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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ペレアス
285/328

sprinter

 かかずらうつもりも時間もない。自分たちの目的、標的は眼前の騎士ではなく魔女なのだ。

 一は騎士の双剣を受け止め、シルフの名を叫んだ。彼の意を得た精霊は風を使ってソレの背後を取る。畳んだアイギスで背を叩くと、大柄な騎士はたたらを踏んだ。尚も一は止まらない。余った風を利用し、中空で回転しつつ、アイギスを横薙ぎに振るう。それは剣で受け止められたものの、彼の勢いを殺し切ることは出来なかった。

「こっちも来るぞ」

「ええ、よろしくってよ」

 アイネがレイピアを突き出した。彼女の剣を受けたのは、鎧の上からマントを纏った騎士である。ソレは西洋剣でレイピアの切っ先を弾くと、マントを翻しながら得物で空を切り裂いた。寸前のところで躱し、彼女が反撃に転じる。鎧の隙間を射抜くような、精密な突きだ。

「……! お強い!」

 騎士がアイネの突きを剣の腹で防ぎ、籠手を使った裏拳を放った。彼女は身を低くし、小さくステップを踏んで後ろに下がる。

 一が橋の中央付近で、彼の右方でアイネが、

「ちったあ何か喋ったらどうなんだよ!」

 逆側では、山田が残った騎士と戦っている。彼女は武器を持っていないが、打ち込まれる剣を叩き壊す勢いで拳を繰り出していた。常人なら身が竦み、凍り付いてしまうようなソレの攻撃をぎりぎりで避け、得物の腹を狙ってパンチを放つ。が、ソレもまた剣が破壊されるのを嫌がって彼女から距離を取っていた。



 ヴィヴィアンはナコトをあしらいつつ、橋での戦いを見下ろしていた。愉しい気持ちで胸がいっぱいになっていた。湖の乙女たる自分を愛し、自分に愛され、自分を憎んだモノたちが、自分の為に戦ってくれている。その事実がどうしようもなく嬉しかったのだ。

 一と戦っている双剣の使い手はベイリンという円卓の騎士である。生前、彼は蛮人と呼ばれ、湖の乙女を殺し、王の逆鱗に触れたことで悲惨な最期を迎えた。

 アイネと対峙しているのは、湖の乙女の寵愛を受けた騎士ランスロットである。剣の腕前だけでなく、槍や馬術でも彼の右に出る者はおらず、騎士道を貫く心も持ち合わせ最高の騎士と称された。

 そして、山田と戦っているのは湖の乙女の夫であるペレアスだ。彼はヴィヴィアンに愛され、危険な目に遭わないようにと魔法をかけられた。円卓の騎士、最強とも謳われたランスロットとは戦えない魔法である。だが、ペレアスは決して弱くはない。かのガウェイン卿をも凌ぐ腕前の持ち主である。

 三人の騎士を侍らしていることに、ヴィヴィアンは絶頂に達しそうな思いであった。自分で呼び出し、自分で命じているにも関わらず、だ。

 有能であり、勇猛な騎士であった彼らには意志がない。主に従うのは忠義があるからではなく、他に何も持たないからだ。



 間違いなく、強い。

 一は過去にも剣を扱う者と戦ったことがある。シグルズとジークフリートの混ざりものであったり、マルスの部下たちだ。が、目の前の騎士は質が違う。確かに力は強いが、それに頼り、押し切るようなことはしない。彼には高い技術が備わっていた。素人の自分では到底立ち入られない領域に進んだ者が相手だと認識する。

「だからどうしたってんだよな!」

 最初から知っている。この街でソレと相対するモノの中で、自らが一番劣っていることを。

 ベイリンが右の剣を振り下ろす。一が盾で受け止め、前に出た。騎士は左の剣を彼の足元めがけて突き出す。シルフがソレの狙いを看破し距離を取る。……攻め切れない。そも攻められない。迂闊に仕掛ければ防がれカウンターの一撃を食らうだろう。かと言って縮こまれば一気呵成に押し切られる。

「……どうするよ?」

「今日何回お前に聞かれたかな。どうするって。大概どうしようもねえんだよな、そういう時って」

 一は呼吸を整えようとした。そこを狙い、ベイリンが距離を詰める。彼らは慌てて上方へと逃れた。そして見た。先まで動かなかったはずのソレどもが、後方にいるチアキたちめがけて飛び出したのである。コヨーテも『教会』もいるが、彼らだけでは守り切れないだろう。

