誰がために
敵は一、二、三、四、五。多数を相手に立ち回ることは初めてではない。ただ、もう本当に手加減は出来なくなる。立花は姫を見つめ、何かを諦めるかのように目を逸らした。
「わりいけどよ嬢ちゃんよォ! 裏切ったってんならやるしかねえのさ!」
「裏切った……?」
立花は目を細め、向かってくる『塹壕』を認める。彼の得物である巨大なシャベルが彼女の目を一際引いた。『塹壕』は走りながらでスコップを振り被る。
「こいつはな!」
剣の刃ではなく、立花は柄で一撃を防いだ。『塹壕』は力を籠め、歯を剥き出しにして笑みを浮かべた。
「お前が思ってるよりか便利なんだぜ!?」
掘り、叩き、打ち、突き、磨り潰す。シャベルは面が広く盾にも成り代わり、短い武器よりも遠間からの攻撃が可能である。『塹壕』はシャベルの多機能なところを気に入っていた。
「みたいだね」
「だろうがよっ」
距離を取り、立花は『駅馬車』がホルスターから拳銃を抜くのを目の端で捕える。背後からは姫が迫っていた。爪の弾丸は既に放たれている。振り向きざま、立花は剣で姫の弾丸を斬り払った。
「詫びろ! 兄さんに!」
後方にいた『駅馬車』は舌打ちし、向けていた銃口の位置を下げる。立花が姫の背後に回ったのだ。盾代わりに使われている。彼にとって姫の動きは読み辛く、誤射の危険性があった。ただ、『駅馬車』は撃ち、弾が彼女に命中した結果、姫が死んでしまっても構わないと思っていた。モリガンは烏のような女――――立花を殺せと言っていた。従わねば何をされるか分からないが、姫を殺すなとは言わなかった。姫を気にせず撃ってやればいい。ここにいる者たちには何の縁もゆかりもない。優先すべきは立花の殺害であり、姫の生存自体は一切関係がない。
「……分かってるよねえ、色男」
彼女さえ、『灯台』さえいなければの話ではあったが。
『駅馬車』は傍らに立つ、背の高い女の横顔を盗み見た。二十代半ばといったところだろうか、『灯台』の顔だちは整っているも、左目を隠すアイパッチが異様である。また、残った右目の眼光は鋭かった。彼女は長い黒髪をリボンではなく、バンダナのようなもので縛っている。
――――ツラだけ見りゃあ趣味なんだが。
「分かってるって、姐御」
拳銃をくるくると弄びつつ、『駅馬車』は溜め息を吐き出した。
気に入らなかった。『灯台』はモリガンという女も、彼女の出した指示も気に入らなかった。しかし、『灯台』はモリガンの力を嫌というほど知っている。嫌ってはいても逆らう気にはなれなかったのだ。
「命取りにならなきゃいいけどな」
吐き捨てるように言った『駅馬車』を見ずに、『灯台』は得物を握る手に力を込める。
「こんなところじゃあ死ねないよ」
『灯台』は北国で生まれ、育ち、漁師である男のもとに嫁いだ。彼女はいつも待っていた。夫の船が見えるのを、彼が帰って来るのを心待ちにしていた。決して苦痛ではなく、むしろ幸せであった。
愛した男は凪の日に帰ってこなかった。結ばれてから五年が経った日のことであった。それから女は名を捨てて『灯台』となったのである。男が帰ってこないことを知りつつ、彼を探すのだと嘯いて故郷から離れた。モリガンと出会い、彼女の力を知ったのは、フリーランスになってからすぐのことであった。
――――そうさ。あんな連中に逆らったってどうしようもないじゃないか。
しかし矜持はあった。化け物が相手ならともかく、人間の、それもたった一人の少女に寄ってたかって襲うなど、『灯台』にとっては許せなかったのだ。
「あんな子供を殺せだなんて、あの女もどうかしてるよ、ホント」
「……本当にそう思うのか?」
「どういう意味だい、そりゃ」
舌打ちの次に溜め息が『駅馬車』から漏れ出た。
「ただのガキならとっくのとうにぶち殺せてる。『塹壕』はアレでも、今日集まった中じゃあ出来る方だ。もちろん、あんたよりもな」
叩く。避けられる。
突く。防がれる。
横薙ぎの一閃を得物で受けようとしたが、体が先に反応して、距離を取らせた。額から嫌な汗が伝い流れる。『塹壕』は口元のそれを舌で舐め取り、ようやくになって相手の力量を察した。自分は遊ばれている。まだ殺されていないだけで、命はもう立花真という少女の掌の上なのだ。彼は立花を化け物だと認識した。この場にいないモリガンよりも、今は何よりも彼女が恐ろしい。
