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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ペレアス
282/328

覚悟完了!



 この脳は、足は、腕は、指は、体は、執念を繋ぎ、復讐を成す為にある。

「俺はっ」

 いったい、何をやっていたのだろうかと自問する。

 過酷な現実を忘れようとしたのか。魔女に記憶を消されていたのか。どちらもあり得そうで、どちらでも構わない。安穏とした日々の中で、何もかもを置き去りにしていたことに違いはないのだから。……それも今日までだった。

「俺はっ! てめえらだっ、てめえらのせいで!」

 魔が降りる街にて一一が吼える。自分は台に乗せられた駒ではない。失くしかけた目的が意志を湧き立たせる。防戦ではない。反撃でもない。これは攻撃である。

 火の玉が雨のように降り注いでいた。一とシルフは炎雨の中を旋回し、被弾することなく突っ切る。彼らの後に巻き起こる陣風が炎を掻き消した。

 アイギスの石突きが巨人の腕に突き立つ。一はそのまま、ソレを直視した。瞬間、アイギスと触れている部分が変化を起こす。石になり、巨人の動きが鈍くなり、やがて、止まった。だが、ソレの数は一向に減っていない。怪物どもは大口を開け、爪を伸ばし、着地した一へと襲い掛かる。

 一は自分よりも数倍大きい黒い獣の懐へと滑り込んだ。ソレの腹の下に潜ると、柔らかい部分にアイギスの先端を突き上げて刺し込む。鮮血が噴出し、太い臓器が零れ始めた。むっとした臭気が漂うと、消化され切っていなかった犠牲者の一部分が見える。彼は傷口を蹴り、シルフが風を使ってその場から脱出した。

 返り血を受けた一を掴もうと、巨人たちが手を伸ばす。上空へと逃れた一らは、眼下の敵勢を見下ろした。

「シルフ様オーバンブルマイっ。そろそろ疲れてきたんだけどなー?」

「だったら、少しは俺が持たせるよ。真ん中に降りろ」

「……マジかよ」

 急降下する体が、自分のものではないような気がした。頭を振り、一は歯を食い縛る。アイギスを下に向け、巨人の頭部へと降り立った。ソレの頭頂部が衝撃によって果実のようにたわむ。ぐっと力を込めると脳漿をまき散らしながら破裂した。温く、粘ついた血が周囲にいたソレどもを濡らす。

 一は倒れていく巨人の頭から、上方にいた巨大な鳥の脚を狙って跳躍した。ソレは喚くも、彼は怪物の細い脚をしっかと掴む。一の重さに耐えられず、鳥型のソレの高度が徐々に落ち始めた。そこから、彼は四足の獣の背に飛び移る。棍棒を持った小人たちが、獣の背をよじ登る。一は四方八方から迫る小人を端から蹴り、突き、素手で殴り殺した。棍を盾で受け、小人の胴体を片手で掴んで橋から投げ落とす。河から上がる小さな水柱を見ないまま、彼は次の標的へと視線を移した。

 獣が激しく身震いをする。一はソレの背から滑り落ちた。道路に尻餅をついて落下すると、錆びた剣を手にした、白骨化した男が得物を振るう。彼は起き上がりざま、剣の腹を傘で叩いた。さしたる抵抗も衝撃もなく、剣がぱらぱらと砕け散る。一が白骨に肩からぶつかると、先の剣のようにソレが砕けた。

「でかいの来るぞっ」

「おうよ」

 二体の巨人が拳を振り下ろしている。一は大儀そうに、広げたアイギスを両腕で掲げた。構えたと同時に強烈な衝撃が腕に走り、彼が体勢を崩す。だが、地に伏すようなことはない。

「もうっ、休憩終わり! そっから手ぇ離せ!」

 一がアイギスの柄を手放す。シルフが溜め込んだ風を放出させると、二人の体はするりと宙に逃れる。行き場を失った巨人どもは道路を叩いた。轟音と共に破片が散る。風圧によって舞い上がったアイギスを認めると、一はそれを中空で掴んだ。

