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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
モリガン
296/328

どんなときでも、ひとりじゃない

 蝶が飛んでいる。手を伸ばせば逃げていく。追いかけ、ようやっと掴んで掌中を見遣るも何もない。気配に慄き振り向いても誰もいない。しかし敵は必ずどこかにいるのだ。ゲッシュを破られ、左腕が痺れ、千の軍勢を前にしても尚、男は、ク・ホリンは戦い続けた。だが、彼はゲッシュによって末期を迎える。自慢の武器を手放したことによって、友人と愛馬を殺された。自身も、手放した武器によって深く傷つけられた。ホリンは零れ落ちた臓物を水で洗い、元の位置に収め、岩に体を縛りつけた。そうして、立ったまま息を引き取った。



「覚えてる? う、ふふふふ」


 ――――俺の最期だ。忘れるはずがないだろう。


 モリガンが平静を取り戻したため、彼女の下僕は沈黙を保ち続けていた。しかし、堀はディルに劣勢を強いられている。ディルの使う赤い槍、ゲイジャルグには魔力が宿っていた。ゲイジャルグによってついた傷が癒えることは決してない。血と体力を奪われた堀は、少しずつ命を削られていた。

「あの時のあなたは本当に勇ましくて……ああ、もう、本当に」

「……気を取られないでくださいよ。あなたが相手にしているのは私なんだ」

「全く、よってたかって」

 堀が地を蹴る。彼から仕掛けてきたことに、ディルは驚き、喜んだ。彼は剣ではなく、槍で迎え撃つ。右手で黄槍を放つも、堀は身体を捩らせて完全に回避した。だが、反撃に転じることは出来ない。掠り傷ですら致命傷になりうる。それを恐れるがあまり常よりも大きく、無駄な挙動になっていた。ディルは舌打ちし、堀の心臓目がけて槍を突く。が、堀は石突きの部分で巧みに防いだ。火花が散り、甲高い音が夜の闇に吸い込まれる。

「粘ってどうなりますか!」

 二槍が迫る。堀の持つ槍が軋んでいた。技術部の作製したそれは、歴戦の英雄が操る武器とぶつかり合い、限界が近かった。むしろ良く持っている方だと堀は認識している。

「この街はっ、この夜を越えられない! ならば潔しと、誇りある戦いを! 戦士としての最期を!」

 彼方此方で火花が散っている。堀の視界が滲んで、薄れていく。

「あなたの望みもそうではないのですか!」

 堀が片膝をついた。彼の頭上をディルの槍が通り抜ける。一瞬間、堀の意識が飛んだ。しかし覚醒し、すぐに槍を振るう。ディルは苦もなくそれを払いのけた。



 逃げることは罪か。

 避けることは悪か。

 戦って得られるものはあるだろう。犠牲を強いられる場面もあるだろう。選択を迫られ切り捨てる時もあるだろう。そうでなければ生きていけない。何も得られない。だが、自分でやる必要はどこにもない。争い事を嫌い、女としての喜びを未来永劫捨てた。その代り、他者が傷つき手にしたものを掠める権利を得た。今になってそう思う。

 自分は酷く臆病で、穢れているのだ、と。

 しかし目覚めなければならない。戦い、選ぶ時が来たのだ。炉辺乙女ではなく、ギリシャの神ヘスティアとして。



 誰かが何かを指示している。しかし一にはその声が聞き取れない。ハーピー共が真上で叫んでいるからだ。傍で銃声が鳴る。彼に襲い掛かろうとしていたソレの翼に穴が穿たれ、落ちる。後方から男の叫び声が聞こえてきた。ハーピーに囲まれ、囚われた者が中空へと連れ去られていく。彼を助けようとして幾つかの銃弾がソレを追いかけるが命中しなかった。

「見るな! 自分のことだけ考えろ!」

 数で押され、地の利を得られず、二ノ美屋たちは苦戦を強いられている。きいきいと、猿の奇声にも似た甲高い雄叫びが木霊し続けている。彼女らの見る空はソレで埋まっていた。飛来するハーピーは長物や銃弾によって次々と絶命するも、数が減っているようには見えなかった。ただ、異形の骸は確かに転がっている。その遺骸に別のハーピーたちが群がり始めた。