「お前、本当はなんだ?」
対する立花はどこまでも涼しげであった。その上、彼女には隙がない。『塹壕』だけでなく、他の四人にも注意を払っている。
「マジで人間なのかよ、お前。本当はガキじゃねえんだろ? なあ?」
「……ボクが」
かちりと、立花が剣の切っ先を水平に向けた。
「ボクが人間じゃないなら、それでもいい。でも、ボクに集るあなたたちは人間ですと、そうボクに証明出来るの?」
すっと、立花の目が細まる。来る。『塹壕』は直感した。ここで引き返すべきだとも思ったが、ここで殺さねばならないとも思った。『灯台』はともかく『駅馬車』も目の前の少女の異常性に気づいているはずだ。連係すればどうにかなる。そう思った。
立花が動くのと同時、発砲音が響いた。彼女が踏み込みを躊躇う。その隙を見逃すわけにはいかなかった。『塹壕』はシャベルを横に、盾にしながら前へと突っ込む。立花は咄嗟に剣を振るっていた。甲高い音が鳴り、剣が弾かれる。彼女は目を見開いた。趨勢を悟ったのかもしれなかった。
「俺ごとでかまわねえ! 撃っちまえ!」
後ろを見ないままで『塹壕』が叫ぶ。彼は反撃を試み、得物の先端を立花の喉元目がけて突こうとした。
「ごっ、おお……!」
『塹壕』の肩を何かが貫いた。構わず、彼は声を荒らげる。次いで、上方から針が降り注いだ。
情報部がモリガンと、彼女が率いるフリーランスを補足したのは数分前のことであった。
「動ける者は銃を持て」
二ノ美屋はそれだけを告げ、自らも技術部から与えられた拳銃に弾丸を装填する。
北駒台店にいる者たちが体勢を整えられたのは『館』のお陰だった。魔女の二人が遅れてきたことと、神野姫の暴走によってモリガンたちの到着が僅かに遅れたのが要因である。彼らは今、何が起こっているのかをまるで理解していない。ただ、敵は確実にやってくる。相手の顔を確認する間もなく、殺すしかなかった。
矢面に立つのは北駒台店の勤務外店員である三名だ。一一、ジェーン=ゴーウェスト、ナナがフリーランスの相手を受け持つことになっている。また、黄衣ナコトや『教会』たちも動くだろう。フリーランスたちの正確な数は伝えられていないが、数の上で有利なことは確実だった。ただし、彼らの後ろには負傷者が、非戦闘員がいる。
「……真正面からぶち当たるしかないからな」
「分かってますよ。いつだってそうなんだ」と、一は皮肉を込めて答えた。だが、彼はすぐに自嘲めいた笑みを失うことになる。
彼女らの到来に気づいた別の者たちの表情が凍り付いた。正面からはモリガンとフリーランスが、上空からはハーピーの群れがやってくるのが見えたのだ。
想像する。
どうなるのかと夢想する。
先は見えない。道は見えない。見るのはいつだって現実と悪夢だけだ。きっと自分は何の意味もなく死んでしまうのだろう。ただ、一人で逝くつもりはなかった。
「俺ごとでかまわねえ! 撃っちまえ!」
想像する。
神野姫は想像する。立花真の死に様を。例えば、彼女が自分の知らないところで無造作に、無意味に骸を晒しているところを。自分はきっと嬉しく思うだろう。同時に苦しくもなるだろう。手を下せなかったという苦痛と、立花真の死に煩悶し、目的を失った自分は遠からず死ぬのだろう。自分以外の誰かに、あるいは何かに立花を殺される。それを許せるか否か。己の手をこれ以上穢さずに済んだと安堵するのか。達成感に満ち満ちて諸手を上げて喜べるのか。
――――間違いなく、この上なく、今、この時がチャンスなんだ。
立花真は化け物だ。
人間が得物を振るっているのではない。彼女自身が一振りの刀であり、刃なのだ。兄が見惚れ、嵌るのも分かる。自分はきっと勝てないだろう。自分一人では及ばないのだろう。本当は、彼女は――――分かり切っていた。姫は何もかもを理解出来るほどには聡かった。兄を失ったという現実を、真実を、認めたくないだけだった。しかし後には引けないのである。失ったものが多過ぎて、この先、それ以上のものを得られるはずがないと悟ったのだ。
道はない。既に終わりが見えている。後悔はない。何せ、なにも持ち合わせていないのだ。他のフリーランスと協力し合い、立花という刀を折る以外に方法はない。
