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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
アーサー・ペンドラゴン
306/328

Omoide in my head

 跳ねる。駆ける。空を往く。

 飛ぶ度に骨が軋む。駆ける度に神経が千切れる。前へ進めば足が。風を切れば腕が。攻撃を仕掛けても躱しても血が滲み出る。

 虹の先、蒼天を固めた闘いの庭で赤い少女が縦横無尽に飛び回る。対して、アーサー・ペンドラゴンは一歩たりとも動かない。陽動にはかからない。防ぐべき打撃を防ぎ、躱すべきものは躱す。ただ当たり前のことを忠実にこなし続けている。

「くっ、そう!」

 赤い少女は動揺を隠しきれないでいた。彼女は人類最強ともいえる規格である。勤務外六人にも囲まれれば苦戦するが、一対一なら負けるはずはないと彼女自身は信じていた。

「くそう! どうして、どうしてっ」

 有効打が一つも出ない。

 拳も爪先も空ぶり続けて、ただただ自壊が進むだけだ。少女の肉体はとうに限界を超えていて、いつ壊れてしまってもおかしくない。勝負の決着を急げば急いだだけ身体に負担が圧し掛かる。しかし止められない。速度を落として威力を下げればアーサーにつけ込まれてしまうだろう。この状態だからこそ競っているのだ。

 少女は能力だけなら優秀だ。いや、飛び切り壊れている。それこそ『円卓』のメンバーにも引けを取らないどころか、個人で何人かを打ち滅ぼせる危うい存在だ。

 しかし、圧倒的に、絶対的に経験が足りない。力は強いが力任せではどうにもならない。今までの相手にはその程度で充分だったのだ。少女は力の有効的な使い方を知らないまま戦っていたのである。

 致命であった。

 過度の焦燥が動きを鈍化させる。少女の後退が先よりも遅れたのを見逃さず、アーサーの剣が彼女の胴を薙いだ。

「……あ、いた……?」

 少女は瞠目した。『斬られた』のだ。傷口が創られて血が溢れ出す。初めての経験であった。熱く、苦しく、痛い。少女は一時恐慌状態に陥り、アーサーから距離を取った。

「君は人として、人の為に戦うと言ったな」

 アーサーは少女を見下していた。

「だがその様はなんだ。斬られれば傷を負い、死にもするだろう。当然の事象をそうだと受け入れられないで、人としてありたいなどとは……」

「思うだけなら自由なんです」

 少女は片膝をついたままでアーサーを見上げる。

「その思いこそが大事なんだって、分からないんですか」

 哀れですね。

 そう言って、少女は立ち上がった。斬られた部位を手で押さえることはしない。血は流れるままに。あるがままに。

「名無しの君よ。巌を砕く剛力。飛禽すら追い抜く機敏さ。堪能させてもらった。約束しよう。君は決して人の隣には立てない。手を取り合おうとしても、君は相手を壊すだろう。そういうモノなのだと理解した方がいい」

「説こうとしないでくださいっ!」

 少女は一足飛びで距離を縮める。迎え撃つアーサーの顔が、妙にぼやけて見えた。



 損傷する肉体。混濁する意識。茫洋たる空間に投げ出されたかのような感覚。そうかと少女は納得する。記憶だ。さかしまになったそれが脳内を駆け巡る。

 名無しの君と呼ばれた自分が何者なのか、瞬きするよりも早く、血が流れるよりも早く、少しずつ記憶が蘇る。

 取り戻した、と、そう断じるには聊か時間が足りなかった。眼前にはアーサー王。だから少女は手を伸ばす。

 少女は袈裟懸けに斬られながらも声を荒らげた。喉から迸ったのは怨嗟でなければ憤怒でもない。名だ。唯一想起した者の名を叫んだ。



「■■■■――――!」

 叫んだ声が自身のものだと気づくのに数瞬の時間を要した。彼は、自分で言った言葉の意味を理解出来なかった。ただ、言わねばならない。呼ばねばならないと分かっていた。一度は失い、取り戻しかけた記憶が急かしているのかもしれなかった。

「一さん、なりません!」

 一は自分でも分からないままに少女のもとへ駆け出していた。彼女はアーサーに届かなかった。最後の攻防で、三度、剣に裂かれた。倒れ伏して、一人で立ち上がることは出来ないだろう。既に肉体は限界を迎えており、いつ死んでもおかしくなかった。傷は深く、少女の生命力を根こそぎ奪った。