 まずい。そう思うのだが動くに動けない。隙を見せれば真っ二つにされてしまう。一は咄嗟に山田とアイネに視線を遣ったが、彼女らもまた苦戦を強いられていた。彼は知らないが、剣技だけで言えばランスロットとペレアスはベイリンよりも卓越したものを持っていたのである。

「退くしかねえか……?」


「戦いなさい!」


 先頭をひた走っていた怪物が宙を舞う。自身よりも小さなモノに衝突し、勢いで負けたのだ。

 一は我が目を疑った。怪物を打倒し、チアキたちを守ろうとして立っていたのは白い甲冑を着た女である。彼は一目で分かった。女神が降りたのだと。目が合うと、彼女は告げた。

 女神の眼前には新たなソレが迫っている。

「人間よ、あなたたちは戦いなさい! 決して退いてはならない! ここが誰の街で、誰の世なのか知らしめる為に!」

 ぬっと、二つの影が現れた。その影は大口を開けたソレの顎を殴りつけ、天高くに巨体を吹き飛ばす。一の全身に怖気が走り、彼の中にいるメドゥーサがぶるりと震えた。ステンノとエウリュアレである。二人の姿を認めて、一は目を見開いた。

「な、なんでいるんだ……? なんで、あいつらが」

「我はオリュンポス十二神が一柱、アテナ! ……都市を守護し、あなたたちを守るえらーい神様よ。だから恐れないで前へ! こちらには勝利の女神もついています。魔女に怯える必要はないわ」

 アテナの傍には少女が、ニケがいた。彼女はきょろきょろと周囲を見回し、一の姿を見つけると、安心したかのような笑みを浮かべた。

「そういうこった。坊主、ちょっとの間だけ俺に任せときな。あの女神様が、お前に言いたいことがあるんだとよ」

「あなたまで、どういう風の吹き回しですか?」

 タラリアを使い、一の隣に降り立った北が苦笑する。

「俺ぁ関係ねえよ。やりたいようにやってるだけだからな。自分の住んでるところがやべえ。ここに住んでるやつらがやべえってんなら、なんとかする為に戦うだけだ」

「……信じますよ、あなたは」

「おう。あの、けったいな連中を抑えてりゃいいんだな?」

 北は手に槍を携えていた。技術部が開発し、戦闘部や勤務外に用意されているものであった。

「お願いします」と頭を下げ、一はアテナのもとへ飛ぶ。彼女は、彼の存在に気が付いていたのだろう。まるで、母親が子に向けるような慈愛に満ちた笑みを浮かべた。



 ソレが鳴く。剣が軋む。戦いの音が響いている。

 その音の中で、一はアテナと向かい合っていた。

「……変わったわね、あなた。いいえ、戻ったとでもいうのかしら」

「あんたのお陰だって言うつもりはねえよ。あんたのせいだ、とは言いたいけどな」

「お好きに」

 アテナは盾を持つ腕を下げ、一の言葉を待つ。

「だらだらやってる時間はなさそうだから、一つだけ聞くよ。なあ、なんで、ここに来たんだ? あんたの目的はもう済んだろ。アレスは死んだ。俺たちに構うこともないはずだ」

「あなた、強い憎しみを心に飼っているわね。しかもそれを自由にさせようとしている」

 一は顔をしかめた。そんな言葉を聞きたかったわけではなく、言い当てられたことが不快だった。

「私は以前、言ったわね。あなたは空っぽだと。あなたは、あなた自身が覚えていないところでアレスと出会ったのだと。覚えていないのは当然よ。……魔法が掛けられているんだもの。記憶を弄られているわ。誰かさんにとって都合のいいように。人の記憶なんて元から継ぎ接ぎにされているようなもの。それを更に、無茶苦茶にされているのよ」

 心当たりはあった。誰がやったのかも分かっていた。一はこの戦場のどこかにいるヴィヴィアンを思う。

「魔法が解けた時、耐え難い痛みがあなたを襲うかもしれないわ。今までが空だった分、空いた場所をめがけて嫌なことも、苦しいことも、何もかもを思い出すでしょうね」

「俺が誰かの掌の上で踊ってんのは分かってる。でも、俺がどういう風に踊るのかはそいつにだって分からねえはずだ。第一、そんなことはどうでもいい。俺は俺のやりたいようにやるだけなんだよ」