 ハーピーに高い知能はない。食欲旺盛な彼女らは、食べられるものを見れば群がり、食い漁り、次の獲物を探すだけだ。人間であれ魔物であれ、同種であれ関係はない。

「仲間まで食うのかよ!」

「しかも弱ってるやつだけだ」

 顔についた返り血を袖で拭いつつ、一は周囲を見回した。ソレが死んでいる。味方にも何人か死人が出ている。逃げ出す者は一人もいなかった。彼は表情を歪ませ、畳んだビニール傘でハーピーを叩き落す。だが、喜悦の色はすぐにかき消えた。店の中から、眠っていたはずの炉辺乙女が姿を見せたのである。一は店長を見遣って炉辺の名を叫んだ。

「炉辺!? 何をっ」

「伏せて!」

 店前でハーピー共の猛攻を凌いでいたアイネが反応した。彼女は得物を突き出して、炉辺の頭部を鷲掴みにしようとしていたソレを突き殺す。鮮血が噴き上がり、そこにいた者を濡らした。

 炉辺は力が抜けたかのように膝をつき、血塗れのままで皆を見た。皆、戦っている。声を張り上げ、勇気を振り絞り、空を翔ける有翼の魔物と殺し合っている。

「医療部は下がれ!」

 びくりと、炉辺の肩が震えた。彼女はいつだってそうしてきた。最後方で戦いを見ていた。そのつもりだった。実際は、死線から戻り、傷ついた者からの話で戦いというものを知るのみであった。足手まといなのは承知している。しかし、動かずにはいられなかった。

「ほ……堀君は……?」

 アイネだけが炉辺の声を聞いた。彼女だけが炉辺の瞳を見た。……この場にいる者の中で、ここにいるハーピーが全てではないと知っている者は少ない。アイネはその中の一人であった。寄橋で見たハーピーの数はもっと、ずっと多かった。酸鼻極まるが、今はあくまで前哨戦にも過ぎないのだろう。炉辺に構っている暇はない。誰もが、彼女を守るどころか自分の身を守るので手いっぱいなのだ。

「堀君は、どこにいるの?」

 しかしアイネは炉辺の願いを悟ってしまった。叶えてやりたいと思った。彼女はレイピアを左方に向ける。

「お一人で戦っています。先には『円卓』とフリーランスが」

 炉辺は小さく頷き、ゆっくりと立ち上がった。

「ありがとう」

「出来る限り、背中を守ります」

「ありがとうっ」

 レイピアがハーピーの目玉を抉る。炉辺は振り返らずに駆け出していた。ソレの骸には折れた得物が突き刺さり、あたかも墓標のような有様である。その中を走る彼女の姿を殆どの者が捉えた。皆が戸惑うが、二ノ美屋は炉辺の意図を察することが出来た。

「炉辺を死なせるなっ!」

 炉辺の背は酷く無防備であった。彼女の後ろにいたアイネも、急降下してくるソレのせいで足を止めている。誰もが逡巡する中、一が反転した。追いすがるハーピーを避けつつ炉辺を追いかける。彼女は必死に足を動かしていたが、ソレの速度からは逃れられない。肩を掴まれて転びそうになった瞬間、一が跳躍した。彼はハーピーの首根っこを片手で掴み、傘の石突きで腹を突き破った。絶命したソレを投げ捨てると、一は噴き出した。炉辺は一瞬たりとも振り返らなかったのである。その姿は、全く、これっぽちも神様には見えなかった。

「マスターっ、そっちに行きました!」

「どうしろってんだ!」

 一が空を見上げて吼える。ハーピー共が彼の頭上を通り過ぎていった。その後ろを風が吹き抜けていった。強い風はソレの羽ばたきを制止させ、戸惑わせた。炉辺を追いかけていたハーピーは自身の死を認識出来ないまま、首を狩られて落下を始める。風に乗った死神の正体は、サンダルを履いた少年であった。彼は眼下の一たちを見回し、己が得物を掲げる。

「人間たちよ! これより先、女神ヘスティアの行く手を遮るものは何もない! 何があったとしても、ただ風が吹くだけだ! だからっ、君たちは君たちの戦いを続けるといい!」

「……た、旅さん?」

「まさか、あの人も……」

「はっは! マジかよ!?」

 戦いに参加していた情報部は自分たちの上司を認め、大声で笑った。



 ケルト神話、アルスター地方には女神がいた。破壊や戦いを司る神であり、大いなる女王を意味する名があった。彼女の名はモリガン。ケルトにおける運命の三女神でもあり、戦女神の一柱である。モリガンは激しやすいが、彼女と関係を結んだ者は援助を受けることが出来た。ク・ホリンもその一人であり、彼女と愛し合った男の一人である。

