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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ガーゴイル
29/328

ありがちなお話

 それは誰かの、幼い日の、子供っぽいお話。

 小さな女の子の大きな約束。


「ねえ、お兄ちゃん」

 ん、と少女に呼ばれた少年が振り向いた。

 少女の瞳は青く、少年の瞳は潰れた黒。

「ずっとアタシのおうちにいるの?」

 半分は期待、半分は諦め。

 いや、と少年が返した。

 いや。

 少年は日本人。少女はアメリカ人。

 二人が出会った当初こそ言語の壁はあったが、それでも長い間一緒に住んでいると、双方の言葉が分かるようになるものだ。

 彼は英語を、彼女は日本語を。簡単ではあるが、彼らは互いの言葉を習得し、会話も出来るようになっていた。

「アタシは、お兄ちゃんとずっといっしょにくらしたいな……」

 少女が、抱えている熊のぬいぐるみに顔を埋めながら呟く。

 その声が聞こえているのか、いないのか、少年は黙ったままだ。

「いつか、あっちに帰っちゃうんでしょ?」

 うん、と少年が答える。

「じゃあさ、アタシが大きくなったらむかえに来て」

 少女は少し目線を上げて、少年に答えを求めた。

 どこに、と少年は問いかける。

「アタシ」

 お前をか、と少年が笑った。

「本気なんだから! ね、おねがい、むかえに来て。そしてアタシといっしょに、ずっと、ずうっとくらそ。二人でずっと、うん。ずっと!」

 分かった分かった、と少年が答える。

 あしらう様な、軽い態度だったが、少女にはそれで充分だった。

 それだけで満足だった。

「ホント? ぜったいによ!」

 分かったって、と少年は言う。

 少女は笑った。

 嬉しくて、楽しくて、自分の将来は約束されて、希望に満ちて。



「オンリーワンアメリカ支部からSVスーパーバイザーとして、やって来ました。ジェーン・ゴーウェストでス、ヨロシクね、ボス?」

 少し日本語のアクセントに難はあるが、それでも気にはならない程度には流暢に、歌い上げるように、彼女――ジェーン・ゴーウェスト――が言った。

 頭にぶら下げている、二つのおさげが楽しげに揺れる。金色の髪、蒼い瞳、赤いリボンはアクセントに。カウボーイ風のファッションに身を包んだ、背の低い女の子。

「ああ、よろしく頼む。店長の二ノ美屋だ。そこでアホ面下げて突っ立ってんのは、ウチのレジ打ち係の一だ。後のアルバイトは、あー。さっき見たと思うが、三森って奴と、糸原って入院患者が一人だ」

