二の前の数字
「お早うございまーす」
少し間の抜けた一の声がバックヤードに響く。
一が昨日、というより今朝店長に指示された時間、つまりお昼ごろにオンリーワンへやって来た。
お昼とは何とも曖昧だが、十二時なら間違いは無いだろうと一は踏んでいたのだが。
店の何処にも店長は居ない。
店内には立ち読み客の他には誰も居ない。
一は仕方なくバックルームへ入っていく。
「お、おはようございます」
金髪で小柄で赤いジャージを着た女性が煙草を吹かしていた。
その女性、三森は一に挨拶を返す事も無く、パイプ椅子に座って携帯を弄りながら、一に背中を向けていた。
――気まずい。
無視されるし、店長は居ないし、一はただただ気まずいとしか思えなかった。
仕方なく、一は店員専用の休憩室を抜けて、ロッカールームへと足を伸ばす。
ロッカールームには、店長やSVが触るであろうパソコン、アルバイトが勤怠の登録をする為のパソコンと合計二台置いてあった。
普段なら、店長はそこのパソコンと睨めっこする様に座っている。仕事をしているかどうかは本人にしか分からないが。
一は部屋を軽く見回して、シフト表を探した。
この店の状態からして、まともな物が置いてあるかどうかは分からないが、運が良ければ店長のシフトが分かるかもしれない。
待つのも出直すのも、シフトを見てからだ。
そう判断した一はシフト表らしき物を探す。
机に置かれていないか、壁に貼られていないか。
色々と探し回ったが、そんな物は見つからなかった。
「何チョロチョロしてンだ?」
「え?」
一が店についての不審を抱いていると、三森が煙を吐きながらやって来た。
「えっと、シフト表を探していたんです」
「シフト? あンだろ?」
言うなり、三森は机の引き出しを漁り始めた。
――シフト表、探してくれるのか? 案外良い人じゃないか。
一は見た目で人を判断するのは良くないな、と思った。
尤も、一の最初の挨拶は三森に無視されていたのだが。
「シフト確認に来たのか?」
「いえ、店長に呼ばれてたんですけど、その店長が居ないので」
なるほどね、と煙草を灰皿に置いて三森は納得する。
そのまま会話も無く、三森が整理されていない引き出しの中を探していると、お目当ての物は現れた。
「ほらよ」
「あ、ありがとうございます」
手渡された小さな紙を見ると、穴だらけのシフト表と言う事が一には一目で分かった。
一ヶ月はおろか、その日のシフトを埋めるので手一杯と言ったシフト。
「見てもしょうがねェと思うけどな」
「みたいですね。……無茶苦茶過ぎるなあ、これ」
三森はそのまま、店長がいつも陣取っているパイプ椅子よりかは上等な椅子に腰を下ろす。
「店長ならまだ来てねェぜ。私が起きた時には店に誰もいなかったしな」
一はそういえば、と店内を思い出す。立ち読み客は居たが、店員は一人として表に出ていなかった事を。
「やばいんじゃないですか? 万引きとか」
「いいンじゃねぇの、上が来てないんだからさ」
落ち着いた様子で携帯を弄る三森。
「……信じらんねぇ」
一はただ立ち尽くした。
コレが店か、コンビ二か、二十四時間営業どころか、営業すら何処吹く風。
「三森さんは仕事しないんですか?」
三森の三白眼に睨まれる一。
「一般の仕事か? できねェよ。私は勤務外専門で雇われてンだ」
「勤務外、専門ですか」
一は、様々な感情が入り混じった目で三森を見る。
「お前も勤務外は嫌いらしいな」
その中の感情の一つ、嫌悪と言った物を、三森に見抜かれてしまったらしい。
「いや、そもそも勤務外の事を良く知りませんから」
「ハッ、要するに化け物を殺す化け物だよ。勉強になったか?」
「何もそこまで言わなくても。俺らを助けてくれてる訳なんだし……」
そうかよ、と一の涙ぐましいフォローを突っぱねると、三森は立ち上がり仮眠室へ向かう。
それ以上、一は何も言えずに、必要以上に音を立てて閉まる扉を見つめる事しか出来なかった。
――何なんだよ……。
暫くすると、店長がやっと店に顔を出した。
「勤務外の事? あまり詳しくは話せないな」
「……ですよね。情報も殆ど僕らには公開されてないですし」
本題である話は直ぐに終わる。
一は今日の夕方シフトに入れと、ただそれだけ言われた。
なので、一はさっさと帰るだろう、そう思っていた店長が、意外そうに一の顔を眺める。
「一。希望は一般だったよな」
「そうなんですけど、せっかくここに雇われたんだし、知りたい事もやっぱあるじゃないですか」