「おいっ、おい!」

 一は少女の傍らに跪く。素人目にも、もう駄目だと分かった。

 アーサーは動かなかった。少なからず、少女の……ものが死ぬということを悼んでいるのかもしれない。一は彼に対して背を向けている。剣を振り下ろせば呆気なく斬れるだろうが、アーサーはそうしなかった。

「……あぁ、一、さん」

 手を伸ばしかけた少女だが、力を失くしたかのようにそれが落ちる。一は彼女の小さな手を強引に掴んだ。

 一は何か言おうとして口を噤む。聞きたいことはあった。言いたいことはあった。しかし、今となっては些事なのだ。どうしてこうなったのかという過程は意味を為さない。少女の死は結果として目の前にある。

「お前は人だよ。ちゃんと、俺が見たから。覚えててやるから」

 少女は淡い笑みを浮かべた。今にも消えてなくなりそうなそれを間近で認め、一は彼女に言い聞かせるように大きく頷く。

「あの人、強いですよ……?」

「あとは任せてもう休めよ。俺がどうにかするからさ」

「……あ、ああ、その、言い方」


 君は変わらないんだね。


「お前……?」

 少女は口を開くのすら億劫になったらしい。最期にイチと呟いた。一は、前にも、どこかでそのように呼ばれていたことを思い出す。

「なんで、そんな」

 問いかけは宙に漂う。答えが返ってくることはないと気づいていながら、一は何度か少女の身体を揺さぶった。無駄だと、自分自身が心の奥から囁きかける。彼女は死んだのだ。ジェーンと同じように青髭に身体を弄られた少女は、人の形を保ったまま人を外れかけた彼女は、人間として逝けたのだろうか。

 少女は満足げな笑みを顔に貼りつけたままだ。自分のような男しか見ていない。彼女を彼女として認識していたのは自分だけなのだ。どうしてそんな顔をしていられるのか、一には分からない。彼女のように逝けたら幸福なのかと自問する。

「一さん」

 ガーゴイルが降り立った。彼は少女の亡骸を見遣り、目を閉じた。

「わたしの背に彼女を乗せてくれませんか」

「任せていいのか?」

 小さく頷くと、ガーゴイルは姿勢を低くする。

「なあ、ガーゴイル。お前は、こいつのことをなんだと思って接してた?」

「わたしは」

 抱え上げた少女の身体は酷く軽くて、一はやり切れない思いにとらわれる。彼は、少女をガーゴイルの背に乗せてやった。落ちないように彼女の位置を動かした後、彼は答えを待った。

「……彼女は人だと思うのです。わたしと一さん、そして他ならぬ自分自身がそうだと信じたのなら、自他ともに認めるということになるではありませんか。だから、伝えましょう。忘れないでいましょう。もとよりわたしはそういうものなのですから」

「ああ、じゃあ、俺のことも、俺の分までよろしく頼むな」

 ガーゴイルが低く唸った。

「人として、あなたはここに残り、戦うのでしょう。この街を、この街に住む人々を、もしかしたら、この世界さえも守ることになるのやもしれません。わたしは結局、傍観者にしか過ぎませんから、止める術を持ちません」

「そんな大層なことをやってるつもりはないんだ、俺は。世の為、人の為なんて言わない。俺は俺の為だけにここに立ってるつもりなんだ。……次の街に行くんだろ?」

「分かりますか」

「お前とは長い付き合いだからな」

「この夜、この街がどうなるのかを見届けてから行こうと思っています。薄情だと、批難されても構いません」

 しないよと一は首を振る。

「思えば、お前と会ったから俺は俺としてこうしていられるのかもしれないんだ。あの日屋根の上で話せていなかったら、俺はたぶん、もっと前に駄目になってたんだと思うよ。だからありがとう、ガーゴイル。良い旅を」

「友としては、あなたには逃げて欲しいと思っています。生きていて欲しい。しかし、一さん。どうか自分を貫いてください。……あなたと出会えてよかった。またいずれ、いいえ、必ず!」

