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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ナグルファル
299/328

無限の荒野

「手はあるんですか」

「手か」

 ハーピーが四方から迫っている。羽ばたきの音も、ソレの発する声も近くなっていた。自分たちの空を、視界を、ハーピー共が埋め尽くしている。二ノ美屋はそんな状況を改めて確認し、煙草を銜えて火をつけた。

「あるさ。後ろのことは気にするな。……私が見たところ、西側の包囲が他よりも薄い。相手がまともな頭をしているなら罠かもしれんが、アレに限ればそんなこともないだろう」

 一は小さく頷いた。二ノ美屋は苦笑いする。彼はまだ納得していないのかもしれなかった。

「なあ、一。お前はもう思い出してしまったか?」

「あいつらのことですか。ええ、もちろん。あなたのことを思い出したんだから」

 一の故郷はハーピーと人間に蹂躙された。彼は覚えている。空の上を支配し、生と死すらも弄んでいたソレの姿を。ハーピーと戦い、死んでいった二ノ美屋の同胞たちを。彼は震えていた。無様を晒すまいと堪えていたが、どうしたって無理だった。

「ヴィヴィアンって魔女が死んで、俺の記憶はまた、戻って来るんでしょうね。いいことも嫌なことも何もかも。俺が本当は何者なのか。いや、その記憶だってもしかしたら魔女の仕掛けたものかもしれない。……勘違いしないでくださいよ。俺は別に、ビビってるって訳じゃあない」

「は、じゃあなんだと言うんだ」

「俺はハーピーを残して、良くも全然分かってない虹へ行かなきゃいけない。本当はまとめて全部ぶち殺してやりたいところなのに。だから、絶対に逃がさないでくださいよ。一匹たりとも逃がしたら駄目だ」

 一は好戦的な笑みを浮かべる。彼の目には爛々としたぎらつきがあった。二ノ美屋は、彼が作っているのだと見抜く。

「もちろんだ。私もあいつらには用があるからな。安心しろよ」

「……口車には乗らねえっすよ」

 羽音が大きくなった。ハーピーの群れの先端が、北駒台店の上に影を落とした。



 ハーピーには知能がない。彼女らは自らの欲望に従って動く。基本的には虫と大して変わらない生き物なのだ。だが、元は違う。否、ものが違うのだ。彼女らの中には堕ちたモノもいた。元を辿れば神々の血族であり、虹の女神とも姉妹であった。伝わる媒体によって、ハーピーは怪物であったり、風を司る女神にもなる。『円卓』に与したハーピーは、捻じ曲がり、捻くれて伝わった彼女らの存在そのものだ。

 アエロー。オキュペテ。ケライノー。ポダルゲ。

 同胞を支配しているのは彼女ら四姉妹だ。四人のハーピーが『掠めるもの』の頂点に位置している。

「そんじゃあぶちまけてやりな!」

 北駒台店上空でハーピー共が停止した。ハーピーには知能がない。ただ、先述の四姉妹には同族を指揮する程度の力があった。また、この四人には知性と呼べるものがあった。北駒台店を四方から包囲するように提案したのは三女のケライノーである。裸同然の恰好を嫌い、周辺の学生や家屋から制服を奪い、身に纏う程度の羞恥心も持っていた。四人以外のハーピーにはそれらがない。ただ、親玉の真似をしただけだった。

 アエロー、オキュペテがけたけたと笑い声を上げる。眼下には人間がいた。この街で最後に残った人間であった。殆どの者は息絶えた。彼女ら自身も手に掛けた。運よく逃げられた者を除けば、どれだけの命が今宵の内に消えたのだろう。ハーピー共はそのような事柄に頭を使わない。彼女らはただただ殺したいだけなのだ。悲鳴を聞きたくて、人の肉を食らいたいだけである。

「ひゃはあっ、ビビらせろォ!」

 合図と共に、ハーピーたちが持っていた何かを次々と落としていった。



 赤い水滴が頬に当たり、戦闘部の男はそれを指で拭った。雨が降っている。文字通りの血の雨だ。自分たちの周りだけが鮮やかに染まっていく。ぼとりぼとりと、人だったものが落ちていく。ハーピーたちが一斉に投げ落としたのは人間の死体であった。恐らく食べ残しなのだろう。細かくされ、ばらばらになった頭部や腕が間断なく地面を叩く。