「……あ、あ、あっ、ああ……!」

 モリガンは笑っていた。堀が傷つく度、倒れる度、少しずつ彼が近づいてくるような気がしてならなかった。彼女が、堀がこの世界にいると知った時、彼は既にオンリーワン近畿支部にいた。選ばれなかった。見捨てられた。忘れられたと思った。モリガンが『王』に従い、『円卓』に入ったのは堀を追い詰める為である。怒りも、喜びも、苦しみも、痛みも、生も、死も。自分だけが彼の何もかもを知り、その全てを愛していると信じていた。しかし、堀は自分のいない、自分の知らない世界で生きている。その事実はモリガンには許し難かった。

「そう、そう、そう! あなたはまた一人きりで戦って傷つけばいいの! そうして、死んで、最後に私だけがっ、あなたを!」

 クーリーの牛争いと呼ばれた戦いで命を落とした時、ク・ホリンの肩には一羽の烏が止まった。その烏こそ、変身したモリガンである。あの時、二人は確かに通じ合い、愛を深めた。彼女は在りし日の光景を思い出し、悦に浸る。


「堀君っ」


 ぱちりと、モリガンは瞬きをした。自分の視界に見馴れぬ女が入り込んだ。彼女はそれだけで女の正体に気が付いた。



 モリガンが声を荒らげ、フィンがディルに指示を下した。

 ディルは訝しげに女を見遣る。……彼は自分に備わった魔力を知っていた。憎んでもいた。ディルの頬には異性を虜にする魔法の宿った黒子がある。その黒子によって救われたこともあるが、フィアナ騎士団を終わらせたのもその力なのだ。

 騎士団団長、フィン・マックールには婚約者のグラーニアがいた。だが、彼女はディルの黒子によって彼の虜となり、また、ディル自身も恋に落ちた。グラーニアとの逃避行の後、彼はフィンと和解したが、蟠りは残った。

 それから、ディルは山での狩りで巨大な猪に致命傷を負わされる。その場にいたフィンは彼を助けようともしたが、グラーニアを奪われた恨みを忘れることが出来ず、ディルはついに力尽きた。フィンはディルを見殺しにしたことで他の配下に批難され、フィアナ騎士団は真っ二つに分かれた。

「あの女を止めるんだ! どんな手を使ってもいい!」

 自分の死が、自分の不忠が仕えるべきフィン・マックールを、騎士団を終焉に導いた。ディルはこの世界に降り立ってから魔力を抑える術を捜し、黒子を隠した。フィンの許しを得ない限り、魔力を解放しないと誓った。

「……私はあなたの命令ならどんな敵であろうと、打ち破り、引き裂く心づもりでした。しかし、私には出来ないっ」

 ディルは堀と炉辺を見遣り、苦しそうに瞼を閉じた。女の目に自分の黒子は映らない。余人の入り込む隙間など、どこにもないのだ。



 堀のスーツは血塗れだった。彼の持つ槍は今にも折れてしまいそうで、戦いのすさまじさを物語っていた。炉辺は堀の想いを察して涙を流す。泣きながら、嗚咽を漏らしながら走り続ける。堀の他にはもう何も認識出来なかった。

 炉辺は一直線に駆ける。怒り狂ったモリガンがしもべを差し向けるも、旅がソレどもを葬った。

「ホリンに近づくな! 私のホリンに!」

「幸せを捨てたはずの女神が走っている! 童女のように希ってひたすらに! 邪魔をするなっ。姉さんは今! 恋をしている!」

「割って入ったのはあの女じゃない!」

 モリガンと旅が戦っている間、フィンは剣を手にして地を蹴った。ディルは堀と炉辺を邪魔しないだろう。新たなゲッシュの存在を認めるのだろう。しかし、フィンにはそれが出来ない。看過出来ない。

 炉辺は堀の胸に飛び込む。彼は呆けた様子で武器を取り落し、彼女を抱きしめた。芽を潰すなら今しかなかった。せめて苦しまぬように、二人揃って逝けるように。そう思い、フィンが剣を水平に向けた。彼の背筋が粟立った。知恵を借りるよりも先、培った経験と本能がフィンをその場から逃がす。彼がバックステップしたと同時、一振りの剣が目の前を通り過ぎていった。その得物には見覚えがある。