「そうね。あなたは、そうするんでしょうね。でも、私が言ったことは覚えていてちょうだい」

 アテナは一を見つめる。彼は目を逸らさない。だから、彼女は笑った。

「確かにあのバカは殺したわ。けど、私がアテナである以上、終わらないことはあるの。私が私である為に。私は、あなたたちを守るわ。借りを返すなんて思って欲しくない。ねえ、一。あまり神様を舐めないでちょうだい」

「そっちこそ人間を舐めんじゃねえぞ。恨みつらみが溜まってんだ。あいつら片づけたら覚悟しといてくれよな」

「ふふふ、覚悟、ね」

 ぬっと、一の左右に二つの影が立つ。絡みつく視線を受け、彼は背に冷や汗をかいた。

「お久しぶりね」

「お久しぶりね」

「あの子は元気?」

「あなたは元気?」

 一は双子から距離を取ろうとするが、彼女たちは離れようとせず、足音を立てずに追ってくる。

「私たち」

「あなたのことを恨んでいたし」

「憎んでいたけど」

「今はとってもどうでもいいの」

「それよりあの子と」

「仲良くしてね」

 左右交互に耳元で囁かれ、一の脳髄が痺れて蕩けかかる。

「そ、そう、です、か? ……な、なあっ。この人たち、大丈夫なの!? 大丈夫なんだよな!?」

「さあ、どうかしら?」

 アテナは盾を構え、突進してきた巨人と真っ向からぶつかり合い、弾き返した。宙を舞うソレを認めた一は、ステンノとエウリュアレに先導され、騎士たちとの戦いに戻った。



 ベイリンが剣を構える。だが、走り寄ったステンノの膂力の前では、騎士の剣も鉄屑同然であった。強かな衝撃を受け、さらさらと、春を迎えた雪のように刃が溶ける。舞い散る破片の中に、双剣の騎士だったモノは立ち尽くす。

「さようなら、騎士様」

 兜が微塵に砕けた。中身が弾け飛ぶ。そのはずだった。ステンノよりも後ろにいた一は、黒い霧のようなものを認める。それこそが彼らの中身であった。

「七面倒くせえ!」

 一は直感する。恐らく、騎士たちは死なないのだ。彼らはヴィヴィアンの魔力によって動いているに過ぎない。まるで意志のない人形である。いつまでも相手をしていては、自分たちが消耗するだけだ。

「そいつは二人で頼むっ」

 ステンノとエウリュアレにベイリンを任せると、一は前方の戦いを見た。北とアイネがランスロットを抑え、山田が一人きりでペレアスと剣を交えている。迷わず、一は彼女の元へ向かった。

 一の接近に気づき、山田が口の端をつり上げる。フェイントを交えて左の拳を素早く突き出すと、ペレアスが僅かに反応した。

「……見えてんのか、てめえ?」

 口を利かない騎士に山田は苛立つ。一が降り立ち、ペレアスの剣を受け止めた。彼女は回り込み、背を向けている鎧に蹴りを放つ。手応えがない。音が悪い。

「一、こいつは」

「人形なんです。鎧だけが動いてる。相手したって時間の無駄ですよ」

「んなこと言われても、近づいてくんだから相手するしかねえだろう!」

 ヴィヴィアンを捉えられるのは自分とナコトだけだ。一はそう判断し、中空で飛び回る彼女を見つめる。

「まだ持ちますか栞さん」剣を受け止める。一は力を籠め、ペレアスを後方へと退かせた。

 山田は額の汗を手の甲で拭い、強気な笑みを浮かべる。

「オレに言うこと聞かせられんのは、オレとお前だけだ。持たせろってんなら、どうやったって持たせてやるさ。……あの魔女をやるんだな?」

「ええ、必ず」

「行け。オレたちが援護する」

 頷き、一はシルフに頼んで宙へ舞い上がった。



 どうやら騎士たちの仕組みに気づかれたらしい。ヴィヴィアンは一に向けて槍を放つが、横合いから接近するナコトに阻止された。

「横槍ねふふふ面白いわ黄衣ナコトあなたはいつまで壊れずにいられるのかしら」

 バイアクヘーの背に立つナコトは、ヴィヴィアンをしっかとねめつける。

「何を言いますか。あたしの何もかもは、とうにあなたに壊されているんですよ」

「そうなの」と、不思議そうに。本当に、何も分かっていない様子でヴィヴィアンが小首を傾げた。

 ナコトは呆けた顔をした後、嗜虐的な笑みを見せた。ヴィヴィアンも応じ、理解する。その顔は、何かを諦めた者が浮かべる笑みだ。

 魔導書が光を帯びる。頁の奥から魔力を感じ、そよそよとした風が吹く。下方からシルフに抱かれた一が接近していた。ナコトが召喚の呪文を紡ぎ、旧支配者の力が放出される。ヴィヴィアンは一を認め、彼と自分の位置を瞬間的に入れ替えた。何が起こったのか把握出来ていない一は、ハスターの風に巻かれて川へと真っ逆さまに落ちていく。