 北駒台店に居残り、戦うと決めた者たちは傘を差さないで空を見上げていた。皆、手には得物を持っている。だが、誰も動こうとはしなかった。死者を悼んでいるのだ。胸に手を当て、押し黙って、滴る血と肉片を身に受けている。

 地上にいる者たちは皆、鎮魂を祈り、赦しを請うていた。

 この夜、この街で、数多の命が喰らわれた。守らねばならなかった。オンリーワンは、勤務外は、また、それ以外の者も、ソレという異形と対峙することで異能の力を持つことを許されている。たとえば正義の味方ヒーローが存在したとして、ヒーローをヒーロー足らしめているのは人類に敵対する悪である。戦う相手がいなければ、ヒーローは正義の味方とは呼ばれない。……今、雨に降られている者たちは正義の味方ではない。だが、それに近しい立場にある。にも拘らず、責任を果たせず、保身に走った。

 彼らは自らを恃んでいる訳ではない。闘争しかないのだ。失ったものを取り戻すことは叶わない。ただ、これ以上奪われたくなく、奪わせる訳にはいかない。意地という安っぽいプライドが、彼らをこの地に釘づけている。

「黙祷、終わり」

 いつまでも続くかと思われた雨が止んだ。二ノ美屋は目を開け、敵勢に強い眼差しを向ける。

「各々、命を散らせ」

 応、と、其処此処から声が上がった。



 陣形も計策もなかった。ひたすらに得物を振るい、悪戯に蛮勇を揮う。ただ、ぶつかり合うだけだった。

「ギャ……ッ!?」

 散発的な銃声が轟くや否や、一筋の槍が空を駆け上る。ハーピーの腹を食い破ったそれは、背後にいたソレらを貫いて尚も進む。団子のように串刺しになったハーピー共は槍と一緒になって、後背の地面へと緩やかに落下した。

 ハーピーにまともな同族意識はない。同胞の死を悼み、怒ることなど滅多にない。新たな餌が出来たと喜ぶだけだ。何匹かのソレが死体を目指してその場から離れようとする。だが、背を向けた途端に鉛玉で抉られた。

 オンリーワン側で戦う者たちの殆どが銃を備えている。技術部が支部から持ち運んでいたものだ。弾数は限られているが、空を飛ぶ相手には有効である。何せ近接戦闘が望めない。ハーピーは素早く、上方から一方的に攻撃を仕掛けてくるが、羽を持たない人間では回避も反撃も困難であった。だが、飛び道具なら狙いをつけるのも容易い。ソレは数が多過ぎるのだ。どこを撃っても的に当たる。また、中空とてその空間は有限ではない。ハーピーは銃火器の発砲音と閃光に怯んで逃げようとするが、邪魔をし合って自由には飛べないでいる。

「抜けられましたっ」

 それでも数匹のハーピーが弾幕を突破した。眼下にいる戦闘部を狙って足を伸ばしたが、こめかみに衝撃を受け、錐揉みになって吹き飛んだ。タラリアを履いた情報部が横合いから接近し、蹴り抜いたのである。この距離でのスピード勝負なら情報部にも分があった。獲物と攻撃に集中しているソレを奇襲するだけだ。仕留めるのは簡単である。

「近いぞ、囲め!」

 長物を持った三人が一斉に得物を突き出した。上空へ逃れようとしたハーピーだが、下半身を刺されて動きが止まり、次いで羽根を傷つけられる。飛べなくなり、高度が下がったところをしこたま踏みつけられ、顔面を殴打されて絶命した。

 一匹にかまけていられる時間はない。死体になったハーピーに別のハーピー共が群がるのだ。休みなしに弾を込めて放つ。あるいは槍で突き、棒で殴る。そうでないと追いつけなかった。