 寄橋における一と魔群との戦闘は、まだ始まったばかりであった。



 中内荘という古いアパートがある。階段を上れば軋み、扉は建てつけが悪く、締まりがよくない。寂れた建物だが、そこに住む者の殆どは人を外れていた。

 フリーランス『神社』こと、山田栞は巫女服に身を包んでいる。袖の破れた紅白の小袖は彼女の戦闘服だ。山田はアパートの二階から、街の様子をぼうっとした様子で見つめている。

「すげーことになってんなあ」

 山田の隣には、フリーランス『貴族主義』のアイネ=クライネ=ナハトムジークの姿がある。彼女もまた髪型を整えて、蒼いドレスを着ていた。

「……せっかく、まともに暮らせる場所だと思っていたのに」

「暮らせるさ。……こいつらを全部、ぶっ飛ばせばな」

 中内荘の入り口前にはソレがいる。巨大な蛇の姿をしているが、頭部は鳥であり、嘴を持っていた。うぞうぞと蠢き、忙しなく視線を動かしている。

「この街で何かが起こってんだろうよ。一の野郎も、糸原も、北のおっさんも帰ってこねえ」

「ウーノたちは無事ですわ。そうに決まっています。ですから」

「ああ」

 山田が二階の柵を飛び越えて、庭に降り立った。ソレは彼女の存在に気が付くと、地面を這って近づいてくる。山田は晒を巻いた右拳を軽く振った。姿勢を低くし、狙いを定めてまっすぐに飛ぶミサイルのように距離を詰める。捕食の体勢に移行していたソレが身の危険を感じた。鈍い音がし、とぐろを巻いた部分に拳が激突する。ソレは顔を上げて呻いた。

「見苦しいことですわね」

 アイネのレイピアがソレの顔面を切り裂く。彼女は距離を取って鞭を使い、怪物の首に巻きつけて引き寄せた。その先には不敵に笑う『神社』がいる。

「屋号を頼むぜ!」

 山田の放ったテレフォンパンチからソレは逃れられない。風圧すら起こり、砂煙が上がるほどの彼女の一撃を真っ向からまともに受けて、ソレが錐揉みになって塀を越えて吹っ飛んだ。

「タマヤー! ……こほん。ですわね。さあ、行きますわよ『神社』。チアキさんを連れてここを離れましょう」

「おうよ。で、一たちを探すぞ」

 フリーランスの二人ではあったが、端から現れるソレを相手にしていては身が持たない。



 チャイムを押す。返答はない。

 怪物が現れ、住人は逃げ去った。人気をなくしたマンションの廊下には煌々とした照明が灯っている。楯列衛は、とある部屋の前で立ち尽くしていた。彼の傍には座敷童子であり、彼の姉のような存在の槐がいる。

 槐は、空を飛び回るソレを見遣った。ここも長くはない。否、駒台という地に留まる以上、安全な場所などないのだ。

「……早紀なら行ったに決まっておろう。大丈夫じゃ。あの子はアホだが、自らの命を顧みないほどには」

「アホなんだよ。それがね」

 早田との連絡が取れなくなったのは、一が駒台を離れてからすぐのことである。今現在、駒台で携帯電話が通じにくいのとは関係なかった。楯列はさして心配していなかったが、街にソレが押し寄せ、脱出する段になり、彼女のことが気にかかって、こうしてやってきた。

「鍵が開いてるじゃないか」

 ためらいもせず、楯列がドアを開ける。彼は声を上げそうになった。玄関の近くに、私服姿の早田早紀が座り込んでいたのである。彼女はゆっくりとした動作で顔を上げると、あからさまにがっかりした様子で息を吐き出した。

「なんだ。お前か。先輩ではないのか」

「一君なら、この街のどこかで戦っているはずさ」

「お得意の情報網とやらで聞いたのか?」

「いいや。友達だからさ。分かるんだ」

 早田は楯列の言葉を鼻で笑った。

「ご家族は? 先に脱出出来たのかい?」

「ああ。つい先、知り合いの車に乗せて行ってもらった。……街を出られた。と、思う」

 街の出入り口は封鎖されていたが、一が侵入した方角の見張りは武器を失い、彼を追いかける為に番を放棄していた。この場にいる早田らが知る由はなかったが、その方向へ逃れている者は無事に駒台から抜け出している。

