銀の意志
人が嫌いだと言った。
人のことを嫌いだと言っていた。
間違いはないと思う。そう思わされる。何故なら、その言葉を言ったのは他ならぬ主だからだ。彼に従い、仕える身ならば関係はない。その言葉が戯言だったとして、虚言だとして、偽言だとして、従者である自分にとっては真実でしかない。
しかし、と、大それたことを思う。
ならば、何故、自分たちを人の形に創ったのだ、と。
本心から、心底から人という種を忌んでいたのなら、土塊のような姿でもよかったはずだ。足も手も目玉も二つでなくてよかった。そも、そんなものを取り付けなくても構わなかった。
自分は、もっと――――。
風だ。
旋風が奔る。三つのそれはエレシュキガルの産んだ楼閣を滅多打ちにして倒壊させる。足場を失った二ノ美屋たちは再び劣勢に追い込まれていた。
血染めのセーラー服を着たハーピーは多くいたが、アエロー、オキュペテ、ケライノの三名は図抜けたスピードを持っていた。彼女らこそがハーピーを支配し、指示を出している。そう気づいているのは二ノ美屋だけであった。彼女も、先に殺したポダルゲのように残った三姉妹を狙っていたが、彼女らは警戒しているのか近づいてこなかった。
二ノ美屋が指示を出したところで他の者ではハーピーの見分けがつかず、また、捉えられない。だから二ノ美屋は一人きりで三匹を打倒するつもりであった。
一方のハーピーたちも、二ノ美屋を避けて他の者を執拗に攻撃している。彼女以外なら自分たちには追いつけないと踏んだのだ。
「ああ、クソ」二ノ美屋が舌打ちする。
「畜生人間のくせに!」 アエローが唾を吐き捨てる。
「厄介者め!」 両者が同時に互いを睨む。
しかし邂逅は一瞬にも満たない。二ノ美屋の銃撃は空を切り、別のハーピーに突き刺さる。アエローたちは彼女を避けて動きの鈍い人間を襲撃する。数から鑑みて、不利なのはオンリーワンの方であった。
「出し惜しみは、なし、だそうだ」
「言ってくれますね。この子が言うことを聞いてくれるかどうか分からないってのに」
技術部の天津たちは自分たちの乗ってきた車の中から外を見遣った。店の近くに停めてあった、医療部とは別の車両である。ソレが空から攻め来るが、何人かの技術部が必死に応戦していた。
じっとして考えている暇はない。
天津はちらと視線を遣った。担架に乗せられているのはフレンチスタイルのメイド服を着た少女である。彼女は今、目を瞑り、呼吸をしていない。……否、必要ないのだ。彼女は自動人形である。少女の名はパァラ。加治に仕えていたメイドの内の一人であった。ナナに四肢を奪われた後、天津たちが店前で修復していたのである。
だが、外身は治せても中身はそのままだ。パァラは加治が殺されたことを覚えているだろう。そして、殺したのは天津たちだ。恨んでいるだろう。憎んでいるだろう。目覚めるや否や、彼女に襲い掛かられてもおかしくはない。
手がないのも確かであった。予備戦力はない。何もしなければハーピーに啄まれて骸さえ残らなくなる。危ない橋を渡っていることに変わりはない。天津たちは覚悟した。ただでは死にたくない。足掻いて足掻いて、その結果が自分たちの死ならば許容も出来よう。不確定要素に頼らざるを得ない状況だが、技術部は既に知っている。戦いとは、命をかけるとは、こういうものなのだ。
「どうせやられるんなら、こっちにやられた方がマシだ」
電源を入れた男は身構える。パァラの四肢にエネルギーが宿っていくのを、天津たちは瞬きも出来ずに見守った。
車が弾けた。窓ガラスが割れて、外にいた技術部は悲鳴を上げる。後部座席のドアが錐揉みになって吹き飛び、駐車場のフェンスにぶつかった。ハーピーたちは音に反応する。新しい獲物の出現に、踊った心のままに降下した。
五匹のハーピーはフレンチスタイルのメイド服を着た少女に飛び掛かった。同時にではない。僅かだが時間差があった。