 積み上がる死骸を認める。ソレが死ぬばかりで、オンリーワン側には死者どころか負傷者は出ていない。ここまで無傷で残っている者は戦意が旺盛であり、ソレとの戦いにおける技量も高かった。二ノ美屋は判断に迫られていた。思っていたよりも楽だったのだ。まだ戦いは始まったばかりだが、アレス戦とは違ってハーピーに優秀な指揮官はいない。血の雨を降らせたのはこけおどしだ。それ以外に何もない。あとは数に飽かせて攻めてくるだけだと、そう考えていた。



 オンリーワンの生き残りは店前で、一列に広がって応戦していた。ク・ホリンとしての能力を取り戻した堀は中央を任されていた。破られそうな場所があれば彼が援護に回る。余裕のある者でないと難しく、今、この場では堀以外には与えられない役目であった。

 堀から見て、戦況は良くも悪くもない。彼固有の観点では、戦いとは得てしてそういうものなのだ。数を揃え、武器を揃え、足並みを揃えて敵勢とぶつかる。それらが叶わぬ場合は天運に従うのみなのだ。気迫だけで勝利出来ることは有り得ないが、それ抜きで戦い、勝利を得られることも考えられない。

 今、自分たちには勢いがあった。ここが終わりなのだ。分水嶺も剣ヶ峰もとうに過ぎ去った。戻る道など見当たらない。生き残るには、眼前に立ちはだかるモノ全てを薙ぎ倒して打ち払うしかない。

「堀、技術部だ」

 二ノ美屋は誰よりも変化に敏い。彼女の声に従い、堀は右方を見遣った。

 戦線の右翼を担当しているのは主に技術部だ。数人の戦闘部、情報部も混じっている。武器等は豊富だが、技術部には戦闘経験が殆どない。戦闘部が彼らをフォローしているが、ハーピーの数に押され気味であった。

 堀は地面に突き刺していた槍を放り投げ、右方に固まっていたハーピーを追い払う。間隙を見つけ出すと鉄製の棒と槍を両手に持ち、技術部の後方に回り込もうとしていたソレを打ち殺した。……彼は妙な引っ掛かりを覚える。それを言語化出来ないまま、戦闘行動を続行した。



「ねえ、お兄ちゃん。右にだけ敵が集まってナイ?」

「……俺には分かんねえな。ナナ、そうなのか?」

 一たち、虹の橋組は店の中で飛び出せる機を窺っていたが、ジェーンが眉根を寄せて空を見上げた。ナナはじっとハーピー共を見つめて、眼鏡の位置を指で押し上げる。

「ジェーンさんのおっしゃる通りです。微差ではありますが、右方に集中している風に見受けられますね」

「そっち担当してんのって、誰だっけ?」

「技術部の方々です。荷が重いでしょうね」

 ナナは物憂げに外を見つめ、窓ガラスを指でなぞった。

「ちょっと待てよ。だったらさ、ソレは、弱いっつーか、手薄なところ狙ってんのか?」

「一応『円卓』のメンバーだし命令してるやつはいるんじゃない?」

「ヤバいんじゃナイ?」

 勤務外の四人は窓の傍に張り付いて戦いをじっと見つめている。だが、立花とフリーランスの二人はさほど興味がないらしい。外を見てはいるが、心配している素振りはなかった。外で戦っている者たちを信頼している訳でもない。何かと戦うというのはそういうことなのだ。彼女らは、何が起きてもおかしくはないと知っている。



 ハーピー共に指示を下す四姉妹の一人、アエローは勤務外たちの築いた戦線の綻びに気づいていた。右翼の人間たちは他の箇所と比べて温いと感じたのである。それは、彼女がそう断じた部分に戦闘経験の浅い技術部がいたからだ。が、アエローは理論的に解答を導き出したのではない。言わばなんとなくという直感、理由だ。

「ヒャハハハハ!? マジでマジでー? いい感じじゃねえの!」

 しかしピタリとはまっている。ハーピーたちに知恵はない。直感と数を頼りに敵を蹂躙し尽くしてきた。ない、ではなく、必要ないのだ。彼女らは敵を選ぶ。弱い者に対して敏感だ。真っ向からぶつかっても、自分たちが楽しんで楽しんで楽しみ抜いて、殺し切れる相手としか戦わない。

