ペットボトルは空になった。

「…………」

「何見てンだよ」

 いえ、と三森をなるべく見ないようにして、一が呟く。そして、「ああ」と思い出したようにもうひとつ。

「百円です」

 三森が仮眠室に入り、ソファに寝転がった。

「あー、あったまいってえ……」

「百円ですってば」

 一が仮眠室に入り、ソファに寝転がっている三森に声を掛ける。

「あ? 私に言ってたのか? てっきり」

「てっきり何ですか?」

「まだ何も言ってねえだろうが」

「とにかく、水代。おごったわけじゃないんですから」

 はい、と一が手を出した。

「……お前も一応は勤務外だろ? 私らは金払わなくても良いンだぜ?」

 悪びれずに三森が言う。

 確かに、オンリーワンに所属する勤務外店員は、店の商品を無償で受け取れる。勝手に取っても良いよ、と、公認された万引きのようなものだ。嘘みたいなシステムで、馬鹿げた決まりごと。だが、命がけでソレと戦う勤務外にとっては、当たり前の事実。むしろ足りないくらいだ、そう語る勤務外も中にはいるらしい。

 だが、それでも。

「おかしくないですか、やっぱ」

「……タダで何でも持ってけるのが、か?」

「だって、そうじゃないですか」

「そんな事はな、ソレを一匹でも自力で倒してから言いやがれ。私らがどれだけ命張って、お前ら一般の、ああ。いや、今はお前もそれ(・・)だったな。弱っちいけど。ん? あれ、私何を言おうとしてたっけな……」