 店長が椅子に座りながら、権高に喋る。本当に偉そうな、実際「店長」の肩書きがあるのだが。

 とにかく、ジェーンと名乗った少女は、そんな店長の態度を気にもしていなかった。

「ボスなら、それくらいの態度でなくっちゃネ。well、アタシの兄を侮辱するのはやめて」

 それよりも、ジェーンは一を馬鹿にした発言を気にしていた。小さな体で、店長を威圧するような、威嚇するような視線で射抜き続ける。

 が、

「兄? お前の? 何処にいるんだ?」

 ワケが分からん、と付け足して店長は煙草に火を点けた。

 ジェーンは、ハッ、と、その言を鼻で笑い飛ばす。

「見えないの? そこに居るでショ、最高にクールなマイブラザーが」

 と、真っ直ぐ、勢い良く、誇るように、ジェーンの人差し指が一を指で示した。

「人を指差すな」

 指された一は、蚊でも追い払うようなジェスチャー。明らかに不快感と言うか、迷惑そうな物を見る目つきだった。

「……一。お前アメリカ人だったっけ?」

「いえ。れっきとした日本人です。母親は日本人、父親は日本人。正真正銘純血の日系日本人ですよ」

「え? 純潔?」

「言うなよ、馬鹿店長!」

 一が珍しく怒る。

「何だと?」

「いえ……あの、すいません」

 すぐに黙った。

「じゃあ、何故ゴーウェストはお前を兄と呼んでるんだ?」

「アラ、ジェーンで良いわよ、ボス」

 ジェーンの言葉に、そうか、と頷いてから、

「で? 何故ゴーウェストがお前を兄と呼ぶんだ?」

 そう言った。

「Oh、ストーンヘッドね」

「ジェーン。色々と間違ってるってか、残念だ俺は。……んで、こいつが俺を兄と呼ぶ理由ですが、言いませんでしたっけ?」

 一が店長に、「お前ボケてんのかババア」のニュアンスを込め、聞いてみる。

 逡巡。

 思考。

「お前って喪服が好きなんじゃなかったか?」

 回答。

「その通りです。けど、さっきの質問の答えにはなってないですよね? ちなみに俺は年下は恋愛対象として見てないです」

 UFOやUMAを発見した時の、人間の顔と言うのは、こういうものか。

 店長が一を、本当に信じられないようなものを初めて見たという、そんな顔になっていた。

「Why!? じゃあアタシの立場は!? アタシをもてあそんだの!? 」

「何でお前驚いてんの? 俺が聞きたいよ。とにかく、俺は小児性愛者じゃないんで。んで、ですね店長。俺がアメリカに疎開に行ってたって話はしましたよね?」

一が、迫ってくるジェーンを片手で押さえながら話を続ける。

「四、五年前の事、だったかな、あれ? まあ、いいや。とにかく、日本にソレが出たから、俺は集団疎開でアメリカまで行ったんです。その時、俺を受け入れてくれた向こうの家族の子供が、そこにいるジェーンだったんですよ。二年ぐらい住んでたっけな、確か。あんまり覚えてないですけど。俺は当時英会話なんて簡単なモノしか出来ませんでしたし、家事もあまり手伝えませんでしたから、せめて子守ぐらいはと思って、頑張って相手してたんですよ」

 ちら、と一がジェーンを見た。

 ジェーンは目を瞑って、一人で勝手にうなずきを繰り返し、悦に入っていた。

「と言うわけで、俺が面倒見てたから、血も繋がってないのに、ずっとこいつは勝手に俺の事をブラザーブラザー呼んでたんです。分かってもらえました?」

「お前がアメリカに行ったなんて話聞いてないぞ? 勝手に後付の設定を付けるのは止めろ。見苦しい事この上ないな」

 店長が煙を吐きながら、汚いものを見る目つきで一を非難する。

「言いましたよ! しっかり伏線張ってましたって!」

「どうだかな」

「……もう良いです。とにかく、そういう事ですから」

 諦めて、一が呟いた。

「そうか。まあどうでも良い。じゃあ早速なんだが、ゴーウェスト。明日からでもシフトに入ってもらえるか? 本当はもう一人SVが居るんだが、今は謹慎中でな。正直言ってまずい、手が足りないんだ。このままじゃ私も店に出ないといけない状況に陥ってしまう」