「……追いついたか」

「返したよ、それ」

 立花が刀を抜いていた。彼女はもうディルから借りていたコートを着ていない。漆黒色のセーラー服がぼうと浮かび上がる。貸しも借りも、全てなくなったのだ。立花は竹刀袋を投げ捨て、雷切をフィンに向けた。

「最悪のタイミングだっ」

 立花は堀たちを見遣り、ふっと微笑む。

「ボクにはよく分からないけど、ドラマみたいだ」



 堀は数瞬、自分が誰を抱き留めているのか分からなかった。ただ、温かった。それだけが心を占めていた。僅かに冷静さを取り戻し、彼は炉辺が泣いていることに気づく。泣かせているのは自分だとも気づいた。堀は口を開きかけるも、言葉に詰まった。ここは危険だ。早く逃げろ。どうしてこんなところに。そんなことが頭の中に浮かび上がっては消えていく。諦めて、腕に力を込めた。望外の幸福であった。

「ごめん、ごめんね。ごめんね、私のせいで、堀君、こんなに」

「……ああ。ああ、服が、血で汚れてしまいます」

「私があんなこと言わなかったら、堀君を縛らなくて済んだのにっ」

 心地よさのせいか、睡魔が訪れる。堀は気を紛わせる為に、炉辺とのゲッシュを結んだ日のことを思い出した。大きな戦いが終わり、死にかけていた彼は、既にオンリーワンの医療部で働いていた炉辺に救われたのである。その時の他愛ない会話で、堀は誓約を課せられた。


『もう、戦わないで』


 堀は誓った。

 炉辺の言葉を、彼女を守ろうと強く思った。何故そう思ったのかは忘れてしまった。気まぐれだったのかもしれない。あるいは、惚れた弱みだったのかもしれない。

「約束を何度も破ってしまいましたね」

 戦ってはならない。だが、堀は戦闘部を希望し、緊急時には槍を携えてソレと対峙した。女神ヘスティアとの誓約は堀に多大な負荷と苦痛を与え続けた。槍を持ち、戦う意思を見せただけでゲッシュは破られる。今、こうしている間にもだ。

「私はいつもみんなの邪魔ばっかりしてたっ。私、神様なのにっ。なのに、みんなと一緒に戦うことが出来なかったの! 怖くて、隠れてただけなんだ!」

「あなたはいいんです。最前線で打ち合うことだけが戦いじゃあない。あなた方がいたから、私たちは戦えた」

 最後に会えてよかったと思えた。きっと、自分はここで死んでしまうだろう。炉辺まで巻き添えにする必要はない。彼女だけは死地から逃がさねばならない。堀は片腕で彼女を抱いたまま、落ちた槍を拾い上げた。

「堀君」

「分かっています」

 戦わないで。

 炉辺はそう言うのだろう。戦いに赴く前、彼女はいつだってそうして堀を見送ってきた。その言葉は彼にとって呪詛に近い。しかし、堀は決して炉辺を恨まなかった。

「堀君」炉辺が顔を上げる。彼女はもう泣いていなかった。

「はい」

「好きです」

「……はい」

 ごうごうと吹く風の音も、甲高い剣戟の音も、一切が掻き消えた。堀は頷き、炉辺が話すのを待った。彼女は真剣な面持ちで口を開いた。



 恐ろしい。恐ろしい。身体が震える。冷たい風も冷たい刃も恐ろしくはない。フィアナ騎士団団長、フィン・マックールを慄かせたのは一人の男であり、一つの誓いだ。

 力が生まれ、宿る瞬間は決して分かりやすく、派手なものではない。静かに、ただそこに佇むばかりだ。フィンは恨んだ。炉辺を止められなかったモリガンも、ディルも、邪魔をした旅も、立花も、ここに居る自分さえ呪った。相手はク・ホリン。自身よりも前時代とはいえ、アルスター最強を誇った戦士である。たとえゲッシュで力を封じられていても妙な不安はあった。どうあっても、どうやっても殺せないとすら思った。フィンたちが堀を必要以上に煽り、罵ったのは際限なく湧き出てくる恐怖を誤魔化す為でもあった。

「ああ。そうか」

 だが、忘れた。先まで抱き、膨れ上がっていた感情はどこかへ消え去っている。恐怖も不安も焦燥も、たった一つの力を認めて失せた。フィンは得物を持つ手にぐっと力を込める。