ふーん、と店長が今日二本目の煙草に火を点ける。
「まあ、暇だし別にいいけどな。何から聞きたいんだ?」
店内の状況が見渡せる防犯用のモニター。
この店には必要無い事が判明した。
「えっと、まず勤務外の仕事内容についてです」
「そうだな、一。パンドラ事件を覚えているか?」
ハイ、と返事をしてまだ高校生になりたてだった頃を一は思い出す。
「酷かったですよね。今生きてるのが不思議なくらいです」
「正確に言うと、酷いですね、だ。過去にはなっていない。まだ何も解決しちゃあいない。一時的な小康状態に入っただけだ」
疎ましげに、机の上に置かれた朝刊の一面を睨みつける店長。
新聞には、ヨーロッパでまたソレが現れた事について書かれていた。
「……そうでしたね。アレが全滅した訳じゃないですもんね」
「そうだな。それで勤務外の仕事内容だが、ソレの対処。この一言に尽きる」
対処。
ある事柄や状況に対して適切な処置を取る事。
「ソレに合わせて、殺しても良いし、逃げても良いし、殺されても良いし。つまり何をしても良い。それが仕事の中身だな」
「その、何をしても良いんですか?」
「力が無いと勤務外には選ばれないって事だ。ソレを殺せる力、ソレから逃げ出せる力、ソレに何をしても良い力。お前にはあるか?」
首を横に振る一。
とてもじゃないが、自分は化け物になんかなれない。
そう言おうとしたが、ギリギリのところで飲み込んだ。
「うん。だから勤務外は破格の待遇なんだよ。一般人はもう口出しできないんだよな、ソレが出たらなんとかしてもらうしかないから。自分らじゃ解決出来ない」
三森の行動を思い出しながら、一は納得する。
店の商品を勝手に飲んだり、仕事にも出ない。
一般のバイトじゃ許されない事を、勤務外は平気で行う。
「その分、他の人間より命を張ってるとは思うけどな。シフトもお前らよりエグイぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。担当地域にソレが出たら、いつ何処に居ても呼び出し食らって何とかして来い、だからな」
成る程。そりゃ捻くれもするか、と先程の三森との会話を一は思う。
そしてまた一つ疑問が浮かんだ。
「何で勤務外サービスなんて始めたんでしょうか?」
「あのなあ、一。ウチを否定する気か?」
「だって、国の偉い人が直接力を持った人を集めて、特別な物を組織すればよかったんじゃないですか? わざわざコンビニにそういう人材を配置させるなんて、変、じゃないですかね?」
短くなった煙草を灰皿に押し付けて、新しい物に火を点ける店長。
「店長とは言え、私も雇われだからな。正しい情報は入ってきづらい。だから、仮説しか立てられないけど、それでもいいか?」
一が頷く。
「力を一箇所に纏めるのが怖いんだろうな。だからオンリーワンを作って、各地に力を分散させている、と私は見ている」
それと、各地に散発的にソレが出現している事も店長は指摘する。
後手に回るのは人間にとっても苦しいので、ソレに対応出来る力のある者が、勤務外サービスと言う形で各地に点在するコンビニに配置すれば、迅速な対処も出来る、と。店長は言う。
「ああ、成る程。で、誰が勤務外を怖がってるんですか?」
煙を天井に向かって吐くと、店長は逡巡。少し困ったような表情を浮べた。
「そりゃ、上の人間だろ。集団で叛乱でもされて噛み付かれたら堪らないからな」
上。ああ、政府の事か、と一は納得する。
「けど、そういうのを創めたウチの社長は、何者でしょうかね。パンドラ事件をビジネスチャンスとでも思ったんでしょうか」
「そりゃそうだろ。支店も碌に出せない弱小店が勤務外サービスでここまで伸びてるんだ。それ以外無いな」
オンリーワンの社長。
メディアにも顔を出さず名前すら知られていない。
勤務外サービスを始めた人物。世界の人々はそう捉えている。
地球の危機に、一人だけ金儲けの事を考えた人物。
恨まれる事も日常茶飯事。
素性がばれるのを恐れているのか、殆ど何も知られていない人物。
それが、オンリーワンを一代で叩き上げた社長である。
「ま、そのおかげで私たちは飯を食えてる訳だけどな」
「はぁ。そうですね」
沈黙が場を支配する。
店長の吐く、メンソールの煙草の煙だけが揺ら揺らと動いている。
「こんなもんでいいか?」
「あ、はい。ありがとうございます。それじゃ夕方まで家に戻ってます」
「うん。また後で頼む」
