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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
アーサー・ペンドラゴン
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『四乃。嘘を吐くときにはな』

『……ねえ、どうしてそんなことばっかり教えようとするの?』

『たとえば、俺がまともなサラリーマンだったとしよう。俺はお前に友達の作り方や付き合い方、箸の持ち方や、小遣いの使い方について話したろう。だが、俺はフリーランスだ。鞄を持って会社に行き、デスクで書類を作る訳ではない。銃を持ち、戦場で死体を作る。俺は学校の教師ではない。たし算やひき算程度なら教えてやれるが、どうして虹が出来るのか、今よりも前に生きていた人間のことは教えてやれん。必要がないからだ。生きていくうえで必要なことならばともかくな。だが、安心しろ。俺が教えてやるのは生きていくために必要なことばかりだからな』

『人に嘘吐いたり、騙したりするのが?』

『ああ。必要になる。今の俺の言葉も、本当かどうかは分からないがな』


 長雨という男は、迂遠で、ひん曲がっていた。今よりももっと小さい頃の糸原は常々思っていた。もしも、もっとまともな人に拾われていたなら、自分はどういう風に育てられたのだろうか、と。

 そんな考えも、糸原が大きくなるにつれて薄れて、なくなっていった。生きていくのに、長雨に付いて行くのに必死だったからだ。彼は様々なことを糸原に教えたが、本当に必要なことはほったらかしにしていたのである。今でも彼女は覚えている。初めてソレとの戦いに使われて、死にかけたことを。長雨は助けてくれなかった。ここで死ぬならそれまでだと、それだけを言っていた。


『なんで私を拾ったの? もしかしてあんたってロリコン?』

『いきなり面白いことを言い出すんだな。……さて、気紛れとしか言い様がない。が、一人でやれることには限りがある。使えなければ盾にでもなればいいとは思う』

『右腕ってやつかあ』


 長雨は糸原に女を求めなかった。糸原は長雨が親でないことを喜んだ。彼は一般常識と照らし合わせるなら、最低に近しい部類の男だろう。まともな人間ではなく、人間をまともには育てられない。ただ、長雨は強い男であった。どんな状況下に立たされても生き抜くことを諦めない。口八丁手八丁でどんな鉄火場であっても切り抜ける。糸原にとっては、彼こそが強さであり、唯一の男であった。

 憧れていたのだ。糸原には長雨という男が全てであり、彼との生活だけが全てであった。彼女は強く長雨を求めていたが、彼が糸原を求めることはなかった。少なくとも彼女にはそう思えたのである。


『結婚とかしてないの? 興味ないの?』

『ない。仮にしていたなら、お前のような野良犬を拾わなかっただろうな。そもそも、こんなことを生業にはしていなかった』

『今に始まったことじゃあないけど、失礼ね』

『ああ、悪かったな』



 成り行きで一緒になって、今となっては殺し合う。それもいいと、糸原は口の端をつり上げた。

 長雨のやり口は知っている。彼がどのように標的を追い詰めて仕留めるのかを知っている。彼が使うであろう武器も、戦法も、戦うことに関しては何もかも。


 ――――あ。教えてもらったのって、そんなことばっかりなんだ、やっぱり。


 だが、他のことは何も知らない。長雨の下の名前も、彼の家族も、好物も、戦いに関すること以外は殆ど何も知らなかった。そも、長雨という名が本当なのかどうかも分からない。確かめる術も今となってはないのだろう。

 感傷に浸りそうになって己を奮い立たせる。目的を見誤ることは許されない。時間も次の機会も与えられないのならば、決着をつけるのは今を置いて他にないのだ。

 糸原は階段を駆け下りる。銃弾は飛んでこなかった。だが、屋内にいても突き刺すような視線が感じられる。長雨が自分を狙っている。彼の得物にはこの位置からでは対抗出来ない。危険は承知の上だが外に出て探すしかない。

 探すしかない。長雨を。相棒だった者を。育ての親を。敵を。

 糸原の思考が千々に乱れた。階段を下っている途中、背中側にある壁の穴から銃弾が飛んでくる。咄嗟に身を捩り回避するも、何故、背後から撃たれたのかがすぐには分からない。

「向こうも動いてるってだけなのにっ」

 手足を動かしているのは何だ。思考を廻しているのは何だ。糸原は足を速めることをやめて、大きく開いた壁の穴から外を睨んだ。彼女は一呼吸の後、助走をつけて飛び出した。浮遊感はまだ来ない。廃ビルの三階部分から身を躍らせた糸原は、身体を捩って手を伸ばす。彼女の得物、グレイプニルが外壁を伝い、建物から突き出た鉄骨に絡みつく。