「そうだ。そうするしか……!」
神野姫が中空から右手を下に向ける。爪を弾丸に変え、放てばいい。当たらずとも構わない。自分以外の誰かが立花を仕留めても――――。
「姫っ、駄目だ!」
――――いいはずがない。
「邪魔だあああああああああああ!」
『塹壕』のシャベルが立花に届く。それよりも早く、自分でも気づかぬ内、姫は彼に向けて弾丸を放っていた。一発撃つと歯止めは効かなかった。箍が外れたのだ。雨霰と、両手十指から弾を撃つ。立花は後方へと跳び、その場から逃れた。『塹壕』は彼女を追わず、傷口を庇うようにして少しずつ後ずさりする。
熱がいつまで経っても引かなかった。姫は身震いし、自分が息を止めていたことに気づく。
「っ! ……はっ、はっ、はあ、は……!」
肩で息をしながら、姫は眼下の立花をねめつけた。
「どうして、ボクを」
「た、助けたわけじゃあありませんよ……」
姫はゆっくりと降下し、立花の傍に着地する。魔力を使って失った部位を復元し、からからになった喉を鬱陶しく思う。
「私とあなたの間に、よそ様が入り込むのが嫌なだけです。あなたを殺すのは、絶対に私なんだ。そうでないとダメなんだ。だからっ」
「…………分かった。じゃあ、今だけ」
「ええ。今、この時だけ。邪魔者を退かすまで」
立花が、姫が、同じ方向を見遣る。対峙したフリーランスの三人は、狂的な笑みを浮かべた。
これだから女は嫌なんだ。『駅馬車』はそんなことを考えながら、状況の整理に努める。まず、敵が増えた。『館』の二人が敵に回ったのだ。
「『塹壕』さんよ。具合はどうだ?」
「……動ける。動けるわな、まあ」
爪の弾丸を何発も受けた『塹壕』は息も絶え絶えという有り様である。『灯台』は無傷だが、分は悪くなった。何せ相手も飛び道具を使える。あまつさえ相手は『館』の魔女だ。一筋縄ではいかないだろう。……だが、穴は出来た。立花は手練れだろうが、姫自体は大したことはない。彼女を狙うように動けば、機会は巡るだろう。
「こういうのは好きじゃないんだけどねえ。狙うなら、やっぱあの子だよね」
「おうとも。この期に及んで義理だの情だの、そりゃあ通らねえ」
「まあ、ねえ」
つまらなさそうに言うと、『灯台』は得物を担ぎ直す。
「別に、仲間だって訳じゃないけどね。後ろ足で砂ぁかけられるような真似されちゃあ、やるしかないよ。それに見なよ、あの子の目。怖いね。ああいう風なのは」
「ああ。じゃあ、仕切り直しだ」
乾いた音が鳴り響いた。それは戦いの始まりを告げる音であった。
姫の額へ向かった弾丸だが、それはランダが防ぐ。硬質化したモップが唸りを上げ、次弾を弾いた。彼女は地面に手を付き、立花を見遣った。
「まさか、あんたと手を組むことになるとはね」
「一時的なものです!」
立花の代わりに姫が答える。彼女は牽制として爪の弾丸を数発、撃った。その後を立花が追いかける。『塹壕』は身構えたが、彼の前に『灯台』が割り込んだ。
「さあ、おっぱじめようじゃないか!」
錨が空気を裂き、飲み込みながら立花へ迫る。彼女はそれを受け止めることはせず、身を低くして避け、距離を詰める。横合いから『駅馬車』の銃弾が割り込む。立花は息を呑み、更に深く身を沈ませた。
『駅馬車』の銃弾はランダの呼び出した骨の兵士によって防がれた。立花の代わりにそれを受けた骸骨はばらばらに砕け散る。四つに分かれた胸骨の向こう、立花の剣が閃いた。『灯台』は瞠目しながらも、天性の勘の良さによって難を逃れる。
立花は更に踏み込む。彼女の繰り出す斬撃が『灯台』の瞳に映り込む。錨を闇雲に振るい、彼女は後ろへ下がった。
「威勢がいいのは最初だけですね」
白刃が映すのは『灯台』の姿だけではない。中空にいた姫の姿もまた、同様に映し出す。彼女は急降下し、槌に変化させた腕を力いっぱい振り下ろした。『灯台』は得物を手元に戻し、間一髪で一撃を受け止める。鈍い衝撃が両の腕に伝わり、彼女は顔をしかめた。立花の剣が『灯台』の腹を薙いだのである。
「てめえらっ、そこまでだろう!?」
「私の後ろに!」