 深刻そうな表情を浮かべ、店長が重たげに口を開く。

 一は突っ込みたくて仕方ないという顔をしていたが、

「OK、任せてボス。オヤスイゴヨウよ」

 ジェーンは間を空けずに、軽く返事をした。

「なら、明日の午前中に顔を出してくれ。説明はまたその時する」

「……顔を出す?」

「ああ。会おう、って事だよ」

 一が説明。

 それでもジェーンは得心していない様子で、バックルームから立ち去っていった。

「あ、おい。……じゃ店長、お疲れ様です」

 一がジェーンの後を追うようにバックルームを飛び出る。

「……あ、ああ。お疲れ」

 一歩引いた店長の挨拶、タイムラグに一は疑問を感じたが、もうどうにでもなれと思って、そのまま放置して店内に戻った。



 案の定。お約束。鉄板。

 一が目にしたのは、向かい合う二人。対峙する三森とジェーンだった。カウンターを挟んで、客と店員と言う立場で、彼女らは睨みあっている。

「……あいさつぐらイ、したらどうなの?」

 ペットボトルのミネラルウォーターを握りながら、ジェーンが口を開いた。

「……ありがとざいましたー」

 目も合わせないで、三森が答える。

「バイトのくせに」

「はっ、てめェみたいなガキが社員だったとはな! アメリカは人間が減ったのかよ? ソレにやられ過ぎたか? ざまあみろってンだ」

「この……! サル! サルのくセに!」

「ンだとう! ガキだからって私が手ェ出せないと思うな、もう容赦しねえからな! 泣くまで殴ってやる!」

 三森がカウンターに拳を叩きつけた。

 負けじと、

「ウェスタンは好きかしら!? そんなに叫びたいナら、口を増やしてあげる!」

 ペットボトルをカウンターに叩きつける。

 既に立ち読み客は、と言うか客は店内から姿を消していた。逃げていた。

 修羅場。

 睨み合う二人、燃え上がる闘志、湧き上がる殺意。先に動いた方が、死ぬ。そんな空気を感じ取る両者。目だけで相手を殺せそうなほど、穴が空くほど(・・・・・・)ガンを飛ばし合う。

「止めて下さいよ」

 一が心底呆れ返った様子で、二人に近付いた。

「邪魔すンじゃねえよ!」

「お兄ちゃん! 絶対に止めないでヨ、ブシノニゴンよ!」

 分かった分かったと言いつつ、一がジェーンのおさげを引っ張る。ouch! とか聞こえたが一は無視して、二人の距離を無理矢理空ける事に成功した。

「三森さんも相手にしないでやって下さいよ。この手のは、一回でも構ったら調子に乗っちゃうんですから、オンリーワンの社員とは言いますが、まだまだ子供何ですからこいつ」

 三森は物凄く不満な顔をしていたが、ここで退かなければ、自分も子供だという事実に気付く。少しの間、確保されているジェーンを睨んでいたが、

「……ちっ、おいチビ。ツイてるな、今日は見逃してやンよ」

 一にとっては、意外にも大人しく三森は退いてくれた。

「お兄ちゃんはどっちの味方なの!」

「うん? うーん、俺は中立の立場にいたい」

「お前にはお似合いだよ。っとにフラフラしやがって、とっとと帰れ」

「何で三森さんが怒るんですか?」

「もうイイ! お兄ちゃん、帰ろ!」

 ジェーンが一の手を引っ張る。

「な……! おい、ちょっと待て!」

「え、今度は何ですか?」

「あ?」

 三森が一を睨んだ。

「何で睨むんですか……」

「わりぃ、つい」

「用が無けりゃ帰りますよ。んじゃ、お先に失礼しますね」

「……おう」

 手を振る一に、三森が片手を上げて応じる。

 ジェーンはずっと舌を出して、あかんべえ、のポーズを向けていた。

 扉を開け、一とジェーンが店内から出て行く。

 二人の後姿を見えなくなるまで見届け、三森が制服のポケットから煙草を取り出した。三森は指を擦り合わせ、火を灯し、煙草の先を浸ける。ふう、と一息吐き、

「……何で私だけ……」

 消え入りそうな声で呟いた。

 