「いっ、だああ……!」

 体重が糸によって支えられた。負荷が糸原の全身に分散されて圧し掛かる。命綱を手放すものかと歯を食い縛る。宙づりのような体勢の彼女を狙い、銃弾が飛び、掠めていく。

 銃撃を凌いだ糸原は次の場所を探した。斜め下に鉄骨が見える。ふ、と、短い呼吸を一つ。巻きつけていたグレイプニルを解き、中空に落ちる。地上まではもう少しだが、この高さからではまともな着地は望めそうにない。少なくとももう一度、狙撃手から逃れなくてはならない。新たな鉄骨にグレイプニルを放ち、指を動かして軌道を操る。頬を風と鉛が掠めた。心臓が高鳴る。怖いのだ。戦うことに対してではない。相手の命を奪うことでも、奪われることが恐ろしいのでもない。糸原は、一つの結果に行きつくことを恐れているのだ。

 二個目の鉄骨にグレイプニルを絡ませる。自らの命を預けた先を見上げ、糸原はブランコを漕ぐようにして身体を揺らした。指が千切れそうだったが時間をかけてはいられない。反動をつけて飛ぶ。目指す先は地上だ。彼女が着地する間に、二発の銃弾が放たれている。別々の方向からだ。誰かの舌打ちが聞こえるような気がして、糸原は笑みを噛み殺す。

「そう。そういうわけ。あっそ」

 どちらが長雨だ。糸原は駆けながら考える。相手も位置を変えているところだろう。標的の数が増えたのは忌々しいが、やるべきことは今も何一つとして変わらない。

「そっちもそっちでやり直そうってわけか!」

 こめかみ。脇腹。右肩。額。四発の弾丸が各々の的へと向かっていたが、糸原は既に自らの得物を盾にしている。弾は鉄より硬い糸に阻まれると、勢いを失くしたものから緩やかに落ちていく。その行く末を彼女が見届けることはない。

 屋内に戻るつもりはなかった。建物を見上げつつ、後方へと飛びずさりする。発砲音が聞こえにくい。糸原は全周囲に糸を張り巡らせた。ここには遮蔽物が多過ぎる。長雨がどこに身を潜めているのか、虱潰しに探していてはこちらが先にやられてしまうだろう。

 先に弾丸を喰らうか。先に長雨を見つけるか。

「鬼さんこちらってこと? 笑わせてくれんじゃないの」



 虹の根元に停泊した絶望の船、ナグルファルからはソレが次々と下船してくる。この場所に留まったナナたちは、三人きりでソレの侵攻を防ごうとしていた。

 ナコトはナグルファルの上空に陣取り、風の魔術を行使して甲板にいるソレを切り刻んでいる。ナナはガトリングガンを掃射した後、接近してくるソレとの戦闘に入っていた。

 優勢か、劣勢か。判断はつかない。先からソレの数が減っていない。倒しても倒しても、殺しても殺しても、怪物どもは新たに姿を覗かせる。

「ああ、いけません。弾丸がなくなりそうです」

 ナナは自分の装備している物を頭の中で反芻した。ガトリング。ブレード。閃光弾。一念。一途……。遠間で戦うには向かないものばかりが残っている。ナコトの魔術も無尽蔵に繰り出せる訳ではないだろう。予測はしていた。予感もあった。ならば、前に出て戦うだけである。もとより彼女は主に傅き、彼の盾であろうとする。

 強く、ナナは強く地面を踏みつけた。吟味する暇はない。接近してくるソレを順番に殴りつけていくだけだ。

 飛び掛かる四足の獣の鼻梁に、ナナの裏拳が突き刺さる。めきめきと音を立てて骨が軋み、砕けた。崩れ落ちるソレの眼窩に爪先での蹴りを放ち、ナグルファルまで飛ばして戻す。船の装甲に叩き付けられた怪物は四肢を伸ばして、あたかも磔刑に処されたようであった。

 鳥の姿をした大型のソレがナナに迫る。彼女はちらと視線を遣り、ソレの開けた大口の中に腕を突っ込んだ。しゃきんと音が鳴る。ナナが袖口からブレードを現したのだ。口腔内を滅茶苦茶に切り刻むと、ソレはたまらず苦鳴を上げる。痛みで体が強張り、羽ばたきすらを忘れてしまう。彼女は、ソレの畳まれた羽根を引っ掴み、その場で回転を始めた。その後、ソレを何度か振り回して遠くへ投げる。何体かの小さな獣が巻き込まれて押し潰された。