 一の友人が翼を広げた。

「必ず会いましょう!」

 ガーゴイルが空を飛び、眼下を見下ろす。彼は何度も振り返っていたが、しがらみを振り切るようにして雲間を抜けた。

 残された一は長い息を吐き出していく。もう、ここには自分たちしかいない。邪魔が入ることはないだろう。正真正銘、一対一だ。

 一はビニール傘を素振りしながらアーサーを見遣る。彼はじっと動かず、目を瞑っていた。話しかけることはない。一は傘を振り下ろしてみた。試しにやってみたこととはいえ、ビニールの傘は神具アイギスである。頭を叩き割る勢いでやった。

 甲高い音が響く。アーサーは一を見ないまま、彼の攻撃を籠手で防いでいた。

「アイギスは……メドゥーサは使わないのかね」

「嫌われちまったのかもな」

 一はアーサーから距離を離す。彼の全身が見える位置まで下がると、自分が自然に口を利けたことに驚いた。張りつめていた感情が、少女とガーゴイルによってぷつんと切られてしまったのかもしれない。構うものかと、一は内心で苦笑する。

「夜明けまで間があるが、嫌な風が吹いている。レイブン、始めよう」

 言いつつ、アーサーは既に滑るようにして距離を詰めていた。武道の心得がない一には歩法も陽動も何一つとして認識出来ない。理解の及ばないアーサーの動作だが、傘を広げれば関係なかった。相手の思考の裏をかくような読み合いはない。ただ、来たものを拒み、止め、防ぐだけだ。

 ビニール傘を広げて前面に出すと、一の身体は殆ど隠れてしまう。がら空きなのは足元だが、傘布は透明だ。相手の狙いは視認出来る。

 アーサーは剣を振り下ろした。一は彼の攻撃を確かに防ぐ。妙だと感じた。もっと重たい攻撃を防いだことだってある。こんなものかとさえ自惚れてしまう。

「なるほど、堅固だ」

 何度かアイギスに打ち込むと、アーサーは、いつの間にか召喚していた鞘に剣を納めた。

「だが、それだけだ」



 斬るのは難しいと判断したアーサーは、

「お、おおおおおああああっ!?」

 アイギスを強かに殴りつけた後、身体で押し込んだ。理性を失った獣のようなやり口に、一の体勢が崩れる。

 アーサーの膂力が優れている訳ではない。彼はアレスや少女よりも劣っている。が、彼らよりも力を使うのが上手かった。どのように体を動かせば最も効率的に力を出せるかを知っている。剣術だけではない。相手を無理矢理に押し崩すことも技術の一つであった。

 力比べに負け続ける一はアイギスを広げるだけで手いっぱいである。押されるのを嫌がれば即座に剣を抜かれてしまうだろう。

「レイブン、君は場を停滞させることに長けている。だからこそ、ヴィヴィは君を選んだのだろう」

 しかし、と、アーサーは続ける。

「これ以上、黄昏時を止められない。君だけではない。私にも不可能なことだ」

「ふざけんなっ、てめえらでやっといて他人事みてえに!」

「かもしれない」

 どん、と、突き落される。

「だが、この世界の為だと思っている」

「は」

 アーサーを見上げる。

 彼の姿が遠くなる。

 風の音が妙にうるさく感じられる。

 一は遅まきながら現実を認識した。自分は落とされているのだ。アーサーが創ったと言う広場の端に到達し、そこから退場させられた。

「ふざ――――」

 浮遊感が身を苛んだ後、一は手を伸ばす。どこにも届かない。掴めるものなど、空の中には存在しないのだ。



 メドゥーサを使わないのではない。

 使えないのだ。

 一がアーサーと会い、話していた時点で蛇姫の声は聞こえなくなっていた。頭の中で呼びかけても心の中で頭を下げても無駄だった。一切の反応がなくなったのである。

「あ、あ……」

 星が離れていく。下には叢雲があり、そこを抜けて、このまま落ちれば死ぬしかない。この高さから地面や建造物に全身を打ちつければ粉々になるだろう。

 そうか。自分は死ぬのか。

 意識、思考だけが加速する。一が一センチ落ちる間に、一秒を薄く引き伸ばしたかのような時間が生まれる。だが、考える時間が幾らあっても、この窮地を脱する術は見つかりそうになかった。

 思い浮かぶのは走馬燈か。

 皆、元気でやっているだろうか。後は任せた。俺が死んだら誰か泣くかなあ。誰かが代わりに『円卓』を止めてくれ。そんなことばかり考えて、諦めかけた。折れかけた。助けは来ない。時間を稼いだところで誰も駆けつけやしないのだ。