「仲間割れかしらそれとも痴話喧嘩かしら」

「そうやって! 人の神経を逆なでに!」

 ナコトはヴィヴィアンを無視して一の救出に向かおうとする。無視されるのは寂しくて、彼女はバイアクヘーを狙って光の礫を放った。振り向いたナコトが鎖での対処を試みるも、光はそれを通り抜けていく。

「またね」

 手を振るヴィヴィアンに対して目を逸らさず、しかしナコトは衝撃を受けてバイアクヘーから弾き飛ばされた。墜落した主を救うべく、有翼の魔物が真冬の川に飛び込む。

 ヴィヴィアンは掌に懐中時計を生み出し、動き続ける針を見て、溜め息を吐き出した。

「……もう終わりなのね」

 楽しかった。だが、それだけだ。このままでは望みが叶わない。ヴィヴィアンは誰にも邪魔されることなく、橋の袂にゆっくりとした動作で降り立った。向こう側では女神の加護を受けた者たちが戦っている。騎士を抜け、自分を目指そうとしている。


 ――――叶うなら。叶うのなら、人間に。


 ……諦めきれなかった。だから魔女は、最後に人間のように振舞おうと決めた。



 川から上がった一とナコトは、楯列の車に積んであった毛布に包まり寒さに震えていた。コートを脱いでいた彼は何度も手を開閉させる。感覚が麻痺していた。アイギスをまともに握れず、歯痒そうな様子である。

「冷たい?」

「寒い?」

「だったら人肌で」

「温めてあげましょう」

 ステンノとエウリュアレの姉妹が一の傍に寄った。彼は面倒くさそうに手を振る。

「ひ、人じゃねえだろ。……どうせなら黄衣を温めてやってくれ」

「あ、あああたしは結構です。そんなことより、あの鎧の騎士を止めておいてください」

 橋の中央付近では、ベイリンたち三人の騎士が北たちと交戦していた。ソレの鎧や兜の隙間からは黒い靄が立ち上っている。可視となった魔力の残滓であった。

 一は見た。ソレの群れと三人の騎士を抜けた先で、魔女が待っているのを。……待っているのだ。自分たちを、人間たちを。

「一。あの騎士たち、覚えがあるわ。恐らく、双剣の使い手はベイリンという騎士ね」

「ベイリン?」

「円卓の騎士の一人だよ、一君。だったら、残りの二人もそうなんだろうね。ガウェインか、あるいはガラハッドか」

 車から降りていた楯列を見遣り、一は顔をしかめた。

「出るなって言ったろうが。……『円卓』か。まあ、だろうな。名前が知れるってのは有り難いけどよ」

「だとするなら、ガウェインでもガラハッドでもないでしょうね。湖の魔女の趣向、嗜好から考えて、自分に近しい者を使っているはずです」

 ナコトは立ち上がり、毛布をその場に置く。

「湖の騎士ランスロット、そして、湖の乙女の夫であるペレアスといったところでしょう。中身が空の絡繰りだとしても、手強い相手です。かの名剣アロンダイトの使い手でもあります。最も警戒すべき騎士でしょう」

「いいえ、違うわ。だって相手はたかが人間じゃない。だったら重要なのはそいつが持つ武器なのよ」

 口出ししてきたアテナに顔を向け、ナコトは肩を竦めた。

「さすが、神様ですね。言うことが一味違います。それで? すごく偉い神さまはこの状況は打破する手立てが思いついているのでしょうね。ああ、すごいすごい」

「お前は全方位に喧嘩を売るよな。寒心するわ。でも、何か手はないのかよ。なんならあんた一人で突っ込んでもどうにかなりそうなんだけど?」

「人間の問題は人間で何とかしなさい。ただ、手はあるわ」

 アテナは魔女のいる方を指差した。

「戦って、打ち倒して、殺して、勝ちなさい」

「軍神と言うことが変わらねえなあ」

 だが、つまるところそれなのだ。最初から最後まで、自分たちのやることは変わらないのだろう。一は覚悟を決めた。ここにいる皆にも決めてもらおうと思った。

 上方を見る。剣。槍。槌。刀。棍。棒。戦斧。矛……。きりのない数の武器が中空に停滞していた。ヴィヴィアンが生み出したものである。空から行けば打たれ、貫かれ、切り刻まれるだろう。彼女はそれを望んでいる。


