愛はついえない
ケライノーは笑った。二ノ美屋を殺せると直感した。自分と比べれば二ノ美屋は遅い。追いつけるはずがない。事実、彼女はまるで駄目だった。油断さえしなければ銃の弾は当たらない。もう一人の狩人は絶対に自分を捕まえられない。
「甚振り尽くしたかったけどォ!」
爪を伸ばす。二ノ美屋は身を低くしていた。空を切った攻撃に気を留めず、ケライノーは再び空へと戻る。ジグザグに宙を往き、やがて彼女はあるものに目をつけた。それは銃だ。オンリーワンの人間が使っていたものが其処らに落ちていた。ニッと笑むと、ケライノーは降下してそれを掴む。
二ノ美屋は銃を取られまいとして発砲するが、僅かに遅い。ケライノーがグリップを掴んで逃れた。
「こうすんのっ、これ!?」
ケライノーが奇声を上げながらトリッガーを引く。人間の見様見真似でやった不恰好な撃ち方だが、飛び出た弾丸に違いはない。子供であろうが下手であろうが、誰が放ったものであろうが当たれば死ぬ。
「ンなにぃこれ! もっと早くつかっときゃよかったかも!」
狙いは正確でなかったが、ケライノーはスピードを生かし、距離を詰めて銃を撃っていた。有効射程距離内まで詰められた二ノ美屋は、ソレの死体を盾にしてリロードを済ませる。
「ああっ何これもう終わりかよっ」
空になった銃を捨てると、ケライノーは新しいものを拾って撃ち尽くす。二ノ美屋も反撃に転じるが、調子付いたソレを止められそうになかった。
ケライノーは弾切れになった拳銃を二ノ美屋に投げつけた後、両手に二丁の銃を構える。そして。突っ込んだ。二ノ美屋は釣られて立ち上がるも、ソレはハーピーの群れの中に姿を隠す。彼女はぎりりと歯を食い縛り、ケライノーを追いかけた。
「そォォこなくっちゃあ」
弾丸が一つ。二ノ美屋は呼応するかのように発砲し、自分に向かっていた弾を中空で命中させて軌道を逸らす。ケライノーは楽しそうに高い声で笑い、低い位置を飛んだ。そうして彼女は二ノ美屋と並走するような形で銃口を向け合う。
「すげえよな人間って! 殺すことも殺す為のもんもたくさん作るんだ! アタシらは殺して食うだけ! あんたらに比べりゃあアタシらなんかまだまだ赤ちゃんって感じ!」
「羨ましいか」
「るっせんだよババア!」
互いの眉間に銃口を向けたまま、歯を剥き出しにして笑う。
撃ち合いながら走るのに疲れたのか、二ノ美屋は立ち止まってトリッガーを引く。ケライノーは足で彼女の腕を蹴り、銃口の向きを変えた。反動を使い、ソレは退きながら二丁の拳銃を連発する。
二ノ美屋は後ろへ避けるのではなく、前へと踏み込んだ。
弾丸同士が交差する。銃口が向けば腕で弾く。ぐるりと回って相手を見ないままに引き金に指をかけた。断続的に炸裂音が鳴り、マズルフラッシュが夜を裂く。視界に明滅するのは死神の鎌か生の灯火か。間近。あるいは背後に迫ったそれらを互いが掻い潜る。
息を吸うよりも早く。瞬きするよりも早く。至近距離での撃ち合いを続ける両者には角度が足りない。銃口は相手の急所を捉えられずに、しかし薬莢は地面を叩き続ける。止められないのだ。撃つことを。相手を殺そうとする意志を止められない。
陣地を奪い合う攻防が続く。ケライノーは中空からの射撃を狙っているが、二ノ美屋が彼女の離脱をひたすらに阻んでいた。
「くたばれ人間!」
弾丸が髪を掠める。耳の一部をこそぐ。二ノ美屋は苦痛に顔をしかめながら反撃に転じた。
ケライノーがトリッガーを何度も引く。が、発射されたのは一発きりだった。二ノ美屋は向かってくる銃弾を得物で払った。銃身が歪む。彼女の体勢が右に崩れて流される。ケライノーは用済みになった拳銃を二ノ美屋に投げつけた。互いに得物を失った状況にある。そう思ったのはケライノーだけであった。
二ノ美屋はバランスを崩しながらも厚い刃のナイフを投擲している。放たれたそれはケライノーの右足に突き刺さった。ソレは奇声を発しながらナイフを抜き取り、掴みかからんと接近していた二ノ美屋の腹を蹴って声を荒らげた。
暗黒。
それがケライノーの由来である。
いきり立った黒い女は風と化して二ノ美屋に襲い掛かった。常人では目で確認するどころか、視界に収めることすら不可能に近い速度でソレが突っ込む。