 自分は何をする為に虹を渡ったのだろう。こうして、落とされて、死する為だろうか。違うはずだ。アーサー王を、『円卓』の首魁を叩きのめしてやるはずだった。

 何の為に。

 誰の為に。

 世の為か。

 人の為か。

 駒台を、自分に近しい者たちを守りたい気持ちも嘘ではない。二ノ美屋を殺すには『円卓』が邪魔で、彼らを退かそうとしていたのも本当だ。

 それだけではないとも思い直す。一の脳裏を一人の女が過ぎったのだ。他の誰でもない。三森冬だ。彼女は死んだ。目の前で灰と化して逝った。

 ああ、そうか。

 三森が死んだから、彼女の仇を討てるなら。そう考えて、ここまで戦ってきたのかもしれない。……彼女を手の届かない場所へ連れて行ったのは『円卓』だ。ならば――――。

 代わりはいない。必要ない。

 この手でやらねば誰がやる。

 一一の所有する無念は、一一でないと晴らせないではないか!

「来い、聞こえてんだろう!」

 落下して一秒。

 加速の後、爆発した思考は未だ諦めという答えを出してはいない。落下したからなんだ。空中だからなんだと言う。声が聞こえていないなら叫べばいい。姿が見えないのなら探せばいい。彼女の髪の毛を掴んで引きずるような兇暴さを露わにすると、

『……ああ、赦して、ください』

 か細い声が胸の内から聞こえてくる。

 そこにいたのかと一は狂喜した。彼は己の内に没入するべく目を瞑った。



 割れて崩れて壊れて砕ける。

 揺れて破れて裂けて千切れる。

 認識していた世界が罅割れて唸りを上げる。

『主』と呼ぶ声に惹かれて面を上げれば、世界が光に満ち満ちていく。

 新たに生まれた世界に立てば、パートナーたる蛇姫が俯いている。左右には彼女の姉が立っていた。

「一一」

「どうか責めないで」

「私たちを」

「私たちの妹を」

 知っている。

 理解している。

 白い世界も己の世界も。自分たちを構成する一切合財の理を。

「メドゥーサ。俺たちはこれで最後なんだろう」

 蛇姫は顔を上げると、寂しそうな笑みを浮かべた。

「行こう。あいつらを止めるんだ。そいつは、俺たちの得意なことじゃないか」

「さい、ご」

 一は真白な空間を歩く。彼はメドゥーサの正面に立ち、彼女のおとがいを指で持ち上げた。見る者をいしにする魔眼をじっと見据えて、彼は笑った。

女神アテナはもういない。好きにしていいんだ。縛られることはない。でもさ、最後に」

 メドゥーサは童女のような笑みを見せた。屈託のないそれは一にのみ向けられる。

「言ったでしょう。どこまでも、あなたの傍に」



 目を開く。ぐるりと体を捩れば眼前には叢雲が。

 おお、と、声を荒らげる。止まれと願う。一の想いにはもちろん蛇姫が応えた。

 アイギスはもう輝かない。アテナが死に、女神の力、その残滓さえも消失しかかっている。

 悔やむことはなかった。何故なら、もう自分たちを縛めるものはどこにもないのだから。くびきから逃れたメドゥーサは己の意志だけで一に味方している。彼女もまた、力を失いつつあり、存在することを許されないでいる。

「止まれ!」

 強く願う。

 邪魔な物も、自分たちが繋がっていられる時間さえも止まれと祈る。

 だん、と、一は着地した(・・・・)。足場は何処にもないはずだった。しかし彼は今、中空に足を着けて、屹立したままのアーサーをねめつけている。

『止まれ』

 声が内から響く。

 一は足を踏み出した。踏み外すことはない。落ちることはない。彼は先から空を、空間を固めているのだ。不可視のはずだが『見える部分』なら問題はない。自分に都合のいいように空を止めて足場にしている。

 一は見えないきざはしを確かめるようにして上っていくと、アーサーと目線の合う高さまで辿り着いた。彼は少なからず驚いているらしい。

「さっきみたいな手は通用しねえぞ」

「そのようだ」

 アーサーは鞘から剣をすらりと引き抜いた。



 淀みがない、無駄な力が一切省かれたアーサーの突きをアイギスで防ぐ。先よりも烈しい衝撃が腕に伝わり、一は瞠目した。彼はそうかと納得する。一度目はアイギスを含め、自分は試されていたのだ。