「お前ら一般の、ですよ。続きをどうぞ」

 皮肉っぽく、一が言った。

「ああ、そうだった。でだ。命張って、一般の奴らの前に立って、ソレと殺し合ってやってるんだよ私らは。そンで、命賭けた結果がコレだ。こんなんだよ」

 三森が空のペットボトルを、一に向かって投げた。格好つけようとして、一が片手で掴もうとする。弾いて、飛んで、ペットボトルは床に転がる。

「私らの価値なんてそんなもんだ、あっけねェだろ?」

「まあ、そうですけど。でも、そういう事分かってて納得したうえで、三森さんは勤務外になったんじゃないんですか?」

「知った風な口利くンじゃねえぞてめえ。私はな、何も分かってなかったし、何一つ納得もしてなかったよ。次調子乗ったら半殺しにすンぞ」

「……つまり、商品を店から貰うのは、金を払わなくて良いのは、当然の権利って言いたいんですか?」

「それがどうしたってンだ」

「別に。どうもしないですよ」

「おい、含みのある言い方はやめろ。私がイラついちまうじゃねえか」

 三森がソファから起き上がる。

「ビビらせようとしてるつもりですか? 別に、構いませんよ。殴りたけりゃ殴れば良いじゃないですか、勤務外ってのは何やっても許されるんでしょ?」

「分かった、分かったよ。相変わらずお前は私を怒らせるのが上手いって事がさ」

「ははっ、歯でも食いしばっておきましょうか?」

「意味ねえっての。私が殴ったら、ンなもん関係なくなるからな。歯でも顎でも心臓でも脳味噌でも、どこでも好きなとこを精々食いしばっとけ」

 一が三森を睨み、三森が一を睨む。

「分かりました。けど、俺だって、黙ってやられっ放しにはなりませんよ。お望みどおり、どこでも好きなところを食いしばってやりますから」

「言ってろ」

 吐き捨て、三森が立ち上がる。

 一が身構えたが、既に三森はスイングのモーションに入っていた。

 拳を一に対して振りかざす。容赦なく、慈悲もなく、一片の迷いもなく。


「痴話喧嘩もそこまでにしとけ」


 ぴたり、と三森の拳が止まる。

 煙草をくゆらせながら、店長が一たちの間に割って入った。

「仲が良すぎるのも、悪すぎるのも考え物だな……」

 ぼやきつつ、店長が三森の肩を掴む。

 三森の拳は、一の鼻のすぐ手前、一センチも間は空いていなかった。

「そんなんじゃねえ、ただの新人教育だよ」

「はっ、三森、お前がか? 柄じゃない、やめとけ」

 店長と三森が視線を交わす。紫煙を余裕たっぷりに吐き出し、店長がニヤついた。三森は舌打ちして、「分かったよ」と、店長の手を肩から振りほどく。

「また命拾いしやがったな」

 三森が乱暴に、一の肩を突き飛ばす。

「ってぇ……」

 よろよろ、と一が情けなく後ずさりした。

「おいおい、一の肩が外れたらどうするんだ」

「ンな強く殴るわけねえだろっ」

「んん?」「え?」

「……何か変な事言ったか?」

「別に」店長がまた笑った。



 一が雑誌を読み始めて一時間。

 ジェーンが店内の掃除を始めて一時間。

 三森が仮眠室で眠り始めて一時間。

 店長が椅子に座り始めて一時間。

 一時間経ったところで、オンリーワン北駒台店に電話が来た。ベルが鳴る。りんりんと鳴り続けるベル。

 一は雑誌を閉じ、ジェーンは掃除を中断してバックルームに戻って来た。三森は目を開け、店長は黙って電話を見つめ続ける。

「取らないんですか?」

 焦れた一が、店長に声を掛けてみた。

 焦った素振りも見せずに、店長が煙草を吹かす。

「取ろうか?」

「ボス、カキューの用かしら?」

「さてな」

 店長がやっと受話器を手にした。

「もしもし」

 決まり文句の後、店長と受話器の向こうの誰かが会話を始める。その様子を慣れた風に、三森が見ていた。

「また出やがったのかね」

 言って、三森が煙草に火を点ける。

「落ち着いてますね」

「あ? そりゃ、そうだろ。もう何年も勤務外やってンだからな。慣れない奴は死んでくだけだ。何だよ? お前はまだまだってか?」

 三森が目だけで笑った。バカにしているような、そんな視線を受け、

「……死ぬまで慣れませんね。慣れたくもありませんけど」

 一が返す。相変わらず皮肉っぽかった。

 もう誰も喋らない。

 店長の事務的な声だけが、バックルームに聞こえていた。やがて、その声も聞こえなくなる。電話が終わった。

「今日のオペレーターは新人だった。噛みまくって面白かったぞ」

 店長が振り向いて、煙草に火を点ける。

「ボス? で、どうなの? 出たの?」

 ジェーンが責めるように口を開いた。

 出る。出ない。

 勿論、それはソレのこと。

「結論から言うと、出た。出ている。ソレは単独で駒台にいる所を観測されたらしいな」

 三森が一歩踏み出す。

「種類は?」

「恐らくは飛行タイプだ。出現場所がビルの屋上や、電波塔の近くだからな。確定はしていないが、オーソドックスな鳥獣のようなモノだろう」

「鳥、ですか?」

「……お前には関係ないだろう」

 店長が一を三白眼で見つめた。というか睨んだ。

「それで? そいつをやっちまえば良いのか?」

「イージーな考え方ね。サル……サルの方がマシかしら」

「ガキは黙ってろ」

 煙を吐き出し、店長が椅子を回転させる。くるくると。そして止めた。

「別に無視しても良いらしい。被害はゼロだそうだし、フリーランスも動くと言う話だからな」

「おいおい、マジか。どうかしてンじゃねぇのか、この街はよ……」

「まあ、アラクネと言う神話クラスの怪物と、クソみたいな女神さまが来られたからな。フリーランスの連中が嗅ぎ付けるのも無理は無いだろう」

 その会話を聞いて、「あのー」と一が手を上げる。

「フリーランスって、何ですか?」

「面倒な連中だよ」