 奇声を上げる怪物と目が合った。とぐろを巻いた蛇が頭を伸ばしている。ナナは真っ向から立ち向かう。ソレの顔面を殴り抜き、低く跳躍した。距離を詰めて蛇の首を握り締めると、数秒後、それが弾けた。彼女の握力に耐えられなかったのだろう。

 殴って殺す。蹴り殺す。潰し、打ち、砕き、擦る。殺して殺して殺し続けて、いつしかナナの周囲にはソレがいなくなっていた。人ならざるモノですら彼女を恐れている。ナナは薄く笑み、虹へ向かうソレを見つけた。させまいと地を蹴る。加速のついた彼女の体躯は疾走する鉄塊だ。背後からぶつかられて、虹を目指していたソレが四散する。引き千切れた毛むくじゃらの腕を掴むと、ナナはそれで別の化け物の頭を強かに叩いた。動きの止まったソレの腹に穴が空く。噴き出した血液が雨のように降り注ぐ。

 足音が響き、地面が鳴った。ナグルファルから巨大な影がのそりと姿を覗かせる。一つ目の巨人が咆哮し、船から飛び降りた。

「おや、これは」

 ナナは、ナコトとアイネの様子を窺う。二人ともこちらには反応しなかった。彼女は納得する。なるほどつまり、これはやはり自分向きの相手なのだろう、と。

 いつまで戦うのか。誰と殺し合うのか。もはや、そのような些事は思考の外にある。ただ、一が帰ってくるまでここを守り続ければいい。ナナは拳を突き合わせて、眼鏡の位置を押し上げた。



 一つ目の巨人とナナが衝突した。彼女にならばアレを任せても問題ないだろう。そう判断したナコトは、バイアクヘーの上から周辺の様子を確かめる。

「……さて、いったいなんなんですかね、この船は」

 ヘルの呼び出したナグルファルからは未だにソレが湧き出していた。勢いは増していない。衰えてもいない。ひたすらに同じなのだ。自分たちが殺した分だけ新たなソレがやってくる訳ではない。何も変わらないのである。が、こちらがサボればその分だけ数が増えていくのだろう。自分たちが何もしなければ、虹の橋をソレが取り囲むに違いない。

 恐らく、ナグルファルは一つの魔法陣で、一つの世界なのだ。あの船自体が消えない限り、ソレは湧き続ける。だが、と、ナコトは顔をしかめた。先からも船に攻撃を加えているが、びくともしない。甲板も帆柱も魔術の影響を受けていないのだ。物理的な干渉が必要なのかもしれないが、並の火力では打ち崩せないだろう。船の破壊にかまけていれば、後ろから攻撃を仕掛けられかねない。また、彼女は、自分がどこまで戦えるのかを計れないでいる。寄橋での戦いから始まり、現在までまともな休息を取られていない。魔術の行使は心に負担をかける。擦り減らした精神と神経で向き合うには『黄衣の王』は危険過ぎるのだ。舐めてかかれば魂ごと古代都市カルコサに引き込まれてしまうだろう。

 逃げればいい。戦うのを止めればいい。そうすれば死ななくても済む。痛い目に遭わなくて済む。心の内から声が響いてくる。何を馬鹿なとナコトは一笑に付した。そうだ。死なない。少なくとも今だけは。だから、ここでやらねば後がないのだ。

 髪の毛一本、血の一滴、魂の一欠けらだって残すつもりはない。使うなら今だ。借りを返すなら今だ。駒台という街が終わってしまうかもしれないのなら、一一という男が二度と帰ってこないのかもしれないなら、


 ――――黄衣ナコトという女が、廃るじゃあないですか!