「で、私に何の用だ。悪いが、茶は出せんし、出す気もないぞ」

「君の淹れたものなんて飲めやしないよ。何、僕だって一応は君の先輩だからね。一君に代わって様子を見に来ただけさ。さあ、行こう。ここにいたら危ないよ」

「先輩は、もっと危険な目に遭っている。私だけ安全なところに逃げるなんて耐えられない。先輩がいなくなったら、こんな世界にい続けることに耐えられない」

 槐は頭を掻き、アホかと呟いた。彼女は早田の顎を掴み、無理矢理に自分の方へと向かせる。

「だから、ここで死ぬまでじっとしてるつもりなのか、早紀。おぬしはどこまでアホなんじゃ。一がそんなことを望んでいるとでも思うのか」

「思ってなんかないっ。あの人は、優しい人だから。だから、これは私の意地なのだ」

 馬鹿なやつだと楯列は思った。早田早紀という女は、今までに見たことがないくらいに頭の悪い女である。

「なら、意地を張る方向性を変えようじゃないか。ここにいても死ぬ。どこにいても死ぬのかもしれない。だったら、一君に会いに行こう。どうせ死ぬならそっちのがいい。僕も一緒に行くよ」

「ま、衛? お前まで何を言い出すんじゃ。早紀を止めに来たというに、木乃伊になってどうするつもりなんじゃ、もう!」

「止めても無駄だって気づいたし、僕だって一君に会いたいんだよ。すまないね、槐君」

「だったらわしも行く。年下の面倒を見てやるのは、わしの役目じゃからな」

 自分も馬鹿だ。だが馬鹿でもいいと楯列は思った。

 早田は彼の言葉に目を丸くさせていたが、すぐに立ち上がり、何度も頷き始める。

「そうと決まればすぐに行くぞ。足はあるんだろうな?」

「ああ、かっこいい車が下にあるよ。おまけに、用心棒までついている」

「上出来だ、成金!」



 目が覚めて体を起こすと、傍には正座し、こちらをじっと見つめるシルトの顔があった。彼女の部屋で厄介になっているヒルデは基本的にパジャマ姿である。基本的に、眠り続けている。家事もせず、生活費を折半するつもりさえない。

 そんなヒルデだが、シルトは一向に構わなかった。……二人は北欧の戦乙女である。ブリュンヒルトことヒルデは戦乙女を束ねていた。強く、気高く、美しい存在であった。シルトはそんな彼女に憧れや尊敬といった感情を抱いており、共に暮らせるなど、まるで夢のようであった。

「いつまで寝ているんですかっ」

「…………ご、ごめん。で、でも、まだ外は暗いよ?」

「き、気づいていないんですか……?」

 しかしここは人の世であり現代である。働かざるもの食うべからず。のみならず、シルトは感じていた。街に異形のモノが蠢き始めている。人に害を為す存在だ。今が何時で外が昏かろうが関係はなく、寝ている場合ではない。

「ソレが出たんですよ。それもたくさん。私たちはもう勤務外じゃあないですけど、ルルが心配です。あいつ、確か近畿支部の医療部にいるはずですよ」

 ヒルデは布団からのそのそと這い出て、パジャマを脱いだ。シルトの目の前を、脱ぎ捨てられた衣類が滑るように落ちていく。

「…………そういうことはもっと早く言うように」

『寝過ぎて頭腐ったんですか?』

 シルトにじっと見つめられると、ヒルデは幻聴を耳にした。彼女は目を逸らしながら着替えを続ける。

「それに、あのう、ヒルデさん。嫌な予感がするんです。こういう雰囲気、私、前にもあったような気がします」

「前って、いつの話?」

「えーっと、ちょっと分からないんですけど。だけど、絶対にありました。こういうの」

 ソレがたくさんとシルトは口にした。ヒルデは眉根を寄せる。確かに、外からは嫌な気配が漂っていた。アレスとの戦いよりも、もっと酷いことが起きるだろう。彼女は着替えを終えると、玄関の三和土へと向かう。傘と一緒に立て掛けられていた大鎌の柄を掴み、ブーツを履く。