一が席を立つと、仮眠室の扉が目に入る。
同時に、三森の事が少し気になった。
「あの、最後にいいですか?」
何だ、と店長がパソコンのマウスを動かしながら答える。
「勤務外の、えと、力の事なんですけど。例えば、三森さんとか。どういう風に力なんて身に付いたんでしょうか」
「何だ? アイツが気になるのか?」
楽しそうに店長が聞く。
――勘違いされてる。
一は嫌な予感がしたが、構わず話を続けた。
「少なくとも俺らの周りじゃ、そういう人たちは居なかったもので。やっぱ、特別な訓練とかしてるのかなー、とか」
「まあ、確かに勤務外の中には、頭のおかしい家に生まれた所為で、色々な訓練を受ける奴も居ると聞くがな。三森は違うぞ」
「後天的なもんですか? まさか、ソレの影響で……」
「一。私は別に三森の事について喋っても良いが、プライバシーに関わる事だ。そろそろ遠慮してはくれないか。三森怒らせると怖いし」
確かに。だが、思った事を口に出さない一。
「……ソレが出てきたから、力を持つ人が勤務外になれてますけど、もし。ソレが出てこなかったら、訓練を受けてた人や、力を持ってた人はどんな扱いを受けてたんでしょうね。あー、やっぱ僕には分かりませんけど」
あはは、と取り繕う様に一が笑う。
「……今と何も変わらないだろ」
冷たい声。
吐き捨てるように店長が言った。
異質な物、普通とは違う物。
世間からは迫害され、疎まれる。
あぁ、そうか、と一は理解する。
初めて勤務外、三森を見たときの事を思い出す。
怖い、と感じた時の事を思い出す。
金髪で態度も悪く、まるで不良みたいだから。
……違う。まるで、ソレと同種の怖さ。
――化け物を殺す化け物――
三森の言葉は正鵠を射ていた。
ソレが現れ、勤務外が現れ、何の力も持たない普通の一般人は何をどう思っただろうか。
「お早うございまーす」
一の間の抜けた声がバックヤードに響く。
返事は無い。
店長がパソコンと睨めっこしている。
至極、当たり前な風景。
店内に店員が居ない、と言う点を除けば。
「お早う。早く入ってくれ、客がレジで待ってる」
「じゃ、店長がレジ打って下さいよ」
着替えながら一がぼやく。
答えは無言。店長はマウスをカチカチ押している。
「登録はしといてやったから入っていいぞ。それと、客怒ってるからな」
もう、どうでもいいけどね、そう思いながら一は店内に出る。
「いらっしゃいませー」
レジまで向かうと、五、六人の客が怒りを顔に浮べて、一を睨みつける。
一は先頭の客を一瞥して、商品を確認。
ペットボトルが一つ。
一がバーコードを通す為に持ち上げると、ウォークインで冷えていた筈の炭酸飲料は温くなっていた。
「百五十円になります。ありがとうございましたー」
小銭を台に叩きつけるようにして、スーツを着た男が店を出て行く。
「お待たせしましたいらっしゃいませー」
客の苛立ちなど気にすることなく、マイペースに商品を読み取り、袋に詰めて、お金を貰い、御釣を返してお礼を述べる。
「ありがとうございましたー」
程なくして、店内からは客が消えた。
――相変わらず汚いなあ。
ダスタークロスを手に持って、一は店内を見回す。
埃、客の靴の裏から落ちた砂、レシート。
要するにゴミと呼ばれる物が、何の疑いも無くフロアに鎮座していた。
ダスタークロスをかけながら、一は特に目立つ箇所をフェイスアップしていく。
何で賞味期限の古いのが奥にあるんだよ。売り場ボコボコなのに、商品は補充しておけよ。といった小さな怒りが一に生まれていく。
まさか、昼から今まで誰も仕事してないんじゃないのか。
前のバイト先では有り得ない、有り得てはいけない事が次々とこの店に起こっている。
一は何だか悲しくなってきた。
「中々働いてくれるじゃないか……」
店長が、まるで人様の家に初めて上がりこんだ様にキョロキョロと店内を動き回る。
「どうも。……銜え煙草で出てくるのは辞めて貰えますか。灰が落ちるんで」
「気にするな。どうせ掃除なんて二日に一回ぐらいしかしないんだし」
えっ、と一が驚愕の声を上げる。
何で驚いてるの、と言った感じで一を見る店長。
一が溜息を吐く。
「だってなあ。一般殆ど辞めたし」
「は? あの、辞めたって、何人ぐらい、ですか?」
店長が煙草を持っていない右手を広げる。
「……五人、ですか?」
そのまま頷く店長。
「……ちなみに今、一般は何人居ますか……?」
店長は、親指をグッと突き出す。
大丈夫?