「戦闘行動、開始します」
少女がぽつりと言った。ソレには分からない。彼女のそれはコードだ。たった一つのオーダーだ。誰かに与えられた訳ではない。自分なりに思考した末の行動であった。
順繰りに、ハーピーが血飛沫を撒き散らす。腕を、翼をもがれた。足を握り潰されて鼻骨を砕かれて首の骨がばきりと折れる。爪も牙も通らない。何故なら少女は自動人形。肌は鉄。血は油。しかし彼女には心がある。
「マスター。あなたは、本当は何を望んでいたのですか……?」
ヘパイストスの自動人形。彼の八番目の娘、パァラ。彼女はソレの血を浴びながら、亡き主を想う。
人は憎い。
主を殺したものが憎い。
天津たちの首を捻り、捩じ切ることは容易かっただろう。しかし、主を穢すことは出来なかった。彼はあの時、確かに死を望み、認めたのである。主の望んだ死を自分の拙い感情で穢すことはしたくなかった。
何故、と、思う。どうして、と。主は自分を置いて、遠くへ行った。その理由が知りたかった。だから、彼女は今、自らの意志で戦うことを決めた。
天津らは車の外に飛び出した。全員が銃器を構え、空を見上げ、パァラを見た。佇む彼女は、やはり美しかった。自分たちの、人の理想の姿が其処にある。彼女は小さく頷き、腰を低く落とした。
今のパァラに武器はない。彼女の四肢こそが武器であった。人と比べればパァラは充分に強靭だろう。しかし、技術部の施した修理は完全ではない。無理に動けば、無暗に戦えばパーツがばらばらになる。それでも以前の彼女とは少し違った。自分の意志で戦うことに加えて、ナナの戦闘データが入力されている。戦い方を覚えたのだ。
「……足りるか?」
天津は自問する。まだ、自分たちの上にはハーピー共がひしめいている。その上、ソレの中にも能力の高いモノがいた。アエロー、オキュペテ、ケライノの三姉妹だ。彼女らが動き始めている。エレンはもう大きな力を使えない。それが敵側に露見している。オンリーワン側が大がかりな技を仕掛けられないと知り、調子に乗って飛び回っているのだ。
パァラは強いが、彼女だけでは抑えられない。
「足りないか?」
同僚が死んだ。今も殺されている。こちらの数が減っている。現実での戦いは数値化出来ない。正しい確率も出ない。劣勢なのは分かる。だが諦められない。虹の近くでは娘が戦っている。ここを守らねばならないのだ。お帰りと、そう言ってやる為に。
悔しい。
負けたのが悔しい。戦えないのが悔しい。満足に手足を動かせないのが悔しい。置いていかれたのが悔しい。
一たちは自分を残して虹へ行った。好きだった男は自分を残して村を出た。分かっていたはずだ。割り切ったはずだ。自分は、待つばかりでは何も得られない女なのだと。
二ノ美屋の横合いを血に染まったセーラー服が通り過ぎた。しまったと判じた時には遅い。次女のオキュペテが店の中を目指していた。店内には動けない者が何人か残っている。
止めろと口を開く間すら惜しかった。二ノ美屋はオキュペテの背を狙うも、銃弾は彼女を掠めることすら出来ない。
「食い破ってやるよォ! あはははっ」
「邪魔すんじゃねえって!」
ケライノが二ノ美屋の周囲を飛ぶ。銃を構えた彼女は迂闊に背を向けることが出来なくなった。
オキュペテは、硝子が割れてがら空きになった窓枠から店内へと侵入する。悲鳴が上がった。鈍い音が店外にまで響いてくる。
「あはははははっ、姉ちゃん、やっちまえ!」
「ひい、ぁ……!」
「ねっ」
飛んだ。
店の中から、人の形をした塊がすっ飛ぶ。それはハーピーたちを巻き込んで、後方へと去った。
「姉ちゃん!?」
飛んでいったのはオキュペテであった。ケライノが姉の名を呼び、空中へと戻ると同時、律儀にも店のドアを潜って一人の女が現れる。白い小袖。緋い袴。短い銀髪。四肢に包帯を巻いた巫女――――『神社』の山田栞が立っていた。