 ――――いや、違うのか。あの魔女は。


 真っ向から来いと言うのか。一は身震いし、その場に立ち尽くす。冷えた体に熱が宿る。気づけば、全員が彼に視線を送っていた。

 罠かもしれなかった。気まぐれな魔女はすぐにでも掌を返してしまうのかもしれない。

「みんなで行けば、少しは怖くなくなるかもしれない」

 一は言葉に詰まった。魔女との戦いの口火を切ったのは自分だ。付き合わせているに過ぎない。各々に目的はあるのだろう。理由もあるのだろう。それでも、自らのエゴイズムに巻き込むのは躊躇われる。

 躊躇いはする。悔やみもする。しかしもう止まれないところまで来ている。

「行こう。皆で。これを逃したら、時間もチャンスもなくなっちまう」

 全員が頷いた。一は謝らなかった。感謝もしなかった。



 バイアクヘーが地を舐めるように飛んでいく。有翼の魔物は主を背に乗せておらず、山田の傍に降り立った。彼女はペレアスを殴り飛ばし、バイアクヘーと、後方にいる一たちを見遣る。

「退けってのか!? オレに!」

「……っ、乗りなさい『神社』!」

 ランスロットと対峙していたアイネも、やってきたシルフに抱きすくめられていた。彼女は浮遊感を覚え、思わず目を瞑る。

「心配すんなって。今日の風は、オマエらに味方してる」

「心強いお言葉ですわね」

 ただ逃げ、引くだけではないことを悟ったのだろう。山田がバイアクヘーの背に飛び乗った。二人が離脱したのを見計らい、北がベイリンたち三人の騎士から距離を取る。オリジナルを旅に返し、レプリカのタラリアを使ってはいるが、それでも騎士は彼に追いつけなかった。

 前方には敵しかいない。ソレと、騎士と、魔女だ。ナコトは魔導書を強くかき抱く。想い、念じ、願う。『黄衣の王』が雄叫びを放ち、旧支配者が力の一部を顕現させた。彼女は何度も呟く。呪文を紡ぎ、目を凝らす。大気が騒めき、橋が軋んだ。騎士が地を蹴る。ソレが涎を垂らしながら走り寄ってくる。

「――――――ッッ!」

 だが、歌う犬とセイレーンの声が化生の時間を止めた。コヨーテの吼え声に合わせてチアキが歌声を届ける。魔力の乗った声により、ソレはその場に縫い止められた。

 どけ。ナコトは歯を食い縛った。心が折れそうになる。魔導書を利用し、魔術を行使するという行為は深い闇を覗き込むようなものだ。そしてまた、深淵へ招こうとして闇もこちらを覗き込んでいる。

「いあいあ……っ!」

 蝕まれた片目に用はない。ナコトの眼帯が外れ、眼球を失い、虚ろだった眼窩から血が噴き出した。その瞬間、今までにない力の奔流が爆発する。音と圧によって、彼女の周囲にいた者たちも、彼女自身も巻き込まれ、吹き飛びそうになった。なけなしの魔力を注ぎ、風の力をコントロールする。

「無理しなくていいからな」

 ナコトの前に一が立つ。彼は盾を構え、少しでも風圧を和らげようと考えたのだ。彼女は安らぎを覚えた。折れ、砕かれ、飲み込まれそうだった心が安定するのを感じる。

「……嘘吐き」



 旧支配者が世界を舐め尽くす。怪物どもは凄まじい風圧に橋から突き落とされ、あるいは風そのものに切り刻まれ、体中の骨を粉々にされながら吹き飛んでいく。ナコトが制御し切れなかったことで行き先は出鱈目だったが、彼女らの前方にいたソレは一掃された。

「すてき」

 ヴィヴィアンは頬を朱に染め、ぶるりと震える。熱を帯びた箇所に手を当て、艶っぽい息を吐き出した。眼前に広がるのは砂と煙だけだ。何も見えず、何も聞こえない。だが、感じる。もうすぐそこにまで人間たちが迫っている。彼女は、木端微塵に砕けたであろう騎士たちをもう一度呼び戻した。