「顔くらい洗った方がいいんじゃないんですか? あと、すぐに食べられそうなものを置いてます。サンドイッチですけど、いいですか?」

「…………そんな暇は」

「ヒルデさんはすっぴんでもきれいだと思いますよ。でも、目やにのついてるままであのいけ好かない一一に会ったら、あいつだって幻滅しちゃうんじゃないかなあ。私は全然そっちの方がいいんですけど」

 履きかけていたブーツを脱ぐと、ヒルデはやけに畏まった様子で鎌を壁に立て掛けた。彼女は無言で洗面所に向かう。しばらくしてから戻ると、

「あ」

「はい? どうしました?」

 ヒルデは、シルトが化粧をしていることに気づいた。

「…………ずるい」

「何がですか? それより、早く食べて歯磨きして支部へ行きましょうよ」

 気にかかることは多いが、ヒルデは空腹に耐えかねて、差し出されたサンドイッチを頬張った。マスタードの利いたハムサンドは眠気がどこかへ行ってしまうくらいには美味であった。



 駒台の郊外に建てられたつくも図書館の入り口前に、三人の男女が立ち尽くしていた。九十九敬太郎、公口由梨、黄衣ナコトの三名である。

 公口の顔は蒼褪め、震えていた。彼女は、この日新しく入荷した本の整理に追われて遅くまで図書館に残っていた。難を逃れたと言えばそうなのだが、我が物顔で街を歩く巨大な獣を見ては憔悴するのも無理からぬことであった。立ち上る黒煙と、衰えることのない業火。いつの間にか見えなくなった人影と、聞こえなくなった悲鳴。

「黄衣。これが、お前が相手にしていたモノなのだな」

 九十九の問いに、ナコトは小さく頷く。彼は頭に手を遣り、低く呻いた。

「恐ろしいなあ」九十九は、何が恐ろしいのか言わなかった。ナコトは魔導書を抱く腕に力を込める。

「ここは、どうなるものかな」

 街の中心部は。知人は。友人は。家族は、どうなった。誰もが気にかかっていたことではあるが、容易には確かめられることでもなかった。自身の安全すら危ぶまれる状況下にあるのだ。

 だが、ナコトは街から逃げようとは思っていなかった。彼女には、他にないのだ。家族を失い、相棒を殺され、ようやく手に入れた安息の地が脅かされている。俯く者の毒で一度は死にかけた身だ。もう、惜しくはない。この街を守ろうとは思っていない。だが、守りたい者はいる。

「館長、先輩。逃げてください」

 公口が顔を上げる。ナコトの表情を認め、彼女は直感した。

「行くの? た、戦うの? あんなのと、殺し合うの?」

「はい。戦います。殺し合います。あそこにはきっと、あの人もいますから」

「一、か」と、九十九は苦々しげに呟く。

 決意を固めたナコトに、公口が縋りつく。

「だ、だめ。行ったら、あんなところに行ったら死んじゃう。ナコトちゃんが死んじゃいますっ。館長、お願い、お願いです。今度は、今度こそナコトちゃんが帰って来なかったら、私……!」

 絶望的であった。九十九は、約束が意味を為さないのだろうと理解していた。何せ、終わりが見えない。明確な敵の姿が判明しないのだから悪意すら見えない。駒台を支配しつつあるのは人ではなく怪物である。行けば戻れるか分からない。

「じき、ここにもソレが来るでしょう。でも、あたしは行かなくちゃダメなんです。あたしが行ったら、二人を守れなくなります」

「逃げろと言うのか。若者を見殺しにして、私たちに」

「公口さんも充分に若者じゃないですか」

「減らず口を叩いている場面か。黄衣。お前が体を張る必要はない。一は臆病だ。無事に逃げ出しているとも」

 ナコトはゆっくりと首を振る。もはや彼女は言葉では揺らがないのだろうと、九十九は諦めを覚えた。

「確かに一さんは臆病かもしれません。けど、他の人が殺されることにも人一倍臆病なんです。あの人は意地っ張りで嘘吐きで捻くれてて……今だって阿呆みたいな意地を張っているんですよ。一さんは盾みたいな人なんです。あの人が実際に何を考えてどう動いていたって、結果的には誰かを助けるようなことをしているんです。だから、あたしはあの人と一緒に戦いたい」