紅白に身を包んだ山田の姿は痛々しい。彼女は寄橋でアーサー・ペンドラゴンに斬りつけられていたのだ。顔色は悪く、包帯の下には血が滲んでいる。立っているのがやっとという有様だ。医療部も、素人でさえも、彼女が今も生きている。それだけのことが奇跡であり、再び起き上がることはないだろうと思っていた。
だが、どうだ。
山田は自分の足で立っている。息は荒く、今も血は流れ続けている。彼女は刻一刻と死に近づいている。しかし、その目は空中のハーピーを捉えている。彼女の全身からは殺気が立ち上っていた。まるで鬼のようだった。
その鬼は歩くことが難しいほどに疲弊している。ハーピーは弱いものを見つけることに長けている。ごく当たり前の成り行きで、山田のもとにソレが殺到した。彼女は構えず、腕を振り上げる。鈍い動作だ。
「……おぉ、こりゃあ、いいな」
避けられて当然の動きだが、掌はハーピーの首を掴んでいた。山田は長い息を吐き、僅かに力を込める。ソレの首が捻じれて切れた。噴き出す血を掻き分けるようにして、新たなハーピーが山田に迫る。
山田は動けない。しかし獲物は向こうからやってくる。待ちに徹し、最小限の動きでカウンターを試みる。
所詮、ハーピーの知能は鳥並だ。速度に頼って虚実を交ぜることもない。そも、ハーピーとはそういうモノなのだ。弱いものを甚振り、獲物を掠めることに特化した生き物である。己の能力を磨くことはせず、その方法も知らないのだ。強さは必要ない。ただ自分たちよりも劣っているものを襲えばいい。
だから、捕まる。
だから折られて、すぐに死ぬ。
「あァ……またこうなっちまったかよ」
山田は、ハーピーたちの骸の上に腰を下ろした。折り重なった有翼の魔物の数は六である。そして今、七になった。
蒼いドレスが翻る。
虹の根元で数多のソレに囲まれているのはアイネだ。彼女の振るう、刺突用の片手剣には血がべっとりと塗りたくられている。血ぶりをする暇はない。ああどうしてと嘆く暇はない。
アイネは、自ら敵の中へと突っ込んでいたからだ。包囲されたのではない。中へと向かった。理由はない。それが彼女のやり方だ。
細い刀身は巨人の腕とぶつかって根元から折れる。アイネは鞭を使い、小人を引き寄せて盾にした。自身の代わりに食われたモノを横目に、アイネは身を低くし、スカートの下に手を突っ込む。予備のレイピアを取り出して、正面から仕掛けてくる獣の目玉を貫いた。そのまま手首を捻る。悲鳴と血煙が上がる中、彼女はその手を止めなかった。奥の奥まで得物を刺し込んでから引き抜くと、切っ先には湯気すら上がりそうなほどに生暖かい脳漿がこびり付いている。
アイネは鉄臭さにむせて、新鮮な酸素を欲して顔を上げた。跳躍しているソレが見えた。
螺旋状の角を生やした、巨大なウサギがアイネに飛び掛かろうとしている。赤い目が標的を捕えていた。彼女は身を捩り、中空からの突進を回避する。すれ違いざま、脇腹を切り裂いた。ウサギのソレは咆哮し、再び地を蹴り、踊るようにして跳ぶ。
今度は正面から迎え撃った。ソレの傷口からは臓物が滴り落ちそうになっている。アイネはソレの身体の下に入り込み、素手で傷口を掴み、力ずくで押し広げた。耳障りな叫喚が周囲に響く。臓物が、血が、アイネの右腕を叩いて濡らす。彼女は獣と聞き間違わんばかりの咆哮を放ち、ソレの傷口から手を引き抜いた。ウサギの姿をした怪物はひくひくと痙攣を繰り返して動かなくなる。
アイネはナグルファルを見た。甲板から大きな獣が飛び降りてくる。獅子の頭。山羊の胴体。毒蛇の尾を持った合成獣だ。ソレは口から火を吐きながら、彼女と向かい合う。
合成獣は火焔で牽制を計った。ソレの視界が自らの炎で埋め尽くされる。
アイネは傍らにあったソレの死体を盾にして炎へと突っ込んでいた。死体が焼かれて焦げる前に跳躍し、合成獣の背に着地する。毒蛇の尾が彼女に対して口を開けた。毒液を噴出する牙が覗くやいなや、アイネは蛇の首を断ち切る。