 見えない。聞こえない。ただ、足を止めることは出来ない。

「……なんか来るぞ」

 風の精霊が呟く。背が粟立つ。寒気と怖気に突き動かされ、一はアイギスを構えた。広げた盾に何かがぶつかる。剣ではない。一点を打ち貫くような感触だった。

「受けては駄目よ。傷をつけられても駄目よ」

 横に押し退けられる。僅かに煙が晴れると、女神アテナが何かを受け止めているのが見えた。彼女の盾を押しているのは漆黒色の槍である。

 その槍こそが、アテナが最も警戒していたものであった。彼女は誉れ高い湖の騎士でも、魔女の愛する夫でもなく、蛮人ベイリンを危険視している。その理由が、彼の持つ槍だ。その名をロンギヌスという。


 ロンギヌスとは、イエス・キリストの死を確認すべく、ローマ兵が彼の脇腹を刺したことで有名な槍である。ロンギヌスとは、元から槍に名付けられたものではなく、一兵卒の名であった。

 ロンギヌスは白内障だったが、イエスの血を目に浴びたことによって視力を取り戻した。彼は後に洗礼を受け、聖者と呼ばれた。彼が用いた槍もまた、聖槍となった。

 聖なる槍は聖なる者にしか扱えない。だが、円卓の騎士であり、英雄でもあったベイリンはとある事情からこの槍を使ってしまった。彼には力こそあったが資格はなかったのである。聖槍は魔に堕ちた。魔槍と化したロンギヌスは周囲一帯の土地を破壊し、荒廃し尽くした。嘆きの一撃である。この槍に傷をつけられれば、小さなかすり傷と言えども決して癒えることのない致命傷と成り代わる。


呪いの武器(カースドウェポン)を受ければ、自らの運命ごと傷つけられるわ。何をしているの、進みなさい! これは私が引き受けたのよ!」

 アテナの声を背にし、一は再び地を蹴った。彼の真上に影が落ちる。旧支配者の風から逃れていた、巨大な鳥が迫っていた。シルフが叫び、一が腕に力を込める。

「あなたは前へ」

「そのまま進んで」

 甲高い獣の声が木霊した。飛翔の名を冠するエウリュアレが鳥を地面に叩き付ける。バウンドしたソレがステンノに殴りつけられ、魔女の頭上を過ぎ去った。

 魔女によって呼び戻された怪物たちが大口を開けて牙を剥く。だが、この世に現れたモノから順にゴルゴン姉妹によって屠られた。

 鈍い音を聞きながら一が突き進む。煙の中で影が揺らめいた。翻る外套と共に湖の騎士が現れた。突き出すような剣は、空を翔けた北が弾き返す。英雄と最強の騎士が切っ先を揺らしながら睨み合う。

「坊主、行け! こいつは」

 ランスロットが前へと踏み出した。反応した北が槍で払おうとするも、騎士は鎧や兜を着ているにも関わらず、高く跳躍する。彼らはあくまで絡繰りなのだ。理も何も関係なく戦える。

 だが、ここには怒れる者がいた。聖遺物を魔に堕とし、貶めた者を許せぬ聖者が。

 茨の鞭がランスロットの右腕に絡みつく。剣を振るえず、騎士はその場に着地した。

「マンディリオンは効きそうにないですね」

「結構。だったら壊すまでよ。徹底的にね」

 ランスロットが鞭から逃れようとするも、それを用いる灯が許さない。彼女は許さない。聖もまた許さない。

「恨むのならあなたのお仲間を恨むのね。英国(ブリテン)の狗風情が聖遺物を穢したことを、あの世で、永遠に」

 聖釘がランスロットの鎧の隙間に突き刺さる。黒い靄が飛び出し、ソレは痛みを感じているかのように顎を上げ、呻いた。北は槍の切っ先を向けたまま、ランスロットから目を逸らさず言った。

「……こいつは、まあ、俺と嬢ちゃんたちで何とかするからよ」

「お願いしますっ。あんたらも頼んだぜ聖、灯!」

 聖は嫌そうに一を見る。

「あんたの為じゃないわよ! 勘違いしたらごめんだからね!」

「行ってください! 魔女を!」

 頷き、一は前のめりになって走り出す。……残っているのはペレアスだけだ。最後の騎士を抜ければ魔女に手が届く。一は歯を強く噛み合わせ、力を振り絞る。

 だが、そこかしこから気配が漂っていた。獲物に飛びつこうとして、機会を窺う獣の臭いだ。足元から脳天にかけて氷が刺し込まれる。そのようなことを錯覚し、一はその場から飛び退いた。瞬間、一メートルにも満たない小人が針のような得物を突き出す。