「……く、く。そうか。あいつがか。学校にも来ないで何をやっていたのかと思えば、いつの間にか駒台の英雄を気取っていたというわけか」

「違いますよ、館長。一さんは英雄なんかじゃありません。ただの、一さんなんです」

「はっは、そうか、そうか。では、黄衣、あいつも一緒に連れて帰ってくるといい。一には色々な話を聞きたいし、年寄りのつまらん話を聞かせてやろう。だから、必ず帰ってきなさい。いいな、公口?」

「うっ、ううううううっ、どうせ、どうせ私の話なんか聞いてくれないんですよね! 知ってましたよ分かってましたよ!」

 泣きながら、公口はナコトから少しだけ離れる。ナコトは頭を下げて、魔導書をじっと見つめた。黄衣の王を讃える言葉を高らかに叫んだ。

「戻ります! 必ず戻ります!」

 異形のモノが甲高い声を放つ。魔導書が光と熱を帯び、ナコトに召喚されたバイアクヘーが陣風と共に姿を現す。彼女はその背に飛び乗り、前方を見据えた。

「あたしの街をっ、あたしの大切な人たちを守ります! だからまた、あとで会いましょう!」

「ああ、気をつけて行ってきなさい」ナコトは頷き、バイアクヘーの背を蹴った。

「ナコトちゃんっ、ナコトちゃん!」 ナコトは振り返り、微笑んだ。

 バイアクヘーが高度を上げて、その身に風を纏い始める。


 ――――見てて。見守ってね、オキナ。あたし、この街でちゃんと生きようと思うから!


 黄衣ナコトの目的地は決まっていた。障害は全て、吹き飛ばしてぶっ飛ばすだけだった。



 かつて、その館では戦乙女が眠りを強制されていた。今、その屋根の上で、魔物を模した銅像が街並みを見下ろしている。彼の名はガーゴイル。

「折角、アレスってのを追っ払ったのにね」

「ええ」と、ガーゴイルが答える。彼の隣に座っているのは、名無しの少女であった。青髭に身体を改造され、一たちを八つ当たりから壊滅寸前まで追い込んだ人外である。

 少女は立ち上がり、夜の街を見つめた。そこかしこから赤々とした炎が上がっている。獣の吼え声に混じり、断末魔の叫びが聞こえてくる。今、死は珍しいものではなく、当然のように街を飛び交っているのだ。

「イチは元気かな」

「……誰のことですか?」

「あれ。今、なんか言ったっけ、私」

 少女は小首を傾げる。どうやら、体だけでなく心にもガタがきているようだった。彼女は申し訳なさそうに俯く。

「いいえ、お気になさらず。それよりも、どうされますか」

「どう、って?」

「くだんの、アレスの時と同じだと見ます。あなたは、いつ、どこで、自らの力を振るうおつもりなのかと」

 問われ、少女はしばらくの間思案する。だが、どれだけ悩み、考えても、答えが出ることはなかった。見下ろした街は、先と同じく赤々と燃えていた。



 袖で頬の血を拭う。視界には蠢く亡者が映り込んでいた。目の前だということに気づけず、一は肩を強かに殴りつけられる。シルフが声を荒らげて、彼は吼えながら反撃に移った。

 橋の下から、小さな鳥どもが飛来する。次々と上昇して降下する。勢いがついた尖った嘴は立派な凶器であった。一は後方へと飛び退きながら舌打ちする。標的を見失った鳥どもは道路に頭から突っ込んでいった。

「前に出ろっ、ニンゲン!」

 シルフは瞠目する。背後には大口を開ける爬虫類が待ち構えていた。一もソレの存在を確認して足を止める。乗っていた速度を殺し切ると、盾を広げて急降下してくる鳥どもを防いだ。彼はそのまま走り出す。(ましら)のように欄干を飛び移るモノが見えた。左右から大型の昆虫が飛び掛かる。多足を広げたムカデとクモだ。本能に従ったその動きは、一では捉えられない。