「そんじゃあ次はあっちに行ってみようかてめえら!」



 アエローたちの見立ては間違っていなかった。彼女らはオンリーワンと戦うことを選んだ。勤務外たちを敵に回し、戦闘部とやり合っても確実に殺せると踏んでいる。ハーピーは頭は悪いが、弱い者を見抜くことに長けていた。

「このままやったら、皆死んじゃうのかしらね」

 北駒台店の屋根の上にはエレンとフェンリルがいた。彼女らは寄ってくるソレだけを相手にし、人間たちが戦っているのをつまらなさそうに眺めている。

「私たちには手を出さないで、ですって。あなたはどう思う?」

「……わかんない。わ、たしは、せかいのてきだから」

「意地かしらねえ。全く、そんなの」

 眼下では、複数のハーピーが一人の男に群がっていた。フェンリルが動こうとしたが、彼よりも早く別の男が得物を振り回してソレを蹴散らす。そうして、男たちは叫んだ。意味などない。だが、何故だか、彼らの声はエレンの心を揺さぶった。愛おしいとすら思えた。

「人間っていいだろう? 見ていて飽きないんだ」

「あら」と、エレンは薄く微笑む。彼女の傍に旅が降り立った。彼もまた、部下たちから手を出さないように頼まれていたのである。

「ヘルメス様も人間はお好きなのかしら」

「様付けはよして欲しいな。君のが出自は古くて先輩なんだ」

「それって私が年増だって風に喧嘩を売ってるのかしら」

 旅は慌てた様子で首を振った。彼とて冥界の女王を相手にするつもりはない。

「好きかどうかはさておき、僕は彼らを味方する。『円卓』の王様なんかよりも、僕は僕の味方に生き残って欲しいんだ。……彼らは、僕たちに手を出すなと言った。人間だけで戦うと言ったんだ。あそこには半分神様ってク・ホリンもいるけどね」

「それって、人間の意地?」

「色々さ。人間は一つの言葉や気持ちで括れない。彼らは生きている時間が短いから、考えだってすぐに変わるし。君にだってじきに分かるよ」

 じきか、と、エレンは旅の横顔を見遣る。つまり、彼はここに住む人間たちに明日が、先があると考えているのだ。彼女は、今度は空を見遣る。死肉を啄むハーピーたちの数は依然として減っていない。虹に向かう一たちは、店の中でいつまでも機を窺うことになるだろう。

「ハーピーには手を出しちゃいけないのよね」

 エレンは童女のような――――実際、今の彼女は童女にしか見えないのだが――――悪戯っぽい笑みを浮かべた。



 砂粒が舞っていた。

 地から這い出たそれは、じわりじわりと揺蕩い、空の中を侵食していく。地上で戦う人間も、空から戦うハーピーも、誰も気づいていなかった。

 空気は徐々に湿り気を失い、乾いていく。アスファルトからは土塊が顔を覗かせ、駐車場のひしゃげたフェンスが独りでに折れ曲がり始めた。

 冥界の女主人、エレシュキガルが力を行使している。そのことに気づいた堀は屋根の上を睨むようにして見上げた。彼女は敵意のこもった視線を受け、涼やかな微笑を湛える。

「手は出していないわ。私はただ、この世界がまだ肌に合っていないの。少しだけ作り替えさせてもらうだけよ」

「エレシュキガル! これは私たちの戦いだ! あなたが干渉すべきことではない!」

「気持ちだけでハジメたちを虹へ連れて行けるの? 意地だけで卑しい鳥たちを殺し抜けるの?」

 堀は歯噛みして二ノ美屋を見た。彼女は諦めたように首を振る。

「これだから神様なんてのは嫌いなんだ。妙な期待を持たせてしまう。その上、私たちの期待にも応えてしまうんだからな。……こっちまで沙子に変えてしまうなよ」

「ええ、期待していいわよ。どうぞゆっくり寛いでいってちょうだい。私の世界クル・ヌ・ギアで」

 北駒台店一帯の空間に異変が生じた。ぽつぽつと砂の雨が降り始める。勢いを増したそれは、中空にいたハーピーたちだ。皮は埃に、肉は砂に、骨は土塊に。エレンの力によって砂粒に変えられてしまったのである。地上にいた二ノ美屋たちは驚愕した。何せ、自分たちには害がない。砂や土に変わるのはハーピーたちだけである。また、建物も電柱も、殆どの物体に影響はないらしかった。