 命懸けで救われたのだ。命を掛けて応えてやりたい。

 疲れていても、苦しい状況でも、俯くことはもうしたくない。

 前へ。先へ。明日を迎える為に戦うのだ。ナコトは決意を新たにし、魔導書をねめつけた。



 戦うことには慣れている。

 殺すことにも死ぬような目に遭うのも慣れている。

 故郷を焼かれ、家族を食われた日から『貴族主義』として在り続けた。今までにも、もう駄目だと言う状況に陥ったが、その度に切り抜けて生き残った。自分には力がある。勘もある。頭の回転だって決して鈍くはないはずだと信じている。その上でアイネは思う。

 ああ、もう駄目だ、と。

 ソレを突き、斬り、貫き、刻みながらで考える。頭と体は既に切り離された。フリーランスとして戦う際、その二つは別個の機関となる。得物を握った手は独りでに動き、化け物の腕を避ける為、勝手に足が動く。


 レイピアがソレの喉元に食い込んだ/自分たちは三人きりだ。敵の数が多過ぎる。

 左右から唸りと共に牙が迫る/いつまで戦えばいい。いつまで経っても終わらない。

 身を低くして踊るように囲みを抜けた。/きっと、このままでは殺される。


 そう、殺される。

 アイネは息を吐く間に、二体のソレを絶命せしめた。彼女は表情を変えず、ソレの顔面を蹴りつけて、反動を使ってその場から逃れる。

 足元に食らいつかれる。

 頭に食いつかれる。

 喰われて死ぬ。

 自分が死ぬ。食べられて殺される。そのイメージが拭えない。脳裏からこびりついて離れない。攻撃を躱し、反撃を試みている間、ずっとだ。今、この時だけに限った話ではない。アイネは悲観的にしか物事を考えられず、捉えられない。

 だが、動きは止まらない。ネガティブな思考がアイネの中で渦を巻いているにも関わらず、彼女の一挙一動にブレはない。深い蒼を湛えたドレスは、血煙の中で翻り、踊り続ける。

 アイネは、自分がここで死ぬのかもしれない、自分たちは無残に殺されて死体になっても嬲られると思った。だが、彼女にとってこの戦場はいつもと変わらず、雲霞の如く押し寄せる敵とさえ、常と変わらない気持ちで対峙していた。



 身を凍てつかせるような風が吹いている。前髪がちらちらと目の前を揺らすが集中は途切れない。目の前にいる男が途切れさせてくれないのだ。

「……仕掛けないのでござるか?」

 虹の上で対峙するのは二人の剣士である。立花真と『円卓』のテュールだ。彼は不敵に笑うが、彼女には余裕がない。まともな返事すらせず、テュールの足元に気を払っている。

 立花はじりじりと距離を離した。が、テュールは気づけば間を詰めている。恐らく、自分には身についていない歩法だろうと彼女は当たりをつけていた。しかし、目を皿のようにしたところで、足を動かす場面どころか体重移動の前兆ですら見つけられない。

「そのまま下がって、どうするつもりでござる。後ろには拙者はいない。味方もいないでござろう?」

 彼我の距離は数メートル。半歩でも踏み出せば互いの刃圏が重なる。立花はその位置を嫌い、斬り合うことすら拒んでいるような立ち回りであった。

「死ぬのが怖いか」

 テュールと名乗る着流しの男には分からないことが多い。立花には、彼の正確な剣力も、歩法も、芦屋たちを屠った特異な技の正体ですら見当がつかない。以前、廃ビルで戦った時は舐められていたからだ。イヌに振るう剣はないと遊ばれていたのである。ただ、一度だけ見た。あの時は自分の代わりに一がそれを受け止めていた。

 見えない剣だ。

 否、斬撃が飛んでいた。不可視のそれは風に等しく、もはや魔法の領域だ。避けることも、受けることすら不可能に近い。

 立花は得物を握り直して息を吐く。テュールは自分よりも強い。自分よりも多くの命を奪ってきたはずだ。彼女は、殺した分だけ強くなる道理はないと思っている。が、そうではない者もいると知っている。殺せば殺すほど、自らが高みに上がるのだと信じている者がいる。そういった輩はほぼ例外なく手練れであり、人を辞めかけているのだ。あるいは最初から人ではないか、だ。