立花よりも早く、姫が『駅馬車』に反応した。彼女は両腕を交差させ、盾に変化させる。銃撃は斜めに弾かれ、あらぬ方角へ着弾した。リロードの隙を衝くべく、立花は一も二もなく駆け出す。
「うああああああっ! ああああああああああああああ!」
腹の傷を庇うこともせず、『灯台』が背後から襲い掛かった。だが、彼女の動作は酷く鈍かった。姫でさえ反応出来るほどに遅かった。右腕をワイヤーに変えた姫は、『灯台』の腕にそれを巻きつけ、攻撃の向きを逸らす。錨は地面を強く叩き、穿ち、破片を撒き散らす。彼女は尚も攻撃を続けようとしたが、ランダに強く打たれ、頭からその場に倒れ込んだ。
「あとは……」
「一人っ」
「くああっ、撃ってんだからよう! 当たれってんだ!」
銃口が立花の額に向く。『駅馬車』の指がトリッガーを引く瞬間、体勢が崩れた。思わず、彼は足元に目を遣ってしまう。紐が『駅馬車』の右足を引っ張っていた。姫の仕業であった。彼の目線が左右にぶれる。だが、立花の姿はどこにもなかった。彼女はとうに跳躍し、得物を頭蓋目がけて振り下ろしていたからだ。
血飛沫が高く吹き上がる。戦いはまだ終わっていなかった。振り向いた立花は両腕を向ける姫を認める。知らずの内、二人の少女は口元をつり上げていた。
「がっ、あああ……」
一瞬の静寂の後、立ち上がる者がいた。『塹壕』である。気力を振り絞り、シャベルを振り被っていた。彼はランダの後頭部を狙っている。姫は立花に背を向け、『塹壕』に対して爪の弾丸を放った。十発の内、半分以上が彼の身体に突き刺さるも、攻撃が止まることはない。姫は駆け出しつつ、腕をワイヤーに変化させ、『灯台』にしたのと同じように『塹壕』の腕にそれを巻きつける。
「邪魔、すんじゃねえ」
「先にしたのはそっちでしょう!」
「おおああああああああっ」
「姫っ! 姫!」
止まらなかった。意地というものがあったのだ。『塹壕』にはフリーランスとしての、男としての、人間としての意地があった。彼は傷を負い、新たな痛みを堪えながら己が得物を振り抜いた。
「……は? あ、え……」
神野姫の腹部にシャベルの先端が突き刺さる。ぐっと肉を叩き、貫く。奥へと、内腑を抉りながら突き進む。彼女の両腕が下がり、彼女の両目はただ自らへと入り込んでいくものだけを見つめていた。
「そこから退けってんだよ!」
『塹壕』の頭部がひしゃげた。ランダがモップで叩きつけたのだ。彼は得物から手を離し、ゆっくりと、仰向けになって地面に倒れ込む。起き上がることも、目を開けることも二度とない。そして、それを認める者は誰もいない。
「あ、ああ……」
ランダは姫の腹に刺さったシャベルを引き抜いた。彼女は血と共にか細い悲鳴を上げる。短い呼吸を繰り返し、やがて姫はべっとりと濡れた自らの掌を認めた。
「うそ、みたい」
「嘘さ! そんなものすぐに消えてなくなっちまうから!」
「……ああ、暖かい。魔女の血も、ちゃんと暖かい」
「店に行こう」
ランダが振り向く。彼女は泣いていた。立花は、涙を流すランダにもう一度同じことを告げた。
「店なら、きっとみんな集まってる。どうにかなるよ」
「き、勤務外のところなんか行けないよ」
姫が血を流している。先まで戦っていた敵が死にかけている。見ず知らずの人間が死んだ。殺した。当たり前だ。憎み合えば戦う。戦えば死ぬ。……それでも、立花は苛立ちを収めることが出来なかった。
「だったらあなたが魔法を使えばいい! 治してあげればいいじゃないか! 早く使えよ! 魔女だったら魔法を使えばいいんだ!」
「使えたら……ああ、使えるものなら使ってるに決まってる」
ランダの反応は弱弱しいものだった。彼女は嗚咽を上げ、首を何度も振る。
「あたしには壊すことしか出来ない! 誰かを不幸にするような魔法しか使えないんだよ!」
「ならっ、ここでじっとしてる暇はないじゃないか。このままじゃ、姫ちゃんは死ぬんだぞ!」
ふっと、姫は微笑んだ。顔だけを動かし、じっと立花を見ようとしている。
「そう、ですね。勤務外のところに、行って。治して……助けてもらえば。……ふ、ふふふふふふ。誰が、あなたたちの世話になるものですか」
「言ってる場合じゃないだろ! そんな意地張らないでよ!」
「張ります」
死にかけながらも、姫の瞳から力が失われることはなかった。