翼と脚は刃に。回転しながらの飛び蹴りは二ノ美屋の顔面に叩き込まれるはずであった。
「死ィィィィにやがれェェェェ!」
両腕で顔を庇う。交差させた左と右の腕がなくなることすら覚悟した二ノ美屋であったが、
「店長っ、下がって!」
彼女とケライノーとの間に光が出現した。二ノ美屋は声に従い、後ろへ下がる。彼女はそこで光と声の正体に気が付いた。ソレは目を見開き、驚愕の声を上げる。
「馬鹿者どもめ」
オンリーワン。このコンビニエンスストアには異形の怪物と対峙する人外が集まる。力がなくとも、意志を持つ者も集う。かつては北駒台店にも一たち以外に勤務外店員が在籍していた。彼らはソレと戦った。その結果、先に散り、皆逝った。
二ノ美屋の前にいるのは、駒台で死んだ勤務外店員たちである。彼女は彼らの名を、顔を、全て覚えていた。忘れられるはずがない。彼女が殺したようなものなのだ。皆、二ノ美屋の指示に従ってソレと戦い、殺された。
彼らは光となり、光は二ノ美屋の盾になるかのように屹立している。
だから二ノ美屋は、彼らがこうして自分の盾になってくれることが不思議でしようがなかった。皆、自分を恨んでいるはずだ。呪っているはずだ。ずっと、そう思い続けていた。
「何故だ。お前らはもう、こんなことに付き合わなくていいんだ!」
「邪魔だっつーの有象無象!」
一人、散る。光が破裂して大気の中へ還る。
誰も振り返らなかった。しかし誰もが二ノ美屋を背にしていると認識しているのか、『円卓』のメンバーであるケライノーを相手にしても一歩も引かなかった。
「ゆっくり休めばいいっ。これは、こいつはっ、私の敵で、私の戦いなんだっ」
「だったらそれって僕らの敵ってことにもなるんですよ!」
「俺らの街で、俺らが守らなきゃいけないんだから」
一人。また一人。満足げに笑いながら光に還る。やがてそれは淡く。おぼろげに。掻き消える。
「店長。死ぬ前は言えなかったけど、お世話になりました」
「お疲れっした! 絶対にこいつらボコボコにしてくださいよ!」
光は薄く、小さくなる。
「私は変わらないのに、てんちょはちょっと老けちゃったね。あは、冗談。ばいばいっ」
「……こ、こいつらっ、こいつらなんだよ!? なんなんだよテメエらは!? なんで笑ってんだ気持ち悪ぃ! 気持ちが悪いっ、嫌だ、お前らはみんな嫌だァ!」
二ノ美屋は確かに見た。自分の前には希望があった。理想があった。こうあってくれと願ったものが存在していた。
「ああアアああああああああああッッ、壊れろなくなれ全部消えちまえェェ!」
全て、焼きつけた。
光はもうない。かつての部下はもういない。しかし二ノ美屋は彼らの笑顔も声も想いも、何もかもを受け取った。
「おかしいとは思わなかったのかしら。あなただってそこまで下等じゃあなかったでしょうに」
エレンは北駒台店の屋根の上から光を見ていた。懐かしい顔もあったが、彼はもう消えてしまったから、彼女は少しだけ胸が痛んだ。
「鈍かったのよ。あなたは」
ケライノーは弱者を甚振る狩人としては優秀であり、並び立つモノはこの世に殆どいなかったのだろう。しかし彼女は気づくべきであった。二ノ美屋愛と言う人間が、どうして自分と対等に戦えていたのかを。
交差する二ノ美屋とケライノーから視線を外し、エレンは空を見上げた。今宵、この空を我が物顔で陣取っていたハーピーたちが今もまた死んでいく。彼女らは駒台の住人を多く殺したろうが、この街そのものを掠めることは出来なかったのだ。
白みがかった視界の中、薄汚れたテントの中で、二ノ美屋は紫煙を吹かしながら薄く笑った。
腕がいい。力が強い。足が速い。頭が回る。生き残るには色々な物が要る。敵を打ち斃して尚も生き延びたいのなら貪欲でなければならない。
そう言ってから、『偉い人』は二ノ美屋に向き直った。
「鬼神だと。化物だと。君の殺しぶりを知った者は君のことをそう呼ぶ。私も、君のことを人だとは思っていない。しかし蔑むつもりはない。君を化物ではなく英雄だと思っているからね。……それで、君はどうしたい。この後、どうするつもりだ」
二ノ美屋が属していた組織はもうない。戻るべき場所は、今日、なくなったのだ。
「如何様にも」