「こっちはそんな余裕もねえってのに」

 怒りと力を込めて押し返す。アーサーはまともには受けず、一のやる気を受け流すようにして立ち回った。

 一は歯噛みする。力量差が開いているのは分かっていたが、ここまでとは思っていなかった。彼とて勤務外になってからの数か月で多くのソレと相対してきた。だが、アーサーは次元が違う。

 そも、一は人の形をした相手が得意ではない。防ぐことに主眼を置いた彼のやり方は、獣のようなモノならばともかく、頭の回る者とは相性が悪い。加えて、アーサーは戦い慣れている。今はアイギスを正面から潰す方法を考えているらしいが、焦れれば他の手を取るだろう。

「自信があったかな。すまないことをした」

 くるりと剣が翻る。アーサーは手首を返し、アイギスに得物を叩きつけた。一の両脚が僅かに痺れる。彼の一撃はミノタウロスやアレスよりも軽いはずだ。なのに、防ぎ切れる気が起こらない。瞬きをすれば次の瞬間には断ち割られているようなイメージしか浮かばない。

 防げないなら攻めてやる。

 一は唾を吐き捨てた。アーサーが距離を置いたと同時、アイギスを畳んで疾走する。幾度の戦闘を、数多の戦場を潜り抜けたアーサーには鈍いくらいのスピードだっただろう。しかし一にはメドゥーサがいる。

 斜め上。一は中空を固めてそこに飛び乗った。アーサーの真上からアイギスを叩きつける。彼は剣で受けて弾いた。

 アーサーの追撃が迫る。薙がれた剣は、しかし一には届かない。その手前で壁にぶつかったかのように火花を散らして押し戻される。彼が空気を固めて盾にしたのだ。

 空気を止めながら下がり、頃合いを見て再び距離を詰める。一の速度が上がっていた。アーサーは先よりも遅れて彼の攻撃を受ける。反撃を試みるも、一はまた自分の前の空気を固めて逃げる。

 じれったい攻防が数度続いた末、遂に一の振り下ろしたアイギスがアーサーに命中した。鈍い音が響き、アーサーは眉根を寄せる。それもそのはずだ。殴られた部位、肩を覆っていた鎧がひしゃげている。

 魔力の込められた鎧は易々とは砕かれず、貫かれることもない。いわんや一般人程度の腕力では、殴った方の腕の骨が折れるだけだ。だが、一はただの一発で鎧を歪ませた。

「こんなもんで驚いてくれんなよ。俺はお前をぶち殺しに来たんだからな」

 今の一にはメドゥーサだけではない。彼女の姉、ステンノとエウリュアレも巣食っているのだ。

 ステンノは力。

 エウリュアレは飛翔。

 二者の特性が一に付与されている。アテナの遺した、最後の贈り物であった。……彼にとって、今がベストの状態である。能力の使い方をようやくにして理解し、伸びしろはまだ残されている。そしてここには月光すら降り注いでいる。月が見える位置なのだ。狼の血が混じった一の身体能力は常人を軽々と超えている。