 バックルーム。

 防犯カメラで一部始終を盗み見していた店長はぼやく。

「働けよ」



 家路につきながら、一が隣を歩くジェーンに問いかける。

「何でついてくんの?」

「どういう意味?」

「そのまま。このまま行くと、俺んちに着いちゃうんだけど」

「? ノープロブレムじゃない」

 ジェーンが、何で今更そんな事を聞くの、と付け足す。

 頭を掻きながら、困った表情を一が浮かべた。

「……お前、家はどうすんの?」

「HA? お兄ちゃんの所に決まってるじゃナイ」

「へえ、誰が決めたんだろうな。でもな、俺んちは一人用なんだ。お前は入れない」

「No、kidding! 兄妹が一緒に住めないなんテ、そんなの聞いたこと無いわ」

「兄妹ならな。そもそも、お前何やってんだよ? オンリーワンの社員にはなってるし、日本まで来るし、おじさんとおばさんは反対しなかったのか?」

 ぴたり、とジェーンが足を止める。

 仕方なく一もそれに合わせた。

「……忘れちゃったの?」

「何をだよ? っつーか、お前日本語上手くなったな。背は変わってねーけど」

「お兄ちゃんが来ないから……。だから、アタシが来たのに」

「はあ?」

「手紙も、電話も、ニホンにお兄ちゃんが帰っちゃったあと、何もくれなかった」

「あー、そうか。確かにそれは悪いと思ってたよ。二年とはいえ、俺みたいなんを世話してくれたもんな。薄情ってもんか。けど、俺も大学受験とかで忙しかったんだよ」

「ニホン語も、ニホンの事も覚えた。お兄ちゃんはいつまでたってもイエスとノー、ハロー。それしか覚えてくれなかったカラ」

「……ずっと向こうに居るつもりじゃ無かったからな。せいぜい一ヶ月か、長くても半年ぐらいと思ってたし」

 だから。

 だから、と。

 ジェーンが感情を込めて、言葉を区切る。

 冷たい風が二人を通り過ぎていった。既に日は落ちかけ、辺りは暗くなり始めている。

 ジェーンが顔を伏せた。

「話したいなら、アタシが言葉を覚えるしかなかった。会いたいなら、アタシがニホンに来るしかなかった! なのに! 約束してたのに!」

「約束? さっきも何か言ってたよな。あのさ、俺、帰ってくる前に何か言ってたか?」

 伏せた顔を上げないまま、ジェーンは口を閉ざす。

「……悪い。覚えてない。あー、とにかくさ、しょうがねぇ、住むトコもまだ決まってないんなら、今日は俺んち泊めてやるからさ。今は」

 今は、糸原さんもいないし。

 と、言おうとしたところで一は思いとどまった。

「……今は?」

 ジト目でジェーンが一を見る。

「ノー。なんでもない。とにかく、座って話そう。お前も疲れてんだろ?」

 OK、と短く返し、ジェーンが一の隣に並んだ。

「よしよし、んじゃ行くか」


 ――後ろめたかったのかな。


 何故、糸原の事を伝えなかったのだろう。

 何故、手紙の一枚も書いてやれなかったのだろう。

 何故、電話の一本もかけてやれなかったのだろう。

 何故、何故。

 一の頭の中を、ぐるぐると思いが駆け巡る。



「ん?」

 少年が振り向く。

 振り向くと、あどけない顔つきをした少女がそこにいる。

 知っていた。

 蒼い瞳。透き通っていて、無垢で、純真で、幼くて。

 自分の汚い目とは大違いだ、と少年は思う。

 ずっとアタシのおうちにいるの、と、少女に問いかけられた。

 ずっと。

「いや、俺は日本に帰るよ」

 だって。

 小さな声が少年の耳に入る。

 少女が、抱えている熊のぬいぐるみに顔をうずめながら、何かを呟いていた。何を言っているのか、はっきりしなかったので少年は答えられない。

 いつか、あっちに帰っちゃうんでしょ、と少女が上目遣いで尋ねてくる。

「……うん」

 じゃあさ、アタシが大きくなったらむかえに来て、と少女が言った。

 少女は少し目線を上げて、少年に答えを求めた。

 苦笑しながら、

「どこに?」

 と、少年が聞き返す。

 アタシ、と顔を真赤にさせて少女が言った。

「え? ははっ、お前をか?」

 真赤にさせた顔を、更に紅潮させ、少女が何事かを喚く。早口で捲くし立てられ、何を言われているのか少年には聞き取れなかったが、怒っているのだろうな、と決め付けた。

「分かった分かった」

 子供の言う事だ。少年は軽くあしらう。

 ぜったいによ、と少女が念を押した。

「分かった、オッケー」

 少女は笑った。

 嬉しくて、楽しくて、自分の将来は約束されて、希望に満ちて。



 それは少年の、少し幼かった頃の、まだ楽しかった時分のお話。

 小さな男の、小さな約束。

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