何だそれと、一は会話を流そうと顔を背けた。
「一人だ」
「……えっ、そういう意味だったんですか?」
少し遅れて、一が反応。
うん。と頷いてから「お前一人だ」と更に店長が続ける。
「僕も辞めていいですか?」
「駄目に決まってるだろう!」
「ふざけてる! 馬鹿じゃないんですか!? 店が回るわけ無いですよ!」
もう一度、親指をグッと突き出す店長。
「堀がいる時は何とかなる。後は、お前が来るまで店は放っておく」
一は絶句した。
半ば、放心状態で作業を続ける一。
無茶苦茶な店の営業方針、一般のバイトが自分しか居ないという悲しい事実が、次々と明るみになっていく。
客も大して来ない事がこの二時間で判明した。
住宅街のほぼ真ん中、十字路のほぼ真ん中。
店の中から外を見ると、信号待ちをしている人や、自転車を飛ばす人。
人通りは多い様だ。
それなのに、まるでオンリーワンを避けて通る様に人々は道を歩く。
コンビニというより、ソレと同じくらい怖い勤務外が居る所、といった感じなんだろうな、と予てから自分もそう思っていた事を、改めて一は感じた。
――化け物。
これから自分も化け物の巣で働く事を考え、一は憂鬱になる。
外の様子を見ていると、ゴミ箱が目に付いた。
――忘れてたな、外の方。
ゴミで一杯になっていたら、袋を代えないとならない。
中身を確認するために店外に出ると、やはり暖房の効いた店内と比べて肌寒い。
空が暗くなるのも早い、そんな季節になった事に一は気づかされた。
行き交う人の様子を眺め、少しぼうっとする。
気を取り直して、ゴミ箱を開けると、袋から飛び出すぐらいのゴミが大量に詰まっていた。
箱から袋を取り出して、袋の口を縛る。
しかし、量が多すぎてどうしても上手くいかない。
幾つかに分けないとどうしようもないな、そう思った一は中に戻って、袋を探す。
カウンターの近くや、棚を開けてもそれらしき物は出てこなかった。
また溜息を吐いて、今度はバックルームへ足を向ける。
「すいません、ゴミ袋って何処に置いてるんですか?」
「ゴミ袋ぉ?」
そんな物は知らないとでも言う様に、店長が煙草を吹かしていた。
「無いんですよ」
「店に有る奴勝手に使っといてくれ。それと、纏めたゴミは道路を挟んで向かい側のゴミ置き場に置いておけよ。ああ、信号はちゃんと守れ。最近警察がうるさいんでな」
一は曖昧に返事をして、再び店内へ。
雑貨売り場に陳列してあった袋を持って外へ出ると、ゴミを纏める作業に一は移る。
「きったねぇ……」
誰に言うでもなく、独り言。
独り言も出てしまう有様。
辺りには分別のされていない、缶や生ゴミが店前に散らばっている。
通り過ぎていく人々の視線に晒されながらも、やっと一の作業が終了した。
――確か、道路を挟んで向かい側、だったよな。
店長の言葉を思い出して、一は信号の先に視線をやった。
ゴミ置き場、と言うより倉庫のような物が、オンリーワン北駒台店の駐車場の一角に見える。
そして視線をゴミに戻す。
「持ってくのは、俺だよなぁ……」
限界まで膨らんだポリ袋が四つ、転がっていた。