「殺す、か。いや、理由は分かる。レイブン、君は誰かの死を背負って、そうして私の前に立っている。だが、勝てんよ。到底、殺せん」

「ごちゃごちゃうるせえ!」

 一の打撃は躱される。彼の想いは空回り、必要以上に暴れ狂う。

「私怨では無理だ。私はこの世全てのものを背負っているのだから」

 神のような物言いに一の全身が熱くなった。彼は内心で叫ぶ。

 お前だ。お前だ。お前さえいなければ。諸悪の根源が何を言うか。元凶が何を図々しいことを。

「重いぞ、私は。君では無理だ」

 一はアーサーの背に数多の光を幻視する。目が眩みそうだった。

 剣が見える。振り下ろされたそれを喰らうことは許されない。一は手をかざした。甲高い音と共に、王の得物が弾き返される。

「何が全てだっ」

 反撃。アイギスでアーサーの顔面を突こうとする。

「てめえらがやったのはただの殺しだろうが!」

 回避。アーサーが首を曲げると石突きは空を切った。

「人殺しの王様がなあ、何を背負ってるって言うんだよ!」

「真理だな」

 背負わせてたまるものか。

 自分たち以外のものならば好きにしてもいい。だが、全ては駄目だ。一一も三森冬も、こんなやつに負われるわけにはいかない。

「王は、小を切り捨て大を生かすことを強いられる。確かに、殺しだ」

 諧謔に溢れたアーサーの物言い、微笑み。……自分たちが小さいと言うのか。誰が、何を以て決められる。ふざけるな。一は吼え声を上げた。

「死は終わりではない。新たな始まりだ。そして君らの死も無駄にはならない。この街の、君たちの終焉を以て、世界に一つ鐘が鳴るのだ」

「もったいぶってんじゃねえよ! てめえはっ、ここで終わるんだ!」

 何が王だ。何が世界だ。

 一の速度が上がる。空間を固定させて段に飛び乗る。とんぼを切ってアーサーの上を取ったが、それすらもフェイントだ。一は止まれと彼を睨む。メドゥーサの瞳がアーサー・ペンドラゴンを捕まえたが、するりと抜けられてしまう。もとより彼女の能力にはむらがある。ヴィヴィアンの魔力。アーサー王としての格。強靭な精神力。それらがメドゥーサの誘惑を跳ね除けた。

 停止したのは寸毫。

 メドゥーサは通用するがそれだけだ。

 ならばと、一はアーサーに、彼の周囲に目を向けた。アーサーが止められないのなら、周辺の空間を固定させればいい。

 かちりと、一の頭の中で撃鉄が起こって落ちる。アーサーは距離を取ろうとしていたらしいが、自分が何かに囲まれていることに気づいた。今、彼の四方には不可視の壁がある。

「そう来るとは思っていた」

「スカしてろよ!」

 一は固定した空間を蹴って跳躍した。再びアーサーの真上を取り、アイギスの石突きを向けて落下する。これならどうだ。逃げられまい。彼の致命的な負傷を確信した。瞬間、アーサーの持っていた剣が輝きを帯びた。



 英雄には譚がある。

 語られる内容は勇ましいものばかりだ。試練を乗り越え、怪物を打ち倒す。彼らを英雄足らしめているものは血筋であり資質であり、武器であろう。


「抜かざるを得ないか」


 アーサー・ペンドラゴンの所有する剣は、彼そのものだ。血の証明であり、抜き、手にした時点でブリテンの統治者として見做される。

 黄金色の輝きは松明三十本分にも匹敵し、鋼であろうと何であろうと斬れる。

「見縊っていた訳ではない。いきり立つことはないとも」

 剣――――エクスカリバーは煌々としている。刀身はもはや光だ。

 ぎちりぎちりと虫が鳴くように、一の固めていた空間が軋んだ。彼は思わず目を瞑る。次の瞬間、アーサーはそこにいなかった。彼は空間を斬ったのだ。まともに動けない状態で、剣を振るうような隙間などどこにもなかったというのに。

 横合いから殺意が迫る。一がアイギスをそちらに向けられたのは奇跡にも近しい行為であった。凝り固まった輝きがアイギスを食い破ろうとしている。膠着は一瞬。完全には防げない。力を失いつつある神具ではまだ足りない。一は光をねめつけた。眩いそれを直視し、眼球が焼けてしまいそうだった。

「い、が、ぎいいいいいあああああぁぁ」

 受けては駄目だ。距離を取らねば。

 一は直感した。このままだと斬られる。止めろ。止まれ。懇願は届かない。隙間などない。目の前の光は決して触れられるものではなく、触れられることを拒んでいる。

 一一のアイギスとメドゥーサが不可侵ならば、アーサー・ペンドラゴンとエクスカリバーもそうなのだ。



 ハーピーは飛び回り、地上の者を蹂躙し続ける。同胞を指揮する三姉妹は依然として捕まらない。

 火噴き竜は人狼を歯牙にもかけず、進路上にある有象無象を破壊し尽くす。

 主神殺しの狼は遂に本性を露わにした。膨れ上がる殺意と体躯がかつての檻に食らいつこうとする。

 絶望の船も隻腕の軍神も、未だ底を見せていない。隙あらば相対するものを飲み込むだろう。

 王は言った。黄昏時は止まらないのだと。

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