 きいきいと、ソレが鳴き、喚いた。隣にいた者が塵芥と化して風に流れて地に落ちる。その様子をただ見ることしか出来ない。例外はなかった。上方へ飛び立とうとして、遠くへ逃げようとしても、足を失い、翼を土塊に変えられてはどうしようもない。不可視なのだ。エレシュキガルのクル・ヌ・ギアは、彼女の選別したもの以外を全て世界の一部とする。女王に見捨てられたものは誰も逃げられず、どこにも帰られない。

「はなれろォ――――!」

 ハーピーを束ねる四姉妹の一人、アエローが叫んだ。彼女は群れから離れたところにおり、エレンの世界からは逃れられている。他の姉妹も、通常のハーピーよりは素早く動けるために難を逃れた。だが、そうでないものは次々と呑み込まれていく。

 戦いが止まった。

 店内から、先を競うようにして三つの影が飛び出した。立花、ナコト、アイネの三人である。彼女らに遅れて、ジェーンとナナが。最後に一と糸原が。

 七人が砂の中を掻き分けるようにして駆けていく。エレンは彼らの前進を助ける為、道を作った。邪魔な砂を操り、遠くへ退かしたのである。アスファルトが現れ、七人の速度が上がった。

 しかし、その為にエレンの力が分散される。タルタロスを出た彼女の力は無限ではない。クル・ヌ・ギアから逃れたハーピーたちが一たちに追いすがろうとする。

「伏せてっ、一さん!」

 立ち止まったナコトが得物を振り回す。鎖が唸りを上げた。先端に分銅のついたそれは、充分に加速し、ハーピーのこめかみを強かに打ち砕く。

「止まんな黄衣! こっちはこっちで何とかする!」

「お前も止まるな! 全員、あいつらの援護を!」

 二ノ美屋が指示を飛ばした。技術部が、一たちのもとに向かうソレを狙って引き金を引く。情報部はタラリアを使い、中空から攻撃を仕掛けた。

「医療部は車を出せっ、今しかないぞ!」

 店前の道路で待機していた車のエンジンがかかる。動き出したそれを狙い、新たなハーピーが押し寄せた。エレンの額を汗が伝う。彼女の力は底を尽きかけていた。

「動くんなら早くしてちょうだいっ。あなたたちだけを砂に変えないでいるのって、すごく疲れるの!」

「手伝うよ。医療部、僕の方へ車を!」

 旅がハルペーを素振りする。彼とて、流石に黙って見てはいられなかった。旅の誘導に従い、負傷者を乗せた車が発進する。二台はソレの包囲を抜けたが、一台はハーピーたちに捕まった。

「くっ、誰か手を!」

 旅が空を翔け、ハーピーの首を狩る。しかし数が多過ぎた。エレンの力が弱まり、ソレが再び勢いを取り戻したのである。一たちと店を守る者は数に押され、手を貸せないでいた。二ノ美屋は舌打ちし、車を戻すように言った。

「旅は先行した二台の援護に回れ! お前だけが頼りだぞ。今はそちらに数を割けられん!」

「……命令されるのには慣れてるけど、まさか人間にされるなんて」

「早くしろっ」

「了解だ! 僕の部下は預けたよ!」

 旅が店前から離れる。ヘルメスの力がなくなるのは痛いが、怪我人だらけの車を守れなくなるのも不味い。二ノ美屋にとって苦渋の決断であった。ソレに包囲されていた車は無理矢理店前に戻り、堀たち戦闘部が護衛につく。