「厄介だ」

「クールじゃないわね」

 一以外の三人が、それぞれ一言で説明してくれた。

「全く分かりません」

「分からなくても問題ない。それより飛行型のソレについてだが、今回は近畿支部から、私たちに任せると言う類の指示を貰った」

「つまり?」

 椅子を回転させ、店長が一たちの方を向く。楽しげに、愉快気に、面白そうに。

「好きにしろって事だ」

「……じゃ、私はパス」

 三森が仮眠室へと足を向けた。

「意外ですね」

 心底意外そうに、一が声を発する。

「……別に私は好き好んで戦ってるわけじゃねえし。抵抗もしない、被害も出してねえソレが相手じゃつまンねえよ」


「――逃げるの?」


 ジェーンが、後ろを向いた三森に、背中合わせの状態で声を掛ける。と言うよりも、挑発じみた台詞だった。

「良く聞き取れなかったンだけどよ、もっぺん言ってくれねぇか?」

 三森は振り向かず、ジェーンに問いかける。

 ふっ、と薄笑いを浮かべ、たっぷり間を空けて、

「チキン野郎」

 ジェーンが言い放った。

「ジェーン!」

「エ、あ、何、お兄ちゃん?」

 何故か一が怒り出した。一はジェーンに近づき、彼女の真っ白い頬っぺたを抓り、引っ張りあげる。

「AH――!」

「そんな言葉どこで覚えたんだよ! 下品だからやめろ! やめてくれ!」

「NO! NO! STOP! STOP!」

 真っ白い頬っぺたは真っ赤になっていた。

「分かったか!?」

 ジェーンは声も出せずに、必死に首を縦に振る。

 満足し、一が手を離した。

「……お兄ちゃん……ヒドイ……」

 ジェーンは涙目になって、頬を押さえる。しゃがみ込んでいじけているその姿は、年相応のそれだった。

「あ、悪いごめんすまん。やり過ぎちゃったか?」

 一が手を差し伸べる。

 と、無言でジェーンに払いのけられた。

「理解した。理解したワ。お兄ちゃんはやっぱり、まだアタシを子ども扱いしてる」

 ジェーンが立ち上がる。

「そりゃそうだろ。だってお前まだ子供じゃん」

「シャラップ、お兄ちゃん。良いわ、オーケー、こうなったら分からせてあげる。アタシのクールさを。ソレをノックアウトさせて、お兄ちゃんの前まで持ってきてあげる。そうすれば分かるでショ?」

「何言ってんだ? そもそもだ、ここにいるソレはまだ何もしてないらしいじゃないか」

 ジェーンが人差し指を一に向ける。

「してからじゃ遅いのヨ、トゥーレイト! デンコーセッカ、センテヒッショー。フリーランスもソレに仕掛けるつもりならなおさらヨ!」

「……だからって」

「ボス! 行っていい?」

 真っ直ぐにジェーンに見つめられた店長は、一瞬考えるようなフリをしてから。

「構わん。好きにしろ」

「アリガト!」

 礼を言うと、一目散に、すぐさまバックルームからジェーンが飛び出した。あまりのあっけなさ、速さに一同の動きが止まる。

「ちょ、ちょっと! 店長何言ってんですか! ジェーンはまだ子供なんですよ!」

 だがそれもすぐのこと、一が店長に詰め寄った。

「構わんと言っただろう。私の言う事が聞けんのか?」

「だって!」


「五百九十一」


「は?」

「ゴーウェストが二年間、向こうでやった数だ」

 店長がパソコンのマウスを動かす。モニターには、英語で記された文書が表示されていた。

「これは?」

「アメリカ支部からのメールだ。ゴーウェスト関連のデータ付きのな。しかし、なるほどな。ようやく納得できた。あんな小さなクソガキをよこす訳ないよな、くくっ」

 店長は一人で勝手に納得し、独りで勝手に笑う。

「説明してください」

 一が店長の襟を掴んだ。

 それでも店長は余裕の表情を崩さない。

「……お前に話す内容として、相応しいかどうかは分からんが、面白そうだから簡単に教えてやる。あいつは、ゴーウェストはな、エースだよ。勿論、勤務外としてな」

「エース……?」

「ああ。勤務外。対ソレ。反人外。怪物殺し。つまりはそういう事だ。五百九十一、この数字は伊達じゃないぞ。雑魚も含まれてるかもしれんが、そんな数のソレをあいつは殺しきってるんだ。たった二年で、しかも比較的ソレ被害の少ない向こうでな。はっはっは、笑わせてくれるよ、ジョークか? アメリカンジョークか? タチが悪いな、外人は。なあ、三森、どう想う? どう思った?」

 つまらなさそうに、退屈そうに。

「面白いじゃねェの。私に向かってあそこまでメンチ切りやがったンだ。兄妹揃ってムカつくったらねえよなあ」

「どうする? 三森、お前も行くか?」

「ああ」と、短く答え、三森が首の骨を鳴らした。

 穏やかでない空気が、雰囲気がバックルームを支配していく。

「……冗談ですよね?」

 一人だけ馴染めない一が、そんな言葉を口にした。

「自分の、妹みたいに接してきた女の子が、ソレ殺しまくってる勤務外過ぎる勤務外だって事がか? 一、悪いが嘘じゃない。お前が日本に来て二年、ゴーウェストが向こうに残って二年。二年あれば人は大抵のモノになれるぞ。一。これは真実だ。そして一、手を離せ。服に皺が寄るだろう」

「……っ!」

 何も言わずに、ジェーンの後を追うように一がバックルームを飛び出す。

「あの野郎、傘も持たずに(・・・・・・)行きやがった」

「三森」

 店長の声に三森が振り向く、と、同時に傘が投げられた。安っぽい作りの、ビニール傘。どこにでも転がっていそうな、ただの傘。

「何度見ても、それが最強の盾だとは思えないな」

「……あいつに届けろってか?」

「いや、お前に任せる」

「私に? ふーん」

「好きにしろ」

「あっそ」


 駒台は今日も晴れだった。

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