「君が死んだらけん君だって悲しむに決まってる! それに、けん君は」
「言うなっ」
立花の言葉をランダが押し留めた。
「言うな! あんたが姫の兄を語るんじゃあない。割り込むな。もう、私と姫の間にも入ってこないでおくれよ。……この子は馬鹿だ。他人を殺して魔女なんかになろうとする大馬鹿だ。私らはいつか裁かれる。人に裁かれてこそ魔女なんだ。でも、この子の最期をあんたが決めるな! 他でもないあんたに哀れまれて助けられたら、この子は……!」
気勢に圧されて立花は息を呑む。姫を店に連れていこうとしても、彼女とランダは抵抗するだろう。第一、北駒台店に人がいるとは限らない。ただ、モリガンたちが向かっていったからそう思っただけなのだ。もぬけの殻になっている可能性も残っていた。時間だけが残されていない。
「……ボクは人だ。だけどボクは君たちを裁けない」
助けてやりたいとは思った。だが、姫は頑なだ。だから、店に向かったモリガンたちを片づけて、医療部を見つけ出してやろうと思った。自分の腕は誰かを看る為にあるのではない。まず、誰かを斬り捨てる為にある。
「どうして、あたしを庇ったんだい」
立花がいなくなった後、ランダは姫に問いかけた。彼女の前髪が目に入らないように、愛しそうに撫でながら。
「……知りません」
言いながら、姫は薄く微笑む。彼女も、ランダも分かっていた。もう、世界には二人しかいないのだと。互いが互いに寄り添うしかないのだと。
「馬鹿だねえ、あんたは」
「知って、います」
ランダは顔を伏せる。姫は、こんな、自分のような女を庇うべきではなかったのだ。とうにこの世に生きる意味を見失い、失ったからこそ魔女として生きている。姫とは似て非なるものなのだ。彼女は死ぬだろう。ここで死ななくても、いつか必ず、自分で死ぬことを選ぶはずだ。復讐者として生きるならそうなってしかるべきなのだ。
どうして、殺さなかったのだろう。
薄れゆく意識の中、自分自身に問いかける。何度も。
自分も、立花も、相手に背中を見せていた。なのに、殺そうとは思わなかった。絶好のチャンスだと考えすらしなかった。
どうして、ランダを庇ったのだろう。
問うまでもなかった。答えなど決まっている。
「……お師匠って、お母さんみたい」
「姫? は、何を言ってんだい、あんたは」
家族を捨てた。何もいらないはずだった。全てを失ってでも、立花真の命さえ取れればいいと思っていた。自分はそれ以外に満たされることはなく、その必要すらないのだと信じていた。目を塞いでいたのだ。満たされてはいけないと、そう思っていたからだ。しかし、違った。既に自分は満たされていたのかもしれない。
「お師匠が、いてくれて……生きてて、よかった」
二人の魔女がいた。
ランダとレヤックという魔女がいた。彼女らには他に信じられる者がいなかった。寄る辺はどこにもなく、自分たち以外のものは敵にしか見えていなかった。人を拒み、人として生きるのを拒んだが、人を恐れてもいた。魔女は人に裁かれることを知っているからだ。それでもなお、魔女は魔女として生きることを選ぶ。
戦いの後か、血の香に誘われたのか、幾つもの影と足音が迫っていた。
「ねえ、お師匠」
「ああ、なんだい」
「……上々だと、思うんです。だって、私みたいなのが死ぬには、ここ、は、暖かいんだもの」
ランダは言いかけた言葉を飲み込み、笑ってみせた。
「死なないよ、姫」
姫はもう何も言わなかった。胸に暖かいものが灯ったのをランダは感じた。
四方からソレが迫っている。それでも、二人は決して自分たち以外のものに気を取られることはない。見つめ合い、微笑み合った。
――――そうだ。
そうだと、ランダは思う。
人はいつか死ぬ。魔女だって死ぬ。そして、死に場所を選べる者は決して多くない。無意味に、無駄に、無為に、ただ、死ぬ。怨嗟の声を上げながら野垂れ死ぬ。
姫はここで死ぬべきではない。彼女にはまだ死んで欲しくない。しかし、当の本人が死を希っている。今にして思えば、姫は死に魅入られていた。恋し、願っていた。だから、彼女を本当の意味で救えることが出来るのは――――。
「姫」
――――こんなところが、あんたの最期でいいのかい?