「君は、女だてらによく怪物どもを殺してくれたが、『我々』はもう終わりだ。退役する英雄に何かしてやりたいと、私はそう言っている」
「は」
もう国は自分の面倒を看られないのだと、二ノ美屋はそう実感した。……幸いなことに、尊い犠牲のお陰で世界を襲った怪物の数は減っている。後は他国の軍隊に任せればいい。実際、そうするしかなかった。志はあれど人がいない。武器がない。組織がない。自分たちに出来ることは何一つとして存在しない。
「では。一つ。……叶うなら、朝も、昼も、夜も。24時間、化物と戦えるような仕事があれば、是非」
「それが、そんなものが君の望みだと言うのか」
問われて、二ノ美屋は頷きかけた。実際は違う。望みではない。罪であり、罰だ。戦いを望んでいる訳ではなく、戦うことで許されようとしていた。
――――何に。誰に。
二ノ美屋は答えなかった。ただ、見る物を底冷えさせるような笑みでもって応えた。
ケライノーの前脚が空ぶった。だが、風の化身として本領を発揮した彼女は止まらない。反撃を躱して中空に戻り、人では不可能な軌跡を描いて飛び回る。
しかし二ノ美屋はケライノーの姿を確実に捉えていた。ソレが降下する寸前に身を捩り、腕を伸ばして捕まえようとする。
「こんのォ、クソが!」
ケライノーは奇声を上げた。彼女の脚の爪が、二ノ美屋の右目を確かに貫いたのだ。抉り、刳り貫いたそれを見遣り、ケライノーは腹を揺すった。
「どォだよ人間ごときがさあ!」
二ノ美屋は片方の目玉を失った状態でもなお、ケライノーの姿を追っていた。彼女の脚を右腕で捕まえると、一息に中空から引き摺り下ろす。
「は? ぎっ、てめっ、てめえ!」
突き出した指でケライノーの目を潰す。ソレの喉から苦鳴が迸り、周囲の空気がびりびりと振動した。
誰が呼んだか知らないが、ソレと戦う彼らにはいつしか勤務外店員と名前が付いた。……勤務外を擁するオンリーワンは世界各地に支店がある。駒台が『円卓』に脅かされている今も、違う場所で違う者が昼夜を問わず戦っているのだ。
戦場は駒台だけでなく、勤務外は二ノ美屋たちだけではない。
『君は――――』
二ノ美屋は想起する。
おめでとうという声を。
ありがとうという声を。
百二十八。それが、二ノ美屋が半日で殺したソレの数だ。戦況には全く影響を及ぼさなかったが、個人の挙げる戦果としては充分だった。そも、ハーピーの群れと対峙し、生き残るだけでも素晴らしいことなのだと称えられた。よく戻ってきてくれた、と。その言葉には何の意味もないということに気づいていたが、しかし、その数字を以て、二ノ美屋愛は地球で一番最初の勤務外店員となった。
昔から目は良かった。遠くにあるものを見られるだけでなく、人の表情の変化にもすぐに気づけた。僅かに軋む筋肉を見遣るだけで、相手が何を考えているのかが分かった。目の良さは物事を円滑に進めることもあれば、余計な厄介ごとを抱えてしまうこともあったのだが。
二ノ美屋は遠くの一点を見ることだけでなく、周囲の空間を認識することにも長けていた。それは、何かを殺すと言う才能に繋がってしまった。他にも道はあったろうが、二ノ美屋には思いつかなかった。彼女自身が強く望んでいた才ではなかったが、与えられた才能は活かすべきだとも考えていた。
生来、二ノ美屋愛は短慮であった。噛み砕いて言えば頭が悪かった。乱暴で、がさつであった。持って生まれた目の良さは暴力と言う行為に帰結する。自分から争い事を持ちかけたことはなかったが、生意気だと言う理由で絡まれることが多かった。ただ、同級だけでなく、上級生との喧嘩でさえ負けたことはない。相手が何人であろうと誰であろうと、彼女に触れられる者が殆どいなかったからだ。
だから。二ノ美屋は年を経るごとに、合法的に人を殺せる場と言うのは、自分にとって、うってつけだとすら思ったのだ。
ただ、二ノ美屋は暴力や殺人と言う行為を愛していたのではない。破壊衝動を抑えることも出来た。自らに備わった才と性質を百パーセント活かしたかっただけだ。得物を持ち、撃つのを天職だと思ったことはあるが誇りとしたことはない。道はあった。選べたはずで、選ばなくても済んだはずだ。要は、たった一つこれしか出来なかったと言うだけなのだ。
「そっくりだろう?」
「……あ?」