「止まるなと! 皆が言っておろうが!」

 短刀が閃く。一らに追いついた槐が、小人の喉を掻き切った。ソレは仰向けになりながら、砂煙の中に鮮血をまき散らす。ぎいと呻き、頭蓋を地面にぶつけた。

「殺すなって言ったろ!?」

「言うとる場合か。ほれ、わしのことは気にせず走れ」

 槐は跳ねるようにして右方へ駆ける。瞬く間に刃が振るわれ、断末魔の雄叫びと血煙が上がった。

「わしのことを真に思ってくれるなら、ぬしにはやることがあるはずじゃ!」

 彼女の思いを一よりも先にシルフが汲む。風を使い、彼を無理やりに前へと動かす。

「考えるな! また別のが来るんだから!」

「分かってる! はずなんだ!」

 一の右足が地面を捉えた。彼は自分の脚で、自らの意志で前へと進む。そして、一の前に最後の騎士が立ちはだかった。ペレアスは何の気負いもなく、前触れもなく、剣を繰り出す。速く、鋭い突きだ。一はそれをアイギスで受け止めるも違和感を覚える。先までとは違うのだ。ペレアスの力が強くなっている。


 ――――こいつが魔女の夫だったか? だったら、そうかよ!


 間違いなく強化されているのだ。一は両足で踏ん張り、騎士を押し返そうとする。だが、敵わなかった。突き崩されてたたらを踏む。両腕が上がり、無防備な胴目がけて斬り払われる。何の感動もなく、何も思わず断ち割られる。

 そのはずだった。一の前に、楯列衛が立たなければ。彼はペレアスの剣を自らの体で受け止めたのだ。楯列は袈裟懸けに斬られ、ブランド物のシャツごと皮と肉が裂かれる。覗いた傷口からはふつふつと、鮮やかな紅色の玉が浮き上がり、ぱっと舞った。

「……ああ、ようやく、君の役に……」

「たて…………この、木偶人形がよォ!」

 一はアイギスを畳み、追撃の体勢に移ろうとしていたペレアスの兜に叩き付ける。鎧に組み付き、押し倒した。柄を短く持ち、石突きの部分で強く打つ。ソレの兜にひびが入り、やがて割れた。

「ニンゲン、そっから退けってやばい!」

 ペレアスの鎧の隙間から黒い霧が立ち上る。ぎちりと嫌な音が鳴り、霧は一の首に巻きつこうとした。彼はシルフの声によってそこから離れる。

「くそっ、馬鹿野郎! 楯列! 楯列無事だよな!? ちゃんと生きてろよ!」

「なんだい、それは。でも、君が、そう言うなら」

 楯列には幼少の頃から座敷童子の加護がついている。……運がいい。幸運とはある種、魔法のようなものであり、不老不死と言った類に近い。致命傷を避け、不運を回避し、重い病にもかからない。だが、運も有限ではない。たとえば、楯列の傍にいる槐も、今となっては座敷童子としての格が落ち、彼女の齎す幸運や加護も弱まっている。だから、楯列衛が助かるかどうかは半々といったところだった。即死はしないが、処置が遅れれば確実に死に至る。他ならぬ彼自身が、その事実をよく知っていた。楯列はただ一度きりの盾となったのである。

「……使いどころは、ここでいいはずなんだ」

 剣は内臓にまで達していたらしい。息が苦しくて、痛みが耐えられなくて、楯列は涙を流す。背中が酷く冷たかった。

 辛そうにしている彼を認め、一の全身が熱くなる。血が沸き立つような思いだった。

「シルフっ、風だ。霧を吹き飛ばせ」

「出来るか知らないぞ!」

 シルフの起こした風は霧を巻き込むも、完全には消失出来なかった。残った霧、ヴィヴィアンの魔力はペレアスの鎧に還り、絡繰りの騎士を再び動かす。一の喉から悲鳴のような声が迸った。