毒蛇の首が高く宙を舞う。レイピアが合成獣の背を突き破った。そのまま縦に引き裂けば、ソレは苦鳴の声を漏らして身体を揺する。アイネの刃は途中で骨に行き当たり、切っ先が欠けた。尚も彼女は力を加える。
「あ、ああぁぁぁぁあああああああっ!」
合成獣がひときわ大きく跳ねた。前方から巨人が走り寄ってくるのを認め、アイネはソレの背から飛び降り、毒蛇の首を中空で蹴り飛ばす。毒の塊は巨人の大口に吸い込まれた。
一呼吸の後、蛇の毒が回った巨人は手足を震えさせながら前のめりに倒れる。背面を傷つけられた合成獣はその場から逃げられず、自身よりも巨大なソレに押し潰された。
爪を躱して翼を切り裂く。
牙を避けて胴を薙ぐ。
レイピアの刀身は半分ほどになっていた。
アイネは誰よりも死を恐れている。戦うことを恐れている。
しかし、彼女の戦い方は死地を望む者のそれだ。自らを喰らえとばかりにソレへと向かう。アイネは多くの戦いを切り抜けることで、死から逃れようとすることの愚かさを知っていた。
人は死ぬ。いつか死ぬ。人である以上、それは定めであり、流れなのだ。北欧の主神ですら運命からは逃れられなかった。抗っても策を練っても徒労に終わる。目の前の敵に恐怖して目を塞ぎ、不恰好な体勢を取れば、即座に呑み込まれてしまうだろう。
人の規を越えて化生と対峙する。アイネにとっては死と向き合うことと同義であった。だから決して目を瞑らない。逸らさない。頭の中では嫌だ嫌だと喚いていても、切り離された四肢は独りでに動く。
一一は他者の盾になることを恐れなかった。むしろ、好んでやっていた節がある。理性の螺子が外れて擦り切れているのかもしれない。アイネは彼のことを思うと、心がじんわりと温かくなるのを感じた。そうだ、とも思う。彼と自分は似ているのだ。己の命ですら駆け引きの材料に過ぎない。戦って、相手を打ち斃す為の道具でしかない。
ナナ、ナコト、アイネの三人はよく戦っていただろう。ナグルファルからの下船者は無尽蔵だ。優勢に立てず、ソレの数を減らすことは出来なくても、膠着状態に持ち込んでいる。しかし長くは続かない。戦いが続けば力は低下する。攻める力も、守る力も、敵の動向を把握する力も。
「アイネっ、さん!」
風の勢いが止んでいた。ナコトは既に魔術を使っておらず、鎖分銅による物理的な攻撃に移っている。ナナは虹の近くで凌いでいたが、飛行可能なソレを抑えるのに精いっぱいだ。だから彼女は、自分の脇をすり抜けるソレを見遣り、アイネを呼んだ。が、彼女は彼女でソレに包囲されて動けない。
リスのような小動物が虹の橋を目指している。ナナは蟻の一匹すら通すつもりはなかったが、気持ちだけでは成す術がないのも事実であった。
「ああ、そういうことですか」
「……あなたは」
虹の橋を上ろうとしていた小さなソレにナイフが突き立てられる。
「ルールは分かりましたよ。つまり、こいつらをここから先に通さなければいいってことですか」
高くもなく、低くもない声。
暗がりに輪郭だけが浮かんでいたが、声の主は足場を確かめるような慎重さで姿を見せる。何もかもがはっきりとしていなかった。現れた男は、背も、顔だちも特徴がない。全てにおいて『普通』であった。ともすれば幽霊のように存在感が薄い。出会って話しても、翌日には彼の顔どころか記憶すら忘れてしまいそうな、そんな――――。
男はダークスーツを着ていたが、その下にはハイビスカスがプリントされたシャツが見えている。顔立ちこそ普通であったが、よく日に焼けていた。
ナナには覚えがある。普通の人間とは違い、彼女はしっかりと、ふらりとやってきた男のことを記憶していた。
「田中、次史……さん」
「おや、僕のことを覚えていてくれたのですか」
と、男は目を見開く。
「ええ、お久しぶりですね。北駒台店のアルバイトさん」
かつて、セイレーンを惑わした男がいた。彼はとある勤務外たちの逆鱗に触れて打ちのめされ、南国へと送られていたはずだった。