 一たちは出来る限り自分たちの方にソレを引き寄せていたが、きりがないと悟った。

「ボォォォス! アタシたちは行くわよ!」

「さっさと行け! お前らが邪魔だからこんなことになってるんだ!」

 アイネはレイピアをソレの腹から引き戻し、口の中に入った血を唾と一緒に吐き捨てる。

「随分なことを仰いますのね」

「我々が進行すれば、こちらの援護に回っている方々の手が空きます」

 ナナがソレの群れに右腕を向けた。袖口から弾丸の雨が放たれる。彼女がマシンガンを掃射している間、一たちは何もかもを振り切るようにして先へ進んだ。

「ハジメ、シノっ、頑張って! 必ず戻りなさい! あなたたちの世界を案内してくれると言ったでしょう!」

 一と糸原は答えず、振り向かない。二人は腕を上げることでエレンに応えた。



 ――――行かせるか。

 二台の車に追いつくのは難しい。そちらには旅がいる。四姉妹の次女、オキュペテは一たちをねめつけた。彼女は数体のソレを手勢に、店前から離れようとする。その瞬間、一発の銃声が轟いた。一つきりの弾丸が、ソレの群れをすり抜けてオキュペテの頬を掠める。彼女は思わず、自らの手で傷口に触れた。怒りのままに声を荒らげて、弾丸の飛んできた先を確かめる。

 拳銃を構えた二ノ美屋がいた。オキュペテの背筋が凍り付く。二ノ美屋はソレの大軍の中からオキュペテを見つけ、止めたのだ。

「……まぐれだ」

 二ノ美屋は口の端をつり上げる。オキュペテは言い知れぬ不安に襲われ、彼女目がけて降下した。が、横合いから情報部の蹴りが迫ってくる。彼女は畜生と叫びながら、情報部の女を平手打ちした。



 一たちは走りながら、追ってくるハーピーだけを相手にしていた。二ノ美屋たちが抑えてくれたのだろう、ソレの数は少ない。

「ねえ、どうすんの、固まって動くの?」

「どうせ七人しかいないんだから、ボクたち全員で虹へ向かおう」

 中空を銀閃が奔る。糸原のグレイプニルがソレの翼を切り裂いた。落下してくるハーピーを避け、立花が虹を見遣る。

「仕方ありません。オンリーワンに協力するのは気が進みませんが、分かりました。全員で助け合い、一丸となって虹の根元へ向かいましょう」

 集団の先頭にいるのは黄衣だ。彼女はソレの相手をするのは面倒なのか、巧みに避けて、後ろにいるアイネやジェーンの方へ誘導させている。

「ナナ、根元までどれくらいあるか分かるか?」

「デパートの近くかと思われます。ペースを乱さずに進行すれば、二十分以内には到着可能です」

 一は思わず舌打ちした。デパートと聞き、巨大な黄金色の猪、グリンブルスティと戦ったことを思い出したのである。考えてみれば、この街での記憶の大半はソレと戦ったことばかりだ。どこへ行っても、何をしていても、怪物との闘争ばかりを思い出す。

 ちり、と、一は首筋に痒みを感じた。体が熱い。

「……なあ、なんか」

 否、周囲が――――。

 次の瞬間、ナコトがぎゃあと悲鳴を上げて速度を上げる。皆は路地裏に目を遣った。暗がりの中、のそりとした、大きな輪郭が浮かび上がる。一たちが声を上げる暇はなかった。最初に感じたのは異常な熱である。次いで、足元から振動が伝わった。地の底まで鳴動させる唸り声が耳を劈き、視界が紅白で埋まった。



 窓ガラスが押し破られた。破片が店内に降り注ぎ、窓際にいた者が悲鳴を上げる。北駒台店前の抵抗線が、遂に破られた。押し入ったハーピーの数は二体。中にいるのは弱り切った負傷者ばかりである。ソレにとっては垂涎物の獲物であった。

 店内に伏せっていたのは、比較的軽症の者たちである。数も少ない。重傷者の多くは先に抜けた車に乗せられていたからだ。

 ぎいぎい。きいきい。ソレがにたりと笑う。その笑みを受け、店に居残った二十人余りが体を起こした。その手には拳銃や、各々の得物が握られている。

「キ……?」

 ハーピーが小首を傾げた。春風たちは無言でトリッガーを引く。ソレの全身に無数の穴が空いた。数多の衝撃を受け、怪物は血を撒き散らして本棚に突っ込む。

「おちおち休んではいられないか。我々も出るぞ」

「ちょっと春風、あんたに命令されたくないんだけど」

 春風が立ち上がり、木麻凛が彼女に噛みついた。その声か、あるいは血の臭いに反応したのか、意識を失っていた者が身じろぎする。そのことに気づく者は、まだいなかった。

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