「本物にしか見えないだろう、それは」
ケライノーの爪には二ノ美屋の右目が刺さっていた。彼女の洞はじっとケライノーを捉えている。その、あるはずのない視線を受けて、ソレは震えた。
二ノ美屋はケライノーの眼球を引きずり出して、ソレの顔面を強かに殴りつける。そうしてから、地面に落ちたケライノーの身体を踏みつけた。
「覚えちゃあいないだろう。お前らはあの日、あの街で人間を好き勝手に食い荒らした。その中の、たった一人のことなど覚えているはずがないんだ。覚えちゃあいないだろう? その目はお前が食ったんだ」
何の反応も示さないケライノーを認めると、二ノ美屋は息を吐き出した。彼女は疲れていた。追い続けてきた怨敵を前にして疲弊し切り、全てが終わってしまえばいいと祈った。
「義眼だ。お前のせいで作ったんだ。だから、くれてやる。持っていくといい。私のことを忘れてくれるなよ」
羽根を千切る。ケライノーはわっと泣いた。ソレが飛んで逃げようとしても無駄だった。二ノ美屋は、ケライノーがどこに力を入れようとしているのかを把握している。その部位を踏みつけて痛めつけてやれば、ソレは何も出来ないで泣き喚くだけだった。
「何年も追ったんだ。本当なら、もっと……」
気の済むまで痛めつけてやりたかった。
ケライノーたちが襲った、あの街にいた人たちの代わりに。
しかし、自分は代行者などではない。所詮、私怨で動く機械でしかなかった。
『お姉さんは、正義の味方なんですか』
二ノ美屋は胸に手を遣った。思い出したのは、苦しくて、甘い記憶であった。
差し出した傘も、自分を見上げる少年も、自分たちを叩く血の雨も、緩やかに立つ紫煙も。
頬に何かが落ちた感覚があった。雨は降っていない。しかし二ノ美屋の目にはそれが見えていた。失った右目が幻を見せているのかもしれなかった。
「な、なあ、悪かったって。お願い、もうしないから、もう人は食べないから」
幻に囚われた二ノ美屋を現実に戻したのは、ケライノーの命乞いである。
二ノ美屋は近くにいた戦闘部を一人呼びつけて、銃を借りた。無言で二発撃ち込むと、ケライノーは頭を振って泣き喚く。
「許してっ! 許してってば! こんなんじゃあもう飛べないっ、もう何も出来ないんだからあ!」
致命傷を避けてさらに一発。二ノ美屋は口元がつり上がるのを感じて、きゅっと真一文字に引き締める。
まだ、店の周りにはハーピーがいる。戦いの音、血の臭いに惹きつけられた別のソレも集まってきていた。自分たちが相手をするのはケライノーだけではない。この街にいる全ての化生を駆逐せねばならない。自分だけが愉しんでいては肩を並べている者にも、逝った者にも、守ろうとしている者にも申し訳が立たなくなる。
「お前がいなければ、こんなことにはならなかったのかもな」
二ノ美屋はケライノーの眉間に銃口を擬した。……この、黒いソレさえいなければ、一の街はなくならなかった。自分の仲間も死なず、片目を失わずに済んだのかもしれない。しかし、彼女は自身を否定することを拒んでいた。自分の行ってきたことも、通ってきた道も、全て嘘ではなく、本物だ。自分を否定すれば自分に関わった者を否定することにも繋がる。だから、と、二ノ美屋は気持ちを呑み込んだ。
――――どうせ、私は神様なんかじゃあないんだ。
「あの子に、嫌われちゃったじゃないか」
ケライノーの表情が固まる。二ノ美屋は微笑みを湛えていた。悲しそうに笑っていて、ソレはもう助からないと悟った。
ケライノーを始末したのち、二ノ美屋は生者、死者を問わず、味方であろうとする者に指示を飛ばした。
その間、二ノ美屋の頭の中を占めていたのは一のことであった。彼が女神からアイギスを賜った時、何故に傘と言うあり方でこの世に顕現させたのか。二ノ美屋は知っていた。
一も覚えていたのだ。アテナに問われた時に、『盾』を思い浮かべろと言われた時に彼は傘を想像した。きっと、一の記憶の残滓がそうさせたのだろう。彼は、ハーピー共が流す血の雨を、二ノ美屋が差してやった傘を、故郷を失った日を覚えていた。
戻ってこい。
二ノ美屋は強く祈った。一は魔女の操り人形ではない。記憶を操作されていたかもしれないが、根に当たる部分はいつまでも一自身のものであったのだ。