味方殺し。『最低の棺』。そう呼ばれていた男、田中次史は人好きのする笑みを浮かべた。
「何故、あなたが?」
「問答が必要ですか、今のあなたたちに。欲しいのは人手でしょうに」
田中は懐から新たなナイフを取り出し、両手にそれぞれの得物を構えた。
「不安は分かりますよ。僕たちは決して、良い別れをしたわけではない。あなたとはやり合った仲ですからねえ」
ソレを殴り倒し、ナナは田中の横に並ぶ。彼女は油断ない目つきで彼をねめつけた。
「背後から一刺しされても困惑してしまいますから」
「……所詮ロボットのあなたには分からないでしょうが、僕には家族がいます。愛する妻と娘が。せっかく買った家を台無しにされるのもつまらないですし、二人との連絡が取れなかった」
だからここに戻ってきたと田中は言う。
「その後、ご家族とは?」
「ええ、さっき、街の外に逃がしてきたところです。ちょうど、医療部の連中や、情報部の旅さんがいましたからね」
「それで、あなたは」
「決まっているでしょう。戦闘部の仕事は、化け物を悉く殺すことです」
逆手に構えた刃が煌めいた。ナナはその輝きを見遣り、前方に視線を移す。
「これもあなたには分からないでしょうが、僕には僕のやり方というものがある。……この虹の先に何があるのか知りませんし興味もありませんが、かと言って同僚と肩を並べて戦うのもやり辛い。店へ戻る前に、まずはここのソレを一掃するとしましょう」
「ああ、それは……心強い話ですね」
「あなたが、心? 面白いことを言いますね」
同時、ナナと田中が駆け出した。二人の先には大口を開けて待ち構えているワニがいた。ソレは全身に魚の鱗があり、発達した前脚と、貧弱な後ろ足を持っている。
ナナが両手を広げて、ワニの姿をしたソレの上顎を殴りつけた。次いで、彼女は左足でソレの下顎を踏みつける。身動きが取れなくなったソレだが、ナナもまた動けない。
田中がとんぼを切り、ソレの頭部に得物を突き立てる。図体が大きい分、痛覚が鈍い。一本では足りないと判断し、彼は都合四本のナイフを刺し入れて、その場から飛び退いた。
絶命したソレから離れると、ナナは、ソレに刺したナイフを回収している田中を見遣る。
「なんですかその目は。これだってタダで手に入る訳ではないんですよ。ちゃんと回収しないと……」
「エコは素敵だと思います」
田中次史は二つ、嘘を吐いた。
一つ。本当は、妻子とは連絡が取れていたことだ。彼は駒台に訪れるであろう危機を知っていた。
もう一つ。戦闘部の仕事はソレを倒すことだが、それは彼の目的ではない。オンリーワンに残った者たちに恩を売れれば出世の道が開かれると踏んだのだ。そも、上司も同僚も部下も死んだ。人手が要るはずだ。たとえ味方殺しと蔑まれた自分にも機会が巡る。僻地に飛ばされたことも、今回の戦闘で帳消しになるだろう。
――――稼ぎが良くなれば、天美と希に、もっといい暮らしをさせてやれる!
「だぁから、やりまくってやろうってんだよ!」
田中はソレを見回した。……幾つだ。幾つ首を持って帰れば赦される。一つや二つでは足りないだろう。何せ、首はこの街の何処にでも転がっているようなものなのだ。だったら百か。千か。もっとか。
「どいてろガキども!」
狂乱じみた叫びを発しながら、田中はソレの首を切り落とした。
駒台では七か所で戦闘が行われていた。
北駒台店前で二ノ美屋たちがアエローらと交戦し、南駒台店前ではヒルデらがロキと、街の西側ではジェーンと槌屋がドラゴンと対峙している。廃ビルの連なるエリアでは糸原が長雨との再会を目前にし、虹の根元ではナナたちがナグルファルと我慢比べを続けている。虹の上では立花がテュールと、その先では、一がアーサーとの対面を遂に許された。
動きはない。
決定的な、破滅的な一撃はどちらかの陣営に振り下ろされるだろうが、未だその時ではなかった。