「シルフッッ!」

「オマエには触れさせない!」

 突風がクモに襲い掛かる。中空にいた為に踏ん張り切れず、橋から叩き落されたソレは水中へと没した。一方、一はムカデを睨んでそれを石と変えている。彼の目から涙が流れた。痛む頭を振り、一は歯を強く噛み合わせる。異形を殺し、魔を退ける。その先で彼は見た。嗤う女を見た。人間の尊厳も、誇りも、何もかもを高みから見下ろして口の端を歪めるモノを認めた。一には見覚えのない顔をしていたが、正体には察しがついている。

「魔女か……!」

 自らを眠りの国へ誘ったモノがいる。『館』を抜け、『円卓』の椅子に座った魔女の名はヴィヴィアンだ。今の彼女は襤褸を纏った老婆の姿をしている。だが、ヴィヴィアンにとって姿など不定に近しい。それこそ、精霊と何ら変わりはない。彼女は接近する一を認めて、徐に手を上げた。

 まずいと、一は咄嗟にその場から逃れる。遅れて、シルフが彼の移動に手を貸した。瞬間、彼らがいた場所に穴が空く。魔力によって形成された水柱が橋を貫き道路を穿った。それだけではない。水は意志を持っているかのように動き、蠢き、大きな球体となった。中空で留まった水の大玉の表面に波が立つ。波打つ水は触手のように伸び始めた。

 一は盾を広げると、球体から隠れるように巨人の背後へと回る。空気を切り裂く音がしたと同時、四方から声が上がった。獣どもが、怪物どもが水に貫かれ、穿たれている。苦痛と苦悶が重なっている。彼は見た。水球からレーザーやビームのように水が伸びて、放出されているところを。

「なんだよアレ、無茶苦茶だ!」

「魔女ってのはこんなんばっかか!」

 シルフが非難を浴びせるも、水は答えない。言語どころか敵味方を識別していないのだ。放たれた水流は大型のソレを次々と絶命させていく。一たちにとっては有り難いが、いつ巻き込まれるとも限らない。

「飛べシルフっ、あのババアをやるしかねえぞ!」

「ババアって……どれだよ!?」

 ヴィヴィアンは既に、若い女に姿を変えている。意味はない。彼女は常に力を誇示したがっているだけだ。一は舌打ちし、地面を転がった。彼の先までいた場所に巨人の腕が落ちてくる。水によって切断された部位が、次々と落下してくる。

「だめだアレは速過ぎる! 狙い撃ちされちゃうぞ!」

 じっとしていろと言うのかと、一はシルフの顔をねめつけようとした。だが、先まで球体を保っていたモノが姿を変え始めたのを認めると、彼はもはや笑うことしか出来なくなった。

 水は扇状に、次いで、横に、縦に、長く伸び始める。面積が広がっただけ薄くなったが、寄橋全てを覆い隠してしまいそうなほど巨大な膜となっていた。

「……何をしようってんだ?」

 魔力が宿る。水はどんどんと膨らみ、今にも破裂しそうであった。呑まれればひとたまりもない。一がそう思った瞬間、水は高波となり、歓喜の声と共に橋を襲った。人も獣も魔も一緒くたに呑み込まれ、押し潰されて、流された。小型のソレは耐えられずに欄干を越えて川まで連れていかれる。

 川に落ちることはなかった。未だ水中にいる一は四肢を動かそうとするも、水は氷のように冷たい。濡れた体は麻痺し、彼から体力と体温を奪う。酸素を求めた一の身体が、肺に残った息を吐き出しつくした。溺死する寸前、シルフが水の膜を突っ切ることに成功する。

「生きてるかっ、生きてるかニンゲン!」

 上昇していく内、一は激しく咳き込んだ。

「よし、生きてるな。見ろよアホニンゲン、殆どの化け物が死んじまった。あの魔女ってやつ、馬鹿なんだ」

「……だったらいいけどな」

 橋に残った大型のソレは生きている。ソレの数こそ減ったが、ヴィヴィアンの表情は曇らない。彼女は何も考えていないのだ。

 一は溜め息を吐く。ヴィヴィアンの後方から、新たなソレが姿を見せた。

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