 声が聞こえる。悲鳴が。叫びが。ヴィヴィアンは、徐々に晴れていく砂煙を嬉しそうに見つめていた。

「楽しみね」

 ヴィヴィアンには分かっていた。ここへ辿り着くのは一一か黄衣ナコトだろう、と。から対応が遅れた。彼女は戸惑い、迷った。

 愛した者が砂煙の向こうから放物線を描いた。ペレアスの兜だ。ヴィヴィアンが愛し、生涯を共にいることを誓い合った男の、首が。

 ペレアスは死んだ。とうに死んだのだ。肉体はない。彼の最期は安らかであり、穏やかな顔を浮かべて逝った。ヴィヴィアンは確かにペレアスを見送ったのである。

 だが、ヴィヴィアンが想像していたよりも彼の『死』は衝撃的なものであった。そして何よりも、

「ほう、近くで見れば普通じゃないか」

「誰? あなたは誰なの?」

 口の端をつり上げ、獣のような速度で走る女の正体が分からず、困惑した。魔力を練り上げることを忘れた。



 早田早紀は人間である。狼の血もセイレーンの血も混じっていない。正真正銘、ただの人間である。

 ただ、早田は他者よりも肉体的に、圧倒的に優れていた。両親がアスリートだった訳ではない。神から贈られた天賦の才であった。

 自身の能力に、あるいは異常性に、早田は小学生の時分から気づいていた。そのことを有り難く思った。持って生まれたしなやかな筋肉は年を経るごとに鍛えられる。より速く。より強く。より、高みへ。

 足の速さ。球技の巧みさ。一秒を縮めることに全てを見出すような世界。そこに身を置いた早田には友人が出来なかった。中学に上がってからは興味すら持てなかったのだ。思い上がり、他者を見下した。それでいいと思った。拒絶されるのが怖かったからだ。だから身体を鍛え、練り上げる。それだけでいいと、早田早紀は一一に会うまで、そう思っていた。



「私はこう見えて頭が良くない!」

 早田がヴィヴィアンを視界に収める。モーニングドレスを着た魔女は、弾かれるように右手を上げた。魔力が固まり、掌からは鋭く、尖った土塊が現れる。しかし、早田はジグザグに移動し、それを事もなげに避けた。ヴィヴィアンは後方へ逃れようとする。

「だが分かる! お前をどうにかすればいいのだと!」

「あなたは人間なのねそうなのね」

 そうだと、早田が答えた。頭を下げ、姿勢を低くし、溜める。彼女は筋肉が収縮するのを感じ、一息に地面を蹴りつけた。早田のストライドは大きく、まるで宙を滑っているかのようであった。ヴィヴィアンは氷柱、槍、礫や火球を放つも、早田には掠りもしなかった。

「人間を見るのは初めてなのか?」

 気づけば、目の前に早田の顔がある。彼女は心底から不思議だと、哀れだと言わんばかりの表情を浮かべていた。

 ヴィヴィアンには魔力を練る暇さえなかった。ぐ、と、肺腑の酸素が口から漏れ出る。殴られたのだ。


 ――――私が人間に?


 人間に。

 女神の加護を受け、狼の血が混じり、蛇姫に囚われた一一でもない。魔女になりかかった黄衣ナコトでもない。

 魔女である自分がただの人間に殴られ、喘ぎ、痛がっている。

 ヴィヴィアンはその事実を認めると、高笑いした。久しくなかった苦痛が嬉しかった。こめかみに回し蹴りを食らった後も、彼女は笑い続けた。腹を抱えながら仰向けに倒れ込んだ。

「……何がおかしい?」

 答えられなかった。ヴィヴィアンは早田の姿を認める。……人間と戦い、人間であろうと望み、振舞った。ただ、足りなかっただけだ。

 ああ。

 ああと悶える。目の前の女は、早田早紀は、人の身でありながら、人外の想像の埒外に位置している。そんな人間がいるということが、この上なく、たまらなくいい。

「殺すのね私を魔女を狩るのね」

 ヴィヴィアンは笑うのを止め、微笑んだ。認めたのだ。彼女にとっては手足を削がれるよりも命を奪われるよりも、明確な負けであった。

「やはりあなたが最後に来るのね黄衣ナコト」

 ナコトは何も言わず、答えなかった。それでいいとヴィヴィアンは思った。

 ふわりと、トークハットが飛んでいく。だらりと垂れたヴィヴィアンの髪が彼女の目にかかった。ぐるぐると歪む視界の中に、旧支配者の風が映り込む。魔女は最後に、何事かを呟く。彼女の声を聞き届けた者はどこにもいなかった。

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