「怖いか、拙者が」

 立花は頷きかける。

 怖い。

 怖いとも。

 立花はテュールが怖い。改めて一対一で向かい合えば、過去の自分を褒めてやりたくなった。

「うん。怖い」

 かちかちと歯の根が鳴る。先刻から指先は震えている。

「怖いよ。約束があるからね」

「……約束。ああ、それはいいでござるな。誓いがあれば、また一つ強くなれるものでござる」

 今までとは違う。『立花』として剣を振っていた時とも、イヌ呼ばわりされていた時とも違う。今、立花真は自分自身の為に剣を握り、己が力を振るおうとしているのだ。

「はじめ君のところへは行かせないし、あなたには、指の一本だってあげないんだ」

「まさか、お主……」

「そうだよ。ボクは五体満足であなたを倒す。その上で、時間だって稼がせてもらうよ」



『円卓の奇士』が第七席。勤務外たちにとっての忌み名こそが、テュールの現在における肩書きである。

 青い目。赤い着流しを羽織り、西洋の剣を佩きながら侍に拘泥する男。しかしテュールは己の在り方に一片の疑問も抱いていない。彼は愚かなまでに真っ直ぐなのだ。

 現代において冗談のような立ち居振る舞いを続けているが、テュールの実力は本物である。彼は九州で『立花』を壊滅寸前にまで追い遣り、駒台の地でタルタロスの掃除屋を斬り、フリーランスの『道場』を殺し尽くした。吸った命はそれだけに収まらない。

「ボクの何倍……いや、そんなんじゃあ数えられないくらい、ころしてる」

「誇るつもりはござらんが」

 テュールは立花を見た。正確には彼女の背後を。過去を。歴史を。彼女が何を殺して、何度刀を振るってきたかを。彼は自身を一流だとは決して言うまいが、相手の力量くらいは見て取れる。油断はしない。慢心もしない。その上で結論付ける。立花真は、自分には遠く及ばないだろう、と。対峙した時、相手の力というものは如実に表れる。気、というものがあるからだ。相手が強ければ強いほど、危険であればその分だけ、他者を威し、圧するものが漂う。其は人を殺した重みであり、命懸けの場面では、質量すら持つのではないかと錯覚するほどだ。

 ただ、立花にはそれがない。彼女も歳の割には刀に血を吸わせているが、自分には届かない。否、達する者などいてたまるものかと、テュールは心を奮わせた。

「ねえ、撃たないの?」

「撃つ、とは?」

 立花も決して逃げようとしている訳ではない。言葉を交わしているのも駆け引きの一つだ。テュールが隙を見せれば勢い込んで刀を振り下ろしてくるだろう。互いが相手の息遣いを掴もうとして、やがて掴んだその時、彼で言うところの死合が終わるのだ。

「見えない剣だよ」

「……ああ」

 テュールは興を削がれたような思いにとらわれるも、自業自得だと知っていた。

 彼の使う『見えない剣』は、風や圧を利用した鎌鼬のような現象ではない。間違いなく剣で斬りつけた、その結果だ。

 テュールの斬撃は疑いの余地なく飛翔する。が、その一撃の正体は疾風ではなく、風に乗って届くのでもない。彼は確かに標的を斬っている。正確に言うならば、自分と標的の間にある空間を斬りつけている。空間ごと斬りつけて、捻じ曲げているのだ。『斬った』という動作が、刀身が、本来の刃圏を越えて届かないはずのモノへと届く。飛び道具のようなものなのだ。……アーサー王が寄橋で見せたものとは違う。彼が見せたのはまがい物だ。アーサーは魔力を使い、風を起こしてニケを切り裂いた。『円卓』の『王』とはいえ、テュールの技を完璧に模倣することは不可能であった。奇士を束ねる男ですら彼の剣技には届かない。

 この技は強力だ。並の剣士では防ぐことも躱すことも叶わない。故に、退屈なのだ。テュールは自身の業とも言える技を使うことに飽いている。同時、誰かに破って欲しいとも願っていた。彼は倦むことに疲弊している。閉塞感に囚われていて、そこから脱する為に強者の存在を欲していた。

「使うに値したと思ったなら、使うだろうよ。で、ござる」

 テュールは自身の強さ、あり方にうんざりとしている。鬱屈した気持ちを晴らす為に強さを追い求めた。道の先に何かが待っていると盲信していた。だが、行けども行けども先は見えない。前にも後ろにも誰も見当たらず、独りきりでいることに気づいた。

 多くの者を斬り斃した。

 多くの物を削ぎ落した。

 無駄な事物から解き放たれる度に、他者の命を吸う度に、未知があると信じた。信じるしかなかった。今までの道程は無意味だったのだと思いたくなかったのである。

「そう。あなたは、抜かないの?」

「抜かぬよ。これが拙者の構えゆえ」

「……居合を勘違いしているんじゃないのかな、それ」

 かつて、この国には侍がいた。テュールは彼らと切り結ぶことで居合という技を学んだ。抜刀術とも呼ばれるそれは、言わば、刀を抜くことに特化した守りの技術である。相手に襲われてしまった、近づかれてしまった、刀を先に抜かれてしまったというような、不利な状況を互角に持っていくための技術が居合だ。