「アレが本当の猛犬なのか」

 コノートの女王すら恐れたクランの猛犬が放たれたのだ。首輪も檻も、彼を阻むものはなくなった。ならばあとは、今度こそは、剣戟によって語らうのみだ。



 旅は歓喜した。モリガンのしもべを狩りながら、高い声で吼えた。炉を守り、結婚の喜びを、女としての幸福を失ったはずの姉が言ったのだ。好きだと言って、惚れた男に思いを告げて気を失った。彼女は今、満足そうな表情で眠りに就いている。

 この時代、この世界にヘスティアを見張る者はいない。人々が神々を忘れ、侮り、自分勝手に生きている。それでいいと旅は思った。だから、自分たちも好きにやったっていいと思った。

「ああ、ああ! 良い夜だ!」

 人は食われ、今も死んでいる。神すら屠られ、地に堕ちた。しかし呪いは消えるのだ。縛られ続ける必要はない。ここでは誰の命も平等で、誰もが自由だ。



 ――――いいのか?

 堀は問う。他でもない己に問いかける。

 音が止んだ世界で、猛犬の力を取り戻した堀は目を瞑る。……惚れた女を抱えたまま、彼は幾つもの音を知った。それは戦いの音であり、人が生きようとする音でもあった。ク・ホリンという男の最期は勇猛であり、酷く、寂しかった。味方は倒れ、たった一人で戦い続けた。

 一人きりの戦いこそ自分には相応しく、合っているとすら思った。しかし、違う。

「ここがどんな場所だか分かってないような顔だ。それでも、幸せそうに眠っている」

 堀の傍に旅が降り立つ。彼はばつの悪そうな顔で苦笑した。

「いい夢を見ているんだろうね」

「……夢」

 夢だけで終わらせたくはない。堀は旅に炉辺を預け、落としていた得物を足で拾い上げた。

「聞こえたろう、ク・ホリン。君の仲間はまだ戦っている。たとえ君が死んだって戦い続けるんだろう。君はどうだい。戦いの果てに誇りある死を望むのか。……それもいい。けれど忘れないでくれ。ここは駒台という土地で、今の君は――――」

 堀は頷いた。自分以外の音がある。存在がある。共に戦う者がいる。仲間と呼ぶには面映ゆいが、背中を預けられる者たちだ。今も彼らは北駒台店の前で、あるいは別の場所でこの夜を生き抜く為に戦っている。そう思うと体が熱くなる。

 堀はもう一度だけ頷いた。瞬間、モリガンの声が轟く。彼女の足元からソレが湧き上がった。



 炉辺を抱えた旅が飛翔する。彼を逃すまいと、モリガンの下僕が駆けた。だが、その間に立花が割り込む。彼女は一刀のもとにソレを切り伏せる。

「ボクがあいつらを抑えるから、堀さんは、あの人を」

 立花がディルを指した。堀は彼女の計らいを有り難く受け取る。

「どうか、無理はなさらず」

「……堀さんが言ったって駄目だよ。そんなになってる人がいるのに、ボクだけ手抜きなんか出来ない」

 堀は自らの身体を確認した。スーツについた血は乾き、骨は折れたままだ。しかし、戦える。汲めども汲めども、力がどこまでも溢れてくる。

「すぐに決着をつけます。その後は、立花さんは店に向かってください」

「いいの?」

「会いたい人がいるんでしょう?」

 立花が頷いたのを認め、堀はディルに向き直った。彼は得物を構え直した。

「一つだけ聞いておきます。なぜ、炉辺さんを止めなかったのですか?」

 予想していなかったのだろう。ディルは堀の質問を受け、小さく笑った。

「止められなかった。そこで狂っている女に魔力を弱めてもらいましたからね。ああ、いや、ただ、あなたの想い人は私の黒子を……いや、あなた以外の男を見ることはなかったでしょう。恋は盲目とは言ったものです」

 ディルは槍を地面に突き刺し、腰を低く落とした。二振りの剣が下を向き、堀は答えに満足した。



 ク・ホリンの名は恐ろしくもあったが、憧れでもあった。ディルは、彼が猛犬として蘇ったことに感謝する。深く呼吸し、機を窺う。……堀の得物は壊れかけている。彼自身も深く傷ついている。だが、先とは違う。炉辺にどのような言葉を投げかけられたのか、新たなゲッシュを結んだことにより、力が増している。否、戻ったのだ。堀の気は充実している。

 ディルは堀を捉えながら思考した。自分の勝機を見出そうとした。


 ――――いや、考えるまでもない。


 クランの猛犬には必殺の槍がある。海獣の骨を使い、鍛え上げられたそれは、影の国の女王からク・ホリンに受け継がれたゲイボルグだ。曰く、その槍は稲妻のような速度で敵を貫く。数十もの棘となり、敵軍を刺し穿つ。どのような防具であっても貫通し、刺された者は必ず死ぬ。飛び道具に近しい能力を持つ武器であり、ク・ホリンにとっても最後の手段であろう。

 だが、今の堀はゲイボルグを持っていない。衝くならそこだ。

 一つ、息を吐く。ディルは堀から目を離していなかった。漏れた呼気が白く立ち上るよりも早く、視界から堀の姿が消える。焦らず、ディルは剣で一撃を防いだ。彼は思わず息を呑む。槍は寸分違わず喉元を貫こうとしていた。早く、重い。先刻までの男とは人が違う。

 ディルは自ら切り込んだ。コートが翻る。それが元の位置に還るまで、彼は六度の斬撃を放った。しかし全てを防がれる。もはや驚きはしなかった。

「稲妻……!」

 堀の姿勢は低い。わざとだとディルは悟った。下方からの攻撃に慣らそうとしている。ディルは掛け声と共に剣を振り下ろした。地面を砕いた一撃を堀は紙一重で躱している。ディルは後方へと下がり、槍のある位置で足を止めた。彼を追って堀が迫る。呼吸を隠したままで二人の視線が交錯した。ここだとディルは悟った。

 しなやかな四肢が捻じ曲がる。堀の体躯が地面に沈んだ。ぐるりと、彼は槍を後ろ手で隠すかのように構えている。ディルが右手で剣を振るった。刃先は額の薄皮を切るに留まる。まだ堀の身体は浮き上がって来ない。彼はまだ力を溜め、タイミングを計っている。ディルは更に踏み込んだ。

 空ぶった右腕を忘れ、左腕でベガルタを振るう。真一文字に振り下ろされたそれは空を切った。無防備だ。堀は回転と共に右腕に力を籠め、掌で押し出すようにして得物で突く。

「がっ、お、おお……! とったぞ……」

 堀の得物はディルの右腕を貫いた。石突きは骨に阻まれてそれ以上進まない。

 ディルは痛みすら忘れている。心臓を庇った右腕で槍を釘付けにし、ベガルタを捨てて赤槍を掴んだ。彼我の距離は僅かである。ゲッシュによって力を戻した堀だが、この距離では逃れられない。

「とったぞ、クランの猛犬を!」



 堀が槍の柄から手を放し、身を沈ませた。ディルの左腕から放たれる一撃が迫っている。彼に逃げるつもりはない。堀は地面に手を付き、地を滑るようにして足を出した。

「な」

 靴の裏が柄の底を捉える。視線が再び交錯した。ディルの突いた赤槍を、堀は余った腕で無理矢理に退かす。彼は攻撃を防いだ後、勢いをつけて跳び上がった。肉を貫く音がして、ディルは瞠目する。

 ぐ、と、ディルの口から血が溢れ出る。彼は困惑し、得物を取り落した。そうして、左胸に突き刺さったものを認める。堀が槍を蹴った衝撃で、穂が骨を貫通し、中に届いたのだ。槍は、心臓も、庇っていた右腕も、何もかもを貫いている。

「……なんだ、今のは」

 堀は槍を取り戻そうとしたが、ディルの命が尽きかけていることに気づいて動かなかった。

「ゲイボルグは二つで一つ。槍と技が二つ揃って稲妻なのだと、師は言いました。私は曲芸のようなのが好きではないので、滅多に見せることはありませんでしたが」

「そ……うか。今のが……」

 ディルはゲイボルグの逸話の中に、足で槍を投擲することもあるのだという話を思い出す。ならば、自分は確かに届いたのだ。アルスター最強の戦士の技を引き出せた。後悔はない。主君よりも先に逝けたのだ。

「妙技、馳走になった」

 彼は微笑み、顔を上げた。ゆっくりと目を瞑ると、二度と開かれることはない。風がディルムッドの髪を揺らす。膝をついた戦士の亡骸は、満足そうな表情のまま固まっていた。

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