 居合によって鞘から放たれた一撃には速度が乗る。のみならず、幾つかの工程を省略している。抜きながら斬るのだ。だから振りが速く感じる。究極というものがこの世に存在するのなら、居合を修めるには気の遠くなるような歳月が必要であろう。速度を追求すると同時、得物を抜くと言う技術も高めねばならない。並の人間では到達成しえないだろう。

 困難なのだ。難しいものは流行らない。居合というのは、あれば便利というレベルの技術に過ぎないのである。しかし、テュールにはそれが良かった。困難であることが有り難かった。簡単には修められず、実感出来ないものが必要だったからだ。

 テュールには時間があり、腕もある。実戦に於いて存在理由を疑問視された居合を、自分なりに『これで上手く相手をれる』水準まで昇華させた。彼の腕前も精神も気概も冗談じみている。

「すごいね。やっぱり、全然隙が見えないや」

「其方も、中々」

「いいや、ボクはあなたに及ばない。たぶん、本当に人じゃないんだろうね」

 立花の言を受け、テュールは凶暴な意志を剥き出しにした。



 後悔先に立たず。

 一は、立花を一人で残していったことを悔やんでいた。彼は二人で戦うことを危険だと断じた。だが、自分が残り、アイギスで動きを止めていたのなら……そう考えなかった訳ではない。

 テュールに対してアイギスを使わなかったのは、その名前が本当かどうか分からなかったからである。また、メドゥーサの力が弱まっているように感じていたのだ。一はアーサー王と戦う前に異能を失いたくなかったから、立花を切り捨てるような真似を選んだ。彼女が自分よりも強いと信じていながら、テュールというモノが、立花より強いのだとも直感していた。



 北欧神話にはオーディンという主神がいる。彼は戦争と死の神であり、ゲルマン人から厚く信仰されていた。

 が、本来、北欧神話ではとある天空神が主神の席に坐していた。その神は、法、平和、豊穣を司っていた。しかし、神は九天から堕ちた。落とされたのだ。最高神から降ろしたのは神ではない。神を崇めるのも貶めるのも、いつだって人なのだ。

 天空神は戦争の神と主神の座を交代し、自らは軍神に変わった。その名はテュール。古い言葉で神を示す。



 一一はオンリーワン北駒台店の勤務外店員であり、『円卓』の第十一位でもある。彼が事実を認識して納得する必要はない。『王』がそうあれと定めたのだ。一が拒んだとてもう遅い。魔女に見初められた者の末路は決まっているのだ。

 テュールは一の境遇について同情していない。他の面々から彼のことを聞き、自分で見、一定の評価はしている。一の持つアイギスでも、彼に巣食うメドゥーサでもない。守りの堅さも、相手を停止させる能力も驚異的だが、それ以上に、一自身に備わっているであろう、危険を察知する才覚に目を見張った。

 一は相手の名前を知れば動きを止められる。彼がテュールを『見逃した』のは、真実かどうか確かめられなかったからだ。よしんばテュールの名を本当だと信じても、実際に何秒止められるかは分からない。アイギスもメドゥーサも他にないほどの力を持つが、むらがある。


 ――――何より、そうはさせんが。


 余計な動きを見せた時点で、テュールは一を斬っていた。彼にとっては、先の距離ならば動きを止められる前に首を飛ばせば関係ない。メドゥーサの発動に成功したとして、虹の橋の狭さでは立花も素早く立ち回ることは難しかっただろう。

 同時に、テュールも自分の身がどうなるのかについて信じているものなどない。もしかしたら。万が一。死合に絶対はない。どちらか死ぬのは決まっていても、どちらが死ぬのかは判らない。なれば、彼を助けたのは愚直なまでの誠実さである。テュールは偽らなかった。アレスのように名を騙るでもなく、ザッハークのように名を隠すこともしなかった。アイギスを持つ一には、テュールの実直さが信じられなかったのだから。

 テュールは思う。

『王』は人の上に立つ者だ。誰より強く、誰より優れていなければ務まらない。一一が止められるのは寸毫。あるいは玉響。短いだろう。足りないだろう。ただの人が相手取るには荷が勝ち過ぎる。

 しかし、と、テュールは思う。

 危機を察知し、守りに回り続ける一が戦わざるを得ない状況になった時、どうなるか。知りたいと思った。それもまた、閉塞感を脱する糧になるのかもしれないのだから。

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